竜児と大河の結婚式から、およそ10年の月日が経った…


某月某日 日本、種子島 

「竜河姉! あのロケット、お父さんが作ったんだよね?」
竜児に肩車されたあどけない顔立ちの少年が、数km先の発射台の上にそびえ立つ、白とオレンジに
塗り分けられたロケットを指差しながら、竜児の横に立つ姉に声を掛けた。

「泰児、何度言ったら分かるの? いい? お父さんが作ったのはロケットじゃなくて、ロケットに
積んである、宇宙ステーションで使う装置。いい加減、覚えなさいよね。それから3年生にもなって、
お父さんに肩車してもらってんじゃないの!」
母親ゆずりの美貌と知性、父親ゆずりの生真面目さと才気を備えた8才の少女が、腰に手をあてたまま、
斜め上にいる弟を睨みつけた。

「ええっ? ここ見晴らしいいのに… あ!そか。竜河姉、俺を降ろして、今度は自分が肩車して
もらうつもりなんだ。俺に身長抜かれちゃったから、ロケット良く見えないもんねぇ…」
父母のどちらかに似ているというより、父方の祖母、つまり泰子の雰囲気が隔世遺伝している、
のんびりとした様子の少年が、竜児の肩の上で“わかった!”とばかりに手を打っている。

「そ、そんなわけないでしょ! 私は泰児みたいなガキじゃないんだから。それに今日はスカートだし…」
父親である竜児の方にチラチラと視線を向けながら、竜河は顔を赤らめる。
「あ、竜河姉、バレたから顔赤くなってやんのー」
「ちょっと泰児、なに言ってんの! このバカッ…」
竜児を挟んで上と下で口喧嘩が始まりそうになった、その時、
「コラ、あんたたち、人前で騒ぐなって言ったでしょ。ぶっとばすよ!」

背後からドスをきかせた声で言い争いを諌めたのは、2人の母、高須大河その人である。

竜河と泰児、双子の姉弟の暗黙のルールに「母が出てきたら、ケンカは終わり」というものがある。
そうしなければ、自分達が罵り合っている言葉より、もっと酷い一言で刺されるからだ。


竜児と大河、2人の間に子供達が生まれたのは、結婚1年目の春。もうすぐ桜の花が開こうかという、3月の
終わりだった。波乱と喜びに満ちた結婚式が6月に終わり、少し日をあけてから旅立った新婚旅行で授かった、
いわゆる「ハネムーンベイビー」というやつである。

それから約9年の歳月が流れ、少し先に生まれた姉の竜河は、母の大河によく似た面立ちに成長した。
性格もはっきりしており、小さい頃から姉らしく、シャキシャキしている。最近、身長の伸びが鈍くなって
きて、泰児に追い越されてしまったため、母親と同じぐらいにしか成長できないのでは、と気を揉んでいる。
竜河としては、母の親友で世界を舞台に活躍する女優の川嶋亜美と同じぐらいになりたいと思っているのだ。

後に生まれてきた弟の泰児はおっとりした性格で、いつも姉の竜河にガミガミと注意されているが、本人は
いたってマイペースなため、周りからは「意外に大物かも?」と言われている。同じく母の親友で、
ソフトボール日本代表の主将を務める櫛枝実乃梨とよく気が合い、その影響で3年生から野球を始めた。
毎日活発に走り回っているせいか、最近、急に背が伸び始め、竜河の身長をたちまち抜いたばかりか、
大河に迫る日も遠くないようで、泰児の身長の話になると母娘の機嫌が悪くなる今日この頃だった。


* * * * *


この日、日本ではじめてとなる、有人ロケットが打ち上げられようとしていた。

搭乗する3人の宇宙飛行士の1人は、大橋高校の生ける伝説として、十数年たっても絶えることなく語り継がれ
ている「永遠の兄貴」こと、北村(旧姓 狩野)すみれである。

並みいる他の先輩達を押しのけて、30才過ぎの若さで3人目の搭乗員に選ばれた時は、一部からやっかみの声や
果ては政府による人気取りのためなどの噂もあがったが、訓練での実績や日々の言動などが報じられるにつれ、
今ではすっかり「日本を代表する兄貴」「北村夫妻の漢の方」という愛称が国民の間で定着している。

