「食べないのか?」
「・・・うん、ううん」
大盛りのデコレーションパフェを前にして、大河は借りて来た猫の様に大人しかった。
いつもの大河が100ワットの電球なら、今の大河は高須家のトイレの電球の明るさ。30ワット電球でやや明朗さを欠いていた。
つい、数十分前に大河と竜児は2時間待った念願のバスに乗り、JRの駅前まで戻って来たところだった。
戻る途中のバス車中で大河は静かで、日頃の快活さに影が射しているのを否定出来ない。
そんな大河を気遣って、竜児はバスから降りたところで見つけた駅ビルの中にあるファミレスへ大河を誘いこんだのだ。
「どっちだよ?MOTAAINAI。お前が食わないなら、俺が食う。寄こせ」
「あげない。これは私の」
「じゃあ、食え、どんどん食え・・・食って、元気出せ」
「・・・ん」
ノロノロと大河はスプーンを手にするとパフェの頂上を崩し、真っ白なクリームを口へ運んだ。
「・・・甘い」
少しだけ大河の表情に光が差して、朗らかになった。
「プリンもどうだ?」
「食べる・・・おいし・・・」
カラメル色の欠片を舌に載せ、味わう様に大河は飲み込んだ。
「竜児」
「何だよ、うまくないのか?」
「ううん。プリンはおいしい。・・・その、何て言うのか・・・また竜児に迷惑かけた」
「かまわねえって。むしろ俺は大河のこと、あれこれ聞けて良かったって思ってる。それより心配なのはおまえの方だ」
「私?・・・なんともないけど」
「つい、勢いに任せて聞いちまったけど、大河がそれを話すことで嫌な思いを追体験したんじゃないかって」
「へ?そんなこと気にしてたんだ。つまんない事ばかり心配して禿げても知らないから」
茶化すように大河はジェスチャーでかつらを被るマネをした。




「俺は真面目に聞いてるんだ」
「なら、私も真面目に答えてあげる」
柔和な表情を改め、大河は言葉を選ぶ。
「トラウマって言うの?確かに蘇ったし、昔の古傷も見たわ。さすがの私もちょっと滅入った気分、久々に味わった」
「だから・・・」
「竜児は黙って。話せばそんな気分になるって分かってた。でも、私は話したかったの・・・知って貰いたかったから、竜児に・・・私のこと」
「・・・大河」
まっすぐこっちを見る大河の厳しい視線の中に揺らめく感情のともし火を見つけて竜児はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「押し付ける気もないし、聞き流してくれてもいい。話したこと、後悔してない。それだけは知っておいて」
「分かった、大河のその気持ち・・・受け取っておく、ちゃんとな」
竜児の答えに大河は体全身に入れていた力を抜き、どこか安心したみたいに顔に貼り付けていた能面を剥ぎ取り、ノーマルな表情のパーツと取り替えた。
「なんか、急にお腹すいてきちゃった」
スプーンを再び手にした大河はいつも食べっぷりを発揮し、瞬く間にデコレーションパフェを食べつくした。
口の周りにクリームを付けたまま、おいしかったと言う大河に紙ナフキンを手渡して、竜児は口元を指差してやる。
「付いてんぞ、クリーム」
「んん・・・取れない」
小さな口から赤い舌を伸ばして付いたクリームを舐め取ろうとする大河。
「拭け」
「もったいない・・・ん、んん、もうちょっとかな」
「はしたないだろ」
あくまで舐め取ろうと無駄な努力を続ける大河の姿に竜児は実力行使に出た。
席を立ち、座る大河の脇から手を伸ばし、頬に付いたクリームを指先で拭い取ると、自らの口へ含む竜児。
「竜児が・・・竜児があ・・・食べた。私のパフェ」
悲しそうな声を出し、大河は名残惜しそうに竜児の口元を見る。
「人聞きの悪いこと言うな。ひと口分にもならねえ量だろ」
「それでも、食べたことに変わらない。食べ物の恨みは恐いんだよ、ね、竜児、知ってるわよねえ」
そう言った大河の口の中に牙を見た気がして竜児は自分の席へ後戻り。
そのままメニューを大河に渡し、好きな物、追加しろよと自棄のように言い放った。
「そうこなくちゃ」
嬉しそうにメニューを見てクリームあんみつを追加する大河に竜児は念のため言っておく。
「もうすぐ予約したディナーの時間だぞ」
「そっか、もうそんな時間」
大河はお腹に手をやり、「う〜ん」とうなりながら腹具合と相談する素振りを見せる。
「大丈夫だって」
「何がだ」
「私のお腹の虫が言うの、あんみつ食べても大丈夫だって」
「甘い物は別腹か・・・ほどほどにしておけよ」
「うん」
弾けるように笑う大河はスポットライトをあてたかの様にきらめいて見えた。
いつもの大河が戻って来たのに安心したのか竜児も釣られて一緒に追加注文を出していた。



