***


「脊椎が損傷しています」
最初、言われたことがわからなかった。
足からは力が抜け、立っていられなくなりそうになる。
え?脊椎?何で?っていうかそれ大丈夫なの?
「……じゃあ竜児はもう……」
歩けないの?
「?…勘違いされているようですが、脊椎と脊髄は違います。今回、脊椎の損傷は見られましたが脊髄への損傷奇跡的に見られていません」
一瞬だけホッとし、
「恐らく、原因は春頃に強く背中を打ち付けたのだと思われます。状態の進行から見て、今までに多少の痛みを感じることはあったでしょう。しかし実際に損傷したのはそれぐらい前のようです」
崩れ落ちた。
嫌な予感はしていたのだ。
何の前触れもなく倒れた竜児を見て、胸が騒ぎ、何故か自分のせいだと思ったのだ。
春頃、背中に受けた強い衝撃。
これには覚えがある。
階段。
そう階段とクッキー。
自分のドジさを通り越して巡り合わせの悪さに嫌気がさす。
きっとアレだ。
私のせいだ。
足を踏み外して、階段から落ちた私を竜児は身を挺して庇ってくれた。
痛そうだったけど、その後平気そうにしてたからもう大丈夫なんだと思っていた。
なんて甘かったんだろう。
医者が竜児の容態を話していくが、すでに頭には入っていかない。
「100%損傷していないか、と言われるとお答えできません。現状の検査では発見されなかっただけで、これから日常生活をする上で発見出来なかった損傷がある場合もあります」
だというのに、嫌なことだけは聞こえてくる。
「現状では手術は行いませんが、もし悪化すれば手術が必要になります。とにかく今は無理をさせないで下さい。本人にはすでに説明してあります」
医者が頭を下げていなくなる。
「大河ちゃん……竜ちゃんに会いに行こう?」
医者の説明を聞いている時は一言も話さなかったやっちゃんが私を促してくれる。
でも、私はどんな顔してアイツに会えばいいんだろう?
きっと竜児は私を恨んで……ううん、竜児は恐らく私を恨まない。
だからこそ、私はどんな顔で竜児に会えばいいのかわからない。


***


結局、私は何も思いつかぬままやっちゃんに連れられて竜児の病室まで来てしまった。
部屋の前には「高須竜児」の文字があり、いやがおうにも竜児の現状を知らしめる。
ごくりと唾を飲み込み、踏み込んだ病室で竜児はベッドに横になって……いなかった。
「ん?……おぅ大河と泰子」
振り向く竜児は中腰になって窓枠に高須棒を突っ込み……ってオイ!!
「何やってんのよ!?」
声を荒げる。
アンタは今、腰や背中に負担かけちゃいけないんだから!!
「何って……見ての通り掃除だよ。いやぁ病院のくせに窓の桟は手を抜いてるようでよぉ」
「このバカ!!いいから横になっていなさい!!」
あわてて竜児を布団に押し込む。
「おぅ!?いや、でもな大河……」
「うるさい!!アンタもっと自分を大事にしなさいよ!!」
「……おぅ、すまん。でももうだいじょ「大丈夫なわけないでしょ」うぶ……大河……」
私は横になった竜児の隣に座り込んだ。
「大丈夫なわけ……ないじゃない……背中、痛いんでしょ?気を失うほど痛かったんでしょ!?今までも痛い時あったんでしょ!?」
「だ、大丈夫だって!!気にすんな、思ったよりも平気だ」
「そんなわけないじゃない!!」
ここが病院だということも忘れて大声を上げる。
「……大河ちゃん、竜ちゃん病院では静かに、ね?」
まるで小さな子供をあやすように、事実やっちゃんからは私達は子供に見えるのだろうが、メッという擬音つきで諫められる。
「……すまん大河、泰子」
「……私こそ」
やっちゃんのおかげで頭に上った血が冷めた、と同時に自分がやらねばならないことを自覚した。
「竜児、何かあったら言って。私が何でもするから」
「おいおい、今まで家事もまともやったことないんだろ?無理すんなよ」
「いいから」
私は手始めに高須棒を奪い取り、先程竜児が格闘していた汚れに取り掛かる。
「お、おい……」
私のせいで竜児はこうなった。
だから私が出来る限りのことをしなければ。


