高須竜児は人生で最大の決断を迫られていた。

いいのか?本当にいいのか?
でも、やってくれと本人は言っているんだぞ。
だが、そんなことをしていいのか?
竜児のどうどう巡りの思考に答えは出ない。
「まだ?」
声の主は竜児の目線の下に居て、後ろ姿で立っていた。
それは逢坂大河の小柄すぎる体。
その大河が少し前かがみになるとふんわりと長い栗色の髪が左右に流れ、大河の背中をあらわにした。
いつもの3割り増しのフリル。大河の持っている服の中でも外出着と言ってもいいくらいの上品な仕立ての服をまとい、大河は再度、竜児に催促した。
「まだ?」
大河の声に竜児は覚悟を決めるように、手を大河の背中へ伸ばした。
その手の指先が小さく震えるのを竜児は抑え切れなかった。
大河は何を竜児に催促していたのか。
つい1分前、大河はこう言ったのだった。
「竜児、背中のファスナー、下ろして・・・」



どうしてこんなことになったのかと言えば、話は1日前に遡る。
夏休みも残りわずかとなった高須家の晩餐の席からそれは始まった。
「そう言えば、大河」
「ふぁによ?」
口いっぱいに竜児特製の牛肉のソテーをほおばりながら、大河は行儀悪く答えた。
「あ〜、お前、こぼしてる」
大河が返事をした途端、口の端からポロリと肉の破片が落ちたのだ。
「あら」
そう言うと、大河は平気な顔で落ちた肉片を拾い、口に運んだ。
「おま、落ちたやつを」
呆れ顔の竜児を前に大河は平然と言ったのだ「3秒ルール」と。
「何だそりゃ?」
竜児の疑問に大河が解説を加える。
いわく、食べ物が床に落ちてから3秒以内なら菌が付かない。だから食べてもセーフと。
「竜児の足の裏から落ちた竜児菌とか、付かないから全然大丈夫」
「人の家の畳をばい菌の巣窟みたいに言うな」
「事実でしょ」
「そういうなら、大河の足の裏の大河菌だっていっぱいだぞ。夏休み中はほんとんど俺の家に居たんだからな」
「そう、なら今頃はみんな私の菌があんたの菌を飲み込んでるから問題ないじゃない」
「竜ちゃんも、大河ちゃんもお食事中だよ」
菌だの何だの食事時には相応しくない話題に堪り兼ね、泰子が割って入る。
「大河ちゃんも、拾うのはめっ・・・ね」
「ごめんなさい・・・あんまりおいしかったから・・・つい」
普段は見せたことが無いくらいの殊勝さで大河は泰子に謝った。
「素直な子はやっちゃん大好き」
大げさなくらい泰子は喜び、大河の頭をくりくりと撫でた。
その時の大河はいつもと違って嬉しいような困ったような表情を浮かべ、最後に泰子が手を放した時に、にぱっとはにかんだ。
猫みたいだなと竜児はいつもと違う感じの大河を見てそう思った。
そう言えば虎は猫の仲間だったなと竜児は妙なことを思いながら食事を終えた。




