[道]


「わっ!」
建物内の巨大な吹き抜けに出た瞬間、大河はあんぐりと口を開き、もう少しで衆人環視の下、
よだれを垂らすという、レディにはあってならぬ大惨事を引き起こすところであった。

「おい大河! 垂れるっ」
絶妙なタイミングで竜児がタオルで拭ってやったが、大河はそんな救いの神には一瞥もくれずに叫ぶ。
「スゴイ、凄い、すごぉおおーーーーーい。あっちも、こっちも、イルミネーションだらけ!! 
みんな、みんな、キラキラしてるっーーー!!」

笑顔がみるみるうちに、大河の表情を覆い尽くしていく。
パァッと大きく見開かれた瞳は、イルミネーションの光を宿し、いつもの10倍増しの輝き。
さらに頬は上気して赤みがさし、大河の可愛さも10倍増し。

「お、おう、すげぇな。きれいだよな。好きなだけゆっくり見ろよ」
「ねぇ、あそこ、サンタさんだ。あ、トナカイもかわいい!! こっちに雪だるまもいるよ!」
そう言うと大河はいきなり駈けだした。

「あいつ俺の存在、忘れてねぇか…?」
先輩に聞いてきたのは、回転寿しだけではない。竜児はクリスマスで最も輝いているこの場所に
大河を連れてきたかったのだ。

周りを見ると、1年で最大の恋人同士のイベント。あちこちで手をつないだり、腕を組んだり、
肩を寄せ合うカップルがそこここに見られる。
そして自分の恋人と言えば、あっちのオブジェ、こっちのイルミネーションと
「カワイイ!!」と歓声を上げながら、今度は両手を広げてくるくると回っている。

「ひょっとして、作戦失敗? 一緒に冬の海でも眺めたら、もっとくっつけたかな? ま、いいよな。
あんなに喜んでるんだし」
竜児は独りごちると、恋人を追って駆け出した。
「おい大河、あんまりはしゃぐと人にぶつかるぞ。まったく、どこがレディだよ!」
「え?なに?聞こえない! ねぇ竜児、こっちに大きなツリーがあるよ、行こっ!」
「おい、ちょっと待てよ。大河!」

そうして、竜児は大河を追いかけて、館内中を走って巡る羽目になるのだった…


「ねぇ竜児、ここ、まるで雪が降ってるみたい… ホントにきれいだね。ありがとう、連れてきてくれて。
私、こんなの知らなかったよ!」
ようやく大河の足が止まり、竜児は追いつくことができた。

「ハァ、ハァ、ハァーッ…、よ、喜んでもらえて何よりだ… ハァ、が、俺は、喉がカラカラだ。
な、どこかで、ハァ、お茶にしねぇか?」
「あら、ほんとだ。はしゃいだらお腹すいちゃった。ねぇ竜児、私、ケーキが食べたい」
「ハァ、ハァ…だから、昼メシ足りてねぇっていったろ。ま、いいか。じゃ、ケーキはあっちだ」
肩で息をしながら、行く方向を指し示した。大河は息一つ切れてない。手乗りタイガー、まだまだ健在じゃねぇか…

「アンタ、運度不足じゃない? ちょっと走っただけで」
「ハァ…、この屋内クロスカントリーのどこがちょっとだよ。なぁ落ち着いて、ゆっくり歩いていこうぜ」
そう言って、大河に手を差しのべるが、まだ興奮が冷めないのか、大河は「あっちね!」と叫んで、
また駆け出していってしまう。
「なんなんだあいつは。てか俺、避けられてないよな…? これ、上手く渡せるのか?」
竜児はジャケットに忍ばせた小さな箱をポケットの上からそっと撫でてみるのだった。






施設に併設された高級ホテルのラウンジは、クリスマスイブを楽しむカップル達で占められ、
席待ちの列が長く延びていた。でも、2人でなら待つのはちっとも苦にならない。
互いの日常のこと、大学のことを話し、話題は友人達のことになった。

