ちゅんちゅん、と、雀が奏でることで演出される早朝。
ぼんやり薄暗いと言うよりも、やんわり薄明るいと表現するのが似合う早朝。
しっかり寝て、しっかり起きて、窓を遮るカーテンなどをスライドさせて息を目一杯吸い込めば、清々しい気分にさせてくれる早朝。
そんな早朝、とある高級マンションの一室内。
ただっ広い部屋に鎮座する豪華な装飾のついたベッド。正に漫画やアニメなどの娯楽作品で良くある『お嬢様の部屋』。
しかし、その『お嬢様』と呼ばれる存在とは程遠い光景であるはずの無残に散らばる衣服類。

そんな夢と現実が交差する中、『早起き』とは少々無縁なはずの影が、むくりと体を起こす。
しっかり寝ていたのか甚だ怪しく、しっかり起きてもおらず、目を何度も手で擦る。
何時もならば、ぱたりともう一度体を倒し、欲望に忠実にもう一度夢の中へと旅立つところなのだが、それ以上の欲求を胸に秘め、よろよろとベッドから降りながら
睡魔を洗い出すように、何度も何度も目を擦る。
覚束ない足取りで幾度もあらぬ方向へと体を預け「ふみゃ」やら「うにゅ」など小動物に似つかわしい奇声を上げながら、もぞもぞと真白なワンピースを着込み、
ふらふらふらふら、と体を揺らしながら顔も洗わず、歯も磨かず、向かう先は玄関。
出掛ける先はコンビニなどではない。出掛ける目的は散歩などではない。
ただ1つの行動を元に、ゆらゆら揺れて、ごしごし目を擦り、それは外の世界へ旅立った。





そんな珍妙な出来事が起きた現場から徒歩3分。飛び移り5秒。
先ほどの部屋とは一切縁が無いであろう歩くだけでぎしぎしと軋み出しそうな少し草臥れたアパート。
「高須」と書かれた表札を掲げるそのアパートの一室内にて、ほんの少し寝相を崩しながらも、静かに寝息を立てながら目付きの悪い青年は眠りこけている。

規則正しく、一定のリズムで聞こえる呼吸音。
お手本など存在しないことではあるが、比喩するならば『これぞ由緒正しき寝方』、であろうか。
女だろうが男だろうが、寝顔が可愛い、だとか、眠る姿が愛くるしい、などの陳腐な理由ではなく、それは起こすことさえ躊躇うほど見事な寝方である。
無意識で起こす行動にこそ人の本質がでる、という格言があるのかないのかは定かではないが、それを言われれば、うむ、納得、と首を縦に傾けてしまうことであろう。

しかして、その素晴らしき寝相は呆気なく終わりを迎えた。
物はいつか必ず壊れることが自然の理であるように、寝るなら起きることが当然の道理である。
その『起きる』という原因が何にせよ、それは必ずやってくるものだ。


「――の―――は――――――――――」

ゆっくりと、そして確実に意識を現実へと引き戻される感覚に青年――高須 竜児は、その根源とも言える不快感に眉を顰める。
なんだ……、おもい……?おもい……って、なんだっけか……?ああ――重い――だ……。

覚醒しきれていない脳を必死に活動させ、自分がいかなる状態へと陥っているのか、たっぷりと時間を掛けて分析。

何が、重い……?棚……倒れた……か……?何で……?…………地震、とか?
あと、この呪文……は……何だ……?

「―児の『ゆ』―――竜―――――――」

徐々に自分の置かれた状況が垣間見えてくる、と言っても眼を開くことはせず結局は可能性の話であり、憶測からなるその内容も結局言うならば『妄想』でしかない。
だが、『寝起き』であることを考慮すれば、夢と現実の境界線で漂ってしまうのも致し方ないだろう。

ま、まさか、あれ……か……?怨霊悪霊、霊的オカルト、って……やつ……なのか?
……オイオイオイ、冗談じゃねぇ……、恨まれる覚えなんて一切無いぞ……。
いや、待てよ……、知らず知らずの内に事故で亡くなった人に供えられた花なんかを蹴飛ばしていた、とか……。
……していない、と強く否定できないのが情けない……。いつぞや誰かさんと一緒だったとは言え散々電柱に、完全なる八つ当たりをかまし、
あまつさえ直立不動であるべき物をピサの斜塔宜しく傾けてしまっては、「NO!」と言える日本人は雲の彼方の存在だな……。
……となれば……俺のやるべきことは……ひとつ……。




