「た、高須君!」
「は?」
振り向きざまに見開かれた三白眼。放たれるは爛々とした青白い眼光。眼元をなぞるクマは影をつくり凶悪な眼つきをより際立たせる。
口を半開きにし、その瞳孔はまっすぐと大河を見つめる。
ついにこの名を呼び寄ったか小娘め、この名を呼んだが最後地獄王の勅使がこの地に真の姿となって召喚され、人間どもの醜い感情を片端から喰らい、
貴様の目の前には赤黒い血の湖が広がることになろう――などとはまさか思ってもいない。ただ少し驚いてしまっただけだ。

冷静な思考を取り戻すまで1秒。あまりにもそっけなく返事してしまった。
付き合い始めて三ヶ月がそろそろ立とうかという4月の終わり。
高須竜児の彼女(と呼ぶにはまだ少し恥ずかしさが残る)、この世で最も放っておけない大切な人(なぜかこっちの方がすんなり出そうだ)、
逢坂大河の突然の、どこか違和感のある呼びかけに。少し、驚いてしまっただけだ。
目の前の大河と言えば、竜児と目の会わせたくないのか前髪を深くたらして俯き気味に、指定席の座布団の上にちょこんと乗っかっている。
わざわざ正座するほどのことなのか。とりあえずは竜児の返事を待っているのだろう、時折紅潮した頬をバツの悪そうに持ち上げ、そしてまたすぐに視線を落とす。
「ど、どうした大河。・・・高須くん、て」
「あのね、」
「・・・おう?」
返事をしながら、竜児の頭をよぎるのは去年の初夏。予想される展開はいくつかある。中でも有力は―
竜児にとっては些細に思えることを、一人悶々と悩み続けた結果143.6cmの小さな体に抱えきれなくなり、バツの悪そうに竜児に助けを求める。
―これだ。
もちろんそんなサイズまでに膨れた悩み事は、大河にとっては人生の一大事だ。それは同時に竜児の人生の一大事へと昇華される。
昔から、それこそ出会ったときから、大河の一大事は竜児の一大事となる。

「私たち、け、結婚するじゃない?」
「・・・おう」
いきなりどんだけ恥ずかしいことぬかし始めやがる、なんて言えたものではない。今の台詞が大河にとっても相当恥ずかしかったのは簡単に見てとれる。
短い返事をしながら、顔にみるみる血潮が登っていくのを竜児は感じていた。あのバレンタインの言葉は、大川の地獄のような冷たさと暗さの中から叫ぶように絞り出した言葉は、
まっすぐに届いていたのだ。あの夜大橋の欄干につかまりながら、舞い散る白雪と淡い電灯に照らされて、しかし竜児よりも厳しい冷たさと暗さを感じていた大河に。
「・・・そしたら、ま、な、名前が変わるじゃない?私」
「・・・おう?」





話はどうやら予想していたよりも現実的な方向にかじ取りされつつあるようだ。名前、苗字?
頭に浮かべた疑問符を、はたして竜児は振り払うことができない。
「それって、ちょっと・・・。あ、あの、『高須』って苗字がイヤというわけじゃないんだけど・・・」
「・・・?つまり、どういうことだ?・・・すまん、全く話が見えん」
結婚は、嫌ではない、だろう。この様子からして。
特にあの言葉に対する返事をもらったわけはない。というかあの言葉はむしろ宣言のような意味合いの方が今は強くなっているかもしれないが、
まぁ特に否定されてもいないし、なにより祖父母には「大河は俺の嫁」宣言してしまっている。つまりは、大河の気まずい悩みはおそらくそこにあるのではないだろう。
でも、苗字が変わるのは嫌・・・、ということか?
確かに、あまり語呂はよくないかもしれない。高須大河。頭の中で大河の新しい名前を呟いてみて、そのとたん違和感を覚える。
だが結婚を躊躇するほどのものではないだろう。慣れてしまえば逆に逢坂大河の方が変に――
「逢坂大河っていう名前がね、」
頭の中の自分の声と、自分の耳が捉えた振動が重なった。妙な偶然に心臓がどくん、と打ちつけられた気がする。
「別にすごく好きってわけじゃないの。・・・もともと。」
逢坂大河。人の名前に平凡か奇異か、格好いいか格好悪いか、という感覚を持ち込んでよものならば、たぶんこの名前は珍しくて、なんだかかっこいい、の部類だろう。
しかしこの名前が、大河を少なからず苦しめたこともあっただろうと竜児は思う。
苗字はだってあの、あのクソ親父から受け継いだものだし(おそらくは身長といい加減でドジなところも受け継いだものだろう)、大河という名前は、
『手乗りタイガー』という大橋高校の全校生徒を聞いただけで震え上がらせる忌まわしい通り名の元ネタなのだろう。
すごく好きってわけじゃない、と言った大河の気持ちはよくわかる。そしてさらに「嫌いなの」と言わなかった大河の気持ちも。

