本屋にやってきた。この後はスーパーで買い物でもしよう。
目の前には女性誌のコーナー。


『オレンジページ』……『エッセ』……『クロワッサン』……
この私が家計の事なんか考えるようになるとはね……数年前まで全く考えた事無かったわ。
でも竜児との生活のためだもんね……あ、これって手作りパンの雑誌じゃなかったのね……

『ゼクシィ』……『ウェディングスタイル』……『ブライズビューティー』……
うん。お世話になったわね、これは。これを買った時は竜児と2人だったかな?
ぷぷぷ。バカみたいに真っ赤だったわよね、私たち。

――違う違う。そんなのを買いに来たんじゃない。少し移動してみると、

あった……これだ。 
『たまごクラブ』……これね。 ん?『ひよこクラブ』ってのもあるわね……
んんん??『こっこクラブ』ってのもあるわ……何かしら……こっこ。こっこ? コケコッコー?

…………分からない。謎だわ。
同じ系統の雑誌みたいだけど、私に必要なのは『たまごクラブ』よね。
たまご……たまごクラブ。素晴らしいネーミングね。
こう……なんて言ったらいいのかな……可愛いイメージで、守ってあげたい感じ?

ま、まぁいいわ。きっと役に立つはず。よし、買おう! これを買いに来たんだもんね。

「あっ…………」

横から手が伸びてきて、『たまごクラブ』が本棚から抜かれた。
誰かしら? って思いながらその手の主に目を向けると、

でかっ!?!?

どーん。と、まん丸なお腹がそこにあった。
思わず私のおめめもまん丸だわね、これは……なんて思いながらマジマジと見つめてしまう。
でかい……でかいわ、これ……この大きさって何ヶ月目なんだろう???

ふえぇー! ほおぉー! なんて感じで眺め過ぎだったんだろう……その女性が私の方を見てる。
……思わず耳を当てそうになったくらいだもん……怪しいわよね……




「…………」
「………………」


気まずい空気が流れる。だけど、私はまた横目でチラチラと……

この人が買うのか……『たまごクラブ』……
確かに私の何倍も必要そうだし、最後の一冊みたいだけど諦めようかな。

ペラペラとその女性が『たまごクラブ』をめくっている……その本が丸ごと乗っかりそうな……
そのお腹が……しかし、でっかいわね……本当に……
……これが……こう……このまま……私のお腹に……ひーーーーー!!!!

いま、頭の中で何やら奇妙な生き物が見えた気がする。
……こんなのが付いてたら歩けない、こんな、重そうだし……こんなの……こんな……

「あのー?」
「ひゃ! ひゃいっ!?」

いっけなあああああい! またガン見してたわ。 そりゃ変な人だわ、私……

「あの…………何か?」
「ごっ、ごめんなさい! すみませえええええん!」

逃げた。転ばずに逃げた。私えらい。
ごめんなさい、見知らぬ妊婦さん。私にそのお腹はきっと無理。もう、絶対無理!



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ああ、また走っちゃった。いけない、いけない!
何だろう……考える事が多すぎるのかな?
頭の中で色んな考えが回転してて、それが速すぎてグルグルーって目が回る感じ。
誰かに話せればいいのに……竜児はお仕事忙しいのかな……
そう思いながら携帯を開けるとメールのマーク。


……りゅうじだっ!! ピッ―


『朝は悪い。
 夜はいつも通りに帰れそうだ。
 いい子で待っててくれ』

『本当? 良かった!
 今日はごちそうにするからね、竜児!
 気を付けて帰って来てね!』

ピッ― 


と、3秒でメールを送って携帯を閉じる。

……やっと、だね。やっと会えるよ、竜児っ!
昨日会ってたんだろうけど、私は覚えてないからノーカンだもん。
大変! 早くお買い物して帰らないと!



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



コツコツとアパートの階段を登る私。
階段を上がって最初のドアが私たちの部屋。奥の部屋はどんな人だろう?
鍵を開けてエコバックを置いて靴を脱いでると、リビングの家電が鳴った。


チリリリリリン― チリリリリリン―


……りゅうじだっ!! どどどどど! ガチャ!


「りゅうじっ!?」
「あ、こんちはー大橋新聞ですけどー」
「あんた誰よっ!!!!!!」
「ええ!? っと、だから大橋新聞」
「黙れ! そして消えろ!」

ガチャン―

ふん! 消してやったわ!
だいたい竜児のフリして電話してくる時点で死刑ね、死刑!


