***

「フーッ……フーッ……」
大河を助けなきゃ……腕が痛い。
「フーッ……フーッ……」
大河が苦しんでるんだ……腕が痛い。
「フーッ……フーッ……」
早く大河を……腕が痛い

***

「大河ぁーーーっ!!!!って痛!?」
大声を張り上げ立ち上がり、腕を抑える。気付けば今はHR中。
「あ……すいません。寝ぼけてて……」
ペコと頭を下げ着席する。怪我をした腕がまだじぃんと痛む。
「い、いいんですよ高須君。そうよねぇ仲良しの逢坂さんが大変だったもんね。ウンウン」
竜児の起立から驚いた顔をしていた担任(30)が納得したように頷く。
「そうだぞ高須。仕方ないさ」
親友(眼鏡)もウンウン。
「そうだよね、高須君がんばってたもんね」
男女ソフトボール部部長もウンウン。
しまいにゃクラス全員がウンウン。いや、みんな頷きすぎだろ。
教室に居づらくなった竜児は、HR終了のチャイムと同時に教室を出た。

***

ビュウ!と風が吹く。屋上の給水塔の足場に背中を預けながら自らの右腕を見やる。
制服に隠れて見えないそれには白、い包帯が巻かれている。
「十三針……だっけ」
十三針。それは竜児の腕を縫いつけた針数。
予想以上に複雑に酷く木の枝が刺さっていたらしい。
『君はこれからリハビリしても、重い物……そうだな、80kg以上のものとなると持ち上げられないだろう』
医者の話によると、繋げた神経がボロボロで無理に持ち上げれば腕が使い物にならなくなるということらしい。
けど、別にこれからの人生、80kg以上の物を持ち上げられないからといって特段問題は無いだろう。
「……高須、こんな所にいたのか」
そう、腕を見ながら考えていると、この学校一多忙な男、と言っても過言ではない北村が来た。
「おぅ」
「腕は大丈夫か?」
「ああ、まぁ……何とか。これから先、80kg以上の物は持つなって言われたけどな」
「……そうか」
北村がしゅんと沈む。
「おいおい、北村が気にする事なんてないぞ?俺の不注意だしな」
笑ってみせるが北村は俯いたままだ。
「しかし、俺がお前を一人でいかせなければ「ストップ」」
北村の苦言を止める、正直、そんな風に思われるとこっちが恐縮してしまう。
「止めようぜ、そういうの。俺は無事だったし、大河も無事だったらしい、んだろ?」
「あ、ああ。先生の話だと体調を崩して母親の所で静養しているらしいが……お前は連絡とってないのか?」
意外だとばかりの声色。
「携帯繋がんねぇんだ」
そう、大河は学校に来ていない。連絡も無く、携帯にも繋がらない。
「そうか……」
北村は眼鏡を外してレンズを拭く。吹いている風がだんだん強くなってきた。
「なぁ北村、お前俺の怪我にそんなに責任感じんのか?」
「それはそうだろう?俺は学級委員だし、何よりお前と一緒に一時あの場にいたんだから……」
やっぱりそうか。でも、だとしたら困るんだ。困るから……そうだな。
「北村、お前に一つ頼みがある」
「頼み……?どうした?」
北村は、この時の意外な竜児の頼み、「大河を助けたのは北村」という嘘をきくことにした。




***

「悪いな、変なこと頼んで」
北村と二人、屋上から出て階段を下りる。外は寒いし、特段いる必要も無い。
「それは構わないが……本当にいいのか?」
「あぁ、そうして欲しいんだ」
なら良い、と北村は再度頷く。
これで大河は……「高っちゃぁん♪」……春田?
階段を降りきったところで、後ろから春田に声をかけられる。
「これからイイトコいかね〜♪いつまでもタイガーのことばっか考え……むぐぅ!?」
「バカ!!ははは……なんでもないなんでもない。一緒にあの行列の出来るラーメン屋、にでも行こうぜ」
春田の口をおさえるようにして現れたのは能登。
どうやら、これは俺に気を使ってるらしい。

