[lost & found]

その時は唐突にやってきた。

大河の20才の誕生日。学生には忙しい季節、竜児も大河のところを訪ねる余裕は無く、
でも何か祝ってやりたくて、また皆で弁財天国に集まることになった。

亜美もモデルと学業の忙しい合間を縫って駆けつけ、実乃梨も合宿所から久々に大橋に帰って来た。
能登、春田、麻耶、奈々子の地元の面々も集まり、北村も遠くアメリカから早朝にもかかわらず、
ネットで参加。久しぶりに8人が揃う。あとは大河がオンラインになれば、全員集合だ。

「そろそろ…時間だよな」
「うん、タイガーまだ来ないね。なんか調子悪いのかな?」
セッティング役の能登と麻耶がいぶかしそうにネットをチェックしている。

「仕方ねぇな、俺ちょっと連絡してみるわ。ったく、大河のヤツ、なにやって…」
竜児がケータイのフリップを開いたその瞬間、その場にいる7人のケータイが一斉に鳴った。

「何? メール? 全員に?」
奈々子が素早くメールを開き、小さく驚きの声をあげた。
「えっ?」

見たことも無いフリーメールのアドレスから短く一言。恐らく全員宛に一斉に発信されたのだろう

件名:みんなへ
『ごめんなさい。今日は参加できなく
 なりました。みんなには当分会えな
 いと思います。会えるようになった
 ら、また連絡します。さようなら 
 逢坂大河』

「なんなの、これ?」麻耶が小さな悲鳴をあげた。
「本当にタイガーからなのか?」驚きながらも能登は冷静にニセモノの可能性を指摘する。
「ね、これ何かのドッキリでしょ? 櫛枝氏、タイガーと組んで、俺達驚かそうとしてんでしょ?」
春田が願いを込めて、実乃梨の方を振り返る。
「そんなこと…するわけないじゃん… こんな…」実乃梨は顔面蒼白のまま、食い入るように
ケータイの画面を見つめている。
「高須君! 固まってないで電話!」亜美が振り返って叫んだ。
「あ、あぁ…」竜児はようやく我に返り、着信履歴から大河の番号をリダイアルする。

“お掛けになった電話番号はお客様の都合によりお繋ぎすることができません… お掛けになった…”
事務的な音声が繰り返される。

嘘だろ? 昨日いや一昨日、この番号で大河と話したんだぞ? 何で繋がらないんだ…

その瞬間、竜児のケータイにだけ、メールの着信を知らせる音が鳴る。震える手でボタンを押すと、
さっきと同じアドレスから件名の無いメールが届いていた。

『竜児ごめんね。私、頑張るから。
 でも竜児にはもう会えない。だから
 私のことは忘れ 』

メールはそこで途切れていた。きっと、あと一文字を打てなかったんだろう。
無味乾燥なはずの画面から、大河の気持ちが見えるような気がした。
つい先日、イルミネーションの下で別れ際に大河と交わした言葉が甦る。

『頑張るから』『頑張れよな』





「間違いない… 大河から…だ…」
ケータイを持つ手が力なく垂れ下がり、竜児は呆然としたまま俯く。
頭の中が混乱し、何が起こったのか推測することすらできない。
「何? タイガーから? 見せなさいよ!」
亜美が竜児のケータイをひったくり、開かれたままのメールを見て悲鳴に似た声をあげる。
「嘘でしょう! なんで、こんな…」

7人とも呆然としていた。ある者は仲間と顔を見合わせ、ある者はまだ信じられないと
ケータイの画面をじっと見つめ、ある者は両手で顔を覆って泣き出した。
誰も、何も、言葉を発することができない…

その時、パソコンのスピーカーから頼もしい元生徒会長の声が響いてきた。
「おい、みんな! 聞こえるか! こっちでもメールは受信した。高須、これは本当に逢坂からか」
「え、あ、あぁ…」
「高須! しっかりしろ。こういう時こそ頭を使え!」

