それは高須竜児と逢坂大河が結婚して18年が経った、ある冬の出来事。



「おかあさーん!洗濯!終わったよー!」

朝食の後片付けをしていた大河は、威勢のいい張りのある声を耳にした。
その声の主は、

「早く早くー!」

と、自分の母を呼びつけた。
大河はその忙しない声に苦笑いしつつつも、とりあえず返事をしなければ永遠に叫んでそうな娘に一言。

「分かったわよ、こっち終わったらすぐ行くから」

そう言って、残りの3人分の茶碗をゆすぎ始めた。


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3日間降り続いた雨が嘘のような澄みきった青い空。
だが、朝の天気予報によれば午後からまた天気が悪くなるらしい。それまでには、溜まりにたまった洗濯物を
片付けてしまわなくてはと、最近になってようやく目覚めた主婦根性を遺憾なく発揮した。

―――最近になってようやく目覚めた主婦根性

これが意味するものそれは…

「お父さん、元気にしてるかな」

そう、今高須家に竜児はいない。仕事の関係で遠くアメリカに出張しているのだ。このことが決まったのは
去年の春のこと。一緒に大河も付いて行くと言ったのだが、子供2人を残してはいけないと、さらに、
じゃ家族全員で、とも言ったが、ルカは高2だし、ましてや泰児は来年受験生だぞ?なのに連れて行くのはいくらなんでも
かわいそうだろと、竜児に説得されてしまった。泰子に預ければと大河は思ったのだが、それは泰子に多大な
負担を与えかねないし、そんな無責任なことはしたくない。よって、大河はしぶしぶ折れた。

ちなみに長女ルカは外見は大河似で、しかし背は大河よりほんの少し大きく、若干大河は嫉妬している。
家事万能なところは竜児に似たのか、はたまた大河のようになって欲しくないと願った竜児が教えたのか定かではない。
一方、長男である泰児は、来年高校受験を控えた中学2年生。背は平均より若干低いが、運動神経抜群で誰かさんの影響からか、
今ソフトボール部に所属している。今日も久しぶりの天気により、休日なのに朝から急いで学校へ出発した。

「そうねぇ、元気にしてるんじゃないかしら」

洗い物を終え、洗濯物をかごに移しているルカの傍へ歩み寄った大河は物思いに耽りながら呟いたルカに
適当に返事をした。それを感じ取ってかルカは不機嫌に頬を膨らませながら叫んだ。

「なによそれ!心配じゃないの?お母さんは!」
「うるさい。そんなことよりちゃっちゃと干すの!午後には雨が降るんだから」
「……う〜〜〜〜」

大河の反応に納得のいかないルカは人間離れした唸り声をあげるも、この家のボスである母大河の命令には従わなければ命が危ない。
不貞腐れながらも、テキパキと洗濯物を干す。竜児がいなくなってからは、洗濯はルカと泰児の仕事だ。しかし今日は泰児がいない上にこの量だ。
さすがに、大河が手伝わなければ可哀そうだし時間がかかるので、2人で片付け始めた。

数分後、ようやく干し終えて大河はふと空を見上げた。太陽がやけに眩しい。久しぶりに見たからだろうか。

竜児もこの太陽を見ているだろうか。

……竜児は元気にしているだろうか。


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ルカにはあんな態度をとってしまったけど、本当は、本当は…

「お母さん?どうしたの?太陽なんか睨んじゃって」
「……は?」

なんてことはない。太陽が眩しくて、しかし竜児を連想しちゃったため太陽から目が離せずにいた。
したがって、眉間にしわを寄せたものすごい形相で太陽を見つめていたのだ。

「い、いや、あっそうだ。肉眼で黒点が見えるかなって思ったのよ!」

悟られてはいけない。

竜児のことが死ぬほど心配だなんて。

心配で、心配で、夜も寝られない日があるなんて。

たまに、声を漏らさぬよう必死になって、涙する夜もあるなんて。

子供たちにそんなことを知られたら、私のことを心配する。不安がる。自分たちのせいで、
お母さんはアメリカに、お父さんの傍にいられないんだ、なんて思われる。そんなことはあってはならない。

だから、悟られては、いけない。

絶対に。



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「さってと、洗濯終わったし昼寝でもしよっかな〜。天気いいし」

かごを持ち庭をあとにしようとするルカに大河は気づく。

「待った、暇ならちょっと掃除手伝え」
「え〜〜〜。やだよ、めんどくさい」
「いいじゃないの。あんた掃除好きでしょ?」
「そうだけど……分かったよ、やりますよ〜」

それから1時間強、家の隅々まで掃除をした。天気がいいとはいったものの、さすがに真冬なので手が真っ赤になってしまったが、
やはり掃除はいい。無心になれる。

今なら竜児の言っていたことが分かる気がする。


掃除が終わった後、居間で大河とルカはテレビを見つつ茶をすすっていた。煎餅にみかんといったものが欲しいところだが、
生憎切らしている。しかし、何かしら口に入れたいのは虎の習性か、炬燵から抜け出し本棚の隣にある茶箪笥に向かった。中を見てみると、
現在の世界の経済状況を表わしているかのごとく、マシュマロしか入っていない。まあしかし、何も口にしないよりかはいくらかマシかな、なんて思いながら
炬燵に入り、一緒に茶箪笥から出した青い皿の上にマシュマロをあけた。マシュマロをつまみながらテレビを見ていると、

「これくもみたいだね」

と、ルカが言った。大河は今見てるスパイ●ーマンだと思ったのか、怪訝な顔をして言い放った。

「はあ?何言ってんの?あんまり変なこと言いだすと殴るわよ」
「ち、違うよ。テレビじゃなくってこれのこと!」

ルカが指で示しているのは、青い皿に乗せられたマシュマロ。
それのどこがスパイダーなんだと大河は瞬間思ったが、よくよく見ればなるほど、青い皿が青い空として考えると白いマシュマロが雲として見えないこともない。