……あ、また走っちゃった。ドタドタ走ったら良くないよね。気をつけないと。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



パータパタママ、パータパタママ、パッタ・パ・タ♪

パータパタママ、パータパタママ、パッタ・パ・タ♪

わーたしは虎、 あーなたは竜、 ラ・ブ・ラ・ブ☆

……さむっ……あまりにもアホな歌ね、寒いわ。

でも楽しいからいっか。フンフン鼻歌を歌いながら掃除する私。
それにしても、夫にして姑……なんて最悪もいいところよね。
でも、やっちゃんに姑っぽいところが全然無いからプラマイゼロかな。

っていうか、私が話してるのそっちのけで掃除に夢中になるなんて失礼よねー
だから自然と掃除もきっちりやるようになっちゃったのよね……
今日は特に……竜児の掃除魂を刺激しちゃいけないわ。ピカピカにしとかないとね。


コツコツコツ―― ピンポーン―


……りゅうじだっ!! だだだだだ! ガチャ!


「おかえり、竜児っ!!!!」
「あ、こんちはー大橋新聞ですけどー」
「……死刑ね、あんた死刑って言ったわよね?」

そのアホロンゲ新聞屋を睨み付ける。似てるけど……あのアホじゃない。

「はっ、はいい!?」
「一度ならず二度までも、この私を騙そうとするなんて……」
「あの?……なにか僕、やっちゃいましたか?」
「だから! 死刑だって言ってんでしょー!?」
「ひいいいいいぃ!」
「またんかーーーいっ!」

チッ……逃がしたか。はあぁ……何の用だってのよ……こんな時に……
ぶ厚い雲の切れ間から夕日が見える。雨は上がったみたいで良かった。
……本当に、あと少しで帰ってくるね。……帰ってくるよね?……竜児。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



うわぁ……ちょっとこの肉高すぎたかしら、なんて思いながら切る。
でもいいよね? 今日は特別な日だもんね……そうだ……しまった! ああっ! なんてこと!

すっかり考えるの忘れてた……竜児に何て言って伝えよう……
こうなったらその場の流れで言うしかないよね。勢い付ければいけるでしょ!

そろそろ帰ってくるかな。久しぶりに竜児に会う感じがするな。
まだかなー? まだかなー? なんて思いながらご飯の準備をする。


そこに、コツコツコツ――と靴の音。

――来た?

でも……お隣さんかもしれないし、また新聞屋かも…………

ガチャ――

「!?」
「ただいまー大河ー」
「りゅうじぃーーーーーー!!!!!」

ずどどどどどど! ボフッ!

「おうっ! 今日もいい突進だぞー大河」
「りゅうじりゅうじっ! おかえりなさい!」
「おう、ただい…………ま? どうした?」
「ううん。何でもないよ?」
「いや、ちょっと涙目じゃないか?」
「たまねぎだよ、たまねぎ! ほら、早く着替えてね」
「わりいな、寂しかったか?」

なんて言いながら軽く屈んでキスしてくれる。
でも、それは一瞬で……微かに夜の気配を伝えるだけ。




「そっ、そんなことないよ? ほら、いいから着替える」
「分かった分かった。今日はごちそうだって?」
「そそそ。すき焼きにしてみましたー!」
「そりゃーいいな!」
「へへへーでっしょー? やっぱりこれから暑くなるし、スタミナ付けないとねっ」
「よーし、それじゃ着替えてくるからな、何か手伝うか?」
「いいのいいの。座ってて。私にまーかせておいて!」
「はいはい」

「……ねぇ、竜児……?」
「おう?」

背広の背中に声をかける。でも……

「……ううん。何でもない。今日も……その……お疲れさま」
「おーう」
「………………」


背を向けたまま手を振ってリビングに消えていく竜児を見送る。

さて……と。
豆腐は入れたし、後は薬味薬味……タンタンタンとネギを切ってると、

「たーいがっ!」
「うわう!?」

竜児が後ろから抱き付いてきた。つむじの上から声が聞こえてくる……もう!

「大河も上手くなったもんだな? 俺の出番が無くなっちまう」
「だから、あんたは座ってなさいって言った……」

と、真上を向いた時にはもう、竜児の唇は私の目の前を通り過ぎてて。

「んっ……」

つい。と竜児の手が私のあごに添えられてて。
そよ風に撫でられたみたいにふんわりと唇を塞がれた。

カチャリ、と私が包丁を置いた音がする。
そのまま自然に寄りかかると、竜児の腕が私の身体に巻き付いて来て。
竜児がキスを終えるまで、私は身動き一つしなかった。



……唇が離れて、うっすらと開けた瞳で見つめ合う。

「ね、お外のにおいが……する」
「すぐに……お家のにおいになるさ」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「……もう。包丁持ってる時は危ないって教えてくれたのはあんたでしょ?」
「おう? まぁ、ビックリさせなければ大丈夫だろ?」
「次やったら刺すんだからね!」
「……くっくっく」
「何よ? あんた、いくつになってもキモイわね……」

「俺は知っている。後ろから抱きついた時に包丁を寝かせた場合はキスOKだっ!
 逆に、機嫌が悪かったりするとおまえは包丁を握り締めたままだ」
「――っ!」
「つまり! 抱きついた時点で勝負は付いてるのだよ、明智君!
 いや、包丁を寝せたおまえは俺のキスを待っているということか……くっくっく」

カチャリ、と包丁を握り締めた。……それはもう、力いっぱいに!!!