北村の叱責が有難かった。ようやく竜児の頭が動き始める。
「ああ。その後、同じアドレスから俺だけに送られて来たメールは、間違いなく大河の言葉だ」
「すまんがその内容、教えてもらっていいか?」
亜美から実乃梨の手に渡っていたケータイを取り戻して、竜児はメールを読み上げた。
途中で言葉が出なくなり、息をするのが苦しいぐらいに胸が詰まる。
「え?」「なに?」「うそっ?」文面を聞いた他の仲間達から驚きの声があがった。

「高須。何か思い当たることはあるか?」
「いや、一昨日にこの集まりのことを話した時はいつもと全く変わりなかった。昨日のメールでも」
「そうか… 逢坂は今日が20才の誕生日だよな。あと今、日本は夜の7時か」
「ああ。ひょっとしてきて、北村は何が起こったのか、見当がつくのか?」
「分からんな… 2つのメールを見る限りだが、逢坂は自分のことを探して欲しくないこと。そして高須、
お前に迷惑を掛けたくないと思ってること。そして、誰かに強制されたのではなく、自分の意志でメールを
送っていること、この3つは間違いないだろう」

「す、すごいな。そこまで…」
「分からんのは、そんなことが可能なのか? ということだ」
「北村、すまん。俺にも理解できるように説明してくれないか?」
「これは推測で、本当に可能なのかは分からんが、逢坂の性格とこれまでの状況を考えると、
1つだけ思い当たることがある」
「何だよ、早く言ってくれ」

パソコンの向こうで、北村は一旦言葉を切ると、大きく息を吸い込んでから一気に言った。

「……逢坂は父親の借金を背負わされた。きっと莫大な金額の。そして自らから家を出て行った」


竜児は目の前が真っ暗になり、生まれて初めてショックで倒れるのを経験しそうになった。
だが頭の中のほんの一隅で、嫌な予感があったのに目をつぶっていた、という意識が
竜児を踏みとどまらせる。北村の推測はきっと当たっているだろう、という直感とともに。

大河の前の父親に絡むゴタゴタは、親同士の話であり、竜児と大河には直接手の下しようの無いこと、
早く片付いてくれるのを待つだけ、他人事ではないが自分が動けることはない、そんな姿勢でいた。
それはあの人間にできるだけ関わりたくないという竜児の忌避感から来たものなのか、何千万円
という現実味の金銭のやりとりが、竜児をひるませたのか、とにかく自ら積極的に状況を把握し、
最前の道を探す行動を起こさなかったことは確かだ。

大河も母親という一応の保護者を得て、同じような気持ちだったかもしれない。竜児より近いところに
いたが「いつか」「もうすぐ」「大丈夫」を繰り返していた大河も、竜児と見方はそれほど変わって
いなかったのかもしれない。

しかし、それは降ってきた。2人の上に、何よりも大河のところに。





「俺は、なんで、もっと知ろうとしなかったんだろう… 動こうとしなかったんだろう… 
大河を守るために… 大河の母親の心配事って、これだったんだ… 何で気づかなかったんだ…
今からでも遅くない、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ…」

目を閉じると、小さく手を振りながら、イルミネーションの中を駈けていった大河の姿が、
ついさっき見たかのように浮かんでくる…

「亜美、いるか?」
「ここにいるよ」
幼馴染みの北村の呼びかけに、間髪入れず、亜美が答えた。
「お前の知り合いとか事務所のツテで、探偵とか興信所のようなところを知らないか?
できるだけ内密に人探しをしてくれるところだ」
「すぐには思い当たらないけど、パパとママにも聞いて探してみる。そんな話を聞いたことがあるから、
たぶんすぐ分かると思う」
「頼む」
「ハイッ! だったらさ、テレビの人探し番組とかに出た方が良くね?」
春田がとっておきの解決策を思いついたとばかりに手を挙げて言う。
「いや、タイガーは身を隠したいんだろ? だったらテレビで情報をバラ撒くのはマズイんじゃないのか」
能登が北村の話を受けて、状況を分析した。

