「おお…これか…。」
二階建の古びた旅館を見上げ思わず唸る。それもそのはずだ。竜児は場所を適当に指し示しその後どんな旅館か見ることもなく大河がパンフレットを持ち出してしまったからだ。
どんな旅館か見せてくれよと願うも、いいのっ!と大河は拒み続ける始末だったのだ。

「なんか、年季が入ってる感じがいいわね。」
「ああ、風情をひしひしと感じるぜ…」
「じゃ行こ。私ゆっくりしたい…早く休みたい。」
「お前が迷うからだろ?だからパンフ見せろって言ったのに。」
「着いたんだからいいじゃん。ほら行くわよ。」

大河はチェックインをしにフロントへ、竜児は中の景観を楽しんでいた。干渉に浸っていると大河の声が荒げながら何かを説得している。

「だからっ!私は高校三年生だってばっ!」
「でも…ねぇ…?」
フロントにいる女性二人が首を傾げている。
「どうしたんだ大河。」
「竜児もなんとか言ってよっ!この人たち私の事小学生でしょって言うのよっ!」
「あ、保護者の方ですか、何かご身分の証明できる物はお持ちですか?」
「えっ?は、はい。」
「ほ、ほっ保護者ぁ!?」

こんな事もあろうかと、事故防止の為に学生証を持ってきていたのだ。まさかこんなところで使うとは思っていなかったが。

「俺はこいつの保護者じゃないです、本当に同級生です。それに…」
言おうとして言葉を飲んだ。妻になる人です!なんて言ったら大河はまた発狂するのが予想できた。

「ほ、ほっ、保護者って、あんたね失礼じゃないのっ?」
「あら…本当にごめんなさいね…つい…わからなくて…」
「まぁまぁ大河、落ち着け。」
「これが落ち着いてられるかぁ!私を小学生呼ばわりしてっ!」
「ごめんなさいね、そうだ。今日突然キャンセルが入ったお部屋があって、そこにお泊りになりませんか?お支払いは元々のお値段でかまいませんから。」
「え?いいんですか?そんな事してもらって…」
「ええ、それで許してもらえると…」
支配人か誰かに聞いてみなくていいのかと、疑問に思うが話を聞いて、この人が支配人兼大女将のようだった。
「なぁもういいだろ…?そんなに怒るなよ大河。」
「………まぁ…いいけど…。次から気をつけた方がいいわよ。人を見かけで判断したらいつか、怪我するんだから。」
さらりと脅しをかます大河。その威圧的な態度に大女将はたじたじな様子。
「あ、ありがとう…じゃあこちらに住所と電話番号とお名前をお願いしますね…」
まったく…と、ぶつくさ言いながら書き込んでいく。名前を筆圧を強く書いてやる。多分十枚下辺りまで跡がくっきり残っているだろう。

「じゃ、じゃあ…お部屋にご案内しますので…こちらに…」

やっと大河の恐ろしさに気付いた大女将は、ビクビクと自ら案内をかってでる。

大河の荷物を軽く抱え、部屋まで歩きだす。前を歩いているが内心ドキドキしてるのが見て取れるのだ。
入り組んだ道を歩き、一つだけあった扉を開くとそこには想像を遥かに越えた景色が広がっていた。