「スゴイよね、日本初の有人ロケットの関係者が仲間内に2人もいるんだから!!」
興奮を隠せないように、首からぶらさげた双眼鏡で何度もロケットを覗き込んでは先程から「すごい」を連発
しているのは、大河の弟で15才になった恵児である。

義兄とその先輩であるすみれにすっかり感化され、事あるごとに「自分も宇宙飛行士になる!」といっては、
大河に「アンタの成績じゃ無理」と軽くあしらわれ、その度に口喧嘩になるのだが、相変わらずの年齢不詳、
見ようによっては20代前半に見間違われる大河と、15才の恵児が言い争っている姿を見ると、ごく普通の
歳の差の姉弟のようで、不思議な光景に見えるものだった。



『10分前…』

見学スペースに設置されたスピーカーが、打ち上げ時刻がいよいよ間近に迫ってきたことを告げる。
アナウンスを聞いて、表情を一層強張らせる少年が1人、恵児の横に立っていた。

「ねぇ、ひろし君! お母さん、いよいよ宇宙に出発だね!」
「あ、あぁ… うん…」
ひろしと呼ばれた少年は、恵児に声を掛けられても生返事しかできない。
緊張感で一杯の顔を何度もしかめ、まるで口の中はカラカラなのに、出ない唾液を何度も何度も呑み込もうと
しているかのようだ。

「ひろし、そんな暗い顔してたらダメだぞ… お母さんはついに永年の夢を叶えようとしてるんだからな…」
少年の頭の上にポンと手を置き、少し乱暴に撫でたのは、30才を過ぎてもおかっぱ頭の北村祐作。
頭を撫でられた少年は、竜児と大河の結婚式の翌月に生まれた、北村祐作とすみれの子、竜河や泰児と同じ
小学3年生の北村宙(ひろし)だった。

「う、う…ん。でも…」
すみれは日本国内での訓練だけでなく、アメリカやロシアなど長期間海外に行くことも多く、一般的な家庭と
比べると母子が一緒に過ごした時間はとても短い。それでもひろしにとっては、たった1人の母親であり、
また日本中から「兄貴」と呼ばれていても、まだ「おかあさん」と甘えてもみたい年頃なのだ。

「ひろし君、あのロケット作ったのはね、“正確さ”にかけては、こだわりを通り越して病的、いや“変態”の
域に達してる、あの目付きが悪ーいおじさんがいるチームだから、きっと、大丈夫だと思うよ!」

膝を折りながら、ひろしの肩に手を掛け、にこやかな笑顔でウインクしたのは、竜河憧れの人、川嶋亜美。
物心ついた男子なら誰もがどぎまぎしてしまう笑顔に、ひろしのこわばった表情が幾分かほぐれる。

「おい、川嶋っ、“変態”ってなんだよ? それに“思うよ”じゃねぇ、絶対問題なんか起きねぇ、俺が保証する」
亜美の意図を汲んで、竜児がきっぱりと言葉を継いだ。

「そうそう、ぜんっぜん問題無いさ、だからひろし君、泥船に乗ったつもりでいたまえ」
ひろしの手を取り、強く握りしめるのは、泰児の野球とお笑いの師匠でもある櫛枝実乃梨。

「だから、みのりん、泥船は沈むってば…」
「あちゃー、大船だった。大河、オイラまた間違えちまったぜよ… すまねぇっ! ひろし君!」
オーバーアクションでずっこける実乃梨の姿に、その場にいた仲間達 ― 能登と麻耶、幸太とさくらの2組の
夫婦、奈々子、春田と瀬奈達から笑い声が巻き起こり、釣られて、ひろしの表情も笑みがこぼれてくる。

北村祐作が再び我が子の頭を無言で撫でると、ようやく、ひろしの不安は収まったようだった。


* * * * *


北村父子の様子を眺めながら、竜児はふと、この10年の日々を思う…

大河の妊娠は、最初は驚きもしたが、すぐに大きな喜びと変わった。子供が生まれる。家族が増える。
自分達が父親に、母親になる。徐々に大きくなる大河のお腹を一緒にさすりながら、これから迎えるで
あろう慌ただしくも楽しい日々に思いを馳せ、そして、順調に竜河と泰児の誕生を迎えることができた。

結局、大河の大学への復学はわずか1年で終わってしまった。しかし、その1年の間に大河は飛び級で
卒業してしまい、大学院への入学資格を得たまま休学。竜河と泰児が乳離れした後、改めて復学し、
司法試験、修習生を経て、今では弁護士として、北村と同じ法律事務所で机を並べて仕事をしている。

