大河は一人、ベッドの上で思案する。
背の高さや、名前のこと、好きな人のこと。そういうことをいつも一人でくよくよと考えているのだが、
今日のテーマは、"あの鈍犬エコ野郎にアルコールを与えたらどうなるのか"、ということだった。
発端は、雑誌に載っていた「私の酔っ払い談義」というワンコーナー。
自分や周りの人の、酒の力で起きた出来事を紹介する投稿型のコラムである。
その中で、一際大河の目を惹く投稿があった。
それはズバリ、28歳女性投稿「酔った彼氏は優しい」という内容。バカップル具合も甚だしい中身であったが、
同時に大河の脳裏には、酔っ払った竜児の姿が浮かんでいた。竜児が今よりももっと優しくしてくれるかもしれない。
そう考えるだけで、彼氏でもないのに何だか嬉しい気分になってしまう。やる価値は十分に、ある。

というわけで、今ここに大河の"飲んだくれ犬作戦"略して、NISが開始した。

さて、まずは酒だが、これは既に泰子の缶ビールがあるため問題ない。
大河が買いに行っても、「小学生には売れません」の一点張りであるため、僥倖である。
加えて今日は泰子が早出なので、ビールを飲ませやすい。
次なる問題はどうやってヤツに飲ませるかだが…大河はポケットに手をいれ、にやりと笑う。
これまた大河にぬかりはなく、そのためのアイテムはもう用意してあるのだ。
怪しい笑みを浮かべつつ、時間は流れ、NIS決行時間は既に目前である。

「竜児、今日は私が手伝ってやるわ」
「お、殊勝なこって。明日は雪でもふるんじゃ?」
「うっさい、あんたは黙って料理しとけばいいの」
背を向ける竜児の後ろで、テーブルに一つずつコップを並べる。
まず始めのポイントはここ。中身がばれないよう、ガラス製でないコップにビールを注ぐ。
音を立てずに行動する今の大河は、獲物に気付かれないようゆっくりと忍び寄る、虎そのものだ。
一方何も知らない竜児は、のんきに鼻歌を歌いながら味噌汁を注いでいる。
「はいよ、落とさないようにな」
「わかってるって」
次のポイントはここだ。こっそりとポケットから赤い粉の詰まった小瓶を取り出す。
ラベルには"激辛唐辛子+α"の文字。プラスアルファの部分にはその他の辛味を増すスパイスが入るらしい。
これを竜児の味噌汁にどばっと投下、かき混ぜる。
竜児はいつも始めに味噌汁に口をつけるのを、大河は知っている。
完璧。まったく気付かれていない。自身の手際の良さに少々感動しつつ、全ての品を運び終え、席に着いて竜児を待つ。
そして、狙う虎と狙われる餌の夕食が始まった。

いただきますの後も大河はご飯に手をつけない。竜児の一挙一動を見守っている。タイミングが肝心なのだ。
「どうした、大河。食わないのか?」
「た、食べるわよ。あ、このお味噌汁美味しそう!」
多少声を上ずらせつつも、あくまで平静を装う。
何も知らない竜児は、そんな大河をみて安心したのか、再び箸を動かし始める。
味噌汁!という大河の心の声が届いたのかもしれない、竜児は左手に味噌汁を取った。
また箸を止めてじっとこちらを見ている大河のことが少し気になりつつも、そのまま竜児は味噌汁を飲んだ。そして動かなくなった。
次第に顔が赤くなっていく。それもそのはず、小瓶の半分は注ぎ込んだのだ。動けなくて当然。
瞬間、竜児が火を噴いた。
虎視眈々とその機を伺っていた大河は、ここだ!といわんばかりに竜児にコップを差し出す。もちろん中身はアレ。
竜児は迷わず一気に、その中身をのどへと流し込む。
期待に満ちた表情で見つめる大河の前で、すべて飲み干して、コップを置いた。作戦成功!
しかし、竜児は先程と違う類の赤い顔をして、急に俯く。少し間を置いて、
「もう一杯!」
「は?」
ビールをもう一杯飲ませろ、という予想の斜め上の要求をしてきた。
しかし大河にとっては好都合。酔ってもらった方が効果が出やすいかもしれない。
隠していた缶ビールを竜児のコップに注ぐ。ぐいっと飲み干す。注ぐ。飲み干す。
勢いに飲まれ、大河は気付いていない。すでに竜児が酔っているのを。
そうして、ついに竜児は一缶空けてしまった。



