[影]

明け方近く、竜児はふと目を醒ました。
春本番間近とはいえ、まだ夜明けは遅く、辺りは漆黒の闇に覆われていた。
大河は、自分の腕の中ですぅーっと柔らかな寝息を立てている。
その白い頬と柔らかな髪をそっと撫でながら、竜児は弁財天国での北村との会話を思い出していた。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「高須、昼に俺は逢坂のことを“逢坂”って呼んだけど、まだ姓はそのままなのか?」

そう、大河はまだ“逢坂大河”だった。
この1年間、2人が全く会えなかったのは、高校生の身分では気軽に行き来できない距離と、
受験生という立場、そして、もう1つ理由があった。

それは大河の父、逢坂陸郎に関わることだった。
大河が竜児のもとを離れてから数ヶ月後の出来事を、竜児は心に残ったシミのように忘れられずにいる。


* * * * * *


「あ、高須… たしか、りゅうじクン、だよね…」
高校3年の4月初め、1人分の夕食の準備をしていた時、玄関のチャイムが鳴った。
「すいませーん、宅配便でーっす」という間の抜けた声に、また、ばあちゃんが何か送ってくれたのかと、
無防備に玄関の扉を開けた。

作業着姿で眼前に立つ男は、少しやつれていたが、紛れもなく大河の父、逢坂陸郎だった。

2年の文化祭、あの時大河が受けた痛みを竜児は忘れていない。今でも瞬時に解凍して、生で取り出せる。
たちまち溢れ出した怒りが頭いっぱいに広がり、却って竜児を沈黙させた。

「いやぁ、いつかは悪かったね。迷惑かけて。で、突然なんだけどさ、大河の連絡先って知らないかな? 
もし知ってたら、ちょっと教えて欲しいんだけ…」
「知りません」
「え?」
「ていうか、仮に知ってても教えません」
「なに?」

住所を知らないのは本当だった。
大河が忘れていった、生徒手帳や通帳やらパスポートやらのドジが詰まった箱を送ってやった後、
大河の新しい家族は、生まれてくる弟と大河のために、もっと広い家に引っ越したのだった。
落ち着いたのはつい先日で、竜児はまだ新しい住所を聞いていなかった。

「あいつはケータイの番号もメアドも変えてませんよ? 直接、連絡取ったらいいじゃないですか」
「勿論そうしてるさ、でも着信拒否されているようでね。繋がらないんだ。
それよりキミ、昔はただの友達だって言ってたよね。ずいぶんケンカ腰じゃないか? ひょっとして
付き合うようになったのかな? ウチのお姫様と」

厳しい環境で人より早く成長しなければならなかった竜児だが、18歳はまだ子供だ。
あからさまに表情が変わってしまったことを悔いるが、老獪な大人の前では為す術もない。

「ふん、そういうことか。これは面白いかもしれないね。覚えておくよ、高須竜児君。
これ以上の長居は無用だろうから、引き上げさせてもらうよ。また、会えるといいね」

舐めあげるような逢坂陸郎の視線に、竜児は腐った油を身体に塗りたくられたような錯覚に陥った。
これがこいつの本当の姿か、そうやって人を、大河を騙し、脅してきたんだろう。
マンションやベンツを買った金だって、きっとマトモなものじゃないんだろう…


* * * * * *


「北村、あのクソ親父は、まだ大河の姓が変わるのを認めていない」

「やっぱり、か。おおよそ、親権を放棄し、何年も会おうとすらしなかった母親に
再び親になる資格は無い、とか主張してるんだろ?」
「よく分かるな、お前。行方をくらましているはずなのに、なぜか家庭裁判所からの連絡は
届くようになっているらしくて、どうも親権の喪失ってのを認めないらしい」

竜児は法律にはうといが、大河が母親からの説明 + 自分で調べて一生懸命教えてくれた。
“なんか、詳しくなっちゃったわよ。ま、自分のことだからね。今までなーんもしてこなかったのも
馬鹿だったし。早くあのクソ野郎と縁を切りたいしね”

