なぜこんな事になってしまったのだろうか。高須竜児はその今にも誰か殺しそうな三白眼をギラつかせ、低く唸る。
今日から学生にはMOTTAINAIくらいの3連休という蜜月の初日に、こんな仕打ちはあんまりではなかろうかと思う。
ホント人生って奴はままならない。いっそ、今なら電柱だって蹴り倒せる気がする。いや、実際には無理だけど。
それもこれも、全ての原因は俺の隣に座っているこの獰猛にして我が侭、天上天下唯我独尊を地で行く虎こと逢坂大河のせいだ。
「何よ、黙ってないで何か言いなさいよ」
竜児より頭一つ分以上は小さいであろう彼女は、不遜な態度を崩すことなく、この自らが招いた惨状をまるで「アンタのせいよ」と言わんばかりの顔でぶすっとしている。
ホント、なぜこんな事になってしまたのだろうか。一体この考えは何回目だろうか。人は何処から来て何処へ行くのだろうか。
「何か言えって言ってんでしょうがバカ犬!!」
「痛っ!?」
急に隣の珍獣が竜児の右手首を引っ張る。だが、普通に引っ張られただけでこんなに痛みなど感じない。では何故か。
そもそも、それこそが最大にして最悪の原因であり、最強にして最凶の彼女が起こした『ドジ』そのものなのだ。話は数十分前に遡る。


「行ってくるでガンス〜♪」
今日から3連休だという日の初日、朝から俺こと高須竜児の母、高須泰子はかねてから決まっていた社員の慰安旅行に出かけた。帰りは丁度3日後。3連休最後の晩の予定だ。
「おぅ、気をつけて行ってこいよ」
「やっちゃん気をつけてね」
二人に見送られ、泰子はルンルン♪とはしゃぎながら家を出て行く。
「さて、おい犬、言っておくことがあるわ」
泰子が家を出て行き、さてこれからあそことあそことあそこの掃除と、それからカビ取りを、と考えていた時、大河が真面目腐ったように切り出した。
「ん、何だ?これから掃除を徹底的にやるつもりだから手短にしてくれ」
そんな仕草に腹を立てたのか、大河は若干眉を吊り上げながら、語りだす。
「今日からしばらくやっちゃんがいない。私とアンタが二人きりになるわ」
「そんなの、いつものこ……」
竜児が口を挟んだ途端、大河の目つきの悪さが当社比5割り増しくらい恐くなる。言葉が出ないくらいに。それでも竜児よりは恐いという印象がない。美人って得だ。
「黙って聞いていなさい。いい?アンタが二人きりなのをいいことに私にハァハァしてこないとも限らない、だからコレを用意したわ」
はぁ?と突っ込みたいのをぐっとこらえ、大河の手元にあるソレを見た。
「これは……手錠?」
「そっ、通販で買ったの」
「買うなそんなもん!!」
「うるさいわね、アンタが私にハァハァしてきたらこれでその両腕を封じるのよ。鍵は私とやっちゃんしか持っていないわ」
「やめておけ、オチが読めた。お前はどうせ自分のドジで自分の両腕を封じてしまうのがオチだ。今ならまだ間に合うぞ」
「大丈夫よ、鍵は私も持っているんだからって、きゃ!?」
大河は足元の座布団に足を取られ、転びそうになる。そして……がちゃん。
「がちゃん?」
どこをどうやったらそうなるのだろう?大河は、手錠の片側をテーブルに乗っていたインコちゃんの籠に、もう片方は自分の左手にはめていた。
「ほら言わんこっちゃない」
「う、うるさいわね。こんなのすぐ取って……アレ?」
どこまで不器用なのだろう。左手が手錠で籠と繋がっているからって中々鍵を開けられないようだ。
「ほら、貸してみ」
見かねて手錠を外してやる。ほら、すぐに籠のほうは外れ……。
「イ、イイ、イイン……」
「おおっ!?今日こそインコちゃんが!?」
外れたところで、インコちゃんが口を開く。大河はずっと自分の左手首と格闘し、再び……がちゃん。
「「え?」」
同時に疑問符。そして慣れ親しんだ竜児の右手首には手錠が。っておい!?
「お前、何して……」
「コ!!」
大河に抗議をしようとしたところで、しかしインコちゃんは長年できなかった自分の名前をついに言い放ち、ゴクンと……え、ゴクン?
「あ、ああ、ああああーーーーーーーっ!?」
大河が大声を上げる。
「ブサ子が鍵を食べちゃったーーーっ!?」



