大晦日。
TVで年末恒例の歌合戦が始まる頃、弁財天国の店内は、年末の大売出しが終わった商店街の人達や、
おせちの用意で夕食の準備に手が回らなかった家族連れなど、多くのお客で賑わいを見せていた。

店の奥の和室では仲間達、帰省した実乃梨と年末年始完全オフの亜美、能登と麻耶、春田、奈々子に
北村と狩野すみれの合わせて9名が陣取り、竜児お手製のお好み焼きや前回披露できなかった焼うどんが
振舞われていた。

狩野さくらと富家幸太も店にいたのだが、和室ではなく一般のテーブル席に座っている。すみれが
学生の2人を巻き込みたくない(すみれの言い方では“ガキどもはいらねぇ”)と、店から追い出そうと
したのだが、仲間はずれにされたくないさくらとの間で一悶着あり、結局、幸太と北村のとりなしで
不審な人物や泰子が近づいたら知らせる見張り役をすることで落ち着いた。

「やはり仕掛けられていたか…」
和室の一番奥で、狩野すみれが腕を組みながら、深く頷く。
「ええ。能登が取材先から借りてきてくれた機材で調べてみたら、俺の部屋と居間に…」
クリスマスに連絡した時、能登からもたらされた報告とは、竜児の家から何か怪しい電波が出ている
というものだった。今日の午後、能登と麻耶、奈々子が家を訪ねてきて、本格的に探索した結果、
2ヶ所で盗聴器が仕掛けられているのを見つけた。

「で、そいつを見つけたことを気づかれていないだろうな?」
「大丈夫! 私と奈々子が高須君におせち料理のコツを教えてもらって、それを実践するっていう
設定でメッチャおしゃべりしてたから。ねー、奈々子」
「おいしくできたよねー」
麻耶と奈々子が声を合わせて、にっこりと微笑む。

「おう、黒豆をきれいに煮るには、砂糖の濃度を少しずつあげていくのがポイントなんだ。それもちゃんと
冷ましてから次の段階の濃度で煮ないとすぐ皺ができてしまう…」
「誰も今ここで解説しろなんて言ってねぇし…」
片手で頬杖をつきながら、亜美が地獄行きを宣告するような冷たさで言い放つ。
「それに奈々子だって、ホントはそれぐらいのこと知ってるって!」
「うふふふ…」
「そ、そうなのか…」
誰もが知っておくべき知識だと思って披露したのだが、あっさり一蹴されてしまい、竜児は軽く意気消沈。
そんな竜児のダウナーなムードもお構いなしに、春田が割り込んできた。

「ねぇ、なんで俺も呼んでくんなかったの? おしゃべりには自信あるんだけどなぁ?」
「春田、お前しゃべるなって言われた時、ずっと黙り続けていられる自信、あるか?」
能登が眼鏡のズレを直しながら、春田に向かって冷静に問いかける。
「能登っち、ひどいよ。いくら俺だって、そんな時に”おおっ、盗聴器見ぃーつけた”なんて言わねぇよ」
「言うね」「絶対言うよ」「ダメゼッタイ」「てか、言っちゃってるし…」
「みんな、ヒドイよ… ねぇ、亜美ちゃん、みんなに言ってくれよ〜 “仲間はずれは良くないぞ”って!」
「しっかし、いつから仕掛けられてたんだろね? 亜美ちゃんも高須君のひとりごと、聞いてみたかった
なぁ、”やっぱ、亜美ちゃんって、か・わ・い・い・よなぁ!!”なんて言ってなかったぁ?」
「ねぇよ!」
「…亜美ちゃんにもスルーされちゃったよ…」

「お前達の集団コントは相変わらずだな。で、ここは大丈夫なんだろな」
すみれの問いに、能登が探偵から借りてきた最新の探知機を見せびらかしつつ、店、部屋、皆の荷物を
チェックした結果、問題ないことを伝え、さらに取材の時に聞いた盗聴にまつわるおかしな話を始める。
メジャーな週刊誌の第一線にいる能登の話は、軽妙な語り口と相まって、たちまち仲間達を好奇心の渦に
巻き込んでいった。


