俺は竜、お前は虎。二人が並び立つ運命ならば、必ず二人の歩む道はひとつになる。たとえ二人が引き離されようとも、お前はきっと俺のところに帰ってくる。

ゴールデンウィーク明けの日曜日、高須竜児はいつもの日曜日より30分早く起きた。規則正しい生活を身上とする竜児は、日曜といえども朝寝坊はしない。いつも7時におきて泰子と竜児二人分の朝食を作る。去年は、それに加えて通いの居候となった同級生、逢坂大河の分の朝食まで用意するのが常だった。今年は違う。大河は竜児と婚約し、親子関係修復のために今は新しい家族と生活をともにしている。修復には時間がかかるだろうが、二人ともそれが出来ないこととは思っていない。一足早く家族関係を修復して軌道に乗せた竜児は、大河がみんなに祝福されて自分のもとに嫁いでくる日を楽しみにしている。
昨晩仕込んでおいた具を並べ、サンドイッチの用意をする。今日は大河とピクニック。いつも手抜きはしていないとはいえ、婚約者が人一倍楽しそうに食事をする人間とあっては料理好きの腕も一段と鳴ろうというものだ。ニコニコ笑いながらサンドイッチをほおばる大河の顔を想像して、つい鼻歌など歌ってしまう。
パンの耳を切り落として、パン粉にするために分けておく。自分ひとりならかまわず食べてしまうが、わがままタイガーはパンの耳が嫌いらしく、あれこれ文句を言う。そういう、子供っぽいところを見るにつけ、つい説教をしてしまうが、そのくせつい
つもわがままを聞いてやるのだから、竜児も世話がない。
つぶした卵にハム、チキン、とんかつをあわせて少々動物性たんぱく質過剰なサンドイッチを作る(大河は肉が大好きだ)。それぞれ塩、コショウ、その他スパイスの配分が大胆に変えてあり、サンドイッチで退屈することはないはずだ。しかしこれだけだとバランスが悪いので野菜サラダ(高須スペシャル)とトマトをたっぷり用意する。水筒に詰めるスープを暖め、食後の果物にオレンジを切って用意したところで、炊飯器から蒸気がではじめた。炊飯器はマイコン仕掛けだが、竜児のほうも時計仕掛けであるが如く、ぴったりのタイミングで朝食の味噌汁とハムエッグの用意にかかる。

「竜ちゃんおはよ〜、わ〜、お弁当おいしそうにできたねぇ」
「おう、もうちょっと寝てていいんだぞ」

物音で起きたのだろう、泰子が台所に顔を出す。去年までは水商売をやっていた泰子だが、オーナーの意向で新しくオープンしたお好み焼き屋「弁財天国」の店長に転職したため、すっかり生活リズムは普通の人に戻っている。お肌の老化もこれで先送りになるだろう。
ドンくさい泰子がお好み焼き屋。初めて聞いたときには竜児の胸に一抹の不安が走ったものだが、これはまったく杞憂だった。それを指摘したのは親友の北村祐作である。

「何言ってんだ高須。お好み焼きを焼くのは泰子さんじゃないだろう」

言われて自分がバカみたいな気分になった。そりゃそうだ。店なんて具を切って混ぜて出すだけだ。きちんと食器を洗って材料の鮮度に気をつければ、毒でも混ぜない限り心配ない。そもそも泰子は雇われ店長とは言え、スナック「毘沙門天国」を切り盛りしてきたのだ。手際が悪いだけで、時間をかければきちんと仕事はできる。むしろ自分のペースで出来る分、店長という仕事は合っているかもしれない。
開店当初こわごわ訪れたお好み焼き屋は味もまぁまぁ、今では経営もそこそこ軌道に乗っている。うわさを聞いて早速下校時の買い食いルートに入れてくれた旧2−Cの連中もいる。香椎奈々子にいたっては、

「高須君、ごめんね。お母さんのお店行きたいんだけど、ダイエット中なの」

と、わざわざ手を合わせて身をくねらせながら、謝らなくてもいいことを謝りにきた。おそらくは片親同士のシンパシーからだろう。思わず目頭が熱くなったが、竜児はその話を知らないことになっている。顔を伏せて前髪をいじり