「竜児、大丈夫…?」
流石に罪悪感を感じつつも、一握りの期待を孕ませた声で竜児に呼びかける。
竜児は動かない。いや、動けないのだろうか、そのまま――大河の意に反して――畳へと倒れこんだ。
突然の出来事に、慌てて竜児のもとへ駆け寄り、
「竜児!?」
焦って声をかけるが、返事はない。まさか本当にただの屍になってしまったのかと、頬を叩いていると、突然竜児がその腕を掴んだ。
続いて、むくりと起き上がって、大河に視線が移る。いやに目が据わっていて怖い。
「は、離してよ!」
本能で危険を察知したのか、急に虎が暴れだした。しかし、時すでに遅しとはまさにこのこと。
「どうしたんだ?大河。そんなに逃げなくてもいいだろ」
いつもと変わらないテンションで、しかし掴んだ腕は離さない。
やばいやばいやばい、こいつはやばい、大河の頭に警鐘が鳴り響く。
早くなんとかしないと大変なことになる、とあたふたする大河を横目に、
掴んだ腕を竜児にしては有り得ない力で、ぐいっと引いて、胸元に引き寄せた。
大河がバランスを崩して、こちらに倒れこんできたのを確認すると、さっと腕を離してそのまま抱き締める。
「あ、あんた、何やって…」
「ああ、大河はやわらかくて気持ち良いなぁ」
逃げられないようきつく背に腕を回して、すりすりと大河の身体に頬を寄せる。
まずはお腹から、次に薄い胸、白い首筋と竜児の顔が上がってくる。
竜児の顔が動くたびに、ひぁ、と変な声が出てしまって、大河の顔が見る見るうちに紅に染まる。
恥ずかしさのあまり目をぎゅっと閉じたまま、大河は軽率な行いを後悔した。
酒を飲ませたら竜児が優しくなるんじゃないかと勝手に決め付けた。そして半ば強引に酒を飲ませた。
明らかに今の竜児はいつもの竜児じゃない。人格が変わったみたいで、大河の話など一つも聞いちゃいない。
必死に抵抗を試みても力の差が有り過ぎて、まったく効果がない。何が優しい彼氏だ、何がNISだ。
これはきっと竜児を嵌めた自分への罰なのだろう。
そこまで考えて、ふと、竜児の動きが止まっていることに気付いた。
恐る恐る目を開けると、竜児は先刻と同じように顔を赤くしたまま、顔を伏せている。
「だ、大丈夫、竜児?」
ほっと安心しつつも、心配になって声をかける。竜児が本当に動かないから。その時、
「シミ…」
「え?」
ゆっくりと竜児が首をもたげて、何か呟いた。
「シミがある」
いつになく低い声で、大河の服をひっぱっりながら、言う。
引かれている部分に目をやって、大河も気付いた。先程暴れたときに、飛んだ味噌汁が大河の服にかかっていたようだ。
いつもならここで竜児がクリーニングセットによる応急処置を行うはずなのだが、今日の竜児はやはり一味違う。
「脱げ」
「は?今なんて…」
「脱げ!脱いで早く洗濯せねば!」
据わったままだった竜児の目が、今はぎらぎらと危険な色を取り戻しつつあった。
大河には、心なしかまた人格が変わったようにも思える。
「何言って…!それは無理!」
「無理じゃない、脱げ!」
一向に言うことを聞かない大河に業を煮やして、竜児は強硬手段に出た。
大河の服はフリフリのワンピースだ。これを脱がせることなど今の竜児にとっては赤子の手を捻るようなものである。
「大河、ばんざーい」
竜児は自身万歳をしつつ、大河にも同じ動作を促す。
え、と疑問に思いつつ混乱した大河は素直に両手を上げた、次の瞬間、
スカートの裾を持って、竜児が一気にワンピースを引き上げる。
するり、と服は見事に大河の身体を抜け、竜児の手に収まった。
「きゃあああああああああああ!!!!」
あっという間に下着姿になって、大河は必死に腕を使って身体を隠そうとしている。
竜児はしかしそんな大河を放置して、よし、と頷いて洗濯機へと向かう。
「ああああんた最っ低!返しなさいよ!」
衣服が無くなるという事態を危惧した虎が、細い体で畳の上を疾走し、竜児の背に突撃。ぐらりと揺れて、再び動きが止まった。
「りゅ、竜児?」
少々嫌な予感がしつつも、そっと竜児の顔を覗き込む。もしかしてまた…。