「吐け、吐くのよブサ子!!」
「吐け、吐くんだインコちゃん!!」
そのようなやり取りはものの5分で止めた。インコちゃんが最近覚えた?死んだフリを決め込んだからだ。こうなってはしばらくは何をしても無駄だ。
「はぁ……」
改めて自分の右手首を見やる。そこにはシルバーの光沢輝く手錠。繋がっているのは自分の手と大河の手。その細く、しなやかで白い華奢な左手首は嫌がおうにも大河が女だということを知らしめる。
「何やらしい目つきで見てんのよ」
「う、いや」
事のほかキツイ大河の視線に、言葉を濁すことしか出来ない。
「認めるんだ?」
「へ?何が」
「やらしい目つきで見てたこと」
しまった、と思った時には、ひとえに風の前の塵に同じ。
「この万年発情犬。だからこの手錠が必要になったのよ」
ぐさりと竜児の心の臓を抉る。どうしてこの女はこうピンポイントで人の心を抉るのが上手いのだろうか。
「し、仕方ないだろ?大河の手が思ったよりも綺麗だったから……」
「な、何言ってんの!?そそ、それよりも今は考える事が一杯あるでしょう!?」
竜児の思ってもみなかった発言に照れたのか、珍しく大河のほうからまともな意見がかかる。
「おう、そうだ。これじゃ掃除がはかどらねぇ」
「違うでしょうが!!このアホ犬!!もっと差し迫った問題があるっつってんの!!どーするのよ!?ご飯とか、……お風呂とか」
最後の方は殆ど掠れるような声で大河は言う。お風呂。お風呂?お風呂とはすなわち、竜児の言う汚れ、それも体に付着したしたソレを洗い流す作業で、いやいや問題はそこじゃない。
お風呂に入るという事はすなわち裸になるということで、二人は手錠で繋がれて離れられないという事は……。
「あ……」
今更、気付いたように竜児は紅くなる。
「やっちゃんが帰ってくるまでの3日間は多分このままでいるしかない。学校が休みなのは不幸中の幸いだったわね。でも、その、いろいろ困るじゃない?ああ、もうどーすんのよ!?」
しかし、大河も別に冷静ということは無く、特段良いアイディアなど浮かばない。とりあえず、竜児が出した苦肉の策は、
「か、買い物に行こう」
だった。
「はぁ!?」
「だからとりあえず3日間分の買い物を済ませてしまおう!!こんな状態で誰かに見つかったらやっかいだ。3日間家に篭るつもりで買い物を済ませよう。そのときに、状況打破になりそうなものも探してみようぜ」

***

「なんであんたと手を繋がなくちゃいけないのよ」
大河の蔑むような視線。二人は今、スーパーに向かいながら手を繋いでいる。
「し、仕方ないだろ?手錠が見えて誰かに何か聞かれたらどう説明するつもりだ?」
「う……」
大河は押し黙る。正直に言ってもわかってくれるかは妖しい。かといって、冗談や遊び、といっても奇異な目で見られるのは目に見えている。それならいっそ、知らない人には手を繋いでいる男女や恋人と見られるほうが幾分ましかもしれない。大河もそれに気付いたのか、
「し、仕方ないわね、今回だけよ」
いつもよりも更に距離を縮め、殆ど腕に絡みつくように接近する。
「た、大河?」
「何よ?こうしたほうが恋人っぽく見えるじゃない」
いや、確かにそうだろうがこいつに羞恥心はないのだろうか。そもそも、知り合いに見られでもしたら何て言い訳する気だ?次々と言い訳がましい意見が竜児を駆け巡る。
「竜児?」
黙った竜児を不思議に思ったのか、腕に絡みついたまま大河は視線を上目遣いにして尋ねてくる。
「う、あ……」
何も答えられない。こいつは普段は獰猛で我が侭で、それでもやっぱり美人なのだ。何度も告白にあったことがるというのも頷ける。こんな奴とわかっていても、そんな目で見られたら竜児でなくとも紅くなるのは必然というものだ。思わず竜児は顔を背ける。
「?」
大河は小首をかしげ、まぁいいかと歩き出す。さぞ回りには熱々カップルに見えることだろう。当人達の心情は別として。
竜児は自分の煩悩を追い払うかのようにてきぱきと買い物をこなし、家へと戻る。とにかく落ち着かなければならない。そう、落ち着くためには料理だ。普段からやっている作業に没頭すれば落ちつける筈。キッチンに立ち右手で包丁を持とうと……。
「あ……」
右手が使えない。これでは料理が……。
「?どうしたのよ?」
再び大河からの見上げるような視線が竜児をつらぬく。何だろう?今日の大河の小動物のようなこの目は。これでは自制がきかなくなるかもしれないではないか。
「はっ!?何を考えてるんだ俺は?」
我に帰るも、これでは料理が出来ない。どうしよう……?