「櫛枝と川嶋から、最近連絡あるか?」
「みのりんは、体育大のソフトボール部で『もう少しでレギュラーだぜ!』って言ってたよ。凄いね。
日本で一番強い大学なんでしょ?」
「ああ、なんか先輩に日本代表がいるって言ってたな。すげえよな櫛枝は。夢にむかって突き進んでいて」
「うん! あ、ばかちーは、英語の勉強してるらしくて、最近、学習法とか何の本読めばいいかとか
やたら聞いてくるよ。私、英文科に行けなくなったのに」
「ま、女子の中で、英語は大河がダントツだったからな。川嶋、海外に進出する気かな? モデル業。
それとも女優を目指すとか?」
「うーん、わかんない。尋ねても『亜美ちゃん、存在自体がミステリアスなんだから、教えてあ・げ・な・い』
だってさ、何様のつもりよ」
「ま、多分照れ隠しだな、それは。そう言えば、北村はアメリカで頑張ってるぞ。狩野先輩と同じMITには
行けない、なんて言いながら、ハーバードだぜ? すげぇよな。どれだけ凄いかも分からねぇぐらいだ。
なんか、学部卒業したら、お前と同じで法律を勉強するってさ」
「私は地元の大学で入り込めるとこがそこしかなかったんだから。一緒にしちゃ、北村君に失礼だよ」
「いや、お前だってちゃんと勉強頑張ってんだろ、偉いな。いい子いい子してやるぞ」

よし、やっと自然な流れで触れられる。竜児は大河の頭のてっぺんに手を伸ばしたのだが…

「へっ?」竜児の手が空を切る。
「はっ!」大河が頭を動かして、避けたのだ。
「おいっ」慌てて、手で大河の頭を追いかける。
「おりゃ」大河が身をよじって、また避けた。
「なに?」竜児はさらに頭を追った。
「なんの」大河が今度は逆の方向に身をよじった。

2人は行列に並んだまま、「へ」「ほ」「は」「よ」と奇妙な掛け声と共に、手と頭の追っかけっこ。
大河はくねくねと身をよじらせ、竜児はモグラたたきのように、大河の頭を追う。
端から見ると、危ない人達か、さもなくば即興パフォーマーだ。

「あ、あの… お客様… お話中、ま、誠に恐れ入りますが、お、お席のご用意ができました…」
ラウンジの若いウエイトレスが、『要注意人物』に接する時のマニュアルに則って、2人に声を掛けてきた。

「たく、お前、なにやってんだよ、恥ずかしい…」
「はははー、新しい体術の訓練だよ、明智君」
「明智君って、櫛枝かよ。お前ヘンだぞ」
「まぁ、良いではないかー、オヤツの前のよき運動となったでござろう」
「どこの侍だよ」

ぶつぶつ言い合いながら、2人は壁際のテーブルに通され、向かい合って席に着く。
「ねぇ、ケーキどんなのがあるかな? 楽しみっ」
「昼メシ、食い足りてねぇんだろ。いいぞ、好きなだけ食え」
「ホント? やたっ!」

それから数十分。悶々と悩む大河のケーキ選びと暴れ食いを眺め、大河の肘があたる前にティーカップを
避難させ、自分のケーキを半分以上大河に食われたりしながら、竜児は大河のはしゃぐ姿を堪能したのだった。





「ああ… おいしかった。満腹。久しぶりだわ、こんなにケーキ食べたの」
大河は椅子の背に身を預けながら、満足げにお腹をさすっている。

「そうか、良かったな。てか、そのポーズ、おっさんみたいだぞ」
「え? あ、い…いいじゃない。幸せな気分なんだから…」
慌てて身を縮こまらせると、その精緻な顔を赤く染めて俯いた。
「そうだな。すまん、楽にしていいぞ。緊張すると消化に悪いからな。で、あのさ大河…」

竜児は大河に聞いてみたいことがあった。メールや電話ではなく、面と向かって、大河の顔を見ながら。

「い、今のウチどうだ? その後うまくいってるか? 新しいお父さんと弟と、とか…」
「え、なに? うまくって…… ああ、心配してくれてんのね。ありがと」
大河はにっこりと納得したような微笑みを浮かべた。
「アンタ、最近電話切る時、何か言いたそうだったのはこれだったんだね」
「バ、バレてたのか?」
「バレバレよ。竜児、嘘つくのヘタだもん。そこがいい所なんだけど… でも変に気を使わくていいのに。
恋人でしょ? フィアンセでしょ? まったくもう…」