「ああ、俺もそう思う。ただ信頼できる人には話してみていいんじゃないか。みんな、ケータイに
逢坂の画像を常に入れておいて、“この人なら”という相手には話してみてくれ。どこかで繋がるかもしれん」
「それいいな。タイガーなら容姿に特徴あるし、それも伝えよう。身長、髪型、体型、それぐらいなら
知らない人でも覚えてくれるかも。でもさりげなく、普通に“長い間会ってないなー”て感じでな」
「元2ーCのみんなにも話すってのはどうよ?」
「うーん、あんまり大ごとにして、善意でも予想外の行動を取られるのもなぁ・・・」
北村と能登、春田は他にも色々知恵を絞っているが、どれも竜児には物足りない気がしていた。
それを察したのか、親友が再びパソコンから声を掛けてくる。

「高須、そこにいるか? 探しに行くな、とは言わない。だけど、やるべきことを怠って、全てを
費やすのは逢坂が望むことじゃないぞ。まさかビラつくって、地元でバラ撒こうとか思ってないよな」
「大河を探す24の方法のうち、12番目にそれを考えた… テレビはその次の次だ」
「アホか。逆効果だ。本格的に探すのはプロに任せた方がいい。後の対処も含めてな。まずは自分の
ことをしっかりやるべきだ」
「そんなことで大河は帰ってくるのか?」
「信じろ。逢坂はいつか必ず帰って来る。お前が信じなくてどうすんだ!」

竜児は、北村の状況分析とリーダーシップ、素早い切り替え、そして強い意思をうらやましく思った。
もし自分が北村のように行動できていたら、大河はきっと…… そう思うと竜児は自分の顔面を
張り飛ばしたい気分だ。いや、もし周りに誰もいなかったら、きっとそうしていただろう。

「高須、そしてみんな、聞いてくれ。逢坂が、大切な友達がいなくなった。まずは連絡を待とう。
だが様子を見る限り、すぐには見つからない可能性が高い。だけど俺達にはやるべきことがある。
みんなで逢坂を探しまわることじゃない。足下をしっかり固めることだ。逢坂は消えてしまった
わけじゃない。いつか櫛枝が言ってたろ『見えなくても星はそこで輝いている』って。
俺達それぞれが精一杯輝くことができれば、逢坂にその存在を見せることができる。いつか逢坂も
俺達の姿に気づいて、ひょっこり帰って来るかもしれない。いやきっと来ると信じてる。
だからみんな、約束してくれ、みんなで輝こう、その準備をしよう。逢坂を再び迎えるために!」

女子たちがまだ呆然と俯くことしかできない中で、実乃梨1人が顔をあげ、きっぱりと言った。
「やるよ私は。信じる。大河はいつか必ず帰ってくるって。そのために全力で生きる。
もう一度必ず会える。このままで絶対に終わらせない」
その言葉を合図に全員が実乃梨を見て、隣にいる仲間を見て、互いに強く頷き合った。

―ドサッ、パリン!!― 
竜児の背後で、紙袋が落ちる音と、ガラス瓶の割れる音が同時に響いた。

「…大河ちゃん、いなく…なっちゃた…の? なんで?」
買い物に出ていた泰子が大きく目を見開き、店の戸口で呆然と立っていた。




北村が「やめとけ」と言ったこと以外、思いつく限りのことを竜児はした。
遠く離れた自宅を訪ねていこうにも、住所すら知らない。知っているのは、大河のケータイ番号と
メールアドレスだけで、もはやどれも繋がらない。

まず、大河が入学するはずだった東京の私立大の教務課を訪ね、入試の合格者の記録を調べて、
住所を教えてくれるようお願いしたが、個人情報を理由に素気無く断られた。
「きっとこの凶悪ヅラ見て、ストーカーかなにかと勘違いしてんだろう…」
自分の顔の遺伝子が遺憾なく能力を発揮しているのを、この時ほど恨んだことはない。

クリスマスイブを共に過ごした大河の地元も再び訪ねた。イルミネーションを見上げた場所、
ホテルのラウンジ、大河が駈けていった地下鉄の駅、バスを降りたターミナル駅、
どこだか分からない住宅街、あてもなく歩き回ってみたが、ただ足が棒になっただけで
何の成果もなかった。