陸郎に目をつけられた可能性のある竜児は、用心のため、大河を訪ねるのを止め、
大河も、生まれたばかりの弟の世話もあり、大橋に一時でも帰ってくることができなくなった。
そして、春から大学に通う大河の新しい家の住所は、竜児にもまだ伏せられていた。


「本当の狙いはなんだろうな。やっぱり金か? これまでの養育費の半分よこせとか?」
「そんな話もあったらしい。今は大河と母親に一度会って話がしたいって要求しているそうだ。
だいぶ切羽詰まっているみたいだな… 会うつもりはないが、いくらかの金を払う意思を
弁護士を通して伝えたら、静かになったらしいから、もうじき決着がつくんじゃねえか? 
しかし詳しいな、北村」

「ああ、親もアニキも法律絡みの仕事&学校だからな。レポートの代筆も初歩レベルなら
バイトで散々やったし。ひょっとすると、俺もそっちの方が向いてるかもと思っている」
「ええ?」
「アメリカには行くさ。ただ会長が行ったMITは難しいと思う。つくづくあの人の偉大さが
身にしみるよ。英語が精一杯で、物理や数学までとても1年間じゃあのレベルには届かない。
数学は高須の方が上だしな」
「お前が英語に掛けた時間を数学に使ってたら、太刀打ちできねぇよ」

「いや、お前はセンスがある。大学では宇宙工学がやりたいって言ってたな? お前の方が
よっぽど会長に近いよ」
「すねるなよ。その分英語は今一つだ。でも狩野先輩には感謝している。最初は引いたけど、
宇宙が遠い夢物語ではないことに気づかせてくれた」
「え?」
「あのさ、お前がグレて、ウチに家出してきた時、布団の中で泣いてただろ?」
「なんだバレてたのか? は、恥ずかしいな、今更だけど」

「それで大河がショックを受けて、コンビニに買い出しに行く途中、夜空みながら星の話をしたんだ。
オリオン座の星同士の距離とか、どうすれば届くのか、とかさ」
「ははっ、ハーゲンダッツ6個食いの前にそんなことがあったのか?」
「ああ。あと、大河が送ってきた例の写メ… この1年あいつと離れて、いつも夜空を見上げていたら、
近づきたくなったんだ、星に… 宇宙飛行士は無理でも、星に向かって手を伸ばしたい。
恥ずかしくて、大河にはまだ話してないけどな」

「さすがだな、高須。よし、俺も負けないぞ。さっき逢坂が励ましてくれたように、道は違っても
会長と同じステージに立てるよう、頑張るよ!」
「ああ、そうだな!」

そして前途有望な男達は、熱い視線を交わし、友情を確かめあうのだった。
そんなおいしい場面を、見逃すはずのない人物が1人。





「あらぁ、高須君と祐作、なんか怪しくない? ねぇタイガー、あの二人なんかさっきから
熱く見つめ合ってるよ」
「へ、はに? はんのこと?」
残ったお好み焼きをほおばりながら、大河がきょとんと振り返った。

「なんだ亜美、俺の芸を最後に見ておきたいってか? なら早く言ってくれよ」
ちょっと重い話をしていたので、北村流のごまかしだとすぐ分かったが、この流れはマズい気が…

「ちょ、祐作、誰もそんなこと言ってねぇし」
「体格に優れるアメリカ人に負けないよう、プロテインも米国製に変えたんだ、
見てくれ、このニュー北村ボディを! 下はさすがにマズいから、上だけな!」
「キャー!!」「おい、大先生早まるな」「見たくない見たくない見たくない見たくないって!」
「キャッ、久しぶり!」

「コラー、前生徒会長、公衆の面前でなにやってるんですか!」
「いや、先生、止めないでください。今日は無礼講ということで!」

弁財天国は、しばし阿鼻叫喚のるつぼとなったのだった…


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「ぷっ…」思い出し笑いで吹き出した竜児の息に、腕の中の大河が反応する。
「ぅ、ううーん…」