「おおおう!? タンマ! タンマだ、大河!」
「あーんーたーねー!」
「わ、悪かった。……な? ……な? ブレイクだ、どうどうどう」
「思ってても……言ったら恥ずかしいでしょっ!」
「ははは。まぁまぁ。お、ご飯持ってくなー」
「あっ、逃げるな竜児っ!」

デリカシーだけは持ち得ない男、それが竜児。……まぁいいか。いつものことだもんね。
……というか、あのまま甘い雰囲気に持ってかれても困るというか……何というか……



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



ドン! とテーブルに鍋を置く。蓋をおりゃーっと開けて、

「牛どーん! だよ、竜児っ!」
「おう! こいつぁ旨そうだな、食うか食うか!」
「でしょでしょ? 食べようー いっただきまーす!」
「……おい、大河?」
「何?」
「たまねぎは……どこにあるんだ?」

「竜児、生卵入れてあげるね?」
「うおい!? バカ! そのまま握りつぶすつもりじゃないだろうな?」
「そうよ。たまねぎなんてつまらない事を聞くやつには、卵の殻まで食べさせてあげるわ」
「わ、悪かったって! な、ごめんごめん」
「フン! ほら、早く食べましょうよ?」
「おう」

ふふ。やっぱりいいお肉買っておいて良かった。
いい食べっぷりね、こいつ。なんせ牛だもんね! それじゃ私も……

『―――偏食は――影響が―――』

あ……お肉ばっかりじゃ良くないわね……うー、我慢しようかな……

「竜児、おかわりもあるからね」
「おう。おかわり!」
「あんた早いわね……」
「腹減っちまってな、そういう大河はどうした?」
「へっ!?」
「あんまり食べてないじゃねえか。つーか、ほとんど肉食ってないよな?」
「ああああの、えっと……適当に食べてるわよ? それにほら、竜児にたくさん食べてもらいたいし」
「そうか? まぁ、前みたく俺のおかずまで全部食わない限りは、遠慮なんかいらないんだぞ?」

「……そうよね。……ね、ねぇ、竜児……?」
「おう?」
「…………ううん」
「?」
「うん、と……いいお肉だからちゃんと味わって食べるのよ?」
「へいへい」


タイミング、なのかな?……その後の一言が出て来ない……



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「 「 ごちそうさまでした 」 」

「なぁ大河?」
「ん?」
「んー」
「んー じゃないっ! タコみたいな顔すんな、キモイ」
「キスし足りないんだよー な? たーいがー?」
「私だって足りないわっ!」
「な? な? それならいいだろう?」
「……ったく。そこでそのままにしてなさいよ?」
「はいはい。 んぅぅー」



カチリ―― ピロピロリン―― パシャ――



「なっ!?」
「ぷーーーーーーーーっ! きっもい!! キモイわ、この顔! あははは!」
「おまえ!?」
「さてと、これも新しいコレクションにしないとね。今日のタイトルは……『油ギッシュ竜児』に決定っ!」
「大河、てめっ! コラ! 消せよ、それ! 携帯渡せー!」
「いやよっ! うわっ!? きゃあああ!」
「うおっ!?」

……畳に押し倒された。遺憾だわ。見上げると竜児。

「た、たいっ……」
「ご・ち・そ・う・さ・ま のキスよね?」
「……お、おう」
「いただきまーす! とかベタな事言わないわよね?」
「ぐっ……」
「ならいいわ……ホレ」

そう言いながら、あごを上げて目を閉じる。
キスは……してあげるのもいいけど……やっぱり待つ方がいいな。
いつ来るか……どこに来るかって、ドキドキするもん……



カチリ―― ピロピロリン―― カシャ――



「ちょっ!?」
「おう。これはイイ写真だ! 『来て……』って感じで最高だぞ、大河?」
「っ!? りゅうじいいいぃっ!?」
「うおー怖い怖い! ははっ。お返しだ!」

あ、起き上がって逃げた! またんかーい!

「俺はこれを壁紙にする! 携帯を開ける度に『来て、竜児……』 くあーたまらん!!!」
「ななななにをバカな事言ってんのよ、あああんたはっ! そんなのダメ!」

そう言いながら部屋の隅っこの方まで逃げる竜児。





「だったらおまえこそ、キモ顔コレクションとか集めるの止めろよな?」
「それとこれとは別よっ! 壁紙なんかにしたら他の人に見られちゃうじゃない!」

……これは……もしかしたらチャンスじゃないかしら……?