「こんなことで見つかれば、苦労はしない…か…」

そして、何も起こらない、変わらない日々が流れ出す……

月に一度、亜美が依頼した興信所から報告が入った。最初の数回は何か進展を期待したが、
片手を越える頃には「どうせ駄目だろう…」とすっかり気持ちを抑え込むようになっていた。
興信所の費用は、亜美が「自分が一番稼いでいるから」と他の誰にも払わせずにいる。


* * * * *


そんな中、ささやかな変化をある人物がもたらしてくれた。
ある休日の午後、ケータイから着信。番号は春田のだ。
「や、たかっちゃん、ちょい久しぶり。元気? あ、ごめん。元気じゃ、ないよね…」

「いや、いつまでもふさぎ込んでいるわけにいかないしな。勉強に没頭するようにしてる…」
「あのさ、ちょっと見てもらいたいものがあってさ、これからウチに来れない?」
「構わないけど、なんだ? 見てもらいたいものって」
「それは、来てもらってから、でさ」
春田はちょっと言いにくそうな感じ。

―大河に関わることだ―
竜児はそう直感すると着るものも構わず、春田の家に向かって駆け出した。

内装業を営んでいる春田の家は意外と広く、事務所の裏の倉庫には様々な道具や部材が
並べられている。その奥から、春田がダンボール箱を抱えて出てきた。

「ウチ、商売がこれじゃん。不動産屋とは付き合いが多い訳だけど、知り合いの所がコレ持って、
今朝訪ねてきたんだ」
見るとダンボールの蓋は開かれ、貼付けられた送付票がひらひらと風に揺れている。
「これ、数年前にタイガーが送った荷物みたいなんだけど…」
「えっ?」

竜児はダンボールを春田の手から奪うと、はがれそうな送付票を見た。
真っ先に飛び込んできた送り主の名前には、見慣れた、ちんまりとした文字で書かれた
“逢坂大河”の名前。送付先には竜児のアパートのすぐ近くの住所が記されている。

「なんか、一度送られてきた引っ越しの荷物を、すぐ送り返すように言われたんだけど、
この箱は別便だったので返すの忘れてたんだってさ… これって、例の時のことだよね」
「ああ、きっとそうだ…」
送付票の日付は大橋高校での卒業式の数日前。間違いない。

「昨日、不動産屋の子供が偶然見つけてうっかり開けちゃったらしいんだよ。ウチの高校の
生徒手帳が出てきてたから、送り主に心当たりはないか、長い間放置していて大騒ぎされる
ような相手かって、俺に聞きたかったらしい… まさかタイガーとはねぇ…」




竜児には、そんな春田の説明がほとんど耳に入っていない。
送付先の住所は、竜児のアパートから歩いて、ほんの5分のワンルームマンションだった。
もし大河が予定通り東京の大学に進学していたら、今もそこに住んでいることになる。
「あいつ、同じ市内だなんて、ウチからこんなに近い所だったなんて、一言も…」

『これから毎日チャーハン食べに来る!』
卒業式の翌日、大河が弁財天国で無邪気に語った言葉が甦る。
そして、前のクリスマスイブ、考え事をしていて聞いていなかった大河の言葉。
『私、竜児のところに間違って写真送ってなかった?、高校の時のアルバムとか…』

地面に下ろしたダンボール箱の中には、確かに大橋高校の生徒手帳が見える。思わず手に取って
開いてみると、中から1枚の写真がひらりと舞い落ちた。文化祭の2-Cのプロレスショー、
大河のマントを結んでやる竜児と、何かを叫ぶ大河の姿が映った、あの1枚。

「あいつ、まだここに入れて…」
ありえないことなのに、竜児はダンボール箱から大河の香りがほんのわずか、立ちのぼった気がした。
「あのドジ… って、これはあいつのせいじゃないよな…… 大河、今、どこっ… 何を…ぉぉ…」

大河と連絡が取れなくなってから、竜児は初めて泣いた。
写真を持ったまま崩れるように膝をつき、片手で目頭を覆うと、声を殺してひきつった呼吸を繰り返す。
目から溢れる熱い液体は、切れてしまった堰のようにもはや止めることができない…

