「あ」

大事にとっておいたハンバーグの最後の一口を掴もうとして箸を落として
しまった大河が声をあげた。そして箸を拾い上げて、ハンバーグの前で動
作をとめる。

箸を洗わなければならない、でも、ちょっとの間とはいえ、ハンバーグと
お別れなんて耐えられない。あと一口なのに、と、思っているのがはっき
り分かるその表情に竜児がため息をつく。

お前、早く箸を洗ってこいよ、と声をかけようとして言葉を飲み込んだ。
以前の大河なら、そのまま何事もなかったかのように下に落ちた箸でご飯
を続けただろう。自分で洗いに行くようになったのは、ひとえに竜児の教
育のたまもの。

ゆっくりとはいえ、着実に進歩を遂げるわが子、じゃなかった我が嫁の姿
に感動しつつ、一方でその「ハンバーグ…」と聞こえてきそうな口元が竜
児の気持ちを激しく揺さぶる。

「ほら、ぐずぐずするな」

ひょぃっとハンバーグの最後の一切れを掴んで口元に運んでやる。

へ?と見上げた大河が、ほほを染め、うれしげに

「あーん」

放り込まれたハンバーグの味をかみ締めながら、竜児の心をとろかす照れ
笑いで見つめ返す。

「お、お前のために食べさせてやったんじゃないからな。そ、そうだ、二
度洗いすると貴重な水資源の無駄遣いだからな。大体なんだよ、いつまで
箸おとしてんだよ、子供じゃあるまいし」

真っ赤になってつっかかる竜児を、大河がほほを染めて微笑みながら見て
いる。

統計解析を適用すれば、その後、おかずの最後の一切れの手前で大河が箸
を落とす頻度が有意に上昇したことに竜児も気づいただろう。




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