「はい、これ」
これから仕事に出勤という装いで隣の部屋から出た来た泰子が竜児と大河のふたりに向かって封筒サイズの何かを差し出した。
「何だよこれ?」
「なあに?やっちゃん」
「ん、お店のお客さんにもらったんだけど、忘れてて。竜ちゃんにあげる。大河ちゃんと行って来たら」
受け取った竜児が封筒の中身を確認すると、出て来たのは都心の高級ホテルのディナー券だった。
「うぉ、これってあのカリスマシェフの店。いいなあ、一度味わってみたかったんだよな」
竜児はメディアでも有名なシェフの味を一度体験して見たかったのだ。
「明日までだね・・・有効期限」
大河が券に記された数字を指でなぞりながら衝撃的なことを言う。
「マジかよ、残念、行けねえな」
竜児は天を仰いだ。
「どうして?明日まで使えるんだよ。大丈夫じゃん」
こと、グルメに関してうるさいのは大河も竜児並みであったから既に出かける気満々で、大河がそんなことを言う。
「さっき、俺が言いかけたことがあったよな」
「あ、うん、何?」
「今、言うけどさ。宿題とか・・・終わってるんだろうな?」
「あ、当たり前じゃない。この大河さまを見くびらないで」
大見得を切った割りに大河の視線が泳いでいるのを竜児は見逃さなかった。
「ほ〜お。なら見せてもらおうか」
「うん、後でね」
逃げ切りを図る大河を竜児は許さなかった。
「何時やったって?」
「家で・・・しっかりと」
「嘘付くんじゃねえ。俺はお見通しだ」
「お見通しって、げ、まさか私の家に盗聴器でも仕掛けたんじゃないでしょね」
「そんなことするか、アホめ」
竜児の説明はこうだった。
・・・夏休み中、大河、お前が起きて来る時間は何時だった?
・・・お昼ごろ。
・・・それからどうした?
・・・竜児の家で朝ごはん。
・・・それから?
・・・インコちゃんと遊んで、テレビ見て、お菓子食べて、買い物に行って、晩ご飯食べて、デザート食べて、テレビ見て、マンガ読んで、大笑いして、竜児がうるさいって怒って・・・。
「当たり前だ、俺が自分の部屋で宿題を片付けているのに、お前と来たら、グータラと・・・そんなんでいつ勉強したんだよ」
「あれ?おかしいな」
首を傾げる大河に竜児は「はあ」とため息。
「やってないんだろ」
「や、やろうと思ったのよ、私だって、でも、ほら、ばかちーの別荘とか行っていろいろ忙しかったし、それで・・・」
竜児の顔を上目遣いに見つめ、宿題をやっていない理由を並べ立てる大河に竜児はひとこと。
「な、明日はお前の宿題の面倒を見ないといけねえ」
だから、ディナーは無理だと竜児は付け加えた。
しょんぼりする大河を見て泰子が竜児を非難する。
「竜ちゃん、ひどい。大河ちゃん泣かせた」
「泣かせてないだろう。誤解を招くようなことを言うなよ。大体はこいつの自業自得で」
しかし、泰子は竜児の言い分をまったく聞いていなかった。
「大河ちゃん?竜ちゃんとお出かけしたい?」
「うん」
迷いも無く大河は即答した。
「竜ちゃん、命令。大河ちゃんをちゃんとエスコートすること」
家長の権限を振りかざして、実行を迫る泰子に竜児は両手を上げた。
「ったく、しょうがねえな。つれってってやるよ」
口ではそう言いながらも、内心、行きたかった竜児の表情は浮かれていた。
「やった、ねえねえ、何時に出てく・・・そうだ、何着て行こう」
すっかり浮かれモードに入った大河に竜児は釘を刺すのを忘れなかった。
「その代わり、31日は一日中、勉強だぞ」
「わかってる」
返事だけはいいが聞いていないのは大河の様子を見れば一目瞭然だった。




「つかまれよ」
「大丈夫」
「無理すんな」
夏休みも終わりに近い平日の上り電車は空いている席どころか、つり革すらつかまる余地が「tyっとないくらい混んでいた。
「私、あれにつかまるから」
大河は空いていたドア付近にある少し高い位置のつり革を見つけると手を伸ばし、つかめないと見るや、爪先立ちになって意地でもつかまろうとした。
それでも届かないと知るや、大河はジャンプしてつり革へ飛びついた。
「ほら、竜児、大丈夫でしょ」
「そのまま、ぶら下がって行くのかよ」
床下数センチを残してブラブラと大河の足は宙に浮いていた。
まさに器械体操の吊り輪状態。
「平気よ」
まあ、華奢に見えても木刀を振り回す様な女である。軽い自分の体重を支えるのなんてわけの無いことだろう。
電車の横揺れに合わせて、大河もぶら〜り、ぶら〜りと揺れている。
「こうしてみると、ちょっといいかも」
「何がだよ」
「竜児の顔が目の前」
言われて竜児も気が付いた。
立ったままの姿勢だと竜児はいつも大河から見上げられるしかなく、上目遣いの大河の表情が竜児のデフォになっていた。
その大河から真正面に見つめられて、竜児はわざとらしく咳払い。
「ん、いいんじゃねーの」
「じゃ、終点までこうしてく」
しかし、大河の空気ハイヒールは次の駅までだった。
更に乗ってきた乗客で竜児と大河は車内の、中ほどまで押し込められてしまった。
竜児は小さな大河が押しつぶされないようにかばいながら、今朝からの出来事を思い返していた。