* * * * *


盗聴器があると分かった時、春田ではないが、竜児は大きな声で叫びそうになった。
亜美の言う通り、いつから仕掛けられていたのかは分からないが、会話を聞かれていたことに加え、
自分の家の中に異物があることに耐え難い憤りを感じたのだ。誰かが知らないうちに家に入って、細工を
していった… 想像を巡らせるだけで、腸が煮えくり返りそうになる… 自然と目がギラついてくるが、
手元では焼きうどんを器用に混ぜ炒めているので、その姿は決して怖くない。

様子を察した北村が、気楽な口調で話し掛けてきてくれた。
「まぁ、確かに高須はいい気はしないだろうが、今は気づかないふりして、奴らを欺いておかないとな。
日々、奴らが泰子さんとインコちゃんの謎の会話を懸命に解読してると考えてみろ、少しだけ愉快だろ」
「まぁな。しかし泰子を誤魔化すために言った話を、奴らに脅された時に繰り返したのはラッキーだった…」

あの時、本当に咄嗟のことだったが、大河に会ったことを否定せず、“駅ですれ違っただけ” という
前日に思いついた話を繰り返した。内容に違いが無かったことで、信憑性は増したかもしれない。
「その後みんなで集まって、すぐに話し合ったのも良かったね」
竜児の向かいに座る実乃梨が、能登の話に加わらず、2人の会話に入ってきた。
「ああ。用心もできたし、対策も打てたしな」

毘沙門天国の常連の皆さんに、今も帰り道を守られている泰子に対し、何か危害を加えられるようなことは
起こっていない。今日も周囲を警戒しつつ、皆ここに集まってきたが、不審な動きは見られなかった。

「すみれさん、意外と奴らも手は限られているのかもしれません。前回、高須が脅されたのも、揺さぶり
を掛けて、本人や知り合いに連絡を取らせる動きを誘発し、情報を得ようとしたんでしょうね」
「まぁ、そんな所だろう。もし何かを掴んでいたら、殴られるぐらいじゃ済まないだろうしな…」
「いきなり深夜に忍び込んきて、“おい高須、吐かなければ、命の保証はないぞ”ってか」
「櫛枝、冗談でもそういうのはやめてくれ…」
竜児はあの男たちが忍び込んでくる様子を想像し、ゾッとする。プロにとっては普通の鍵など、無いのも
同然、と能登が話していたのを思い出す。

「まぁ、確証を得ていない奴らとしては前回の脅しがギリギリの線だったんだろうな。必要以上の事をして、
警察が出てくるリスクは避けたいだろうし、今のところ、盗聴がメインの手段と考えていいだろう」
「じゃあ、高須が盗聴器を見つけたことを気付かれなければ、欺くのに使えそうですね」
「そうだな。ただ周囲への警戒は怠るな。自宅にもできるだけ戻らずに済めば、それに越したことはない」
「はい。幸い向こうでの研修は年明けてからもまだ続きますし、その点はうまく行きそうです。ところで
狩野先輩、俺達の計画はどうですか?」

竜児は、大河を救う計画について、すみれに問いかけた。
クリスマス以降、亜美と実乃梨のアイディアを元に能登と北村と詰めていく過程で、その内容は当然、
すみれの耳にも入っている。北村の発言には意見が含まれていると思うが、やはり非凡な才を持つ、
すみれの口から直接聞いてみたかったのだ。

「確かにリスクは高いが、得られるものも大きい。先手を打って、こちらのシナリオで事を動かすのは
戦いの基本だからな。といっても、てめぇらの中では、もうやるって覚悟を決めてるんだろ?」
「はい。最初は反対したけど、北村や能登達と話すうちに賭けてみる価値はある、と思い直しました」
竜児がはっきりと告げると、実乃梨と、こちらの会話に気づいていた亜美が嬉しそうに大きく頷いている。

「じゃあ、私から言うことは何もない。思いっきりやってみろ。私と祐作は来週日本を離れるが、手伝える
ことは何でも言ってくれ。できる限りのことをさせて貰いたい。」
気がつけば、皆がすみれの言葉に耳を傾けていた。偉大な兄貴の一言に、安堵の声が部屋の中に満ちる。

