大河が竜児を恋人として正式に家族に紹介したのは、10月の最初の日曜日だった。

食事の後に、がちがちに緊張しながら

「お嬢さんを、ください」

と、いきなり切り出した高校生に向かって、大河の新しい父親は「事情は大体聞いて
いると」した上で、大まじめに答えてくれた。

「高須君。今は、だめだ。大河ちゃん…大河とは、半年しか一緒に暮らしていないが、
それでも私の娘だ。娘を収入の無い未成年に嫁がせるわけには行かない」

取り付く島も無かった。多少とも無神経な男なら、もう少し食い下がったかもしれない。
だが、竜児のハンデは大きすぎた。手塩にかけて育てた一人娘の泰子の人生を、どこの
馬の骨とも知れない男にめちゃめちゃにされた精児の顔が頭に浮かんでどうしようも
なかった。

何か言わなければと言葉を捜す竜児に、追い討ちをかけるように大河の父親は

「まさかとは思うけど、『だったら高卒で就職します』なんてことは、君は考えて
いないよね。そんな場当たり的なことを言うような男には余計やれない。まぁ、
杞憂か。このご時世にいまさら就職活動をしても遅いし」

と、釘をさすのも忘れなかった。

正直、いざとなれば就職と考えていた。

そうしてとどめの一撃は、

「大河から、高須君はとても学校の成績がいいと聞いているよ。こうして話をする
ことができて本当に良かった。君が成績がいいだけの子じゃないことも、よくわかる。
お母さんは、立派に育ててくれたね。大学を卒業したときにどれだけ立派になって
いるか楽しみだよ」

の一言。

大学を卒業して、出直して来い、と。

とりあえず入籍などではなく、ちゃんと嫁に迎えに来い、と。

竜の子の名にかけて一生守ると心に誓った大河の横で、竜児はうつむいて、歯を
食いしばり、ようやく涙をこらえることしかできなかった。またか。この一年で、
いったい何度自分の無力を味わったろう。

大河の父親は、終始、竜児に対して物分りのいい大人の態度で接してくれた。また
遊びにおいで、と言ってくれた。それがいっそうみじめさを煽った。簡単には行かないと
思ってはいたが、これほど完膚なきまでに負けるとも思っていなかった。なんと甘い
考えだったのだろう。たった一つ救いがあったとすれば、「絶対に」だめだとは
言われなかったことくらいだ。今はだめだ、と言われた。

玄関先まで送ってくれた、同じくらい気落ちしているはずの大河を慰めようと思って、
無理に微笑みながら、ようやく搾り出せたのが

「すまねぇ」

の一言だけだった。

いろいろ言いたいことがある、と言っていた大河の母親は、結局最後までほとんど
話しをしなかった。


◇ ◇ ◇ ◇


家に帰って、泰子が帰宅するまで一人で泣いた。
寝る前に大河から携帯にメールが入った。
「元気出して」
それを見て、また泣いた。


◇ ◇ ◇ ◇


月曜日の朝、いつもどおり、大河が竜児のアパートの前で待っていた。

「おう」
「おはよう」

いつもどおりの挨拶を交わした後、ぽつぽつと言葉を交わすのがやっとだった。

「昨日は、すまねぇ」
「竜児のせいじゃないよ」

俺がもっとしっかりしていれば、とは思うが、それを口にすると大河はきっと怒る。

いや、怒らせてみようか。いっそ以前のように「この駄犬が!」と罵倒してもらえれば、
スコンと突き抜けることができるかもしれない。が、一歩間違うと大河が泣き出しそうだ。
めったなことは言えない。今の竜児では、泣き出した大河を受け止めることすら
できないかもしれない。

いけねぇいけねぇ、と竜児は晴れ渡った空を見上げる。しっかりしないでどうする。
転んだら、また立ち上がって歩くだけだ。先は長い。

ポケットから手を出す。どちらからとも無く握りあった手のぬくもりを感じながら、
黙って登校した。

少しだけ、立ち上がるのに時間がほしい。


◇ ◇ ◇ ◇


下校時間、最近待ち合わせに使っている学校の裏の児童公園で、いつものように
大河は待っていた。

朝と同じように、ほとんど話をしないまま、手を握り合って歩く。寄り道でもして、
河川敷で二人でぼんやり過ごしたかった。しかし、産休開け以降、大河は母親が
車で保育園から連れて帰ってくる弟の面倒を見ている。母親はそのまま仕事に
Uターン。だから寄り道はできない。

ほとんど話をせずに、竜児のアパートの前についたとき、とうとう大河が泣き始めた。

「竜児…ごめん」

胸に顔をうずめ、声を立てずに無く大河に、かろうじて

「お前が謝ることじゃない」

声をかけることができた。

胸の痛みが、お前はどうにかこうにか、泣いている恋人を抱きしめることができるだけの
男だと竜児を責め立てた。

それでも大河が泣いている間、抱きしめてやれることは小さな幸せだった。1年前は
横にいてやることしか出来なかった。2年前は、大河は誰にも知られることなく、
ひとりで泣いていた。何もできない自分だが、お前を抱きしめてやることはできる。
それが竜児が大河に今教えて上げられるたった一つのことだった。

二人はゆっくりと立ち直り、金曜日には、ほぼまともに会話ができるようになっていた。

大河は、週末のデートは無しにして、竜児の家に遊びに来たいと言った。

「昼飯に食いたいものあるか?何でも作ってやるぞ」
「チャーハン作って。たくさん」

暑さもすっかり去ってひんやりし始めた10月の日暮れ時、大河はまだちょっとだけ
元気の無い笑顔でそういった。


◇ ◇ ◇ ◇

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