「あ、わりぃ、起こしちまったか?」
「んーん、いいの。ちょっとのど乾いちゃったわ。ついでにシャワーも、も一回浴びようかしら」
そういって、小さな体を起こして、布団のうえにちょこんと座る。竜児は思わず目のやり場に困り、

「おい、お前、真っ裸だぞ!」
「ひあっ、って、すぐシャワー浴びるんだからいいの! ほら目つぶっててよ、恥ずかしいんだから」
「お、おう」
ひたひたと床を進んでいく足音が聞こえた後、浴室からシャワーの音が聞こえてきた。

「まったく… おい、バスタオルは1番下に入ってっからな、まだ寒いんだから、しっかり拭けよ!」
「もう、いちいちうっさーい!」

そこに再び泰子からメールが届いた。
“りゅーちゃーん、起こしたらゴメンネ。お店終わったけど、今日はこのまま近くのコの家に泊まって、
明日は弁財天国に直接行くからー。大河ちゃんとお昼食べにきてね! 
大河ちゃんのこと、大事にしてあげてるかな(はぁと)”

また(はぁと)だ。なんかすっかり手の内を見透かされているようで、竜児は真っ赤になった。
泰子はいつからこんなに鋭くなったんだ?

「なに? やっちゃんからメール? お店終わったの?」
バスタオルにすっぽりとくるまれて、大河が浴室から出てくる。
「帰ってこねーってよ」
「へっ?」
「ほら、俺もちょっとシャワー浴びる。ちゃんと服、着とけよ」

再びケータイを渡しながら、竜児は布団を抜け出し、浴室に向かう。
「ひぁー!!」
さっきとまったく同じだ。





浴室から出てくると、大河は布団にすっぽり入り、鼻から上の顔半分だけ出して、暗がりでも
分かるほど真っ赤になっていた。

「おまえ、何だその顔? ってうわっ!」
いきなり布団の中に引きずり込まれた。

「おま、まだ服着てねぇじゃねぇかよ! また固まってたのか?」
「だ、だって、やっちゃん、メール、恥ずかしいんだもん!」
「ま、まぁ、気持ちは分かる。む、難しいと思うが気にすんな。泰子がお前と同じ年の頃には、
もう俺は2歳近かったんだからな。昼に会ったら、にっこり笑ってやってくれ、それで万事OKだ」
なにがOKなのか、言っている本人も分かっていないのだが。

「う、うん、そ、そだね。なななんか恥ずかしいけど、私のお母さんだし…」
「俺の方が恥ずかしいよ。なんか見透かされてるようでさ」
「でも、やっちゃんにはお礼言わなくっちゃ。お店でパーティーやるってアイディアも、ママと話して、
私を誘ってくれたのもやっちゃんだし。おかげでみんなにも、竜児にも早く会えたし、それにこうして…」

「ああ、なんかあいつ最近怖いよな、冴えてて」
「ねぇ、竜児、お昼またお好み焼きかやきそばかな? 昨日いっぱい食べたし、私、アレ食べたい」
「チャーハンか? よし、作ってやるぞ。俺も受験の後、気晴らしに時々店手伝ってたんだ。
さすがに泰子も大学合格後はバイト禁止とは言わねぇからな」
「やったー、楽しみ。ねぇ、にんにく油たっぷりがいいなー、あとカブとベーコンだっけ? 
2年前出会った時の」
「お前が夜襲掛けてきた時の間違いだろ」
「どーだっていいじゃない! ほんっと細かいんだから、もう」

大河が何かをごまかすために、無理に会話を続けてるような気がした。
話しながらも目を合わさないし、顔も真っ赤なままだ。

「それよりお前、ちゃんと服着ろよ、目、つぶってっからさ」
「いや… あの… なんか熱くて、身体のあちこちとか全体とか…」
たしかに、竜児の体に触れている大河の腕や足が、炭火のように、熱くなっていた。

「ひょっとして、痛むのか、あの、その…」
「恥ずかしいこと聞くんじゃないよ! このエロ野郎! それは大丈夫。もう大丈夫だから」
「そか」
「でもね、なんかね、やっちゃん帰ってこないなら、りゅうじ、もう一度、ギュッと…」

