「……はい」
電話を取る。
『あ、大河?どう?何か思い出せた?今バイトの休憩時間なんだ』
「……えっと」
言葉に詰まる。
今彼女相手に出てくる言葉など、雀の涙程度しか思いつかない。
『何?調子悪そうだね、大丈夫?』
「……大丈夫」
嘘では無い。
携帯のディスプレイを見ると同時に、私を悩ませる痛みは吹き飛んだ。
その代わり、身を駆けめぐる理由のわからない後ろめたさが、私を妙にイライラさせた。

『その、さっきのアルバムの写真なんだけど……一枚だけ、あんま見ないで欲しいんだ』

「一枚だけ……ってどれ?」
何となく、想像はついているが。
『ほら、私と高須君が手を繋いでいる奴。あれはその、文化祭の時にさ、私と高須君が大河の事で喧嘩しちゃって、その仲直りの瞬間みたいなものなんだ』
私の事で喧嘩?
『あんまり大河の記憶回復には役に立たないと思うし、それに……』
そこで、電話の声が少し途切れる。
「それに?」
『な、なんでもない!!とにかくその写真は無い物として扱っておくれよ。高須君と私のツ−ショットなんて大河が見ても気分が悪くなるだけだろうし……』
なんだソレ?
イライラする。
「ねぇ、何で逃げるの?」
『……え?』
「何で竜児から逃げるの?」
『なっ!?逃げてなんか……!!』
「逃げてるよ、櫛枝さん。もしかして櫛枝さんは竜児が『違う!!』」
急に大声を上げられる。
『違うんだよ大河!!私はそんなんじゃない!!』
必死に、必死に私の言葉を否定して、櫛枝さんは最後まで私の言葉を言わせようとはしない。
「櫛枝さん、私に遠慮してるなら『だから違う!!』」
涙声。
『違うんだよ大河!!』
電話の奥の彼女は……泣いている。
『いいかい!?大河』
─────ドクン─────
嫌な、予感がする。
『聞いておくれよ、大河と高須君は……』
「……いや、止めて」
─────ドクン─────
ダメだ。
それを聞いてはいけない。
『いいや、やめないよ!!』
─────ドクン─────
聞いたら、聞いてしまったら私は……。
『大河、あんたは!!』
─────ドクン─────プツッ……。
『ツー……ツー……』
気付けば、電話を切っていた。
液晶にはすでに文字は無く、無機質な音を立てて、そのバックライトで私の顔を照らす。

ハラリと、床に落ちる手紙。

『貴方が、好きです』

その文字を見て、何だか無性に泣きたくなった。


***


『ピンポーン……』
玄関からチャイムが聞こえる。
でも、今は誰とも逢いたくない。
坂から転げ落ちたように、体全体に力が入らない。
『ピンポーン……』
もう一度チャイムが鳴る。
『………………』
二度鳴らして不在だと思ったのか、はたまた諦めたのか。
ようやくチャイムの音は鳴りやみ、
「何だ、いるんじゃねぇか」
竜児が目の前に現れた。
「え……?」
りゅうじのせんせいこうげき。
わたしのなみだをふく。
「あ……」
こうかはばつぐんだ。
「どうした?何かあったのか?」
竜児はストンと私の隣に腰を下ろす。
肩が触れあって暖かい。
先程までの鬱屈とした刺々しい気持ちが霧散していくようだ。
「お前、こんな時間に電気も点けずに何やってたんだ?」
「……なんでもない」
「なんでもないってお前、泣いてたじゃねぇか」
「なんでもないから、それ以上聞かないで」
「……腹減ったろ?お前が中々家に来ないから心配したぞ?」
「……うん」
耳に届く竜児の声が優しくて、心が穏やかになる。
「ん?これ何だ……?……貴方が、好き……?」
「あ、それは……!!」
慌てて鷲づかみで便箋を胸元に奪い取る。
「お、おい、今クシャっていったぞクシャって」
読まれた、完全に。
「それ、お前が書いたのか?」
視線を外されながら、竜児は尋ねる。
「……前の、記憶をなくす前の私が書いた物、だと思う」
「そうか」
しかしそれだけ。
誰に、などとは聞かれない。
どうでもいいのか、はたまた差し出す相手は知っているのか。
もしそうだとしたら今の自分はさぞかし滑稽で、情けない顔をしているのだろう。
「早く思い出して、渡して、上手くいくといいな」
「……うん、そだね」
さらに、私の顔は情けなくなる。
何故かは、いくら取り繕ろうが聞きたくないと耳を塞ぎ電話を切った時点で、理由はもうわかりきっている。
だから、こうした。
「はい」
立ち上がって手紙を竜児に渡す。
「はい、ってお前……俺にこれをどうしろと?」
「あげる」
「いや、あげるって……」
「今日もし竜児が告白したらって言ったよね?もし告白されたら、今の私なら付き合うよ」
「は……?」
竜児はポカンと間抜けに顎を落としている。
「だから、今のうちに私から『告白だけ』しとく」   
竜児は驚いて、すぐに顔を真っ赤にした。