「たかっ…ちゃん…」
そっと肩に置かれた春田の手の暖かさが、気遣いが、却って悲しみを倍加させた。

―ギュッ― 
その瞬間、痛みすら覚える程の強い力が肩に加わり、竜児は驚いて、春田の方を振り返る。
「悪いけど、たかっちゃんにはやることがあるよ。ほら、これ、タイガーんちの住所じゃない?」

発送元の欄には見たことも無い住所が記してある。大河の地元、そうだ、きっと自宅だ。
なんで真っ先に気づかない… 北村、やっぱ俺はアホだ。肝心のところが見えてねぇ… 
「行ってきなよ。きっと何か分かるよ…」
「春田…」
「たかっちゃんの泣き顔はさ、みんなには内緒にしとくからさ…」
「す、すまん、俺…」
「いいってば。みんな忘れてないよ、タイガーのこと。いつも気にしてるし」
「ああ、ありがとな。これ預かってもいいかな? 不動産屋には知り合いが持ってったって
言っておいてくれ」
「りょーかいっ! 言っとく」

竜児はダンボール箱を抱えると、春田の家に来た時と同じように走り出した。

その数日後、竜児は大河の自宅を訪ねることができた。
大河の今の父親に会い、北村の推測が間違っていなかったこと、大河と大河の母親、弟の3人共が
いなくなったことは分かったが、肝心の居場所は結局分からずじまいだった。
そして、父親との会話で、竜児はさらに苦い思いを噛み締めて、帰路につくことになるのだった。





再び、変化の無い日々が始まる一方で、北村が呼びかけた約束の通り、仲間達は自ら輝くべく、
頑張りを見せていく。特に実乃梨、亜美の努力と活躍には鬼気迫るものがあった。

実乃梨は、ソフトボールの大学日本一チームのレギュラーになると共に、大学生では数少ない
日本代表のメンバーに選ばれた。実乃梨はついに長年の夢をかなえたのだ。
チームの中では小柄な方なので、もはやピッチャーは務められないが、シュアなバッティングと
広い守備範囲を誇るジャパンのセカンド、不動の1番打者として国際大会にも出場。
スポーツ紙では、普段はあどけない顔だが、打席に立つと鋭い打球で野手の間を容赦なく打ち抜く
「女イチロー」と取り上げられ、注目を集めた。

亜美は、モデル業を行いながら、元々考えていた映画女優としてデビュー。
最初は親の七光りと叩かれたものの、そんなノイズを黙らせる、巧みな感情表現、20才過ぎとは思えない、
存在感が注目された。特に「アクション!」の掛け声からわずか5秒で涙を零すことのできる演技力は、
いつしか亜美に「涙の女王」の異名を業界内で与えるようになっていた。
亜美はドラマやバラエティといったテレビには一切出ず、映画だけに出演。国内だけでなく、海外の
監督からも声を掛けられた。メジャーな作品より社会性、芸術性の高い作品に出演し、さらに評判を
高め、アジアの映画祭ではいくつかの新人賞を手にしたのだった。

他の仲間達も、2人に負けじと厳しい就職戦線を勝ち抜いて、無事大学を卒業、社会人となった。
能登は音楽系ではなく大手総合出版社に、春田は親と一緒に仕事を始め、麻耶は急成長のネット系企業に
奈々子は老舗の食品メーカーに就職。北村は予定通りハーバードのロースクールへと進学を果たした。

竜児は、大学を優秀な成績で卒業。宇宙への夢を実現できる日本で唯一の企業に就職した。


* * * * *


社会人1年目の研修を中心とした日々を無難にこなしつつ、気がつくと師走の声を聞く季節になっていた。
夜、いつもと変わらぬ自宅への帰途、竜児は恋人がかつて暮らしていたマンションの部屋を見上げる。
「…………」

そのまま視線を夜空に向けると、すっかり癖になった、星に向けての語りかけを行うのだった。
ただ、今日は珍しく、はるか海を越えたアメリカにいる親友が相手だった。
「なぁ北村、俺、そろそろ限界かも… 大河を探す24の方法の残り、試していいか…?」