俺だって自分の名前がすごく好きってわけじゃ――
「でもね、高須、大河、に・・・なっちゃうと、その・・・」
口を開きかけたところで、まだ大河の話が続きそうだと気づく。こういうときは一通り喋らせるべきだろう、とりあえずは聞き役に徹することにして、相槌を打つ。
しかし聞き役に徹しようと欹てた耳には、すぐに代打が送られることになりそうだ。
口を開く変わりに、大河はもぞもぞとポケットから携帯を取り出し、俯いたままフリップを開いて竜児につきつける。
「これ・・・なの。ねぇどうしよう竜児」
何事か、と覗き込んだ画面に踊るのは、
「・・・大凶・・・」
思わず呟いた言葉を、しかし繋げることはしなかった。なるほどな、と心の中で一言出して、どうしたものかと大河の顔を一瞥。
俯く大河のうなじから、もう一度携帯の画面に目を落とす。




総格(34)――大凶。
厭世家の数で社会との調和を嫌います。しかし人と違った視点には目を見張るものがあります。
この人の人生において起こる不幸は、自分が望んで引き起こすものだと理解してください。
元々破滅願望があり、自分の不幸に酔う事で存在価値を確かめるふしがあります。
晩年においても同じように破滅と隣り合わせに生きる覚悟が必要です。

つまりはまぁ、姓名判断だ。
ネットでできる無料姓名判断を見つけた大河が、お気軽に、思いつきで、興味本位で、間がさして、高須大河と打ち込んだのだ。
甘い未来に期待をはせる乙女心だったのだろう。妙な興奮を覚えながら出てきた見つめた画面が大河に突きつけたのは、最悪の診断結果。
―――高須っていう苗字と、大河っていう名前、相性悪いですよ。もんのすごく。

寝る前に一人で携帯をいじくっていた大河がこの宣告を受けたときの顔はどのようだっただろう。
きっとただでさえ色味の薄い真っ白の肌からは限界まで色素が抜けおち、そのあとはものすごい勢いで青ざめたことだろう。
もしかしたら泣いたかもしれない。だっていまこうして目の前に正座している大河は、今にも泣きだしそうな顔をしているのだから。
「ま、まあ、気にすることねえんじゃねえか。このくらいのこと。どうせ占いだろ――」
沈黙が事態をあまりも深刻にしてしまう前に、とりあえず何か言わなくては。
そう思いとっさに出したフォローが、あまりにも軽率だったかも知れない一言が、目の前に広がる地雷原を駆け抜ける様を、竜児は見た。
竜児の口を離れたその瞬間から、大河地雷原を、何の配慮も何の注意もなくまさに猪のように突撃猛進した一言は、どうやら大河の心に最後の一撃を、
渾身のタックルをお見舞いしたようだった。
「うぅ・・・」
顔を小さな手で覆う。
ああ、踏んだのが爆発型の地雷なら。せめて元気に激昂した姿でも見せてくれれば。
竜児の願いをよそに、踏んでしまったのはどうやらマイナス思考に目の前の虎の子をたたき落とすタイプの爆弾だったようだ。
「だって・・・大凶・・・大不幸・・・破滅・・・不安定・・・非現実・・・大凶・・・」
占いでは絶対に聞きたくないようなおどろおどろしい言葉が大河の口をついて飛び出してくる。
俯いた大河の顔は確認できないが、時折嗚咽まで漏らしながら大凶だの破滅だの人生の終わりだのいっそ死んだ方がいいだの、ものすごい勢いで沈み込んでいる。
これはもしや、かなり気にしているようだ。生半可な言葉では立ち直らないかもしれない。
「いや、大河、・・・ほらその、他のとこもしっかり見たのか?」
そうだ、いくら相性がよろしくないといえども、まさか終始こんな調子でもないだろう。そうだそうだ。
淡い期待を胸に、どうか良い結果であってくれとすがる思いも合わせて、画面を上にスクロールしていく。
「・・・おぅ」
思わず声がでた。