「このカッコで・・・いいのか?」
竜児は自分の全身を下から上まで見渡した。
「大丈夫でしょ、そんなに格式ばったお店じゃないし、昨日、インターネットで予約した時もドレスコードの指定無かったから」
「大河はそれなりの服装だけどよ、俺は・・・ジャケットくらい着て来れば・・・抜かったか」
本日のメインイベント、ホテルでのディナー会場へ到着した大河と竜児。
地上20数階建てホテルの地下にうやうやしく構える高級そうな店舗が目的のお店だった。
いかにも高そうな物を食べさせますと言った雰囲気が店の外まで漏れて来ていて、ファミレス程度しか行った事が無い竜児に無言の圧力を加えて来ている。
普段、入り慣れない店構えに竜児は思わず及び腰。
「こんなにすごい所だんなて思わねえから」
「文句言わない。Tシャツ、Gパンなら入店お断りって可能性もあるけど、今日の竜児の服装ならカジュアルで認められるから、何も言われない」
「そうなのか」
「そう、ほら、しゃっきとしなさい。もっと堂々として」
「お、おう」
「じゃあ、入るわよ」
「ま、待て、大河」
「もう、何?」
「ちょっと、深呼吸」
その場でスーハーする竜児。
「あのね、竜児。変なところへ入るわけじゃないんだから」
あきれたように言う大河に竜児は踏ん切りが付かず往生際の悪さを露見する。
「心の準備がまだなんだ」
「じれった!」
とうとう切れた大河は竜児を突き飛ばすようにして店内に送り込んだ。


「いらっしゃいませ」
黒のベストを着た従業員に慇懃に出迎えられ、「ど、ども」と竜児はトンチンカンな応答を返す。
既に余裕をなくした顔つきでテンパル竜児に見切りをつけて、大河は仕方ないといった感じで竜児の前に出た。
「予約してた高須です」
「高須様ですね、承っております」
キーボードを叩いて、ディスプレイ画面に視線を這わせた黒服は予約が入っていることを確認すると、「高須様。2名様ご案内」と告げ、店内の入り口付近に待つ別の黒服へ業務を引き継がせた。
「予約したのは大河だろ?何で俺の名前で予約なんだ?」
「普通はそういう物なの」
「そう・・・なのか?」
テーブルへ案内する黒服の後を付いて行きながら竜児は小声で大河に問い質した。
なにせ、竜児にはお店を予約すると言う発想すらなかったのだ。
昨日うちにそれを大河に指摘され、そのやり方がわからず、竜児には珍しいことだが全てを大河へ丸投げしていた。
「こちらのお席になります」
店内の一画にあるテーブル席へ案内した黒服は備え付けの椅子をゆっくり引いて着席をうながした。
思わず竜児が席に近づくと黒服が一瞬、困ったような表情を浮かべる。
「竜児」と大河は声を掛けて竜児の前に回り込むと、そのまま椅子に座った。
続けて竜児も座ったわけだが、頭上に疑問符を付けて大河を見ている。
「こういうとこは女性優先なの」
「そうなのか」
「そう・・・・・・別に順番なんてどうでもいいけど、お店から見下されるのは不愉快じゃない」
「知らなかった」
「別に竜児が気に病むことじゃない。ことわざにもあるでしょ。郷に入っては郷に従えって」
「面目ねえ」
「事前にレクチャーしなかった私も悪かったけど、そんなにへこまないでよ」
「いや、いつもみたいにグズ犬、ダメ犬と言われた方が気が楽だ」
「言わない。竜児はグズでもないし、ダメでもないから。そんなつまんないマナーのひとつやふたつ知ってたって偉くない。だけど、いつまでもそんなこと言ってるんならホントにグズ犬以下・・・私は・・・竜児にそんなスマートなところ期待してない」
「・・・ひでえ言い方だな」
「スマートにエスコート出来る奴なんていっぱいいる。・・・そんなのは上辺だけ。竜児は・・・違うと思ってる。・・・そう思うのは私の買い被り過ぎ?」
「作法、いっぱい間違えるぞ。それでもいいのか?」
「いいよ。竜児となら恥かいても構わない」
「言ったな。で、さしあたってこのずらりと並んだナイフとフォーク、どう使うんだよ?」
「外側から順番に料理が変わるたびに使い分ければいいの。分からなかったら、私のが取るのを見て、同じ物を使えばいい」
「お、おう」




