周囲は色鮮やかな花畑だった。言っておくが、百歩譲っても天国ではない。
そこには何故かティアラを付けた黒マッスルが立っていて、薔薇の束で筋トレを
している。効果があるかどうかは判らない。
ガシャ
引き金を絞る音にふと横を見れば、110mm個人携帯対戦車弾を構えた軍人がいた。
夢にしても奇妙だと、そんな事を考えていた矢先。
「うわぁぁぁあ!」
あらん限りの爆音が近くで炸裂し、反射的に身体が跳ねる。
今や夢であった世界は霧となって薄れ、代わりに現実の世界がピントがずれたま
まで回転する。
ベッドの上を転がり、僅かな隙間を勢いに任せて乗り越え、掴んだ新境地はふに
ふにとして柔らかい。
「だぁぁぁあぁ!」
それが大河の胸だとは日頃の成果か簡単に判り、慌てて奈落見える逆側に身体を
回転させた。
無論、次に起きた事象は無情なる落下。落差60cmぐらいなものだが、衝撃が腰の
一点に集中すればかなりの痛みとなる。
竜児は腰の痛みに呻きながらも朝日に照らされた人影を睨む。
その人影はもうもうと白煙を吐き、"MORNING CALL"や"WITH CARE"と警戒色で描か
れたシールが貼ってある筒上の物を持っている。
「一体何なんですか!」
「おはようバズーカだ。良い目覚めだろ?」
狩野すみれは白煙昇るバズーカの銃口を竜児に向けて、にやりと笑った。
「普通にアラームで起きたかったですよ!って、おい、そこの変態。大河に近づ
くな」
おはようバズーカを喰らっても起きなかった女傑のベッドに半裸で入ろうとして
いる変態。つまり、北村に竜児は今現在持てる最大限の殺意をぶつけた。
「まぁ、そう怒るなよ、高須。ただの寝起きドッキリじゃないか」
だが、肝心の相手は一瞬足りとも怯む事なく、いそいそと大河のベッドに入って
しまった。
「北村……」
竜児の目が静かな憎悪と殺意に染まり、背後にはヨルムンガルドの蛇の幻がその
御身の端々を見せ、黄金に輝く眼で傘下に転がる餌を睨む。
それは先程の爆発的な殺意よりも凄みがあり、ぞくりと二人の背中を震わせた。
「ははっ、悪かったよ高須。ちょっとふざけ過ぎ……ん?」
顔を引き攣らせた北村が、ゆっくりとベッドから出ようとしたその時、ベッドの
中の大河がもぞもぞと動きだした。
「LA!!」
寝ぼけ大河のパンチは吸い込まれるようにして鳩尾に決まり、北村はひゅっと息
を鋭く吸い込んで意識を失った。
「……き、きたむら…だ、大丈夫か?」
「ヒュー、やるなぁ」
かたや先刻まで憎んでいた相手にも関わらず安否を危惧し、かたや恋人であるに
も関わらずパンチの鋭さを褒めたたえている。
それぞれのペアならば、これに一体どんな反応を示すのだろうか。期待したいも
のである。
だが、悲しいことに期待をかけたい二人は仲良く二度寝中だ。
「逢坂を助けなくて良いのか?」
「そっちこそ、北村と大河を離さなくて良いんですか?」
「フフッ、嫉妬が沸かないと言えば嘘になる。だが、それを表に出したって見事
な空回りを披露するだけだろ。北村が浮気なんかしない事は一番良く判ってんだ」
「…俺も大河が浮気を絶対にしないって判ってます。でも、普通は感情が先に出
てしまいますよ。今が特別なだけです」
「そのぐらい素直な方が良いんだ。私は何て言うんだろうな…曖昧な女なんだ」
おはようバズーカをベッドに放り投げ、あらかじめポットに入っていた紅茶を二
人分注ぎ、椅子に腰掛ける。



「それは…ご自分で?」
「いや、サービスの一つだ」
「ははっ、流石だ…」
今更ながら後悔がせめ上がって来て、竜児の顔に影を指す。
「下らん事で落ち込む前に棚の菓子を取って来い。こっちで話合おうじゃないか」
「…棚の、ですか?んー、あっ、これか」
棚の奥に有った多様な種類の菓子が積まれたバスケットを取り、それを机に置い
て狩野の向かいに座る。
「これこそ自分で買っ――
「サービスだ」
「へー、これもか。ほはー…」
能天気な声とは裏腹に、竜児の顔は陰り、手は世話しなくティーカップを撫でて
いる。やはり、竜児がこの場で抱くのは後悔の念なのだ。
「普通は喜ぶ所だろ。全く、お前達はやはり何処か変わってるなぁ」
その言葉に竜児の顔がばっと持ち上がる。
『俺達は正常だ!寧ろあんた達が変わってるんだ!そこに気付け!気付いてくれ!』
そんな言葉を喉元で止め、代わりに別の話題を文句と声帯の間の僅かな隙間から
搾り出す。
「駄弁する前に、少々質問させて貰っても良いですか?」
「やはりそう来たか。よし、どんと来い!」
「それでは」
カップの紅茶を一気に飲み干し、喉を命一杯湿潤させてから口を開く。
「なんでおはようバズーカなんですか!?そもそも非売品をどうやって手に入れ
たんですか!?ってか、此処のホテルがタダってどんなマジック使ったんですか
!?それと、昨日のあの集団一体何でしか!?宗教!?後、北村の事マジで宜し
くお願いします!!」
生まれて初めてのマシンガンの如き言葉の霰撃ちに息を荒くし、追加で注いだ紅茶
を一息に飲む。
そんな竜児を見る狩野は瞳をくるりと丸くし、唖然としている。
「そっちか…そっちを聞いてくるのか……」
「他に何がっ!?」
狩野の発言に今度は竜児が眼をまるくした。
今のは、彼女に日本人基準の神経は残されていない事を疑うには充分な発言となった。
「Excuse me.(失礼します)」
「あ、はい」
ドアの叩かれる軽快な音に反射のような早さで竜児が動く。
竜児がドアを開けると、そこには昨日竜児達を案内してくれた従業員が立ってい
た。
「I'll tell you that breakfast's ready.(御朝食の用意が出来ましたので、お
伝えにあがりました)」
「はぁ…」
眠っている二人を配慮して、どう答えを出すか迷っている竜児に狩野が一言。
「此処はテラス貸し切りの朝食だ。行かないと後約の客が困るぞ」
そう脅されれば行くしか無いではないか。
竜児は腹を決め、出来るなら自然に起きてほしかった大河を起こしに動いた。