***


大河が急に俺の身の回りのことをやりだした。
俺はしばらく入退院を繰り返すそうだ。
その世話もやると勝手でた。
最初は断っていたんだが、大河はわりと俺を監視していて、俺が背になにか負担がかかるようなことをしようとすると鬼のような形相になる。
その為、自分が動くのを半ば諦めざるを得なくなっていた。
さらに、最初は洗濯や掃除がお粗末な大河が、ここ最近メキメキとそれらの腕を上げてきた。
「私が、あんたを世話するから」
そう言って憚らず、俺の傍に常に居てくれた。
嬉しい反面、申し訳ない。
まだ、赤の他人の大河にそこまでしてもらうなんて。
まだ?
そうだ、俺は文化祭以降大河にあの時感じた想いを打ち明けていない。
俺は、大河が大切なんだと。
ずっと傍に居てほしい、好きな人だと。
今こそ、伝えるべきではなかろうか。
まだ、俺は大河の世話になりっぱなしだ。
だけど治ったら大河にいろいろ我が侭を言わせてやりたい。
俺は、お前が好きだと、お前を一人にしたくないと、お前の我が侭を聞いてやりたいと、そう伝えたい。
気付けば、もうじきクリスマスだった。


***


「ちょっとチビ虎、アンタ大丈夫なの?」
ばかちーが珍しく心配そうな顔で尋ねてきた。
「え、何が?」
「何が、じゃないわよ。目の下の隈酷くなってきてるし。最近寝てないんじゃないの?」
「……ま、ね。掃除の本と、料理の本と介護の本を読んでるから」
私は、竜児に満足してもらうため、寝る間を惜しんで勉強していた。
最近竜児は驚いたように、
『お前もやればできるんだな、感心したぞ』
などと言ってくれるようになった。
勝手に妻のような心境になっているのは秘密だが。
「……アンタ、体壊すよ?」
「……ヘーキ」
ばかちーは最近こうやって私の心配をしてくれるようになってきた。
性格が悪いのはいつもだけど、根はいい奴なんだと気付かされる。
「じゃあ、これから竜児んとこ行くから」
「また?毎日通ってんでしょ?一日くらい休んだら?高須君だって……」
「ダメ。それだけはダメ。これは私が自分で決めた償いだから。竜児はきっと私を心配して、来なくてもいいって言う。でもそれじゃあ意味が無いの」
そうしたら、また竜児は私のために無理をする。
もう、竜児に無理をさせちゃいけない。
「アンタ……」
「じゃ、もう行くね」
私は、ばかちーがまだ何か言いたそうな顔してるのを無視して教室を出ようと歩きだし、
「あっ!?」
足がもつれて転……ばなかった。
「大河大丈夫?」
「……みのりん、ありがとう」
支えてくれたみのりんにお礼を言う。
「ほら、アンタ限界だよ!!少し休んでいきな!!」
「だい、じょう……ぶ」
だから、はやく、りゅうじの、とこに、いかなきゃ……。
バタリ……。
「大河!?」
ああ、みのりんの声が遠く聞こえる。
視界は真っ暗。
早く竜児のところにいかないといけないのに。


***


「これ、大河は喜ぶだろうか」
俺はナースステーションに外出許可を貰って町へ出ていた。
ちょっとした散歩なら問題ないと言われているが、大河は俺が出歩くのを良しとしない為、早く戻らなければならない。
手には小さな箱。
明日はクリスマスとあって町もクリスマスモード。
大河には内緒の外出で、プレゼントを買って来た。
クリスマスは残念ながら病院で過ごすことになるが、大河にプレゼントはあげたい。
それに大河のことだからクリスマス中も病院で俺の傍にいるかもしれない。
あ、でも高校で大々的にクリスマスパーティやるんだけっけ。
大河はそっちに出るのかな?とか考えていると、
「高須君!?」
声をかけられた。