***

「うぃー寒っ!!前の奴ら遅すぎじゃね!?」
春田が足を動かし体を温める。俺は能登と春田からの誘いで行列の出来るラーメンを食いにきた。
ちなみに北村は、生徒会があって来られない事に少し残念そうだった。
しかし、かれこれ何十分待っただろう?この寒空の下で待たされるには春田の言うとおり些か長すぎる。
どれだけ美味いラーメンなのかは気になるところ(もちろんその味はばっちり覚えるつもりだ!!)だし、ここまで来て食わずに帰るなんてもってのほかだが、如何せん寒すぎるな。
「はいっ次のお客様どうぞーっ!!」
おぅ、これでやっと中に入れる。店員さんの声で、ぎゅぎゅっと奥に詰めながら座「はぁいご注文!!」りながらメニ「一丁あがりぃ!!」ューを取って、オススメはえ「ありがとうございましたー!!」……どっかで聞いた声だな?
「はい、じゃあ注文を聞こうか!!」
どん、と目の前に水を出され、現れたのはハチマキに黒いラーメンTシャツ(謎?)の……。
「く、櫛枝?また新しいバイト始めたのか!?部活は?」
櫛枝実乃梨だった。
「冬は日が短いから早上がりだ!!さぁ注文とるぜ、超とるぜぇ!!あ、ちなみにイケメンとか言ったら目潰しだから」
いつも元気な櫛枝実乃梨。そんなことを、そんなエサを振りまけば、
「イケメン」「イケメン!」「イッケメーン♪」
プス♪プス!!ブゥスゥ!!!!!
「うぉっ」「いてっ!」「ぎゃああああああっ!!!!!」
当然こうなるわな。しかし春田、可哀想に。
すぐに「すいません、ラーメン三つ」と言い直す。春田の視力保護のためにも。
「うむ良い選択だ。ラーメン三つ!!」「おぅよ!!」
ふぅと一息つく。ラーメン頼むのにも何がしかのハプニングが起こるなんてまるで大河みたいだ。
大河、そう思って心中で再び溜息。なんていうか、数日大河に会えないだけで、寂しいというか、こうも無気力になるものなのだろうか。
モチベーションというか、そういったものが自分に感じられない。
燃え尽き症候群というのは今の俺にこそ相応しい言葉かもしれない。そんな事を思ってたら、珍しくバイトの櫛枝が私用で話しかけてきた。
「高須君、腕は……大丈夫?」
「おぅ?ああ、まぁなんとか。重いものは持てなくなるらしいけど日常生活には支障はねぇよ」
言ってから気付く。しまった。これは北村以外には黙っていようと思ったのに……。
やはり俺は今だ何処か抜けているらしい。
何度も大河の夢を見ては起きる朝に始まり、台所のカビを2mm見逃してたし、今日は高須棒忘れたし、大河の分の弁当はしっかり持って来てるし……。
「そっか。ねぇ、大河は……」
でも、幸いにも櫛枝は流してくれた。いや、この時は流してくれていると思いたい。
「いや、連絡はねぇ。先生によると母親のところにいるらしい」
「なら、きっと大丈夫だよ。大河は母親とは昔から仲が良いって言ってたから……お?そろそろ目が開くぜ?」
しんみりな雰囲気から一転、いつもの櫛枝に戻る。しかしそうか、大河は母親とは仲が良いのか。
一安心した。もし、あの父親みたいな奴だったら実家に乗り込んででも大河を連れてこよう、とまで考えていたが、杞憂だったようだ。
しかし、目が開くとはな……何だあの人?
中央でこっくりこっくり眠ってた店長らしき人が立ち上がって、両手で麺を入れた鉄網を持って……。
「うぉ!?」
秘技!!とか言って振り回し始めやがった!?って熱ぃ熱ぃ熱ぃ!!!ああ止めろ!!そんなことをしたら跳んだ汁が服に染みを……大河は特にこういう染みをつけやすい……そっか。
大河は今、ここにいないんだっけ。
櫛枝が笑いながら接客してて(秘技の時はちゃっかりしゃがんでいやがった)能登も春田も「ぎゃーっ!!」とか言いながらも楽しそうで。
俺も、笑みを見せるけど、心は冷え切ってる。
大河、お前がいないとつまんねぇ。つまんねぇよ。