しかし破壊力のある三白眼は閉じられ、眠っているかのような穏やかな表情。
目を閉じているということに安心しながら、じゃあこれはもらうね、と大河はワンピースに手をかける。
…取れない。竜児が離さない。
先程よりも強く引いてみる。やはり竜児はワンピースを離さない。
早くしないと竜児の目が開いてしまう。この姿をみられてしまう。
焦る大河をよそに現実とは残酷なもので、竜児の目が再び開いた。
飛び込んでくるのは、顔を真っ赤にしたとびっきりかわいい女の子の下着姿。
竜児はにやりと笑うと、すぐに行動に移る。
「きゃっ!どこ触って…」
素早く足と腰に手を回し、お姫様抱っこで隣の部屋へと向かう。
この方向、まさか…。
「竜児、だめ!お座り!」
訳のわからない命令をしつつ、しかし竜児が言うことを聞くはずもなく、腕の中で大河は必死に逃げ出す方法を探す。
しかしすぐにタイムオーバー。大河の悪い予感は的中した。ここは竜児の部屋、そして寝室。
大河をゆっくりとベッドに下ろすと、素早く馬乗りになって、大河の両腕を押さえつけた。
「大河、綺麗だ」
こんな状態になっても竜児はまったく動揺しておらず、薄笑いすら浮かべている。
「あああんた絶対変!っていうか竜児じゃない!」
再び人格が変わってしまったことを感じてわめき続ける大河の首筋に、そっと竜児の顔が埋められる。
ゆっくりと舌を這わせて、大河の敏感な所を探っている。
「ふぁ…ぁっ」
「ここが、弱いんだな、大河」
だめだ、このままだと全部持ってかれる。今の竜児は止められない。
もう殆ど涙目で、竜児の動きに声すら抑えきれなくなってきた大河は、最後の力を両足に込める。
これでダメなら、諦めるしか…そうして思いっ切り暴れさせた両足の左膝が、ほぼ偶然に竜児の股間を直撃した。
苦痛に表情を歪めて、大河の上から竜児anotherが音もなく崩れ去る。
足を絡めたまま倒れている竜児をどかして、フラフラとしながらワンピースを拾う。着る。
シワを伸ばしてから、服についた味噌汁のシミを見つけて、慌ててタオルを持って洗面所へ向かった。
竜児に見つかったらまた…そんな不安を打ち消すために。
不器用な大河の手で10分間こすられて、シミは大分落ち、もう殆どわからなくなっていた。
「私だってやればできるじゃない…」
時間はかかり過ぎかもしれないけど、そう呟いて居間に戻ろうとして、食欲をそそる良いにおいが大河の元へ届く。
つられて向かった台所に、ご飯を温めなおす竜児の姿を見つけて、ギクッとする。が、
「おう、大河、飯も食わねぇでどこ行ってたんだ?」
いつもの調子で話す竜児を見て、ひとまずほっとする。
「あんたがあんなことするから…!」
そして、先程までの行いを責める。自分が酒を飲ませたことは、とりあえず棚上げ。しかし、
「あんなこと…?なんのことだ?」
大河の想像していたのとは裏腹に、竜児はそんなの知らねぇとでも言いたげな表情を浮かべる。
「あんた…!」
忘れたとは言わせない、とばかりに"あんなこと"を説明しようとするが、思い出して、ボッと爆発。。
もしかしたら覚えていない方が都合が良いのかもしれない、そう思い直して
「なんでもない」
と、なかったことにした。

二人は温め直したご飯を黙々と食べた。
先程の竜児の味噌汁は、何故か大河に流しへと捨てられてしまったため、新しく注ぎ直されている。
今日の大河は珍しくご飯のおかわりをせず、食べ終わった後のデザートも要求してこなかった。
ただ、黙って顔を赤くしているだけ。何度か、「本当に覚えてないの?」と問われたが、
すべて「覚えてない」で通した。テレビ番組が一つ終わる頃、
「帰る」
そういって、ずっと静かだった大河は玄関へと向かう。
「そうか」
竜児も見送りに玄関まで出る。
何だか挙動不審な大河は、靴を履くと、怒ったような泣きたいような顔で一度竜児と目を合わせ、すぐに逸らして出て行った。





「…」
カンカンと階段を下りる大河の足音が遠ざかっていく。
そうして、完全に大河の気配がなくなったのを確認、
「ぶはぁ!!」
溜め込んでいた息を思い切り吐き出して、深呼吸する。
「危なかった…」
まだ手に残る大河の肌の感触に、ぶるっと身を震わせる。
この男、実の所全て覚えていたのである。もちろん、わかっていてやったわけではない。
ただコントロールできなかった。暴走する別人格を。
何度も止めようとしたが止められず、大河の一蹴りがなければ今頃大変なことになっていただろう。
「…酒は怖ぇな」
酒に流されすぎる己の弱さを、とりあえずアルコールのせいにして、ふぅとため息。
まだ残っている食器に手をかけ、動きが止まる。
思い出されるのは、大河の赤く染まった頬、柔らかい肌、湿った声…。
それらがこのまま洗い物と一緒に流されてしまいそうで、それが嫌で、竜児は手を拭いた。
よろよろとベッドに倒れこみ、天井を見つめる。
明日からのことを考えると重い気分にもなるというものだが、、それならそれでいっそのこと、
"思い出した"って言ってしまって、大河をいじめるのも面白いかもしれない。
言われた大河の反応を想像して、竜児は心がゾクゾクするのを感じる。

その口の端には、先程と同じ、にやりとした危険な笑みが浮かんでいた。






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