竜児という存在


「竜児、お茶ちょうだい。」
淡々と大河はそう言い放った。
「今煎れてるよ、もう少し待て。」
せっかく高い茶葉を頂いたんだ、ちゃんと煎れて差し上げないと申し訳ない。
和洋折衷の食事処で働きはじめた竜児はついさっき帰ってきたばかりだった、その後に大河の食事の世話に、洗濯、掃除。結局、竜児が息抜きできる時間は数時間しかなかった。
「なんでお茶入れるのにそんなに時間かかるわけ?」
「ゆっくりゆっくり茶葉を舞わさないと駄目なんだよ、苦味ばかり出ちまうんだ、勿論沸騰したお湯じゃ駄目だ、大体80℃くらいの熱さでゆっくり…ゆっくり…」
「いいわよ、説明しなくても私は早く飲みたいだけなんだから。」
「後もう少しだから待ってろ。」
「まったく…」
こうして大河と暮らしはじめて、もう1年になる。
高校を卒業して結局竜児は就職の道を選んだ、一生懸命働いて今では店長にまでなった。というかならざるを得なかった。
大河は働いたら負けと言って結局何もしないグータラ生活をはじめた。
「私は竜児と結婚するんだから。あんたが私を養わないでどうする。」と。
「ほらよ。高い茶だからな、味わって飲めよ。」
大河はガバッと起き上がるなり湯呑みをつかんでズズッと茶を啜った。
「…なんか…甘いわね。」
「そりゃもう入念に煎れたからな、本来お茶は甘味があるんだ、沸騰したお湯で煎れるのは間違いな…」
「あーあーうるっさい!さっきも聞いたから。自慢気に語るな。」
大河は残りの茶を一気に飲み干し
「で、どうなの?仕事は。」
「そりゃもう盛況さ、俺の考えたメニューかなり売れてるんだぜ?今日だって昼には満員で、忙しいったらないんだ。」
「ふーん。」と素っ気ない返事。
「なんだよ…それで、お前は今日何してたんだ?」
「別に?何もしてない。」
「そ…そうか…と、ところで、大河…お前も少しは家事してくれないか?俺これから多分帰りも遅くなるだろ?」
「いや。」
いとも簡単に拒否しやがった。理由は「疲れるから。」だそうだ。
「いやって…だってしょうがねぇだろ?俺の帰りが遅くなったらお前も飯食うの遅くなるんだぜ、そこで大河が飯作れるようになれば…ほら問題解決だろ?」
「い!や!だ!って言ってるでしょ!」
「………そうか、大河の飯食ってみたいのにな。」
「おだてたって駄目よ。」
「だよなぁ…はぁ…わかったよ…風呂洗ってくるわ…」


ゴシゴシ…

「ったく…大河のやつ…なんであんなに傲慢なんだよ、初めのうちは楽しくやってたのによ…」

一緒に暮らしはじめた当初は大河も色々手伝ってくれたりしていたのだ。確かに不器用だけど気持ちとしては嬉しかったのだ。
でもいつからかパッタリと途絶えてしまった。
昼近くに起きて、テレビを見ながらゴロゴロ…菓子を食いながらゴロゴロ…。
たまの休日にも容赦なく仕事を押し付けてくるのだ、いい加減疲れが溜まってくる。

「よし…こんなもんかな…おぅ…」
ガクッと膝が折れた。

「立ちくらみか…疲れてんのかな俺…」

風呂掃除も終わり、ようやく自分の時間が持てた。

「ふぅ…なぁ大河…やっぱり…」
「スゥ…スゥ…」
「って…寝ちまったのか?しょうがねぇな…そんなとこで寝たら風邪ひくだろうに…」

ヨイショと重い腰をあげ、大河を起こさないようにそっと抱き上げ二つ並んだ左側の小さめの布団に大河を寝かせた。

「くそ…気持ちよさそうに寝やがる…」

まるで子供のように寝息をたてる大河を見て、疲れていたはずの体は少し楽になった。

「さてと…ちょっと茶でも飲んで、その後に大河の朝飯作るか…」

重い腰をまたおろして、湯飲みを口につけた。

「ぬるくなっちまってる…ま、いいか…」

結局竜児が眠れたのはほんの三時間ほどだった、明日も朝早くから仕事場に向わなければならない。
こういう生活が続いて、大河とも話せる時間が少なくなるのも…仕方ないのだ。
竜児が働かなければ自分も大河も食っていけない。
親に苦労はかけないと二人で決めたから頼るわけにもいかないのだ。



