イライラする。
タリナイ、ミタサレナイ。
机に肘をついてとんとんと指で机を叩く。
結局竜児は教室に来てからも私に見向きもしない。
朝のあれはなんだったのか。
今のコレが照れ隠しだとしても度が過ぎている。
ああ、イライラする。
よくタバコを我慢している人がイライラするって言うのを聞くけど、これも似たようなものなんだろうか。
「高須くぅん」
「おぅ、どうした川嶋」
またうるさいのが竜児に近づき始めた。
「今日は逢坂さんと随分距離取ってるなぁって気になってねぇ?」
「お、お前……」
竜児がたじろぐ。
「え〜何〜?」
「お前、聞いてたな?」
「何のこと?亜美ちゃんわかんな〜い♪」
ばかちーがかわいこぶって竜児の腕に絡みつく。
「なっ!!」
声を上げて反応したのは竜児……ではなく私だった。
怒りが頂点近くまで達し、自分がこれだけ我慢していることをにべもなくやってのける発情チワワに我慢がならない。
「あっれぇ?どうしたの逢坂さぁん?」
勝ち誇ったように笑みを深める。
「うっさい離れろ、ばかちー改めえろちー」
ギン!!と一睨み。
コブシを強く握りしめる。
「え〜?何で〜?逢坂さんには関係ないでしょう?」
ニタァとからかいを含めたような笑みを浮かべて、私を覗き込む。
イライラする。
癇に障る。
竜児の腕を今だ掴んだ細い指が……許せない。
ドォン!!!!!
でっかい音。
次いで衝撃と……再び音。
私は怒りの余り机を蹴り上げていた。
最初の音は蹴り上げた音で、次の音は床に落ちた音。
「な……?アンタ正気?何もそこまで……!?」
その時の私はさぞ情けない顔をしていたのだろう。
えろちーが息をのむ気配を感じる。
私は間違いなくイライラし怒りに身を任せている。
だが、起こした行動は怒り、だというのに目から零れそうになる雫は、感情が悲哀だと物語っている。
「っ!!」
私は駆け出した。
このまま、こんな姿をさらしたままこの教室にはいられない。


***


がむしゃらに走る。
走って走って走りまくって、気付けば屋上にいた。
だれもいない屋上。
風がビュウビュウと吹く中、私はさらに扉の上、屋根に当たる場所へと上る。
ここがこの学校で一番高い場所。
恐らくこの学校内で一番小さい私が、今一番高い場所にいる。
ドサッと横になる。
普段なら隣にいる竜児が「コラ、服が汚れるぞ」などと諫めてくれるが今は生憎一人。
それとも竜児なら、「寝るなよ」と言ってくれるだろうか。
いやいや、竜児のことだ。きっと……。
「竜児……」
次々と生まれてくるのは竜児のこと。
これはもう、逃れようの無い事実。
普段ならいる竜児がいない。
竜児がいない。
竜児が、いない。
「ははっ……それが、嫌なんだ」
目を閉じる。
麻薬?とんだ思い違いだ。
常習性?
これはそんなちゃちなもんじゃない。
言葉にするなら、これはそう……もっと甘くて切ないもの。
例えるなら自分は……恋の麻薬とでも言うようなものに酔いしれていたのだ。
だって竜児がいると嬉しくて、いないと悲しい。
竜児が私のためにしてくれることが幸せで、他の女といるのが寂しい。
もう、心から竜児が欲しいと思う感情を『禁断症状』などという偽った表現で表したくはない。
「いつの間にか、私は……」
目に腕を乗せて地球に住む人間に等しく降り注ぐ日光を遮る。
これで、お日様にも私の閉じた瞳から流れ出る物を見られなくて済むだろう。