大河の復学以降の子育ては、弁財天国を引退した泰子が主に引き受けてきた。30代でも十分通用する
容貌のため、周りから素で「お母さん」と呼ばれながら、2度目の育児を今度はいくらかゆっくりと
楽しんでいるようだった。

弁護士となった大河は、マスターとの約束をきちんと守り、年に何度か店を訪れては、理不尽な借金を
背負うハメになった者達の相談に乗ったり、時には背中を張り飛ばして、喝を入れている。赤の他人の、
一銭の得にもならないことを続けるなんて、最初はちょっと意外な気もしたが、単に恩返しするため
だけでなく、大河自身も意義を感じつつ、また、楽しんでいるようでもあった。

勿論、この10年が何もかも順風満帆で、トラブルなく過ごしてきたという訳ではない。子供達の育児の
やり方や大河の勉強や仕事との両立、竜児が単身赴任する時などいろいろ大騒ぎになったし、喧嘩もした。

特に揉めたのは、2人の長い別離の原因となった大河の前の父親、逢坂陸郎に関することだった。

竜河と泰児が生まれ、ようやく気軽に外出ができるぐらいに成長した頃、大河は突然子供達を連れて、
刑務所に収監されている陸郎に会いに行くと言い出した。
これには、大河のやりたいことをできるだけ叶えるようにしてきた竜児、大河の両親、そして泰子や
清児、園子、つまり家族・親族の全てが猛反対したのだ。


「あいつには二度と関わらない。お前だって、そう言ってただろ? ましてや子供を連れて行くなんて
非常識にも程がある。幸せな姿を見せて、嘲りに行くのか? そんなことしたら、またあいつは恨みや
妬みを貯めこむだけじゃねぇか!」
「私には私なりの考えがあるの! ガキじゃないんだから、ちゃんと考えてる! 信じてよ!」
「なんだよ、考えって… 話してみろよ。ちゃんと説明しろよな!」
「うっさいハゲ… う……、ううん、ゴメン…。でもこれは私とクソジジイの問題なのよ」
「そのハゲと結婚して、家族になったのは誰だよ! お前の問題は、俺の、家族の問題じゃねぇのかよ!」
「………」

頑として理由を語らないまま、ただひたすら面会に行くと言い張る大河に、最後は竜児が根負けした。
小さな子供を面会に連れていくことは無論できないため、竜児が付いていく条件を呑ませ、2人で刑務所を
訪れたのだった。面会での会話は素っ気なく、大河は写真を見せて子供が生まれたことを話し、自分の身の
回りの出来事や、仕事の話をするだけ。一方、うつろな表情の陸郎も「ああ…」と生返事をするだけ。
そして、同じような会話がその後も年に1〜2回繰り返された。

もう一つ大きく揉めたのは、陸郎が刑期を終えて出所する時、大河が身元引受人となり、仕事の斡旋と
その保証人にまでなったことだった。これにもまた、大河の両親と泰子、親族の全てが猛反対した。
刑務所の中にいるならまだしも、実社会に戻ってきた陸郎の面倒を見るなんて正気じゃない、一切の
関わりを絶つべきだと、電話、メール、面会、あらゆる手段で大河への説得が試みられたものだった。

竜児は、もうその頃には、大河の意図を正確に汲むことができていた。
そして大河と一緒になって、周囲の理解を得ることに奔走した。

ほんの数年前。竜児と大河、竜河と泰児、4人が並んで刑務所の前に立ち、陸郎の出所を待っている時、
竜児は大河に微笑みながら、声を掛けた。

「お前もつくづく物好きだよな…」
「あんなクソジジイの身元を引き受けようなんて人間、他にいないしね。弁護士の私は適任でしょ。
それに首に縄つけて見張っとかなきゃ、いつまでも枕を高くして眠れないわよ…」

竜児に向かって、同じように微笑みを返しながら憎まれ口を叩く大河の表情には、
(だって、竜児が最初に言ったんだよ…)
という言葉が浮かんでいた。


今、陸郎は大河が紹介した地方都市の小さな輸入商の元で、インテリアのセンスと真っ当だった頃の人脈を
活かしながら、1人で暮らしている。これまでさして問題を起こすこともなく、さすがにお互いが家族として
振舞うことは無いが、たまに顔を合わせては素っ気ない会話を繰り返しているのだった。