「ああ」
そういうことか。鈍いな俺も。
いや、照れくさくてごまかしてただけか。ごめんな大河。大事に大事に、これでいいんだろ。

竜児は身体を起こすと、大河を抱き寄せ、その小さな額からピンク色に染まった柔らかな頬、
優雅な曲線を描く顎のライン、そして首筋から華奢な肩へとやさしく唇を這わせた。
いつか、ずっと、そうしたいと思っていた通りに。
たちまち大河の口から、待ち望んでいたというような吐息が漏れる。

ゆっくりとキスの雨を振らせながら、互いの指を絡ませた手は、もう何があっても離れない
というようにしっかりと固く、熱く握りあうのだった…














[別離]

「ちょっとアンタ、またチャーハンの腕あげてない? 
香ばしさと口の中でふわっと広がる旨味が、渾然一体となって…ハグハグ」
「お前はどっかの傍若無人な陶芸家か、その息子か? ウチのとは火の強さが違うからな。
この鉄板は鉄工所に頼んで作ってもらった特注品だ」

弁財天国で迎えたお昼、竜児は久しぶりに大河にチャーハンを振る舞った。
大河といえば、そりゃもう、目尻に涙を浮かべつつ、大喜びでがっつき、山盛りのチャーハンが
みるみるうちに無くなっていった。竜児も泰子もいくらか食べたが、大河1人で軽く3合は平らげただろう。

泰子は、そんな大河の様子をにっこりと微笑んで見ていた。
「大河ちゃーん、そんなに慌てて食べなくても、これからはいつでも食べられるからねー」
「うん、毎日食べにくる」
「おい、大学どうすんだよ! そんな毎日暇じゃねえぞ」
「言葉のあやよ、あや。ったく、このアホは」
「おまえなぁ」
「アヤってなあに? 大河ちゃんの大学のお友達? コトバノ アヤちゃん?」
「疲れるから、知らない言葉に絡まないでくれ…」

前言撤回。やっぱり冴えてねぇ。でも、こんな3人の会話も1年振りで楽しい。

やがて、大河が帰らなければいけない時間となった。


― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


「いいのか、空港まで送っていかなくて? 降りる駅は第2ビルだぞ、飛行機、間違えんなよ?」
竜児は大橋駅のホームに立ち、電車に乗り込んだ大河にボストンバッグを渡してやった。

「16時発 A航空 xxx便、あってるでしょ! 小学生じゃないんだから、怒るよ」
「いや、あの、馬鹿にしてるんじゃなくて、し、心配なんだ、あと、一緒にいられるし…」

慌てて言い訳する竜児を見て、大河は満足気な表情を浮かべた。
「ふふん。いいよ、ここで。見送られるの苦手だし、電車賃もMOTTAINAIし。また、すぐ会えるよ。
これからは近くいるんだから」

発車のメロディがホームに鳴り響いた。

「分かった。じゃあ、お母さんによろしくな、あと新しいお父さんと弟にも」
「うん、引っ越しは来週だから、その時に住所も教えるから」
「おう、高須七つ道具を揃えて待ってるぜ。ウチに着いたら、連絡くれよな」
「うん、じゃ、行くわ」
「ああ」

出発を告げるアナウンスが終わると同時に、電車の扉がゆっくりと閉じていく。
2人は扉のガラス越しに見つめ合ったままで、周りなんか目に入らない。

だから、扉が閉まる寸前、1人の男が隣の車両に身を滑り込ませたことに、全く気づいていなかった。
作業服を着た小柄な男が。


その日の夜、大河から家に着いたという連絡はなかった…





最初の1年はこれまでと変わらず、頻繁に連絡を取り合っていた。

卒業式の翌日、大河の父、逢坂陸郎は、大橋駅から大河の後をつけ、空港で迎えにきた母親の車に
いきなり乗り込んできたそうだ。しかし、竜児の家に押し掛けてきた時の勢いはすっかり影を潜め、
やつれた姿で、“どうしても会いたかったから”と尾行の真似事を謝罪したらしい。