今度はちょっぴりしかめっ面。でもすぐ柔らかな笑顔に戻って、
「うん、大丈夫だよ。新しいパパとはうまくいってる。パパはね、いきなり高校2年の娘ができたのを、
喜んでくれたのよ。“自分にこんな可愛い娘ができるなんて!”って、本心は複雑だったかもしれないけど、
一番最初に会った時、そう言ってくれた。あ、これは話したっけ?」
「ああ、聞かせてもらった」

「じゃあねぇ、弟の名前を私に付けさせてくれたんだよ。今のパパにとって初めての子供なのに、
『何がいいかみんなで出し合おうよ』って言ってさ。で、私が言った名前に決めてくれたの。
でも、最初から私のに決めようと思ってたみたい」
「それはまた勇気がいる行為だな…」
「…私のセンスに対する挑戦状と受け取っとくわ」
「そう言えば今まで聞いてなかったよな、弟の名前。ま、新しいお父さんがいいって言うぐらいだから、
マトモなんだろうけど」

「へへっ」
大河は照れくさそうに、ちょっと俯いてから言った。
「ちょっと恥ずかしかったから言ってなかったんだけど、恵児って言うんだ」
「けいじ?」
「そう“めぐむ”って言う字に、アンタの、竜児と同じ“児”」
「俺と同じ? ちょ、いいのかよそれ」
「いいの。確かにママには反対された。でも今のパパは『いい名前じゃないか』って言ってくれたの。
私、高校まであんなだったじゃない、だから弟は幸せに恵まれますようにって思ったの。
あとは説明しなくてもいいよね。竜児みたいに優しい、イイ子になって欲しいから…」

「な、なんか照れるな… 嬉しいけど」
「アンタが照れてどうすんのよ! でもね、私、あの子にはとても助けられたと思う。
勇気を出してママの所に飛び来んでいったけど、もし、ママとパパとの3人だけの暮らしだったら、
やっぱり居場所が無かったと思う。でもあの子がすぐ産まれた。赤ちゃんって凄いのよ。周りの人間を
変える力、動かす力があるの。みんなでわーわー言って大騒ぎして毎日の世話をしてたら、いつの間にか
私も家族として馴染んでた。恵児のこと大好き。そして感謝してる。勿論、今のパパにも」

大河は弟の顔を思い浮かべるように、遠くに視線を向けて、慈しみに溢れた表情をみせるのだった。

「あ、2才半の男の子って無茶苦茶可愛いんだから。私、弟の写真撮るのにハマっちゃって、もう大変なの…
あ、写真て言えばさ…」
そう言って、はしゃぐ大河を見ると、ほんの少しだけ竜児の心の奥底がチクリと痛んだ。
自惚れていたわけではないが、大河が本当に安らげるのは自分と泰子だけじゃないかと勝手に思っていた。
だから、こんなに楽しげな大河を見ると、安心と同時に言いようのない淋しさも感じてしまう。
でもそれは身勝手な、いけないことで……





「どうしたの竜児? 聞いてる?」
「へっ? あ、ああスマン、なんだっけ?」
「もう! だからー 私、竜児のところに間違って写真送ってなかった?って、高校の時のアルバムとか」
「ねぇぞ、そんなもん。ウチの中に俺が所蔵物を把握できていない魔界は一切ねぇ」
「そうよね… 東京の大学に行こうとした時、一度引っ越しの荷物を送って… また送り返してもらって」
「なんだそんなことしてたのか。そりゃ、どっかに紛れ込んでんじゃねぇのか?」
「うん、そうかもしれない。もう一度、探してみるね」
「おう、大切なものだもんな。あ、あとさ、大河。お母さんの身体の具合はどうだ? 良くなりそうか?」
「え、ママ? う…うん だ、大丈夫だよ」

大河の声のトーンが少しさがり、さっと視線が手元に落ちる。その瞬間、瞳にほんの僅かな影が
かかったのを竜児は見逃さなかった。心を重ね合わせた竜児だからこそわかる、ほんの小さな変化。
それは良い予兆だったことは少なく、むしろ悪いことを隠そうとする…