「……川嶋?」
それは川嶋だった。
「何してるの?こんなトコで」
やや語調がキツイ。
まぁ当然か。
入院してて学校も休みがちになった俺が町を歩いていたんだ。
気になるだろうし、怒りもするだろう。
「ああ、看護婦さんに許可をもらって買い物に来てたんだ」
さっと後ろにプレゼントの小箱を隠すが、流石は川嶋。
「ふぅ〜ん、タイガーへのプレゼントかぁ〜、ねぇ亜美ちゃんのは〜?亜美ちゃんルビーの指輪でいいよぉ?」
「んなもん買えるか!!」
あっという間に見つかりからかわれる。
「しかし、川嶋がいるってことはいよいよ早く戻らねぇとな。大河がきちまう」
「あ、それなんだけど……高須君」
「おぅ、何だ?」
「まだ背中悪いの?」
「おぅ、良くはなってきてるらしい。けど、まだ運動は控えろって言われてる。検査もろもろで入院も多い。ったく学校くらい毎日行かせてくれてもいいのにな」
「……そう」
「どうした?」
「単刀直入に聞くけど……タイガーと高須君、付き合ってるの?」
「おおぅ……イキナリだな」
「答えて」
川嶋の目は、やたらと真剣だった。
だから、真剣に答える。
「……まだ、付き合っては、いねぇよ」
「まだ、ってことはその気アリってことよね……はぁ」
溜息を吐かれた。何だって言うんだ一体。
「な、なんだよ」
「高須君、ハッキリ言っとくけど、止めといた方がいいんじゃない?」
ズキッと胸が痛む。嫌な予感がする。
「な、何が」
聞くな聞くな聞くな俺。
「タイガーと付き合うの」
聞くな聞くな聞くな俺。
「……何で」
聞いちゃったら、きっともう戻れない。
「あの子、今日放課後倒れたよ」
「!?」
「たぶんすぐに目を覚ますだろうけど。睡眠不足だって」
「あのバカ……あれほどちゃんと寝ろって昨日も言ったのに……!!」
握りこぶしを作る。鼓動が激しくなる。
「バカは高須君でしょ」
「なっ!?」
「タイガーは高須君のためにやってるんでしょ。本当にタイガーが大事なら……いっそ突き放したほうがいいんじゃないの?」
「突き放すって……」
「高須君、キツイ事言うと、そんな怪我持ちでタイガーを幸せに出来るの?って言ってるのよ」
また、語調がきつくなる。
「お、俺は……」
「現にタイガーは今日倒れた。軽いものだけど高校生が睡眠不足でだよ?ありえなくはないけどあのタイガーがだよ?」
俺は……。
「タイガーを想うなら、タイガーを突き放したほうが、幸せかもよ。それとも高須君の介護でタイガーの高校生活や人生を棒に振らせる気?」
川嶋は俺からの返答は待たず、短いスカートを揺らして背を向けた。
「……早く帰んないとタイガー病室来ちゃうよ。もう戻ったら?」
それだけ言って、川嶋は歩き出してしまった。