***

ラーメンを食い終わり、能登たちと別れてスーパーへ。
あのラーメンの味は覚えたが、大河の好みでは無さそうだ。
そうだな、今日はとんかつにしよう。大河とんかつ好きだからな。
「はぁ……」
思っててむなしくなる。
大河、大河、大河。
俺の日常はこうも大河に埋め尽くされていたのか。
なくなって初めてわかるパズルのピースのように、そこに大河がいないだけで違和感しか残らない。
「ただいま」
いつもの声をかけながら家に入って冷蔵庫へ。
「おかえり」
いつもの返事を聞いて、俺はそのままエプ……?????
「今日は随分遅かったじゃない」
振り返ると、テーブルに頬杖ついてこっちを見てる……。
「あ、……お……おぅ?」
「何よ、幽霊でも見たような顔して?」
幽霊。ああそうだ。お前は幽霊なんだよ。別に死んだ人間とかじゃなくて。見える奴にしか見えない、俺にとって見えるのはお前だけなんだ。
「大河!!」
エプロンも鞄も放り投げて大河に駆け寄る。
「ちょっ!?な、何よ竜児。どうしちゃったの?」
肩に手を乗せ激しくゆすりながら、
「本当に大河だな?今までどうしてた?ってかなんで連絡よこさねぇんだ!!いや、それよりも……」
大河だ。本物の大河だ。おでこにでっかい絆創膏はってるけど大河だ。
このサイズ、この髪、この臭い、間違いなく大河だ!!
「えーいまずは手を離せぇ!!」
「おぅ?……すまん」
ガクガクさせすぎた。既に大河はフラフラだ。
「……私は大丈夫だって。久しぶりにママに会ったからしばらくそっちで過ごしてた。連絡は……あー携帯電池切れてた」
はぁ?なんだとぅ?俺が一体何度お前に電話したと?いやメールもしたけど。
「それより竜児、私お腹すいた」
それより、ときたか。だが、不思議と口元が釣り上がっちまう。別に怒ってる訳じゃねぇ、これが、俺の日常なんだ。
「おぅ、今夜はとんかつだぞ」
「え?ホント?やったぁ!!」
これだ。この顔。この喜び。ああ、やる気が、消えてたやる気が沸騰してくる。
「おし、じゃ早速作るか。ちょっと待ってろよ」
「はーい♪」
両手を挙げて喜んだ後、大河はインコちゃんの籠に指を入れて遊んでる。
ああ、やっぱいいな。こうやって、大河が俺のフレームに収まるこの景色。




「そういや、ありがとうね」
料理を作り出してすぐ、大河の声がかかる。
「おぅ?何のことだ?」
「今日学校に電話したら丁度担任のところに北村君がいて、修学旅行の時のこと聞いたんだ」
「……おぅ」
「アンタと北村君とみのりんで私を探してくれてたって」
ああ、その件か。北村はちゃんと言ってくれただろうか。
「結局私を見つけて助けてくれたのは北村君だったそうね」
ほっと安堵する。
「おぅ。お前は気を失ってたらしいな」
「うん。でも夢は見た気がする」
「夢?」
「うん、昔サンタに会ったことがあるって話したじゃない?もう忘れかけてたんだけどそのサンタさんが私をおぶってる夢を見たの。なんか、サンタさんは酷いケガしてるようだった」
ドキンと心臓が跳ねる。
酷い怪我。まさか、あの時大河は少し意識があったのだろうか。
「すぐにまた眠っちゃったけどね。あれ?眠ったってことはそれは夢じゃなくて現実?幻でも見たのかな?」
北村君には怪我はなかったって言ってたし、と大河は不思議そうに考え始める。
「……きっと夢を見ている夢をみたんじゃねぇか?ほら、時々あるだろ?寝てる夢を見る、とか」
「ああ、そうかも。でも私のウェアすっごい血まみれだったらしいのよね。私血なんか全然出してなのに」
ぎくり。
「医者がもーたいへんでさー、あんなに出血したんだから!!とか言い出してさーきっとあの医者がおおげさで……竜児?」
「あ、ああ……何だ?……痛っ!?」
フライパンを落とす。幸いまだ何も入れてないけど。
「?アンタがフライパン落とすなんて珍しいわね?」
「ああ、ちょっと腕がいた……鈍ったのかな?ほら、よく言うだろ?弘法も筆の誤りってな」
「アンタ自分で弘法とか言う?」
「それもそうだな」
話題がすり替わっていく。助かった。
「そういやアンタ今日ちょっと遅かったけどどうしたの?」
「おぅ、能登たちに誘われて行列の出来るラーメン屋に行ってきた」
「えー!?あのラーメン屋?私も行きたかったー!!」
ニヤリ、と笑う。
「なら今度作ってやるよ。味なら覚えた」
「えっホント!?作れんの?」
「おぅ、多分。でもどうしてもあそこのスープが美味くいかなかったら櫛枝にでも頼んでみるし」
「……みのりん?」
「ああ、今日バイトしてたんだよ。注文をイケメンって言ったら目潰しされてよー」
「……そっか」
??急に暗くなったな。
「どうした?」
「ううん何でもない。とんかつまだー?」
「おぅもちょっとだ。あとかつは揚げるだけだし」

