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「逢坂大河は居るか?」

そう言って2―Cの教室に現れたのはまもなく任期満了の生徒会長。兄貴こと狩野すみれだった。

「会長!逢坂はそこに居ますが……突然どうされたのですか?」

2―Cクラス委員にして次期生徒会会長候補、北村がすかさず駆け寄る。流石は名参謀。突然の事態にも対応は冷静だ。

「今回の件はお前にはまだ話せない。逢坂に直接話さねばならんのだ。いいか?逢坂」
「……ということらしい。逢坂、すまんが少しいいか?」

ここまで大河は一言も話していない。ちょうど竜児作、特製とんかつ弁当の最後の一切れをその胃袋に納めたところなのだ。
お昼ご飯という彼女にとって人生の至福の一時であるこの時間はいかに生徒会長であるとはいえ邪魔することは許されない。

一方その向かい側の机で竜児は困惑していた。確かに日頃から大河は何かと会長に盾突いている。
おそらくそれは会長とは相性が悪い、それだけではないだろう。おそらく――北村が会長に対して少なからず好意を寄せていることへの嫉妬が含まれているのだろう。
竜児の心にチクリと針を刺したような痛みが走った。しかし彼がその痛みの正体に気が付くのは後ほんの少し未来の話である。
しかしその会長が何の話を大河にするのだ?分からない。


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「おい大河、お前俺の知らないところでなんかやったのか?」
「知らないわよ。でも生徒会長直々のお呼びだしだわ。
付き合ってあげようじゃないの」
「しかしだな……」
「大丈夫よ。なんかあったらぶっ飛ばすだけよ。
竜児は先に帰ってて。今日は特売の日でしょ?」
「……おう」


「いいわ。生徒会長様が私に何の話かしら?」
「……ここでは話せない、場所をかえよう。
帰り支度をしたら正門前に来い。いいな?」
「あら、生徒会長様でも生徒に隠し事があるのね。
恋愛の相談かしら?」
「逢坂!ちょっと言い過ぎだぞ」
「北村くん……」
「いいんだ北村。大して間違ってはいない。では逢坂、また後でな」

そう言い残して会長は去っていった。
それにしても会長が言った最後の言葉……まるで会長が大河に恋愛の相談を持ち掛けているような……。
そんな竜児の内心は他の二人も同じようであった。




「ふむ。問題児にしてはなかなかの早さじゃないか。
もっと待たされるかと思っていたぞ」
「なに、アンタ喧嘩売ってんの? ……まぁいいわ。
北村くんが早く行けって急かしたからよ」
「北村が……そうか」
「それで? どこに行けば会長様からのありがたーいお話は聞けるのかしら?」
「まぁそう急かすな。そうだな……ちょっと歩くがあそこにしよう。ついて来い」

そういって狩野は勝手に歩きだす。何処までも傲慢な女だ、と大河は思う。
しかし話を聞いてやると決めたのは私だ。つまらない話であれば後でぶっ飛ばしてしまえば良い。
大河は黙って着いていくことを選んだ。


「着いたぞ。ここなら大橋高校の生徒に邪魔はされまい」

歩くこと15分。狩野が向かった先はこの辺りでは有名なケーキ屋直営の喫茶店だった。人気なだけあって値段も相応で、確かに普通の高校生が帰り道に寄って行くような場所ではない。
しかし大河は根からのお嬢様育ちである。別にこれしきのことで驚くわけがない、といった風体であった。

「あら、最近の生徒会長は随分オシャレな店もご存知なのね」
「去年の文化祭でスポンサーになってもらった店の一つだ。なかなかに美味いぞ?」

随分女の子らしいところもあるのだな。ショーケースから好みのケーキを選ぶ狩野を見ながら大河は思った。




「さて、本題に入ろうか」

一通り注文を終え、大河の前にはオレンジタルトとアッサムティーが、狩野の前には苺のミルフィーユとダージリンティーが並んでいる。
大河はずっと不思議だった。一体彼女は私に何の話があるというのか。私に対してなにかの苦情を言うのであればこんな所に来る必要など無い。
それにさっきの言葉。私の吹っかけた挑発に「大してかわらない」と答えた。彼女は私に恋愛相談をしようとしているのか?
ますます分からない。彼女は3年であり、特に個人的な関係など全くない。むしろ大河は一方的に彼女を嫌っていさえした。それは彼女とて承知のはず。それを何故?