「失礼致します。お飲み物はいかが致しますか?」
黒服が恭しく竜児に差し出したのは見慣れないアルファベットが並んだメニュー。
英語?いや違う・・・何て書いてあるんだ?エジプト象形文字の前にした考古学者の気分をたっぷり味わいながら、解読不能だと竜児が半分パニックになり掛けた時、大河が手助けを出した。
「竜児、私たち、まだ未成年でしょ」
大河のこの言葉に竜児は目の前のメニューがいわゆるワインリストのような物だと理解できた。
・・・食前酒ってやつか、これは。
もちろん、飲んだらまずいよな・・・じゃあ、何を頼めばいいんだ?
そうだ、アルコールが入っていなければいいんじゃないか。
「アルコールの無いもの・・・そう、ノンアルコールで・・・何かありますか?」
竜児の問いにミネラルウォーターかノンアルコールワインなら用意可能と答える黒服に「ワインの方を」と竜児はオーダーを入れた。
かしこまりましたと黒服が行ってしまってから、竜児はホッと一息。
「あ、あれで良かったのかよ」
「正解」と大河は胸の前で小さく拍手。


「これ、ワインだよな?」
「見た目だけね」
竜児と大河の前に置かれたグラスに湛えられた半透明の液体。
「中身はようするにグレープジュースってことか」
「ま、そんなもの・・・じゃあ、竜児」
「おう」
大河はワイングラスの柄を器用に掴むと目の高さに捧げ持った。
竜児も同じように大河をまねてグラスを持ち上げた。
照明のやや落ちたほの暗い店内。
テーブルの上にある蜀台の赤いろうそくの灯がゆらゆらと大河の白い頬を淡い色で浮かび上がらせる。
持ち上げたグラスに越しに見える大河がいつもの大河に見えなくて、竜児はドキリとした。
もともと美少女と言っていい大河の素質。涼しげな目元から細く伸びる鼻筋、可憐な花のような口元。
そしてそれらを取り囲むシャープな顔の輪郭とあいまって個々の作りの良さを際立たせていた。
加えてふんわりと大河を包むように伸びる色素の薄い長い髪とアクセントのように付けられた赤いリボン。
さっき、お店に入る前に「ちょっと」と言いながら化粧室に消えた大河。
ブラシを丁寧にあてたのか、不自然に跳ねたところも無くサラリと流れるように整った大河の後ろ髪。そこへちょこんと小さな可愛らしいリボンが結びつけてあった。
化粧室から出て来た大河を見て竜児は一瞬、目を瞬かせたのだ。
今、目の前にいる見慣れたはずの大河が、まるで初めて見る女の子に見えて竜児は戸惑う。
・・・大河・・・だよな?
美化補正用のフィルターでも通してるんじゃないかと、竜児はまばたきを数回してみたものの、大河は雰囲気は一向に変わることは無かった。
「どうかした?竜児」
「あ、いや、なんでもない」
まさか、見とれてたとも言えず、竜児はあいまいに誤魔化した。
「乾杯しよ」
「そ、そうだな」
「それじゃ、かんぱーい」
より高く、グラスを持ち上げる大河に合わせて竜児もグラスを掲げた。
「んん・・・ん」
口を付けてグラスの中身を飲み乾して行く大河。
「ふう・・・おいしい」
グラスをテーブルへ置き、目を細める大河。
口元にこぼれた雫を手でそのまま拭おうとし、「あっ」と言う顔をすると、その手を慌てて引っ込めた上で、何事も無かったかのようにナプキンの裾を上品に使って見せる。
その取り澄ました様子に竜児は微笑みを隠せなかった。
「何よ?おかしい?」
じっとこっちを見てる竜児に気が付き、大河はいつも調子でじろりと竜児をにらむ。
「私だって完璧じゃないわ。笑うことないでしょ」
「いや、わりい。笑ったわけじゃないんだけど」
「じゃあ、何?その締まりのない口は。無駄に大口あけてるんじゃない。小さくなるように縫い合わせてあげよっか」
いつもの調子の大河に竜児は変な安心感を感じてますます表情が緩み、大河をかっかさせた。