「お、おう。気ぃ使ってくれてサンキューな」

と言うのが精一杯だった。友達には恵まれている。

「もうすぐ朝飯できるからな」
「はーい」

インコちゃんの水を替えていた泰子は、間延びした返事をするとやっこらせと立ち上がって背伸びをした。
転職に伴い、家事分担も変わっている。洗濯と掃除は泰子の仕事になった。朝ごはんも作る、と泰子は主張したのだが、これはどう考えても魚が海を泳ぐように自然に炊事を行う竜児がやったほうがうまくいく。勉強の気分転換にもなるし、と言う理由で台所は死守した。ついでながら、泰子の言う掃除とは、いわゆる普通の奥さんの掃除とそれほど変わらない。窓のレールの砂ぼこりとか、TVのコンセントの電極の間のほこりとか、絡み合ったコードにこびりつく汚れとか、屑篭の裏に隠れている壁のカビはちゃーんと残してあるので、竜児は心行くまでこれらと戦ってストレスを解消できる。
二人でニュースを見ながら朝ごはんを食べる。天気予報のお姉さんも上機嫌で、その表情を見るだけで今日は一日天気だと分かる。食後のお茶を飲んだ後、さあ片付けるかと立ち上がった所に、ピンポンピンポンピンポーンと、チャイムが連打されて

「りゅーじーっ!おーはーよーっ!」

と、元気な声が響き渡った。
変われば変わるもんだ。昨年は合鍵でノックもせずに鍵をあけ、どかん!とアパートごと壊しそうな勢いでドアを開け放っていた大河が、今では竜児がドアをあけるまでおとなしく待っている。おとなしく、というのは階下の大家を心臓麻痺で葬り去りそうな大音量の呼び声を含まないが。

「おう、早かったな。あがれ」

と、ドアを開けた竜児の前にはコットン・レースを重ねた白いふわふわワンピースに、これも白いつば広の帽子というお人形ファッションで固めた大河がニコニコ顔で立っている。今日も元気そうでなによりだ。

「お邪魔しまーす」

と、やはりこれも去年の竜児が聞いたら大河の正気を疑いそうな丁寧語を使って、白い帽子を手に持ったまま短い廊下をとことこ歩いていく。

「やっちゃんおはよう!」
「大河ちゃんおはよう!今日もかわいいっ!」

同年代かと思わせる挨拶を交わして、二人ともテヘっと笑う。

「すぐに用意できるからな、泰子とお茶でも飲んでろ」

去年からある大河専用湯飲みに茶を注いで出す。

「ありがとう。ねえ、ねえ、今日のお弁当なに?!」
「今日はサンドイッチだ。お前の好きな肉もたっぷりだぞ」
「やったー!」

ほとんど父親と娘の会話みたいだが、そんな二人を泰子は横でニコニコしながら見ている。

「やっちゃんも来ればいいのに」

と、実はこのピクニック2回目の誘いをかける大河に

「ごめんね、やっちゃんお掃除とお洗濯があるから」

ニコニコしながら泰子が、これも本件2回目の断りを入れる。仕事が理由ではない。今日は泰子も休みだ。お好み焼き屋の店長が日曜日に休むのも変な気がするが、オーナーのほうは採算が合い始めた段階で、少し肩の力を抜くことにしたらしい。スナック毘沙門天極時代に泰子が倒れたことに気を使って、お好み焼き・弁財天国では2週間にいちど、日曜日に店長はお休みとのことだ。その分給料は安いが。
泰子の返事は公式には掃除と洗濯のために一緒に行けない、ということになっており、非公式には「でもね、ふたりは熱々だからやっちゃん焼けちゃう!」ということになっている。この、「やっちゃん焼けちゃう」は結構強烈で、手乗りタイガーのふたつ名を持つ大河をいまだに赤面させて黙らせる効果がある。だが、公式、非公式見解が方便だというのは大河も竜児も分かっている。本当は一緒に行きたいのだ。行きたいが、泰子は我慢している。
竜児と大河を二人っきりにしてやるために。