***


いつまで私はそうしていたのだろうか。
気付けば空は赤く染まり、風も一段と冷たくなっている。
もう放課後、という奴だろう。
「……ふわぁ」
欠伸が出る。
昨日眠れなかったせいか、随分と眠ってしまっていたらしい。
「……帰らなきゃ」
考えが纏まらないが、これ以上ここにいるのも得策じゃない。寒いし。
「よっと」
すたん、と屋上の床に降り、出入り口に向かおうとして、気付く。
「アンタ、やっと起きたのね。っていうか寝すぎ!!もう超待ったんですけどー」
腕を組み、扉に寄りかかって体重を預けているばかちーがそこにいた。
「……何の用よばかちー」
「……もう大丈夫みたいね」
「さぁね」
誤魔化す。
大丈夫、とは何のことか想像くらいつく。
こいつの前であんな顔をしてしまったのだ。
弱みを少し持たせてしまった数時間前の自分が恨めしい。
「まぁ、今回は亜美ちゃん悪くないんですけど〜何か後味悪いから教えといてあげる。帰る前に相談室に寄ってみな。まだ……いるはずだから」
じゃね、と片手をひらひらと振りながら去っていくばかちー。
「……相談室?」
何のことかはわからない。
わからないが、足は自然とそちらへと向いていた。


***


ばかちーに言われた相談室。
扉は閉まり、今だ使用中なのが伺える。
「……何なのよ」
意味がわからない。
ただでさえ今日は心境がごちゃごちゃになってるって言うのに。
こんなところにいても何か意味があるとは思えない。
さっさと帰ろうと踵を返そうとし、
「ですから大河は……」
足を止める。
竜児の声が聞こえる。
耳を、澄ませてみる。
「大河は気分が悪くなって保健室に行ったんですって。昨日も言ったじゃないですか!!俺が付き添いで……」
「でも、あの日保健の先生はお休みだったの。それを証明してくれる人がいないのよ。貴方は一時間も戻って来なかった、それだけが事実としてあるの」
「それは……大河が眠るまで付き添っていましたから」
「本当に?」
「……ええ」
「廊下で貴方達を見たって言う生徒がいるのよ?」
「えっ!?」
「抱き合って、その……いかがわしかったと聞いてるわ」
「……見間違いではないでしょうか」
「高須君、気持ちはわかるわ。けどやはり昨日も言った通りしばらく逢坂さんとは近づき過ぎないようにしてほしいの」
「!!何故ですか」
「ここは公共の場で、学校なの。その、そういった行為をたとえしていなくとも、しているとみられるような行為が排斥されなくてはいけないの」
「大人の勝手じゃないですか」
「そう、ね。でもそれもわかってはもらえるでしょう?」
「……ええ、それは」
竜児が力なく頷くような声の後、しばらく沈黙が続く。
私は、この場を静かに後にしながら、心の中でばかちーに感謝した。


***


「失礼します」
扉をガラリと開けて一礼してから退室する。
随分と遅くなってしまった。
「……はぁ」
溜息が出る。
昨日も先生に呼び出されしばらく問い詰められた。
おかげで保健室に行くのが遅れたし。
そうだ、大河。
大河はあれからどうしただろう?
もう帰ったのだろうか。
不安と焦燥が入り混じり、歩く足も重くなる。
下駄箱で靴を履き替え、もう落ちかけた夕日を見て、タイムセールに間に合わなかった事にウンザリしながら校舎を出る。
ふと、自分の方に影がさしている事に気付く。
俺の目の前には、その身長をうかがい知る事は出来ぬ影。
でも、シルエットからそれが誰のものかは容易に想像がつく。
「……大河」
「……遅かったじゃない」
小石を蹴り飛ばしながら、さもつまらなさそうにこちらに振り向く。
「……お前こそ、午後の授業まるごとサボりやがって」
「気にしたもんじゃないわ」
大河は、本当に気にしてないように言いながら隣に並ぶ。
「それより、今日はこれから買い物?」
「あ、おぅ」
「ならさっさと行きましょ。やっちゃんが待ってる」
いつもより棘が抜けたような話し方をする大河。
何処か、スッキリとしていて何かを決意したような、そんな雰囲気。
「……おぅ」
先に歩き出した大河の横に、並ぶように俺も歩く。
隣にいる垢抜けたような大河を見て、今夜は美味いものを作ろう、そう思った。


