「あ」
思わず発した言葉を慌てて手で塞ぐ。
屋上のドアを開けた先、そのフロアのほぼ中央で、竜児は大の字になって寝ていた。

<学校の屋上で>

『よく寝てるなー・・・』
チョコンとすぐ傍に腰掛け、大河はちょんちょんと竜児の顔を指先でつついた。放課後、担任の独神に呼び出された。
またしても進路についてだが、あからさまに無視もできない。
「竜児ー。あたしゆりちゃんに呼ばれてるから、ちょっと待っててね」
「わーかった。んじゃ屋上で寝てるから、起こしに来てくれ」
そう言って、強面のフィアンセは手を振りながら、一つ大きな欠伸をした。
無理もない。昨夜は三代目偽乳パットの製作で、明け方4時まで起きていたのだから。
「わかった。それじゃ行ってくる」
大河も手を振り返すと、タタタっと駆け出した。
それから1時間。竜児はすっかり夢の国の住人と化していた。
しばらくはそっとしておこうと決めた大河だったが、屋上にきてから15分も経過すると、あからさまにイライラし始めた。
理由はと言えば、
『・・つまんない』
自分がきてから結構経つのに、相手は一向に目を覚まさない。なんか理不尽だ。
明らかにこっちのが理不尽な考えだが、大河に至ってこれは当てはまらない。
なにしろ彼女は、天上天下唯我独尊を地でいく虎なのだから。
『・・んしょ』
大河はおもむろに四つんばいになると、竜児の体の上にまたがった。
見下ろす顔の距離がいつもと違い、なんというか新鮮でドキドキした。
「・・・いつまで寝てるのよ・・?」
ぽしょぽしょと囁くような声音で大河は話し掛けた。
何の反応もないのを見て、ニンマリと笑う。
「・・・あんまり寝てると・・・目が溶けちゃうわよ・・・?」
クスクス笑いながら、未だ夢の中にいる王子様をみつめ続ける。
「・・・起きないと・・・悪い虎が食べちゃうんだから・・・」
スウッと顔を近付ける。唇が触れる2センチ程前に。
「・・・あと5秒だけ待ってあげる・・・」
クスクスと悪戯っぽい笑いを浮かべたまま、大河は蕩けそうな程に幸せな顔をした。
「・・・その間に起きなかったら・・・」

『食べちゃうから』

心の中で呟くと、ゆっくりと数を数えはじめた。




「・・いーち」
耳元に一つ。
「にーい」
瞼に一つ。
「さーん・・」
額に一つ。
「・・しーい・・」
頬に一つ。
それぞれ軽いキスの雨。
「・・・ん」
最後の一つを少し長めにしてから顔を離す。
そのままじぃっと見下ろしているが、その目が開く気配はない。
大河の額がピキッと引きつった。
「・・息の根とめてやる」
不穏なことを口走りつつ、最後の数を数えた。
二つの声が。
「「ごーぉ」」
「えっ!?」
驚いて顔を離そうとしたが、頭ごと押さえられ引きずり込まれた。
そして口を塞がれる。
唇で。
「んんーっ!?んっ・・んんっ!ん・・んふ・・ん・・・ぷぁっ!あ、あんた、お、おきっんっ!?んむ・・・ん・・ん・・・」

長い長いキス。
舌を入れられ、口腔を嬲られ、頭の中までぐちゃぐちゃに蕩けるような、激しく優しい・・・キス。
フラッシュが瞬く頭の中、飛びそうな意識の最後の残り香で、大河はボソリと呟いた。

『・・・食べられちゃっ・・・たぁ・・・』

そして意識はブラックアウト。




「・・・ったく、人の睡眠中に何してんだお前は?」

立ち上がり、パタパタと制服の埃を払いながら竜児は、呆れたような視線を大河に向けた。
あれから30分ほど経って、ようやく目を覚ました大河は、ブスッとした顔で座り込んでいた。

「だって・・・起きないんだもん竜児・・・」
「起こされてないからな」
「あたしに気付かないし」
「寝てたからな」
「理不尽じゃない?」
「どんな理屈だそれ?」
「せっかく人が悪戯してあげてるのに」
「頼んでねぇ」

ぴしゃりと言われてさすがにカチンときた。

「かわいい恋人が傍にきてるのに、寝てるって法はないでしょ!?」
「だから俺は寝にきたんだーーーっ!!」

はぁはぁと息を切らせながら、二人は睨み合うようにしていたが、不意にスッと竜児が右手を差し出した。

「とりあえず帰るぞ。時間も時間だしな」
「もう寝なくていいわけ?」

うろんな目を向けられた竜児は、初めてにこりと笑った。

「折角『かわいい恋人』がきてるのに、一緒に居ない法はないんだろう?」

・・・くそぅ。
にっこり笑った竜児の顔を見て、大河は心の中で悪態を吐いた。
いつもながら、こんなことで機嫌の直る自分が恨めしい、と。
せめてもの矜持とばかり、内心の喜びを隠すために、仏頂面のまま手を差し出した。
竜児はその手を取ると、よっと一声かけて引き上げる。そしてそのまま抱き締めた。その瞬間、

「ひゃあっ!!」

大河が素っ頓狂な声を上げて、へなへなとへたりこんでしまった。

「ど、どうかしたのか?」

あわてて竜児が覗き込む。

「なんか痛かったか?」
「・・・・・・・・るい」
「は?」

俯いたまま、ボソボソと答える声はとても聞き取りにくく、竜児は何度か聞き返した。

「いいから顔を上げて話せ!」

遂に業を煮やした竜児の大声に、ノロノロと大河が顔を上げた。
その顔を見て竜児が固まる。





なにしろ、顔は恥ずかしさからか、熟れた林檎の如く真っ赤に紅潮し、目は溢れる寸前の涙がたたえられてゆらゆらと揺れていた。
それらは、今にも泣きだしそうな表情と相まって、なんとも・・・嗜虐心を煽ること比類なし。
思わず竜児がゴクリと喉を鳴らした。

「で、で?な、なにがどうしたんだ?」

とりあえず理性をフル動員させて、事の次第を問い質す。
大河はふるふると目線を左右に彷徨わせながら、何度か口をパクパクと開きかけた。
そして・・・遂に意を決した。

「・・・パ」
「ぱ?」
「・・・パンツの中・・グチャグチャで気持ち悪いの・・」

言った瞬間、恥ずかしさから顔を両手覆ってしまう。

ぷつん

竜児の中で、なにかが切れた音がした。






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