なにせ今朝の大河は8時前に高須家の玄関を開けて、飛び込んで来たのだ。
つい昨日まで、お昼前後まで惰眠をむさぼっていた奴と同一人物には見えず、竜児は少なからず驚いた。
「おま、もう起きたのかよ」
幻でも見るような視線で竜児は大河を見つめた。
「何よ、私が早起きしちゃいけないの」
「いけなくはない・・・てかそれが当たり前だろ」
大河のペースに載せられかけて、竜児は慌てて正論を主張した。
「いいのよ、今朝の私はひろ〜い心で見てあげるから、竜児が何を言っても怒らないでいてあげる」
気味が悪いくらい上機嫌で、笑みさえ浮かべる大河に竜児は思わず右手を大河の額に当て自分の熱さと比べてみた。
熱でも出してるんじゃないかと不安になったからだ。
「平熱・・・だな」
「熱なんかない」
邪険に竜児の手を振り払い、大河は食器入れからマイ箸を取って高須家の居間の指定席へ陣取った。
大河はご、は、ん。ご、は、ん・・・と鼻歌風に歌いながら、箸でちゃぶ台のふちを叩いて竜児に朝食の用意を命じていた。
「なあ、大河」
「何よ、早くしてよね。お腹ぺこぺこなんだから」
「さっき言った台詞、信じていいよな」
「私、何か言ったっけ?」
「ほら、怒らないとか言っただろ」
「そんなこと言ったかしら?まあ、いいわ。そういうことにしておいてあげる」
気味悪いくらい機嫌がいい大河の様子に竜児は言い難そうに告げた。
「悪い、飯のしたくこれからなんだ」
軽快なテンポで鳴っていた大河のちゃぶ台太鼓がぴたりと鳴り止み、次の瞬間、激しい乱れ太鼓に変身した。
「なんですって〜え」
低域から高域へレガートするように伸びる大河の声。
まさかこんなに早起きするとは思わず、竜児は朝食の用意を始めていなかったのだ。
「す、すぐ作るからさ。10分待ってくれ」
「待てない・・・って言いたいところだけど、許してあげる」
バッグドロップのひとつも来るかと身構えていた竜児は大河が付け加えた予想外のひと言に天変地異の予感を覚えた。
「そうだ、私、手伝ってあげる」
口先だけではなく、大河は立ち上がると竜児のそばまでやって来て、「何すればいいの?」とばかり、服のそでをまくった。
「あ、いや・・・そうだ。茶碗を並べてくれよ」
「そんな簡単なことでいいの?お豆腐とか切ろうか?」
「気持ちだけでありがたいからさ・・・すみやかに茶碗を並べてくれると助かる」
「わかった。これね」
大河は食器入れごと持ち上げると、居間へ運び、ちゃぶ台の上へ食器を並べ始めた。
いつまでこの晴れ間が続くのやらと竜児は小さく肩をすくめた。




急ごしらえだが手抜きの少ない朝食を食べ終えると大河が出かけようと言い出した。
「出かけるって?」
「決まってるでしょ。昨日の」
「ああ、泰子がくれたチケットのか。でも、あれは夜だぞ。今からだといくらなんでも早すぎないか」
「いいじゃない。どこかで時間をつぶせば」
早く家を出ることに消極的な竜児にとうとう大河は癇癪を爆発させた。
「もういい!ばか!!」
それだけ言い捨てると、扉の開閉音も激しく高須家を飛び出して行った。
「何だ、ありゃ?」
竜児には訳がわからなかった。
あんなに機嫌が良かったのに急に態度が変わった大河が理解できなくて、竜児にも変なもやもやが発生していた。
つい、食器洗いが乱暴になり、お皿同士がぶつかって、大きな音を立てた。
その音に呼応するように泰子の部屋のふすまが開いた。
上向けに寝転んだ姿勢のまま泰子が姿を現した。
「竜ちゃん」
「わりい、起しちまった」
「大河ちゃん、帰っちゃったね」
「ああ、いんだよ、わけわかんねえ」
「ふふ、大河ちゃん、分かりやすくて、かわいい」
泰子が妙なことを言い出す。
「そりゃ、大河はかわいいけど・・・」
「外見のことじゃないんだけどな、竜ちゃんにはわかんない?」
謎解きのような質問をされて竜児は答えにつまった。
息子のあまりの鈍さに泰子は仕方なしに回答を提示してやった。
「嬉しいんだよ、大河ちゃん。竜ちゃんと出かけられるのが」
竜児にはピンと来ない答えだった。
「出かけるって・・・スーパーとかいつもあいつと行ってるし、今さら」
泰子は竜児の育て方をどこで間違えたのかと後悔するような顔を見せ、それでも竜児の背中を押した。
「いいから、いいから、ここはやっちゃんの言うことを信じなさいって」
そして大河を早く迎えに行けと、エプロン姿の竜児をせかした。