「大河。ちゃんと話してくれよな」
「え?」
「あるんだろ。気になることがお母さんのことで」
「う…うん…」
「隠すなよ」
「そ… そだね。竜児には話さなきゃね… うん。あのね、ホントに些細なことなの。
ママがね、具合が悪い時は部屋で寝てるんだけど、飲み物とか食事を持っていった時にね。
私のことを凄い目で睨みつけるの。でもすぐに我に返って、泣き出して、その後『ごめんね』って
何度も繰り返すの。そんなことが何回かあった… 私、どうしていいか、わかんなくて…」

竜児の背に冷たい汗が一筋流れた。
なにやってんだよ、大河の母親は。大河にこんな心配をさせて… あのクソ野郎との件だって、
まだ終わってないし、大体、大河と一緒にいられないのは俺達のせいじゃなくて、親の都合で…

『大河んちの親ってのは、基本的に…』いつか櫛枝が言おうとして呑み込んだ言葉が甦る…

「ねぇ竜児。やっぱり私がこのウチに来たからかな? 私が来なかったら、アイツにも見つからず、
ママはあんな風にならなかったのかな? やっぱり私の…せい…」
消え入りそうな声で大河が俯きながら、つぶやく。

ダメだ。俺がこんな風に思ったらダメだ。さっきの淋しいっていう身勝手な気持ちも。
今、大河に必要なのはそんなものじゃない。前を向くことだ。俺達は前に進まなきゃいけない。
ここで引き返したり、足踏みする訳にはいかない…

竜児は1つ大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出すと同時に気持ちを落ち着ける。

「大河、聞いてくれ。お前、今の自分がやってることで、何かやましいことはあるか? 
勉強を頑張って、弟とお母さんの面倒をみて、新しいお父さんともうまくやってるんだろ。
他に足りないと思っていること、何かあるのか? 」
「え…? それは…ううん、無いよ… うん。胸を張って言える。でも…そういうんじゃなくて、
私がいることが…」
「だったら、そんな風には考えるな。いいか大河。俺たちはあの駆け落ちの日、何が一番大切なのか、
それに気づいた。そうだろ?」
「う…ん」
「俺には大河がそしてお前には俺が、何よりも大切な、かけがえの無いものだ」
「うん…」
「そして、自分のことを否定するのをやめようと思った。『自分がいるから』『自分なんかが』って
考えるのをやめにしようって決めた。時間が掛かってもいいから、みんなで、家族で幸せになろう。
そう誓っただろ」
「う…ん、そう…だね」






もし、大河の手がテーブルの上に置かれていたら、竜児はそっと取って暖かく包み込んだだろう。
しかし今、その両手はテーブルの下、たった1人の膝の上で固く握りしめられているはず…
竜児はテーブルの向こうから、精一杯心の手を伸ばし、大河の気持ちを掴み取ろうとした。

―大河が見るべきなのは、暗い洞窟の奥じゃない、光射す出口だ。歩んでいけば、外には世界が広がるんだ―

「お母さんは大河のことを否定している訳じゃない。『ごめんね』ていうのは、自分がうまくできて
いないから、そう言ってるんだと思う。訳を聞いてみたか?」
「だめなの…何も答えてくれないの…」
「そうか… 社長にまでなった人がそんなに悩むなんて、きっと複雑なことなんだろうな…
俺が泰子に逆らったのは17才のあの時が初めてだ。大河はお母さんと再び暮らし始めて、まだ数年か… 
自分の気持ちや本音をうまく伝えられないのかもしれない… これまで離れていたこともあるしな。
でも大河は嫌じゃないんだろ? 今のウチも、お母さんも」

「うん… 心配なのはそれだけ。ママと今のパパもケンカとかしてないし。時々話し込んでるけど」
「だったら、『自分のせい』なんてのは止めだ。大河はお母さんを恐れるんじゃなくて、むしろ支えて
あげなきゃいけないんじゃないか? 可愛い弟もいるんだし。家族ならいつかきっと分かり合える。
お互いに手を伸ばしあってる限り、な」