そして、妻の夕には早々と見捨てられ、今は1人で金策に走り回っていること、
このままだと命まで奪われかねないこと、もう少し支払いを増やしてくれたら、親権云々は
すぐ言う通りにすること約束し、援助を切々と訴えたのだった。

「ま、どっかで野垂れ死にされたり、他人に迷惑掛けられたら、寝覚めが悪いしね。
お金? ママはね、社長だったのよ。弟が生まれて、今は他の人に譲ったけど、もう少ししたら
また仕事に復帰するの。あと、新しいパパも会社を経営してんのよ」

大河は電話でそういって、母親と新しい父親の有能っぷりやなれそめを語り、お金のことは心配ない。
もうじき片がつく、と事も無げに語るのだった。
「あの野郎に金をくれてやるなんて腹立つけど、まぁ、私もアイツの金を使ってきた訳だし、
だからママにお願いして、もう少しなんとかしてもらうことにした」

大河はまだ父親を憎みきれていないのだろうか? これで逢坂陸郎を大河の人生から排除できるのか? 
一抹の不安を感じずにはいられないが、他の家の事情を口出すものではない、と竜児は黙っていた。

陸郎を援助する代わりに、大河は東京への大学進学を一時的にあきらめ、今と同じく、
新しい家族と暮らしながら、地元の大学に通うこと。それが大河の母親の条件だった。
全てが片付き、心配がなくなったら、東京の大学に改めて編入することを約束し、大河はその条件を呑んだ。

「な… なんだよ… それ」
大河からそう聞かされた時、竜児は目の前が真っ暗になる程、ショックを受けた。
「ごめん、竜児… ホントにごめん。でも必ず帰るから、今はママの言う通りにさせて…」

そう、大河だってつらいのだ。
尾行られてしまった自分、母親の心配、家族との絆。そんなことを考え、大河も重い決断をしたに違いない。
また竜児自身も、卒業式後のパーティーに大河を誘って、ウチに泊まり、その結果、逢坂陸郎に
見つかってしまったことに負い目を感じていた。
どこかは分からないが、学校か竜児の家の周辺を張っていたのは間違いないだろう。

そのことで、泰子はずいぶんとショックを受けていた。大河は電話で
「やっちゃんは悪くない、いつかはこうなったと思うから、今回はたまたまだったんだよ」
と何度も繰り返していたが、泰子はしばらくふさぎ込んでいた。

だから、竜児は努めて明るく振る舞おうとした。
大河とのメールのやり取りを見せ、泰子に自分も大河も元気であることを伝えて、
気にしていない素振りを続けて、新しい生活を始めていったのだった。





そうして、日々は瞬く間に流れていった。
大学のハードなカリキュラムに、竜児は最初ビビったが、日常の中に大河がいないことを
考えず過ごすには、勉強への没頭は最適だった。

その年のクリスマスには、仲間達が弁財天国に集まり、パーティをした。
麻耶が持参したWebカメラ付きパソコンと、大河の家のパソコンをネットで繋いで、
リアルタイムで様子を伝え合った。アメリカから北村も参加した。
距離は離れていたが、楽しかった。
大河も、大河の新しい父親や弟を紹介したり、飾りがえらく気合いの入ったクリスマスツリーを見せたり、
家族で楽しんでいる姿を見せてくれた。
大河の母親はちょっと気分が悪いらしく、姿をみせなかった


次の年、徐々に大河との連絡が少なくなっていった。
母親の具合がさらに悪くなり、床に臥せりがちになってしまった。
大河は大学に通いながら、弟の面倒を見つつ、母親の看病もしていて、忙しく日々を過ごしていた。

「お母さんの具合が悪いんじゃ、しょうがないよな… いや、看病してあげられて、よかったよな」
竜児はそう言って、大河と自分の心を慰めるしかなかった。

逢坂陸郎には、昨年のうち、弁護士を通じた交渉の末、離婚後の養育費の分担金として
少なくない金額を払った。大河の母の高級車を処分し、預金を崩して支払った金額は、
百万円の単位をゆうに越えていたという。竜児にとっては国家予算と同じぐらいの現実味の無い額だ。

