「りゅーじ、りゅーじっ」

 逢坂大河、ご乱心。

「ま、待て待てっ、お前───」

 竜児と呼ばれた少年が、慌てて椅子から立ち上がり、距離を取る。
ギロリと細められた双眸は、別に彼女を敵だと認識している訳ではない。元来そういう顔なだけであるが、今は割愛する。
 睡魔の攻撃が一段と厳しくなる古文の授業から開放され、10分間の休み時間を満喫していたクラスメイト達が何事かとそちらに視線を向けると、竜児の前には小さな女の子が今にも彼に飛び付かんばかりに立っている。
彼女の名前は、逢坂大河。手乗りタイガーの通り名で親しまれる、校内でも屈指の暴君である。

「黙れ、そして腐れ」

 この言葉が表す通り、この女は凶暴だった。
それは周りも分かっているし、保護者と言える立場の竜児も体に染み入る程理解している。痛感している。
それが何だ。今、この娘っ子はなんと言ったべ。

「竜児の嘘つき! 3時間目が終わったら抱っこしてくれるって約束したじゃないっ」

 
 ───ズガシャァッ




「お? どうした、亜美。いきなり椅子から転げ落ちるなんて……ああ、さてはお笑いに転向するのか?」
「しないわよっ!」

 あーみん、叫んだ。

「お、俺っち、とんでもねぇもん見ちまっただ……」

 みのりん、鼻から赤い液体がたらり。

「なになにー? また痴話喧嘩? いいねー、俺も混ぜてーん」

 春田、スタイリッシュに大河の前へ。

「うっさい、腐れ!」

 大河、そんな春田の肋骨に頭突き。

「おいおい、やめとけって……」

 そんな一瞬で騒然と化した教室の中、竜児は大河をなだめつつ、クリティカルヒットを貰って瀕死状態の春田を気遣った。
外見はともかく、このクラスの中で最も平和的精神に溢れているのはやはり彼なのかもしれない。

「ってそんなことより、竜児ぃ、抱っこっ」

 小さな子供がおねだりをするような目で、竜児を見上げる大河。
その目と来たら、自分を信頼し切っているようで、それでいてどこか不安気に揺れるチワワのような瞳だった。

「いや、だからな。ここ教室だろ? いくらなんでも周りの目ってもんが……」

 実はこの2人、痴話喧嘩を起こすのは今回が初めてではない。
故に竜児の言う周囲の目など、最早気にするに値しないのだがこの男、変な所で真面目だったりする。



「そんなの関係ないもん…竜児、約束してくれたのに…」

 そのまま俯いてぐずり始めてしまう。竜児の前限定で、彼女はこうなる。

「あ、あーもうっ、分かったよ。ほらっ!」
「ふにゅ」

 突き刺さる周囲の視線。それを持ち前の眼力で───無意識に───弾き散らし、がばちょと腰元に大河を抱き締めた。
一瞬びくっとした大河も、「えへぇー」とだらしなく緩んだ顔を隠すことなく、その細い腕でがちっと竜児の腰を固定する。
牙の抜けた虎は、そのまま竜をよじよじと登り始めるのだった。

「にへー、りゅーじ、りゅーじー」
「おい待てやめろ待て待て待てって」

 胸元まで到達した大河、早速「ちゅー」をねだる。
だが竜児は、接近する大河の可愛らしい顔を、首を横へ捻りつつ回避。
すると当然、自分の愛情をするっと避けられてしまった手乗りタイガーは途端にご機嫌斜め。

「ここじゃダメだ、みんな見てる」
「そんなの関係ないわよっ」

 ぶー垂れた様は正に(`3´)状態。
竜児隊員はこれ以上の機嫌値低下は危険と判断し、なだめに掛かる。

「ほ、ほらっ! 違うところで! ここじゃ迷惑だから! なっ!?」

 と見せかけて、たかっちゃんは盛る気…否、やる気のようです。

「……うん」

 手乗りタイガーならぬ甘えんぼ大河。
ちょっと頬染めてこくんと頷く様に竜児は今すぐいちゃーっとしてやりたい気になったものの、今は退避するのが先決だと判断する。
愛しの大河をがっしと抱きかかえ、移動を開始する。
扉をギンっとひと睨みすれば、そこまでの道がサッと開けた。

「逢引じゃぁーっ!!」

 竜児は深過ぎる大河の愛を一身に受け、叫び、走り出す。

「なんか、高須君って、大河と付き合い始めてから………」

 どたばたと走り去るバカップルを見送って、クラスメイトの女子が。





「…………壊れた?」

 ぽつん、と呟き。

「ってか次の授業、確かゆりちゃん先生じゃない…?」

 さらに他の女子がそれを継ぎ。

「ふむ。そうなるとまた妙な独身オーラが増すな…仕方ない、ここは失恋大明神であるところの僕が一肌脱ごう!」
「やめろっつの、露出狂!」

 あーみん、再び叫ぶ。
そこでチャイムが鳴って、さらにその後。
バカップルの居なくなった教室で、三十路まっしぐらな女教師が、額に青筋を浮かべつつ、出席を取るのであった。


 …………………

「きゃっ、こら、りゅーじっ、そこだめぇ」
「ほれほれ、ここがいいのか。うん? ここか!」

 …………………


「きぃーっ! 四六時中いちゃいちゃしてくれちゃって! あんた達なんか結婚しちゃえばいいのよ! そんでもって私は一生独りよ!独り身よ! ばーか、ばーか!」
「落ち着いてよ、ゆりちゃん…」



 大橋高校2年C組。
本日も、平和な一日であったとさ。


(おしまい)



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