天格(22)――大凶
二面性があり迷いやすい人です。願望や目標を一点に集中させる努力を。

地格(12)――大凶
プライドが高い半面、自分を否下します。平凡を嫌いますが、自分に与えられたものを最大限に磨く努力を。
健康運
小さな事を自分で大きくしてしまう人です。健康を望む力が少ないのもこの人の問題かも。
恋愛運
男女共に相手に心の奥を見てほしいと願いながらそれを拒否しがち。ありのままの自分を出せる人を探して。

人格(15)――大吉
人望厚く、行動力もあり、大事業を達成でき、愛情にも恵まれた大吉数。
金運
あります。自分でコントロールする力もあるので、お金に困るという事は滅多と無い人かも。
仕事運
楽しんでできる仕事につくこと。自分の人格を認めてもらえる仕事ならより吉。運はいいです。
結婚運
楽しさだけを考えて相手を選ぶと、少し後悔するかも。貴方の暴走をしっかりひきとめてくれる人を選んで。

外格(19)――小吉
とても淋しがりで不安定、意志の弱さはありますが感受性、直感力を生かせば乗り越えられます。
対人関係・社交性
淋しがりやなので人の輪の中にいる事を好みます。心の奥をのぞかれるのを苦手とします。
社会運
不安定ですが感性を生かせる職種にいればそれなりの運を望めます。
環境運
夜型の人が多く、非現実的な環境が向いています。音楽はストレス解消に役立つでしょう。

「こ・・・これは・・・。なんていうか・・・」
気づけば大河は顔をあげていた。逸らした瞳にはこれでもかと涙を溜めこみ、自嘲の色を存分に漂わせながら一言。
――笑えるでしょ、と。
笑えねえ。はっきり言うが、これは笑えない。
大外れならよかったのに、と心の底から思っていた。全部の診断結果が大外れなら、なんだどうせ最後も外れてるさ、気にするなよ。
ほらプリンでも食べようぜ、あ、そういえばドラマの時間じゃねえか、テレビテレビ――。なんて言って多少強引にでもこの場を収められたかも知れない。
しかし――、しかしこの診断結果はどうだ。本当に読んでるそばから頭から血の気が引いて、総格の文字までスクロールしてくる頃には、こっちが倒れそうだった。

当たっているかも、なんてレベルじゃない。当たりまくっていた。的中していた。
二面性がある、悩みやすい、プライドが高い、健康意識が低い、心を見られるのが怖い、そのくせさびしがり屋で、お金には困らない、夜型で、不安定――。
もうやめてくれ、と叫びだしそうだった。姓名判断がここまで見事な切れ味で本人の精神をえぐり取るものだとは、知らなかった。
まさに、まさに本当に絵にかいたように、心のレントゲンで透かして見たように、高須家に入り浸り、竜児と一日の多くの時間をゆるりと消化していく、
『高須大河』のその姿が浮き彫りにされていた。