「お、お前自分が言ってる意味わかってるか!?」
「うん」
「それに『だけ』ってなんだ『告白だけ』って!?」
「ああ、それは」
やっぱり気付かれたか。
「私は竜児の返事を聞かないから」
「はぁ!?いやそもそも……」
「うん、返事する気が無いならそれでいい」
「あ、いや、そういうわけじゃなくてだな、いやそもそも……そうだ、お前は記憶喪失だ!!」
「うん」
「そんな状態でこんな重要なことを決めるのは一体どうなんだ?」
「どうって?」
「いや、どうってって……そもそもなんで返事は聞かないんだよ?」
「竜児には、櫛枝さんがいるから」
「っ!?」
竜児は驚いたように黙った。
ああ、やっぱりそうか。
「な、何言って……」
「隠さなくて良いよ、さっき櫛枝さんにも同じ事言ったんだ」
「なっ!?」
まぁ、櫛枝さんは全然素直に話してくれなかったけど。
「ほら、今日櫛枝さんから借りたアルバムにも証拠」
そう言って、例の写真を見せつける。
「ごめんね、彼女がいるのに私結構アンタにべったりだったね」
「……櫛枝は彼女じゃねぇよ」
「まだ、とは言わないの?」
「……お前、告白しといてそれか?」
「まぁアレよ、気持ちの整理みたいなものよ」
「何だそりゃ?」
「さっきまでは何が何だかわかんなかったけど、ようやくわかったわ」
「何が?」
「私は遺憾なことに目が覚めて最初に見たアンタに刷り込みのごとく惚れてしまったのよ」
「なっ!?」
竜児はもう驚きすぎて何度驚いたかわからないくらいに驚く。
「刷り込みって恐いわねぇ」
それを見て、逆に私は落ち着いてきた。
「まぁ、そんなわけで、アンタを好きになったわけだけど、竜児に迷惑はかけたくないし、櫛枝さんもいることだし、私は潔く身を引こうというワケ」
「お前……」
少し、面白可笑しくしすぎただろうか。
でも、こうでもしなきゃ立ってすらいられない。
「ああ、私ってなんて良い子なのかしら」
「っ!?」
あれ?竜児が怪訝そうな顔してる。
「お前、記憶が本当に無いのか?」
「え?ええ。そりゃもう綺麗さっぱり」
あったらこんな苦労も、こんな気持ちにも、こんなばかげた芝居めいた口調もしない、と思う。
そうか、と竜児は再び納得して、一瞬考え込み、意を決したように宣言した。
「わかった、本当に記憶は無いんだな」
「うん」
「だったら、今日から俺はお前の彼氏だ」
「うん……は?」
「今日から俺とお前は恋人同士だ、大河」
あれ?え?え?え?いまりゅうじくんはなんていったのかしら?
…………………………。
たっぷり間を取り、息を吸うのに5秒、吐くのに5秒、考えを租借するのに一分、正しく言葉を理解するのに30秒、もう一度考え直すのに20秒、計二分を要して私は声を発した。
「えええええええええええええっっっっっ!?」


***


「大河起きろ、朝だぞ」
「……もう起きてる」
「寝てない、の間違いだろ?」
そう突っ込まれ、わかってるなら言わないでよ、と思う。
昨日、竜児はなんと私の部屋に泊まると言い出した。
「お前を一人にさせない」とかなんとか。
彼氏になった(自称)その日に彼女(自称)の部屋に泊まるとか(でも結局認めてるのは私がいるのは内緒)どういう神経してるのよ。
それに返事は聞かないって言ったのに、「そんなもん知るか」って一言でばっさり。
何を考えて良いのかわかんなくなって、気付けば朝。
一睡もせず、時々隣で、正確にはベッドの近くに敷いた布団で眠る竜児の寝顔見るを繰り返しているうち、朝。
アサ─────ッ。
心の中で叫んでも現状に一切変化は起きない。
いや、日が昇るのって早いや。
……って今はそんな世界の心理に感心してる場合じゃない!!
「アンタ、正気?」
昨晩から何度と無く問いかけた言葉。
「何だ大河、お前はそのために俺に告白してくれたんじゃないのか?」
「いや、そうだけど……」
どうも釈然としない。
全てが上手く、それもスピーディに行き過ぎている。
そして何よりも釈然としないのは、
「ほら大河、朝飯にしよう。泰子が待ってる」
そう言って私の手を取る竜児の顔が、本当に慈愛に満ちているように感じることだった。