一方、竜児は10年前の結婚式の日から父親には会っていない。

見た目どおり、本物のヤクザ、それもある程度の地位にいるようだったから、ロクでもない人生を送って
そうだが、人様にあまり迷惑を掛けずに天寿を全うしてくれれば、とだけ竜児は思っている。

竜児は一度だけ、どうやって父親を探しだしたか、泰子に尋ねたことがあった。
その時、泰子はニッコリ笑って、「オーナーに教えてもらったんだよ」と言った。
確かに毘沙門天国と弁財天国のオーナーは、大橋で商売を営む人達の顔役でもあり、表と裏、様々な人脈が
あると思うが、それでも20数年前のひと頃だけ街にいた人間の消息を掴んでいたとは思えない。
きっと泰子は、全てを知った大河の歓迎会の夜に、オーナーから聞き出した小さな手がかり、その細い糸を
辿って、わずか一週間の短い間に必死の思いで父親を見つけ出し、協力を仰いだのだろう。

その後、泰子も父親と会っている様子は無い。
たまにケータイの画面を見ながら、にんまりしていることがあるので、父親の写真かメールでも見てるのかと、
さりげなく覗いてみるが、たいていは竜河や泰児の画像で、あの凶悪ヅラや怪しげな相手からのメールなどは
見られなかった。ただ何度か、巧妙に画面を隠されたような時があった。その時の泰子の表情からは何も読み
取れなかったけれど…

また、大河と泰子が竜児に見つからないよう、内緒話をしているのを時折見かけたり、子供達を竜児や親に
預けて、2人きりでどこかに出掛けていくことが数年に1度ぐらいあった。ひょっとして、3人で会って、
人をダシにして盛り上がったりしているのかもしれない。なんせ泰子と大河の2人は稀代の凶悪ヅラの男に
心底惚れている、という余人を以て代えがたい共通点を持っているのだから。

でも… これでいいんだと竜児は思う。
父親からもらったものは、肩の上ではしゃぐ泰児や、手を繋ぐ時、最近ちょっと恥ずかしそうにする竜河に
脈々と受け継がれている。家族っていうのは、そうやって続いていく。皆がいて、だから、ここにある、と。


* * * * *


『全システム準備完了』
拡声器から流れるカウントダウンが1分を切り、その瞬間(とき)が刻一刻と迫ってくる。

『10… 9… 8… 7… 6… 5… 4… 3… メインエンジンスタート 1… 0、点火、リフトオフ!』

辺り一体に轟音が鳴り響き、白雲が波打つように一気に広がった。真っ昼間だというのに、ブースターから
吹き出す炎の眩しさに、誰もがおもわず目を細めてしまう。

すみれを乗せたロケットは、ふわりと浮かびあがると、糸に引かれるように、するすると空に向かって
真っ直ぐ昇り始めた。

「いっけー!!!」
頭上の青空に向かって、実乃梨が拳を突き上げる。
他の仲間達も固唾を呑んで、空へとあがっていくロケットの姿を見つめている。

ロケットは見る見る間に速度をあげ、雲を抜け、一条の煙を引きながら、空に大きな弧を描いていく。
やがて、小さな点となり、わずかな輝きを残して、宇宙へと飛び立っていった。


* * * * * 


打ち上げから約1週間後。

すみれ達を乗せた国産初の有人宇宙船は、予定通りに国際宇宙ステーションと無事ドッキング。
長期滞在チームのクルー達と対面し、積んできた食料などの物資や機材の搬入などを終え、今日から
新しいミッションに取り掛かることになっていた。

「よし、兄貴、動作チェックは任せていいかな?」
宇宙ステーションに接続された宇宙船の軌道モジュールの中で、すみれはリーダーと共に、ミッションに
必要な機材のチェックを行っていた。

「分かりました。それから私の名前は北村すみれです。地上と同じ様にそう呼んで頂けますか。クルー達に
私のことを“兄貴”と呼べって言ったのはリーダーですね? さっき“どういう意味だ?”って、コマンダーに
尋ねられましたよ」
「まぁまぁ細かいことは気にしない気にしない。じゃ、テストの用意ができたら、お呼びがかかるから、
それまでの準備はよろしく。後で見に来るから…」