トントントン。リズミカルに包丁の音が響く。
「大河、さっきのボウル取ってくれ」
「ボウル?これね、はい」
「おぅ、サンキュ」
結局、竜児は大河の足元に踏み台を用意した。これで大河と自分の手が同じ高さにある。こうなれば不自由なのにかわりはないが、幾分動きやすい。
竜児はようやくと料理に没頭できた。今日は大河の好きなハンバーグ。フライパンの熱で少し汗ばみながらも、生き生きとした顔で料理を続ける。
「………………」
そんな竜児を、黙って大河は見ていた。何をするでもない。時々頼まれたことはするが、後はじっと見てるだけ。声を出さずに、ただ、ひたすら見つめていた。普段からの凶眼から想像もつかない優しい眼と、よどみなく動く手つき、額にはじんわりと汗が浮かんでいるその姿を。
竜児はそんな、大河の視線には気付かず、どんどんと料理にのめりこんでいく。
先程一瞬感じた自制のことなど、もはや頭の片隅にすら無い。
無い、筈だったのだが。
「ほら、竜児。あーん」
「う、いや」
今再びその自制がきかなくなり始めていた。そもそも、今日の大河は優しすぎた。いや、今までにも優しい日はあった。しかしそれは程よくバランスよく、その日の出来事にうまく加味されるものであって、
「竜児、さっさと口開けろ」
ぱくり。もぐもぐ。ごっくん。
やってしまった。これはいわゆるカップルの定番というやつではないか。いくら自分が朴念仁と呼ばれていようとそれくらいの願望、いや情報は知っている。
大体、気がつくのが遅すぎた。自分は右手が使えないのだ。利き腕が使えないという事は、箸が持てない=飯が食えないのだ。もっと早く、スプーンで食べられるもの、とかに予定を変更すべきだった。
大河、ご飯を上手く食べられない竜児に気がつき、珍しく、
「しょうがいないわね」
と言って、先程まで自分が使っていた箸で竜児の分のハンバー……なんだって?今、誰の箸って言った?
「お、おま……」
「ん?何よ?」
『隣』に『仕方なく』『密着』して座る大河は既に自分の口に先程の箸を加えながら尋ねた。
優しい、とは時に核をも越える武器になるのだと高須竜児は高校2年生にしてようやく悟りを開く事ができた。
しかし、そんな甘いフィールドにいたからか、いくつもの難関について考える事を忘れていた。忘れていただけに、その時はすぐにやってくる。
「う……」
食事を終え、居間座って落ち着いてから数分、ソレはやってきた。
「……?どうしたの?」
大河は珍しく、心配げな顔で竜児を見つめる。そんな顔をされると言いづらい。個室入室願望があるなんて。端的に言って生物が生きている限り行う生理的活動を行いたいなんて。具体的に言ってトイレに行きたいなんて。
「なんなのよ?」
「いや、その……トイレに……」
言ってしまった。せめてオブラートに包みたかったのに。こう、なんでもないことのように、さりげなく、それでいて「……わかった」え?
「いや、え?」
「トイレに行きたいんでしょ?しょうがないから行ってあげる。ドアの前で待ってるから」
俺は今日まで逢坂大河という女を誤解していた。数かぎりない男子がコイツに告白したというが、俺もその一人になりかねない、と言うほどに。今、お前は俺の中で櫛枝実乃梨よりも輝いているっ!!
「あ、ちょっと待って。タオル持ってって」
「へ?」
「……私もトイレ、あるから」
「は?」
「何度もいわせんなこの駄犬!!」
「ぶふっ!!」
手の抜きようのないこぶしが腹に炸裂する。しかし、今のはまごうことなき自分が悪い。すまん大河、お前も我慢してたのか。

「ふぅ」
トイレを済ませ、出てくると、大河にタオルを渡される。
「これで目隠ししなさい、それと耳も何かで塞ぎなさいよ」
言われて、MDを部屋から持ってくる。これでボリュームを最大にすれば音なんて聞こえない。ん?音?聞こえるか、普通?まぁ女の子はそういうの気にすんのかな。
しかし、大河がトイレに入ってすぐ、非常事態が起きる。
「……あれ?」
MDのバッテリーが切れた。これはまずい。でも音なんて何も……。
「……ャー……」
何も聞こえない何も聞こえない何も聞こえない何も聞こえない何も聞こえない。