「……それに……ね、竜児。そんな写真よりも、もっといいものが……あると思うけど?」
「ん? これも最高だけどな。もっといいものって何だ?」

この子の写真を撮っ――――

「――――――っ」

声が出ない。あごをあうあうと動かしても、喉から何も……空気しか出ない……

「??」
「……………………わ、私の……ヌード……とか?」
「マ、マジか!?」
「…………う、そよ……バカ……」


……何で?――――


「なぁなぁ、大河。お風呂一緒に入ろうぜ?」
「あんた……今ので発情したんじゃないでしょうね?」
「違う違う、そんなんじゃねえよ。明日は土曜日だしさ、な、いいだろ?」
「まぁ……いいけど……」

お風呂でのんびりしながら……も悪くない……かな?



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「おーい、大河?」
「んー?」
「風呂沸いたぜー? 俺先に入ってるからー」
「はーい、今行くー」

お風呂か……今日はちょっと気をつけないといけないな、と思いながら服を脱ぐ。
大事なところだけ手拭いで隠しながら扉を開けて中に入る。

……私も恥知らずになったもんだわ。昔はバスタオル巻いてじゃないと入れなかったのにね……
バスタオルを毎回洗濯するのはMOTTAINAI!!!
だからせめて手拭いにしよう! ……なんて、何とも上手いわね、竜児?

「何よ、ジロジロ見るんじゃないっての……」
「つい……な。しょうがないだろ?」

ちょっと身体を流してから湯船に。む……何よ、そっち側?
しっかし……餌をもらう前に尻尾を振ってる犬そのものね、この顔は……

「よいしょ……っと」
「おう。今日も軽いな、大河」
「あんたさ、せっかく湯船が広いのに……何で私はこっち側なわけ?」
「何だよ? 今日に限ってそんな文句言うなよな?」
「…………」

私の肩の上に竜児が顔を乗っけてくる。
そのまま、私は肩までお湯に入って暖まる。

「ふいー」
「収まりいいだろ、大河? な? やっぱこっちのがいいだろ?」
「……うるさいっての」

さて、どうやってこの子の話に持っていこうかな……なんて考える間もなく、

「ちょ!? あ、あた、当たってるわよ、あんたの!」
「そうだな」
「そうだな。じゃなくって……さすがに早すぎでしょうよ……」
「俺は正直なだけだ。なー大河? あむっ!」
「きゃっ! 吸い付くんじゃないよっ! コラ! だめだって、竜児! まだ暖まってもいないっての!」
「うごうごうごうご! もごもごもごもご!」
「口を離してしゃべれバカ!」

腕が伸びてきたのを察知して湯船の反対側に飛びずさる。危なかった……

「なんだよーいいじゃんかー? なぁー? 大河の肌に飢えてるんだよー」
「だからそれはっ! 私だって飢えてる!……って……言って……何言わせるのよあんた!?」
「ぶおっ!? おい、鼻ん中にお湯が入ったぞ?」
「そんなの知らない! あんたの桃色脳細胞が悪いんでしょうがっ!」
「ぶわっ!? げほっ! たっ! たい……ごぼっ!……大河ぁ!」

ふん。やっと大人しくなりおった。やっぱりブレーキ掛けないと危険だわね。

「……こんなにお湯が減っちまったじゃねえか……なんてMOTTAINAI!!」
「エコの神様に誓ってあんたが悪いのよ。 さーて……身体洗おーっと」





ザバーとお風呂から上がる。……チッ……視線がお尻に絡みつくわ……
まずいわね……こいつ、今日は我慢出来ないかもしれない……どうにかしないと……

「ねぇ、竜児。髪の毛洗って?」
「おう? 今日はちょっと……疲れてるからパスかな」
「何よ? どうせ私が洗ってる間、ずっと視姦してるつもりでしょ? ばーれてんのよっ!」
「くっ……ま、まぁいいか……」

と言って竜児も湯船から上がってくる。
……そっちは意図的に見ない。ワカメ見ちゃいけない。
椅子を並べて私の後ろに来る……のかと思ったら前に来やがった、こいつ……

「……ねぇ、何で前からなの?」
「うむ。上手く言えないんだがな……こうしないと洗いたくないと俺の全身が叫んでるんだ!」
「あんた、本当にバカになったわね。何なの? 今日のそのテンションは? つっかれるわねぇ……」
「まぁまぁ、さーて流すぞー」
「わぶっ!」

有無を言わさず、頭の上からザブザブお湯を注がれる。
……しょうがないから目を閉じて前に屈む。
シャンプーを付けてワシャワシャ洗い始めたので、ゆっくり目を開ける……開けた……

「おい!!!」
「な、何だ大河? そんな乱暴な言葉使いはよくないぞ?」
「この格好……あんたのワカメのド真ん前じゃないのよ!!!」
「おう、気付いたか。 だが大丈夫だ! 何も問題ない!」

「つーか、タオルくらい掛けなさいよっ! この恥知らず! 変態! 
 あー……今日ほど変態って台詞を心から言ったことは無いわ……無いわよ竜児っ!?」
「まぁまぁ。落ち着けって。なぁー大河ー?」
「…………」