***

竜児の背中はおっきい。楽しそうに料理してる。
久しぶりに竜児のご飯が食べられる。それだけで嬉しいはずなのに、
『今日バイトしてたんだよ。注文をイケメンって言ったら目潰しされてよー』
何かモヤモヤする。私が見てない所でも、二人は出会ってる。
そういえば、北村君が私を見つけてくれたっていうことは、竜児はみのりんといたんだろうか。
あまり考えたくないや。
でも今日の竜児は凄く機嫌がいい。
これはやっぱりみのりんのお店にいったからだろうか。
竜児……竜児は私よりやっぱりみのりんがいいのかな。

***




大河がやっと帰ってきた。俺の日常も帰ってきた。
「ほらほらほら、百聞は馬場さんのキックにしかずよ、さぁ、その目で確かめるがいい!!」
大河はそう言いながら、木原や香椎に額の絆創膏を外して傷を見せようとする。
「きゃーっ!!」
逃げ惑う二人。追いかける虎。これが俺の日常。
「良かったな、逢坂が戻ってきて」
北村が、大河を見ていた俺に話しかける。そういやこの間の件では迷惑をかけた。
ここは一つ礼でも……「ちょっと何騒いでるの?」……先生?
担任の未婚女性、恋ヶ窪ゆり先生(30)が教室に現れる。
「って言ってももうすぐバレンタインだものね。浮かれてるヤング(死語)は聞いちゃくれないわよね」
ハッ!!とばかりにそのくぼんだ視線をあたりに向ける。全く、若いってのはいいねぇと言いたげに。
「あ、もうすぐバレンタインだっけ。忘れてたかも」
しかし、木原麻耶の今思い出しました的な発言に、若さという名の武器を持つ教え子に嫉妬を抱く独神の怒りが火を噴いた。
「しらばっくれたって騙されないんだからね!!油断させといて実際にはイチャイチャするつもりでしょ!!校内でどうどうと公然猥褻!!キー!!」
いや、壊れた。
近場の男子生徒の襟首を掴んではひっきりなしにガクガクいわせて回るその様は異様としか言い様が無い。
「あ、そうだ……」
しかし、ふと思い出したように、
「逢坂さん、放課後、面談室まで来てください」
大河にだけ放課後の呼び出しを命じた。

***

「今日も昨日に引き続き無理をしてしまった……」
おなじみエコバックにはブリ。それも天然。
正直高かった。でも、なんか美味い物をあいつにごちそうしてやりたかった。
そのあいつは今、先生に呼び出されて面談室にいるけど。
その間に驚かせてやろう。去年、あいつはブリ鍋の前にドーナツを食った事を後悔していた。
肉じゃないというだけで俺のブリ鍋を見くびっていた。
だが、今は違う。あいつはもう俺のブリ鍋の味を知っている。
「ふっふっふっ……」
舌なめずり。別にこれから誰かをいたぶってやろうってんじゃねぇ、あいつの喜ぶ顔が目に浮かぶだけだ。
「だから取り消してってば!!」
ん?何か揉め事か?あれはこの前のラーメン屋の前……櫛枝じゃねぇか。何か騒ぎが起きてるみたいだな。
「よぉ、どうしたんだ?」
「あ……高須君」
「高須……?げっ!?ヤンキー高須?逃げろ!!」
大橋高校じゃない高校生が、一目散に逃げていく。俺の顔は一体どこまで知れ渡っているんだ。それも悪い方向に。
少なくないショックを受けながらも、櫛枝にもう一度尋ねる。
「おい、どうしたんだ?」
「今の奴らね、別の高校のやつなんだけど大河の悪口言ってたんだ」
「なんだって?」
「大河はほら、少し背が小さいじゃない?だから小学生が親の地位使って高校に来てるとか、性格最悪我が侭で高校の権力を全部掌握しないと気がすまないアバズレだとか」
わなわなとこぶしに怒りが宿る。何て野郎共だ。
「大河はそんなやつじゃねぇ!!」
「うん。高須君、大河はね、あんなだからああいう輩も少なからずいるんだ。だから……大河を護ってやってよ。お願いだ」
「おぅ」
当然だと、頷く。
「じゃ、私バイトに戻るね」
「おぅ。またな」
そうだ。今日は帰って大河のために鍋を用意するんだ。今日こんなことがあったなんてあいつには知られたくないし。
最高に美味いものを食わせてやるか。そうして俺はラーメン屋の前を後にする。
「……良かった。クリスマスの晩からきっと……君ならそう言ってくれると……高須君なら大河を頼めると思ってたよ」
竜児の去った後のそう言った実乃梨の声は、誰にも聞かれてはいない。聞かれてはいないが、
「あれは竜児と、みのりん?どうして?」
青白い顔で見ている者はいた。