「計画ってなんだっけ?」
1人だけ、詳しい事情をまだ知らされていない春田が不思議そうに呟いている。
「悪いな、春田! ま、おいおい話してやるから…」
能登が春田の肩をポンっと叩いた。

「それより高須よ、母親の説得は大丈夫なのか? 差し当たって、最も高いハードルのようだが?」
すみれの言葉に、竜児は先日大河から送られてきた、母親と話した様子を知らせるメールを思い出す。
竜児と会うのは了承。但し、話を聞くためではなく、今後自分達に一切関わらないよう、強く言うつもり、
とのことだった。

「正直、不安はあります。相手は当事者で社会経験豊富な大人で、おまけに大河の何倍も強情と来ている。
でもここで負けたら何も始まらねぇし、明後日は力の限り、俺の考えをぶつけてきます」
座がシンと静まりかえった。大河の母親の性格は、会ったことの無い者にも伝わっている。

そんな空気を全く気にせず、1人だけ陽気な声をあげたのは、春田だった。
「なんの計画か良く分かんないけど、タイガーの母ちゃんを説得したいなら、みんなで行けばいいじゃん?」
「みんな?」
「どうせ正月なんか暇だし、餅食って、テレビ見てるだけだったら、有効に使った方が良くね?」
「そんな風にゴロゴロしてるのは春田だけだろうけど… でもいいな、それ。俺も行くぜ」
能登がいち早く賛同する。
「うん! 私は元々一緒に行くつもりだったけど、数が多い方がこっちの気合いを見せられるしね」
実乃梨が乗ったとばかりに手を挙げる。
「あたしも!」
「わたしも。みんなで行けば、迫力だけは負けないんじゃない?」
麻耶と奈々子も続いてくる。

「いや、みんな無理しないでくれ! 結構遠いし、これ以上、皆に迷惑を…」
「じゃ、明後日、逢坂の所に行ける奴は手をあげてくれ! あ、すみれさんの分は俺が役目を果たすから…」
竜児の言葉を無視し、北村が早速まとめに掛かる。その言葉が終わらないうちに7人の手が綺麗に上がった。
「お、おい、お前ら…」
「あんたねぇ、いつまでもごちゃごちゃ言ってんじゃねぇつうの。行くって言ってんだから、いいんだよ。
タイガーにも会えるわけだしね」
いつの間にか隣に座った亜美が、竜児の頬を指先で突っつく。
「お前、身内の説得は身内で、とか言ってなかったか? 分かったよ… 一応、大河に聞いてみる」
竜児は、ペロッと舌を出している亜美に降参の意志を示すと、ケータイを取り出し、メールを打ち始めた。
「えっと、俺も入れて全部で8人だな… “今、皆で集まっている。2日だが8人で行っていいか?” っと」

暫くして、竜児のケータイからメールの着信を知らせるメロディが流れた。
「“どうせママには言わないからいいけど、ここ、狭いよ” だってさ」
「いいよ。座るところがなければ、立ってればいい」
竜児が大河からの返信を読み上げると、実乃梨が事も無げに即答する。
「分かった。 “構わねぇ” これでいいな」
「ねぇねぇ、それホントにタイガーから返事来てんの?」
竜児の横から、春田がケータイを覗き込んできた。
「おう、間違いねぇ。大河からだ」
「じゃあさ、俺の名前でメール打ってみて “タイガーは俺が守ってみせるぜ! びーあい、春田”って」
「分かった。ちなみに biじゃなくて、byな。 …送ったぞ」

すぐさま竜児のケータイが再びメールの着信を知らせる。
“アホロン毛だけはゼッタイにお断りだわ。このバカ!”
大河も冗談と気づいていて、昔のノリに合わせた返事を書いてきたのだろう。
「わーい、ホントにタイガーだ」
「ほう…」
「確かに逢坂らしい返事だな」
「はい、春田死んだー」
「ねぇ、私にも見せてよ!」
「相変わらず、ね…」
竜児のケータイが大河にまだ会っていない仲間達の間で次々と手渡されて行く。
「お前ら、なんて文面を見ながら、感慨にふけってるんだよ…」
突っ込みながら、竜児も微笑んでしまうのを抑えられなかった。

