そこはまだ夢の中なのかと思った。
「おはよう竜児、目ぇ覚めた?」
4月終わりの朝7時半。目覚めた竜児の視界には、とてもじゃないが信じがたい光景が広がっていた。
「…嘘だろ?」
「何よ?」
そう、あの大河が、高須家の台所に立っている。しかも、しっかり自分のエプロンまで装着して。
学校は教員研修で休み。『両親が泊りがけで出かけていないから竜児のうちに行く』ということで、今朝から来る話は聞いていたのだが、まさかこんなことになっていようとは。
「……だめだ。寝よう。まだ俺は夢の中みたいだ。」
「ちょっ、バカ!起きなさい!」
「夢だ夢だ、これは夢だ。絶対に現実なんかじゃない。」
「逃げんなこのアホ犬!これが現実だっつーの!」
再び被った掛け布団をものの見事に引っ剥がされる。
それだけならよかった。掛け布団を剥がしたついでに、敷き布団に躓いた大河の左足が竜児の股間にクリーンヒット。
(あ…、俺死ぬかも…。)
「ごめん竜児!大丈夫?ねえ竜児!りゅ…」‐ここで竜児の意識はフェードアウトした。


股間がまだ若干痛い。結局起きざるを得なかった。これが間違いなく現実らしい。
台所では、大河が鼻歌を歌いながら朝食を作っている。踏み台がないとどうにもならないのは相変わらず。
しかし、今回は結構手際よくやってるようで、特に何かを焦がしたりとかはしていないようだ。
(…何かがおかしい)
そして、何気なく外を見た時、思わず玄米茶を吹いた。
ベランダに洗濯物。昨日はしっかりこの手で取り込んだし、今起きたばかりだから今朝はやっていないはずだ。
タオル、Tシャツ、ズボン、泰子の店のエプロン、さらに竜児の下着。そしてなぜか大河の服まで、普段どおりきっちり干されている。
「・・・・・・」
呆然と眺める竜児の背に「りゅーじー、朝ごはんできたよー」と声がかかる。


***


おかしい。絶対におかしい。料理の出来がぜんぜん違う。
ハムエッグにポテトサラダとレタスの盛り合わせ、わかめの味噌汁、納豆、そして白いご飯。
いつも竜児が出すものとあまり変わらない。味もごく普通だ。
目の前では、作った(であろう)張本人が「〜♪」と鼻歌を歌いながら機嫌よく食事中。

「・・・これ、お前が作ったんだよな?」
「・・・?目の前で作ってたのに聞くことでもないでしょ。」
「まあ・・・、そうだよな・・・。」
「・・・・・・?」
これも悪くない。むしろぜんぜんいい。しかし、竜児の中にはあまりにも大きな違和感が残るばかり。

その異変は食後も続いた。食器の片付けも部屋の掃除も、「私がやるから」の一点張り。

しかも、ここまでまったくドジを踏んでいない。点数評価で言えば100点満点もいいところだろう。
何度も聞こうと思ったが、何となく聞くに聞けない。
そうしているうちに、「ちょっと出かけて来るわ」と、竜児愛用のエコバッグを持って出て行ってしまった。



正午を過ぎても帰ってこず、冷蔵庫にも何も無かったので、コンビニまでスープ春雨とおにぎりを買いに行った。
その後もテレビや雑誌を見てすごしたが、2時間もすると飽きてきて、結局洗濯物を取り込んでしまった。
そして夕方、そろそろ得意先のスーパーかのう屋に買い出しに行くかと思っていた頃。

「ただいま〜!」
やつが帰ってきた。いつものようにがたついた扉を乱暴に開けて。
しかしやはり何かおかしい。
「あ〜重かった!腕がちぎれると思ったわ。そうそう、スーパーのレジがあの痴女だったわよ。あそこの家だったのね、あの会長の店って」
両手には・・・、かのう屋のビニール袋。“あの痴女”とは会長の妹のことだろう。
と言うか、ここからかのう屋までは、大通りを越え商店街を抜けた駅の先だから、結構な距離である。
「おまえ、あの距離歩いたのか?」
「そうよ。どうかしたの?」
「・・・いや」
といいつつ、己の額を大河の額に当てる。
「ひゃっ!!///」
「熱はないな。」
「な、な、なな何すんのよ!一日中歩き回ってたんだからそんなわけないでしょ///」

「・・・あのな、普段まっっったく家事にノータッチのお前が、急にいろいろやり出せば誰でも疑うっつーの。」
「うっ・・・」
不意に沈黙が降りる。先に口を開いたのは大河だった。
「・・・あのさ、竜児」
「何だよ」
「今日、何日だか知ってる?」
「4月30日」
「そう。今日で4月は終わり。竜児の誕生日も、とっくに過ぎちゃった」
「あ・・・。」
そうだ。毎日毎日家事で忙しく、すっかり忘れていた。
いつもなら泰子に何かしらプレゼントをもらうが、弁財天国を始めてからはプレゼントを買う暇もなく、『余裕が出来たら何か買ってあげるね☆』と言われていたから、今年はまったくもらっていない。
「何買うか思いつかなくて、当日過ぎちゃっても何も思いつかなくて・・・。結局思いついたのがこれ。竜児にゆっくりしてもらおうと思って・・・。ママに必死に頼んで色々教わっちゃった。」
「大河・・・。」
「でも、ちょっと失敗かな?」
「?」
「だって、あんだけあった洗濯物が全部片付いてる。」
「・・・ああ、あれ以上ほっといたら洗濯物が冷たくなっちまうしな。」
「落ち着かなかったでしょ。」
「まあな。ぜんぜんドジ踏まなかったから、いつ火事になっちまうか冷や冷やした。」

「・・・ばか」
「でも、うれしかったぞ。いつの間にかこんなに成長してるとはな。」
「・・・えへへ///」
「ここまでやったんだから、最後までがんばれ。ここでへまするとか無しだぞ。」
「うん!とびっきりおいしいから揚げ作るわよ!心して待ってなさい!」
「おう!」

かくして、晩飯には大河特製の鳥のから揚げが並べられたのである。
「おお!うまい!」
「でしょ!さいっこーに自信作!」
「だろうな。でも・・・。」
振り返ると、そこには負のオーラ漂う鳥かご。そしてそのオーラを発する鳥が1羽。
「けっ…けっ…けんっ…ケン○ッキー…」
大手フライドチキンチェーンの名前を発しながら、インコちゃんがこちらを恨めしそうに睨んでいる。
「・・・あとでインコちゃんには詫び入れなきゃな」
「…そうね。呪われるわ」




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