***

竜児。竜児は私をどう思ってるの?
まだ、私は竜児の気持ちを聞いていない。
唯一あるとすればクリスマスの手紙くらい。
でも、直接竜児の口から気持ちを聞いていない。
ふと、立ち止まる。
『バレンタイン』と書かれた大きな看板。
竜児にチョコをあげたいけど、あげていいかわからない。
竜児はもしかしたら、もしかしたら私を好きではないかもしれない。
好きだったとしても、みのりんの次に、かもしれない。
だとしたら私は……。
「あれ?チビ虎?」
意外そうな声を聞く。
目の前にはサングラスをしたばかちー。
「あんた何してんの?ああ、チョコ買うんだ?高須君は既製品で喜ぶかな〜?」
「うん、そうだね。竜児は喜ばないかもしれないよね」
「は?あんたどうかした?」
ばかちーはサングラスを取ってまじまじと私を見てくる。
「べつにどうもしない」
「いや、絶対変、変だね。普段のあんたならここで絶対癇癪起こしてるじゃん!!」
癇癪って、私は子供か。
「別にあんたには関係ないでしょ。竜児にチョコあげようがどうしようが」
「何それ?あ、わかった。あんた高須君と喧嘩したんでしょ?やっだぁ〜」
「……そんなんじゃない」
顔を背ける。そんな簡単な話じゃないんだ。
「素直になれないんだあ〜?あんなに高須君あんたのために頑張ったのに〜」
「?何の話?」
頑張った?何のことだろう。
「何の話って……聞いてないの?」
「聞いてないって……何を?」
「……や〜めた。ホンットにバカみたい……カッコつけやがって」
「ちょっとばかちー!!何なのよ!?」
「アンタさ、ホントに高須君が好きなの?もしかして、親友に譲ろうとか、思ってない?」
ぎくり、と胸の中に楔が刺さる。
「!!だって……竜児は「ふん!」……」
言い訳を言おうとして、言わせてもらえない。
「だからバカなんだよ。ほんとやってらんねぇ。もしかして向こうが動くの待ってるとか?『自分が動いてない』のに?」
「え……?」
「一つだけ言っておいてあげる。アンタさ、高須君の優しさに甘えてたら、取り返しがつかなくなるよ」
「………………」
「あ〜あ、やってらんない。亜美ちゃん帰る」
ばかちーはもう私には目もくれずに歩いていく。
残された私は立ち尽くして、かすかに鼻腔をくすぐるチョコのニオイに我を思い出す。
『高須君は既製品で喜ぶかな〜』
私に、チョコ作りなんて出来るわけないじゃない。
「いらっしゃいませ。チョコレートですか?おいくつになさいます?」
『あんなに高須君あんたのためにがんばったのに〜』
出来るわけ、ないけど……。
「業務用四つ下さい。あとそのラッピングセット」

***




「ふんふんふ〜ん♪」
ガチャリ。
「おっ?大河帰ってきたな。おかえり」
「……ただいま」
「喜べ、今日は何とまたブリ鍋だぞ!?」
「……うん」
「どうした?元気ないな?先生に何か言われたか?」
「ううん、何でもない。座って待ってる」
「お、おぅ……」
私はもう慣れ親しんだこの2DKのテーブルにつく。
「ふんふんふ〜ん♪」
竜児は鼻歌を歌ってる。
よっぽど機嫌がいいんだろうか。
やっぱりそれはみのりんと会っていたから?
「よーし、盛るぜぇ、超盛るぜぇ♪」
竜児は楽しそうに鍋からブリを盛っている。
たしかこの言葉は、みのりんがバイトしていた時のものだ。
やっぱり竜児はもうそうなのだろうと思う。
だから私には何も言ってこないのだ。
でも竜児は優しいから私の傍にいようとしてくれる。
『一つだけ言っておいてあげる。アンタさ、高須君の優しさに甘えてたら、取り返しがつかなくなるよ』
そうだ。それだけのコト。
竜児の優しさに縋って、甘えてたら、竜児までダメになっちゃう。
だから、もう終わりにしよう。丁度バレンタインだし、これで終わりにしよう。
いやぁ良く考えたら丁度いいときにバレンタインが来たもんだ。
ドジな私唯一の完璧さかもしれない。
別に、こんな時は完璧じゃなくてもいいのに。
笑いながら話しかけてくる竜児。
たくさん食べろよってブリをいっぱい入れてくれるけど、味なんて全然わからない。
「どうした大河?美味しくないか?おぅ!?」
竜児が私を心配しながらおたまを落とす。
ここ最近、竜児は物をよく落とす。動揺しているんだろうか。
そんな竜児が作ってくれたブリ鍋は、結局最後まで味がわからなかった。