そうだ。みんなで行こう。そして、自分達の考えを、気持ちを思いっきりぶつけるんだ…
盛り上がる仲間達を見回しながら、竜児は大河に語りかけるように呟くのだった。


* * * * *


新年が明けて、2日目。
快晴だった元旦とは打って変わって、薄曇りの肌寒い日になった。

竜児達は2人ずつに4組に分かれたうえ、時間をずらして列車にのり、大河の母親の家に向かう。

バラバラの経路で午後半ばに最寄の駅に着くと、最初に亜美と北村、次は能登と春田、麻耶と奈々子、と
少しずつ間隔をあけ、前の組の後ろに不審な人間がいないかを確認しながら、タクシーに乗り込んでいった。
竜児は1人でタクシーに乗り、大橋からずっと竜児の背後に目を光らせてきた実乃梨が、さらに数台後の
タクシーに乗って、後を追う。そんな苦労をして警戒してきたのだが、特に気になる人影はなかった。

しかし、アクシデントは大河の母親の家に竜児が着いた時、起こった。

竜児が平屋の家の引き戸をそっと開けると、玄関の土間には一足先に着いた麻耶と奈々子が、
家にあがるタイミングを測りかねて、ブーツも脱がずに立っている。大河は能登が盗聴器をチェックするのを
案内しているのだろう。

そして、上がりがまちには小さな男の子がふんぞり返って立っていた。

「!」
竜児と男の子、2人の目が会った瞬間だった。
男の子は急に土間に飛び降ると、竜児の目の前で勢い良く跳ね、その腹に強烈な頭突きを食らわせたのだ。

「ふごぉうっ…」
竜児の口から、声とも息ともつかないような音が発され、「ガシャン」と言う音と共に背後の引き戸に
ぶつかった。小さな子供とはいえ、渾身の頭突きを受けた竜児は倒れ込まないようにするのが精一杯。
麻耶と奈々子は「「キャッ!」」という短い悲鳴を同時にあげ、その騒々しい様子に家の奥から大河が
飛び出してきた。

「ちょっと恵児、アンタ何やってんの!!」
「大河姉ちゃん、こいつ悪いヤツなんだろ? 僕がやっつけるっ!」
男の子は素早く1、2歩を下がって体勢を立て直すと、何かの戦隊もののポーズなのだろう、ワンアク
ションを入れて、今度はチョップを食らわす姿勢で、呼吸すら困難な竜児に再び襲いかかろうして……
大河に後ろから羽交い絞めにされた。

「竜児は悪いヤツじゃない! 顔は怖いけど、味方、いい人、お姉ちゃんの大切な人!」
「うそだ! ママと大河姉ちゃんはボクが守るんだ!」
「恵児っ!」
大河の手のひらが、男の子のおでこを打った。といっても強く叩くのではなく、「ぺちっ」といった程度に
手加減されたものだったのだが、それで男の子の動きがぴたりと止まってしまった。

一瞬の静寂の後、男の子は「ひっく…」と一度しゃくりあげたかと思ったら、
「うわわわわわぁーーんっ!」と大声で泣き叫び始めた。
叩かれた痛みで泣いているのではない、竜児に向かっていくのが怖かったのだ。
それを懸命に抑えて、敵だと思った相手に飛びかかっていくあたり、さすがは大河の弟といえる。
勢いを止められると、恐怖心が一気に押し寄せてきたのだろう。

「ちょっと、可愛いかも…」
「男の子よねぇ…」
騒動を目の当たりにして驚きっぱなしだった麻耶と奈々子も、状況が飲み込めたようで、
泣き叫ぶ男の子を愛おしむような目で見ている。
「家の周りも問題ないぜ… おやおや、いったい何ごとだい?」
しんがりを務め、最後に周囲の様子を確かめた実乃梨が、引き戸をガタガタと言わせながら入ってきた。
「えと、高須ボーイ、大河の弟を早速いじめたのけ?」
「いじめてねぇよ! てか櫛枝、大河の弟、知ってるのか?」
「うん、この間エステやってる時に写真を見せてもらったさぁ…」

大河の弟には悪人扱いされるし、婚約者には改めて言われるし、かつてのクラスメイトの女子達は
妙に納得しているし、顔を怖がられることに耐性のついてきた竜児も、いささかヘコんだ。
でも大河が叫んだ“お姉ちゃんの大切な人”に免じて、気にしないことにする。