下半身は丸出しなのに、洗ってくれる指先は繊細……心地いいのも、いつも通り。
策士ね、こいつは、本当に。……しかも発情してる時ほど鋭さが増す気がする……何とかしてよ。

……やばいわね、これを視界に入れちゃうと、変な気分になる……
ぐぐぐ。と歯を食いしばってそれを見るのを耐える。
何故って……それは、見ちゃうから……何だかんだ言って見ちゃうんだもん……


……ハッ! いけない!!!
ここでおっぱじめちゃったら、またあの階下ロックが始まっちゃう……
そしたら寝るまで静かなムードになんかならないかも……まずい、まずいわ。


「よーし終わりだ。いい子でしたねー」

ザバーっと泡を流してくれる竜児。
いい子……いい子……この子も、こんなふうに竜児が洗ってくれるのかな? 
なんて思いついたら、心が落ち着いてきた。すごい鎮静効果だわ……この子すごい!
私の脳みそは灰色に戻ったぞー! みたいな?

「ありがとっ、竜児。気持ちよかったよ」





……うん。いい感じ。
こういう優しい気持ちになって、それで伝えればいいのよね、うん。
正面の竜児に微笑みかける。竜児も優しくこちらを見ている。うんうん。いい感じよ!

「おう。お安い御用だ」
「今度は私が洗ってあげるね」
「よーし、やってくれ」

と言って、竜児はそのままこちらに前屈みになる。 は? なにこれ?

「え、っと……普通に背中の方から洗うよ、竜児?」
「いいや、これで洗って欲しい」

ヒク……とこめかみが震えた気がした…… 
いけない、いけないわ、今日は大事な日なの……こんな事で怒っちゃいけない。

「いやよっ! だって、それ絶対に私の事触るつもりでしょ? もう絶対怪しいもん!」
「いいや、俺は絶対触らない! 誓うぞ、大河!」
「……無駄に熱いわね、あんた……まぁいっか。 おっこいしょ……っと」

ザバーっと竜児の頭にお湯を掛ける。
あ、確かにそれほど腕を伸ばさなくても届くし……洗い……やすい……

「…………」
「あんた……………………」
「どうした? さぁ、洗ってくれ大河」
「いま、頭にお湯掛けた時も……目を閉じなかったわよね?」
「おう」

「あんた、それだけの熱心さでどこを見てるの? その斜め下45度の視線の先には何があるわけ?」
「胸、だ」
「…………」
「いや……正確に言うと、胸から太ももくらいまで自由自在に見れる。見れるぞヒャッホー!」
「……………………」

ヒ、ヒクッ……また、こめかみが……い、いけないいけない、いけないのっ!

今日はこのテンションに付いていけないから辛すぎるわね…………
『ああん、りゅうじぃ! エッチなんだからぁ♪ そんなに見られると熱くなっちゃうYO☆』
とか何とか言って……いや、そこまでひどくは無いけど……乗れてた自分を消したい……消したいわ。

冷静に見ると竜児ってバカだったのね。もちろん、私もだけど……なんてことかしら……



取りあえず、何とか視線に耐えながら頭を洗い終わった。
……つ、疲れた。これは疲れたわ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



背中を流すと言うので、私は後ろを向いた。
後ろから背中をゴシゴシしてくれる竜児。そっち向いちまうのか……なんて台詞は無視。

「もっちもち〜もっちもち〜ふふ〜ん♪」
「…………」

思わず頭を抱える。やっぱり自分で洗うんだった……

「大河〜洗う〜届け〜僕のうた〜♪」
「届かないっつうの!」
「おう? それなら届けてやるまでだ」
「だいたい何なの? そのアホ丸だしの歌は……ひゃっ!」

後ろから抱きつかれた。泡まみれはやばい。

「ちょっと! ここじゃダメだって! お風呂出たら! ね? ね? 竜児っ!?」
「へへへーたーいがー♪」
「聞いてよっ!」

指先の動きが変わった。明らかに洗うための動きじゃない……
しなやかに私の肌の弾力を楽しむかのように指先を滑らせてくる。

ピキピキッ……と、こめかみが……あぁもう……限界かも……

「たいがたいがー♪」
「――っ!?…………このっ!!」

振り向きざまに、バシっと、アレを叩いた。
こう……斜め上から振り抜いてみた……割と本気で……

……ごめんなさい、別にあなたが用無しになったって訳じゃないのよ?
でも、このお風呂だけは死守しないといけないの! 静かな夜にしないといけないの!




「くうぅぅ……効いた……今のは効いたぞ、大河?」
「いい加減収まりなさいってのよ! あと少しの辛抱でしょっ!?」 
「たまにはこういう刺激もいいな、大河」
「んなっ!?」
「俺は新しい世界に飛び立てそうだったぞ!」

と言いながら、もう一度抱きついてくる。

「ちょっ!? だから、ダメだって!……あっ!……」
「なぁ〜2人で飛び立とうぜ〜たいがぁ〜?」
「だから!……やっ!……待てと言ってるのよ私はあああぁ!」
「待てないんだよおおぉ!」

こ、こいつは!……私がこんだけ頑張ってんのに!……耐えてるってのに!

