***


「あ゛ー、ちょっと調子わるいかねぇー」

ごほごほと数回咳をして、再びベッドに倒れこむ。

無様に泣き叫んだから、と言う訳で無く、多分軽く風邪をひいた。
声の出もいまいちだし、体の節々も少し痛む。加えてなんとなく熱もあるように思われる。

朝っぱらからアクロバティックな技決めなければ良かった、と少し後悔したが、
外に出ては腫れ上がった顔を見せ付けるのは何とも恥ずかしい。
風邪の恩恵としてバイトには休みを賜って、家でゆっくりすることにしよう。

そうして枕に顔を埋めた時、枕元に置いてあった携帯が鳴った。



「あ゛いよーくっせだで――」

「みのりんみのりんみのりんっ!!!!」


何の気なしに通話ボタンを押したところで、聞き慣れた声、というか絶叫が耳をつんざく。


「うおっ!」

乙女とは思えない叫び声を上げ、思わず携帯を手放してしまう。不幸にもその落ちた場所が悪かった。

ベッドのへりにぶち当たって硬質な音と共に装飾のラメを2、3飛ばしたかと思うと、ベキ、と嫌な音を立ててフローリングに落ちた。
携帯はそこで一度バウンドし、その拍子に電池カバーがすっ飛ぶ。


「や、やっちまった!」


慌てて床の上のそれに手を伸ばすが、ここで不思議なことに気が付く。
愛用の携帯をこんな無様な顛末に追いやる元凶となった声は未だ聞こえ続けているのだ。

無論、電池の取れた携帯が発信源であるはずがない。

一度携帯に伸ばした手を引っ込め、窓へとゆっくり歩み寄る。
恐る恐る、カーテンを少しだけ開けてみた。


「大河……」


窓の外に居たのは案の定、携帯を握り締めた親友の姿。
昨夜と同じ、華奢な四肢をほとんど晒した服装で、違いと言えば一応履物を引っ掛けていて、
オプションに"クマのぬいぐるみ"が付いていないくらいか。


「みのりんみのり、ん…みの……」


その彼女は今、声を詰まらせて俯いた。
耳元の携帯の向こうから無機質な電子音しか聞こえてこないことに、今やっと気付いたのだろう。
それを握り締めていた右手を、ゆっくりと下ろした。







