昔々ある所に、目付きは悪いが心優しい高須竜児という若者がいました。

 ある冬の日のことです。
 町に薪を売りに行った帰り道、竜児は一羽の鶴が雪の中でもがいているのを見つけました。
 竜児の目がぎらりと光ります。
『こいつはいい獲物を見つけた。焼き鳥にして食っちまおうか』
 いえいえ、竜児はただその鶴を心配しているだけなのです。
「おう、大丈夫か?」
 近づいてみると、鶴は片足を罠に捕らえられていました。
「こいつはひでえな……」
 竜児が急いで罠を外してやると、鶴はたちまち空へ舞い上がります。
 そのまま竜児の上をぐるぐると回った後、鶴は山のほうへと飛び去って行きました。 
「罠を仕掛けた奴には悪いことしたかな……でも、見つけちまったらほっとけねえしなあ……」
 誰にともなく呟きながら、竜児は家路を急ぐのでした。

 その日の夜のことです。
 突然、竜児の家の戸がトントンと叩かれました。
「こんな夜遅くに……誰だ?」
 竜児は戸を開けましたが、目に映るのは降る雪と夜の闇だけです。
 右を見ても、左を見ても、
 ごすっ!
 衝撃は下から来ました。
 思わず尻餅をついた竜児の目の前には、小さな……そして、とても可愛らしい女の子が立っていました。
 (ああ、こいつに殴られたのか……)
 呆然とする竜児を見下ろしながら、少女は呟きます。
「せっかく恩返しに来てやったっていうのに……いきなり失礼な奴」
「お、恩返し?」
 竜児は思わず聞き返します。
 すると少女は一瞬『しまった!』というような顔をして、
「なんでもないわ……忘れなさい」
「いや、でも今……」
「わ・す・れ・な・さ・い。それともぶん殴って記憶を飛ばしてあげようかしら?」
「……わかった。俺は何も聞いてねえ」
「それでいいのよ。ところで、旅の途中で道に迷っちゃったの。泊めてくれない?」
 そう言って少女は返事も待たずに家の中に上がります。
「お、おい、ちょっと待てよ。あー、えと……」
 ようやく立ちあがって少女を呼び止めようとした竜児に少女は振り返り、
「大河よ。逢坂大河」
「おう。じゃなくてだな、お前ひょっとして足怪我してるんじゃねえのか?」
「……大したことないわよ」
「いや、だってお前、ちょっとだけど足引きずってんじゃねえか。見せてみろ」
「あ、こら!」
 竜児が有無を言わせず大河の着物の裾を少し捲り上げると、その足首には乱雑に包帯が巻きつけられていました。
「やっぱり……ちょっと痛いかもしれねえが、我慢しろよ」
 そう言うと竜児は手早く薬と濡らした布を用意し、傷口を拭いて薬を塗ると包帯をきれいに巻き直しました。




 次の朝、大河が目を覚ますと、家の中には朝食のいい匂いが漂っていました。
「おう、起きたか。大した物はねえけど、まあ食ってくれ」
「んー……」
 竜児が注いだ味噌汁を受け取って一口すすると、大河の寝ぼけまなこが見開かれました。
「美味しい……」 
「おう、そいつはよかった。おかわりもあるからな」

「ところでだな、逢坂」
 朝食を食べながら、竜児が大河に問いかけます。 
「お前旅の途中って言ってたけど、どこまで行くんだ? 近くの町までぐらいなら送ってやれるぞ?」
 大河は答えずに、ただ黙々と食べ続けています。
「……いやまあ、そう簡単に言えない事や言いたくねえ事もあるか。悪かったな、詮索しちまって。
 ま、足の怪我が治るまではうちでゆっくりしていくといいさ」


 それから数日が経ちました。
 大河は足の怪我が良くなってからも旅立とうとはせず、それどころか
「ねえ竜児。私、はたを織りたいの。織機と糸を用意してくれない?」
 などと言い出しました。
 竜児が空き部屋にそれらを用意してやると、大河は竜児の目をじっと見て言いました。
「いい、私が部屋から出てくるまで、絶対に中を覗いちゃ駄目よ。もし見ようとしたら……殺す」
「お、おう、わかった」
 竜児がそう答えると大河は部屋に入っていき、ほどなく『ギッコ バタン』とはたを織る音が聞こえてきました。