* * * * *


暫く後、竜児がチラシの文面を書き上げつつあったある平日、仕事の最中にケータイが鳴り、
メールの受信を知らせた。
発信は川嶋亜美。件名には「急ぎの用」 文面は短く一言「今日、これから会えない?」だった。
社会人としてお互い忙しい身、こんな性急なメールは亜美にしては珍しい。きっと重大なことだという
予感を抱きつつ、メールをやり取りし、午後に学会のために訪れる大学での待ち合わせを約束した。



「あんたさー、タイガー放ったらかして、なに女といちゃいちゃしてんのよ!!」
サングラスを外しながら極悪の目つきで、川嶋亜美、その人が立っていた。

「川嶋! おい、いちゃいちゃなんかしてねーぞ、この人は研究室の先輩でこっちの大学院に
進んだから、学会のついでにちょっと挨拶に…」
いきなりケンカを売られた女性は、驚いて竜児の横から飛び退き、
「えっ?、川嶋亜美?! なんでこんなところに、まさか高須君の会えない彼女って?」

―ギロッ―
「あ、あ、ごめんなさい、じゃ高須君またね。教授にはさっきの件、頼んどくから」
「すいません、お願いします。あ、この馬鹿は彼女でも何でもないんで、気にしないでください」
「じゃっ、し、失礼しまーす」

「あーあ、事情を知らねえ一般人を怯えさせてどうすんだよ。評判落ちるぞ!」
「かんけーないもん、評判なんて。あんたが鼻の下伸ばしてっから、むかついたのよ」
「伸ばしてねぇよ。真面目な学問の話だ。あと”放ったらかし”なんて言っていいことと、悪いことが
あるぞ。それより、急ぎの用ってなんだ? なんか進展あったのか、あっちの方」
「興信所の方はさっぱり。だけど、映画のスタッフがタイガーに似た子を見たっていうのよ。つい3日前に」

“ドクン”
竜児の心臓が、亜美にも聞こえるかというぐらい、大きく跳ねた。身体中の血液が一瞬流れを止め、
そして、今度は猛烈な早さで体中をうねるように流れ出し、全身を駆け巡る。

―ずっと、ずっと、ずっと待ち望んでいた。誰かがその言葉を言ってくれるのを―

はやる気持ちを抑えつつ、竜児は慎重に、順番に亜美に尋ねた。
「大河の画像、見せたのか?」
「ほらコレ、私のケータイの待受。高校卒業してからずっとコレなんだ、機種変えても」
そこには、卒業式の夜に弁財天国に集まった、あの希望に満ちたひとときの写真があった。
真ん中には大河と竜児、囲むように7人の仲間達。亜美のケータイで撮って、皆に送ったものだ。

「打ち合わせの時、そのスタッフが隣にいたの。『人のケータイ覗き見すんじゃね』って、
ブン殴ろうと思ったら『真ん中の女の子に似た子をつい最近見た』っていうのよ」
「で、場所はどこなんだ? やっぱり自宅の方か?」
「それが全然違うところ。A県の○○市でドキュメントの撮影があって、夜に立ち寄った店で
見たらしいんだけど、場末のバーみたいな所だって」
そこは、東京から電車で2-3時間はかかる、ある地方の中核都市の近郊だった。

「そこで大河は何を・・・?」
「飲み物作って出したり、洗い物したりしてたらしいよ」
「あいつが? そんなリスキーなことを。あ、でも、いわゆる水商売みたいなのではないんだな?」
「ええ、ただのバー。店のマスターに『未成年を働かせていいのか?』ってからかったら、
20才は超えてるよ!って、言われたらしい。でも、その子はあまり話さず、黙々と働いているだけで、
客の前にはほとんど来なかったって」

想定していた最悪のケースの1つではなかったようで、竜児はホッと1つ息を吐く。

「ほら、これ、店の名前と地図。手書きでいい加減だけど、住所はネットで調べて確認した。
先に連絡すると逃げられるかもしれないから、店が開いている時間にいきなり行くのがいいと思うよ」
「俺、明日にでも行ってくる って、ダメか。どうしても仕事が抜けられねぇ。明日は課題の発表が
あるんだ・・・あ、でも明後日から研修場所が変わるんだ。俺が配属を希望している部署で、
きっと大河のいる所にも近いはず。今週一杯はずっとあっちだから、訪ねるチャンスはきっとある」