「竜―――――はぁ、―児の―――――」

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、と、聞こえてくる奇妙な呪文を発する主に対しての念仏を、胸から足にかけて圧し掛かるような重みに恐怖しながらも、
必死に、成仏してくれー、という想いを込めて心で訴えかける。
しかして、世の中そう上手くいくわけもなく、圧し掛かる重みも奇妙な呪文も一向に止む気配などない。
勘弁してくれ……、と心の中で更なる懇願を呈しても世界は変わりなどせず、竜児の恐怖心は極限まで達する。
こうなった場合の人間というものは面白いもので、ここに来て諸悪の根源を確認しようと目を向けてしまう。
見なければ良い、見なければそれ以上怖い思いをしなくて済む、と頭では理解していても、眼に映る映像から情報を得る生き物にとって、その行為は避けられるはずもない。
そこから更なる恐怖が始まるとしてもだ。
かくして竜児は、恐る恐る瞼を開く。そこに、映画よろしくブラウン管から飛び出してきた髪がボサボサの女がいる、という確信があったとしても。

「竜児の『じ』はぁ、竜児の『じ』〜♪」
「…………何、やってるんだ……?」
「おっ、竜児! 竜児ぃ!」
「……答えろ……」
「起きたら? ん? どうするの? ん?」
「………………おはよ……」
「ん、おはよ!」

が、眼を開けたところでそんな非現実的な事があるわけでもなく、結局は『大河が仰向けに眠っていた竜児の胸に寝転び、
両肘つきながら謎の唄を奏でていた』という現実味溢れるものだった。
いや、これでも十分非現実的であるのは確かなのだが。
一気に消失する恐怖感、しかし今度はそれを押し退けてやって来たるは疑問。
いや、疑問と言うよりは突っ込む箇所、か。
まず、何をしている?ということ。これが筆頭株主だからこそ開口一番問うたわけだが、何時も通りスルー。華麗にスルー。

「……あの唄は、なんだ?」

次に突っ込むとするならば奇妙な唄。
なぜ題材が自分なのかすら疑問が浮かぶところだが、それ以上に普通なら「林檎の『り』〜」とか言って、別の単語を用いるべきはずである。
にも関わらず、「竜児の『り』は竜児の『り』〜」などと至極当然のことを繰り返す意味が判らない。いや、知りたくもないところではあるのだが。

「あ、今の? 大河様作詞作曲、命名するなら『竜児の唄』ってとこね」

なんて言いながら、頼んでもいないのにまたしても唄い出す大河。
おまけに、オスカー賞も取れそうなぐらい名曲でしょ〜?なんてにこにこしながら聞いてくる始末。
何度も連呼される自分の名前にちょっとした羞恥心を植え付けられる。
そんな心をくしゃくしゃに丸めて、問うた意味はそういうことじゃない、と言い掛けたが、聞きたかった理由を言わせたところで
需要と供給が成り立たないのは目に見えているので竜児はそれ以上詮索しない。オスカー賞という、とんでもない天然かボケか判らない事柄も当然詮索しない。
なら、次の突っ込みである。

「……重い、どけ」
「ノン!」

どこの外人だよ、と言わんばかりに発音良く外来語を発し、首を軽く振って拒否を示す大河。
どれもこれも結局は自分の求めている道へと進まず、脇道逸れて闇に歩き続けることになっているのが、相変わらず過ぎて溜め息が出る。
いや、この場合、何時も歩かされている、という表現が一番適しているだろう。
だがそれで引くわけにもいかない。唄うのは良い、こういう行動を取ったのなら既に過ぎてしまったことだし咎めはしない。
けれども純粋に重いのだ。人が一番安らぎを得れる睡眠という状況を打破し、人が一番リラックス出来る寝転び状態に圧し掛かられているのだから。