***

大河の様子がおかしい。
全然ブリを食べないし、おかわりもしない。
「何だってんだ」
机に座って一人ごちる。
今日はせっかく大河のために二日連続の奮発をしたというのに。
ふと、机に置きっぱなしの箱が目に入る。
もともとは櫛枝用に買っていた髪留めの箱。
出した覚えは無いけどしまった覚えも無い。
そういや変な夢で、これの中身見たな。
まぁいい。片付けよう……あれ?
軽いなって……あ?
箱の蓋が開いて……中が出てこない。空っぽだ。
「なんでだ……?」
探してみるが、結局中身が見つかる事は無かった。

***




私が望んだものは全部みんな壊れちゃう。
だからまた、そうなっちゃうだけ。
「ヒクッ……グスッ……」
だから、生まれて初めての手作りチョコレートで、全部終わりにする。
そのほうが、きっと竜児のためになる。
「うぅっ……グスッ……」
涙が止まらない。
決意を固めても、とめどなく溢れかえる。
チョコを溶かして、型にはめて……涙をぬぐって無理に笑顔を作る。
きっと竜児のことだから下手でも喜んでくれる。
これで、最後……なんだ。
甘いはずのチョコレートは、いくら味見しても涙でしょっぱく感じた。

***

「で?何のよう?亜美ちゃん忙しいんだけど?」
バレンタイン当日。
夕方の教室には俺と北村、櫛枝と大河と川嶋が残っていた。
まぁ恐らくチョコだろう。
そうであって欲しい、いやそのはず……だよな?
しかし何せ大河だ。チョコを渡すにもどんなドジをするかわからない。
内心わくわくしながら、ヒヤヒヤする。
「ばかちー、あんたには感謝してるの。私に注意してくれたから。本当にその通りだと思う。だからこれ受け取って」
どうやら既製品ではなく大河手作りのようだ。
不恰好ながらのラッピングは大河の努力を思わせる。
「ふ〜ん」
川嶋は何でもないようにそのチョコを受け取る。
「みのりんも、いつもありがとう。修学旅行の時も迷惑かけてごめんね」
「いやー大河のためならたとえ火の中水の中、吹雪の中だってへっちゃらさぁ!!」
櫛枝は笑顔でそのチョコを受け取る。
「北村君、私を助けてくれてありがとう。いつもお世話になっているお礼と、助けてくれたお礼として受け取って」
「「え?」」
川嶋と櫛枝の声が重なる。何よそれ?と言わんばかりの不思議顔で。
「あ、ああ」
北村がどもりながらも頷き、チョコを受け取る。
「ちょっあんた!?意味がわかったんじゃ……」
川嶋が焦ったように大河に近づく。
「うん。わかった。決心は、多分ついたから」
「はぁ?なにそれ?」
川嶋が厳しい顔をしているのをおしのけ大河は俺に、
「今までありがとう竜児」
「おぅ」
チョコをくれて、
「私はもう大丈夫だから、もう……私を見なくてもいいよ」
よくわからないことを言い出した。
「え?」
何だよ、それ。
「竜児には私よりもそう、みのりんのほうがお似合いかなって」
まってくれよ。何だよそれ。よりによってなんでこんな日に、チョコ渡しながらそんなこと言うんだよ。
いくらドジっていったってそんな……。
「なんだ、それ……」
でも、俺の気持ちを音として発したのは、俺じゃなく、
「大河、ねぇ、それはどういうこと?」
櫛枝だった。
「ほーんと、マジで取り返しつかないかも」
川嶋も大河を呆れたような目で見てる。
二人は次いで、やっぱり俺を見た。