「あんたのことだから、仕事さぼって飛んでいくかと思った。うん、でも今は足下を固めた方がいい。
スタッフの話だと、タイガーらしき女の子が店をあがる時、他の店員から『また明日!』って
声掛けられてたらしいし、たぶんずっと働いてるんだと思う。私がすぐ行けたらいいんだけど、
ゴメン、今夜出発して海外でロケなんだ。さっき、この話聞いたから飛んできた」
「すまねぇな」




「結果、必ず連絡して… もしあいつだったら、私もすぐ帰国する」
「足下固めとけ、ってさっき自分で言ったろ? 大丈夫。もう絶対放さねえ」
「実乃梨ちゃんはどうする?」
「確か、社会人チームであっちの方に住んでいたよな?」
「ひょっとしたら、すごく近いかも…」
「一緒にいけたら、何かの時に力になってくれるかもしれないな。櫛枝もずっと心配してるし」
「じゃあ私、すぐ連絡とってみる。高須君はまだ仕事でしょ?」
「ああ、頼む」


* * * * *


翌日、気を抜くと大河のことで頭が一杯になりそうな自分を叱咤しつつ、なんとか発表をこなし、
研修チームの打ち上げを一次会で切り上げると、荷物をまとめて夜行バスに飛び乗った。

同期生達は、明日朝の新幹線で新たな研修場所に向かうが、竜児は少しでも交通費を浮かせて、
差額を貯めるため、適当な理由をつけて安いバスに乗ったのだ。
そして、深夜の高速道路でバスに揺られながら、1人でゆっくりと考えてみたいことがあった。

さほど混んでいない夜行バスに乗り、竜児は川のように流れる対向車線のヘッドライトと、一定のリズムで
窓の外を流れていくオレンジ色のナトリウム灯を見ることも無く、ただ視界に入れたまま、つぶやいた。
「本当に… 大河なのか…」

これまで有力と言える手がかりは何1つなかった。しかし今回は違う。
「大河に似た女の子」「未成年に見えるが20才は越えている」「ほとんど話さない」
やっと、やっと見つけた手がかり。縁もゆかりもないはずの土地で何をしているのか? 
もしかしたら別人かもしれない。でもそしたら、またやり直せばいいだけの話。
それより亜美のスタッフが語った言葉が気になる。まるで自分が直に聞いたように、
何度もそのフレーズが頭の中で繰り返されて離れない…

亜美のケータイの待受画面を見て、スタッフはこう言ったらしい。
「この子、こんな屈託のない笑顔見せるんだ。いや確かにキレイな子だったけど、なんか生気が
ないって言うか、そう、良くできたフランス人形のように、無表情だったんだよね…」

竜児は、春田が見つけてくれた住所で大河の自宅を訪ねた時の、父親との会話を思い出していた…




北村の推測どおり、大河は実の父親、逢坂陸郎の借金を背負わされていた。
20才の誕生日、連帯保証人として大河の名前が記された金銭消費貸借契約書を持って、自宅に
金融屋が取り立てにやってきた。勿論、そんな契約書に大河が名前を書いて、判を捺す筈がないので
偽造で無効なはずなのだが、避けがたい仕組みが用意されていたらしい。

そして、大河と大河の母親、弟の3人は、今の父親に迷惑を掛けないため家を離れた。
分かりやすく言うと“夜逃げ”だ。

“逢坂陸郎の借金の肩代わりをしてくれ”なんてことを、大河の今の父親に頼むのは全くの筋違いだと
分かっている。でも竜児には他に手段を思いつかなかった。

「お願いします! 大河を救ってやってください」
「…私だって、大河ちゃんは気の毒だと思っている。しかし世の中にはどうしようもないことがあるんだ」
「あなたは社長じゃないですか? 会社を経営されてるんですよね! 家もこんなに広くて立派だ。
全部は無理かもしれないけれど、いくらか払えないんですか? 奥さんと子供を取り戻すために。
大河もあなたのことを凄く感謝していました。家族としての居場所を作ってくれたって。
俺も今は学生ですが、就職したら一緒に返します」