「いらっしゃいませ〜二名様ですね〜お煙草お吸いになりますか?
それではこちらにどうぞ〜」
忙しそうにホールスタッフがあっちにこっちに動いている。

「まさに戦場だな…」
「店長…ちょっとお話があるんですけど…」
二人のアルバイトの子がモジモジしている。顔からは覇気がなく、すぐにでも泣きだしそうだ。
「おお、どうした?」
「え、えっと…今、言うことじゃないと思うんですけど…」
「お、おぅ…そんな改まって…で?どうしたんだ。」
「その…今日でバイトやめさしてもらいたいんです。」

唐突に言われたこの一言。一瞬時が止まった。

「…え?なんで、いきなり…どうしたんだよ、なんかやめないといけない事でもあるのか?」
「その自分ら高二じゃないですか?来年受験で…クラスのみんながもう受験勉強してるって聞いて…」
「それで…バイトを辞めて勉学に努めたいって事か?」
「はい…すいません…」
「そうか…仕方ないかもな、わかった。じゃあ今日は頼むな。最後の仕事だ、張り切ってやってくれ。」
「はい!失礼します!」

緊張が溶けたのか二人のバイトはいつもの持ち場に戻っていった。

「とは言ったものの…どうしようかこれから…」

あの二人のバイトは高校生ではあるが、少なからずこの店には欠かせない戦力だ。
つまり彼らがいなくなると…自分に仕事が回ってくる。
しかし自分は店長であり、いやが上にも仕事は山積みなのだ。

「バイト募集するか…おぅ…」

書類作成に事務所に戻ろうとしたがふらっと後ろに倒れそうになった。
ガッと竜児を支えるバイトの子。

「ちょっ!店長!大丈夫っすか!?」
「お、おぅ…悪い…ありがとう。」
「店長…俺、朝からずっと気に掛けてたんすけど…疲れてるんじゃないですか?」
「だ、大丈夫。悪いな…大丈夫だから。」
「そうっすか?まああんまり無理しないで下さいよ。」
「ああ、ありがとよ。」

休んでもいられないのだ…泣き言なんか言ってられない。

竜児は力を振り絞って勤労に励んだ。



今日の仕事が終わったのは、午後十時。帰宅したのは十時半頃。
すっかり遅くなってしまった。

「ただいま〜」
「ちょっと!竜児!今何時だと思ってんのよっ!」
「ああ…悪い…今から飯作るからな。もうちょっと待っててくれ。」
「もう食べちゃったわよ!あんたが遅いからファミレス行って。」
「しょうがねぇだろ…色々やることあったんだから。」
「大体遅くなるなら電話くらいしなさいよね。なんで私がわざわざ夜中に歩いてご飯食べなきゃいけないのよ!」

容赦なく怒号を浴びせる大河に竜児の我慢という殻は儚く崩れていく。

「…………せぇ……」
「ま、たまには外食するのも悪くなかったけどね!あんたのご飯飽きちゃったのよ。」
「……るせぇ……」
「ちょっと!竜児!聞いてんの!?」


「うるせえぇぇっ!!!!!」

竜児は大河の胸ぐらを乱暴に掴み怒声を浴びせる。我慢の殻は完全に崩れていた、今まで蓄積された物が一気に放出される。

「なんだよっ!お前は!俺が一生懸命働いてんのに、なんでそんなこと言えんだよっっ!お前は何もしないくせにっ、バカみたいに文句ばっかり言いやがる!俺はお前の為にあれこれやってるんだ!!」

「りゅ、竜児…く、苦しい…放して…」

さらにギュッと力を加え続ける。

「お前は!お前はっ!俺の大事な人だからっ!俺は今までやってこれたんだ!なのに、お前は…!お前にとっての俺は…なん…な…ん」

「うう…苦しいよ竜児…」

スッと手を離す竜児だったが、そのまま玄関のドアに頭をぶつけながらその場に倒れた。

「げほっ…りゅ、竜児…?ねぇ!竜児っ!ちょっとぉ!竜児ぃぃぃ!!!」




夢を見ていた。大河とその子供たちが仲良く手を繋いでいる。
俺はというもの、その光景を微笑ましく眺めている。
あ、大河がこっちにくる。笑ってる。なんて安らかな笑顔なんだ大河。え?ご飯何がいいって?
そうだな…和食がいいかな…
でも洋食も捨てがたい…

わわっ怒った!ごめんごめん!洋食でお願いします!