ゆっくりと大河の顔があがり、竜児をまっすぐに見つめる。その眼差しに光が戻ってくる…

「そ、そうだね。ごめん… ちょっと気弱になっちゃった。昔の悪い癖。駄目だね、私は」
「コラ、また駄目とか言ってる。そうじゃないだろ」
「うん、ありがとう竜児。竜児に話して気が楽になった。そうだよね。私達はまだこれからだし、
焦らなくても、いつかママの心配事を全部聞けるように頑張る。家族なんだもんね」
「ああ… まず、こっちが信じることから始めようぜ」
「そうだね。うん… もう大丈夫! 大丈夫だから。 あ、聞いて! 私、ずいぶんお料理できるように
なったんだ。竜児にコツをいっぱい教えてもらったけど、レパートリー増えたんだから」
「本当か? そらすげぇな!」
「そうよ。ママの代わりに家事もやってるし、いつまでもドジ、ドジって言われないんだから!」
「でも頑張りすぎるなよ。気になることがあったらいつでも言ってくれ。飛んでくるからさ」
「えへ。竜児、ありがとう! ねぇ、私、もう1回イルミネーション見たいな」
「ああ、じゃ、行こうか」

大河は立ち上がって、スキップするようにラウンジの出口に跳ねていった。
その笑顔にはもう曇りや影は無い。
「また先に行きやがって…」
支払いを済ませると、竜児は大河のあとを追いかけていった。

大河が長年負ってきた『1人でいる』ことの痛み。どれだけ目の前に道が示されても、つい後ろを
振り返ってしまうのを責めることはできない。多分何度も繰り返しながら『大丈夫」なことを
心に刻んでいって、自分のものにできるのだろう。今の竜児には、大河に道を指し示し、
支えとして居ることしかできないけれど…
「やっぱ、傍にいてやらないと…な…」





「ホント、きれいよね…」
大河は相変わらず、周りのイルミネーションを見上げながら、また口をぽかっと開けている。

「大河、俺たち恋人だよな? フィアンセだよな」
「なによ 今更何言ってんの? まさかアンタ疑ってんの?」
「じゃあさっきのお返しだ。遠慮せず言うぞ。なんかお前、俺が触ろうとするのを避けてねぇか?」
「へ? は、はは、そ、そんなこと無いよ… やだもう竜児、ちょっと手を繋ぎたいからって、
そんな真面目な顔してさ、このヘンタイ。そんなことあるわけないじゃない!」

そう言いながら大河は身をクネクネよじらせて、おどけてくるくる回ってみせる
「大河」
「ふ、ふふ、はは。やっぱり、バレちゃったね。竜児には隠し事できないね。ごめん、嫌とか
そういうのじゃないんだ」

ーこいつ、あれでごまかせていたと思っているのかー
竜児は閻魔大王のような目つきで大河を睨むが、内心は『やれやれ』と思っているだけ。
大河は竜児の方に顔を向けると、そんな目つきを恐れもせず、ちょっと複雑な笑みを浮かべた
「今、竜児に触られると、ダメになりそうだから」
「ダメ?」
「バス降りてきてすぐ、頭、撫でてくれたじゃない。あの時ヤバイって思ったの。
顔がぶわーって赤くなってもう胸がドキドキ。全身に電流が流れたかと思った。あんなにメールや電話で
話してるのにやっぱり本物って凄いね」
「ああ、俺も思ってた」
「ホント? 竜児もそう思ってたの? もし手を握られたら、私、このまま竜児と一緒に行きたい、
離れたくないって、きっとガマンできなくなっちゃうと思ったの」
「大河…」

「でも駄目だよね。2人で決めたんだもんね。みんなで幸せになるって… 
うん、やっぱりさっき話せてよかった… もうすぐ私も20才だし、そしたら親権とか関係なくなって、
自分の意思で今のパパとママの姓になれる。そしたらママも元気になって、来年には竜児の傍に行ける」
「ああ。ホントはすぐ“高須”になって欲しいけどな」
「その話は解決済みでしょ。大学卒業して1人前になってからって。時間掛かったっていいって」
「そうだったな。スマン、忘れてくれ」
「でも… そうだね。早くその日が来るといいな…」

