「ねぇ、竜児」
「何だ」
「ゆゆこが公式アフターストーリーを書いたら、私たち本当にラブラブになれると思う?」
「どうした、藪から棒に。今の生活に不満なのか?」
「ううん、不満なんか無い。あんたがいて、泰児が居て、やっちゃんもパパもママもおじいちゃんもおばあちゃんも居る。だけど、ゆゆこが書いたらどうなるのかなって思って」
「ゆゆこが書いたらか…………………なぁ、大河『シュレーディンガーの猫』って知ってるか」
「なによそれ」

大河が竜児の胸の上で身じろぎする。質問とぜんぜん違う話。だけど、竜児がこんな風に質問に返すときには、必ずちゃんとした理由がある。出あった頃は回りくどい話には我慢が出来なかったけど、今は出来る。今は、竜児の話なら何でも聞きたい。

「量子力学が正しければ、そうであっても不思議ではないとされるパラドックス的な仮説だ」

くくくっと笑って大河がつぶやく。

「また、変なこと言い出した」

大学在学中に、竜児が小難しいことを言うようになったのは、たぶん北村の影響だろう。メールでいろいろ本を薦められるといっていた。竜児は日本語版しか読まないといっていたが、タイトルを聞いてもさっぱりどんな本か想像もつかないものもたくさんあった。

「箱の中に猫を入れて、ちょいと仕掛けをする。俺たちは猫は生きているか死んでいるかだと思うけど、量子力学の仮説が正しければ『生きている状態と死んでいる状態が重なり合っていて、ふたを開けて中を見た瞬間にどちらか決まる』ってことだ」

「説明になって無いわよ。高校時代の私なら半殺しの猫って言うところね」

今度は竜児が笑う。

「高校時代なら、俺が半殺しにされてるな………。なぁ大河。俺たちは、きっとシュレーディンガーの猫だ。このスレを見ろ。泰児じゃなくて、竜河を産んだお前も居る、アメリカ旅行した俺たちもいる。三年にあがっていきなり同棲を始めている俺たちも居る。
大学を出るまで入籍をあきらめた俺たちも居る。付き合いだして毎日のようにお前を抱いている俺も居れば、指一本触れようとしない俺も居る。お前を残して死んだ俺も居る」
「やめて、そんな話」

そんな話と言うのは、竜児が死んだ話のことだろう。大河が竜児の胸に顔を強く押し付ける。

「だけど、俺は今、お前とこうして愛し合っている。なぁ、大河。俺たちは、猫なんだよ。重なり合った、ありうるすべての状態のひとつとして、このスレに居るんだ」
「それと、ゆゆこと関係があるの?」
「あるさ。ゆゆこの公式アフターストーリーは、箱のふただ。中を開ければすべての状態は縮退して、ゆゆこの書く俺たちに縮退する」
「…そうしたら…私たち、どうなるのかしら」
「どうもならないさ。ゆゆこの書いた小説を生きるだけだ。誰もSSを書かなくなるだろうな。このスレがこんなに盛んな理由の一つは、原作のカタルシスが足りないことなんだから」
「カタストロフィーって何だっけ。とは、言わないわよ。これでも文学部なんだから」

ふふんと、自慢げに鼻で笑う大河。



「『とらドラ!』は、ラブコメだったのに、途中で恋愛小説になった。5,6,7,8巻と、お前は心から真っ赤な血を流すような目にあい続ける。俺たちは二人でいちどは逃げて、でも、きちんと二人で歩いていこうと決める。ちゃんと完結した。
だけど、カタルシスが足りないって言う人は多い」
「ラブラブが足りないってことよね」
「まっ、そうだ。ラノベなのに、ラブコメだったのに、イチャイチャしなかった。それに、大人の視線からいって、あの結末では不満だって言う人も居る」
「私とあんたが結ばれちゃだめだっていうの?」
「そうじゃない。将来に対する見通しが甘いままだってことだ。物語後半、お前は血も涙も無い現実に向き合わされるのに、ストーリーは現実に対して甘い回答を出しただけだった。そういう甘さに対するアンチティーゼの立場をとるSSもある」
「勝手な話よねぇ」

大河がつぶやく。

「勝手な話のおかげで、俺とお前は幸せに暮らせている」
「ゆゆこが書いても幸せになれるのかな?」
「なれるだろうな。いまさらバッドエンド書いても誰も納得しないだろう。でも、このスレにある物語の一つとってわけにはいかないだろう」
「泰児は?」
「生まれないだろう」

大河が身震いして竜児にしがみつく。なだめるように、竜児が背中をなでてやる。なめらかな肌を手のひらが走るだけで、大河が甘い息をもらす。

「そんなの嫌だ。あんたがいなくなるのも嫌。私はこれでいい。あんたと、私と、泰児。誰が欠けても嫌」
「ゆゆこが、おまけとかじゃなくて本当に公式続編を書いたとき何が起きるかは、俺にもわからねぇ。みんないちゃいちゃ話を書き続けるかもしれないし、興味を失って公式の話だけをするかもしれねぇ。心配するな、ゆゆこが俺たちを不幸にする事だけはないさ」
「あんたがそう言うなら、きっとそうね」

二人は黙って抱き合っていたが、しばらくして竜児がゆっくりと手を動かした。

「竜児、だめよ。泰児が起きちゃう…」
「大丈夫だろ、ぐっすり寝てる」
「…あん…だめったら」
「なぁ、お前が泰児を大事にするのはいいことだが、俺のことはいつ大事にしてくれるんだ?」
「あら、そんな事言って。遺憾だわ。私はこんなに竜児を愛しているのに」
「愛してくれてるのはわかるけどさ、たまには俺に愛させてくれよ」
「誰がうまいこと言えなんて言ったかしら」
「ていうか、だめならせめて裸で寝るのはやめようぜ。生殺しだぞ」
「いーや!こうしているのが一番竜児をそばに感じられるの。さ、いい子は寝る時間ですよ。キスしてあげるから、竜児も寝ましょうね。お休みなさい」
「ちぇっ」





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