***


私って奴はどうしてこうも間が悪いんだろう。
気付けば放課後。
チャンスはいくらでもあったはずではないか。
そもそも完成した時に「味見してよね」とでも言って食べてもらえば良かったのだ。
いまさらそんなことを言っても詮無いことではあるが。
ケチのつき始めは調理実習の終わり際、竜児の腕を知った周りの奴らがクッキー作りの手伝いをお願いしてきてからだ。
竜児は顔は恐いが心根は真面目で誠実だ。
まだ知り合って数日だが、はっきりとそう断言できる。
だから快く願いを受け入れるのも容易に想像がついた。
そして、調理実習の間はもう竜児が私の隣にいないであろうことも。
全く、普段は恐がって話しかけすらしないというのに、こんな時だけ現金な奴らだ、とその時は思ったのだ。
しかし、それがきっかけで竜児は思ったよりもクラスのみんなと打ち解けたらしい。
もともと難があったのは目つきだけ。
考えてみれば当然だろう。
それから今日は一日中竜児の周りには誰かがいた。
私ではない誰かが。
別に私はそのことに腹など立ててはいない。
所詮私とこいつの関係などその程度のものだ。
そう、だから私は怒ってなどはいないのだ。
「竜児」
「おぅ……どうした?機嫌悪いな」
「うるさい。ちょっと屋上まで付き合いなさい」
自然と、左手に隠し持っている袋に力が入りすぎる。
私は怒ってなど、ましてや気になどしていないはずなのに。


***


逢坂に呼ばれて屋上までの階段を上る。
一体どうしたのだろう。
随分と機嫌が悪そうに見える。
「なぁ逢坂、何で屋上なんだ?」
「うるさいわね、黙ってさっさとついてきなさいよ」
逢坂は足を速め……って速い!!
どんどんとスピードを上げ、あの小さな体であっという間に階段を上りきり、
「あっ」
変な声と共に最後の足を踏み外した。
影が揺れる。
体がふわりと浮いたままこちらへと戻ってくる。
「逢坂!!」
駆け出していた。
叫んでいた。
気付けば、取る行動は一つだけだった。


***


「あっ」
足を踏み外した。
上りきった安心から弛緩したのだろうか。
恐らく、左手に持ったままの袋に意識を傾けるあまり、足への注意が散漫になったのだ。
ぐらりと視線が天井へと映る。
同時に生暖かい風と浮遊感。
ああ、だめだこれ。
絶対ヤバイ。
時々あるが、転ぶ時にふっと体を纏う空気が変わることがある。
そんな時は、転ぶまでの時間が少し長く感じたりとかするものだ。
これは科学的に第六感として証明されているもので、一種の走馬灯のようなものだ。
ドン!!
衝撃の音。
次いで来る痛み……がこない。
「……え?」
振り返ると、私は竜児に抱きすくめられるようにして階段の踊り場に居た。
背中から落ちた私を竜児は体で受け止め、自らの背中を壁に差し出したのだ。
「竜児!!」
慌てて、振り返る。
今日ほど自分が嫌になる日も無い。
「だい、じょうぶだ……それより」
そっと指を指す。
指の先にあるのは窓。
階段を上りきった先の窓。
その窓は開いている。
「なん、か飛んでったぞ……いててて……」
私を庇って背中を強く打ちつけたのだろう。
背中を押さえながら竜児が痛そうに立ち上がる。
「なんかって……あっ!?」
つい、大声を上げる。
先程までしっかり掴んでいた袋が無い。
目的の品が無い。
クッキーが……無い。
「どうした?」
「……ごめん、竜児。教室に戻ってて」
「なんかやっぱり飛んでったのか?なら俺も探しに……イタタタ……」
「いいよ、それとごめん。私を庇って……」
「……気にすんな。あんまり痛いようだったら保健室寄って行くから」
「……うん」
私は竜児が教室へ戻るのを見届けてから外へと駆け出した。


***


クッキーの袋はわりかし早く見つかった。
「………………」
でも、これじゃあね。
一言で言ってぺしゃんこ。
中を一応確認したけど、ほとんど粉々で原型を保っている物は皆無。
かろうじて固形になっているのが数枚、というところ。
「……なにやってんだろ、私」
袋をの中の残った少ない固形のままのクッキーを口に入れてみる。
「折角上手く作れ……うっ!?」
しょっぱい。とてつもなくしょっぱい。
途端に思い出す。
『逢坂、砂糖と塩は間違えやすい。気をつけろよ』
やっちゃったみたいだ。
「……はぁ」
私はとぼとぼと教室へ歩き出す。


