タンタンタンと小気味良い音が聞こえてくる。
ぽちゃぽちゃって音は豆腐かな?焼き魚の香ばしい匂いも漂ってくる。

「ん………ふぁ……ぁ」

ぼんやりとした頭がだんだんと目覚めてくる。
これは若奥様が甲斐甲斐しく朝食を作ってるところに目覚める、の図よね。
私たちは逆だけどね……と思いつつ目をあけ……あ、あれ?

目が開かない。まぶたが開かない。……なんだこれ!?
ぐぐぐ、と開こうとするとなんか引っ張られて痛い。
は? 何で? 何で私のまぶたが接着されてるの???

「りゅ、竜児――――っ!? 竜児っ、りゅ・う・じ――――っ!!!!!」
「おう! 大河、起きたかー?」
「ちょちょちょっと、ちょっとこっち来て、早く!」
「おう? どうしたんだ。ちょっと待ってろ」

ガチャンと音がしたのはガスでも消したのか。
そして気付く。……やばい! 私すっぱだかじゃないの!?
急いでかぶっていたタオルケットを引き寄せ身体に巻きつける。



「どうした、大河? 朝っぱらからでっかい声出しやがって」

竜児の声が真後ろ、つむじの上から聞こえてくる。

「ねぇ、私の目が開かないの。なんか痛くて………どうなってるか見て?」

フラフラとさまよわせている私の腕を竜児が掴む。

「うおおおおおおっ!?!?!?」
「な、何? どうなってるの? ……こ、怖いじゃないのよ、その反応!」
「いや、お、おまえ…………かびかびじゃねえか!」
「カビ? うそうそ! いやだいやだ、何で何で?」
「いや、カビじゃなくて……あー何ていうか………カピカピっていうか」
「????」

なんだろう、カピカピとは?




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




「…………………………………………」

「…………………………………………」

高須家を沈黙が包む。そして、私はようやく理解した。
世の中には知らない方が幸せなことがたくさんあるんだって。
じゃなくて、不要な好奇心は虎をも殺すんだって。いや虎のプライドを、か。
聞かないほうが絶対に幸せだった……だけどもう遅い。私は知ってしまった。


「…………………………つまり」
「おう」
「固まってるわけね、竜児の、その、アレが…………」
「そうだ!」
「そうだ! じゃないわよ! あぁなんてこと! 本当に最悪だわ! もう信じらんない!」
「おそらくだな、どっかに飛んだアレが布団とか髪とかに付いてて、それが固まる前に……」
「なぁに! 冷静に! 解説してんのよ!!!」
「いっ、痛い痛い痛い!!!!」


「ああああんあんた! もっ、もしかしてあの後、一人で……しょしょしょ処理を!?
 私が寝てる横でナニしてたんじゃないでしょうね!?」
「おおう!? まてまてまて! それは誤解だ! そんな……人としてあれだ……」
「じゃあどうしてこんなことになってるのよ!?」
「し、知らねえよ!」
「キーーーー!」

目が開けられるようになったらこいつを殺そう。何があっても殺してやる。

「っ! このしょぼくれエンジンが!! アフターケアくらいちゃんとしなさいよね!」
「しょっ、しょぼくれだとぅ? さすがにそれは非道いだろう!?」
「うるさいな! あんたなんか若さに任せた勢いだけのヘボ車よっ!」
「昨日の今日でなんて事を…………おまえは…………おまえは…………」
「ハッ! 数年も経てば中古車売り場に雨晒しで1桁の値札が付けられるに決まってるわ!
 それでシルバーマーク背負った爺さんに拾われるのが関の山よ、あーあ、悲・惨・だ・こ・と!」
「……………………………………」

はぁ?昨夜のこと?EDになるかも?そんなの知ったこっちゃないわ!!


「とにかく、はやいところこの悪魔の遺伝子が詰まった汚物を落とさないと!」
「あ、悪魔って、おまえ……」
「あ……ゆっくり目を開けば、ひらきそうかも……」
「やめろ! 目に……入るぞ?」
「ひーーーーーーー!」

思わずギュっとまぶたを閉じる。
こんなに身に迫る危険を感じたことが今までにあっただろうか? いやない。反語。
服を着るのは後回しだ。……一分一秒でも早く清らかな自分を取り戻さなくては!