「……頼むから、どいてくれ」
「ノン! ノンノンノンノンノン!」

拒否の言葉を何度も続け様に言い放ち、ぐりぐりぐりぐり、と胸板に頭を擦り付けてくる。
何の儀式だってんだ、これは……。

「お前なぁ、ほんっとに何がしたいんだ?」
「え? なに? 竜児、もうボケた? 呆けた? 痴呆した?」





見事なまでに全ての言葉に疑問符をつけて、質問を質問で返す大河。
大体この状況の意図を聞いただけでとんでもない扱い用である。
心持ち首を上げていた体勢から、一気に力を抜いて頭を枕の上に沈める。簡潔して言うならば脱力しているだけ。

「頼むから、俺にも判るように物事の壱から教えてくれ……」

言葉の節々に生命を吹き込んでの懇願。
竜児にしてみれば、これが今自分に精一杯のこと、と自負している。
ほとほと情けない話ではあるが、無理に大河を突き放す行動でも取って限りなく広がる野原のような範囲の逆鱗に触れるわけにもいかないのだ。
しかも、そんな精一杯の出来る事を行っても逆鱗に触れる場合があるのだから尚更性質が悪い。
だが今回はその逆鱗に触れることはなかったようで、大河は今竜児の胸に耳を当て、心臓の鼓動が聞こえる度に「とくん、とくん」と想い耽るように声を漏らしていた。
取り敢えず、大河が怒らない、という事態に安堵するものの、結局自分の問いはスルー。三回転ほどの鮮やかなスルー。

「……あのなぁ」
「あん?」

唐突に、ぶわわっ、とどす黒いオーラが一気に大河の周りに溢れ出し、虎の形となって威嚇する。
まるで、至福の一時を邪魔するとはどういうつもりかね?と言わんばかりに。
ただ、その一時を邪魔しているのは、その至福を提供している竜児なのだから、不機嫌という感情をぶつけるのは矛盾している。
しかし大河はそんな矛盾を気にも留めず、目を吊り上げ「何よ?」と重低音の声で竜児に凄む。その際、後ろの虎も「ガウゥ!」と吠えた。
うっ、とその気迫に押され気味になるが、もはや大河とは家族と言っても過言ではないほど共に時間を過ごしている竜児である。
炊事・洗濯・家事、という事柄でさえ順応していった竜児にとってみれば、大河のその行動も何時しか慣れ、それ相応の対応を取ることに成功していた。
その結果、どうするかと言うと、虎と並び立つのは竜である。
即ち大河がどす黒いオーラと共に虎を召喚したように、竜児もほんのり黒いオーラと共に竜を召喚する、『目には目を歯には歯を』作戦だ。

「こうなっている状況も、そうやって凄まれている意味も判らんから何度も教えてくれって頼んでるんだろ?」

しかして似合わないことはするべきではないのだろう。
竜児がこれでもかと精一杯凄んでみても、馳せ参じる者は竜ではなくタツノオトシゴ、通称『タツノコ』。
「ガオゥ!」と吠える虎に対して上下にプカプカ浮かぶタツノコ。
そんなオーラを垣間見た大河は、これでこそ竜児だ、と妙な感心と感動を覚えると同時に、このオーラを出すこと、それ即ち自分に対して半旗を翻しているという事実に
苛立ちを覚える。
だが、普段ならここで振り下ろされる拳、所謂『暴力』が執行されるわけだが、今日の大河は、不機嫌であることを示すオーラを醸し出すだけで、その力を行使してこない。
それだけでも奇妙なことではあるのだが、プラスして『言葉の暴力』さえ緩和されていた。

「ったく、ホントあんたってどうしようもないわねぇ。昨日の事を、もう忘れたって言うの?」

何時もならばここに『馬鹿』だの『駄犬』だの『どこぞに葬り去る』だの、心を抉り付けるには十分なほど鋭利な単語をすらすらと述べているのだが、
今はただ『どうしようもない』の一言だけ。
既に暴言を放っているのではないかと疑問に思うこともあるだろうが、それは大河流竜児専用のスキンシップなのだ。
その証拠に平常心を携えた状態での暴言であり、今のように不機嫌を露わにした状態でこそやんわりと濁した言葉しか投げ掛けてこない。