***


「いたたた……こりゃコブになってるかな」
背中をさすりつつ傷を確かめる。
先程は逢坂が背中を打ち付けぬよう上手く護ったつもりだったが、どうも自分にはそういうのが似合っていないらしい。
打ち付けた背中は痛く、コブまである。
それでも、自分の手をじっと見つめて安堵。
先程抱きかかえた小さいあいつ。
いい香りがして、柔らかかった。
そんなアイツは無傷らしい。
本当に良かった。
女の子、いや逢坂には特に怪我などして欲しくない。
ガラッ。
そんなことを思っていると教室の戸が開く。
もう生徒は自分以外いない、夕日が差し込んでいる二年C組の教室。
そこにあいつ、逢坂大河は戻って来た。
「よぉ、どうだった?見つけたか?」
できるだけ気楽に聞いてみるが、見るからに憔悴しているのがわかる。
逢坂は、小さく縦に頷くが、
「無事だったか?」
これには首を左右に振った。
ダメだった、ということらしい。
まぁこの憔悴振りからある程度予想は出来ていたけど。
「もしかして、私ってドジなのかな……」
唐突に切り出される。
というか、今まで自覚が無かったのだろうか。
俺があいつと知り合ったのは数日前だが、それから今日までに一体何度あいつのドジ見てきたと思うのだ。
「せっかく作ったのに……」
ポン、と机に薄汚れた袋が乗せられた。
成る程、落とした、もとい飛んでったのはこれか。
これは調理実習のクッキーじゃないか。
「これ、誰かに渡す物だったのか?」
「え?……うん、まぁ」
「そうか。一個貰っていいか?」
言うが速いか、俺は泥で汚れた袋の中身……殆どザラザラな中から固形を保っている部分を取り口へと運ぶ。
が、これは失敗だったと言わざるを得ない。
しょっぱい。この上なくしょっぱい。
恐らく砂糖と塩を間違えたのだ。
大河はポカンとこっちを見ている。
ええいこうなったら!!一気に口へガーッと!!
「え?ちょっりゅう「美味い!!」……へ?」
「ちゃんと出来てるじゃねぇか、また次の機会にがんばろうぜ」
だから元気出せ、そう意思を込めて笑う。
逢坂は、しばらく俺の顔をぼーっと見つめていた。


***


高須竜児。
なんて奴なんだろう。
私のクッキーを全部食べちゃった。
あれ、絶対しょっぱかったはずなのに。
「美味い!!」って……嘘までついて。
りゅうじ。
りゅうじ。
りゅうじ。
竜児。
竜児。
竜児。
ああ、なんていい笑顔で言ってくれるのだろう。
『ちゃんと出来てるじゃねぇか、また次の機会にがんばろうぜ』
この言葉を聞いてから、胸の動悸が治まらない。


***


私達はあれからすぐに帰宅した。
どうやら竜児も、もう痛みはたいしたことは無いようで、すぐに普通に歩けた。
「ただいま」
「お邪魔します」
竜児のかける言葉に続いて、高須家へお邪魔の挨拶と共に私は家に入る。
「さて、今日は簡単に済ます予定だから座って待っててくれ」
「うん、あ、そうだ。ちょっと竜児の部屋見せてもらって良い?」
「?かまわねぇけど、面白いもんなんてないぞ?」
「わかってる」
そう、わかっている。
竜児の性格だ。
MOTTAINAI!!とか言って、嗜好品など殆どそろえていないのだろう。
でも今日は何故か竜児の事が気になった。
普段からの彼はどんなで、どんなとこにいて、どんなことをしているのか。
それを知りたくなったのだ。
許可を得てそっと竜児の部屋へと入る。
やはり清潔にされている。
机の上に出しっぱなしのものなど無いし、埃一つ落ちている気がしない。
私は椅子に座って頬を竜児の机にのせてみた。
「……竜児の臭いだ」
鼻に入るここ数日で覚えた不可思議な臭い。
それが体全体を満たしていく。
体の中から熱くなっていく。
どうしたんだろうこの気持ち。
なんだろうこの高鳴り。
ふわふわと浮いているようでいて、根強い力強さを感じる竜児の腕。
今日助けてもらった時に感じたイメージ。
思い出すだけで、申し訳ない気持ちと、ドキドキする気持ちが入り混じる。
「はぁ〜……ん?」
溜息を吐いて、気付く。
気持ちの整理をしようした溜息だったが、既に意識は次の目標物へと向いている。
机の横にある本棚、その下に入っている大きなダンボール。
中にはMDやらなんやら小物が入っている。
「これ……ノート?」
日記か何かだろうか。
私は好奇心にかられ、さっとページを開いて……途端に、凍りつく。
「何、これ……」
先程までの、どこか浮かれ気分が全て吹き飛ぶ。
そのノートに書かれている文は、

――――櫛枝実乃梨嬢に捧ぐ。


***


あれから何日経ったろう。
面白くもないニュースをじっと見つめる。
でも何も頭に入ってこない。
ゴールデンウイークだとか、桜が綺麗だったとか、そんな話題が入っては抜けていく。
「……さか」
そもそも、なんで私はこんなにショックを受けているのだろう。
いや、ショックなんか受けてない。
「……いさか」
だって竜児が誰を好きだって関係ないじゃないか。
だから……。
「逢坂!!」
「わひゃう!?」
驚く。
目の前には「てめぇ殺すぞ」とばかりの三白眼。
でも彼のこれは間違ってもそんな意図など無い。
「な、何よ竜児。急に目の前に来ないでよ!!」
「急にじゃねぇ、さっきから何度呼んだと思ってんだ」
「……一回?」
「もうかれこれ十回は呼んでるぞ。どうしたんだ一体?この前からなんか少し変だぞお前」
「別に……それよりご飯は?」
「おぅ、その件なんだが……逢坂、今日はパンでもいいか?」
「?何でよ?」
珍しい。
純和風好みの竜児は、パンよりも米を好む。
その竜児がパン。
「いや、実は炊飯器が壊れちゃったみたいでな」
「ふぅん、あ、そうだ!!なら今日は外食でいいじゃない」
「なっ!?外食なんてMOTTA「行くわよ」いな……って聞けよ!!」
「うっさい、黙れバカ犬。さっさと行くわよ」
そうだ、そうしよう。私はショックなんか受けてない。
だからこいつなんてなんとも思ってないという証明をしなくちゃ。


