10月最後の日曜日、竜児と大河は久しぶりにピクニックに出かけた。

仕事のある泰子は残念ながら誘えなかったが、大好きな河川敷のピクニックコースは
手をつないで歩く二人の未来を祝福するかのように晴れ渡っていた。

途中、野球に誘われることも、おぼれる美人女子大生を救出中のロン毛男に会うことも、
死んだはずなのに生き返ってきた黒猫男に出会うこともなく、折り返し地点の
大きな木に無事到着。

木陰で二人で食べたのは竜児手作りのサンドイッチ。チキン、牛、とんかつ、卵、と
少々動物性タンパク質の多すぎるサンドイッチは、一つ一つ絶妙にスパイスが
変えてあり、大河は大満足。

お腹いっぱいになって眠くなった大河に竜児は腕を枕として貸してくれ、二人木陰で
お昼寝タイム。大河はぐっすり眠れたが、竜児がどの程度眠れたかはよくわからない。

寄り道したスドバについつい長居してしまい、帰る頃には暗くなってしまった。
マンションの前まで送ってくれた竜児は大河にお別れのキスをしてくれた。

100点満点で言うと、99点。

食事中ふらりと現れたちっちゃなキジトラに、大河が卵を与えたのが
竜児としてはちょっとご不満だったらしい。


◇ ◇ ◇ ◇


「ただいま!」

食事ぎりぎりの時間にピクニックから帰ってきた大河に、母親が声をかける。

「早く手を洗ってきなさい。あ、そうそう、郵便来てたわよ」

えっ!と声をあげて大河が笑顔になる。あわてて自分の部屋に駆け込んだ。

「走っちゃ駄目でしょ」

という母親の小言も気にならない。それは机の上にあった。ホテルのロゴ入りの
大判の封筒が。

手で封を破こうとして、あわてて止める。ドジな大河は中身ごと破きかねない。

「はさみはさみ」

はやる心を抑えて、慎重に封筒の一番頭だけをはさみで切り取る。

中身はホテルのレターに書かれた目録と折りたたんだ厚紙。厚紙にはセロテープで
メモリ・カードが貼り付けてある。レターにはアルバイト代は別途書留で送ることが
書かれていた。大河の笑顔が一段と明るくなる。これでしばらく、クリスマス・
プレゼント代の心配はしなくていい。

さて、と折りたたまれた厚紙を開く。手が震えているのが自分でもわかる。

「…信じられない…」

厚紙の中には数枚の大判に焼かれた写真が挟んである。一番上にあるのは自分自身の…
逢坂大河の…ウェディング・ドレス姿だ。

「信じられない、信じられない、信じられない!」

口をふさぎ、押し殺した声で同じ事を何度も言う。その場でどたどたと足踏みする。

「大河!うるさくしちゃだめでしょ!もうご飯よ」
「わかってる!」

うるさいなぁ、と愚痴りながら、大河は満面の笑み。スタジオでプロが撮った完璧な
ウェディング写真がそこにあった。その姿を竜児に見てもらったのだ、と改めて思い出す。

「信じられない」




ウェディング・ドレスを着せられた時に自分の姿を鏡で見せられた。それでも
何だか現実のこととは思えなかった。その姿を、確かに、竜児はきれいだと
言ってくれたのだ。先週起きたばかりのハプニングだ。こうして写真を見ても、
嘘のようだ。

ほかの写真を見る。アップの写真、うつむいている写真、斜めから撮った写真。
どれも、間違いなく自分のウェディング写真だ。その姿を、竜児がきれいだと
言ってくれた。何度思い出しても信じられない。あれは夢のような出来事だった。

「大河!ご飯!」
「わかってる!」

来週は泰子を引っ張り出して今年最後のピクニックに遠出する計画だ。その
ピクニックで、泰子にこの写真を見せてあげよう。こんなお嫁さんが来ますよ、と
自分の手で見せてあげよう。竜児の作ったお弁当を囲んで、三人で写真を
見るのだ。思い浮かべるその様子は、とてもとても幸せにみえる。

そしてもちろん、ばかちーにも見せてあげないといけない。もう一度ちゃんと
お礼をいって、みんなに内緒で見せてあげよう。

「大河!」
「いーまーいーくー!」

ふーんっだ!

あとでパパとママにも写真を見せてあげるから楽しみにしていてね。ちょっとだけしか
見せてあげないけど。結婚を許してくれないのはパパとママなんだから、これは全部は
見せてあげない。ちゃんと見たいなら5年後まで待ってよね。


◇ ◇ ◇ ◇


年が明けて1月。

ホテルに現れたのは、どこからどう見ても怪しいカップルだった。。

女は真冬だというのに妙に露出の多い格好。ミニのスカートに谷間をばっちり強調した
Fカップ。顔の作りは子どもっぽいくせに、時折色っぽい表情をする。というか、
近づいてみると肌にはややお疲れ様な感じもちらほら。

男のほうは、女の恋人にしては若すぎるように見える。腕を絡め取られて顔を赤らめて
いるところは純情そうだが、そのくせ目つきだけは切れそうなほど鋭くて恐ろしげ。

「おい泰子、あんまりベタベタするな」
「もう竜ちゃんたら恥ずかしがってぇ。かわいい!」
「あほか。どこに実の母親に絡みつかれて堂々と街を歩けるガキが居るんだよ。はなせ」
「やだやだ、大河ちゃんに竜ちゃんとられてぇ、やっちゃん寂しいんだもの」