***


大河が来る前に病室に戻ってこれたのは僥倖だった。考える時間を取れたから。
ようやく来た大河には、
「今日は遅かったな」
と尋ねたが、
「ちょっと買い物して家に寄ってきたから」
と答えをはぐらかされた。
嘘つくな、と心の中で思う。
だったらなんで制服なんだ、と。
「ちゃんと寝ろよ?また隈が深くなってるぞ?」
「そお?寝てるわよ。見間違いじゃないの?」
だから、嘘はつくなよ。
「そうそう、明日はクリスマスイブだし一日中こっちにいるから」
「あ……」
つい、声を漏らす。
「何よ?文句あるっての?」
強気は健在だが、それも俺を心配してこそのものだ。
「……学校で大きいパーティがあるんだろ?行って来いよ」
「?……どうしたの?」
不思議そうに大河は首を傾げる。
それが、俺の胸を熱くし、同時に締め付けた。
「お前最近俺につきっきりだったろ?遊んで来いって」
「……別にいいわよ」
「いやせっかくだしよ。羽根を伸ばせって。俺はもう大丈夫だからさ」
「……なんか変。竜児何かあった?」
ぎくり、とする。
でも、悟られてはいけない。
「何もねぇよ」
「嘘、何かあったんだ。もしかして検査の結果悪かったとか?」
「そんなんじゃねぇ、ただ、お前には迷惑かけちゃったからと思って……」
「……迷惑なんかじゃない。もともと、私のせいだし……」
「お前……」
そんなふうに思っていたのか。だが、これで決心は固まった。
大河はハッとして、今のは失言とばかりに、手を振る。
「言葉の綾よ、言葉の綾。とにかく、明日は来るから」
「いいって。明日はパーティ行け」
「アンタもしつこいわね」
「大河、これ」
俺は買って来たプレゼントを渡す。
「何コレ?」
「クリスマスプレゼントだ。気に入るかわかんねぇけど。それつけてパーティ、行って来いよ」
包装された小箱には、髪飾りが入っていた。
「アンタ今日外出したの?なんで?」
大河は喜びよりも怒りと驚きが混じっているようだった。
頼むから、もう納得してくれ。でないと俺は……。
「いいから!!とにかく明日は来なくていい!!ほら、今日もさっさと帰って早く寝ろ!!」
「ちょっ!?竜児!?私まだ……」
久しぶりに強引に大河を病室から押し出す。
しばらくどんどんと扉を叩いていたが、やがて諦めたように大河は帰った。
窓から大河が病院を出て行くのを確認する。
「……大河」
自然と、零れた。
濡れていく布団。
溢れ、とどまることを知らない本流。
自分では、一緒にいられない現実。
「大河……大河……」
湿った布団を掴み、尚名を囁く。
俺は、お前の傍にいちゃいけない。
それが、嫌なんだとわかって、溢れてくる……涙。
「大河ぁ……」
その晩、生まれて初めて、なさけなく、みっともなく、目から溢れる液体を流し続けた。





***


「逢坂じゃないか、あけましておめでとう」
「あ、北村君……」
私は神社で、クラスメイトの北村君に声をかけられた。
「いやぁ、クリスマスは盛り上がったなぁ、今日は初詣か?ん?高須は一緒じゃないのか?」
北村君は意外そうに尋ねる。
「あ……」
私は、昨年の、そして現状のことを思い返して胸が苦しくなった。
「どうしたんだ?」
「ねぇ、北村君……私、竜児に嫌われたかもしれない……」
そう、去年の暮れからずっと思っていたことだった。
きっかけはクリスマス。
竜児が強くしつこく言うものだから結局私はクリスマスパーティーに出た。
みんな楽しそうで、つられて私も笑顔になったけど、心は冷めていた。
何でこんなにつまらないんだろう?何故か、今心の底から笑っている奴が憎い、とまで思いそうになった。
恐らく、竜児をさしおいて楽しんでる奴らが、自分も含めて嫌だったんだ。
次の日、竜児の病室に行ったら、竜児は勝手に退院していた。
私が怒ったように竜児の家に行ったら、竜児は、
「いや、入院は金がかかるし、体もなまるしな」
なんて言って家事をこなしていた。
「そんな腰や背中に負担がかかることしたらまたひどくなるじゃない!!」
って怒ったら、
「でも俺がやらないとやる奴がいないし」
そんな……そんなことを言われた。
「私が……」
やるから、とは言わせてもらえなかった。
「他人にウチの掃除をさせるのは違うと思うんだ。それに世の中には助けてくれる人もいないで頑張ってる人もいる。俺もがんばらないと」
他人。
その言葉が冷たく、ずっと胸に響いて頭に残った。
それから、竜児は以前のように家事をするようになった。
さらに、
「悪いが俺はこんな状況だ。あんまりお前の家に行ってやれないし、飯も作ってやれないかもしれない」
と、壁をおかれるような事を言われた。
家事をする、してもらうという接点がなくなると、途端に私と竜児の接点は激減する。
ましてや今は冬休み。
用事も無いのに家に行くのも憚られてしまって、会うに会えない。
どうも、竜児は私を意図して避けているようだった。
「私……何か竜児に嫌われるような事、したかな……?」
震える声で尋ねる。
もう、私はどうしていいかわからない。
「逢坂」
しかし、北村君は低く真面目な声で、
「高須は薄情者だと思うか?」
「!!そんなわけない!!」
何を言ってるの!?竜児がそんなわけないじゃない!!
私は、いくら竜児の親友だろうとそんなことを口にした北村君を睨みつけ、
「良かった、俺もそう思う。俺より高須の事に詳しい逢坂がそう言うんだ。間違いなく高須は薄情者なんかじゃない」
ポカン、としてしまった。
「高須は、あの目つきのせいで何でも自分の中に抱え込む悪い癖がある。だから、できれば逢坂が支えてやってくれないか。……高須を信じてやってくれ」
オマケに助言とエールを送られる始末。
竜児の親友は、やはり伊達ではなかった。
「……うん、ありがとう」
私の人生で、素直に言えた経験が数少ない心からのお礼を述べた。


