――桜前線の北上の便りが耳に届く候の昼休み、
高校の裏手の桜の名所にふたつの人影が。
真っ青な空、雲ひとつない色彩に溶け込む桜の花弁のまぶしさに
竜児は目を細める。

『すっかり春だ…。毎年頼みもしないのにちゃんと咲くこいつらは凄いよな』
一際大きな桜の幹にそっと手を伸ばし、見上げながらそんなことを
つぶやく。
『私、桜って好きじゃない』
『ん? それは珍しいな。日本人なら誰でも好きなんだと思ってたけど』
『だって…寂しすぎるんだもん』

いつものような勢いが幾分削がれた感のある恋人の言葉に、
ため息をひとつ。
『ま、そう言われれば確かにそうだな。パッと咲いてパッと散る、
 そこに物悲しさはあるよな』
『それもあるんだけどね、別れとか卒業とか、そんな時にいつも
 ある花だから……かな』
『なんだなんだー? 手乗りタイガーもセンチメンタルな春ってか?』
『バッカ、わ、私にだってそんな気分の時だってあるわよ!』
ちょっと怒った色を含ませた、いつもの大河の言葉が心地良い。
とてて、と大河が駆け寄り、竜児の背に顔をうずめるように
軟着陸する。
思わずドキリと鼓動が跳ねるが、あくまでも冷静を装ったまま
言葉を続ける。

『どうした? 風除けにでも使うつもりかー?』
『…………わいの』
消え入りそうなその声に慌てて反転し、頭2つ分小さいその顔を
覗き込んだ。



『怖いの。朝起きたら今までのは全部夢でした。ってなるんじゃ
 ないかとか、桜の花びらみたいに全部散っちゃうんじゃないかって
 不安でたまらなくなることが……ねぇ、竜児は、竜児は
 消えたりしないよね? 私のそばからいなくなったり…
 ……しないよ…ね?』
見つめたその瞳には今にもこぼれそうな大粒の涙が浮かんでいた。
語尾は既に声が詰まっていた。

竜児からはすぐには言葉が出てこない。

―――ザザァッ

悲しみの色に合わせるかのように、風に散らされた薄ピンクの
蝶がふたりを包み込んだ。

『……心配すんな』
やっと綴れた短い言葉。
大河が生きてきた道のりを思えば、儚く消えてしまった
短すぎる幸福の期間が如何にぶつ切りだったか。
やっとつかんだと思った平穏が足下から崩れてしまった
喪失感。幾度と無く裏切られてきた回数が多かった大河なら
ではの不安の大きさ……それを考えるといたたまれなくなる。
だからこそ、竜児は言わねばならない。

『言っただろ? 俺たちは並び立つ存在だって。いつも、
 いつだってお前の隣に居てやる。嫌だって言っても
 離れてやらないからな。これから先、10年だって20年だって、
 いつまでもお前の傍らに居てやるよ』
『………ふ、ぐっ りゅ、りゅうじぃ〜……竜児ぃ〜…』
真っ直ぐ見つめて告げられたその言葉に、ついに堰を切る涙。
先程の不安の涙を押し上げて、喜びの涙が後から後から
あふれ出した。

『これから先、お前と一緒に何十回と見る桜だからな。
 好きになってもらわなくちゃ花見にだって行けないぞ』
『……うん、そう、だね。竜児と一緒に見れるなら、桜、好き』
『……そうだ。週末は泰子とインコちゃんも連れて花見でも
 するか? お前の好きなものを一杯詰めた弁当付きで!』

パアっと笑顔が戻る大河のその目には、もう不安の欠片は
微塵もなかった。お花見、お花見ー! と飛び上がって
喜ぶその姿に、竜児も幸せそうに微笑み返す。

散ることが儚い桜。しかし、散ることは翌年へ連綿と続く永遠の
つながり。その思いを胸に、この愛も永遠に続かんことを。





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