「高須君、どういうことかな?」
「………………」
俺は何も言う事が出来ない。だって、聞きたいのはこっちだから。
「み、みのりん何怒って……」
「そりゃ怒るよ!!」
櫛枝は大声出して大河を捕まえる。
「ねぇ、大河は高須君のこと好きだったんじゃないの?何でそんなことを急に言い出すのさ!?」
「だ、だってきっとみのりんも……」
「私が何?私が高須君と?いい加減にしなよ大河!!じゃあ高須君の気持ちはどうなるのさ!?」
「竜児もきっとそのほうが……」
「ふざけんなぁ!!彼に聞いたの?彼があんたをどれだけ大事にしてるか聞いたの?彼の腕の怪我も聞いたの?」
あ、ダメだ櫛枝!!それは言わないでくれ!!
「え……?怪我?なんのコト?」
「大河、あんたを雪山で助けたのは高須君なんだよ!!腕を、腕を血だらけにしてさぁ!!」
「血だら……け……」
私の頭にぱぁっと脳裏に医者の言葉が駆け巡る。
『こんなに出血して無事なはずないじゃないか!!』
私は出血なんてほとんどなかった。じゃああれは……。
「そのせいで、高須君はもう重いものも持てないくらいに「櫛枝!!」」
お前流してくれてたんじゃなかったんだな。でもダメだ。それ以上は言わないでくれ。あいつが傷ついちまう。
「ちょっと……なによそれ……ねぇ、何よ?教えてよ!!」
『一つだけ言っておいてあげる。アンタさ、高須君の優しさに甘えてたら、取り返しがつかなくなるよ』
あの時のばかちーの言葉って……もしかして。
「止めるなよ高須君、見せてやりなよ、その十三針も縫った腕を!!」
「十、三は、り……」
目を丸くする。急に最近の事が思い浮かぶ。
竜児は、最近よく物をおとしていた。あれは……。
「毎日痛がって、それでも痛くなんかないふりして!!あんたを気遣うためだけに高須君がやってきた気持ちはどうなるんだよ!!」
「りゅう、じ……?」
信じられないものを見るような目で、大河は俺を見る。
知られちまった。知られたくなかったのに。
「ねぇ、本当なの?ねぇ、その腕、見せてよ」
「っ!!」
俺は教室から出ようとして……北村が立ちはだかった。
「いいのか、高須?」
反対の戸には川嶋が。
一瞬の遅れ。その間に、小さな掌が俺の腕を掴む。
「痛っ!!」
途端に走る痛み。まだしばらくは痛みが続くと医者に言われている。
「本当、なんだね。ごめん、ごめんね竜児。私のせいで……」
違う。お前のせいなんかじゃねぇ。
俺は、お前にそんな顔をしてほしくなくて……。
いざ、「あの言葉」を言う時に、これに気兼ねしないで欲しくて……それで……。
「竜児、ごめん、ごめんね……」
だから、謝らないでくれ。お願いだから謝らないでくれ。






***

「……なぁ。やっぱいいよ」
「だめ。私が持つ」
もう空は暗くなりつつある。
俺がお前のせいじゃないと、何度言っても聞きやしないこいつの姿を見るのがもういたたまれなくて、買い物を理由に教室を後にした。
でも、俺はいつものエコバックはおろか、自分の鞄さえ持っていない。
「私のせいだから」
大河は相変わらずそう言って、俺の手荷物さえ奪った。
気持ちは嬉しいが、そんな風に言われるとその嬉しさも半減だ。
オマケに女に荷物を持たせて男は手ぶらなんて状況ではむしろマイナスとなる。
「なぁ、何度も言うけどお前のせいじゃないって。俺の不注意。気にすんなよ」
「……ううん、私が竜児の腕を奪ったようなものよ。絶対そう」
いくら言おうとこの一点張り。
これじゃあ「あの言葉」を言えないじゃないか。
言ったとして、受け入れてもらったとして、それじゃあお情けみたいじゃないか。
まるで、自分のせいだからと自分を責めてる大河の良心につけこんでいるみたいじゃないか。
だから、知られたくなんかなかったのに。
今のままじゃ、俺は「あの言葉」が言いたくとも言えないじゃないか。
「ねぇ竜児」
「おぅ」
「今日渡したチョコ、返してもらってもいいかな」
さらにはとんでもない事まで言い出す始末。
「な、何でだよ!?」
「私、アンタにチョコあげる資格ないと思って。こんな酷い怪我させて、勝手にいろいろやって……ばかちーの言うとおり私アンタに取り返しのつかないこと……」
ふざけんな馬鹿野郎。
「断る」
「で、でもさ……」
「断るったら断る!!俺はお前のチョコが欲しいんだ!!」
ここまできて、お前の、それも手作りのチョコまで逃してたまるか。
「……でも私アンタにこんな怪我させて、アンタのこと好きでいる資格なんて……」
「資格?なんだ資格って。人を好きになるのに、資格なんているのかよ!?俺はお前が……」
危なかった。言うところだった。むしろ言いたかった。でも、今は言えない。
「……チョコを作った時はね、アンタが誰を好きでも、誰と生きていくんでも、それでもいいって思ったのよ。ただアンタを、高須竜児を見ていたかったのよ。でも、その竜児を私が壊しちゃった。だから……」
今は言えないから、行動で示してやる。
「だから……んっ!?」
長かった。何度もチャンスがありながら再びこうする事ができなかった。
一月半とちょっと。およそ52日ぶりの感触。一年の七分の一の期間こうして触れ合う事が出来なかった。
「んんっ、あ……んっ……アン……ふむっ」
何度も何度も想像した。その度にむなしく空をはんで一人で何やってんだろうって自己嫌悪になって。
「んっ……あふっ……んぅ……」
こうやってしたくて、いつだってこうしていたくて、離したくなくて。
ドサリ、とエコバックと鞄が落ち、首に手が回される。
そんなことしなくても離してなんかやるものか。俺だって背を抱きしめてやる。
そうさ、たとえ重いものが持てなくたって、お前を抱きしめるのに、お前を抱えるのに、少しも不自由なんてしないんだ。