何も聞こえない何も聞こえない何も聞こえない何も聞こえない何も聞こえない。
相当竜児は焦っていた。何せ、今大河は自分と手首で繋がりながらトイレを済ませているのだ。
(そもそも、今大河は本来纏わなければならない部分を……何を考えてるんだ俺は!?考えるな、考えるな、考えるな、そう、考えるな、感じるんだ……感じてどうする!?俺のバカ!!)
今隣にいる大河によからぬ妄想を描きそうになり、慌てて打ち消す。そのうちに、
「竜児、何やってんの?」
イヤホンを取られ、大河が目の前にいる。どうやら悶々しているうちに出てきたらしい。
「い、いやなんでもない」
高速でイヤホンを取り戻し、そしらぬ顔で突き通す。今、竜児が生き延びる術はそれだけだったと言ってもいい。例え奇異な眼で見られても、そうするしかないのだ。さぁ、疑うなら疑え。
「……あのさ、竜児」
しかし、次なる大河の行動は怪しむ、でもなく、怒る、でもなかった。
「……お風呂、なんだけど」
世界は核の光に包まれた。ふと、そんなフレーズが竜児の頭をよぎる。フロ?FURO?FLOW?それはグループ名か。
「……どうやって、入ろう?」
ギブアップ。安西先生、時には諦める事が必要です、と世界の中心で叫びたかった。この期に及んで考えを後回しには出来ない。確かにこれは由々しき問題だ。竜児が女、もしくは大河が男だったら少しはマシだったのかもしれない。
人生、時には電柱を蹴り倒す方が楽なのかもとも思う。
「い、いや、……どうしよう?」
ようやく捻りだした言葉はこれ。しかし、目の前の本物にも負けない虎はそんな言葉で納得するお方ではない。
「はぁ!?アンタ何も考えて無かったの?料理してる時はあんなに真剣でかっこよかったのに……」
「は……?」
今、大河は何と言ったのか。聞き間違いでなければ……。
「っ!!うるさい、忘れろ!!」
ガン!!
側頭部に鈍い痛み。まだ目隠しは取ってもらってなかったから攻撃への反応もできない。これは、恐らく蹴りだろう。そんな事を思いながら、今見えている暗闇同様、竜児の意識はブラックアウトした。

***

ジャーー。
水の音がする。いや、音だけじゃない。臭いもそうだ。あったかいお湯が周りに立ち込めている。ここは……風呂場だろうか?意識が上手く働かない。暗闇で何も見えない。そのせいか思考も纏まらない。
「っ!!竜児!?目が覚めてないよね!?」
声が反響する。ここはやはり風呂場のようだ。んん?フロ?FLOW?いやだからそれは……風呂!?
「え?まさかここ風呂!?」
「きゃっ!?お、起きたの!?って、ちょ、ちょとひっぱ……あ、どど、何処触って……」
「え……?」
目隠しをしたままで何も見えない。しかし、起き上がろうと無理矢理何かにつかまろうとした手は、何か、とても柔らか……ガン!!
「痛ってぇ!!」
頭を叩かれた。それも容赦なく。恐らく、今のはシャワーの頭で殴ったのだろう。ヒリヒリする。
「ったく、このエロ犬!!ひ、人のお、おし、おおし、何を言わせるかぁ!!」
ガンガン!!
「痛っ!?痛いって!?やめろ殴るな!!っていうか冷たい!!さぶっ!!」
急に来た寒気。目には見えないが随分と体中濡れているらしい。
「全く、アンタが気絶してるうちにお風呂済ませようと思ったのに」
と、いう事は、今大河は……。考えようとしてやめ……られない。今、この目隠しの前には何も纏わぬ大河が……。
『ピリリリリリ!!』
と、急に携帯が鳴る。どうやら脱衣所からだ。
「ん?電話ね」
大河は竜児を引っ張るように連れて行き、途中で、何か(多分バスタオルだろう)を巻くような音を立てて電話に出る。
「もしもし?」
『あっ、もしもしタイガー?香椎だけど』
大河は電話取ってからしばらくピクリとも動かなくなってしまった。流石に寒さが耐えられない。
「おい、大河、流石に寒い」
「うっさい黙れ」
ギロリというような気配を滲ませる。見えていなくてもこの威圧感。たいしたものだ。
『もしもーし?』
電話口から香椎の声が聞こえる。
「今忙しい、今度掛けなおす。それじゃ」
大河はそういい捨てボタンを押す。ようやく電話が終わったようだった。