前菜に始まり、スープ、魚料理とコースは進んで行く。
さすがに有名シェフの料理だけあって、竜児の舌は驚きの連続を味わっていたが、慣れないナイフとフォーク遣いに悪戦苦闘が続き、せっかくの料理を味わう余裕を欠いていた。
そんな中、それにしてもと竜児は思わざるを得ないことがある。
目の前の大河のことだ。
さっきから竜児の前で大河は流れるようにナイフやフォークを使いこなしていた。
上手にパンを切り分け、ほんとんど音を立てずにスープを飲み、フォークで巧みに料理を口元へ運ぶ姿はとても高須家の夕食の席上では見られない光景。
容赦なく人のおかずに手を出し、あまつさえぽろぽろとご飯粒をこぼしながらチャーハンをがっついて食べていたあの大河とこの大河は同一人物かと竜児は目を疑う思いだった。
時折、滑るのかガシャンとお皿とナイフが派手な音を立てるのが大河らしいと言えば大河らしいし、肉がうまく切れなくて「チッ」と舌打ちして見せるところも大河そのもの。
それでもと・・・竜児は思う。
俺よりもはるかに洗練されている・・・大河にとってこんな場所で飯を食うことは別に珍しいことじゃなかったんだろうな。
改めて今まで育って来た環境の違いを竜児は感じてしまう。
大河が住んでいるマンションを見れば逢坂家の財力と言うか家格が上流に属していることは疑う余地が無い。
そんなT中で暮らして来て、TPOで使い分けられるなんて、大河、おまえはやっぱり凄いよ。
淑女なんて言葉、似合わねえとか思ったけど、俺が間違ってた。大河は立派なレディだ。
もしかしたら、大河だって両親と不仲でなければ、「お嬢様」とか言われる様な存在だったのかもしれないな。
・・・しかし、『大河、お嬢様』か・・・似合わねえ・・・。
執事に誘導されて高級車の後部ドアからドレス姿で降り立つ大河の姿を思い浮かべたものの、竜児の脳裏では歩き始めた瞬間に見事にこける大河が映し出されていた。
そこで竜児は「ぷっ」と思ったままに吹き出していた。
「あによ?にゃにがおかしいの?」
「口の中のもの、飲み込んでからしゃべれ」
「ん・・・んぐ、んぐ」
「慣れてるよな、大河」
「初めてじゃないしね・・・最近はないけど、父親とかに良く連れられて来た時期もあったしぃ・・・りゅうじいは・・・」
・・・?
「ああ、俺は初めてだな、こんな店」
・・・大河?
「そうなんだあ・・・竜ちゃんは初めてでがんすかあ・・・」
「・・・・・・大河?」
「えへえ、やっちゃんのまねえ・・・似てるかな・・・えへへ」
大河が変だ・・・竜児ははっきり認識した。
「大河・・・どうした?」
「ろうもしない・・・私は・・・ふちゅうだよん」
トロンとした瞳に回らない呂律。そして朱を塗ったように赤らむ目元。
これが意味するところは・・・竜児は嫌というほど知っている。
仕事から帰って来る時の母親にそっくりだから・・・。
「大河、ちょっといいか」
「らに?」
竜児は大河の前に置いてあるワイングラスを掴むと、その中身を少量、口に含んだ。
舌とのどにちょっと焼けるような感覚を感じ、間違いないと確信する。
そして、大河が追加注文したボトルを手に取った。
最初に飲んだノンアルコールのワインがおいしかったらしく、大河はコース料理が始まってまもなく、ボトルごと追加したのだった。
竜児はどうも口に合わない感じがしてミネラルウォーターにしたのだったのだが・・・。