***


「外食なんて……飯は無いけどパンならあったのに」
俺は目の前の虎に文句をぶつける。
まったく、必要にせまられてもいなのにファミレスなど……。
「今のうちに吼えなさい駄犬」
逢坂は興味津々にメニューを覗く。
「なんだよそれ……」
俺が呆れそうになった時、テーブルにパフェが置かれた。それも二個。
「あ〜らよっ、出前二丁〜♪」
どういうことだ?
「あの、まだ何も頼んでないんですけ……櫛枝?」
そこには、あの櫛枝実乃梨がウエイトレス姿でいた。
「おうよ!!私は櫛枝であり、櫛枝以外の何者でもないぜ!!」
櫛枝はコブシをこちらに向け豪語する。
「そうそう、そのパフェはアイス大増量の大河スペシャルだぜぇ、他の客から隠して食べなぁ」
確かにアイス多めな気がする。
「いつもありがとう、みのりん♪」
「いつも?いつもこの量食ってんのか……?」
「ん?高須君甘いの苦手?だったらポテトフライにする?盛るぜぇ?超盛るぜぇ?」
「いや、俺は……」
「みのりんコンビニとカラオケボックスでもバイトしてるんだよね」
「おうよ、先週からしゃぶしゃぶ屋も追加!!」
「そんなにバイト、出来るのか」
俺には、元気に笑うそんな櫛枝実乃梨が眩しく……妬ましかった。


***


ほらほらどうよ竜児。
あんたの愛しのみのり……竜児?
竜児の様子がおかしい。
段々と顔が暗くなっていく。
あ、みのりんが他のテーブルに行っちゃった。
何よ、気を利かせて連れてきてやったのに。
アンタ、みのりんの事が好きなんじゃないの?
チクリ。胸が針に刺されたような錯覚。
何だろう、今の。
まぁいい、それより今は竜児だ。
「ねぇ竜児、アンタなんか雰囲気悪くない?」
「……この顔は生まれつきだ」
「そういうことじゃないわよ、バカ!!みのりんに対して、なんか冷たくなかった?」
「……そうか?……そうかもしれないな。わりぃ、後で謝っとくよ」
「?どうかした?」
「いや、櫛枝が悪いわけじゃねぇんだ。ただ羨ましくてさ」
「??何が?」
意味がよくわからない。
何が羨ましいのだろう。
っていうかコイツ、みのりんに会ったのに随分淡白ね。
本当にみのりんが好きなの?
あんまりそうは見えないんだけど。
サラリ。何か、針が取れたような錯覚が胸を軽くする。
「まぁいいや。雑誌でも読も……!?!?!?!?!?」
「?どうした、逢坂?」
「りゅりゅりゅりゅ……」
「俺はりゅりゅではなく竜児だ。何だよ、オバケでも見たか?」
「違うわよバカ!!あれ、あれ見て竜児!!」
「ん?おお、綺麗な人だな」
ああっもう!!こいつ本当そういうの知らないんだから!!
私は即座に据え置きの雑誌取って来る。
たしかこの前この辺に……あった!!
「竜児、これよこれ!!」
「ん?……川嶋亜美?モデルか?へぇ〜俺達と同じ年じゃねぇか……あれ?」
竜児は一度顔を上げ、また雑誌を見、また上げた。
そこには足は長く、髪も長く、オマケに睫毛も長い完璧な美人、今雑誌に写っているその人がいた。
「おい、そっくりさん、とかじゃあねぇよな?」
「私もビックリ。多分本物よ、アレ」
「おぅ、いるとこにはいるもんだな。何かありがたいもんを見た気分に……北村?」
「どうしたの?」
「いや、ほらウチのクラスの北村が一緒に……」
そう言う竜児の視線の先、川嶋亜美と思われる女の近くには確かにウチのクラスの学級委員、北村君がいた。
「ん?おお高須に逢坂じゃないか、奇遇だな」
私達に気付いた北村君がこちらに近づいてくる。
「どうしたの、祐作?」
その後に川嶋亜美もついてきた。
「おお、紹介しよう。彼女は川嶋亜美、昔ウチの近所に住んでたんだ。いわゆる幼馴染ってやつだな。それでこっちが高須竜児と逢坂大河だ」
「「ど、どうも」」
まったく同じ言葉で頭を下げる。
なんで同じセリフなのよ、と竜児に視線を向けると、竜児もまったく同じような視線を返してきていた。
「どうだ?せっかくだし四人で話さないか?」
しかし、そんな小競り合いに全く気付かない北村君は、この場に座ろうとしているらしい。
「おぅ、構わないぞ」
竜児の承諾で、二人は私達と相席になった。


***


「よし、頼んだものは全部揃ったな?」
北村が場を仕切る。
こいつは学級委員だけじゃなく生徒会にも所属していて、この手の事には慣れている、というより長けている。
「でも、まさか私の写真が載ってる本があるなんて……もっとちゃんとした服着てくれば良かったなぁ」
先程から川嶋亜美はしつこいぐらいに失敗失敗♪と呟いている。
まぁ別に気にするほどでないと思うんだが。
しかし、一言で言って綺麗な人だ。
ルックスは抜群の八頭身。
足の長さなんて北村より長いんじゃなかろうか。
「ほんと、いつもはもっとちゃんとしてるんだよ?私はしっかりしてるんだから!!」
急に手を掴んでくる。
「あー、うん」
ここは一応頷いておく。
「あっ!?今私を天然とか思ったでしょう?ちがうんだからぁ」
いや、思ってないよ。
「でもでも、普段はもっとしっかりしててね。もう、なんでこんな時に出会っちゃうかなぁ?もっといい顔の時に会いたかったよう」
なんか随分違和感ある話しぶりだな。
北村、ここは空気を変えてくれ、と願うように視線を送ると、
「はっはっはっ!!亜美も相変わらずだな。さて、すまんがちょっとトイレに行って来る」
ってトイレいくんかい!!
「あ、俺も」
なら、ついていくしかないじゃないか!!