「お前達、日本じゃいちゃいちゃしづらくて窮屈だろ?」
狩野が草ののどかな香を乗せた風に吹かれながら、此処のホテル自家製というソ
ーセージを抜き取ったフォークを竜児達に突き立てる。
その顔にはニヤつきが張り付いている。
「朝の事は……もう忘れて下さい」
竜児の顔が羞恥に染まる。その隣では、大河が俯いて髪を指で弄んでいる。
「あっ、これ、言うだけあって美味だな」
「聞いてますか!?」
顔色が羞恥の赤から怒りの赤へと変わり、犬歯を尖らせて睨む。
「デイビス。これ最高だよ」
「Thank Boss.」
「あんたはなんで先輩贔屓してるんだ!」
お客様は差別しませんがモットーの従業員にまで味方に付けられ、清々恨めしそ
うに睨むのがやっとだった。



竜虎が茶化されている原因は朝にある。
こんな優雅な朝食が貸し切り制で、さらに後約びっちりと聞かされて仕方無しに
二度寝した大河を起こしにかかった際の事だ。
異国の地の初日であるから、二人とも生活のリズムが崩れていた。だから、習慣
も変わっているのではないかと小さな期待を抱いていた節も在った。
だが、そんなちんけな望みはことごとく粉砕された。
ベッドに近付き、もう何万回も呼んだその名を呼ぶ。そうしたらどうだ。
「ん、りゅうじ…」
名前の主は寝ぼけ眼のままなくせに竜児に対して小さな唇を差し出して来たのだ。
「や、大河、あのな…」
「おはようのきすはぁ?」
これが習慣。
竜児にとって別に困った習慣な訳ではない。寧ろ、互いの好きを朝から感じられ
て嬉しい限りなのだ。
だが、それも時と場合に因りし。
何故好き好んで友達と従業員の前で甘々熱々ぶりを披露せねばならないのか。
「して…くれな…んん……」
だが、そんな躊躇いは大河の哀しそうな顔を見た瞬間に彼の中から聞こえた。
視界から大河意外が消え、いつもより激しく愛を示した。
大河の方もなんの抵抗もなく竜児の愛を受け入れ、少しだけ焦らされた分の埋め
をしようと竜児の首に手を回して引き寄せる。
唇が離れたところで、大河は漸く目を開けた。
「おはよう、りゅうじ」
屈託の無い笑顔での挨拶は竜児の胸を優しく絡め、締め付け、惑わした。
「ああ、おはよう、大河」
もう一度自分達の空間に入り浸る前になんとかそれだけを言うと、後はもう感覚
に任せて動いた。
その世界の外には客が居た。だが、湖面のように静かな心でいろと叩き込まれて
いる客も豪胆さで名が通っている客も流石に顔を赤らめ、このバカップルを直視
出来ていなかった。



そして、今に至る訳だ。
その場では恥ずかしがっていた狩野も、過ぎてしまえば友達の恥を目撃した思い
出にすぎないとし、朝食の間はその話題を振り返しては狼狽する二人の様子を楽
しんでいた。
「「ご馳走様でした」」
「「ごちそうさまでした…」」
朝食が終わったときには、人の朝の姿の模範のように元気な組と、眠りによって
得た活力全てを使い果たして疲労困憊の組に別れていた。
「それで、だ。お前達、何処に行きたい?」
「は?」
竜児は血を吸った経験のある日本刀を連想させるその眼を一段と妖しく光らせた。
苛立ちを敢えて露に出している。
昨日の北村の一件で、人を竦める術を少し学んでしまったようである。
「だから、デート場所だ。何処が良い?遊園地か?」
だが、怒気や殺気の込め方を知ったばかりの赤ん坊に怯むような狩野ではなかっ
た。竜児の苛立ち等お構いなしに話題を進めていく。
「何処でも良いの!?」
その誘いに飛び付いたのは大河だった。瞳をキラキラと輝かせ、夢見る少年のよ
うに興奮している。
「あぁ、構わないぞ。すみれさんのコネで大体の場所のチケットは格安で手に入
るからな」
虎を制する者は竜を制すと知っている北村が、彼女の夢を後押しする。
「WDWでも!?」
「WDWっつったら……フ、フロリダじゃねぇか!?駄目だ!駄目!こっからどんだ
け距離があると思ってんだ!!」
大河が行こうと言った。じゃぁ、フロリダに行こう!とは、流石にならなかった。
「WDWは私の範囲内だ。それに路銀なら心配するな」
断固拒否の姿勢を強くする竜児の前にドル札の束が放り投げられる。
「株で大くじ引き当ててな」
こうして、タブルデートの行き先はフロリダ州オーランドにあるウォルト・ディ
ズニー・ワールド・リゾートに決まった。


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