コトン、と茶碗を置く。手はお味噌汁の入ったおわんに伸びる。
「………………」
ずず……、コトン。一口飲んでテーブルに置きなおす。箸がお皿にある卵焼きに伸びる。
「………………」
会話は無い。朝の挨拶だってしなかった。
「………………」
当然だ。今の竜児は私を知らない。そんな奴に急にあんな事を言われてキレられても意味がわからないだけだろう。
「………………」
でも謝罪の言葉は出てこない。
パクリ。口の中に卵焼きを放り込みゴクンと飲み下す。
いつまで経っても出てこない言葉と、同時に。
「あ……」
代わりに出たのは……驚愕。この卵焼き、ミルク入ってる。竜児がミルク入りの卵焼きを作るようになったのは私がお願いしてからだと思ってたのに。
ふと、視線を竜児に送る。
相変わらず、竜児は喋らない。淀みなくテーブルの上のおかずを口に運んでいき、空の茶碗をテーブルに置く。
珍しく、私よりも先に竜児が食事を終えた。

***

「………………」
竜児は喋らない。私も喋らない。これが今の竜児と私の距離。隣を歩いていても初対面の時よりずっと遠い。
『近く見えても実際には凄く遠い。私と竜児はきっとそんな関係』
竜児、アンタは否定してたけど、やっぱり私とアンタはそんな関係なんだよ。
「おっはよー大河!!高須君!!」
「おはようみのりん」
「おぅ」
いつも元気なみのりん。私がいくら気落ちしててもみのりんは元気。
だからきっと竜児もみのりんが……。
「おや?大河どうかしたのかい?」
「ううん、何でもないよみのりん」
「そうかい?悩み事なら相談にのるぜマイハニー」
「ほんと、大丈夫だから」
今の私に、みのりんは眩しすぎるよ……。

***

コトン。
机にお弁当が置かれる。顔を上げるとそこには竜児。
今日も一日の半分が終わった。でも竜児は私と一言も口をきかない。
普段の私ならとっくに竜児を責めているだろう。でも、出来ない。私の中にある罪悪感が、それを許さない。
「………………」
竜児は、少しの間私を見て、教室から出て行ってしまった。
もう、私とは昼食を共にする気も無い、ということだろうか。
目の前には、竜児が置いてくれたお弁当。
『今日もこの時間がやってきました。みんなの生徒会長、失恋大明神こと北村祐作の恋のお悩み相談です』
いつものお昼の放送が始まった。時は確実に動いていくのに……。
今だ私の時間は『あの日』から止まったままだ。



『今日の相談者は……』
食欲が無い。竜児もいない。
『えっと、ここにしゃべればいいのか?』
『ええ、そうです』
今日はまだ、一言だって竜児から声をかけられていない。
『実は俺、好きな奴がいたんだ。で偶然その好きな奴の親友と知り合いになって』
もう随分と長い間、竜児と会っていない錯覚さえ覚える。
『その親友ってのが、俺の親友を好きだってことがわかって、お互いの恋を協力するようになったんだ』
『ほうほう』
左手首にはもう手錠の跡は消えてない。残ってるのは指に貼ってるしなびた絆創膏だけ。
『でも、協力関係な筈だったのにそいつと長いこと一緒にいることになってから俺はそいつに惹かれ始めてた』
『手に汗握る展開ですね』
この絆創膏だけが、唯一私の知る竜児とのつながり。でも……もうだめかも。
『とある事情でずっと一緒にいるハメになって、その気持ちが一層強くなった。なぁ北村』
『……なんだ?』
もう、流石に取れかかってるし、あ……ほら、取れちゃった……。
『お前は、前に好きな奴に振られて、その後会長に惚れたって言ってたな。何で、あんな大勢の前で告白したんだ?』
『それは俺がそれだけ会長が好きって知ってもらいたかったからさ。俺を昔振った奴、今は友達にまでなって関係は良好だが……その人がそこにいるってわかっててもそれ以上の気持ちを会長にぶつけたかった』
いつの間にか北村は、生徒会長、としてではなく北村祐作として、返事をしていた。
『それに、それぐらいしないといけない気がしたんだ。あの人に相応しくなるにはそれぐらい出来ないとって』
『そうか』
『……腹は決まったみたいだな』
『おぅ……聞こえてるか、大河』
もう、竜児とのつながりは……って、
「え……?」
何今の?空耳?
大河は椅子から立ち上がって、
『すぅっ……』
放送されているスピーカーの向こうから息を吸い込む音が聞こえ、
『たいがぁーーーーっ!!好きだーーーー!!!』
全校生徒に、大音量の叫びが放送された。
止まっていた時間が、動き出す。