つらい子供時代を送った大河と、母子二人、支えあって世間の波をくぐりながら生きてきた竜児は、1年間のあれこれを経て、ついにお互いの心を通じあわせることが出来た。二人にとってはようやく訪れた青春らしい青春であり、泰子はその二人の時間を大事にしたいと考えてくれている。その気持ちはありがたい。竜児にとっても大河にとっても二人でいる時間は大切であり、二人でいるだけで心が温まる。
だが、それとこれとは別なのだ。きっと一生、誰にも愛されないという諦観にも似た、乾いた絶望の毎日を独りで生きていた大河は、隣のボロアパートに住む高須親子の家庭に居候同然に転がり込んできた。だが、時に傲岸、ほとんど常にわがままな大河を泰子は無償の微笑みと抱擁で迎え入れた。それが大河にとってどれほど心癒されることだったか。
いまや竜児の婚約者となった大河にとって、泰子の幸せは自分たちの幸せと等しく大切であり、だからこそ、二人のピクニックにたまには引っ張りだして一緒に楽しいひと時を過ごしたいと考えている。
二人の時間を大切にしてあげたいという泰子の想いと、三人で一緒の時間をすごしたいという大河と竜児の想い。浜の砂子は尽きるとも、嫁姑戦争の種は尽きまじ、といわれるが、この大河と泰子にはそんな心配は無用だ。むしろ気を使いすぎているといってもいい。
竜児のほうは、春のうちは泰子の気持ちをありがたく頂戴する気でいる。でも、秋になったら首に縄をかけてでも泰子を引っ張り出すつもりだ。季節のおかずを贅沢に使った弁当をつくり、電車にでも乗って3人で出かけよう。有名な行楽地でなくていい。ほんの少し、生活から離れた場所で、シートを広げて3人でおにぎりを頬張ることのできる場所であれば、それでいい。サンドイッチのパックを風呂敷に包んできゅっと結びながら、竜児は微笑をもらす。

「これでよし。大河、準備できたぞ」
「うん。じゃぁ、やっちゃん、次は本当に一緒にきてよ」
「うんうん、次はね。行ってらっしゃい!」

この春3回目の「うんうん、次はね」だ。泰子、覚悟しとけよ。秋には俺も大河も容赦しないぞ。

「大河、帽子忘れるな」
「うん。竜児、お財布は?」
「財布よし、弁当よし、水筒よし、シートよし、七つ道具よし」

弁当箱の下、風呂敷の中に仕込んだシートと高須ピクニック七つ道具(大河が汚したときのティッシュ、大河が転んだときの絆創膏、大河が泣いたときのハンカチ、大河が破いたときの…)をぽんとたたいて確認する。

「わたし水筒ひとつ持つ!」

と、大河は竜児の手からお茶の水筒を奪おうとするが、

「じゃ、こっち持ってくれよ。スープが入っているんだ」

と、違うほうを袈裟にかけてやる。お茶の水筒を渡すと、勝手に飲んで勝手にこぼして服を汚してしまう。と、いうことを大河に言わずに安全策をとる。呼吸をするように無意識に気配りができる竜児ならではだ。大河を略奪するつもりの男がいるならば、彼は事前に竜児を観察し、大河のメンテナンス・コストをきちんと見積もるべきだ。


◇ ◇ ◇ ◇  


二人がピクニックに行くのは、これで3回目。今日は1回目と同じコース。商店街を抜けて大橋へと出、川沿いの河川敷をぶらぶらと歩く。最初のピクニックの話をしたら、亜美に「はぁ?あんたたち、ばっかじゃねーの?」と言われた、と大河は笑っていた。むべなるかな。同コースは実に雪のバレンタインデーにおける二人の逃走経路そのものである。人生をかけた逃走劇をほんわかピクニック気分でたどるなど、ばかばかしいと言われても仕方がないのかもしれない。
だが、二人とも別に感傷に浸っているわけではない。
まず、河川敷のピクニックはタダで済む。次に弁当の持込制限がない。これはつまり、いまだにバイト禁止に甘んじている竜児にとって、経済力のなさを露呈することなく、かつ自分の得意なフィールドで目いっぱい婚約者にいいところを見せることの出来る格好のコースである。大河にとっても、腹の足しにならない足代がお弁当のグレードを下げることのないすばらしいコースである。
次に、商店街を通ることは、なにかを持ってくることを忘れた際ぎりぎりまで補給のチャンスを確保できることを意味する。そもそも竜児が何かを忘れること自体考えにくいとはいえ、その忘れ物をしない性格自身が、このパラノイア寸前の用意周到さと直結しているのだから仕方がない。商店街を通ると遠回りであるが、デメリットはメリットで打ち消される。
最後に大河にとっては商店街を通ることで、ぎりぎりまで竜児にお菓子をねだるチャンスが存在することになる。ポシェットにいつもお菓子を忍ばせているとはいえ、それ以上に何かがほしくなれば、竜児にねだることが出来る。竜児はそんな甘えを聞いてやる気はないが、とにかく交渉の余地があることは大河にとって重要だ。
かように、商店街から大橋、河川敷のピクニックコースは、二人にとって合理的かつ理想的なデートコースであり、雪の日の逃走経路と重なっているのは偶然である、と亜美から話を聞いた北村に竜児と大河は力説したのだが。