「……昨日? あれか、春田が超能力かなんかの番組をマネて『女子のスカート、風で捲り上がれぇ〜』とか念じて暴風起こして『平成の諸葛亮孔明』という新たな
 伝説を作ったことか?」
「黙れ、沈黙しろ。というか真剣に答えろ」

範囲の広い逆鱗に触れない、という無理難題さえ達成すれば、の話だが。







大河の言う『昨日の事』というのは夕食後の事。
振り返ってみても、別段何時もと変わり映えしない一日だった、竜児はそう思う。

「げふぅ、ごっそさん」

米2合、大皿に盛り付けたサラダの3分の2、里芋と大根の煮物3杯、メインディッシュのエビフライ8尾を平らげ、大河は食事終了の合図を告げながら、そのまま横に倒れる。
こんだけ喰ってながら縦にはともかく、どうして横に広がっていかないのか、と世界各地で発見されたオーパーツを眺めるよりも不思議そうに見つめながら
竜児は食器類を流しへと運ぶ。

「お前なぁ、食器を運ばないにしてもだ、せめて喰って直ぐ横になる癖止めろ」

キッチンと食卓を何度も往復し、食器類を片しながら、ちょっとした小言を述べてみる。
どうせ返って来る言葉なんて大体予想はつくのだが、それでも竜児は毎日毎日飽きもせず、この小言を必ず漏らす。
それにはちゃんとした理由があるのだが、何よりもこういうことは大河自身の為になる、そういう親心に近い感情があるからこそ出てくるのだ。

「あんたが三回廻って『ワン!』とでも鳴けばね」

予想通りの言葉。幾度となく交わされた遣り取り。
竜児と大河だけのちょっとしたスキンシップ。
それが一日の最後を締めくくるふたりの他愛もない会話が始まる合図。

この合図が出た場合、決まって話題を振るのは大河である。
その内容は基本的に、その日学校で起きた事を「そういえば」なんて前置きをして話すのが通例。

竜児はどう思っているのかは定かではないが、大河にとって、この会話はとても大切な意味がある。
この後、大河が起こすことは『寝る』だけだ、あの大きく広いおもちゃ箱の中で、たったひとり。
理解しろ、なんて言うつもりはないし、理解できるとも思えない。自分でもそれが心の中でどの感情に位置するのか判っていないのだから。
それでも『寂しい』と思うことは多々ある、それが心の中の感情に位置する場所と違うという確信があったにしても。
特に、人の温もりや優しさをべったりと塗り付けられたおもちゃ箱をひとりで弄るようになってしまえば尚更。
だから重要なのだ、この会話は。

ふらふらとおもちゃ箱の中で丸まっても、「あいつはそう思ったんだ」と、人それぞれの考えに何となく小さく悩んだり、「っくく、なにあの顔」と、
思い出し笑いをしてみたり、「あー、もう! 久々にあいつに言い包められた!」と、ちょっと怒ってみたり、竜児との会話を思い出しながら色々な感情が溢れてくるから、
『寂しい』ということを忘れられるから、ひとりじゃないって思えるから。
だから重要なのだ。

今日はどんなお喋りをしよう?

話題には事欠かない日常。そんな幸せの選りすぐり。
だが、今日に至っては、その行為が意味を成すことはなかった。

「……前々から思ってたんだが――」

竜児自身から話題を提供してきたのだから。
珍しい、と心の中でぼそっと呟き、大河は少し心躍らせながら竜児の次の言葉を待つ。

「――俺のこと、結構嫌いだろ?」

予想もつかない突然の話題。
その言葉が聞こえるや否や、大河は上半身を、ガバッ、と勢い良く起こし、目を見開き、驚愕の表情で竜児を見やる。
そんな大河の表情とは裏腹に竜児は何時も通りの険しい目付きで大河を睨む。
実際のところ、もう少し細かく言うのならば、別に睨んでいるわけでもない、ただ単に目付きが悪いだけ。
人を外見で判断するのは良くない、という格言がぴったりであろう。
そうしてお互いが良くも悪くも見つめ合いながら時間だけで過ぎていき、そんな状況に陥っていることに竜児はその表情に困惑した表情を徐々に浮かべ出す。
ただただ呆けるだけで、言葉を口から出すことさえ忘れていた大河だったが、その竜児の表情を見て、ああ、そういうことか、とその言葉の意味を悟る。