ぼっ!!
一瞬にして顔が赤く染まる。
立ち上がったまま数秒、しかしすぐに我に返った大河は一目散に教室から駆け出す。
『俺は、いつのまにかお前が傍にいるのが当たり前になってた』
竜児の放送は続く。
大河は走る。廊下にいる人間とぶつかりそうになるが走る。迷惑?廊下は走るな?知ったことか!!
『お前はいつも当然のように傍にいて、俺にぶつかってきてくれた』
目の前には階段。一段飛ばし、二段飛ばし、ええいめんどくさい!!こんなのゆっくり降りていられない!!
一気に残りを飛んで降り、足にじぃんとくる痺れも無視。
『大河、お前は自分の思ったことを真っ直ぐにぶつけてきてくれて』
目の前には人垣。廊下にたむろしている生徒の山。
「じゃまだぁーーーっ!!どけぇーーーいっ!!!!」
その生徒達をかきわけ、殴り、蹴飛ばし、足を急がせる。今のでコンマ数秒走るのが遅れた事に苛立つ。
『怒って、泣いて、笑って、たくさんの顔を俺に見せてくれた』
先程の階段を無理矢理に飛んだせいか、足がじんじんする。
でも、そんなことには構っていられない。だって……。
「あいつ、私の事、『大河』って、『大河』って……!!」
目端からキラリと光るものが流れ出る。それでも走る足を止めようとは思わない。
むしろもっと早く、さらに早くと体に鞭打ち命令する。
『水泳では、大変だった』
「……竜児は私のだ」
『夏休みに見た夢、実はまんざらじゃなかった』
「……私だって」
『文化祭、綺麗だった』
「アンタ、頑張って走ってたじゃない」
『俺はそんなお前が……好きだ」
最後の言葉は、放送を通してではなく、先程勢いよく放送室の扉をぶち開けて入ってきた少女、
「はぁ……はぁ……」
肩で息をして、疲れ果てて、足をガクガクさせて、それでもここ数日で一番いい顔をしている、
「大河」
に向けて。
「この……」
真っ直ぐに大河を見つめる竜児に、大河は、
「この?」
大河は、
「このバカ犬がぁ!!主人の顔を忘れるなんてどういう了見だぁ!?」
襲い掛かった。
「え、ええ!?」
「ふざんけんな!!ふざんけんな!ふざけんな、ふざけんな……ふざ、けんな……りゅう、じ」
思い切り掴みかかって、弱弱しくなって、お願いする。
「もう一回、呼んで」
「……大河」
「もう一回」
「大河」
「もう一回」
「大河!!」
「もう二度と、忘れないでよ」
「ああ、残りの人生、ずっとお前をそう呼び続ける」
「絶対だよ」
「ああ絶対だ。ずっとお前だけの俺になってやる」
大河は驚き、でも何処か納得したように頬を染め、お互いに手を絡め合わせていく。
決して、もう二度と離れないように。
その手には、何も無い。しかし、何も無いが故の縛りがある。
今の二人は、目には見えない、恋という手錠で繋がれていた。
世界が隠した、手に入れるべきたった一人の為の、その手錠で。

――――おかえり、竜児




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