ミシイッ! という音がこめかみから聞こえた気がした。…………うん。よく頑張ったよね、私。


「うぉらああああっ!」

腰をひねって私の椅子を斜めにずらす。その後ろに竜児の座ってる椅子がある。
ひねった勢いを踵に乗せて、そいつを思いっきり……蹴り抜いた。

「うおおおおっ!?」

だるま落としみたいにドスっと竜児はしりもち。拘束が解けた隙に私は壁際まで逃げて、

「遺憾だわ…………本当に遺憾ね、竜児……?」

シャワーを右手に持つ。このアパートのシャワーは最新型。

「ってえな。ひでえよ、大河!?」
「私、頑張ったのよ? これでもね。あんたの桃色脳細胞に染めらないように一生懸命頑張ったの」
「な、何だよ?」

水平になってるレバーを下げるとお湯が出る最新型。かっこいいよね。

「まさか……これをまた使う日が来るなんてね、私も思ってなかった。 
 私もあんたも、どっちもいい感じで桃色だったもん……気付かなかった方が幸せよね、ハハハ……」
「たい、が? おい、大河?」

大きなレバーはシャンプーのすすぎの時とかに便利なの。さすが最新型よね。




「初めてコレを使った時にね? コレは年を重ねるほど危険じゃないかなって思ったわ」
「お、おい……まさか……」
「ハタチそこそこのあんたに使うのですら、すごくためらわれるのよ……竜児、分かってね?」
「わ、分からねえよ……待て、まてまて!」
「でもね、でも……でもね……しょうがないの。ごめんなさい、竜児。しょうがないのよ!」
「何がだ? 何がしょうがないんだよ!?」

左手で水温調整バーを一番左に回す。ちなみに左は青。右は赤。

「私、頑張ったの! とっても頑張ったのよ! でもダメだった……あんた止まらなかった!
 私はもう……これに縋るしかないの!!!」
「おおおおおれは冷静になった! もう大丈夫だ!」
「冷静になったってしょうがないの! だってあんたのそれ、全然大人しくなんないんだもん!」

シャワーヘッドのレバーを回すと一点集中になる。お風呂掃除の時とかにとっても便利よね。

それを左手でカキン― と

「!? 待て、話し合おう! ……な? ……な? もう大丈夫だから!!!」
「う、うるさいうるさいうるさぁい! あんたが悪いのよ? 
 私はここじゃダメって言ったのに……聞いてくれないあんたが悪いんだあっ!」

シャワーを竜児に向ける。水量は十分。勢いがあるし、手を離したら大惨事だからぎゅっと握ろう。

「わ、分かった! もう何もしない! 約束する!」
「もう聞かない。言っても無駄だもん。こうして話してたってあんた全然ちっこくならないじゃん?」
「そっ、それは無理だろ? おまえ真っ裸だし! モロ見えだし!」

左手のこぶしを硬く握り締めて、そのレバーの上にゆっくりと振り上げる。

「そうよ……ここはお風呂だもんね。お風呂らしい格好してるだけよ?」
「やめろ……やっ! やめっ…………」
「……だから、お風呂らしいやり方でやったるううううぅぅ!」

そう叫びながら、思いっきり振り下ろした。

「静まれえええええええええええい!」
「ぎょわあああああああぁぁ――!」



◇ ◇ ◇ .



「―――ぁぁあああ! つべだ! 冷たい!」
「大丈夫よっ! 下半身しか狙ってないじゃん!」
「そういう問題じゃなくって!」
「ほら! 出しなさい、竜児! 手で隠してんじゃないわよ!?」

私はゆっくりと、丸まってる竜児の傍まで近寄って行って、

「無理だって! おまえめっちゃ痛いんだぞ、これ……って、ええええええええ!?!?」
「りゅ・う・じっ☆」
「おい、おまえ…………何を……俺の手を掴んで……何を…………」

「簡単な事だったのよ、あんたに手をどかしてもらう必要なんて無いの。
 こうやって片手だけでも私が掴んでれば……ね?」
「おい……やめろ……無理だって……片手じゃ無理だってえええええぇぇ!」

「覚悟きめんかーーーいっ!」
「やめてぇえええええええええぇぇ!」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「ふう……遺憾だったわね……」
「俺が遺憾だよ……使い物にならなくなったらどうするんだ?」

竜児はブツクサ文句を言いながらも、いつも通りのドライタイム。
我が家のドライヤーはベット脇に常備されている。
コンセントの位置も決まってる。私の髪を乾かすのは、いつも竜児。

ベッドの上で胡坐をかいて竜児が乾かしてくれてる。
竜児の髪は……まぁほとんどが自然乾燥。男の人って簡単でいいわよね。

この子をお風呂に入れて……出して……どうなるんだろう? どんな順番かな?
あっ……そしたらこうやって髪の毛を乾かしてくれなくなっちゃうのかな?
さっきはひどい事しちゃったな……せめて今からは優しい私でいよう……うん。

なんて、取りとめもなく考える。要は緊張してるんだ、私は……
お風呂で頑張ったおかげで、階下ロックも響いてこないし……2人っきりでベッドの上。

……よし、これ以上ないわね!