タオルケットを巻いたまま立ち上がる。
ったく! 昨日の甘い時間を返せ馬鹿竜児!

「竜児っ! 誘導しなさい。ほら、とっとと立つ!」
「はいはい。……大丈夫か? 手を引いてやるぞ?」
「さ!・わ!・る!・なああああぁぁぁあぁ!!!!!!」
「わ、分かった! 分かったからそんなに怒るなよ。ほら、こっちだ。歩いて来い」

罵倒する時間も惜しい。
そんな気持ちのままに大きく一歩。二歩……の前に踏んだ。



タオルケットを踏んでバランスを崩す。すごい勢いで重力に引かれる。
ヘッドスライディングのように体が浮く。飛ぶ。やばいと思う暇もなく。

「ふぎゃっっ!?」
「う”っ!!!!!!!!!!!!!!」

何か、ポヤンと柔らかいところに頭のてっぺんから激突して止まる。
竜児が受け止めてくれたんだ。ま、当然よね――――ん、今の声は?

「お、お”お”おお、おぉぉぉお……」

受け止めてくれたおかげで膝から着地できた。
でも体勢が不安定だから、そのままずり落ちないように竜児にしがみ付く。



「……ちょっと! こっちは前が見えないのよ、しっかり受け止めてよね!」
「お”、お、ぉぅ、っ……………くぅぅ……ぅ………」
「何なの? あんた何なの!? 変な声出してんじゃないわよ、この発情犬!」

ふと、しがみ付いてる両手に違和感を覚えた。
あれあれ? これは太もも? お尻? ん? 竜児の手が上からポンと私の頭に置かれる。
なんか震えてるところも昨日の夜と同じだな………なんてことを思い出す。


そして―――――――――戦慄。


悪寒が首筋を這う。こ、これは………………やだ! なんてこと!?
忘れもしないつい数時間前に、このまぶたを塞ぐ忌まわしいものが
ぶっかけられた体勢と一緒じゃないの!?!?!?


「いやああああああああああああああああ!」

ドーンと両手で思いっきり竜児の腰を押しのけた。つもりだった。

「ぐわああああああああああああああああ!!!!!!」


ぐに? あれ?
手の平に残るいやな感じと、上から降り注ぐ獣のような咆哮。

……さすがに分かる。私は竜児抹殺計画をきっちりと遂行してしまったんだ。
この手応え…………さすがの私も罪悪感にまみれてしまうわね…………






倒れる竜児。畳の上で転げまわる竜児。音だけでも痛そうな竜児。


「うわっ! なんか痛そうね、あんた。だっ、だだだいじょうぶ?」
「だ、大丈夫なわけ…………ない……………………だろ」
「りゅ、竜児っ!? あぁ竜児! あんたは死んでもいいから私の目をどうにかして!」
「お……まえ……は………………水洗いだ。何度もゆすげば落ちる…………から……」
「分かったわ! えーっと、あっちが台所かな? 大丈夫、私、頑張るからね!」



返事がない。まるでしかばねのようだ。



……あ、なんか聞こえてきた。
消え入りそうな、か細い声でぼそぼそと。

「なんでだよ……どうしてだよ……潰さないでくれよ……潰されたくね…ぇんだ……よ」

そして脱力。音が止む。あぁ、死んでしまったのね、なんてかわいそうな竜児!!
心の中で手を合わせる。竜児は多分こっちに倒れてるはず。見えないけど。


……竜児はいない。けど、このくらいのこと一人だって何とかなるんだから!
心に固く誓い、私は立ち上がる。バサーっとタオルケットを投げ捨てる。
なんとしても! 私一人の力で! この真っ暗な世界を照らす朝日を! まっぱだけど!!

次は、色々と、もっとうまくやるからね竜児! だから許して!





―――そうして力強く踏み出した一歩は、三度目の正直とばかりに



――――――竜児の足の間に振り下ろされ、急所を踏み付けたのであった。




お  し  ま  い 






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