ここでの滞在が3度目となるリーダーは、勝手知ったる我が家のごとく、軽やかに身をひねって、実験棟の
方へと消えていった。


「…ったく…」
軽く舌打ちしながらも、すみれは表情を変えず、目の前の装置に視線を移した。

今回の日本チームの主要なミッションの1つは、国際宇宙ステーションの増強だった。宇宙船に積んできた
パーツを取り付け、利用可能年数の延長や機能の向上を目指す重要な役割を担っている。

今、すみれの目の前にある「装置」は、ロボットアームの届かない所に資材を運ぶためのもの。
船外活動を行う宇宙飛行士が牽引するのではなく、遠隔操作で搬送することで、作業のスピードアップと
安全性を高めるものだった。今日は初めて、宇宙空間での動作確認を行うことになっている。

搬送装置は1m立方程のサイズで、さして大きなものではないが、自律移動も可能なガスの噴射装置や
カメラ、たくさんのセンサーを備え、今回の運用がうまく行けば、ここで永く使われることになっている。

すみれは、まず外見から分かる箇所、ケーブルをたどるローラー、資材を繋ぐためのジョイント、カメラや
ガスの噴射口となるスラスタなどの動きを、遠隔操作を行うコントローラーをいじりながら、順にチェック
していく。最後に本体のカバーを外し、内部の配線の状態やガスのボンベ、バルブなどを確認した。

「そう言えば、ここは高須が作ったんだったな。地上でも見たが、なかなか美しいじゃねぇか…」
すみれは独り言ちながら、迷いなく、滑らかに機器の状態をチェックしていく。
ひと通り、問題が無いことを確認すると、先程外したカバーを戻そうとして、ふと、その手が止まった。

「ん… なんだ? 地上で見た時とちょっと変わってないか?」

他の人間なら気づかなかったかもしれないが、卓越した記憶力を持つすみれは、本体を覆うカバーの裏側が
以前よりも少し厚みが増しているように感じたのだった。

宇宙ではどんな疑問でも放置しておくことは許されない。地上の法則が全く通じないここでは、小さな気の
緩みが、即、命に関わる事故に繋がる。すみれは、カバーの裏側に金属板が新たに嵌めこまれているのを
発見し、工具を使って、慎重にその板を取り外す作業を行った。

「こんなところに新しく補強板をつけたのか… 確かに内部を守るのにいい考えだが、ちゃんと申し送りを
しておいて欲しいものだな… って、お、おいっ… なんだこれは!」


元に戻そうと、補強板を裏側へひっくり返した時、すみれのクールな性格を象徴する、そのシャープな目が
驚きでまんまるに見開かれた。しばらく呆然と金属の板の隅々まで視線を走らせたあと、声にならぬ声が
その端正な口元からこぼれ落ちる。

「…あ、あの大バカ野郎… 昔の大工じゃねぇんだ。税金使って、何してやがんだ……」

だが、キツイ言葉とは裏腹に目付きは緩んでいて、まるで仕事を忘れたかのように、口元には笑みすら
浮かんでいる。

やがて、すみれは何事も無かったかのように補強板を元通りに差し込むと、カバーを本体に被せ、金具を
きっちり閉じてから緩みのないことを確認する。
ちょうどその時、実験棟から戻ってきたリーダーが、ひょっこりと顔を見せた。

「兄貴、確認は終わったか? 今日の作業のブリーフィングをやるから、こっちに来てくれ」
「はい、問題ありません。ちなみに私には北村すみれという名前があり…」
すみれは工具を手早くしまいながら、リーダーの後を追って、軌道モジュールを出て行った。

再び閉じられてしまった搬送装置の中、このあと、人の目に触れることの無いであろう金属板の裏側には、
竜児の手によって「仲間達」の姿がレーザーで鮮やかに描かれていた。

竜河と泰児、ひろしの3人の子供を大河、竜児、北村とすみれの親達が囲み、さらにその横には恵児、
実乃梨と亜美、奈々子に春田と瀬奈、能登と麻耶、幸太とさくらの家族も立っている。その周りには
泰子や大河の両親、祖父母もいる。一番端には目付きの悪い竜児の父親。小柄な陸郎の姿もある。

苦楽を共にしてきた大橋の仲間が、家族がそこに佇み、微笑んでいる。
皆の足元には1つの言葉が添えてあった。

「星に届いた! みんな、幸せ」


(了)




作品一覧ページに戻る   TOPにもどる

inserted by FC2 system