はあはあと、情熱が吐息となって漏れ出でる。
視線の先には淡くグレーにけぶる栗色の髪。
ミルク色の頬。意思の強さを示す輝く瞳。しなやかな肢体。
逢坂大河――その全てが理想だった。
彼女でなくてはいけない。彼女以外には考えられない。
だから、一歩踏み出さねばならないのだ。
理想を現実にするために。
「なあ大河、なんか落ち着かないみたいだけど、どうかしたのか?」
上履きを下駄箱にしまいながら、竜児は周囲をキョロキョロと見まわす婚約者に問いかける。
「うーん……なんか最近、やたらと視線を感じるのよね……」
「おい、まさかストーカーとかじゃないだろうな」
「わかんない……もしそうだったら見つけ次第ぶっとばしてやるんだけど」
「気をつけろよ。本気でアブナイ奴は刃物持ってたりすることもあるっていうぞ」
と、二人の前に一人の男子生徒が飛び出して来る。
咄嗟に大河を庇うように立つ竜児。
「あ、あの!逢坂さん!お願いがあります!」
その男子は叫びながら――竜児と大河の目前で土下座。
「映画の、主役になって下さい!」
夕食後。
以前のように毎日入り浸るわけにはいかない以上、恋人同士が二人きりでいられる貴重な時間のはずなのだが、
今日の高須家には奇妙に重苦しい空気がたちこめていた。
「……ねえ竜児。なんでそんなに機嫌悪いのよ」
「何の話だ。俺は機嫌悪くなんかねえぞ」
「だって、ずっとムスっとしてるじゃない」
「目付きが悪いのは生まれつきだ」
「目付きの話じゃなくて……ああもう、やっぱり機嫌悪いじゃない」
「大河の気のせいだ」
大河は溜息ひとつ。
「映画の話聞いてからよね、そんなになったの。
竜児が嫌なら、私、断るわよ?」
「映画って言っても文化祭用の短編だし、受験勉強には支障が出ないように配慮するっていうし、
何より映研の部長があそこまでして頼むんだ、断る理由がねえだろ。
それに大河も喜んでたじゃねえか。やりてえんだろ?」
「それはまあ……そうだけど」
「だったら変な勘違いで俺に気を遣う必要なんてねえ。めったにできる経験じゃねえんだ、楽しんでこいよ」
「でも竜児がそんなにイライラしてたら……」
「イライラなんてしてねえって言ってるだろ。しつこいな」
「しつこいのはどっちよ!」
目を合わせようとしない竜児を睨みつける大河。
が、突然大河が小さく噴き出し、そのままクスクスと笑い出す。
「た、大河?」
「だって、一年前とちょうど反対なんだもの」
「一年前というと……おう、川嶋のストーカー事件の頃か」
「そう。ここで竜児とばかちーがくっついてて。私ったらその後しばらく、明らかに機嫌悪いのに怒ってないって言い張って」
「おう……確かに今とは俺と大河の立場が逆だな」
竜児の顔にも笑みが浮かぶ。
「ねえ竜児……さっき楽しんでこいって言ったけど、私一人で楽しんでも……
ううん、竜児も楽しんでくれなきゃ私は楽しくなんかなれないし、映画にも集中出来ないわ。
だからお願い。きちんと話を聞かせて」
大河はそう言いながら竜児を真っ直ぐに見つめる。
竜児は大きな溜息をつくと、大河の方へ向き直る。
「……ぶっちゃけ、恥ずかしい話なんだけどよ……
映画を文化祭で上映するとなると、校外の人間含めてけっこうな人数が見るわけじゃねえか。
その中に、大河に惚れる奴が出てきたらどうしようって……
もちろん大河が浮気するなんて毛ほども思ってねえけど、なんか他の男が大河に言い寄ってくるのを想像しただけで嫌な気分になって……
そんな自分の器の小ささが嫌でさ、それにそんな事話したら大河は映画に出るのを止めるって言いかねねえだろ?
だから大河には言いたくなかったんだ。
だけどそれで大河を嫌な気持ちにさせてたら意味ねえよな。すまなかった。
……って大河、何でそんな赤くなってるんだ?」
「だって、い、今のって結局、竜児が、冷静さを失うぐらい、私のことが、す、すす、好きって言ってる、わけよね」
「……お、おう、考えてみると、そう、なるかな」
二人共真っ赤な顔で、気恥ずかしさから視線をそらす。
と、大河の顔ににんまりとした笑みが浮かぶ。
「ねえ竜児、いいこと考えたわ」
「おう、何だ?」
「映研部長に頼んで竜児も映画に出させてもらうのよ。主演女優のお願いなんだもの、嫌とは言えないはずよ。
もちろん私の恋人役で、キスシーンなんかも入れちゃったりして……」
数年後、結婚式にてこの時の作品が上映されて二人を大いに赤面させるのだが、それはまた別のお話。
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