「驚かせて、すまなかったな。なかなかカッコよかったぞ、恵児君。はじめまして」
落ち込んだことはおくびにも出さず、竜児は大河の弟の前にしゃがむと、ポンッと頭の上に手を載せる。
「ひっ… っく、ひっく…」
しゃくりあげながらも、竜児を再びキッと見据えるあたり、顔はあまり似ていないが、やはり大河と
血を分けた兄弟なのだろう。

緊張感がほどけて、なごんでいく空気の中で、大河の顔だけが強張っていた。
「これまで恵児にそんな話をしたことはなかったのにね… この子なりにママや私の様子から何か
感じ取ってたのかしら… 子供は怖いわね。うまく誤魔化してきたつもりでも、ちゃんと伝わってる…」
「……そうだな…」
竜児がゆっくりと立ち上がり、顔をあげると、困惑した表情で玄関の様子を見つめている大河の母親と
目が合った。


* * * 


玄関での騒ぎは、結果として竜児達に有利に働くことになった。
当初、大河の母親は竜児に対し、顔を合わせるや否や、余計なことをしないよう捲くし立てて、早々に
追い返すつもりだった。これ以上関わろうとするなら、二度と大河に会えなくなることを脅し文句に。

ところが、大河が時々借りてくるDVDで見た女優が、芸能人オーラたっぷりに、おかっぱ男を従えて
玄関に現われたかと思うと、次はロン毛と変な眼鏡の男2人組が家にあがり込んできて、「シーッと」
言いながら、いきなり家中で怪しい機器を振り回し始める。そして、トドメは泣き叫ぶ息子の姿… 
機先を制することができず、竜児に捲くし立てるどころでは無くなってしまった。

8畳の居間に身を寄せ合うように全員が座ると、最初に口火を切ったのは亜美だった。
「最初に言っときますけど、私達、伊達や酔狂でここに集まってるわけではありません。
色々おっしゃりたいことはあると思いますが、私達の話を聞いた後でお願いします」

ぴしゃりと言い切るその口上は、交渉事では百戦錬磨のはずの大河の母親を一瞬で黙らせる。
伊達に映画界で“女王”のつく異名は取っていない。
「ひゅー…」
「かっこいい…」
思わず、春田や麻耶の口から感嘆の言葉が漏れた。これぞ女優の本気の演技、である。

「恵児くんは、お姉ちゃんと隣のお部屋に行こっか、ご本、読んであげるよ」
さりげなく奈々子が弟を連れ出す。襖を一枚隔てただけで声は聞こえるが、緊迫した様子を目の当たりに
するより、幾分か子供にはいいだろう。
いつも女の人に囲まれて暮らしているので、見知らぬ人でも女性に対する警戒感は低いのか、それとも
雰囲気を察したのか、大河の弟は大人しく、奈々子の後をついて、隣の部屋に移っていった。

「今の状況をどうやったら打開できるか、みんなで一所懸命に考えました」
実乃梨の言葉で、大河の母親への話が始まった。

亜美と実乃梨が中心、途中に能登も加わりながら説明を続け、10分、15分と続いていく。

大河の母親は亜美が言い放ったとおりに、大人しく耳を傾けている。

やがて3人は、キリのいいところで反応を見るべく、いったん話を切った。

大河の母親は深いため息をつくと、眼鏡を取って、深い皺が刻まれた眉根を揉みほぐす。皆が固唾を
飲む中、手にした眼鏡を軽く振りながら、嘲るような口調で語り始めた。

「大勢集まってどんな話かと思えば、やっぱり子供の考えることね。そんな都合良く、ことが進むはず
ないでしょ、バカバカしいにも程がある、できっこない。私達のことは放っておいて頂戴。あなた達には
関係ないんだから、首を突っ込まないで」

その言葉を聞きながら、つい先日、大河から同じようなフレーズを聞いたことを竜児は思い出していた。
大河も同じことを考えていたのだろう、小さな身体を縮こませたまま、さらに肩をすくませる。竜児と
目が合うと、“今はばかちーとみのりんに任せよう” そんな風に目配せしてきた。竜児も小さく頷き返す。