「これはまた、・・・すげえな」
ははは、と空笑いしてみせるが、それもすっかりどんよりと重くなった高須家に力なく霧散していく。
「恐ろしいほどに、当たってるのよ」
ようやく少し落ち着いたのか、それとも涙も乾ききってしまったのか、わりとはっきりとした声で、しかし自嘲の色は褪せないまま、大河は静かに呟いた。
「いや・・・、で、でもよ、ほら、感受性が高いとか仕事で成功できるとか、いいことも書いてあるじゃねえか!」
そこじゃないだろう、俺。言った傍からまたも後悔が押し寄せる。自分の口べたを呪いたくなる。
言うなら、そこじゃないだろう。
「・・・」
大河は荒んだ顔のまま竜児の苦しいフォローを完全にスルー。静かにその手から携帯を奪い返し、なにやらいじくりはじめる。
メールだろうか。ぼんやりと大河の揺れる前髪を眺めながら、重たくなった頭で今後の展開を予測してみる。
Toみのりん、ばかちー、北村君。私と竜児はもうだめみたい、画数的に考えて。
それはまずい、自分の考えに自分でショックを受けている竜児に、再び大河の携帯がつきだされる。
「さっきも言ったけどね、別に高須大河が嫌で、逢坂大河がいいってわけじゃ、ないのよ」
「・・・?・・・おう!」
おもむろに画面を見て、またしても声を上げてしまった


性:逢坂
名:大河

天格(21)――吉凶
大物、豪傑で人望あり、人の上に立つ統領運を持っているが、女性には強すぎる吉凶運

地格 (12)――大凶
プライドが高い半面、自分を否下します。平凡を嫌いますが、自分に与えられたものを最大限に磨く努力を。
健康運
小さな事を自分で大きくしてしまう人です。健康を望む力が少ないのもこの人の問題かも。
恋愛運
男女共に相手に心の奥を見てほしいと願いながらそれを拒否しがち。ありのままの自分を出せる人を探して。

人格(10)――大凶
内面的なエネルギーは旺盛で野心家ですが、タイミングがつかめずチャンスを逃します。結果の無気力や暴走には注意。
金運
収入に関係なく使うので、金運と言うよりもこの人自身の問題です。ただし、詐欺やうまい話しには要注意。
結婚運
安定を求める人とは会いません。別居離婚、通い婚など、変った形態でもやっていける人を選んだ方が吉。

外格(23)――吉凶
知謀、行動力ある発展運で名誉財産を築ける数。女性には強すぎるエネルギーを与える数です。キャリアウーマンには吉。
対人関係・社交性
とても華やかな世界と縁があり、自分を上手にアピールするので愛されます。プライドの高さだけは注意。
社会運
パワーを認められ引き立てられていく暗示ですが、味方を無視して走りがちな点には注意。
環境運
明るくにぎやか、華やかで高級感のある場所は貴方にパワーを与えてくれますが、同時にプレッシャーももたらします。上手に活用して吉。

総格(33)――吉凶
強い忍耐力と才能に恵まれ、名誉と繁栄を勝ち取れる強運数。女性には強すぎます。仕事だけに生きがち。結婚を望む人は心穏やかな人を選んで。
一生の全体運
非常に強運で戦国武将のような強さがあります。女性は男勝りで男性を軽視しがちになります。男性は女性が支配下にあると思いがちです。”力”を渇望しますが、本来の貴方の望む物ではありません。
晩年の運勢
晩年もとてもハリのある日々になると思いますが、本来の貴方とは”多くの幸福を自分の手で作る事”にあります。小さな世界に閉じこもらず、広い世界を目指して。





「だ、大凶と、吉凶しかねえぞ・・・」
吉凶とはつまり、良すぎてヤバいよ、ということだ。
「女性には強過ぎる画数」という文字のトリプルルッツをこの目で拝むことに相成ろうとは、竜児も思ってはいなかった。
つまりこれは、手乗りタイガーの運勢なのだろう。
大物、豪傑、野心家で、でも不器用で、暴走気味で、でもプライドは高めで、戦国武将で、力が欲しくて――。
その強過ぎるエネルギーで周りを圧倒し、人を寄せ付けず、一匹だけで生きていく。
そんなさびしげな虎の姿を、竜児は真っ先に思い浮かべていた。もしも実乃梨がいなかったら、この大凶と吉凶だけの姓名判断の色は、もっと強く出ていたかもしれない。
「もともとね、こういうので、いい結果なことないのよ」
だから実はそんなに落ち込んでるわけじゃないんだけどね、そんな気にしないし。と唇を突き出して、大河は虎のストラップでいじり始めていた。
「ねえなんか喉かわいちゃった。お茶、飲みたい」
言われるがままに、竜児は台所に向かう。廊下に出たところで、思わずため息がでてしまった。

