6月になり梅雨入りが気象庁から宣言された。
毎日雨が降ったり止んだり降り続いたりで太陽が照っても乾く暇が無い。
そのくせ風はあまり吹かないから蒸し暑くて仕方ないのである。
高須竜児にとっては一年で最も嫌いな時期の到来なのであった。

「はあ…また雨か」

「梅雨入り宣言も出たもんね…」

「まったく…朝から晩までじめじめじめじめ…油断するとカビは生えるし洗濯物も乾かないし…」

「ちょっと竜児、そんな形相でブツブツ愚痴らないでよね。気持ちわるい」

「ううっ、ただでさえ薄暗くて湿ってて気が滅入ってるのに…」

「悪かったわよ。ほら元気出して」

チュッ

「……おぅ」

「あんたにかかればカビなんて存在し得ない代物なんじゃない!」

「そうだな…ありがとう大河」

「…ところでさ、お願いがあるんだけど」

「ん?なんだ?」

「実はね……か、か買い物に付き合って欲しいの!」

「あ、あぁ別に構わないけど。どこ行くんだ?あんまり遠くには行けないぞ」

「大丈夫、大橋駅だから…」

「そっか。じゃあ放課後な」

「うん、またね」


なぜか恥ずかしそうな様子で買い物に誘う大河。
一体何があるってんだ?
不思議に思う竜児だったが深くは追求しないことにした。




放課後。
大河と竜児は駅ビルへとショッピングに着ていた。

「……おい大河」

「何よ…」

「正直恥ずかしいんだが…」

「わかってるわよ♪」

一体こんなところに連れてきて何のつもりだッ!
貴様、命を失う覚悟は出来ているようだなッ!
そんな表情で眉間に皺を寄せる竜児だったが、
正直なところ、そのような燃えるような殺意など抱いてはいない。
ただただ目のやり場に困っているだけである。

それもそのはず。ここは女性用下着売り場である。
色とりどりのブラジャーやらショーツやらが売っている女性用下着売り場である。
並みの男性なら足を踏み入れるどころか視界にも入れないように距離を取る禁断の聖地。
こんなところに好き好んで足を踏み入れるような輩がいるとしたら
特殊な趣味嗜好を持つ者か、あるいは身体と心の性別が違う者、
でなければ真性のド変態ぐらいなものである。

さすがに竜児は泰子の下着類の洗濯で耐性はあるものの、
本来はまだ二十歳前の純情な高校生である。
泰子につき合って買い物に来るのも恥ずかしいというのに、
こんな小柄で高校生には見えない美少女と一緒なのだ。
恥ずかしいを通りこして存在感を抹消してしまいたい気分だ。

「ね、ねぇ竜児、これなんかどう?」

そう言う大河が手に取っているのはローズピンクのレース生地・花柄刺繍のブラジャー2980円也。
もちろんいろいろとデザインが豊富で、女性にとってはありがたいAカップである。

「どどどどうって、ににに似合うと思うぞ/////」

「そう?じゃあ試着してみるね。あと覗いたら殺す死なす燃やす埋める葬る!」

「バ、バカ!覗いたりなんかしねえよ!!」

「冗談よ。竜児になら覗かれても構わないから♪」

「!!!!!!!」

もう声にならない悲鳴を上げるしかない竜児なのであった。



高須竜児は我慢強い男である。
どのような極限状況に置かれたようともひたすら辛抱する性格である。

他の人間にとって辛い状況だったとしても、
彼にとっては大したことじゃないと感じるのはよくあることだ。
でなければ手乗りタイガーを手なずけて面倒を見たりはしないだろう。

しかし、現在のこの状況は滅多に無い極限状況の中の極限状況であった。

「大河…早くしてくれ〜〜〜//////」

そもそも下着売り場になど来ることは稀である。
Fカップ美巨乳の母には合うサイズが売っていないことが多いのである。
あったとしてもストラップの幅が広かったり、色もデザインもがっかりな代物が多い。

だから大抵のところ泰子は都心の専門店か通販で買うのである。
竜児がそれにつき合って来ることなど数えるほどしか無い。
しかもあらかじめ予約注文しておくからサッと入ってパッと買ってスタタッと出て行くのが常。

なのに今日は地元の駅ビル内。
顔見知りに遭遇したらどう言い訳すればいいかわかったもんじゃない。
愛する大河と一緒でなければ絶対に来るようなところではなかった。
ブラジャーやパンツを装着して喜ぶ性癖は残念ながら無かったし、
女性に下着をプレゼントするような貫禄も余裕もまだ備わっていなかったのである。

幸いとも言うべきか、他に女性客はいなかった。
実際のところ、竜児の邪眼に恐れを成して誰も寄り付かなくなっているのだが。

竜児がひとり悶々としていたところ、シャーッと試着室のカーテンが開いた。
何か納得いかないといった表情の大河が出てくると、手に持っていたブラジャーを元の場所へと戻す。
と、今度は別のブラジャーを3着ほど手に取り再び試着室へ。
早くこの拷問タイムよ終了してくれ、と願っていると、
その思いが天に通じたか、さっきよりも早く大河が姿を現した。
そして狐につままれたような顔でつぶやいた。

「ねえ竜児、わたし太ったかな?」

「はぁ〜〜?」

確かに昨年の秋に美味しいものをいっぱい食べて大河は太まった。
あのときは最終的に元の体型に戻ることは出来たが、
大河にとっても竜児にとっても2-C男子たちにとってもいろいろと痛い目にあった記憶だった。
出来ればもう二度と味わいたくない経験だ。