***


祐作はトイレ、か。
あの男子も私といるから緊張してトイレってとこかな。
ふん、亜美ちゃんの美貌って罪作り♪
に、してもだっるーい。せっかくのオフだってのに。
あ、亜美ちゃんのアイスティーなくなっちゃった。
「ねぇちょっと、亜美ちゃんのアイスティーなくなったちゃったから持って来て」
目の前の女に頼んでみる。
「………………」
「無視?アンタさっきから態度悪くな〜い?」
ふん、気を張っちゃって。
さっきあの男子の手を取ったときとか結構睨んできてたしね。
まぁ気持ちはわかるけど〜。でもでも亜美ちゃん綺麗だし?かわいいし?天然だし?
いっやーん♪あ、そうだ!!
「ふふん、アンタの彼氏に持って来てもーらおっと♪」
バックから手鏡を取り出して眺める。ウン、バッチリ♪
さてさて、どんな反応すんのこのチビは……って、ゲッ!?
「そ、そんな、かれ、かれかれかれしとかかかちがちちが、うし」
なんかよくわかんない事言いながらほっぺをくねくねさせてやがる。
なんだコイツ。
コイツも亜美ちゃんほどじゃないとは言え可愛いのがムカツク。
ちょっとからかっちゃおう。
「ねぇねぇアンタ縮尺おかしくな〜い?そんなんで彼を満足させられんのぉ?」
ピクリと反応する。もう一押し?
「なんかあの彼、亜美ちゃんの言う事なら何でも聞きそうなテンションだし?奪っちゃっていい?全然いらねーけど!!」
ぷくくく。あんな顔が恐い男なんていら『パァン!!』……!?!?!?
響いた音の後にくるのはじん、とした頬への痛み。
何よ?信じらんない信じらんない信じらんない!!
コイツ、私を叩きやがった。
「蚊がいたのよ、蚊が。あ、これ蝿だ」
アイツがそう言うのと同時、
「おいおい、喧嘩か?」
あの顔の恐い男子が戻って来た。


***


「うっわーん、高須くぅ〜ん」
「おわっ!?」
川嶋亜美が泣きながら俺にすがり付いてくる。
まぁ気持ちはわからんでもない。
逢坂は遠慮なしっぽかったからなぁ。
俺は全てを見ていた。
北村に言われ、物陰から二人の状況を見つめていたのだ。
まぁ、違和感を感じたとおり、実際の性格は腹黒だったわけだ。
いや、腹黒ってのとは少しニュアンスが違うか。
仕事のせいもあるんだろうけど、他人には自分を良く見せようとしすぎるんだ、きっと。
「ほら、亜美」
北村が川嶋亜美を宥めてくれている。
「すまんな二人とも。今日のところは失礼するよ」
そう言いながら北村は川嶋亜美を連れて出た。
「ふぅ、なんか凄かったな」
「……べ、別に私……」
逢坂が何か震えてるな。
「わ、わざと叩いたわけじゃ……」
「おぅ、わかってる。蝿、だろ?」
「………………」
「まぁ気にすんなよ。あ、俺にやる時はもっとソフトに……ってか言葉で頼むな」
「……うん」
逢坂は顔を伏せながらも頷いた。


***


私達は一緒に家へと帰る。
竜児はわかってくれた。
そう、悪いのは私じゃなくてあの女なのよ!!
……まぁ、私が悪くない、といえば嘘になるけど。
でもでも、竜児はどうやら全部見ていたらしい。
これであの腹黒女に竜児が騙される事はなさそう。
ああ、良かった。
良かった?
なんで?
なんで私はこんなに安心してるの?
わからない。
でも、竜児がわかってる、って言ってくれた時、凄く安心した。
なんというか、私が誤解されていなくて良かったと、心から思った。
こいつなんて、私にとっては何の関係も無い奴のはずなのに。
まぁいいや。
考えてもどうせわからない。
ここは私が大人になって、あの腹黒を忘れる事で終わらせよう。
どうせもう、二度と会うことも無いでしょうし。


***


しかし翌日、
「はじめまして、仲良くしてくださいね」
挨拶でウインクまでする女が転校してきた。
髪は長く、目をぱっちりさせて、豊満な胸を強調しながら笑顔。
スタイル抜群八頭身を地で行く現役高校生モデル、川嶋亜美。
それが転校してきた女、彼女の名前だった。



***



「かっわいー」「マジ綺麗」「天使だ天使が舞い降りた」
口々に皆褒め言葉を続ける。
フフフ、そうよ愚民共。
もっともっと亜美ちゃんを褒め称えなさい。
あんた達なんて私を褒める以外に役に立つ事なんて無いんだから。
見られてラッキーな幸福を噛み締めなさい。
さぁこの奇跡の美しさに悶え褒め死ぬがいいわ!!
おーほっほっほっ!!
そんなことを思いながら笑顔を貼り付け教室中の生徒と仲良くなる。
この外面さえ見せてればみんな私を可愛いと言うんだから簡単なものだ。
「……あれ?」
でも一人、いや二人だけ全く私に見向きもしない男がいる。
一人は祐作。
まぁ祐作は私の事知ってるし、昔からの付き合いでそんな目で見るってのが無いとわかってるけど。
もう一人は、
「確か……高須竜児」
視線の先にはくそ忌々しい逢坂大河。
その傍らに高須竜児。
ふぅん、昨日はあんな事言っておいてやっぱデキてるんじゃないの?あの二人。
そうだ!!いいこと思いついた!!あいつから高須竜児を引き離してやろっと♪
「ねぇ高須くぅん♪」
「おぅ?……どうした川嶋?」
「ねぇお願いがあるんだけど♪」
「お願い?」
食らいついてきた!!
「うんとねぇ、がっこ「うっさい黙れ、そして腐れ」……逢坂さん?」
このチビ、やっぱり割り込んできたか。
「あれれ〜逢坂さんそんなこと言っちゃダメだよぉ」
「気持ち悪い声だすなバカチワワ」
なっ!?バカチワワですって!?
「おい逢坂、言いすぎだぞ」
「ねぇ、そうだよねぇ高須君♪それでねぇ今日の放課後なんだけどぉ」
こなったら意地でも引き離して……。
「あっと悪い、川嶋。俺この後用事があるんだ。また明日な。ほら、行くぞ逢坂」
「ん」
軽い返事だけしてた高須竜児の後に続くあの女。
っていうか私見向きもされなかった?
冗談じゃねぇっつうの!!
だって亜美ちゃんだよ?
高校生モデルだよ?
美の女神だよ?
マジ何処に目をつけてんの?ってカンジ。
高須竜児、明日覚えてなさいよ。