「経験から得た考えです。あなたはそんな風になったことは無いですよね? どうして頭っから否定
できるんですか?」
亜美が冷静に反論する。
「それにさっきも言ったように、高須君ちには、盗聴器が仕掛けられている。ヤクザの脅しもあった。
私達はもう無関係じゃないんです。手を打たないと、高須君が被害に会うかもしれない」
実乃梨も理解を得られそうな糸口を探して、言葉をぶつけていく。

「それって、あなたたちの言う事を聞かなかったら、私達のことをヤクザにばらすぞっていう脅し?」
「脅す気なんて、そんな… 」
想定外の返答に実乃梨がぐっと拳を握りしめたて、絶句する。まさか脅迫者扱いされるとは思っても
みなかったのだろう。

言葉を失った実乃梨に代わり、亜美が話を続ける。
「昔、タイガーがぷっつりといなくなってしまったあの時、私達は無力でした。友達が苦しんでいると
分かっているのに、何もすることができなかった。それがどれだけ悔しかったか、どんなに自分に腹が
立ったか、ここにいるみんな同じ気持ちです。そして、やっとチャンスが来たんです。私達はこの機会を
二度と逃したくない、もう、あの無為の日々を再び送ることなんか、私は死んでもイヤ!」
その必死な声と姿はさっきのような演技ではなく、心からの亜美の叫びに見えた。

しかし、大河の母親はあくまでも冷静に切り返す。
「それって、ただの自己満足じゃない。そういうのを表す、いい言葉があるわ。お節介、大きなお世話
って言うのよ」
「確かに自己満足かもしれません。でもそれを他人のお節介で済ますのか、自分が利用できるチャンスと
するのか、あなたは選べるんです。タイガーはやると言いました。家族のため、自分のため、皆のために
活かしたいと言っています。あなたは、どうしますか? 本当に無駄だと思いますか?」

「私が……」
誰かの提案を受け入れるかどうかの是非ではなく、自分ならどう使うか。常に自分で物事を動かしてきた
大河の母親のような人間にとって、その言葉は動揺を誘った。

「あ、あなた、とても口がうまいわね。女優なんかより、セールスか能力開発セミナーでもやったらどう? 
きっと流行るわよ」
と咄嗟に嫌味を返すのが精一杯。見方を変えれば、欠点だけでなく、メリットが見えてくる。押し黙った
まま、短時間で猛烈に考えているように見えた。

しかし、やがてニヤリと笑みを浮かべると、一瞬でも言いくるめられそうになったことを悔しがるように
唇をきつく噛み、亜美を睨みつけながら、反撃に転じてくる。
「あなた達の計画ではちっとも問題は解決しないわ。そんなことしても借金は消せない。むしろ、ここから
逃げ出すようなことをしたら、追われる相手を増やして、さらに立場が悪くなるだけじゃない」

「それについては、僕から話をさせてもらいます」
声のした方を見ると、おかっぱ頭の眼鏡男、北村が小さく手を上げていた。

「あなた、この女優の付き人じゃなかったの?」
「残念ながら、まだ一介の学生です」
(ハーバードのな…)誰かがぼそっと呟いた。

「借金については、不本意かと思いますが、今の旦那さんを頼るしかないと思います」
「なっ…」

「この借金、少なくとも見かけ上は、警察が介入できない契約になっているでしょう。しかし、金融屋も
実はヘタを打ったという焦りがあるはずです。奴らはあなた方を守っているフリをして、追われている
状況を利用していることぐらい、ご存じのハズです。奴らの狙いが旦那さんの会社や財産なら、交渉に
応じる姿勢を見せ、お互いがテーブルにつくことで、相手の弱みも突くことができます。そして、あなたの
本当の目的である、逢坂陸郎の居場所も聞き出せるかもしれません」

「ますます滑稽な話になってきたわね。大体、見せかけだとしても、あの人が他人の借金の肩代わりに
協力するはずないわ。あの人はね、モノを作る才能は昔からあったけど、ただのお坊ちゃんだったのよ。
父親が急死して、会社を継ぐことになったけど、経営の知識なんてさっぱり。私がコンサルタントとして、
依頼を受けて、みっちり仕込んだから、ずいぶんマシになったけど…」
「でもママはパパの人の良さに惹かれて、結婚したんでしょ。クソじじいとは違う、真っ直ぐなところに」
「大河、あなたは黙ってなさい!」
この場で初めて大河が言葉を発するが、母親に軽く一蹴されてしまう。