そう言うと、大河は建物の間から見える夕暮れの空に向かって、右手を真っすぐ伸ばした。
太陽の光に隠れて、まだ見えない星を掴もうとするように、白い、小さな手を一杯に広げて。

その右手の細い薬指に、竜児はポケットに隠し持っていた指輪を取り出し、そっとはめた。
ハート形にカットされた小さなクリスタルが付いたシルバーリング。

「えっ? なに…?」
「クリスマスプレゼント。たいしたものじゃないが、大学卒業して、結婚するまでの、な」
「竜児…」
「サイズ、どうだ?」
「ぴったり。どうしてわかったの?」
「隠してもどうせバレちまうから言うけど… 川嶋に聞いた」
「ばかちー?」
「ああ。昔、川嶋にネイルアートやってもらってた時に聞かれただろ?」
「あの時! あ、だから先月ばかちーからのメールで『あんた高校の時から、痩せたり太ったりした?』
って聞かれたのね。変わってないって答えたけど。ふーん…」
「い、いいだろ? アドバイスぐらいもらったって。それより、どうだ?」
「ありがとう。うん、とっても可愛いよ。大事に…する」

大河は俯き、祈るようなポーズで指輪がはめられた右手の薬指に左手を重ねた。

「ありがとね。竜児…」
「ああ」





竜児は大河に近づくと、その身体をギュッと抱き締め、耳元で囁いた。
「大河、似合ってるぞ」
「うん。竜児が選んでくれたんだもん、間違いないよ」
「気に入ってくれて、ありがとな」

大河もおずおずと両腕を竜児の腰に回しながら、竜児の顔を見上げた。
「あ、私やっぱりドジ治ってないや」
「え?」
「竜児へのクリスマスプレゼント。用意するの忘れてた。前はあんなに時間掛けてたのに、
最近ちょっと考えることが多くて、ね。 ごめん…」
「俺へのプレゼントなら、もう貰ったよ」
「えっ?」
「こうして大河と会えた。どんなモノよりも最高のクリスマスプレゼントだ」
「りゅうじ…」

竜児は少し大河から身体を離すと、背を丸めて、唇をそっと大河の唇に重ねた。
大河が一瞬身を固くしたのが、腰にまわした両手から伝わってきた。

―周りには人が大勢いるけど、構うもんか。クリスマスイブだ恋人の日だ大河の日だ―

久しぶりに触れる大河の唇。それは冬の冷気にさらされて、少し冷たかった。
大河の身体からこわばりが抜けていき、2人の触れている部分から熱が全身に広がっていった。

「電流、流れたな…」
「う…ん、流れた」
大河が上気した顔で答える。その瞳にもう迷いはなく、真っすぐに竜児を見つめている。
竜児は、大河のその小さな身体に、熱を、力を注ぎたかった。大河と共にありたい気持ちを刻みたかった。

「ね、もういち…」
あの夜と同じに、大河が求めるより早く、竜児は再び唇を重ねる。
大河もブーツの踵をあげて、背伸びして、唇を押し付けてくる。熱がさらに溢れてくる。
2人は互いの存在を身体で記憶するように、強く、深く、唇を重ね合った。

その時

“カラーン カーン コローン”

館内に夕暮れの時刻を告げるチャイムが鳴り響いた。

「いけないっ、弟を迎えにいかなくっちゃ!!」
「お、もうそんな時間か?」
「じゃあね竜児、またね。私、頑張るから。早く竜児の傍に行けるように頑張るから」
「ああ、俺も頑張る。大河も頑張れよな。また来るよ、こっちに」
「うん!」

離れ際に、竜児はやっと大河の手を握った。その手はさっきのキスの初めと同じように冷たかった。
「ごめん竜児。私、行かなくっちゃ」
大河は手を離すと「バイバイ」と軽く振りながら、地下鉄の駅の方に駈けていった。
「あぁ、またな…」

竜児も軽く手を振り返した後、掌に残った大河の手の冷たさを揉み消すように、
強くその手を握りしめた。

―「頑張るから」「頑張れよな」―
大河と自分が繰り返した言葉が、いつまでも耳に残っていた……


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