「……はぁ? 何それ?」




大河が言葉にする。
幾分長い間があったものの、予想していた言葉が大河から得られ竜児は安堵の吐息を漏らす。
竜児がさきほどの質問をしたのは、深い理由は無い。何時も大河が話題を振るように、自分がたまには話題を振ろう、と考えただけである。
大河もその表情から、竜児が真剣にその話題を切り出したわけではないと悟ったから、平然と何時もの口調を取り戻せたわけだ。
まぁ、竜児がこの話題を切り出した真意までは読み取れなかったようだが。

「だってそうだろ? こうやってお前に食事を出し、お前ん家の掃除をし、お前の服も洗濯してやってる。
 なのにお前の口から感謝の念を伝えられたことは一度も無い。その結論から導き出される答えがそうなっても仕方ないだろ?」
「どういう脳みそしてんのよ、あんた」

大きく溜め息をついて呆れてみる。
なるほど、今日はこういう話題でくるわけか、と。
真意のほどはまだ読み取れたわけではないが、成程面白そうだ。
それに、なんとなくだが、うまくいけば、素直に言えることもあるかもしれない。

「つまり あんたは私に『ありがとう』という一言を引き出したいわけ?」
「いや、違う。正直それ事態は自分でも楽しんでやってるし、お前から感謝されたいからやってるわけじゃない。
 お前が喜んでくれるなら、それに越したことはないしな」

そう、などと単調な一言だけ述べてまた畳に倒れる大河。
ほんのり桜色に染まる頬を見られたくないがため。

「しかしだ、どれだけ自分勝手な行動だとしても、やはり感謝の念がひとつもないとなれば不安になるものだ。
 お前、俺のことが嫌いなら嫌いってはっきり言ってくれて良いんだぞ?」
「遺憾だわ……、そんなふうに思われてたとは。はっきり言わせてもらえば、感謝することがあっても、恨みごとを言う覚えはない!」

苦笑交えに、その言い回しは俺がするべき立場なんじゃ?なんて思ってみるが声には出さない。
そんなことをしても結局、こちら側がねじ伏せられるのは、既に体験済みなのだから。
だが実のところ、ここまでの流れは竜児にとって予想通りの流れなのだ。
正直、「当然、嫌いだ」なんて一言が出てきたりしないか内心不安ではあったが、それなりに信頼されているだろうという気持ちもあった。
それを確信しているわけではないが、少なからず悪い印象を与えていないはず。
そういう思いがあってこそ、最初の切り出し方が出来たわけで。
だが、その気持ちを確認するのが最大の目的ではない。それを成す為に作戦は最終段階へと進む。

「なるほど、嫌われてはいないわけだ」
「不本意ながら、そうなるわね」

すぅ、と息を吸い込みと次の言葉を発しようとする竜児。本人が意図しているのか、それともここまで順調に作戦が進んでいることに安堵してか、
それとも大河の気持ちが嬉しかったのか、そのいずれかに該当するのかは定かではないが、口の端が上がっていた。

「なら、お前俺に『甘えてる』ってわけか?」
「は〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」

またしても勢い良く上半身を起こし、驚愕の表情で竜児を見やる大河。
ニヤニヤと嫌らしい表情をした竜児が言葉を続ける。

「お前の面倒を見て、お前はそれを良しとし、おまけにお前は俺を嫌っていない。だったら、結論は『甘えてる』ってことだよな?」

その表情、その言葉。
大河はここで竜児の真意を遂に悟る。

コイツ……、私を言い包めて、普段の罵声の逆襲をする気だ!