***


学校を出てすぐ、逢坂の足取りが軽いことに気付いた。
「?何だ逢坂、随分機嫌がいいな」
「そう?気のせいじゃない?」
「そうか?」
しかしそれにしてはルンルンと足が軽そうじゃねぇか。
「まぁ、アレよ。あの女が余りにも滑稽だったから」
「はぁ?」
よく意味がわからないんだが。
「まぁアンタはわからないでしょうね。でもそれでいいのよ」
ウンウンと一人頷く逢坂。
サッパリ意味がわからない。
「まぁいいや、さて今日の特売はっと」
俺は歩きながらチラシを広げる。
と、下の方に小さく『水着あります』の表示を見つけた。
そう言えば明日からプールがある。
「そういや逢坂、明日からプールだそうだが、お前水着の準備は終わったか?」
何気なく聞いたその言葉で、逢坂は途端に顔面を蒼白にし立ち止まる。
「どうした?まだなのか?だったら早めに準備しとけよ」
「……ない」
「は?」
「……出ない」
「何だって?」
「プールなんて出ない!!」
怒ったように喚く逢坂。
一体どうしたというのだ。
「水着だってもう腐らせたし!!」
「何!?」
それは聞き捨てならない。
「バカ、お前それなら尚更用意しなけりゃダメじゃねぇか」
「いらないったらいらない!!」
「何だだこねてんだ。ほら買いに行くぞ」
「………………っく!!離せ!!」
甘いな。
俺はこいつが無言になったと同時、腕を素早く掴んでいた。
こいつが無言になるときは逃げる前兆だと既に理解している。
「ほら、我が侭言わずに行くぞ」
「やーだー!!!!!!」
やれやれ、骨が折れそうだ。


***


「どうだ、逢坂?」
着替え室のカーテンの前で待ちぼうけること三十分。
シャッとカーテンが開く。
「……わかんない。どうしよう竜児」
わかんないって……お前にわからないものを俺にどうしろと?
しかし、逢坂は真面目な顔だ。
若干目に赤みが差し、「ほんとどうしよう、もうやだ」と呟きながら今にも逃げ出さんばかりの勢いだ。
「どうしたんだ?気に入るのが無いとか?」
「……サイズよ」
「サイズ?」
「ああもう鈍いわね!!合うサイズが無いのよ!!」
逢坂は、顔を真っ赤にして両手でコブシを作り、腕を真っ直ぐ下に伸ばして精一杯自分を大きく見せようとしながら怒る。
「……子供用のとかは……」
「死んでもイヤッ!!」
だよなぁ。
背が小さいってのも考え物なんだな。
「お?じゃあこれあたりはどうだ?」
やむなく、俺は逢坂が集めた水着の中から最も小さく、かつシンプルなデザインのものを選ぶ。
「値段も手頃だし、素材も厚くてしっかりしてて乾燥機にもかけられる。着てみたのか?」
大河は涙目を伏せ、しかし頬は赤いまま
「それは……着た、けど……それはまぁまぁマシだったけど……」
「じゃあこれでいいじゃねぇか、な?」
「………………………………うん」
返事までやたら長かったな。


***


帰宅してすぐに夕飯の支度。
振り返ると逢坂はまだ塞ぎこんでいた。
ったくもう、何だってんだ一体。
「おい逢坂、何か食いたいもんあるか?作ってやれるもんなら作ってやるぞ」
「……うるさい」
ダメだこりゃ。機嫌直るまでそっとしておくか。
ガラッ。
「うわぁん遅刻しちゃうよぉ」
泰子が急に障子を開いて駆け出す。もうそんな時間か。
「あ、ほら、これだけでも飲んでけ」
俺は今丁度作っていた豆乳を入れたカップを手渡す。
この豆乳にはイソフラボンと呼ばれる胸を大きくするための成分が入ってるらしい。
いつしか泰子は「しぼんじゃ嫌だから予防しなきゃ♪」と飲み始めたのだ。
「……なにそれ?」
大河が興味なさそうに見ている。
「これはねぇ、竜ちゃん特性の豆乳だよぉ。イソノボンボン「イソフラボンな」とかいうのが胸をおっきくするんだって♪」
ボーっと見ていた逢坂は立ち上がり、手じかにある箸で泰子のFカップはあろうかという胸をつつく。
「ああん♪大河ちゃんのエッチスケッチワンタッチ♪」
泰子は笑いながら仕事へ出かけ……って人んちの母親にセクハラすんなよ!!
「イソノボンボン……」
泰子が元気よく出て行った扉を見ながら逢坂は呟く。
「何か変だぞお前……」
しかし逢坂は俺の事など気にせず、たまたま落ちていた一つの大豆をその細く白い綺麗な指で掴みパクリと食べる。
「お、おい!?おま「マズイ!!もう一粒!!」……はぁ?」
意味がわからない。
「なんだってお前そんなこと……」
「だって私もイソノボンボン「イソフラボンだ」取りたいもん!!」
はぁ?全くなんだってそんな……まてよ?水着のことといい、まさか……。
「まさかお前……」
「!?イヤ……言わないで、言わないでぇっ……!!」
「貧乳……なのか……?」
その日、高須家では近隣住民が驚くほどの女の悲鳴が鳴った。