……だめだ。考えても仕方ない。ひとまず狩野の言うことを聞いてからにしよう。

そんな大河の意思は、次の狩野の一言であっさりと打ち崩されてしまう。


「話というのはな……北村のことだ」
「なっ……!」

大河の脳内はいきなり混乱の渦に巻き込まれてしまった。
どういうこと?なんで北村くんの相談を私にするの?だって私は……

「あいつはひょっとすると次の生徒会会長選挙には立候補しないかもしれない」
「……どういうこと?」

だって北村くんはこれまで生徒会の仕事を凄く頑張っていた。文化祭だって凄く盛り上がって……キャンプファイアーでの北村くんは凄くかっこよかった。
だから来年は、こんな会長の下じゃなくて、自分の生徒会を作り上げるんだって、そう思って……




「私はもうすぐアメリカに発つ」

それが何の関係があるっていうのよ。むしろ居なくなったら北村くんはもっと自由に……
そこで大河はある思いに至る。まさか。でももしかしたら……

「あいつは私が居なくなることを知れば……生徒会に居る意味を失ってしまうかもしれん」

……やっぱりそうなの?ズキリと大河の胸に痛みが走る。思い出せば北村くんはいつも狩野の側に居た。いや、居ようとしていた。
今日もそうだ。狩野が「お前には話せない」と言った後に浮かべたちょっと寂しそうな顔。私には分かる。

「そこで、逢坂。お前に頼みがあるんだ」

いつの間にか俯いていた自身の顔をハッとあげる。
胸がちぎれそうなほど痛い。きっと北村くんは……北村くんは……この人のことが好きなんだ……そしてきっとこの人はその事を知って……

「私が居なくなった後、もしあいつが弱気になるようなことがあったら、あいつを支えてやって欲しいんだ」

初めてこの人の顔を正面から見る。柔らかな西日が喫茶店の小さな窓から差し込み、彼女の顔を赤く照らし出す。
強い意思の篭った眼は真っ直ぐに私を見つめている。そして普段の男性的な態度とは似ても似つかない女性的な顔立ち。化粧をしなくても十分に美しい。
その表情は……あぁそうか。知っているだけじゃない。この人も多分……

西日のせいではないだろう。うっすらと赤みがさした頬がその全てを物語っていた。





隣のマンションの部屋の明かりが灯る。大河が家に帰ってきたのは思ったよりも早かったようだ。
それにしても……会長は何の話を大河にしたんだろう?

ピンポーン

程なくして高須家の呼び鈴が鳴る。――大河だ。
扉を開け、家に迎え入れてやる。晩御飯の準備はもう出来ている。今日はちょっと腕によりをかけて、竜児特製エビの甘口チリソースだ。きっと大河も気に入ってくれるに違いない。

「わぁ……おいしそ!ね、早く食べましょ?」
「おう!あとはご飯をよそうだけだ」

一見したところ大河の様子に代わりは無いようだ。少し安堵する。

「そういや大河、今日は会長と何の話してたんだ?」
「……その話は食べ終わってからで良い?今は美味しいご飯が食べたいの」
「……おう」

前言撤回。何か大きなことがあったのかもしれない。今までも大河が落ち込む姿は何度だってみてきた。でも今回のそれは今までとは違う。……一体何があったんだ?

結局今日の夕飯で、大河は一回しかおかわりをしなかった。











極力竜児には心配かけさせないようにしようと思ってたけど、やっぱりダメみたい。
竜児の心配そうな顔をみてると、つい甘えたくなっちゃう。

――私が居なくなった後、もしあいつが弱気になるようなことがあったら、あいつを支えてやって欲しいんだ――

さっきの言葉を思い出す。きっと狩野と北村くんの間には固い絆が出来てる。愛情という名の、固い絆。
きっと、私はそこに入ることは出来ない。

でもね、それが分かった時、悲しいとか、悔しいとか、そういう気持ちが出てこなかったの。ただ単純に、ああそうか、って思っただけ。
おかしいよね。それまであんなに胸がズキズキしたのに。
私は北村くんのことが好きで、竜児はそれを応援してくれて、だから私も……

……何で竜児がでてくるの?