変なところばっかり、川嶋に似てきやがったな。

大河が、占いであまりいい結果がでないタイプなことを、竜児は知っていた。
毎朝の占いも、大河は全く見ようとしていなかった。始まるときにはごにゃごにゃと理由をつけて、席を立つこともあった。
竜児は朝の情報番組の人気占いコーナーが天気予報の前に入っていたので、流れでよく見ていたのだが、大河がたまたまいる時に限って、
大河の星座は「ごめんなさ〜い、」とむやみに謝られていた。
そのたびに「こんなので一喜一憂するんて、ほんと頭の軽いやつらばっかり」などと悪態をついてはいたが、その実、大河も一喜一憂していたのだ。
だいたい、占いの結果なんて竜児のほうこそ気にしてはいない。
もしも自分の星座が1位で、自分の血液型が絶好調の日でも、テレビの女子アナにごめんなさいされて、A型は今日はよくない日、なんて言われても、
結局は廊下を歩けば道が開け、人にぶつかれば金を差し出され、トイレに入れば全員出て行き、提出物忘れを先生に伝えれば
「あ、ああああ明日、いや来週、ら、らいげ、あああ、来年でいいよ!!」などと言われてしまうのだ。
なんて生きやすい人生。いや、なんて申し訳ない人生。
つまるところ、この顔つきはどうにもならない。運勢が良くても悪くても、守護星座やらなんやら月の位置がどうたらこうたら、そんなものは関係ないのだ。
毎朝この顔で目が覚めるのだし、この目つきで一日を過ごし、終えるんだ。そこに占いなんて関係ない、そんなことを知っているから、竜児は占なんて見た傍から流してしまえばよかった。
ただ大河はちがう。
もはや逆らえないほどの大きな流れに抗うように生きて、抗いきれなくて、不器用で、うまくいかなくて、ドジで、結局どこかで占いを気にしていた。
こんなにうまくいかなくても、いやうまくいかないなら、せめて運が少しでもよくなれば、そんな考えでもあったのかもしれない。
事実、大河のブックマークに占いサイトが三つも四つも登録されていて、こっそり毎朝チェックしていることを竜児は知っていた。
そういう部分は、いっちょまえに女の子なのだ。木刀振り回すくせに、手乗りタイガーのくせに。
だがまさか、逆らえないほどの大きな流れの源流が、運命のように生まれたときからそこにあって、ずっとずっと反抗していた障害物の出所が、大河の名前そのものだとは思わなかったが。
いや、そう考えたら占いに執着してることになるんだろうか。





そんなわけで占いに大いに影響を受けていた大河は、高須大河になっても苦しいくらい報われないことを宣告されてしまって、それで落ち込んで、悩んで、
どうしようもなくなって半べそで竜児に話したのだ。
それで、せっかく話せたというのに、いざ竜児にすべて話して、心配してもらうと、なんだか申し訳なくなって、恥ずかしくなって、バカらしくなって、
まるでだだをこねるほど欲しかったおもちゃを意外にも買ってもらえそうになって、すんでのところで遠慮し出す子供みたいに、大河は突然ごまかし始めたのだった。
なんか悩んでるみたいに話しちゃったけど、大したことないよー、そんな風に。
亜美ちゃんわかんな〜い、そんな風に。亜美ちゃん別に気にしないし、関係ないんですけど、そんな風に。