***


「りゅうちゃぁん!!」
家を出ようとして呼び止められた。
「忘れ物だよぉ、ほらぁ、折角やっちゃん判子押したのにぃ」
そう言って出てきた泰子……オイ!!
「なんて格好してんだ泰子!!」
泰子は下着に俺のジャージを羽織っただけの、およそ外に出るには相応しくない……いや、たとえ室内だろうと相応しくなど無い格好だった。
「そんなこといいからぁ、ほら修学旅行の確認印」
「あ、ああ。でも入院費とか嵩んだし、やっぱ修学旅行はキャンセルして少しでも返してもらったほうが……」
「ダーメ!!せっかく積み立てたんだからね?りゅうちゃんはお勉強がんばって最高に楽しい学校生活を送るの!!」
……いつもこれだ。
俺は、それならせめてバイトくらいさせて欲しいのに。
「……いってきます」


***


がぜん修学旅行モードに突入したクラスは、盛りあがっていた。
が、修学旅行が急に沖縄五泊六日から二泊三日のスキーに変更になり、落胆の色が濃くなった。
……どうせなら中止になってお金が戻って来たほうがウチ的には良かった、という考えは暗いだろうか。
いけない、まだ今朝のことを引きずってるな。
「さて、班割りだが、これでいいかな」
北村が、それでもなんとか場を取りまとめ班割を……ちょっと待て。
「ちょ、ちょっとおかしくないかこの班割」
一応声に出してみる。
「?木原と亜美と香椎、逢坂と櫛枝、お前と能登、春田と俺、男女混合で九人。ウチのクラスは女子が多いし丁度の割り振りだと思うが……」
「いや、だけど……」
なんでよりによって大河と一緒の班なんだ。
「どうしても嫌だというなら何処か別の班に入れるが……」
「あ、いや、いいよ。構わない。変なことを言って悪かったな」
ずっと、射抜くような視線が俺の背に突き刺さる。
恐らく……大河。
少し、あからさま過ぎたかもしれない。
たまには、晩飯にでも誘っておこうか。