***


もうみんなが寝静まるような夜中、私はいつも通り天蓋付きのベッドからむくりと起き上がる。
昼間に寝たおかげか、目はばっちり冴えている。
ベッドの傍にある窓を開け、隣に見えるベランダに静かに降り立つ。
もう慣れたもので殆ど物音など鳴らさない。
でも、今日で最後にする。
今日で、この泥棒みたいな真似はおしまい。
今日は朝まで、竜児が目を覚ますまで横にいる。
竜児はきっと驚くだろう。
その時、少しでも私に心を傾けてくれたなら、私は今までの事、そして自分の気持ちを告白しよう。
そう、決めた。
もう、決めたんだ。
胸がドキドキする。
今までとは違ったドキドキ。
イタズラが最初であったはずなのに、すでに今の心はイタズラとはある意味一番遠いところにいる。
一言で言って、本気。
竜児は担任と私の事で話していた。
大した事ないと思っていたけど、社会的にはやっぱり認められない。
だから、本気。
間違ってるかもしれない。竜児にその気は無いかもしれない。
それでも、私はこの気持ちをストレートにぶつける事に決めた。
ここまでの気持ちは、かつて北村君にラブレターを出そうとした時以来だろう。
あの時、ドジをしたために竜児とこんなに知り合えたんだよね。
だったら私のドジもまんざらじゃない。
そう思いながら、ベランダのガラス窓に手をかけガラッと……開かない。
「……え?え?」
ぐいっぐいっと引くがびくともしない。
今朝の竜児の言葉が蘇る。
『やっぱ今度からここも鍵かけとくか』
「あんの馬鹿犬……!!」
ぷるぷると震える。
前言撤回。
自分のドジというか、これは自分のせいではないだろうからめぐり合わせの悪さに嫌気がさす。
「今の、この気持ちのうちに竜児に逢いたいのに……!!」
確かに、普段から感じる竜児への欲求はある。
だが、そこまで激しいものじゃない。
昔、何かで読んだことがある。
「恋とは、勢いが強く気持ちがまだ若いところが多い。しかし、やがて恋は昇格し、穏やかな『愛』になる」
今の私はきっと竜児に恋してるんじゃない。
いや恋はしているだろうが、そのもっと先、こんな事を口に出すのは恥ずかしいが、恐らく『愛している』というのが妥当だろう。
ボッと頬が熱くなる。
自分で自分の感情を分析してたら恥ずかしくなってきた。
「……待ってなさいよ、竜児」
今日は、最後まで布団にいてやるんだから。


***


静かに、とはいかなく、扉の開く音がする。
結局、いざという時のために預かっていてた高須家への合鍵を使用した。
幸い、ここに来るまでに誰とも会わなかったが、ほとんどフリフリワンピースの寝巻き姿の自分を誰かが見たら、何を言われたかわかったもんじゃない。
ここまで上手くこれたのは僥倖と言えよう。
しかし喜んでばかりもいられない。
本番はこれからなのだ。
ゆっくりと竜児の部屋まで徘徊し、やがて部屋の前に止まる。
サァと小さい音を立て、襖を開けるとそこには静かな寝息を立てている少年が一人。
今日も目を閉じているその姿は、相応に格好いい、を通り越して愛おしい。
無音が支配する世界に唯一つ、竜児の吐息が耳を打つ。
その鼓動を、もっともっと間近で感じるために、そっと布団をめくり、さっと中へと入る。
途端に感じる温かみ。
あはんと蕩けそうになる。
いや、既に蕩けている。
まずい、心を正確に分析したせいだろうか。
暖かさから得られる竜児への快感がいつもの5割り増しくらいある。
腹の中央からもくもくと表現不可な煙のような感情が湧き出し、体全体をくすぐる。
「……あぅ」
これは……想像以上にキツイ。
恋ではなく愛。
そう思うことで一歩オトナになったんだと言い聞かせたが、そんなものもはや関係無い。
竜児という男はどこまで反則なのだろう。
掃除をやらせてはプロ並。
料理を作らせてもピカイチ。
凶眼を除けばルックスも悪くなく、思いやり完備。
そして……これだ。
耳に届く熱い吐息。
胸の鼓動から全身へと回る優しい体温。
そして私と混じりあった臭い。
「ああ……」
もう、だめだ。
言い訳も出来ない。
私はこいつを愛してしまった。
好き、のレベルなどとうの昔に過ぎ去ってしまっていた。
竜児はきっと困るだろう。
目覚めたら横に私がいるのだ。
アンタを愛している私がいるのだ。
でも、しょうがないじゃないか。
人を好きになるのに理由はいらないと言うが、私には理由がある。
竜児が竜児として傍にいてくれる。
それが理由。理由とは呼ばないかもしれない。でも、それが全て。
「ん……たいが」
ゾクゾクゾク!!
体が、心が、魂が震える。
耳元で囁かれる。
「……俺……お前……好き、かも」
「!!」
目を見開く。
たとえ寝言だろうともう一度聞きたい。って言うか言え。すぐ言え。今言え。ほら言え。
「私もよ、竜児。アンタを残りの人生全てで愛してあげる。だから……」
だから言え。求めるものはもうソレしかない。
目覚めるまでなんて、とても待てない。
フライング、と言われればそれまで。
もしかしたらとんでもなく怒るかもしれないが、いざという時はバレなきゃいい。
「うむぅ……むちゅ……あん……」
どうか、りゅうじ。私を受け止めて……。