「今、あの人は親から受け継いだ会社を守るのに必死。恵児が生まれた後、お義母様が亡くなられてからは
特にね。あの人が金融屋を通じて、連絡してきたのは最初だけ。ここ暫くは音沙汰も無いわ。他人の借金
なんだから、私はそれが当たり前だと思うし、はなっからアテにもしていないけれど、あの人の協力を
得ようとしている時点で、この計画は無理ね。話にならないわ」

事前に大河から話を聞いて、皆で考えた通りの展開になった、と竜児は思った。
大河の母親という難物を相手にするにあたり、竜児達はただ大勢で話をしにきたのではない。みんなで
行くと決めた大晦日から丸1日掛けて、母親の性格とこれまでの経緯について大河から情報を得つつ、
展開を予測し、役割を分担したうえで、この場に臨んだのだった。そして、最後は竜児の出番だった。

「あの、大河のお母さん…」
「竜児君ね。あなたウチに行って、あの人に会ったらしいじゃないの。その時だけは連絡があったわ。
今、私が言ったことが誇張でもなんでもないこと、あなたは知っているはずよ」
「はい、確かにそう言われました。でも聞いて欲しいことがあるんです。それは…」

竜児は、大河の母親の目をまっすぐ見据えると、ゆっくり語りはじめた…


* * * * *


薄暗かった空がそのまま闇に変わろうとする頃、大河の母親の家から、1人、また1人と仲間達が出てきた。
皆は玄関先に固まり、最後に竜児と大河が出てくるのを見守っている。

大河は、竜児が靴を履いている間も上着の裾を固く掴んだまま、放そうとしない。
その目は真っ赤で、恥ずかしげもなく洟を何度もすすり、もし皆がいなければ、今にも竜児に抱きついて
泣きじゃくりそうなぐらい、ぴったりと寄り添っている。

「ほら大河っ、もう泣くなよ。みんな待ってるぞ」
「だって、竜児… アンタ…」
「俺は大丈夫だって…」
「でも、私…」

大河だけでない、外で待つ実乃梨や麻耶、奈々子、能登、春田の目も赤く縁取られている。
竜児は、裾を掴んでいる大河の手を取り、優しく引きながら、玄関先に出てきた。

「せっかく、大河のお母さんに計画を認めてもらったんだ。もっと気を引き締めた顔をしろよ、
これからいよいよ始まるのに、そんな泣き顔じゃ、俺は心配になるぞ」
「…う…ん、ごめんね…」
大河は目元に溜まった涙を指先で涙を拭うと、竜児の方にむかって顔をあげ、無理にでもにっこりと
微笑もうとした。

「よしっ」
竜児は大河の頭の上にポンッと手を置いて、ひと撫でしたあと、皆の方に向き直る。
「みんな、今日は本当にありがとう。あと少しだけ、できることでいいから、力を貸してくれないか?
大河が、この家族がまた一緒に暮らせるように」
言い終わると、竜児は軽く頭を下げた。

「おおっ!」「やろうぜ」「もちろんだ」「頭なんか下げなくていいってば」
皆が口々に言葉を返していく。

竜児は、玄関先に出てからもずっと固い表情で腕を組んだままの亜美を見た。   
「特に川嶋、今日は本当にありがとな。次も頼む。今回の計画はお前が主役だ」
「何言ってんのよ。高須君の方こそ、きっちりやんないと全部台無しになっちゃうんだからね」
「ああ、分かっている。こっちは任せろ」
「竜児… ばかちー… みんな…」

竜児は大河の両肩に手を置くと、背をかがめて、真っ直ぐに大河の瞳を見つめた。
「大河、あと少しだ。終わったら、大河がいなかった分もまとめて、派手にパーティをやろう。な、みんな!」
「「「「「「おぉーっ!!」」」」」

暗さを増していく住宅街の片隅で、仲間達の声が強く、しっかりと響き渡った。


* * * * *


--> Next...



作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system