***


竜児。
一体どうしったっていうの?
竜児が私を避けてるのは間違いない。
私が何か、嫌われるようなことをした?
胸が痛いよ竜児。
どうして、傍にいさせてくれないの?
私、せっかく竜児のために料理の練習もして上手くなったのに。
さっきの、絶対班が私と一緒になったから出た言葉だ。
夏休み前みたいに、どうして接してくれないんだろう?
全てはクリスマスの前日からおかしくなった。
竜児が急に私を避けだした。
今日は、少し問い詰めてみよう。
そう思って、勇気を出し、力強く、
「ねぇ竜児!!」
声をかけたら、意外な返事が返って来た。
「おぅ大河、たまにはウチで飯でも食ってくか?」
「なん……え?…………今……食べてくか?…………うん……うん!!食べてく!!」
竜児が、久しぶりに誘ってくれた。
本当に、久しぶりだ。
あ、なんだったら私の腕の成果を見せてもいい。
「あ……!!すまん、大河。やっぱ無理だ。今日病院だった。そのあと泰子の用事があるんだ。悪い、また今度な」
竜児が急に思い出したかのように小走りでいなくなる。
一人ポツンと残され、感じるのは……寂寥感。
そんなのってないよ、竜児。


***


失敗した。
あんなに喜ぶとは思わなかった。
つい、自分の中の枷が外れそうになった。
だから、とっさに思いついた言い訳で逃げた。
俺は最低だ。
本当に最低だ。
最低……だ。


***


夜、たった一人の部屋でまた料理を作る。
竜児が入院してる時はまだ楽しかった。
竜児に作っていって、批評してもらって、
「上手いじゃないか」
とか、
「腕が上がってきたな」
とか言ってもらうのが嬉しくて、料理が楽しいと思い始めた。
毎日でも、作っていいと思ってた。
でも、いざ食べてもらう相手がいないと……竜児がいないと途端にやる気がなくなる。
竜児がよく料理を楽しそうに作っているのを不思議に感じていたが、ようやくわかった。
食べてくれる人がいるから、料理は楽しいのだ。
一人だと、あまり楽しくない。
竜児に、食べて欲しい……そうだ!!たしか……。
私は修学旅行のしおりを探す。
初日のお昼を確認。
『弁当は持参』
これだ、これしかない。
竜児がなかなか会ってくれないなら、食べてくれないなら、無理矢理にでも食べてもらおう。


***


修学旅行は、始まってしまった。
結局俺は修学旅行に来るハメになった。
できれば来ない方法、と策をはりめぐらせたが、結局泰子に行けといわれて断れなかった。
まぁ単位も入院のせいであんまり余裕ないし、しょがないといえばしょうがない。
「さてみなさん、お昼は各自持参したお弁当を食べてくださいね」
先生がマイクで車中にいるみんなに話す。
今、俺達はバスで雪山に向かっていた。
俺はリュックから弁当箱を取り出し……白く小さな手に奪われた。
「は……?」
「ふっふーん、竜児、貴方のお弁当はこの私、逢坂大河様がいただいたわ!!」
一体何の真似だ?ってオイ!?
「ふぁぐふぁぐふぁぐ!!」
「あ、あ、ああああ!?……信っじられねぇ……」
コイツ、本当に俺の弁当全部食っちまいやがった。
せっかく最近距離を取るのにも慣れてきたっていうのに何を考えてんだコイツ。
「ぷはっ!!あーおいしかった!!やっぱアンタの料理は美味しいわね、ホント……本当に、美味しい」
大河?な、泣いてるのか?
大河が俯いてしまった。
今、少し見えた瞳の輝きは、確かに涙ではなかったか。
「これほど美味しくはないけど、私のお弁当、竜児にあげる」
さっと顔を伏せたまま、大河は俺にお弁当箱を渡してくる。
懐かしい、俺が前に大河のために用意した猫の弁当箱。
流石に昼なしはキツイし、大河の、その絶対に食べてという強い力を持った瞳がいつの間にか俺を見ていて、やむなく弁当箱を開ける。
瞬間、俺は体を震わせた。
大河は、信じられないほど、料理が上手くなっていたのだ。
どれを食べても美味しいと感じる。この少しこげたシャケや、恐らく塩と砂糖を間違えた炒め物も美味しく感じる。
大河の弁当が、どれもこれも泣きそうなほど、美味しく感じるのだ。