***







どれだけそうしていただろう。
離れたくなくて、今離れたら次にくっつくまでのほんのコンマ数秒が切なくて、息が出来なくなるまで口を塞ぎあって。
気付けばあたりは完全に闇で、街灯の光が俺たちを照らしていた。
しかもこの場所は、見覚えがある。
少し、ほんの少し傾いている電柱。
これには見覚えどころか、蹴った記憶さえある。
そういえばあの時もここって人が通らなかったな。
ここが人通りの少ない場所で良かった。
「竜児、ありがとう。私、ずっとこうしたかった」
ようやく離れた、離れてしまった相手の唇から言葉が紡がれる。
俺の胸に顔をうずめて、離れたくないとばかりに腰に手を回して。
「竜児が機嫌のいい時には、いつもみのりんがからんでた。だから私はきっとみのりんの次なんだって思ってた。相手がみのりんならそれもいいかなって思ってた。でも、でも……やっぱだめみたい」
俺には決して表情が見えないように顔をこすりつけながら、それでも、
「どうしたって、竜児のことが……好きなんだもん……」
言ってくれた。
俺から、今の俺から言うわけにはいかなかった「あの言葉」を。
決して同情や気兼ねからじゃない本心から言ってくれた。
今思えば、『加勢してやる』と、ここで電柱を蹴る大河に言ったこの言葉は、自分に向けられていたものかもしれない。
自分の気持ちへの加勢。大河の思いへの加勢。そして……未来の、今の自分への加勢。
「俺も、お前が好きだ」
長く言う事の出来なかった言葉は、いざ言う時には一瞬にして流れ出る。
「竜児……ようやく言ってくれたね」
「おぅ」
待たせたな、と。
ようやく並ぶべき相手、虎が竜に、竜に虎が追いついた。

***

手を繋いで慣れ親しんだ道を歩く。
町で見かけるカップルがよくあんなにくっついて邪魔にならないな、とか思ってたけど、ようやくその意味がわかった。
こうやって、少しでも竜児の体温を感じられるように傍にいたいと、体がかってにそっちへ寄っちゃうんだ。
『ブブーッブブーッ』
突然、私の携帯が鳴る。でも、今は出たくない。きっと『あの件』だから。
「おい、携帯鳴ってるぞ」
竜児は優しい人。だから、そんな事にも気を配ってくれる。
「いいの。要件はわかってるから」
そう、わかってるから出たくない。
気持ち、報われちゃった。初めて望みかなっちゃった。
だから、チョコを作る時にも思った、望む物は壊れちゃうっていう私のジンクスを壊したい。
竜児が見せてくれた、竜児だけのやり方。
今度は私の番だよね。
ねぇ竜児、笑わないでね。怒らないでよ。

***

大河が電話に出ない。手を離すのを拒むかのように。
普段の俺なら、「出ろよ」とか言うだろうけど、今は俺もこの手を離したくない。
やっと、大河に言えたんだ。俺たちは、ここから始まるんだ。
そう思ったオリオン座が俺たちを照らす夜。
俺は、これから長く続く大河との生活に夢はせていたんだ。

―――次の日の朝、いつまで待っても来ない大河を迎えに、誰もいない大河の部屋に行くまでは。


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