「す、すげぇ…」
「これは…すごいわね…」
二人の前に広がる景色。それは二人で泊まるにはあまりに広い、また窓から覗く風景も圧巻だった。「当宿、一番のお部屋です。こちらの庭園はこの部屋からしか見えませんし、もちろん外に出る事もできますよ。お気に召しましたか…?」
「お気に召すも何も…言うことないわ…。」
「あ、ああ…俺らには勿体ないくらいです…」
大女将はようやく安堵の表情で笑う。よほど恐ろしかったのだろう、今にも泣き出しそうだ。
「ではこちらのお部屋のご説明をさせていただきますので。」
女将は熱心に説明をしてくれているが、二人の頭には入ってはこない。それほどまでこの部屋は素晴らしいのだ。キョロキョロ辺りを見渡して落ち着かない。
「では最後に露天風呂のご説明をさせていただきます。」
「えっ?お風呂…」
大河が驚くように尋ねる。
「はい、当宿には三つの露天風呂がございます。」
「ちょっ、ちょっと、いい!お風呂の説明いらないっ!」
「え?そ、そうですか…?じゃあ、説明は以上ですので何かありましたらフロントまでお願いします。ではごゆっくり。」
いそいそと女将は部屋から礼儀よく出ていった。
「はぁ…疲れたぁ…ねぇ竜児…何見てんの?」
「ん?」
「何見てんのって言ってるの。」「いや…すげぇなって思ってよ。こんなに広いのに埃の一つも落ちてねぇ。」
「ばーか。たまには忘れなさいよそういうの。」
「ああ…悪い。」
「あんたらしいけどね。」
「そうだ着替えようか、浴衣あるみたいだし。」
「え、あんたいるし…やだよ。」「なんでだよ、後ろ見てりゃいい話だろ。なんなら一旦外にいるし、俺が着替えるときお前が出てろよ。」
「そ。ならいいや、じゃああんた先着替えなさいよ。私外にいるから。終わったらノックして。」
「おう。」
大河は立ち上がるとそのまま部屋を出ていった。
扉を開き、大人用の白く、青い花柄が入った浴衣を手に取り、手早く着替える。
「大河。もういいぞ。」
「うん、はい交代。」
入れ替わるように今度は大河が着替える。
「竜児、いいよ!」
「おう、入るぞ。」
一応、確認してから中に入った。そこにはSサイズの浴衣を折り曲げ辛うじて着ている大河が立っており、その姿に笑いが込み上げてくる。
「っぷ…」
「なによっ!こうしないと引きずっちゃうんだからしょうがないでしょ!」
「わ、悪いっ。思わず…っていうかなんか可愛い。」
「っ!バカっ!」
「いや、しょうがないだろ。似合うな浴衣。」
「もう!やめてよっ恥ずかしいから!」
恥ずかしそうに頭を抱える。そんな姿も可愛らしい。
「ばーか、今更恥ずかしがってどうすんだよ。」
「……ばかって言うな。」
「さっきお前も言っただろ。」
ぐぬぬ…と言葉に詰まる大河。何も言い返せないのか、諦めたように言う。
「そんな事より、竜児。髪結ってよ。」
「うん?いいけど…どんな感じにすればいいんだ。」
「普通に髪あげてくれればいい。お風呂行ったらどうせほどけるし。」
「はいはい、じゃあ座れよ。」
竜児の前にちょこんと座る。竜児は手際よく髪を束ねてポニーテールを作っていく。
下を見ると浴衣の間から大河の白肌が見えた。
「うっ…こ、これはっ…」
「なに?なんかあった?」
「いや、なんでもねぇ。」
「…変なの。」
高鳴る心臓を抑え、一気に仕上げていく。
「よし、出来た。」
「へへ。ありがと竜児っ。」
その場でくるんと一回転。束ねた髪も、ブカブカの浴衣も揺れている。鏡の前に行きふふんと鼻を鳴らす。それから夕食の時間まで、いつもどおりの会話で過ごした。 



夕食も当然豪華で、高須家ではあまり馴染みのない食材の数々が並んだ。
大河はまたも目を輝かせ一心不乱に箸を動かし続ける。
竜児もまた、同じように。
この際、食事のマナーなど関係なかった。昼にあれほど食べたのにもかかわらず、次々と口に放り込んでいく。
そして、数時間後。

「もう…無理。」
「おう…」
同時にその場に倒れこむ。
「う…お腹きつい…動けない。」「奇遇だな…俺もだ。」
はあ〜っと息を吐きだす。こんな事をするにも億劫になっていた。
「ねぇ竜児。今まで黙ってたんだけどさ。」
「ん、なんだいきなり。」
「ここの旅館ね、お風呂…混浴があるのよ。」
「ふーん、混浴ねぇ…今は動きたくね…あ!?混浴っ?」
「うん。」
「混浴って…あの混浴だよな?」「うん。」
「えっ、だってお前…」
「ごめん、黙ってた。」
腹がきついが、飛び起きる。大河も起き、ゆっくりと足を組み直し、竜児を見つめている。
「私、竜児とだったらいいよ。ていうかあんた以外と混浴なんて嫌だけど。」
「いや…そんな急に言われると…いいのかよ、本当に。」

コクンと恥ずかしそうに頷く。これは本気だと竜児は悟った。

「じゃあ…もう少ししたら行こう。この状態で風呂なんか行ったら危ないし…」
「うん…」

それから数分間、会話というのは無かった。どちらも恥ずかしくて、双方の顔が見れていない。
下を向いて動かない。
あんなに楽しかったのに急に広い部屋に静寂が走る。

竜児がその静寂を断ち切るように静かに立ち上がった。
ぴくっと大河は肩を揺らす。

「よし…行こう。後悔すんなよ。」
「うん。後悔なんてしない、だって、いつかはこうしたいって思ってた。」
「うっ、じゃあ最初からそのつもりで…だ、だから、パンフを見せなかったのか?」
「だってばれたら恥ずかしいもん…竜児、嫌がると思って。」
「い、嫌なもんかよっ!むしろ嬉しいっていうか…ああっ!なんて言ったらいいかわかんねぇ!」
「大丈夫、私は覚悟できてるから。もう迷わない。」
「そっか…じゃあ俺も覚悟を決める。行くぞ大河。」
「うん。」