・・・アルコール度数 15%未満

ボトルのラベルに描かれた文字が大河をおかしくした原因だと教えていた。
本物のワイン・・・飲ますなよ。未成年に。
大トラと化しつつある大河を前にして竜児は頭を抱えたくなった。


「・・・あえして」
竜児の手元に行ったワイングラスを取り戻そうとする大河。
「ダメだ」
「え〜竜ちゃんのいけずう・・・鬼、あくまあ・・・ドケチいぬう」
「もう、おしまいにしような、大河」
これ以上飲ませるわけにはいかねえぞ。
「らあ、じゃんけん・・・しよ・・・わたしがあ・・・勝ったらあ・・・ね」
「はいはい。じゃんけんは昼間さんざんしたから今日はおしまい」
「ちぇ・・・つまんあい・・・竜児、つまんなあい・・・何か、面白いことして?」
「面白いこと?」
「らによ・・・できないってるうの、このらめいぬ」
酔っ払った口調じゃ迫力ねえなと思うものの、妙に据わった感じのする視線に何かしないと大河が暴れ出しそうな予感がする竜児。

「・・・ちょっと待て」
竜児は少し思案してポケットの財布から百円玉を一枚取り出すとテーブルの上に置いた。
「ひゃくえ〜ん」
「そうだ、百円玉だ」
「ろこが、面白いの?」
「まあ、待て。今からこの百円玉をテーブルに埋めてやるから」
「うひょ・・・ろうやって?」
「見てろよ」
竜児は百円玉の上に右手を載せて百円玉を覆い隠した。
そこへ左手を重ねて百円玉をテーブルへねじ込むような仕草を繰り返し、最後に右の指3本で百円玉をテーブルへ押し込むようなポーズ。
「はい」
掛け声と共に竜児がテーブルから手を放すと、不思議なことに百円玉は消えていた。
「す・ご・い・・・竜児、すごいよお」
大河といえば目を見張って子供のように大はしゃぎ。
身を乗り出すようにして百円玉が消えた辺りを摩訶不思議なものを見たと言う風に見つめた。
単純すぎるトリックなのだが、まさか大河がここまで大喜びするとは思わず、かえって竜児の方が面食らう。
その大河は酔いの赤さと興奮の赤さが相乗して、ピンク系のチークでもひと掃きしたんじゃないかと思わせる面立ち。
ナチュラルメイクをしたみたいになっていた。
妙に子供ぽい大河のテンションと大人びた感じにすら見える外見のギャップに、竜児はしばし、大河から視線を外せない。
「竜児・・・えへへ」
テーブルに頬づえをついて竜児を見つめる大河。
「な、何だよ。嬉しそうに笑って」
「るうじってえ・・・よく見るとおね・・・言っちゃおうかな・・・あのね・・・かっこいい」
「そりゃ、どうも」
しらふだったら絶対に大河はこんなこと言わないよな。
どこまで本気なんだか。
まあ、酔っ払いのたわ言として聞き流しておくのが一番か・・・それにしても・・・泰子の言うことは当ってたな。

・・・大河ちゃんはね。きっと楽しいお酒を飲むよ。酔っ払ったら朗らかになって、一緒にいると楽しいよん。大河ちゃん、早く大人にならないかな、そしたらうんとおいしいお酒、ごちそうしちゃうのに。