……わかんない。

「……いが?大河??」
「へっ……な、なに?竜児」
「何じゃねぇだろ……一体どうしちまったんだ? やっぱりどこかおかしいぞ」
「別に普通よ。心配しすぎなんじゃない?」
「嘘だ。いつものお前はそんなんじゃねぇ。何があったんだ? ……北村のことか?」




ドキン。

なにかのスイッチを押したかのように急速に鼓動が高まる。どうして?さっきはあんなに平気だったじゃない。
どうしよう。鼓動がおさまらない。どんどん速くなっていく。

ポタッ

え?なんで雨が降って来るの?竜児の家もついに雨漏りするようになったの?でもそれにしては暖かいような……
……そうか。これは涙だ。他でも無い私の眼から出てる、涙だ。

頭が冷静になって来る。今日起こった出来事が理解可能なものとして一気に頭に降り注ぐ。それは認めたくない現実。

竜児がくれた暖かいご飯が、竜児がくれた安心が、そして、竜児がくれた気遣いが……
……私の心のスイッチを押したんだ。

私は……失恋したんだ。

気がつけば、大河は竜児の胸の中でむせび泣いていた。




俺はどうしたら良いんだ。

北村の名前を出した途端、目の前の大河は大粒の涙を流し、今俺の胸の中で泣いている。
会長との話の内容は間違いない。北村のことなんだろう。
どんな内容だったのかは分からないけれど、きっと大河は今日、何か大切なものを無くしてしまったんだろう。そのくらいの事は自分にだって分かる。
その大河に今の俺が出来ることはなんだろう?


竜児の心の中にもやもやとしたものが溜まっていく。
それは相手が誰であれ大河をこんな風に泣かせた者を憎む気持ちと、そんなときに大河の支えになってやれない自らを悔やむ気持ち。
そしてその根源には、大河を想う深い愛情がある。

しかしそのことを自覚するには、余りに彼は幼かった。

「大河……」

気づけば竜児は大河を抱きしめていた。

「りゅうじ……」

私は何も言っていないのに、竜児は私に優しくしてくれる。
いつだってそうだ。竜児は私のために損得抜きで動いてくれる。いくら感謝してもしきれない。

でもね、竜児……

……あなたが好きなのは、私じゃないじゃない。

竜児が大河に優しくすればするほど、大河は傷ついてゆく。
この皮肉とも言える事実に彼はまだ、気づくことは出来なかった。





帰宅して、荷物を置き、狩野すみれは深いため息をついた。目の前に山積みにされた英語の専門書も今は彼女の興味を引かない。

私がしたことは正しかったのだろうか。逢坂大河には私の思いが正確に伝わっただろうか。

北村は私の事をよく慕ってくれている。それは私が生徒会長を勤めあげるためには必須のものだった。
そして、彼が私の人生にとっても不可欠な存在に変容するまでそれほど多くの時間はかからなかった。

断言しよう。私は北村のことが好きだ。

しかし、これ以上あいつを私の我が儘に付き合わせるわけにはいかない。
あいつは私がついて来いといえばそれがアメリカであっても着いてきてしまうだろう。それほどまでにあいつは私の事を慕ってくれている。

では宇宙に行くといえばどうか?
それさえも今のあいつはYESというだろう。

だが、それはあってはならない。私たちの関係は永遠ではない。私一人のために彼の人生が振り回されるようなことはあってはならない。
彼には彼の人生を歩む権利がある。それを踏みにじることは出来ない。

だから私は彼と違う道を歩もう。彼が自分の意思で進むべき道を見出だせるように。
逢坂大河もきっと北村のことが好きなんだろう。彼女が北村に向ける視線は他人へのそれとは大きく異なる。
ならば後の事は彼女に任せよう。一年前のあの日、屋上で北村が掴み損ねた幸せは、今度こそ彼の下にやって来るだろう。

彼が本当の幸せを掴んでくれるなら、私は本望だ。





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