「………君の気持ちは良く分かった。だが、君が働いてなんとかなるような額じゃない。
この家を売り払っても足りないだろう…」
「そんな…に…?」
「それに社長だから金持ちだと思うのは短絡的だ。私には親から受け継いだこの家と会社、従業員と
その家族を守らなきゃ行けない。君は私に会社をつぶして、彼らを路頭に迷わせろと言うのか?」
「だけど、今、頼れるのはあなたしか…」

「高須…竜児君といったね。ずいぶん頭がいいそうじゃないか? しかし、やはりまだ学生さんだな。
キミが言っていることは、ただお願いしてるだけだ。それでは人や物事を動かすことはできない。
恐らくこれ以上話しても話が噛み合うことは無いだろう」
「なんとか、もう一度、もう一度考え直してもらえませんか?」
「時間の無駄だから、帰ってくれないか。私も、ずっと平気でいられたわけじゃない。考えた。
悩んでいる。でも今は何も打つ手が無いんだ。だからこれ以上、私を乱さないでくれ」
「………」

「最後に一つ、忠告しておく。3人が巻き込まれているのは借金の問題だけじゃない。
性質の悪い連中が何か別のことで行方を追っているらしい。それに警察もな」
「性質の悪い連中? 警察? なんですか、それは?」
「私にも詳しいことは分からない。妻もふさぎ込むだけで詳しく話してくれることはなかった。
いずれにせよ、君の手に負えるような問題ではない、ということだ。悪いことは言わない。
君の勝手ではあるが、忘れた方がいいかもしれない。大河ちゃんのことは…」

「そんなこと、できるわけがないじゃないですか! あいつと俺は!!」

「もう一度言う。帰ってくれないか? これ以上は人を呼ぶよ。警察でも何でも」
「せめて居場所だけでも教えてもらえませんか?」
「わからない。これは本当だ。連絡も一切無い」
「そんな……」





あれから、自分は成長しただろうか。
今、振り返ると相手の立場、悩みも考えず、ただ工夫もなくお願いに行ったことが自分でも良く分かる。
だが一介の学生で、財産も力も世間に示す地位も何も無い自分には、他にどうしようもなかったことも事実だ。

竜児は作っていた大河捜索用のチラシに目を落とす。別にどこかでバラ撒こうなんて思っていない。
ただ、大河の今の父親に見せ、金融屋への連絡方法を教えてくれなければ、これをバラ撒くと脅すつもりだった。
3人の居所は知らなくても、金融屋の連絡先は必ず知っている筈だ。
そして、自分が交渉する。今は12月。奇跡が起こるとしたら今月しかない。そう思っていた所に
亜美からの連絡が来た。やっぱり12月はそういう月なんだ。

「まず大河を見つけよう。そして考えるんだ。きっと方法はある。このままで絶対に終わらせない」
いつか実乃梨が言ったことを竜児は繰り返す。

夜行バスはエンジン音をひと際高く上げながら、山間部のカーブを抜け、闇の中を西に向かって走っていった。


* * * * *


翌日、研修が終わると、竜児はバスと電車を乗り継いで、大河がいるはずの街に向かった。
途中、実乃梨から連絡があり、練習が長引いて、15分程遅れると連絡が入る。
はやる気持ちを抑えられない竜児は、実乃梨を待たずに先に店へ行くことを告げ、近くに来たらケータイに
連絡するようにと、実乃梨に話した。

電車を降り、駅を出ると大きなビルと整備されたロータリーが広がっている。
亜美から貰った地図によると、駅からそう遠くはないが、新しい商業エリアから外れた、
繁華街のはずれに店はあるらしい。

「“Lost & Found” ― 遺失物取扱所 か。 おかしな名前の店だな…」
そう竜児は独りごちたが、大河がそこにいるなら、文字通り“失ったものを取り戻す場所”になるはず
と思い直し、力が湧いてくるのを感じた。

「大河を見つけ出す。そして必ず連れ戻す」
強い決意を胸に宿し、竜児は地図に描かれた場所に向かって、歩き始めた。


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