吐きだしたため息の行方が分からなくなったところで、急須に丁寧にお湯を注ぎ、ついでに冷蔵庫に手を伸ばす。
おそらく気にしないふりをして、終わったことにして、そうやってごまかして、そのあとまた一人で悩むんだろう。
だって川嶋はそうだったから。たぶん実乃梨もそうだったから。そうやって悶々と溜めこんでいくのだろう。全部吐き出せばいいのに。
それが、高校2年生で学んだことだった。女子ってやつは、いやたぶん男子だってそうなんだろうが、そうやってちらちらと不安を見せてみては、やっぱやーめた、
なんでもないよ、そうやってごまかす。
大河もそういうやり方を覚えたみたいだった。
かといって、面倒くさくなったわけではない。
昔の大河は、それよりももっとひどかった。悩みを垣間見せる余裕もなくて、自分の中に全部溜めこんで、でも大河の体は小さくて、そして爆発させていた。
それこそ出会ったころの大河は、北村への思いというでかすぎる悩みを溜めこんで、本当にこれで高須家というはけ口がなかったらどうなっていたことやら、考えたくもない。
でも今の大河は、竜児にこうやって悩みを打ち明けてくれる。不器用ですぐごまかそうとするけど、それでも大きな進歩だ。
それならば、竜児のすることは一つだろう。爆発しちまわないように、全部吸い出してやればいい。だってたぶん、だから逢坂大河と高須大河の診断結果は違ったのだ。

人格は大凶から、大吉に変わったのだ。
暴走気味で不安定な10画から、愛情に恵まれた大吉数に、15格に増えたのだ。その増えた五画分、それがきっと竜児の役目なのだろう。

冷蔵庫を開いたのは、なんでだっただろうか。
ストックの大河用プリンの、最後の二個を拝借して、お盆に乗せた。
大河にはきっと、愛情が足りないんだ。クリスマスの大河の部屋、修学旅行の吹雪の中、バレンタインのあの川の中、何度も確認したことを、もう一度、再確認。
いろんな成分が、まだまだ足りない。だから安心できない。いつでもあの真っ暗な世界に落とされるんじゃないかって、いつも怯えてしまう。
それならば、幾らでも愛情をくれてやろう。堕ちてしまいそうならば、何度でも引き上げてやろう。

覚悟を決めて、居間に戻る。





お茶が飲みたかったのは本当だ。
泣くだけ泣いたら水分を取りたくなった。だからお茶がほしいと言ったのは、自分が招いてしまった気まずい空気をとりあえずどうにかしたくて、というわけだけではない。
台所に立って、なにやらマニアックなくらい丁寧にお茶の準備を進める竜児の背中を見てみる。面倒くさい奴だと思われただろうか。
もともと自分の画数が最悪なことは知っていた。
自分の名前の由来なんて詳しく聞きたくもないが、まぁたぶん画数がいいとか悪いとか、あのクソジジイは対して考えなかったのだろう。そんなことくらいわかる。
でも、正直言って、かなりショックだったのもまた事実だ。
自分が逢坂大河でいるかぎり、大した幸せがないことは理解していた。望めば壊れる。そんな人生なんだと半分あきらめていた。
でも、竜児は違った。望んでも壊れなかった。望んだら、望んだように傍にいてくれた。
希望、といったら大げさなのだろうか。
望んでも壊れないものがあるとわかって、高須大河になれるとわかって、少しこの世界も悪くないと思え始めていた。
それで、もしかしたら、この最悪な画数も、良い方向に変化しているのではないかと思ってしまった。偶然見つけた姓名判断のサイトを、開いてしまったのが運のつきだったか。

「ほらよ、お茶」
竜児が湯呑を二つ、卓袱台に置く。いつもどおり薄めに煎れてあるお茶をすすったところで、お盆の上のプリンを見つけた。
「・・・、まあなんていうか」
腹減ったろ、食うか。プリンとスプーンを一緒に差し出され、受け取る。普通のよりちょっと高い、カスタードの奴。私の大好物。
竜児は少しバツの悪そうに、でもまっすぐに、こちらを見つめている。相変わらず目つきがわるい。
「さっきの見て思ったんだけどよ、やっぱり、おれは、高須大河に、なってほしい。」
つるり、と指が抜けた。蓋を剥がせない。全身の筋肉が弛緩してどうにもならなくなったあと、ぶうわあぁっと毛穴が開くのがわかった。
やばい、泣く。髪がなんか変な感じ、頭がぼーっとする。顔が熱い。普段の百倍くらい顔に血が集まってる感じがする。視界が霞む。
きっとひどい顔をしてるだろう。昨日もちょっと泣いて、さっきも竜児の前で泣いて、また泣くつもりか、自分に言い聞かせて、歯を食いしばる。
ああ、でもだめだ。うえ、むけない。
「お茶とプリンなんて、あいしょう・・・最悪だよ」