あ、笑った。大河は笑ってたほうがいいな……

       *

「…過労ですね…。だいぶ働き続けてたんでしょう。大丈夫、一週間様子を見たら元気になりますよ。」
「りゅうじ…りゅうじぃ…ごめんね…わたし、わたし…」
「大丈夫ですよ。すぐよくなりますから。」
医師は大河の背中をポンポンと撫でる。
「だいじょーぶよ大河ちゃん、竜ちゃんは強い子だから。大丈夫…だから泣かないで?」

大河から竜児が倒れたと聞かされた泰子も駆けつけ、必死に大河をなだめる。

「やっちゃん…わたし、私が悪いの…だから…りゅうじは…わたしのせいなんだ…」
「大河ちゃん…」

「お願い…やっちゃん…お願いがあるの…。」

       *


大河…?なんで泣いてるんだよ、わたしのせい…?
泣くなよ大河、子供たちが心配するだろ?
大丈夫…俺は大河から離れたりしないから…

いいんだ…失敗したって、成功するまでやればいいんだから…

だから泣くなよ…




パチリと目付きの悪い目を開け、見覚えのない部屋が視界に飛び込んでくる。

「暗いな…夜だよな…俺はどれくらい眠り続けていたんだ?」

まわりを見渡すとどうやらここは病院らしい…

「ああ、倒れちまったんだな、そういえば…俺、大河に…あんな事しちまったよ…」

悔やんでも悔やみきれない…もう時間は戻せないのだから、謝るしかない。それに倒れたって事は仕事も…いや、そんな事より大河だ…馬鹿だな俺…

ガチャ

「あ…竜児…?」
「大河……。」
「竜児!」

大河は目を潤ませながら竜児に抱きつく。

「おぉう!」
「竜児…ごめん…ごめんねっ…わたし、わだしっ竜児に…あんなっ…ひぐっ…ひど…い事しちゃった…ごめんなさいっ…」
「大河っちょっ苦しい…首…取れるっ」
「ごめんなさい、ごめんなさい!私頑張るから、料理だってっ、洗濯だって頑張ってやるからっ!だから…だから…私の事許して…ってうわわっ」

竜児は大河を自分の体から引き剥がし、大河の唇に自分の唇を重ねた。

「うっむっりゅゅうぃじ」

ぷはっと竜児は息を吐き出す。

「大河、落ち着いたか?」
「竜児……。」
「なぁ大河…俺だって…大河に乱暴な事しちまったし、駄目だよな俺。だけど…さっき言ってた事、本当なのか?」
「うん、もう竜児にばっかり迷惑かけたくないから…嫌われたくないから…今、やっちゃんに色々教えてもらってるの…」
「泰子に?」
「うん。…竜児、ごめんね。」

竜児は人差し指を大河の唇に当てた。

「大丈夫…もう謝らなくていい、もう大丈夫だから…俺の方こそごめん。」

大河も人差し指を竜児の唇にそっと置いた。

「竜児も、もういいよ。」
「大河…こいよ。一緒に寝よう。朝までずっと。」
「うん…」
大河は布団の中に潜りこみながら言った…
「竜児がいないとやっぱ駄目だわ私…竜児の存在感に安心するのよ…だけど甘えてばかりじゃダメだから。でも今日は甘えさせて。」

二人は朝まで眠り続けた。





それから十年後。

「竜児!ちょっと!起きなさい!遅刻するでしょ!?」
「うーん…あと五分…」
「ダメだってば!ご飯冷めるでしょ!」
ゴンとおたまで殴られる。
「おぅ…」

「まったく…」と言いながらドスドス足音を鳴らして二階に上がっていく小さい大巨人の怒声が、容赦なく七歳と五歳の幼子にも向けられる。

「おお、今日も吠えてるな…」

眠い目を擦りながらも茶の間に向う、テーブルには朝飯とは思えない豪華な料理。
大河は今では竜児以上に料理の達人になっている。
部屋もピカピカ、服もキチンと整えられている。

「おきなさーい!!!遅刻するでしょお!!」

ドスドスと小さな大巨人はブツブツ言いながら下りてくる。

そして一人つぶやくのだ。

「まったく…誰に似たのかしら!」ってね。


        おわり。




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