だが毎日何度も間近で見ている大河の可愛らしい顔にはそのような兆候は無かった。

「いや、全然太ってなんかいないぞ。すっきりした顔のままだ」

「お世辞だったら今はいらないわよ」

「お世辞なもんか。あごのラインも顔の輪郭もすっきりしたままだぞ」

「そう?うーん…」

「なんだかわからんが問題あるなら店員に聞いてみようや」

「わかった。そうする」

鈍い竜児はまったく気付いていなかった。
このあと目の当たりにする驚愕の事実を。




「Cカップですね」

「はい?」

「う、うそ…」

店員にスリーサイズを図って導き出された結果は思いもよらない事実を示した。
難攻不落の絶壁と思われていた大河の胸に、
いつの間にか平成新山のごとくふくらみが形成されていたのである。
しかも寄せれば奥多摩に匹敵する谷間も出来るCカップ。

しばし沈黙が続く。
二人とも何が起こったのかわからないような顔をして下着売り場にたたずむ。
口火を切ったのは店員だった。

「お客様、このサイズでしたらこちらのものと同じデザインのものがございますが…」

「…奇跡だ」

「はい?」

「…奇跡よ」

「お、お客様?」

「やったな…大河!」

「うん…竜児!」

思わず手を取り合って見つめ合う二人。
一方、取り残されて何がなんだかわからないといった面持ちの店員さん(27歳・彼氏あり)

「あのう、お客様?こちらですとただいま三着お買い上げいただきますと二着分のお値段になりますが…」

「はいっ!それにします!あ、色は同じじゃなくちゃ駄目ですか?」

「ちょっと竜児!!なんであんたが決めるのよ!」

「こ、こちらは型番が一緒ですから色違いでも大丈夫ですよ」

「わかりました。だってさ。これにしようかぁ大河!?」

「なーにひとりでテンション上げちゃってるのよ!一応試着くらいさせてよね!」

「お、おぅ。すまねぇ」

「ではお客様、こちらへ…」


で、結局。
未知なる領域に目を輝かせながら試着した大河は、
ターコイズブルーとオフホワイト、サンライトイエローのフラワーリボンブラジャーを購入。
三着セットで4980円也。

一方、竜児はというと。
昨夏に大河を泣かせた要因である「哀れ乳」がまったく哀れじゃなくなった件について
妙に震えるぞハート燃え尽きるほどヒートしたおかげで羞恥心など吹っ飛んでしまい、
待ってる時間も苦にならず、鼻歌を口ずさむほど余裕をぶっこいていたくらいであった。
そうして、買い物を終えた大河と手をつないで意気揚々と帰宅の途についたのであった。




下着売り場から出たあと下のフロアに向かう二人。
なにやら寄り道をしていくようです。

「なぁ大河。ケーキ、買ってくか?」

「え?竜児のおごり?」

「もちろんだ。お祝いのケーキだからな」

「ななななななによ!べっべっべつに大したことじゃないんだから!」

「大したことだろう。お前の悩みがひとつ減ったんだ。こんなに嬉しいことはない」

「あーら、それはやっぱり大きい方が好みってことかしら?このエロ犬ッ♪」

「違うって!俺は大きさにこだわりなんかねえ!ただまたお前がプールの授業のとき傷つくんじゃないかと…」

「ふふっ♪わかってるわよ。ありがとう竜児」

「おぅ。クラスが違うからな。今年は溺れても助けてやれねえ」

「去年溺れたのはあんただったけどね」

「ぬ。でも大河が助けてくれたんだ。感謝している」

「当然よ。だってあんたは…私んだもん。それに…今は一番大好きな人だもん♪」

「俺は本当に幸せもんだな」

「私もよ」

「さて、ケーキ屋に着いたし何買おうか?」

「私お星さまケーキとチーズケーキ!あとそれからそれから…」

「おいおいそんなにいっぱいは買えないぞ」

キャッキャッウフフと笑いながら楽しそうにケーキを選ぶ虎と竜なのであった。



大河の両親の分も含めてケーキを買って店を後にした二人。
気がつけば雨はもうすっかり上がっている。

「雨、上がってるね」

「おぅ、綺麗な夕焼けだな」

「明日は晴れるかな」

「暑くなりそうだな。そしたらもうすぐプールびらきだ」

「そういえばさ」

「うん?」

「あんたに作ってもらった偽乳パッドあるじゃない?」

「ああ、そうだな。まだちゃんと持ってるのか?」

「うん。あれ『お嫁に行くときは、必ず持っていくわ』って言ったじゃない」

「そういえばそんなこと言ってたような…」

「あんたからプロポーズ受けた時点で持ってく必要無くなったのよね」

「確かにな」

「でもやっぱり嫁入り道具として持っていくわ」

「おぅ?またどうして」

「せっかくあんたが作ってくれたものだからよ。最高のプレゼントだわ」

「そう言われると恐縮だな」

「それにね、もし女の子が生まれたとしたら…私に似て哀れまれる胸になる可能性もあるわけ。遺憾だけど」

「本当は気にする必要なんか無いけどな」

「でも女の子は気にするの!だからそのために…ね?」

「俺にとっても思い出の品だしな」

「そーよ!でもなるべく必要無くなるようにイソノボンボンたくさん取らせるわ!」

「イソフラボンだろ」

「そ、そうだったわね」

じめじめとした季節はまだまだ続く。
でもこの二人にはひと足先に夏が到来したのであったとさ。





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