***


「ったく、そんな気にする事かよ、乳の大きさ程度のこと……」
逢坂の家に上がりこんで数分。
俺はテーブルを舐めても大丈夫なほどに磨き上げていた。
だが、俺は掃除の為にここに来たのではない。
逢坂の水着姿を見に来たのだ。
「……お待たせ」
「おぅ」
やたらと低い声。そんなに気にするものなのか?
俺は恐る恐る振り返り…………フリーズした。
「どうよ……?」
言葉が……出ない。
「平らでしょ?貧乳でしょ?はは……なんかヘコむんだ……」
逢坂が何か言っているが耳に入ってこない。再起動に至らない。
紺を基調とした色のワンピース型。
肩にかける紐は細く、足はほぼ全てが晒されている。
白く、華奢で、綺麗な体。
晒された足はどうしてこんなに長いのだろう。
白く輝くそのさまはまるで雪国の女王のように美しい。
さらに腰は括れがしっかりとしていてスリムさを際立たせ、肩から伸びる腕がまた綺麗。
前から思っていたが、何故こいつの指はあんなに細くて綺麗なのだろう。
例えば川嶋あたりなら薄いマニキュアを塗っているのだろう。
しかし逢坂は素で綺麗なのだ。
自然体で細く白く美しく。
背が小さい?だからなんだと言うのだ。
胸が無い?それの何処に問題がある。
乱暴者?こいつを知ろうとしないやつの戯言だそれは。
「……竜児?」
「お、……おぅ」
「何よ?哀れすぎて声も出ないっての?」
「いや、……素直に驚いてただけだ。お前、やっぱり綺麗だな」
「なっ!?何言ってんのよ!?」
逢坂は自分の体を隠すようにして両腕で自分を抱く。
と、同時に掌から一枚の写真が落ちた。
「何だコレ?」
「あ、それは……」
その写真は大河の水着姿だった。
しかもサインペンで『哀れ乳』と書かれたもの。
「……私、乳の小ささで哀れまれたのよ。もちろん出所の写真部には真っ赤な血の雨を降らせたけど」
「……っざけやがって」
「……竜児?」
「……っざけやがって!!よし、逢坂、俺が何とかしてやる!!」
俺は頭にきていた。
逢坂にこんな事をした奴が居る事に。
逢坂のことを哀れだと書いた奴が居る事に。
なにより、逢坂に、ここまでのコンプレックスを感じさせたことに。
何故そんなに怒りを感じるのか、俺にはまだわからなかったけど、とにかく腹立たしかった。


***


私は夜明けまで竜児と一緒にいた。
初めてコイツと一緒に朝を迎えたかもしれない。
竜児は昨晩からずっとソーイングセットをいじり続けて、さっきようやく完成した。
「どうよ?」
そう言われて着た水着姿の自分が写る鏡は、今までで一番自分に自信が持てる姿だった。
胸が、あるのだ。偽乳とはいえ胸が目に見えてあるのだ!!
「お、お嫁に行く時は、必ず持っていくわ……」
私の体のパートナーが出来た瞬間だった。


***


やってきましたプールの時間。
しかし逢坂、恐れるものは何もないぞ。
俺はそう思いながら日影に座っていた。
「あ〜?こんな所にいたぁ♪高須君みっけ♪」
「ん?川嶋?……ってうお!?」
振り向いて驚く。
川嶋が着ているのはビキニだった。
っていうかそれ、学校の授業でOKなのか?
色は一応黒のようだが……。
「ねぇ?どう?」
川嶋は少し胸をよせるようなポーズを取る。
腕は逢坂ほどではないにしろ、白く細い。
長い髪も三つ編み状にしてまとめており、普段なら見えないうなじが良く見える。
足も長く小さな水着で必要最小限な部分しか隠されていないその肢体は何かのお手本のように綺麗で、さすがはモデルといったところなのか、着こなし、スタイル共に抜群だった。
「おぅ、すげぇな。流石モデルだなぁ」
俺は思ったままのことを言うが、
「……なーんか違うのよねぇ」
川嶋は眉をひそめ、満足しない。
「ん?どうした?」
「ううん、なんでもないの。それより高須君、前から聞きたかったんだけど、逢坂さんと高須君って付き合ってるの?」
「おぅ……おおぅ!?なんでそうなる?あいつとはそんなんじゃあ……」
「え〜?この前逢坂さんも似たような事言ってたけど、どう見てもそう見えるよぉ」
「そうか?違うんだけどなぁ。まぁ一緒にいる時間が多いからそう見えちまうのかもな。ハタから見たら確かに変かもしれねぇ」
「かも、じゃなくて絶対変」
川嶋の語調がきつくなる。
「川嶋……?」
「付き合ってもいない女子とそこまで一緒にいて、かといって他の女子に手を出すわけでもない。変だよ、そんなの。高須君は本当に今のままでいいの?」
川嶋はやけに真剣だ。
「……どういう意味だ?」
「きっと……高須君は逢坂さんと一緒にいたらおかしくなる。今はまだいいよ?でもそのうちきっと上手くいかなくなる。だって好きでもないんでしょ?だったら……」
「何話してんのよバカチワワ、略してばかちー」
急に逢坂が会話に割り込んできた。
逢坂は頭を二つほど団子にして纏め、まるでミッキーマ●スのような出で立ちだ。
途端、周りから小さい歓声が上がる。
「おおー!!タイガーの胸、去年と比べて結構あるぞ」「やっぱ俺タイガー派だ……」「一年でよくぞそこまで……俺、感動!!」
しかし、負けじと別の歓声も。
「いやいや亜美ちゃんもすげぇぜ」「グラマラス!!」「天女だ……」
男子はどんどん盛り上がり、そのうち誰かがポロっと呟く。
「泳ぎはどっちが上手いんだ?」
その一言でトトカルチョが始まった。
本人達は競争するなんて一言もいっていないんだが。
しかし、そんな俺の心の声を感じたのか、
「逢坂さぁん?じゃあ勝負しましょうか?」
川嶋が切り出す。
「ハァ?アンタ寝てんの?何で私が」
「おやぁ?負けるのが恐いんだぁ?」
「んなわけないでしょ!!アンタなんか片手で一ひねりよ!!」
安い挑発を高い買い言葉で買うやつだなぁと思う。
「じゃあ決まりね。私たち選手がトトカルチョに参加するのもアレだし……そうだ!!私が勝ったら商品として夏休み中に高須君が私んちの別荘に来るってのはどう?」
「「はぁ?」」
何言ってるんだコイツ?
「何言ってんだばかちー?」
「あらぁ?だって二人は付き合ってないんでしょう?ならいいじゃない?」
そういう問題か?
「………………」
いや、お前も突っ込め。
っていうか、俺に拒否権はないのか?