数えるほどしかないが、竜児の言葉に反論できず言い包められた経験はある。
その時の悔しさは言葉に現わせないほどで、先ほど述べたように『寂しさ』を忘れさせるほどの破壊力だ。
今回珍しく竜児から話を降ったのもその為。
おまけにシュミレーションしたかのような自然な口調、大河が不利な私生活部分を取り出すことから、言い包められる自身は相当あるようだ。
当然大河にとってこれほど分が悪い状況も無い。
だが、まだ、たったひとつだけ。
そう、たったひとつだけ、反論できるスペースがあるのだ。



「冗談はその目付きだけにしろ! 何時私が甘えたんだ!?」
「その理由はさっき語ったぞ」
「自分自身が『甘えた』と思っていなければ、それは『甘えた』ことにならない!」
「そうか? 第三者の目から見れば十分そういうことになると思うが?」
「どこのどいつよ、その第三者って」
「いや、勿論まだ統計はとっていないが、櫛枝や川嶋辺りに話せば、『甘えてる』との意見を頂戴することになるだろうな」

ニヤニヤ、とまるで「どうだ? 悔しいか? 残念ながら今回は俺の勝ちだな」と言わんばかりの表情。
そんな表情を見せつけられれば、いつもならば振り上げた拳を振り下ろすだけの大河だったが、今回は何も言わず、静かに立ち上がり「帰る」と一言ぼそりと呟く。
さすがにちょっとやり過ぎたか?と思うところはあるが、まぁ、明日になれば何時も通りになっているだろう、と対して気にもせず竜児は「おう」と答える。
玄関でとんとん、とつま先を地面に叩き、靴の位置を調整する大河。
その後ろ姿を見つめながら、怒りのオーラを感じない部分には安心したが、なぜか悔しいというオーラも感じない。
それに少々疑問に感じ竜児は首を傾げる。

「さっき言った通り―――」
「おう?」

後ろを振り向かず、玄関の扉を見据えたまま大河が話す。
突然のことに、ついいつもの口癖が出てしまう。

「―――私は甘えてるつもりはない」
「それならそれで良い、俺が勝手にそう思って喜んでるだけだから」
「だから、あんたに教えて上げる」
「何を?」
「…………大河様の本気を、よ」

最後に、おやすみ、と一言だけ残し、大河は高須家を後にした。
残された竜児は『大河の本気』という部分の意味も判らず、その真意を図ろうとしたが結局理解出来ず

「……言い負かされた悔しさからの一言……か?」

そう思うことにし、食器類を洗い出し始めた。







「で、この昨夜の出来事と今の繋がりは?」

時間で言えばまだ12時間も経っていない出来事を思い出してみても、頭に豆電球が灯ることもなく、そのまま継続して疑問をぶつける。

「だから、私は最後に何て言った?」
「……おやすみ」

その台詞を言う終わるや否や、竜児の顔の横すれすれを拳で力一杯殴る。
ぷすぷす、と焦げた音、そして立ち上がる煙。
どういう拳の鍛え方してるんだよ、と思いながら、大河の質問の答えを慎重に選び出す。

「……あー、『本気』ってやつか?」
「うん、それ」

先ほどの態度とは打って変って、子供のような素直さで答える。
この変わり身の早さに、こいつ頭でも強く打ったんじゃないのか、という失礼な考えが出てしまう。

「……つまり、その『本気』というのは……」

実際大河からはそれ相当のヒントらしきものを与えられてはりうのだろうが、それでも竜児は答えがまだ判らない。
言葉を濁しながら、何とか答えを大河の口から導き出そうと必死である。
しかし、今の竜児の台詞を大河は、理解したものと勘違いし、意図せずとも流石の竜児でも理解できる驚くべきことを口にする。

「そう、逢坂 大河は『本気』で高須 竜児に『甘える』ことにしたの!」
「はあああああーー!!!???」

恨みごとなど悲しみの連鎖を生みだすだけで、何の解決にもならない。
ドラマかアニメか、なんなのかは忘れたが、そんな台詞を聞いたことがある気がする。
逆襲もそれと同じなのだろう。
もし、今、過去に戻れるとしたならば、夕食後の自分を殴ってでも止めただろう。
そして、彼はまだ当然気付いていない。
更に何時間が経った未来の自分が過去に戻れるとしたならば、今度は夕食後の自分を殺してでも止めようとすることを。

--> Next...




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