***


不覚にも、大河の料理に感動してしまった俺は大河の接近に気付かなかった。
大河がニコニコ顔で、俺のすぐそばで笑ってるのだ。
「ど?ど?ど?」
「……悪くはねぇよ」
意地を、張ってみる。
しゅん、とする大河。
笑顔が曇っていく。
「でも、お前信じらんねぇくらい料理できるようになったな」
ぱぁっと大河が笑う。
「あ……」
俺は何をやっているんだ。
このままじゃいけない。
だというのに、久しぶりに大河の笑顔を見たことに、胸がときめいている。
そうだ、大河の笑顔は久しぶりなんだ。


***


スキー場に着いて、みんなスキーウェアに着替える。
何か……ダサい。
俺は大事を取って、みんなについては行くが滑らない事にした。
だというのに、
「なんでお前は俺の傍にそんなにいるんだよ」
「いいじゃない別に」
大河は俺からがんとして離れようとしなかった。
良くないんだよ、大河。
「だいたい、お前は健康なんだからスキー……って何でソリなんだ?」
「あんな長い板履いて雪の上滑るなんてつまんないし、ここ雪だから竜児が転んだ時に誰かいたほうがいいでしょ?」
つまり、やっぱり俺を心配してってことか。
それじゃあダメなんだ大河。
俺に付き合って、お前の時間が無為になるのは、俺が耐えられないんだよ。
「何だよ。俺は気にせず滑ってこいよ」
「イ・ヤ」
思ったよりも強情になってきた。
こんな大河はいつ以来だろう。
そして、こんなふうに大河と会話して楽しいと思うのもいつ以来だろう。
本当はいけないことなのに。
と、そんなことを思ってると、
「だからぁ!!何でお前がしゃしゃってくんだよ!!どうしてアタシの邪魔すんの?マジウザイ!!」
そんな喧騒がリフトから聞こえてきた。


***


「木原こそ身勝手してんじゃんか!!」
能登とかいう眼鏡が木原麻耶と喧嘩してる。
デカ乳、もとい香椎奈々子はどうしたもんかと頬に手をあて悩んでいるようだ。どうやら眼鏡と木原麻耶がリフトの席の事で喧嘩しているようだった。
全く、修学旅行に来てまで喧嘩なんてなっちゃいないわね。
やれやれ、とか思ってるとよせばいいのに竜児が入っていく。
「お、落ち着けって。何かよくわからんけど喧嘩はよくない。言葉遣いもよくない、な?落ち着こう」
「あ、高須……」
どうやら眼鏡は落ち着いたようだが、
「ふんっ!!まるお行こっ!!」
木原麻耶はそのまま我を通そうとしてるらしい。
なるほど、ようするに木原麻耶は北村君といたくて、眼鏡はそれが面白くない、と。
わかりやすい方程式だこと。
「お、おい木原も落ち着けって」
竜児がとりなすが、
「高須君には関係ないから!!」
木原麻耶がぷいっとそっぽを向いてしまう。
「そんな言い方ないだろ!!」
眼鏡が竜児に対しての木原麻耶の言い方に怒り出す。
うんうん、そうだ、竜児に対してそれは無い。でも、媚売るような真似されたらそれはそれで許せないけど。
「うるさい!!」
木原麻耶と眼鏡が取っ組みあいのようになって……。
「おぅっ!?」
竜児が押されて尻餅をついた。
背中を少し押さえて。
竜児が尻餅をついた。
背中を押さえて。
竜児が尻餅をついた。
竜児が尻餅をついた。
竜児が尻餅をついた。
竜児が尻餅をつかされた。
──────ブチィッ!!
どこかで何かが切れる音がした。私は取っ組みあってる二人の中心に割って入る。
「な、なに……よ?」
「な、なんだ?」
瞬間、眼鏡には渾身の蹴りを。
木原麻耶には張り手をお見舞いする。
「あんたら、なにやったかわかってんの?」
「な……?」
絶句したように木原麻耶が私を睨みつける。
「あんたらがしたのは喧嘩とか、修学旅行の空気を悪くしたとか、そんなバクテリアよりも小さい問題じゃないのよ」
私は怒り心頭で続ける。
「問題は、竜児に尻餅をつかせた、それだけよ、わかってんの?…………わかってんのかって聞いてんのよぉっ!!」
私は木原麻耶の首を掴み、木原麻耶は怯えたように暴れだす。
いつの間にか私は誰かに体を押さえつけられて、木原麻耶も誰かが押さえつけてて、あれ?音が聞こえないや、みんな固まって、それぞれがだれかを押さえつけてるし。
……ピィン。
音の無い世界に、それだけが音がとして耳に届いた。
視界に映るのは、クリスマスに竜児からもらった……髪飾りが……宙を舞う姿。
「───────っ」
言葉にならない。夢中で追いかける。いつの間にか、拘束は解かれていた。