「竜児っ!」
「おう。もう終わりだ……ん? どうした? 正座なんかして」
「いいから。竜児も正座するの」
「分かった……けど。いったい何なんだ?」

正座で向かい合う私たち。膝がくっつくほど近い。
落ち着いて……落ち着くのよ……そう言い聞かせながら竜児を見つめる。

「あのね、竜児。わ、私ね……聞いて欲しい事が……あるの」
「だから正座か? よし、聞こうじゃないか。何でも言ってくれ」
「う、うん……」
「…………」
「…………」

沈黙の中じっと見つめあう私たち。
竜児は私が話し出すのを待ってる……のに、なかなか言葉が出てこない。





「…………」
「おい、どうしたんだ? さっきからピクリとも動かなくなりやがって……」
「あ、あぁ! えっと……はな、話しが……あるのよ……」
「おう。それは分かったから、だから何だ?」
「……………………」

鼓動がだんだんと早くなるのを感じる……いざとなると、やっぱりドキドキするな……

「大河? 何だよモジモジしてんじゃねえって。恥ずかしい事でも言おうとしてんのか?」
「ちがっ! …………ち、違うの、そんなんじゃなくって……」
「?」
「う……うぅぅ…………」
「おまえ……今更そんな、あ、赤くなるんじゃ……ねえよ……」

ドキドキが止まらない。顔も熱くてボーっとしてきた。何か告白する直前みたいな……感じ。
そうよね……ある意味告白のようなものだもん。そりゃ緊張する……よね。

「………………」
「おまえ……だから、そんなに照れるなって……なんか……初々しい気分に、なっちまうだろ?」
「うう、うううるさいな。……いいから聞いてよ……」
「そうは言っても……昔に戻ったみたいな……いや、今のおまえが可愛くないなんてことは、
 全然まったく無いんだが……こう……甘酸っぱい気持ちになっちまうじゃねえか」
「何よそれ……そんな……そんな事じゃないって……ちょっと黙っててよ!」
「……おう。何だか分からねえけど……そこまで言うなら、黙ってる」

そう言って、真剣な眼差しを向けてくる竜児。

「えっと……えっと、ね……その……」
「?」
「あの……だから……その…………」

竜児が変なこと言うから……余計に恥ずかしくなってきた……
しかも、竜児が……じっと、じいっとこっちを見てるんだもん。
ベッドの上でその目はダメだよ、竜児……違う事まで思い出しちゃうじゃない……
膝に置いた手の平をぎゅって握って……勇気を出して……

「私ね、その……身体がね、その……変になっちゃったっていうか……」

あああ、違う! なに言ってんの私!! くうぅぅ……は、恥ずかしい…………

「変?」
「違う! ちがくて……変ってわけじゃなくて、ほら、おかしい?……感じなの……
 ほらほら、よく……よく聞くでしょ? その……女の子の身体が、その……変になっちゃう時って」
「お……おう……そ、そんなに変なのか?」
「そうなの! もう、今まで経験したことが無いくらいに、おかしい事になっちゃってるの!」
「っ!?…………そんなに……なのか?」

恥ずかしい……けど、目を逸らしたくないから必死で竜児を見つめる。

「わ、私1人じゃ、ね……どうしようもないの。どうにもならないっていうか……わ、分かるわよね?」
「なんとなく、だが……」
「……だからね……2人でね、力を合わせなきゃいけないの……」
「そうだな。1人でどうしようもないなら……そうするしかないよな」
「わ、分かってくれた? 竜児にもね……いっぱい……協力してもらうことになると思うの」
「そう……か……」





竜児の顔が、何だかとっても赤い……でも、真剣に聞いてくれてるのが分かる。
それが嬉しくて、身を乗り出して、もっともっと竜児の近くに寄る。吐息が掛かるくらいの距離で、

「いっぱい……だよ? 大変だと思うけど……いっぱい、頑張って……くれる?」
「…………お……おう!」
「私が何を言いたいか……分かってくれた?」
「もちろんだ!」

良かった……伝わったんだ……自然と笑みがこぼれる。
安心感? 幸福感? 分からないけど……でもすごく嬉しくて、とろけそうな笑顔になる。

「よかった……」
「――っ!?」

竜児が固まった。真っ赤な顔で、そのままじっと私を見つめてる。
でも……おめでとう! とか何か無いわけ? 普通あるわよね?