***


いつもの香りとともに目が覚める。
今日は珍しく夢を見なかった。
こんな日もある、と思いつつも寂しい。
寂しがりながら、癖になってしまった鼻一杯に香りを吸い込むための深呼吸をする。
すぅっ……!?
「おぅ!?」
鼻に髪の毛が……!?
髪の毛?
「おわぁ!?」
「……起きたわね」
ふにゃあとなった大河がとろんとした目で、こちらを見ている。
そうか、今日は夢を見なかったじゃんなく、今はまだ夢の中だったのか。
隣、というか胸の中で大河が横になっていることで、妙に納得する。
毎日見ていた夢だ。
そう簡単に変わるものか。
というより毎回夢はいいところで覚めてしまうのだから、いい加減最後まで行き着きたい。
「……いや、寝てるぞ大河」
「……はぁ?だってアンタ起きて……うむっ!?」
唇を吸う。
やった、とうとうキスできた。
「んーっんーっ!?」
「……んぅ」
貪るように舐め尽くし、吸う。
大河は最初こそ若干抵抗したものの、すぐに受け入れてくれた。
夢って奴はなんて都合がいいんだ。
「……ふぅ」
唇を離す。
大河は顔をさくらんぼから林檎くらいにまで赤くさせている。
くらっとくる。
可愛い、綺麗、オマケにトキめく。
「……大河、好きだ」
「!!ほ、ほんとう!?」
驚いたように聞き返される。
「ああ、何故か毎日お前の香りを感じるんだ。お前の香りがもう、俺の一部なんだ」
夢でなら、恥ずかしいセリフもポンポン言えるってもんだ。
「りゅう、じ……りゅうじぃ!!」
泣きながら抱きつかれる。
よしよしと撫でてやる。
現実でこう上手くいくにはどれくらい大変なんだろうと考えてみるが、今は野暮ってもんだ。
「たいが……」
「りゅうじ……」
もう一度、深い深い口付けを交わす。
「んぅ……むちゅ……あふ……はぁん」
離れるのを拒む激しい唇の吸いあいは、果てしなく続く。
そのまま二人は布団の仲で悠久の接吻を交わし続ける。
一方は想いが叶い、一方は夢だと思っている二人。
それでも想いを同じくし、キスし続ける。


夢だと思っている竜児が現実だと気付くまではあと一万秒、二人が真の意味で結ばれるまではあと一億秒。


決して楽ではなく、障害も多い。
しかし、二人が笑える、一緒にいられる。
そんな未来が、これからやってくる。


――――大好き、ううん、愛してる。





作品一覧ページに戻る   TOPにもどる
inserted by FC2 system