私の胸が、本当にこれで良いのかと問いかける。
良いとは思いたい。
間違いなく、竜児は私を見ている。
間違いなく、竜児は私を裏切らない。
しかし、だからこそ、『そんな竜児』を私は貰っていいのかと不安になる。
この男の愛を、ポッと出の私なんかが独占してもいいものか。
竜児には前の私がいて、櫛枝さんがいる。
記憶を失う前の私と今の私が同一人物でも、今の『私』にとってはそれは別人にすら感じられる。
その別人が、『ダメだ』と言ってる気がしてならない。
このままでは『ダメだ』と。
喜びと嘆きの狭間で、どうしていいのかわからない。
ただ、今できることは、私に差し伸べられた手を掴んで起きあがることだけだった。
「何だったら着替えも手伝ってやろうか?折角恋び……ぶふぉっ!?」
……とりあえず、殴る、も今出来ることに加えておこう。


***


私が着替えるのを竜児は待ってくれていた。
別にこれは不思議じゃない。
それぐらいの気配りは竜児に取って普通だろうし、私だってそれぐらいは待つ。
だけど……だけど!!
「手、繋ぐか?」
たった数メートル先の竜児の家に行くのにこれはどうかと思う。
いや、しっかり繋いだけど。
自分の意志とは裏腹に、やっぱり目の前に餌があると食いついてしまう。
それに竜児がこんなに積極的なんて珍しい。
ん?珍しい?私はそこまで竜児を知らないのに?
……そうだ、私はまだ竜児のことをそんなに知らないんだ。
それでも、一歩二歩歩くたびに、手から感じる感触が気持ちいい。
これは、私が『知らない』情報だ。
今まで、『なんとなく』というのはあったけど、これはまるっきり『知らない』
忘れたんじゃなく、知らない。
それが、どうしようもない優越感を私に与える。
前の私では出来なかったことをしている。
そんな些細な物を得るたびに、私の心は大きく波打ち、満たされていく。
同時に、恐怖を覚えながら。
何故、竜児は私と付き合う気になったのだろうか。
これを失うのは恐いし、何より、『記憶が戻る』のが恐い。
記憶が戻れば、私が私でなくなるかもしれない。
この関係も無かった事になるかもしれない。
竜児はあの手紙の返事をする前に何度か記憶の有無を聞いた。
それはもしかすると、記憶が無いから付き合っている、ということにもなるのではないだろうか。
そんな、嫌な予感がするのと同時に竜児の家についた。
竜児はやっちゃんがまだ起きていない事に安堵し、急いで食事の支度にかかる。
「ほら、大河」
竜児はあっという間に塩ジャケを焼き上げ、みそ汁と卵焼き、キスの和え物を用意し、茶碗一杯に盛られたキラキラと輝く白い白米を私に差し出す。
「今日は飯食ったらちょっと出かけようぜ」
受け取って食べ始めていると、そんなことを言われる。
「いいけど出かけるって何処へ?」
ぱくぱくむしゃむしゃ。
決して箸の動きは止めない。
「お、おう。そ、そそそそれはだな、デッデデデデ……」
「デデデ?何?カービィ?プププランド?」
「デッ、デートに行こう!!」
ポトッ。
不覚にも箸を畳に落としてしまった。
デート?日付?そりゃDATEだ。
あれ、でもデートも同じスペルだっけ?って今はそんなこと考えてる場合じゃない!!