しかし、まだ逢坂陸郎から親権の喪失の承諾はなかった。なにかと理由をつけて、もうちょっと
待ってくれ、と連絡があるだけだった。また大河の母親も身体の具合が悪いせいか、追求の手が
緩くなってしまっていた。


そして、その年のクリスマスイブ。
大河から、自分の住む街で一緒に過ごそうという提案に竜児は飛びついた。
文字通りしっぽを振って、夜行バスに飛び乗った。






昼前。14時間もバスに揺られ続け、すっかり固まってしまった身体を伸ばしながらバスターミナルに
降り立つと、そこに大河がいた。

「よ、よおっ」
「…なによ、アンタ。それが1年半振りに会う恋人への第一声? センス無さ過ぎであきれるを
通り越して、哀れみすら覚えるわ」

「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。いると思わなかったから、驚いたんだよ」
「はーっ、やっぱりアレよね。ネットとかで顔見てるから、新鮮味がないのかしら?」
「なんだお前は “大河ーっ”、“竜児ーっ”って、駆け寄って抱き合うようなのがやりたいのか?
いいぞ、今からやっても」
「アンタがやりたいならどうぞ。私は他人のフリするけど」
「お前なぁ」

「ねぇ、古式ゆかしく文通とかに代えた方がいいかしら。そしたら今度会う時はきっと盛り上がるわよ」
「文通って言っても、まだお前にウチの住所、教えてもらってねえし。それにどうせ耐えられねえだろ、お前が」
「アンタが、でしょ。住所のことはゴメン。ママが最近特に警戒してるの。今日も友達と遊ぶって言って出てきた。
夕方前には保育園に弟を迎えにいかなきゃならないし… でもこうやって会えたからいいでしょ!」
「住所なんて、こっそり教えたってバレねえって」
「ダメよ。今月はイイ子強化月間なんだから、ダメ」
「お前まだそんなことやって…」

そう言いかけて竜児は、大河がいい子になっている訳が分かった。今、大河が一番願っていること。
それは…

「ああ、俺も協力するよ。大河のイイ子に」
そういって、大河の頭のうえに、ポフッと手を置いた。
「ホントに分かってるの?」
「分かってるさ」
頭に乗せた手をぐりぐりと動かす
「ちょ、ちょっと気安く触んないでよ、人前で」
真っ赤になりながら、大河はぷぅっと頬を膨らませた。

照れ隠しのドツキ合いを繰り返しながら、2人は建物内に運河が流れる大きな商業施設に入っていった。
「竜児、ここでなんか食べたいんだって? よく調べたね。来たことないのに」
「おう、これだ。どうだ大河、ここでいいだろ?」

目の前には、どーんとでっかく「回転寿司」の文字が…

「って、なんでクリスマスイブに恋人同士が回転寿し食べなきゃなんないのよ!! このアホ」
「えー いいじゃねえか。学生だし、フランス料理食う程、金ないし。それにこのあたり、
うまい魚が取れるんだろ? 日本海に流れ込む暖流が絶好の漁場を育み…」
「ウザイ! まぁ、いいわ。アンタが食べたいっていうなら、ガマンしてあげる。肉もいいけど、
お寿司も好きだし。回ってるのはこっちきてから初めてだけど」
「このブルジョワめ。でもありがとな。ケーキはちゃんとしたところで食べよう、な?」

竜児が回転寿しを選んだのには、理由があった。
フレンチやイタリアンだと、テーブルをはさんで向かい合わせで座ることになる。
それが回転寿しのカウンターだと、肩を並べて隣り同士。ぐっと距離も近くなる。
それに希代のドジ、元 手乗りタイガーならきっと…






「熱っ!! なにこの熱湯。あたしを茹で殺す気?」
「ば、馬鹿、ほら気をつけろよ、火傷してねえか?」
すかさず、ハンドタオルで大河の手と洋服の袖を拭いてやる。

「ねぇ、お湯しか出ないの? お湯で寿司食えっつーの?」
「だからこの粉を入れるんだよ、忘れたのか? ほらっ、このさじを使って、って何杯入れてんだよ!」
「ねぇ竜児、なんか濃いよコレ。アンタにあげるね。感謝しなさい!」
「またお前勝手に…」