泰子に押し出されるように家を出た竜児は仕方無しに大河の家の玄関前に立った。
「大河、いるのか?入るぞ」
少し大きな音を立てて、玄関ドアを開け、竜児は大河の家に足を踏み入れた。
「大河」
いると思われたリビングルームには人影が無く、竜児はさらに大河と声を掛けながら、寝室へ続くドアを開けた。
寝室へ一歩入った竜児は部屋の惨状に目を見張った。
あたり一面に散乱する脱ぎ散らかされたように無造作に打ち捨てられた洋服の数々、クローゼットの中身を総ざらえしたかのように床一面に広がっていた。
大河はその中に居た。
ちょうどベッドのある部屋の中央だけが洋服の海から侵食を免れた島のようにぽつんと漂っていた。
ひざを抱えた姿勢のまま頭をその中に沈ませて、大河は言った。
「何しに来たのよ」
くぐもった様な大河の声。
「さっきは・・・悪かったよ」
竜児は短く、謝罪の言葉を大河へ伝えた。
ようやくこの時になり、大河の今朝の装いがいつも以上に決まっていたことに竜児は気が付いた。
よほどのことが無い限り、単に食事に来るだけでも高須家を訪問する際、大河はそれなりのファッションで来ていた。
だから、今朝のちょっぴりドレスアップしていた大河に竜児は気が付かなかったのである。
大河なりに気合を入れてきていたのに、竜児はそれに答えてやれなかった。
泰子に言われて気づくようじゃ、俺もまだまだだな・・・。
「大河、出かけようぜ」
ぷいとそっぽを向く大河。
「大河!」と声を荒げかけて、竜児は思いとどまった。
さっき、泰子に言われたのだ「大河ちゃん、もしかしたら意固地になってるかもしれないから、優しく、言わないとダメよん」と。
泰子の読み通りの展開に竜児は感心する。
「なあ、お弁当作ってきたんだ。たまには外で食べようぜ。俺、いい場所知ってるし」
お弁当の3文字に反応してか大河がピクリと動く。
「3段重ねの豪華版だぞ」
向こうを向いていた大河が竜児の方へ向きを変えた。
手ごたえあり・・・と釣り師の気分で竜児は大河をさらに引っ張り出すべく、撒き餌をまいた。
「大河が来ないなら、ひとりで食うか・・・仕方ない」
竜児はお弁当箱をわざとがちゃがちゃ言わせ、寝室を出て行こうとした。
その竜児の後ろへ向かって投げつけられた大河の声。
「ひ、ひとりで食うな〜あ」
大声と共に大河復活。



天気は曇天。
景色を眺めながらそれがちょうどいいと竜児は思った。
あれから竜児と大河と電車を乗り継いでやって来たのは海辺の埋立地にある小さな区立公園。
新交通システムの小ぶりな電車の駅から、少し歩いた所にそれはあった。
まったく、ここへ来るまで一苦労だったぜ・・・と竜児ははしゃぐ大河を見ながら自分の肩を叩いた。

てこてこと竜児の先を歩いていた大河が立ち止まった。
「ねえ、竜児・・・まだ?」
「あと、ちょっとだ」
「さっきから、ちょっと、ちょっとって言うだけで、いっこうに着かないじゃない」
「10分も歩いてねえだろ、もうへばったのかよ」
「退屈なのよ。おんなじような風景で」
確かに大河の言う通り、駅からまっすぐに伸びる道路がはるか先まで続いているだけで、周囲に建物は無く、何とか建設予定地みたいな看板が立てられた空き地が広がるばかりだった。
「しょうがねえな・・・最初はグー、じゃんけんぽん」
竜児が手を動かすと、つられたように大河も手を出してきた。
竜児はパー、大河はグーだった。
「俺の勝ちだな」
「え、え・・・ズルイ、竜児」
「いきなり、じゃんけんしかけるとだいたい、グーを出すんだよ。頭脳戦の勝利と言って欲しいな」
竜児はそれだけ言うと、その場から「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル」と言いながら6歩分スキップして、前にいる大河を追い越して止まった。
竜児はそれからくるりと大河の方へ向き直り、「次、いくか?」と大河に誘いをかけた。
「負けない」
うんざりしたような顔は吹き飛んで、大河の瞳はキラキラと光るように活発に動き出した。
「じゃん、けん・・・」
「ちょっと、待った」
大河がじゃんけんのモーションに入るのを竜児は止めた。
「何よ?」
「次に出す手は決まったのか?」
「決めてないわよ」
「良く、考えた方がいいぞ。2回続けて負けたくないだろう」
「あ、当たり前じゃない・・・ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
大河はその場でグーがどうのとかパーがどうのかとかぶつぶつ言いながら次に繰り出す手を思案した。
「そうだ、負けた方が荷物を持つってはどうだ?」
「余計なこと言わないで、気が散るから」
大河はじっくり考えること30秒余りで結論を出した。
「決めた」
「よし、それじゃ、じゃんけんぽん」
竜児の掛け声と共にお互いが手を出し合う。
竜児はグー・・・大河はチョキだった。
信じられないというように大河は自分の目の前にV字の手をかざし、まさかの敗戦結果に呆然とした。
「ぐりこのおまけ」
さらに大河の先に行く竜児。
「ぬお、竜児、次よ。次」
すっかり、勝負に熱くなった大河だったが、勝負運に見放され、この戦いは電柱2個分の間隔が出来たところでお開きになった。




