竜児の意識がゆっくりと浮上してくる。
(重い……何だ?)
側頭部から後頭部にかけてずっしりとした重量感。
頭を動かそうとしてみるが、がっちり押さえられたように動かない。
(まさか、金縛りか?)
恐怖で一気に意識が覚醒する。
自分の状態は……どうやら卓袱台に突っ伏したまま寝ていたらしい。
頭は横を向いて、両手はそのこめかみの下に。指は……動く。体も身じろぎ程度なら出来る。
頭を中心に何かが覆い被さっているようだ。
(何かが……何が?)
目を開ければわかるのだろうか。だが例えば、恨めしげにこちらを見つめる女の顔があったりしたら……?
(いや、そうとはかぎらねえし)
恐怖をこらえてそろそろと目を開く。
はたして、竜児の顔の数センチ先にあったのは女の顔であった。
すやすやと眠る逢坂大河の。
(……何だこれは?)
何とか眠る直前の記憶を呼び起こす。
夏休みに入ってからというもの、寝坊の心配が無くなったせいか、大河のみならず竜児も少々だらけ気味であった。
夜遅くまでB級映画のDVDを見ていて、たしか大河は先に床に転がったまま寝ていたはずだ。
竜児もそのまま寝入ってしまったのだろうが……
(何で大河の顔があるんだ?)
自分の顔の向きを考えると、大河の頭は上下が逆で……
つまり、大河が竜児の頭に覆い被さったまま寝ているわけだ。
(えーっと、つまり……)
大河が一度目を覚ました。それで半分寝ぼけたまま竜児を起こそうとした。
そして、そのまま倒れこむように二度寝に突入したのだろう……多分。
状況がわかれば落ち着きも出てくる。
考えてみれば頭に乗っている物は暖かくて柔らかくて、明らかに生きているモノの感触なわけで。
(何だ、大河を起こせば問題は解決じゃねえか)
「おい、たい……」
名前を呼びかけてふと気付く。
大河の顔は竜児の顔の数センチ先で。
大河は上半身を竜児の頭に乗せていて。
つまり、竜児の顔の横にあたっている感触は……
(大河の、む、胸……か?)
布越しとはいえ、明らかに存在感があるのだ。
それは、腕とか背中とか、今まで竜児が触れたことがある部分より間違いなく柔らかくて。
(……畜生、哀れなんかじゃねえじゃねえか……)
ともかくこの状態で大河を起こしたりしたら……
『竜児……覚悟はできてるんでしょうね?』
炎だとか虎だとかのオーラを背負って仁王立ちの大河の姿が幻視される。
(……どうしよう)
幽霊のほうが遥かにマシだったかもしれない。
ともかく、大河を起こせない以上竜児に出来ることは何も無い。だが、
目の前数センチに(姿勢はともかく)とんでもない美少女の寝顔があって、
すうすうと健やかな寝息に、時折「ん……」とか鼻にかかった声を漏らしたりして、
シャンプーだか体臭だかほんのりミルクのような甘い匂いがしたりして、
暖かくて柔らかい感触がぎゅっと押しつけられていて、
五感のうち4つ、目をつぶったとしても3つまでもが大河の存在を強烈に伝えてくるわけで。
無論再び眠れるわけもなく、心臓はドキドキしっぱなし。
(……おちつけ、おちつけ、こいつは手乗りタイガーで、北村が好きで、俺には櫛枝がいて……)
僅かに開かれた、小さくて柔らかそうな唇。
ほんの少し頭を前に動かせば、それに……
(……っ! 何考えてるんだ俺! というか何も考えるな俺!)
「……ん……竜児ぃ……」
ついぞ聞いたことの無い、大河の甘えたような声。
(……寝言! 寝言なんだこれは!)
「……おねがぁい……」
(……きっと夢の中でメシかなんかねだってるんだ! そうに違いない!)
本当に?
こんな姿勢で寝続けてるなんて不自然じゃないのか?
実は大河もとっくに起きていて、寝たふりをしていて……誘っているんじゃないのか?
(そんなわけねえだろ! 大河だぞ!?)
「……ねぇ……早くぅ……」
肩に首に力を入れて、ほんの少しだけ頭を浮かせて、
「ただいまぁ〜」
響いた泰子の声に、咄嗟に目を閉じて寝たふりを。
「あれぇ〜? ダメだよ大河ちゃん、こんなところで寝ちゃ〜」
頭の上から重さが取り除かれる。
「……んむ……あれ?……やっちゃん?」
「はぁ〜い、やっちゃんでぇ〜す」
「えっと……そうだ、竜児、起こそうとして……」
「竜ちゃん? 竜ちゃんならそこで寝てるよ〜」
「あ、うん……私、帰るね。おやすみなさい、やっちゃん」
「は〜い、おやすみなさ〜い。気をつけてね〜。
ほ〜ら、竜ちゃんも起きて起きて〜」
「ねえ竜児、朝からやけに豪勢じゃない?」
「いや、たまにはいいだろ、そんな日があっても」
まさかヨコシマな気持ちを抱いたことへの一方的な罪滅ぼしなどとは言うわけにもいかず。
「まあ、いいけどね……ところであんた、さっきからなんか顔赤いけど」
「あー、なんか熱っぽくってさ。ちょっと風邪ひいたかもしれねえ」
「やだ、夏風邪? うつすんじゃないわよバカ犬」
「……おう」
(……やっぱり大河は大河か……)
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