「まったくお前たちにはあきれるな。逃走経路の下見なら聞いたことはあるが、検分となると警察の仕事だろう」

と、笑われてしまった。聞いていやしねえ。


◇ ◇ ◇ ◇  


しかしながら、竜児は忘れ物をしておらず、大河もポシェットの中のオヤツ以外にそそられるものを思いつかなかったため、二人は商店街で何も買うことなく大橋にたどり着いた。遠回りだったが、おしゃべりをしていたので苦痛でもなんでもない。
いろいろな意味で命がけのプロポーズを行った大橋にまったく何の感傷も無いというと、それはそれで嘘になる。が、五月の晴れ渡った青空の下に広がる河川敷は、それが少々にごった川の猫の額ほどの広さのものであっても気分を高揚させる。

「ねえ竜児、早く下に降りようよう」
「待て待て、向こうに階段があるからあれを使おう」
「降りようよう」

駄々をこねる大河に負けて、足元のそれほどよくない傾斜を見る。草丈が低いのでそのまま下りられればいいが、いかんせん同行者はドジッ子タイガーである。かつては全校生徒を震え上がらせた歩くミニ爆弾といえども、誰も見ていないところ、あるいは竜児が見ているところではすってんころりんと転ぶこと多数。こんなところでこけたらせっかくのきれいなお人形ファッションも台無しだ。

「じゃぁ、ほら」

手をかせ、と右手を出すと、さっと顔を赤らめて

「なによ、子供扱いしちゃって」

と頬を膨らませつつも、おとなしく手を出す。手をつないだときに小さく「えへっ」と聞こえたのは黙っておいてやることにして、竜児は足元に集中する。足場のいいところを指示してやり、いざと言うときには力を加えて支えてやりながら、無事河川敷まで降りることが出来た。
二人顔を見合わせてにっこりと微笑を交わし、もうつないでいる必要のない手をつないだまま、歩き始める。心臓の高鳴りを聞きながら、お互いの体温を手のひらで感じとる。
二人ともちょっとだけ無口になる幸せな時間は、

「すみませーん、ボール投げてください!」

と、キャッチボールをしていた小学生が声をかけてくるまで15分ほど続いた。手をほどいて、足元に転がってきたソフトボールをつかみ、投げて返してやる。

「ありがとうございます!」

捕球した後帽子をとってきちんとお辞儀をする子供に手をあげて挨拶してやり、二人は顔を見合わせて微笑む。再び歩きはじめるが、手はつながない。もう一度手をつなごう、と恥ずかしがらずに言えるようになるには、まだ少し時間がかかりそう。


◇ ◇ ◇ ◇  


「今日も野球してるね」
「おう」

と、二人が目を向けたのは、二つ目の橋の下をくぐったところ、市営の河川敷グラウンドだ。ここには小規模ながら野球が出来るスペースがあり、いつも草野球の試合が行われている。

「ねぇ、見て行かない?」
「そうするか」

どうやらこれから試合が始まる様子なので、二人とも足を止めて観戦することにした。特に野球が好きなわけではないが、共通の友人の櫛枝実乃梨がソフトボール少女ということもあって、まったく無関心でもない。なんにせよ、飽きたら観戦をやめてまた歩けばいいのだ。気楽なもんだ。

「そこでいいか」

護岸ブロックにはでこぼこがあって、贅沢を言わなければ椅子として使える。

「うん、そこで観よう!」

と元気よく大河が護岸ブロックを上り始める。

「竜児!早く早く!」

はしゃいでいる大河に声をかけ、

「いまシートを出すからな」

と、風呂敷を開いて青白赤のビニールシートを広げる。これで即席観客席の出来上がり。

「私オヤツ食べる。竜児は?」

と、クッキーを取り出した大河から一つ分けてもらう。

「まだ始まらないのかな」
「ほうねえ、ひゃっひほーふがおわっはら?」

お前、口の中にモノを入れてしゃべるなよ、といいつつ、ぱらぱらと落ちた屑を丁寧に拾って捨ててやる。
グラウンドのほうでは、そろそろ準備運動も終わっているようだが、ベンチのほうでは何やら不穏な空気が流れている。ユニフォームを着た選手が集まって相談している。なんだろう、と見ていると

「竜児、あれ、静代さんじゃない?」

と、大河。

「あ、ほんとだ」

ベンチの後ろの応援席らしきところに、主婦や子供に混じってひときわそぐわないミニスカートで座っているのは、スナック毘沙門天国の現ママ、静代だ。彼女とは泰子がママだったころにバーベキュー・パーティーに呼ばれるなどして、何度か会ったことがある。視線を感じたのか、静代のほうも、護岸ブロックでのんびり観戦を決め込もうとしている竜児と大河に気がついたらしい。こちらに笑って手を振っている。
二人で手を振り返したのだが…静代は立ち上がって、たったったとベンチに駆け寄り、相談中の選手たちに声をかけた。とたん、竜児と大河は息を呑む。全員が、一斉にこちらを見たのだ。