「まあ、そうねぇ。雲に見えるわね」
「でしょ!」
「にしてもあんた、高校生にもなってマシュマロが雲って…ぷっくくくく」

だぁはっはっははは、と大河は爆発した。いや、爆笑した。
ルカは真っ赤になって、

「いいじゃん別にーーそう見えたんだもん」

と言い、炬燵に潜ってしまった。

雲ねぇと、大河は一人呟きつつ大河はなぜか昔のことを思い出していた。


そういえばあの日は曇ってたっけ。

――――あの日

それは、竜児と大河が晴れて結婚した日。
結婚式はいつにしようかなんて考える必要はなかった。なぜなら、2人とも、いや、親友たちも意見が同じだったからだ。

2月14日、バレンタインデー、竜児と大河の思いが通じあった日。

あの頃はこんなにつらい日が来るなんてこれっぽっちも思っていなかった。

竜児が傍にいない、竜児の声が聞こえない日が来るなんてこれっぽっちも思っていなかった。

今だから思う。あの時空港であんなことを言ってしまったことを、後悔してると。


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空港で大河が竜児に言ったことは、侮蔑でもちょっとした悪口でもなんでもなかった。

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「ねぇ、竜児。あんたが向こうに行ったらまず何する?」
「そりゃ勿論お前に電話するよ」
「ふふ、そうよね。でもね、電話、しないで欲しいの」
「はぁ、なんでだよ?」
「あとメールも」
「だから何でだよ?」
「だってあんたの声聞いたりすると私我慢できなくなっちゃうと思うのよ。あんたの声聞いてないと生きていけなくなっちゃうと思うの。
 だから、ね?お願い」
「……メールもダメなのかよ」
「メールは…うんダメ。あんたとなにかしら接触があると…」
「…分かった」

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あの時は、大丈夫だって、今までどうりに生活できるって思ったのに。


マシュマロを見つめながら大河は願った。


竜児、あんたの声が聞きたいよ。


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「ただいまぁー!腹減ったー!飯ぃ!」

大河は、はっとした。どうやら昼寝していたみたいだ。なぜなら、泰児が帰って…

「えっ!泰児!?帰ったの!?」
「そうだよ。今帰ってきたとこ。なんでもいいから飯!腹減って死にそうだ…」
「やっばー!寝過ぎたわ。ごめんねー、今から作るから」
「……」
「お母さーん、泰児の死亡が確認されました。12時43分です」
「生きる!」
「…つまんねんだよ、ばーか」

やかましい喧騒の中、バイクの音がした。どうやらうちの前で止まりまたすぐに出発した様子からすると郵便屋さんのようだ。どうせルカか泰児宛ての
塾か家庭教師かのダイレクトメールだろうと思いながらもついつい出てしまう。

ポストを開けてみたら、やはりそうだった。が。


一通。


見知らぬ手紙が。


それは、エアーメールだった。

間違いじゃないかと思い、宛名を見ると、

To Ms.Taiga Takasu

と、書かれていた。

ドキドキしながら、震える手で、差出人の名前を見てみた。

From Ryuji Takasu

竜児…、竜児だ!竜児からだ!


それはまぎれもなく、大河の夫、高須竜児からだった。

内容は、興奮してなのか、あまり頭に入ってこない。働け脳味噌!と思いつつ目を通して行くとあるところで、脳が正常化した。


『…そういや、今日は19回目の結婚記念日だよな。そんな大事な日にお前の傍にいれなくてほんとにすまない。
 だけど、来年は20回目だ。それに俺はあと半年くらいで帰れるから…』


「竜児…あんたミスを2つもしてるわね」


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竜児が犯したミス。
一つは大河様の言うことを守らなかったこと。例の電話にメールはしないでー、てやつだ。

「まあこれは冒頭で謝ってるし、いいとして、問題は…」

今日は2月13日

「結婚記念日は明日じゃー!!!!!」

竜児は明日に届くと思ったのだろう、しかし、なんの手違いか今日届いてしまったのだ。
これには手乗りタイガーの異名を持つ大河様は許すはずもなく、

「まったく!竜児はまったく!」

もちろん許すはずもなく、

「よくもこんな間違いを…」

許すはずも…、

「まったく……ふ」

許す…、

「ふふっ、ふふふっ」

許…、

「あっはははは!何コレ!傑作じゃない?あははっははは!!」

大河は笑った。嬉しかった。心の底から嬉しかった。

「あーあ、ったく、馬鹿竜児め。帰ってきたらただじゃ済まさないんだから」

そう悪態をつく大河の顔にはここ数ヶ月間見えなかった笑顔があった。

「あっそうだ、お昼ご飯作らなきゃ」

そう言いながら、家に入ろうとする大河の視界に洗濯物の山が入った。今日は午後から天気が悪くなるからそろそろこまないと
量的にやばいな、などとかんがえていると、

「母ちゃん!飯ぃーーーー!!!」

という泰児の怒鳴り声が聞こえてきた。

「これから洗濯物こんじゃうからルカ作ってくれるーー!?あり合わせでいいからー!」

ええーー!という声を確認したので、大河は庭へ向かった。まだ、太陽は照っている。が、風が少し吹いてきた。早くしないととやばいなと思い、急いでこんでいた時だった。

竜児からもらった結婚指輪が太陽の光に反射して目に入っため、思わず空を見上げた。

そして、それは迷わず大河の大きな両目に飛び込んできた。

澄みきった青い空。その中で白い雲が一筋、踊っているようだった。

そう、それはまるで、

竜のごとく。

おわり





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