周囲からうろんな目で見られながら、竜児はロビーを見回す。その視線にあわせて
左から右へと顔を背ける人がウェーブを作る。軽く落ち込みながらも、目的のものを
見つけると、泰子を連れてフロントの脇へと進み、スタンドから「春のブライダル・フェア」と
書かれたパンフレットを手に取ってぱらぱらとめくった。

「あった」
「やっちゃんにも見せて!」

その写真は、ウェディング・ドレス紹介ページの後ろから2ページ目にあった。
1/4ページほどに縮小した写真には、かわいらしい少女の全身像が写っている。

「なんだぁ。大河ちゃんの写真ちっちゃーい」
「いいじゃねぇか。こんなのは大きいと変な奴の目にとまるから、このくらいでいいんだよ」

刺すような目つきの竜児を見上げ、泰子が妙に興奮した顔をする。

「えへへへへ。そうよねぇ。じゃ、持って行こうか」
「って、お前。どんだけ持って行く気だよ」

20冊ほど掴んだ泰子を竜児が制止する。

「だってぇ、みんなに配りたいの」
「だから、見せるなって言ってるだろう。ほら、じいちゃんのとこの分と」

そうやって2冊泰子の手に持たせ、残りを戻す。竜児の手には、見る用、予備用、
永久保存用の3冊が握られている。

目的を果たした怪しい二人連れは、回れ右をするとホテルのロビーから立ち去った。


◇ ◇ ◇ ◇


受験勉強も最後の追い込み。夜遅くまで勉強をする竜児の机には、2枚の写真が
飾ってある。

1枚は、5月の頃、二人でスドバに行った際にこっそり櫛枝実乃梨が撮影した写真。
写真の中の大河は、フレームの外に居るの竜児を優しげな目で見つめている。

もう1枚は10月にプロの写真家が撮影したウェディング・ドレス姿の肩から上の
アップ。大河が選んでくれたその1枚は、スタジオではなく竜児に衣装を見せた
ときのもの。きれいだと言われ、ようやく見上げることが出来た竜児へ向けるその顔には、
幸せそうな笑みが浮かんでいる。写真の中のヴェールで髪を飾った大河は、
5年後に竜児が花嫁として迎えてくれる日を心待ちにしている。

そこそこの掃除しかしていない泰子だが、この2枚の写真立てだけは高須棒で
毎日丁寧に埃を取っている。


◇ ◇ ◇ ◇


2月の半ば。

街が甘い香りに包まれて浮き足立っているちょうどその日の、とある乗り換え駅に
ある大きなホテル。ふらりと現れたその女は、フロントを素通りして風に乗るように
軽やかに大理石の床の上を歩いて行った。長い廊下の行き止まりにある別棟はウェディング
会場だが、仏滅の今日は閑散としている。

その会場ロビーの脇には白い階段があって、2階の相談コーナーに続いている。
コツコツとヒールの音を立てて階段を上ると、値の張りそうなコートを着た彼女は
あたりを見回した。

招待客が集まる1階は豪奢な作りだが、挙式の打ち合わせや採寸が主な業務の2階は
比較的事務的な雰囲気になっている。たとえば1階にはマネキンに着せた華やかな
花嫁衣装がガラスケースに展示されているが、2階には花嫁衣装をまとった
モデルの写真がパネルにして飾ってあるだけだ。

彼女は、その等身大の写真パネルを端から順に見ながら歩いて行く。どのモデルも
自信に満ちた目でカメラを見据え、営業で鍛えた花びらのような笑顔を振りまいている。
よく見れば彼女自身も驚くほどの小顔で、色つきめがねで覆っても写真のモデルたちに
負けない美貌は隠しようが無い。コートで覆っていても、その身のこなしから
しなやかなで美しい体つきが想像できる。

興味のない風で歩いていた彼女は、一番端のパネルの前で脚を止めて、写真に向き合った。

ヒール込み170cm越えのモデル達に並んで、その一枚だけはどう考えても
なんとか150cm。しかも、あからさまに素人。にもかかわらず、独特の光を放っている。

肩の辺りを露出したシンプルなドレスは、モデルの少女の華奢な体の魅力を
余すところ無く引き出して他のパネルにはない透き通った清純な香りを放っている。
ミルク色の柔らかそうな頬はかすかな桜色にそまり、バラの花びらのような
薄い唇に浮かんだ、はにかむようなかすかな笑みが見る者をとらえて放さない。
やや伏し目がちな瞳は愁いをたたえた薄い色で、しかしよく見ればはっきりとした
喜びに満ちている。その瞳を長いまつげが無遠慮な視線から護る。わずかに灰色がかった
長い髪はヴェールで飾られ、全体に流れる美しいフランス人形のような雰囲気を
強調している。

パネルをしばし見つめた女は腰をかがめ、顔を少し伏せ、色つきの眼鏡をずらして、
きらきらと光る大きな瞳で写真の少女の顔を観察する。幸せそうな笑顔の向こうに
何か見逃したものはないか。

しかし、注意深く見ても、心配しなければならないような陰はそこにはなかった。

あるのはただ、何年か後に自分を迎えに来てくれる男を待つ、少女の幸せに満ちた微笑みだけ。

女は写真の少女の表情に満足そうな顔をすると、色つき眼鏡を元に戻す。
背中を伸ばして深呼吸し、ぱっと明るい笑顔に切り替えて歌うようにつぶやいた。

「高須君には教えてあーげない」

そして軽やかにターンすると、ヒールの音を響かせながら、
甘い香りのただよう街へと消えていった。

(Sundays, October. おしまい)



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