「着いたぜ」
「ここ?」
何の変哲も無い入り口に大河が不思議そうな顔をする。
植林された木々が並び、向こう側が良く見えないくらいだった。
延々と歩いた先に竜宮城やディズニーランドみたいな物が待っているとはいくら大河でも思わなかったが、これではあまりに殺風景過ぎると言わざるを得ない。
歓迎の幟が立っているわけでもないし、愛想のいい店員さんが出迎えてくれるわけでもない。
ただ素っ気無く区立公園と看板が出ているだけだ。
「どこがいいところなのよ?」
人買いに騙されて連れて来られた村娘な気分で大河は竜児に抗議した。
「いいからいいから、この先に行けば分かる」
大河の気持ちにお構い無しに竜児は中へ足を運んだ。
「待って、竜児」
大河は竜児を慌てて追い駆けた。
竜児に付いて進む大河はやがて、前の木々の間が白くなっているのを見つけた。
「あれ?何?」
竜児はただ、大河へ向かってうなづくと黙ってそのまま、その方向へ向かって進んだ。
「わあ・・・」
大河は歓声を上げた。
公園の中の森を抜けると、すぐそこに水平線まで海が広がっていた。
大河はそのまま駆け出し陸地と海とを隔てる低いフェンスから身を乗り出して、海の先を見つめた。
「海だあ・・・海」
「川嶋の別荘で行った伊豆の海には及ばねえけどな」
大河に追いついた竜児がフェンスに手をつきながらそんなことを言う。
実際、絶景といえるのは正面だけで、左右にちょっとでも視線を振れば見えるのは化学コンビナートの紅白の煙突や、巨大な倉庫でしかなかった。
「風が気持ちいい」
目を細める大河と竜児の間を海を渡る風がさっと駆け抜け、歩き続けて火照ったふたりの体を冷やす。
そのままぼんやりと大河と竜児のふたりは海風にふかれるまま、時を過ごした。



「静かね」
大河言う。
実際、物音はしているのだが、車の音や話し声などの人工的な音がほとんど無いのだ。
護岸を叩く波のちゃぷちゃぷ言う音や、時折、通り抜ける風で背後の木々がざわめくくらいだった。
「人もいないしな」
「本当」
竜児に言われて大河もそれに気がついた。
この公園に入ってから、人影をまったく見ていないのだ。
「どうしてよ?」
不思議に感じて大河は竜児に問いかけた。
「実は大河には黙っていたんだが・・・俺は・・・」
打ち明け話のような竜児の態度に大河は息を呑んだ。そして次の瞬間、吹き出した。
真面目な顔をして竜児はこう言ったのだった。・・・超能力者なんだ!俺の超能力でここ封鎖してるんだ、だから誰も入って来ないんだ・・・と。
「何だよ、信じてねえだろ」
竜児、あんたバカと、笑い転げる大河。
しかし、バカと言う割りにいつもの毒がなく乾いた口調だった。
「いいじゃねえか、あこがれてたんだ。子供の頃・・・何でも願いが叶う気がして」
大河は笑いを止め、竜児を見た。
「わかんなくないな・・・竜児のその気持ち」
大河は遠くを見るような表情を見せ、ポツリと言った。
「私だって・・・魔法使いにあこがれてた」
竜児は笑わなかった。
「呪文ひとつで何でも願い叶う・・・はは・・・うらやましかった」
複雑な家庭事情が及ぼした子供時代の陰。
味わった者でしか分かり合えない共通認識。
ほんの一瞬だけ、竜児も大河もお互いに何かが触れ合った気がした。
「・・・で、本当の理由は?」
イタズラっぽく笑う大河に竜児は種明かしした。
・・・この暑い中、歩いてこんな何も無いところまで来る物好きはいねえよ。
・・・車なら来れるじゃない?
・・・ああ、ダメダメ。ここへ来る道は一般車通行禁止。だから徒歩しか移動手段が無いんだ。

「じゃあ、私たち・・・相当な物好き?」
「そう言うことになるな」
・・・プッ。
竜児も大河も顔を見合わせ、笑いあった。


--> Next...





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