俯いた大河の表情は不明。ただ泣きかけているのは、小さな体の震えを見ればわかる。
人生で二度プロポーズすることになるとは、思ってもみなかった。そして二回目がこんなにも早く来るとは。
まぁ、二度したんなら、三度も四度も同じだろう。何度でも言ってやるさ。わかるまで。




「最悪でも、破滅でも、大凶でも、知るか。俺は大河と居たい」
「不幸だよ」
「なわけねえだろう」
ああ、また泣かせちまった。お詫びのつもりで、大河のプリンの蓋を剥がす。
「ほれ、食え」
「・・・」
プリンに口をつけ始めたのを確認して、のどが渇いているのに気づく。滅茶苦茶緊張していた。たぶん俺も顔が真っ赤になってるな、これは。
茶をすすって、息をつく。言いたいことはまだ残っている。
「さっきの、高須大河の、姓名判断見せてみろ」
大河の差し出した携帯画面を、しばらくスクロールして、目当ての行を見つける。
ほら大河、みてみろよ、やっぱりこれでいいんだよ。
一人で納得して、大河にも見せてやる。返された携帯の画面をおびえるような眼でみる大河が、急に、なぜだか――
「読んだか?」
「・・・」


人格(15)――大吉
人望厚く、行動力もあり、大事業を達成でき、愛情にも恵まれた大吉数。
金運
あります。自分でコントロールする力もあるので、お金に困るという事は滅多と無い人かも。
仕事運
楽しんでできる仕事につくこと。自分の人格を認めてもらえる仕事ならより吉。運はいいです。
結婚運
楽しさだけを考えて相手を選ぶと、少し後悔するかも。貴方の暴走をしっかりひきとめてくれる人を選んで。


「ドジで、すぐに暴走するお前を、引き留める奴、誰だよ」
「うっ・・・」
「お前のその性格、人格、全部全て認められる男、誰だよ」
「りゅう・・・」
――この愛おしさを、なぜこんな荒っぽい言葉に乗せてしまうのだろうか。
もしかしたら人の心と口っていうのは、つながってないのかもしれない。
「もし見つからなそうなら、俺にやらせてくれよ」





「...竜児」
やっと顔をあげた大河は、やっぱり泣いていた。髪はぐしゃぐしゃで、まぶたは腫れて、きつく噛んでいただろう唇は、それでもきれいな薔薇の色だった。
「もしお前が本当に大凶女で、破滅で、相性最悪で、不幸でも、おれが全部ぶっ飛ばして、お前を幸せにしてやる」
返事はない。向かい合って座る距離感が、なんだか恐ろしいほど遠くに感じて、立ち上がる。
絶対一つに混ざりあえない個体同士なのに、なぜ人は距離をゼロにしたがるのだろう。限りなく大河と近づきたくて、隣に座る。
すこし驚いたように見上げる濡れた瞳は、間違いなく竜児の瞳を映していた。不意に触れた髪の毛の柔らかさに、背筋がぞくりと反応した。
「竜児...」
「大切なんだ。世界で一番、お前のことが」
「りゅうじ」
「お前を不幸になんか、させねえから」
「りゅ...う」
「なぁ」
重ねた唇の柔らかさに、思考がほどけて、心が混ざり合った気がした。
プリンの味が、穏やかに広がったような。

「ありがとう、竜児」
最悪だと思っていたお茶とプリンの相性は、意外とよかったのかもしれない。
律儀な、でも優しさの薫る苦みは、プリンのとろける甘味を、より際立たせるのかもしれない。
世界で一番おいしいプリンを二つ食べて、またちょっと泣いた。
泣いて、つかれて、優しい薫りの竜児の腕の中で、甘くまどろんだ。
愛情の形はそこにあった。
そして私は、夢を見た。


おわり



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