「……デート?」
「そ、そうだ」
頬をつねり「痛い」何度も瞬きして、もう一度確認する。
「……デートってあ、逢い引き?」
「………………」
竜児は無言で赤くなって頷く。
それを見てたっぷり一分は経ってから、私はで決してそれだけ離すものかと掴んでいた茶碗をテーブルに置いて立ち上がった。
「……大河?」
「……き、着替えてくる」
右手と右足が一緒に前に出る。
「お、おい別に食べてからでも……」
「ま、待ち合わせは……私場所がほとんどわかんないから30分後にマンションの前で、それじゃ」
竜児の言葉は聞かずに、私は自分の部屋へと駆けだした。


***


急がなければ!!
私は部屋中引っかき回してあらゆる服を試着した。
着ては投げ、着ては投げを繰り返した。
なんでこうフリフリなものばかりなんだろう?
嫌いじゃないが、私に似合うだろうか?
ああヤバイ!!
30分じゃなくて1時間にすればよかった。
でもそうするとデート時間が単純に30分短くなってしまう。
ダメだ、急げ私!!
ああ、もうここにシェンロンがいたら、本当にドラゴンボール作ってもらってシェンロン呼び出して、私に一番似合う、ううん竜児の気に入る服を出してもらうのに!!
気が動転して何が何だかわからなくなってきたが、残り時間はあまりにも少ない。
次の服を、と手を伸ばそうとして、雷が自分に落ちたような衝撃を受けた。
一瞬目に付いたのはショーツの引き出し。
「い、一応、選んでおいた方がいいのかしら?」
ギギギ、と油が切れたロボットのように首を回し、次いで右手右足を一緒に動かしながらショーツを手に取る。
小さい三角のそれを、手にとっては思い悩む。
真っ白がいいか、淡いピンクか、飾りは無しか有りか。
ここは思い切ってノーパ……それは流石に無いわね。
ああっ!?もうこんな時間!?
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!!!!
服はさっきので良いとして下着が決まらない!!
あ、靴下は……流石に普通でいいか……本当に?
悩んでたら時間が無くなってきたし……ええいままよ!!
ショーツは……もうこれにしよう!!
シルク純白飾り無し。
前に何処かで聞いた事のあるフレーズな気がするが、とりあえず無視。
急いで着替えなきゃ!!
その後髪もセットして……ああっ!?
竜児がどんな髪型が好きなのか聞くの忘れた!?
ええい、こうなったらいつもの私をアピールだ!!
竜児との初デート、絶対上手くいくように……初デート?
……本当に初デートなのかしら?
─────ドクン─────
心臓が、跳ねた。
でも、時計を見るともう気にしていられる時間じゃない。
散らかした部屋を無視して、急いで玄関に駆けだし、
─────ズキッ─────
頭に、痛みが奔った。
「……っ!!」
あまりの痛みに玄関を前にして倒れ込む。
「あ、れ……?」
ドン、と衝撃。
瞼が、重く……なって……いく。


***


「……ん、痛……」
目が覚めた。
随分と長く眠っていたような錯覚が鈍痛を伴って頭を襲う。
「……ここ、玄関?」
……どうやら私は転んで頭を強く叩きつけたらしい。
いろいろ記憶が混濁してるが、とりあえず何をしようと思っていたのか、ゆっくりと思い出して……『ピンポーン……』……誰か来た。
ガチャリ。
「……はい」
「おう大河、随分待ったけど来ないから……どうかしたのか?」
「あ、竜児……待ったけど来ない……あれ?」
記憶が戻ってくる。
『デッ、デートに行こう!!』
そうだ、それで……あれ?
『俺は竜になる、竜になって大河の隣に傍らに居続ける』
あれ?
『竜児は私のだぁーーっ!!』
あれれ?
『お前泣いてたじゃねぇか!!』
あれれのれ?
『殴り込みじゃあーーっ!!』
……これってまさか……。
『エンジェル大河様は……』
インフルエンザ。
記憶喪失。
やっちゃん。
みのりん。
北村君。
竜児。
竜児。
竜児。
竜児。
竜児。
竜児。
デッ、デート。
あ、ああああああああああああ!?
ばっと竜児を見る。
「どうした?、もう行けるのか?」
さっと手を差し伸べられる。
私の、とは言い難い記憶が、今朝にもあったことしてて、その映像を駆けめぐらせる。
「大河?」
顔を覗き込まれる。
「あ……」
私は今、ほんとたった今、記憶が全部……。
『記憶が戻ったらこの関係も無かった事になるかもしれない』
……そうだ、もし今記憶が戻った事を言ったら今回のデートは……!!
私自身が自分の意志で作ったわけでは無いチャンス。
でもみのりんは竜児が、竜児はみのりんが……。
「行かないのか?」
「………………」
思い悩む中、尚も竜児は手を差し伸べてくる。
そんな竜児の声に、私は俯きながらも……悩みに悩んだ末、竜児の手を取った。
「ううん、行こう」
そうして、私は竜児と家を後にした。


***




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