「そもそもどうやって脱いだんだ?」
今、どうにかして服を着替えたらしい大河に尋ねる。このままでは風邪を引いてしまうし、参考になるかもしれない。
「切った。はさみで」
竜児の中に衝撃が走る。切った?まだ着れる必要とされている服を?なんてMOTTAINAI!!
「おまっ!?なんてもったいない真似を!!」
「仕方ないでしょ!!他にも服を切って、今は横を安全ピンで留めてるのよ」
仕方ない、そういわれて反論しようとしたが、出来ない。
竜児は清水の舞台から落ちるつもりではさみを手に取り、自分の着ている服に刃を入れる。チョキン……。切ってしまった。MOTTAINAIが切ってしまった。ごめんなさい服さんTシャツさん。
一太刀いれる度にビクビクする竜児は、何十分もかけようやく着替えを終えた。しかし、まだ難関は残っていた。そう、睡眠である。
「な、なぁ大河」
「……何よ」
「どうやって寝る?」
「っ!!そそ、そんなの聞くな!!」
大河は慌ててそっぽを向こうと体ごと向きを変えようとし、
「うわっ!!」
結果、竜児を力ずくで胸元に引き寄せてしまった。
「ちちちち、ちちょっと!?何してんのよエロ犬!!」
「こ、これはお前が引っ張るから!!」
「と、とにかく離れて!!くすぐったい!!」
「お、おぅ」
一見、竜児は冷静に離れたように見えた。しかしその実、急に哀れ乳とまで言われた胸に抱き寄せられ、あまつさえ風呂上りのいい香りを嗅いでしまったのだ。
なんていい香りだったのだろう。胸がドキドキする。それに、哀れだかコンプレックスだか知らないが、ちゃんと、その、弾力というか、胸は確かに存在した。
いつだったか、能登や春田に「おっぱいはある!」なんて言ったことがあったが、どれだけ小さくともそれは胸にたりえるという事を、今この身をもって経験した。ああ、鼻の下が伸びるというのはこういう事を言うのかもしれない。
「……竜児、何かキモい」
そんな竜児のトリップを、大河は容赦なく現実に引き戻す。まさに冷水を浴びた気分だ。男というのは本当に狼なのかもしれない。
「……とにかく、下は良いとして上は服に皺がつくし、Tシャツで寝るしかないか」
無理矢理大河の言葉を無視して、寝る時のプランを練る。
「わ、私にもシャツになれ、というつもり?」
大河は顔を真っ赤にして睨みつけてくる。
「お前、まだ服を切るつもりか?」
「……切る」
ぷちん。なにかが切れた。むしろ、ある意味で大河が切ったと言ってもいい。
「MOTTAINA〜I!!」
「な、何よ?私のなんだからいいでしょ?」
「いいや良くない!!横をこれだけ大きく切ったのは直せないものもあるんだぞ!!そんな何枚も服を切るなんてCO2削減をなんだと思ってるんだ!!」
これは心からの声だ。本当に嘘偽りの無い、真っ直ぐな気持ちだ。しかし、竜児は手錠という奴を甘く見ていた。

「………………」
「………………」
お互いに黙って背中合わせに布団に入る。手錠のせいか、背中あわせになると殆どぴったり背中がくっつく。着ているものがTシャツだけのせいか、相手の体温まで無駄に感じられる。はっきり言って緊張して寝るに寝られない。
「……竜児」
緊張したように大河が声をかける。
「……何だ?」
「……絶対変なことしないでよね」
「……おぅ」
その言葉を聞くと、大河は背中は合わせから反転し、竜児の方を向く。その気配に、竜児も大河の方を向くと、大河はそのまま竜児の胸に顔をうずめた。
「たっ、大河!?」
「……うるさい、どうせなかなか眠れないんだから慣れるまでこうする」
どんな理屈だそれは。そう思わないでもないが、不思議と、大河の重みも、香りも、存在も気にならないほどに心地よかった。先程まで緊張の連続だったからだろうか、その心地よさに、すぐに眠気が押し寄せてきた。ほどなくして、竜児は眠る。
大河も、別段嫌がるそぶりも無く、規則正しい竜児の胸の鼓動を聞いているうちに、段々と瞼が重くなってきた。
『プルルルルル』
急に竜児の携帯が鳴る。液晶には「春田」の文字。今にも眠りそうだったのを邪魔された大河は動かぬ竜児に変わって電話を取る。
『あっ高っちゃーん?あのさぁ』
「うるさい、竜児ならもう寝てる。私も寝るから、お休み」ブツッ!!
即座に言いたい事だけ言って電話を切る。そうしてすぐに再び竜児の胸に頭をおき、竜児と同じく、夢の世界の住人の仲間入りを果たした。
ようやく、長い一日目が終わる。


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