「あ、エビだ。竜児、エビ、エビ食べたい!」
「え、これか? お、あ”、間に合った! お前、通り過ぎてから言うなよな!」
「だって、顔あげたらあったんだから。あ、でも私、白いエビより半透明の方がいいなー。ねぇ、替えて」
「一度取ったものは替えられません。自分で取ったんだからちゃんと食えよ」
「あら、取ったのは竜児よ。はいどうぞ」
「お前なぁ」

結局、竜児は大河の世話が焼きたかったのだ。そばにいて、あぶなっかしい手つきを見ながら、
大河のフォローしてやる。それが何よりも楽しかった。

「ねぇ、竜児。意外とおいしいね、ここ。あ、ウニとって」
「だろ、大学の先輩に聞いたんだ。地方の回転寿しはすげえぞって」
「ド田舎みたいに言うな! あ、中トロ。ねぇ竜児、私、ネタだけでいいから、シャリは竜児にあげるね。
ほら一杯食べて! シャリでお腹が膨れるなんて、MOTTAINAIでしょ?」
「お前、あそこで握ってる職人さんに悪いと思わないのか?」
「いいじゃない、銀座じゃあるまいし。おー、アナゴもいけるねぇ」
「それに、俺に米だけ食えと」
「じゃあ、これ載せてあげる。ほらガリ…」
「それどっかの音楽ラブコメ漫画のパクリだぞ」
「何?、私そんな漫画知らないよ? 何アンタ、ラブコメ漫画読んでるんだ。ふーん」
「いや、だらしない主人公のために飯作ったり、掃除してやる彼氏の話が他人事に思えなくて…」
「はぁ? なにアンタ遠くみてるの? 天井みあげたって、星なんか無いよ? てか、漫画なんて
読んでたら落ちこぼれるよ? 厳しいんでしょ、アンタの大学。 あ、イクラもらいっ!」

「へっ、おかげ様で成績優秀だよ。“高須君の書く図面は美学がある”なんて、褒められたばかりだ」
「あー、なんか分かる気がする。アンタって偏執狂だから、細かいとこまでねっちりねっちり…」
「見たように言うな。そういうお前はどうなんだ?」
「あら、私も優秀よ。 法律なんかつまんないと思ってたけど、結構役に立つわね。ま、そのうち
有名弁護士になって、何千万も何億も稼いであげるわ。あ、もいっちょ中トロね。
で、竜児は何つくってんの? 何か好きなものあったっけ?」
「え? あ、いや、それはまだ色々と練習中でさ。部品とか、そ、そうプラモデルみたいなもんだ」
「ふーん、良く分かんないけど。でも私、いつか竜児の作ったもの見てみたい! あ、大トロきたっ」
「ああ、いつか、な…」

やっぱり大河といると楽しい。
くるくると動く瞳。トーンの上り下がりが激しい声。ドタバタとよく動く手足。身体の動きに合わせて揺れる髪。
本当に見ていて飽きないし、心から好きだと思う。
そういえば、まだ手とか握ってないよな? さっき頭は撫でたけど。
クリスマスイブだし、ちょっとぐらい、いいよな… 肩にメシ粒ついてんぞ、って感じで、手を回して…

「あー、食べた食べた! ごちそうさま。おいしかったね!」
「え? も、もう終わりなのか。いつもより全然食い足りてねえんじゃないか?」
慌てて、伸ばした手を引っ込める。

「何よ、人を食べ盛りのガキみたいに言って。もうすぐ20才なんだから、おしとやかなレディになるのよ!」
「レディはさ、白いエビはいや、とか言わねぇぞ」
「ね、竜児。お店見て回ろうよ! クリスマスだし、イルミネーションすごいんでしょ!」
「聞いてねぇし…… ああ、じゃ、行くか」

大河の肩に回そうとした手は行き場が無くなり、内ポケットの財布を掴むだけだった。



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