 ギッコ バタン ギッコ 「あっ!」 バタン ギッコ バタン 「痛っ!」 ギッコ バタン

 時折気になる声を交えつつ、はたを織る音は一晩中続きました。
 そして翌朝、大河は見たことも無いような美しい布を手に部屋から出てきました。
「はい、これ。町で売ればけっこうなお金になるはずだから、売ってきて」
「いや、それはいいけどよ……逢坂、お前大丈夫か? 顔色が真っ青じゃねえか。指先も怪我してるし」
「うるさいわね、大丈夫よ。
 大丈夫だから……さっさと売ってきなさいって言ってるの」
「お、おう……それじゃちょっと行ってくるけどよ、あんまり無理するなよ。
 食べ物と薬の場所はわかるよな。きついようなら寝とけよ。俺も出来るだけ早く帰ってくるから」


 町についた竜児は、早速布を知り合いの商人の北村裕作に見せました。
「おい高須、こんなものを一体どうやって手に入れたんだ? これだけの代物は都でもそう簡単には見つからないぞ。
 お前のことだから、変な手段じゃないとは思うが……」
「いやまあ、自分でも変な話だとは思うんだが……」
 そう前置きして、竜児は事情を説明しました。
「なるほど……確かに変わった話ではあるが、その娘、逢坂大河だったか、別段妙な魂胆があるわけでもなさそうだな」
「ああ、俺もそう思う」
「ともかくこいつはうちで引き取ろう。それから、同じような品があるならまた持ってきてくれ」
「おう。だけどあまり期待しないでくれよ。
 正直こいつを織り上げた時の逢坂はかなりつらそうだったから、あんまりやらせたくねえんだ」

 布の値は、竜児が驚いて確認するほどの額になりました。
「これなら暫らくは暮らすのに困らねえな。逢坂になにか精のつくものと……そうだな、着物でも買っていってやるか」




「ただいま」
「おかえりなさい竜児。どうだった?」 
 迎えに出てきた大河の姿を見て、竜児は眉をひそめました。
「いや、確かに高く売れたけどよ……逢坂、お前どうしたんだよ?前よりやつれてるじゃねえか」
「大した事ないわよ、これぐらい。それよりほら、次の布が出来てるから。また近いうちに町に行って……」
「おい、無理するなって言ったじゃねえか」
「無理なんてしてないわよ」
「そんな青白い顔して言っても説得力ねえよ! とにかく飯作ってやるから、それ食ったら今日はもう寝ろ!」

 夜、竜児はふいに目を覚ましました。
 ギッコ……バタン……
 聞こえてくる音に、竜児は思わず立ち上がります。
「逢坂!」
 部屋の戸を開けると、織機の前では一羽の鶴が残り少ない自分の羽を嘴で抜いていました。
 その姿が霞んだかと思うと、一瞬後、そこには大河が座っていました。
「見ないでって……言ったじゃない」
 大河の顔は蒼白を通り越して、蝋のように真っ白です。
「そう、私は竜児に助けられた鶴なの。恩返しにと思って布を織ってきたけど……もう、お終いね。
 さよなら、竜児……元気でね」
 そう言って大河は立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩き出します。
 その腕を竜児が掴みました。
「待てよ、逢坂」
「……離して」
「嫌だ、離さねえ」
「本当の姿を見られちゃったから、もう、傍には居られないのよ」
「そんな事、誰が決めた」
 え?と、大河が竜児を振り返ります。
「大体、何が恩返しだ。お前がそんなにボロボロになっていくのを見て、俺が喜ぶとでも思ってたのか。
 無理するなって言ったじゃねえか、俺は」
「でもそれじゃ、私がここに来た意味が無いじゃない」
「意味なんて知るか。恩返しとかももういらねえ。
 だから……ここに居ろよ、大河」
「……竜児、今、何て……」
「俺はお前の傍に居たいし、お前に俺の傍に居てほしい。
 だから……お前が俺を『竜児』と呼ぶように、俺はお前を『大河』と呼ぶ。
 恩だのなんだの、もう関係ねえ。俺達は対等な関係になるんだ」
「私……鶴なのよ?人間じゃないのよ?」
「そんなこと、知ってた」
 竜児の言葉に大河の瞳が驚愕に見開かれました。
「『恩返し』だとか足の怪我とか……ちょっと考えれば予想がつくことじゃねえか。
 だけど、それがどうしたっていうんだ。人だろうが鶴だろうが、大河は大河だ。それで十分じゃねえか」
「……本当に、いいの?」
「おう。不安なら何度だって言ってやる。俺は、お前に傍にいて欲しい……嫁にこいよ、大河」
「竜児……竜児!」

 雪が融け始める頃、一組の夫婦が祝言をあげました。
 目付きは悪いが優しい夫と小さくて可愛らしい妻は、その後末永く幸せに暮らしたそうです。





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