***


「……何で逢坂さんビート板なんてもってるの?」
「私泳げないから」
「あらぁ?そうなのぉ?でも手加減は出来ないからごめんねぇ♪」
何でこんなことになったんだ。
川嶋が勝てば俺は何故かしらんが夏休みに別荘とやらに連れて行かれるらしい(強制)
逢坂が勝てば今までどおり……らしい。
一応聞いた俺の拒否権は、その場にいた男子によって切って捨てられた。
曰く、羨まし過ぎる状況で何贅沢言ってんだ、だそうだ。
「じゃあ僭越ながら私がジャッジを」
櫛枝が前に出て、合図を出す。
「よーい……どん!!」
途端に泳ぎだす両者。
勝っているのは……なんと逢坂の方。
あいつは泳げぬかわりにめちゃくちゃ足の力が強いみたいだ。
というかビート板使ってあそこまで泳げるのに本当に泳げないのか?
「あっ!?」
だがそれもすぐに止まる。
どうやら足をつったらしい。
苦しそうに水中でもがく。
ズキンと……胸が痛んだ。
気付けば、俺はプールに入っていた。
と、同時に川嶋が嫌な笑みを浮かべながら抜いていく。
「大丈夫か!?」
「くっ離せ!!まだ行ける!!」
「でもお前、足が……」
「うるさい!!アンタのためにやってやってんのよ!?感謝して送り出しなさい!!」
真っ直ぐな瞳で見つめられる。
そうか、そうだな。
俺のためにがんばってくれてるんだもんな。
「よし、わかった。ほら行けっ!!」
俺は逢坂の背中を押して、先へと進ませた。
がんばれ、と心の中で一言。
「おい、押すなよ」「うわぁ!?」
へ……?
ガゴン!!!
衝撃が頭に奔る。
どうやらヒートアップした奴等がプールにもつれて飛び込み、俺にぶつかったらしい。
意識が沈んでいく。
ヤバイ、体が動かない。
ああ、周りの奴等の喧噪が遠くなる。
っていうかあいつ等俺に気付いてないのか。
(……うじ)
ヤバ……も、ダメ……。
(……ゅうじ!)
あれ……?声……?
(……りゅうじ!!)
あい、さ……か……?


***


頭がぐわぁんぐわぁんする。
ぼやけてよくわからない。
瞼が重い。
まるで体全体が鉛になったように動かない。
ふと、お腹に重みを感じた。
「……して、気付いてくれないの」
何か言っている。
あぁ、暖かい。
「みんなバカばっかりだ、ばかちーのビキニなんかに気をとられて」
知ってる。
この声は、この暖かさは、この重みは。
うっすらと、少しだけ開くことができた瞼の奥にある眼球は、やっぱりあいつを捉える。
俺のお腹に乗って顔を伏せ、崩れてちりぢりになった髪にも構わず、誰も寄せ付けぬように威嚇しながら、
「竜児は私のだぁーーっ!!誰も触るんじゃなぁーーいっ!!」
泣き叫ぶ。
誰も寄るなと暴れ尚叫ぶ。
そんな様を網膜に焼き付けて目を閉じ、ああそうか、と安堵した。
あいつにとって俺はその他一般ではなく、他の奴に触れられたくないほどの存在。
あいつの中で俺の地位がそこまで上がっていることに、心が震えた。
泣きそうだった。
かつて、俺のような目つきの悪い奴にここまで思いをよせてくれた奴がいるだろうか。
俺と普通に話してくれた、いや対等に話してくれた奴がいるだろうか。
例えば櫛枝は確かに俺と普通に話してくれた。
でもそれはクラスメイト、あるいは知り合いと友達の狭間であって、なにがしかの関係ではない。
別にそれは構わない。
普通はそうなのだから。
だが、こいつはどうだ?
俺の傍で対等に、そう、対等に俺を見てくれて、俺の為に泣いてくれている。
初めて会った日に殴られて、たまたま会ったあいつの為にご飯を作ってやるようになって。
俺にとってそうであるように、逢坂にとっても、俺はお前の日常にかけがえのない奴になっていたんだな。