「え、なんだろう」
「なにかしら」

こういうとき、大河は鈍い。こいつは野生の虎のごとく、自分に危害が加わらない場合には徹底的に鷹揚に振舞えるようできているのだ。他方、気遣い人生を送ってきた竜児は、何事か社会的な問題が自分たちに発生しつつあることを機敏に感じ取って、背中に汗をかき始めた。なんだろう、というのは疑問の意味ではない。何かまずいことが起きているぞ、の意味だ。

「なぁ、大河。ここ、やめて歩かないか」
「ん?そう?いいよ」

特に野球にこだわっているわけでもない大河はクッキーの袋をポシェットに戻すが、残念。遅かった。

「竜児くーん、大河ちゃーん」

静代が、やはりその場にそぐわないピンヒールでこちらに走ってくる。遅かったか、と顔をしかめながら

「こんにちは」

と、笑顔を返す。われながら器用だ。

「ねえ、ねえ、デート?」

大河と竜児を交互に見比べながら、静代は満面の笑み。その下には何か思惑が見え隠れしている。しかし大河は片手を、はいっと元気にあげて

「そうです、デートなのです!」

頬を染めて破顔する。学校の外では別に隠すことでもない。のびのびとしている大河を見ていると、竜児もうれしい。が、

「そっかぁ、やっぱり二人は出来ていたのか、うふふ」

と、静代は目を細めて

「大河ちゃん、竜児君のかっこいいとこ見たくない?」

いきなり絡め手で攻めてきた。勘の鈍い大河が

「かっこいいとこ?」

と首をかしげる横で、竜児の人間関係計算機は計算終了。すでに事態の進展する先が読めている。

「今日ね、彼氏の野球の応援に来たんだけど、メンバーがひとり急に来れなくなったの。竜児君貸してくないかな」

計算どおり。竜児は目を細めてぎらりと光らせる。特に意味はない。
それにしてもさすがは接客業。交渉先が竜児じゃないところがすごい。ガールフレンドが「私はいいですけど」と言ってしまった後にNoといえる男子高校生がいったいどのくらいいるだろうか。あまりいないだろう。しかしながら、残念ではあるが、竜児の答えはNoである。Noと言える男子。
だいたい、竜児は中学生のころ部活でバドミントンをやっていたが、高校に入ってからは家事に専念している。その家事の腕前がいくら手芸部相手に指導をするほどとはいえ、野球の役には立たない。一方、運動能力と言うのは高校時代にスポーツをするかしないかで大きく差が開くものなのだ。大河?あれは例外。虎と人間を比較しないでほしい。
グラウンドにいる社会人の皆さんは、学校を出てもわざわざスポーツで汗を流そうという方々である。竜児との差は肉食獣と草食獣くらいある。別々の進化をたどった生き物といっていい。シマウマがライオンと一緒に野球をするか?しないよね。残念。
だから、大河さえ適当に言葉を濁してくれれば、

「おお!竜児に任せてください!こう見えて竜児はお料理お洗濯なんでもOKです!」

期待をした竜児がバカだった。

「ちょっと待てお前、洗濯関係ないだろう」

料理も関係ない。しかし静代には竜児の意志こそ関係ない。

「きゃっはー♪、大河ちゃんありがとう。竜児君借りるね?」
「どうぞどうぞ、こんなのでお役に立てるなら。竜児ーがんばってー!」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。俺、野球なんかできないですよ。球速いんでしょ。それにユニフォームもないし」

Tシャツから出た腕に体を絡めて引きずっていこうとする静代に抵抗する。マジで困る。なんとか断らねば。しかし今度は別方向から弾が飛んできた。

「いや、打席では突っ立ったままでいいから」

ユニフォームに身を包んだ、ひときわ恰幅のいい監督らしい人がいつの間にか竜児たちのところまで来ていた。

「人数あわせだからさ。守備も一番球が飛んでこないところに立ってもらうし。頼めないかな」

人懐っこい顔で笑いかける。まいったなぁ、と思いつつさすがに断りきれなくなってきた。大河が乗り気である以上、あまりしつこく遠慮するのもみっともない。じゃぁ、立っているだけならと渋々返事をしたところで

「え?立ってるだけでもいいの?じゃ、私打ちたいな」

別の爆弾が炸裂した。

◇ ◇ ◇ ◇ 


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