「……そしたら、何か言う事があるんじゃないの、竜児?」
「ん? どういうことだ?」
「相変わらず鈍いんだから! もう、しっかりしてよね? 分かっていながら何も無しなの?」
「わ、分かった! 分かったぞ、大河あああぁ!!!」
「きゃあっ!?」

ガバッと抱きしめられて、そのままベッドに押し倒された。

「ちょっと? あんた、本当に……わ、分かったの?」
「おう! 分かってるぞ……俺が何とかしてやる! 全力で何とかしてやるからな!」
「へっ?……いや、あんたが何とかするって……言ったって…………どうやって?」
「だから……全力で……あれだ。思いっきり気持ち良くしてやるからな!!!」
「ち…………」



ちっがあああああああああう!!!





なに言ってくれちゃってんの、こいつは?
あれあれ? 何か間違えたかな? なんて考える間もなく唇を塞がれる。

「んんっ!?」

竜児のキスは、素直な自分の気持ちを丸ごとぶつけてくる。
誤魔化さないで、飾らないで、自分の情熱を丸ごと込めてくる。
だから……私は抗えない。あっという間に竜児の熱が伝わってくる。

しょうがない……これは止まらない……止められないな……
私だって昨日は寂しいのをいっぱい我慢したし……お風呂では我慢させちゃったし…… 
なんて冷静に考えながら、唇は抵抗なく竜児を受け入れてって……


『―――激しい運動――控えて―――』


――!? そうだ! ダメだ! やばい! 思いっきりなんて……絶対ダメ!

「ひょ……ひょっと、竜児? ねぇ、待って……あむっ………」

……また塞がれた。……まずい……まずい……まずいまずい!


竜児は決して自分の都合なんか押し付けて来ない。
私を傷つけないように気遣ってくれるし……ある意味、臆病なくらいに、何度も確かめる。
体調や機嫌が悪い時はすぐに気付くし、気付かなくても会話や雰囲気で大体分かってくれる。

このキスだってそう……寝る前のおやすみのキスじゃない……これは始まりのキス。
いいか?って聞いてる竜児に、私はいいよ。って……もう答えてしまってる。
だから……その一線を越えてから拒んだ事なんか無い。今まで……一度も無い。

そんな事を考えてる内に、条件反射のようにいつもの流れが再現されていってしまう。
プツ、プツと、パジャマのボタンが外されていく。……ダメ……止め……られ……


『―――不安定――割と――しやすい―――』


「……っ!! だめえええええええぇ!!!!!」

ドンッ!!! と、ありったけの力で竜児を突き飛ばした。

「たっ、大河!?」





一瞬で空気が凍りついた。
私も竜児も、まるで石像になったみたいに見つめ合う。


「……っ! 違う、違うの竜児! 嫌じゃないの、全然! 嫌なんかじゃないの!」
「おまえ…………だって…………」

ひどく……うつろな……呆然とした顔で私を見てる……
ズキッと、心臓が半分に握り締められたような痛みを感じる。
そんな……そんなに悲しそうな顔しないで……竜児……いやだ……怖い……

「ご、ごめん……ごめんね! そんなつもりじゃないの!」

悲鳴のような声が出た。
その声が必死であればあるほど、無かった事になるとでも思ったんだろうか、私は。

「じゃあ……どんな…………つもりだよ?」
「それはっ! それは…………………………」

あああ……ちゃんと言わなきゃ分かってくれないよね?
でも……でも、こんな悲しそうな顔をしてる竜児に……言えない。
こんなに冷たい空気の中で……なんて……無理。言えない……言えないよ……

「ごめん…………」
「……じゃあ……俺は寝る」
「あっ…………」

そう言って布団に潜り込んでしまう竜児。
それに追い縋るように私も布団の中に入る……けど、竜児はこっちを向いてくれない。
大きな背中が山のように私を拒んでるみたい。……違う……拒んだのは私の方だ……

何で……こんな事に……こんな…………こんなの…………
怒らせちゃった? ううん、きっと、竜児をすごく傷付けた……
竜児の背中に当てていた手の平が、無意識にパジャマを掴んでしまう。
そこから震えが伝わる――――私は、声も出せずに泣いていた。


「ったく。どうしたんだ? おまえ変だぞ?」
「ううん……ごめんなさい……ごめんね……竜児……」
「……おう」

そう言って、振り向いて、いつものように腕枕をしてくれる。そして抱きしめてくれる。
泣いて逃げるなんて……私は最低だ……泣いちゃったら、それ以上竜児は何もできないもん。

でも、竜児の腕はとても暖かくて、私はとても嬉しくて。
そしてそんなにも優しい竜児に、今は何も応えてあげられない自分が嫌で。
罪悪感に押し潰された私は、いつの間にか暗闇の底に落ちていった。




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




--> Next...





作品一覧ページに戻る   TOPにもどる
inserted by FC2 system