風呂までの道のりは遠く、いつまでも着かないような錯覚に陥っていた。男湯、女湯の、のれんの前で下を向いて大河は言う。

「あのね、まず別々に入るでしょ。その後に露天風呂に行くの、そしたら洞窟があって、そこを通ると混浴のお風呂場があるから。」
「合流するってわけか。その前に体を先に洗っていいか?体を清めたいんだ、お前もそうしろよ。」
「わかった。じゃあ、またね。」




カコーンと桶が浴場内にこだましている。生暖かい湯気が竜児を包み込むが、内心それどころではなかった。
「大河も…大胆だな…」
桶を掴む手が震えてる。結婚を前提に付き合っているとはいえ流石にためらう。いや、実際嬉しいんだ。本当に。だけどまだそういうことには慣れていない。バスタオル一枚だけで女子と同じ湯に浸かるなんて、今まで経験した事もない。
「大丈夫…落ち着け俺。」
桶にお湯を張り一気に頭へ掛け流す。髪からしたたり落ちるお湯を鋭い目付きで眺める。
「大河だって、望んで言ってくれたんだろ…」
ポンプを三回押して一気に髪をワシャワシャと洗う。荒々しくもあり男らしい。
「俺が下向いててどうすんだ…後は、成せば成るだろっ!」
体も洗い泡を流して体も清めた。いざ出陣。外に出ると急激な寒さに足を止める。
「さ、寒い…こ、これか…?」
竜児の前に人が通れる岩山が立ちはだかっていた。この先に大河がいる。竜児は思わず生唾を飲んでしまう。
「よしっ…行くぞっ…」
パシャパシャと足元を流れるお湯が音を立てながら、一歩一歩着実に進んでいく。向こうに分かれ道があるのが見え、看板を直視した。この先、混浴。の文字。思わずまた唾を丸呑みしてしまう。
「頑張れ、頑張れよ俺。」
ドンドンと胸を叩いて歩きだす。先に進むと湯気が濃くなっている。出口だ。
「うお…すげぇ。」
視界の先には大きな露天風呂が灯りに照らされていた。水面に光る月の光が神秘的だった。しかしそこには人影はなく、竜児は一人お湯に浸かる。
「まだ、来てないか。」
ふいに空を見上げると満天の星空が広がっていた。
「こりゃすげぇや…」
入り口の方からへっくしょいっ!とバカでかいくしゃみが聞こえ、竜児はうわわわっ!と慌てて入り口を見る。湯気をかきわてくる小さい体のシルエット。バスタオル一枚を覆った大河が竜児には見える。強がっていた弱心臓も破裂寸前。
「あ…いた。お、お待たせ…」
「よ、よう!」
声が裏返り、しまった!と声が出る。
「へへ。緊張してんの?」
「そりゃ…するだろ…」
チャプンとお湯が跳ね、どんどん二人の距離が近づく。
「竜児、後ろ向いて。」
「あ、ああ。」
言われた通りに体を動かす。すると大河が背中に寄りかかり呟いた。
「ごめん、見られるの恥ずかしいから…」
「そ、そうか…そうだよな。」
「ほら、私胸ペッタンコだからさ…嫌よね貧乳な彼女なんて。」
「んなもん…関係ねぇよ…」
「うん、ありがと竜児。」
背中越しに伝わる大河の体。
「うわぁ…綺麗な空。」
「そうだな。」
「ねぇ竜児…?」
「ん?」
「前に星の話ししたの覚えてる?北村くんがグレちゃった時の事。」
「覚えてるよ、あの頃はどっちも違うやつを好きでいたんだよな。」
「うん。でも今は竜児が好き。この世の誰よりもね。」
「……俺だってそうだよ、大河が好きだ。」
「…ありがとう。あの時さ、竜児は言ってくれたんだよ。『縮めたいって思うんだろ?好きだから。』ってさ。」
「よく覚えてるな。」
「そりゃそうよ。すごい印象に残ってるんだから…私は竜児が好き。竜児も私を好きって言ってくれた。だから今こうして寄り添っていられるんだと思う。」
「うん。」
「だからこれからも竜児が好きって想い続ければ離れることはないって思うんだ。」
「じゃあ俺も大河を好きって想い続ける。そしたら離れることは絶対無いだろ?」
「うん。そうね。」
「じゃあ約束しよう。」
コツっと背中越しに二人の拳をぶつけ合う。
「これからもずっと一緒だ。」
「ずっと一緒にいようね。」
二人は星空の下で約束を交わす。もう離れることはないないだろう。大丈夫、この星空があるかぎり。二人は星のように輝いているのだから。
         おわり。



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