「たーいがあぁぁ!!」


勢い良く飛び出してきた人影に、大河はびくりと一瞬その身を震わせただけで、為す術無く若干体当たり気味に抱きつかれる。

腫れ上がった目元に先程まで溜まっていた涙も、今ではどこへ行ったやら。
きょとんとした表情で為されるがまま頬ずりされているだけであった。


「み…みのりん?」


その言葉にハゲヅラ&マスク&グラサンの女子高生が、ぱっと顔を上げ、恐らくは微笑んだ。


「そうさ、みのりんさぁ!」



「……みのりん」

「んー?どうした大河?」

「みの、り……っ」



相変わらずおどけた様子の実乃梨に大河の表情が歪んだ。


「どーした大河ぁー、そんな顔して、らしくな……およ?」


再び抱き付こうとしたところで、実乃梨が頓狂な声を上げる。


肩口に働く斥力、そこに添えられていた両掌。

つっかえ棒の役割を果たす両腕はこんなに華奢で、今にも折れそうな程弱弱しく震えているのに――


「ごめんね、みのりん……」


ピン、と伸ばされた腕は、思った以上に強く実乃梨の体を押し返していたのだ。


「どうして謝――」



「竜児が好き」



顔を伏せたまま、大河が短く言い切った。

肩に添えた両手を離し、一歩下がる。


「だから、ごめん……」



涙声が朝の冷たい空気に消え入る。

零れた涙の雫は、アスファルトにその痕を残した。





「……何が『ごめん』なの?」


掌に、無意識に力を込めている。バカらしくて苛々してんだ。

腫れた目元を隠していたサングラスも、
おどけて見せようと被ったハゲヅラも、
ついでに風邪引きで付けたマスクも、喋りにくいから外した。


「それが、悪いことなの?」


一歩逃げたら、二歩近づいてやる。

離れさせてなんかやらない。


「『誰よりも大切』って想い人に言われて、欲しい言葉を貰って…………どうしてそんなに悲しい顔するの?」


顔を上げた大河が目を見開く。

泣き腫らした目で睨み付けてやる。


「っ――!」

「どうしてッ!」


背中を見せて駆け出す、その腕を捕まえた。


「やだぁっ離してっ!」


半ばヒステリックに叫ぶ声を無視して、その体を近くの壁に押し付ける。


「どうして幸せになってくれないの?!なってよ!じゃないと、私、」


景色が滲む。それでもその霞がかった視界の中心にしっかり相手の顔は見据えていた。


「私、報われない……!」





両手が払い除けられる。

胸にかかる重量に気が付けば、その小さな体は自分の腕の中にすっぽりと収まっていた。


「ごめん、みのりん……今は泣き顔しか見せらんないよ」


弱弱しい声のまま、大河は呟くように言う。


「……いいよ、今日くらい。こっちもお揃いだし。見せ合いっこしようぜ」

「……うん」


ゆっくりと大河が顔を上げた。

そして涙の跡の残る紅い顔のまま、不器用に小さく微笑む。

その潤んだ瞳を見つめ、私も微笑んだ。


これだけで、彼女が笑顔になるだけで……私は幸せなんだ。




「――たいがぁーっ!」

「みのりんっ!」


――こうやってバカみたいに抱き付き合えば、失恋の痛みなんて消し飛んでしまう


***


「みのりんはさ、」


二人手を繋ぎながらの帰路、大河は実乃梨の顔を覗き込むように見て尋ねた。



「竜児のこと、好きだったんだよね?」

「おうよ!」


空いている方の手の親指を立て、実乃梨は威勢よく返した。


「……結構あっさり言うんだね」

「ふ、この友情の間に隠し事は無しだからな……それに、」


歩みを止め、大河に向き直る。


「今更、身を引くなんて考えて無いでしょ?」

「……うん」


薄着の肩にかけられた実乃梨のジャージを握り締め、大河は小さく頷いた。


「恋と友情、優劣付けたわけじゃなくってね……私にはどっちも必要だった。
 片方無くしただけなのに、こんなカッコで外飛び出して、泣いて、喚いて、縋ってさ」


自嘲的に小さく笑みを零す。


「――なんか、情けないけど」




「情けなくなんかないっ」


顔を上げた大河に、実乃梨は微笑みかける。


「比較しようが無いほど大切だなんてさ、恋愛に関しちゃ少なくとも私には考えられないよ。想いの深さじゃあ私は大河に勝てっこなかった。

 ……それで自分の恋心に気付く前にそれが見えちゃったからさ、どうにもならなかったんだよね。ぶっちゃけると」

「みのりん……」

「だからこっちはちゃんと割り切れてるからさ、」


大河の両手を取り、実乃梨は続ける。


「縋ってよ。気ぃ遣って変に距離置くなんてさ、こっちとしちゃすげー寂しいことなんだぜ?」

「でも、」

「でももメーデーもワシントン大行進もねぇっ!
 大河の気付かないところで私たちはしっかり見返り受けてんだからさ、こっちの顔色ばっか伺うことないんだよ」


まあそんなに伺いたいのなら今回だけ伺わしてやろう、


そう言うが早いか、実乃梨は自分の顔を一気に大河のそれに近づけた。

体を硬直させた大河に、おでこの触れ合うほどの距離で実乃梨は怒鳴る。


「この顔が不幸に見えるかっっ!!」


気圧されるまま「い、いいえ」と答えた大河に、実乃梨は満足そうに微笑んでその首に抱き付く。


「ま、そーいうことだ」


――これに値する代償など、払える当ても無い

抱きしめられる腕の温もりの中で大河はぼんやりと思うが、今はこの一言に精一杯の感謝をこめる事にする。


「ありがと、みのりん」



――いがぁ

「大河!」



遠くに聞こえる声。

その聞き覚えのある声に、大河の体はぴくりと反応した。


「お、迎えが来たね」


数百メートル先に高須竜児の姿を見つけると、実乃梨は大河の首に回した腕を解いた。


相変わらず人面熊の体裁でかなり目立っている竜児だが、向こうはまだこちらに気付いていない。

きょろきょろと辺りに目をぎらつかせている(だろう)所で、実乃梨が「おーい!」と風邪気味の声を振り絞って叫んび、片手を振る。

こちらへ振り向いた後一瞬固まった竜児だったが、1秒後にはずんずんとこちらに歩を進めていた。



「……ったくどこ行ってたんだよ!俺がどれだけ探したか分かってんのか?!」

お互いの顔が確認出来るところまで近づいた所で、竜児は言い、二人は、


「……」

「……」

「……二人揃って怪訝な顔で押しだまんじゃねぇ」




「あんた、よくその顔で通報されなかったわね……」


元来のヤンキー面に熊のぬいぐるみだけで十分異様さを醸し出していたその体裁は、
昨晩の寝不足による目の充血と隈、更に何故かパンパンに腫らした左頬のオプションで
最早モザイク処理を求められそうなほど異形と化していた。

いつも通り必要以上に棘のある大河の物言いにも、今回は頷かない訳には行かない。

現に実乃梨は、「無修正、25禁……」とぶつぶつ呟いている。


「がーっ!俺をこんな顔にするほど強烈に殴って、軽い脳震盪に陥れたのはどこのどいつだ!言ってみろ!」

「当然の報いじゃないの?

 ……そうされるほどの事したんだから」

「……ぅ」

「……バカ竜児」


そう切り返されて、またそう切り返して、二人はお互い顔を赤く染めて俯いた。

事情の分からない実乃梨だけが、一人首を傾げる。


「え、何?二人ともどうしたんだい?」

「……これは言えねえよ」


流石に恥ずかしすぎて言えなかった


――キスを拒否されて盛大に殴られた、とは。




竜児は最早羞恥の限界値を振り切って、「くぅ…」と喉の奥で唸り始める。



腫れたその頬にひんやりと冷たい手が添えられたのはその時だった。



驚いて顔を上げた竜児の目の前には顔を逸らしながら華奢な腕を伸ばす大河の姿。


「手、かじかんじゃったからさ……ここ、借りるわよ」


半ば自棄気味にそう吐いた後、大河はその俯きの角度を更に大きくする。

そして髪の間から覗いた耳を真っ赤にして、小さな声でこう付け足した。


「追いかけてくれて、ありがと……」

「……おう」


互いの熱で、既に右手は温かい。

それでも大河は頬に触れたその手を動かすことはしなかった。




END





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