***


やってしまった。
どうしよう、何て顔して竜児に会えばいい?
自分でも何であんな事を言ったのかなんてよくわからない。
ただ、自分以外の人間が竜児に近づくのが許せなかった。
時折浮かぶ竜児の笑顔。
鼻についた汚れを拭き取ってくれて、しょっぱいクッキーを食べてくれて。
そんな事を思ってたらいつの間にか放課後になった。
私はあれから一度も保健室には行かなかった。
顔が合わせずらい。
「こんなとこにいたのか」
「えっ!?」
振り返るとそこには今日の重傷人、保健室にいるはずのあいつがいた。
「竜児……」
「おぅ」
「な、何しに来たのよ!!アンタが傍にいると、か、かか勘違いされるじゃない!!」
何言ってんだろ、アタシ。
「……まぁ、そうだろうな。イヤか?」
何言ってるんだろ、竜児。
「べべべべ、べつに、イヤっていうか、きき気になんかしないけど」
「そうか、ならいいじゃねぇか」
そう言って竜児は私の隣に並んだ。


***


「いいって……何が?」
逢坂が、顔を赤くしてこちらを視線だけで見上げ、伏せて、また見上げる。
まるで怯える虎のように。
「お前は大河、タイガーで虎だ」
「だから?」
今まで散々言われてきたことだろう。だから……。
「昔から虎と並び立つ者は竜と決まってる。俺は竜児だ、だから竜になる」
「な、何言って……」
「だから、俺は、お前の物としてじゃなく、お前と対等な者としてお前の隣にいられるんだ、あい……たっ、大河!!」
暖かい風が髪を、頬を、体を通り抜ける。
飛行機雲が二本空を彩る。
まるで今の二人のように並んで空にその存在を知らしめる。
「あ、アンタ今大河って……え?私名前で呼ばれた?」
ぶわぁっと大河の顔が赤くなる。
「おぅ」
「〜〜っ///」
「大河?」
「っ!!ずぅずぅしいにも程があるわこのバカ竜児っ!!」
ガンと一発回し蹴り。
「痛っ!!お前なぁ……まぁいいか。今日はいいや」
「なっなによ!?言いなさいよ!!」
じゃないと恥ずかしくて死にそうなんだから!!とでも言いたげだ。
だからこそ言わない。
俺からのささやかな反撃。
「いや、お前いつにも増してテンパってるっていうか、隙だらけだから……まぁ今日は何も言わないでおいてやるよ」
「〜〜っ!!」
「さて、帰って飯作ってやるよ、何がいい?」
俺は、やっと登り終えたのだ。
大河と対等になって出逢う為の坂を。


***


「大河だって……」
ぐふふふ……あっと、いけないいけない。
でもニヤけちゃう。ぐふふふ。
竜児の家でご飯を食べて帰宅し、布団に入って数分。
ごろごろと何度も寝返りながら体中から起きるくすぐったさに震える。
あいつは私のことを「大河」と呼んだ。
私を対等だと言った。
自然とニヤけてしまう。
ああ、どうしようこれ。
ってあれ?まてよ?前に何かで見たけど確か、女の呼び方を男が変える時、それはそいつが好きだっていう意味じゃなかったっけ?
ボワァッっと顔が火照る。
え?え?え?
つまり今日の竜児のアレは告白ってこと?
どどどどどどどどどどどどどどどうしよう?
いや、おおおおおおおおおおおおおおちつこう。
そそそそそそそそそそそそうよ、まずは考えるのよ逢坂大河。
万が一にもここをドジるわけにはいかないわ。
大体今日の竜児、わりと冷静だったじゃない。
そうよ、私に隙だらけなんて言って……ん?
隙だらけ。
すきだらけ。
好きだらけ。
好きなところだらけ。
…………なんてこと!?
どうして私気が付かなかったの!?
またやらかしちゃったわ。
今すぐ竜児に会いに行かなくちゃ!!


***


「これで良し」
日課の部屋掃除を終え、時計を見る。
「もう結構遅いな。風呂入って寝るか……おぅ?」
机の隣にある本棚。
その一番下の段にダンボールがある。
あるのはいいのだが……。
「埃が落ちている……許せん!!」
綺麗に、舐め取るように、拭き取ってやろう。
そう思って手を伸ばし、とあるノートに手が触れる。
「あ……これ」
懐かしい、というほど時が経つわけではないが、少し前、なんとはなしに書いてみた詩を集めたノート。
それも櫛枝への。
急に恥ずかしさが胸を襲う。
なんてものを書いたんだ俺は。
ペラペラとページをめくり、しかしこのノートにはまだまだ空きがある事に気付く。
MOTTAINAI精神を持つ竜児としてはこれは見過ごせない。
かといってこれを普段使う気にもなれない。
「久しぶりに何か書いてみるか……」
机に整頓されたペン刺しからシャープペンを一本を抜き取りノートに向かう。
何というか……照れる。
書こうにも、思いつかない。
そもそも、俺は何を書こうとしてるんだ?
『竜児は私のだぁーーっ』
ふと、今日の出来事が頭をよぎる。
俺はすでに櫛枝が好きなわけではない。
あれは、俺と話してくれる櫛枝への憧憬。
でも、大河が好きかと聞かれると……どうなんだろう?
確かにあいつは大事だしほっとけない。
でも好きかどうかは……。
そんなことを考えていたせいか、ノートにはいつの間にか文が形成されていた。
『ああ大河、大河よ大河、ああ大河』
「何だこれ……?」
俺は何を書くつもりだったのやらの気でありますか。
「……風呂入ろう」
そうしてすぐに風呂に入ることにした。
しかし、この時竜児は気付かない。
知る由も無い。
自分がかつてこのノートを書く時、今日ほどスムーズかつ思いのままに文を書いたことが無いことに。
そして、もう一つ。
バン!!
「竜児!!」
珍客?が来ることに。


***


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