***


先生が来て、北村が必死に二人を抑えて、ようやくと騒ぎは収まった。
しかし、同時に雪がちらつき始め、一旦ホテルへと戻ることになった。だというのに、
「あれ、大河?」
大河の姿を確認することが出来なかった。


***


「今スキー場の係りの人が総出で探してくれている。それでも見つからなければ警察に……」
北村君がみんなに現状を説明してる。
「凄い吹雪……」
ぼそっと呟く。
大河が行方不明になってすぐ猛吹雪になった。
私達はすぐに戻ってきたけど、大河は見つかっていない。
だから、私は……。
「櫛枝、お前その格好……!!」
北村君がウェアを着込んだ私に気付く。
「だって、じっとしてられないよ!!大河が外にいるんだよ!?」
「アホか!!そうやって出て行って二次遭難、お前自身が遭難するのが最も危険なんだぞ!!」
「でも!!」
「ああもう!!高須、お前からも何か言ってやってくれ!!」
「……高須君いないよ?」
「……え?」
北村君は周りを見渡す。
「……高須?」
北村君がしばし不思議そうな顔をし、すぐに怒ったような顔になる。
「あいつまさか……!!」


***


ザクッザクッザクッ。
雪を踏み鳴らす音。
「……ぁ……はぁ……」
自分のものではない吐息。
吹雪に混じって聞こえるのはそれくらいだ。
ああ、ちくしょう、まったく心配かけさせやがって。
こいつはいっつもそうだ。そう思いながら、俺は背中に背負った小さい虎を見る。
額を擦りむいてるが、さほど大きな外傷は見受けられない。
まったく、少しは一人でいろいろできるようになったと思えばこれだ。
いっつもドジ踏んで、心配かけさせて……思えば、コイツのドジはクッキーからか。
汗を拭って、大河をよっと背負いなおし、
───ピキッ───
背中に痛みと、骨の軋む音がする。
……聞こえなかった事にしよう。
まぁ俺も悪いのだ。何が最近距離を取るのに慣れた、だ。
全く慣れてはいないではないか。
───ピキッ───
大河が傍にいると嬉しくなって、満たされて。
───ピキッ───
だから、痛みなんかこれっぽちも感じない。
───ピキッ───
骨の軋む音なんてこれっぽちも聞こえない。
───ピキッ───
大河はやっぱり俺がフォローしてやらねぇと。
ガクン、と膝が雪の上に落ちる。あれ?やべ、何か力、入んねぇや。
でも、大河を早いトコ連れていかねぇと。寒そうだしな。
おおぅ?遠くに光が見える。なら……まぁいい、か……。


***


「とにかく、私は大河を探しにいくから!!」
私はむりやり外に出る。
「おい櫛枝!!」
北村君が追うようにして出てきたが、私は既に立ち止まっていた。高須君が大河を背負って、こちらに歩いていたからだ。
「たか……!?」
だが、高須君はこちらに気付いた途端に、崩れ落ちた。
「高須!!」
北村君が飛び出す。そこには、酷い汗を流している高須君と、寒さで丸まっている大河が横たわっていた。


--> Next...




作品一覧ページに戻る   TOPにもどる
inserted by FC2 system