さすが、酒のプロ。見事に予測どおりだぜ。
ちなみに竜児は酔っ払うと愚痴り始めるタイプだそうで、息子に大甘な泰子でも、竜児とは飲みたくないときっぱり言い切った。




既にコース料理はメインディッシュが終わり、デザートを残すのみとなっていたのだが、そのデザートを運んで来た黒服に竜児は軽くクレームを付けた。
・・・酔っ払いを作ってくれてありがとうと言う気持ちだ。
状況を把握するや、すぐさま支配人を伴って戻って来る黒服。
支配人は平謝りに謝った上、今日のお代は頂きませんと言い、お詫びの品まで付けて竜児と大河を店から送り出した。
・・・くれぐれもこのことはご内密に。
同じ銘柄だからってノンアルコールと普通のワインを間違えて出した上に、事故とはいえ高校生に飲ませたんだから、万一、表沙汰にでもなれば店の看板に傷がつくというもの。
くどいくらい念を押していた。


「歩けるか?大河」
「らあいじょうぶ」
と、本人は言い切るが、行動がともなっていなかった。
ホテルのロビーへ続く廊下を俗に言う千鳥足で竜児が手を放すと右へ左へフラフラと進み、そのまま柱に頭から激突する始末。
「いらあ〜い」
大河はぶつかったところを押さえて、その場にうずくまる
「た、大河、大丈夫かよ?大きな音がしたけど」
「らいじょうぶじゃない。痛い」
見れば、小さなこぶが出来ていた。
「これは痛そうだな・・・ちょっと待ってろ、ハンカチ濡らして来る」
近くにあった化粧室へ竜児は飛び込んだ。


「これでどうだ」
竜児はほどよく濡らした冷たいハンカチを大河に出来たこぶに当てた。
「少しいいけど・・・まだ、痛い」
「ホント、わりい、大河。しっかり捉まえておくんだった」
手を放したばかりに申し訳ないことをしたと竜児は大河に頭を下げた。
「自分で、歩くって言ったんだから・・・竜児のせいじゃない」
ロビーのソファに大河を座らせ、竜児も隣に腰を下ろした。
「でも・・・悪いと思うなら・・・あれ・・・して」
「あれ?」
あれとは何のことだろうと竜児は首をひねる。
「あ、あれって言ったら、あれよ」
歯切れ悪く大河はあれの正体を明かさない。
「はっきり言えよ。出来ることなら何でもするから」
「嫌って言わないでよ」
「おう」

・・・大河が少しモジモジしながら言い出したのは痛みを消すおまじないのことだった。




「いくぞ」
「うん」
「痛いの、痛いの、飛んでいけえ〜」
半ばやけっぱちで竜児は大河に出来たこぶに手を当てて、痛みが飛んでいくとされるやや幼児向けの万国共通の呪文を唱えた。
「・・・もいっかい」
「痛いの、痛いの・・・」
以下ループで繰り返すこと数回。
いい加減、竜児が恥ずかしくなって来た頃、大河は終了を宣言した。
「もういいよ・・・竜児。痛くなくなった」
「いいのか?」
「うん、これ以上は竜児も辛いでしょ」
「そんなことはねえぜ、何度でもOKだ」
「もう十分だから、いいよ。・・・なんか急に懐かしいことしてもらいたくなっちゃって」
「懐かしいか」
「小さい頃・・・よく転んだり、ぶつかったりしたんだ。その時、よくママ・・・母親がしてくれたの。今の竜児みたいに」
「ごつごつした手だったけどな」
「ううん、竜児の手、温かかった・・・目をつぶっていたら、あの頃と変わらない・・・・・・パパもママも仲良くて・・・私が・・・いて・・・それで・・・・・・竜児が・・・いる・・・・・・・・・の」
「・・・大河?」
ソファの縁に頭を預けた格好ですうすうと寝息を立てている大河。
その寝顔は穏やかで、いい夢でも見ているのか、とても幸せそうだった。
こんなところで寝ちまってしょうがねえなと竜児は思わないでもなかったが、大河の様子に起すのもためらわれ、少しだけ寝せてやることにした。
大河の顔に掛かる前髪をそっと手で払いのけてやりながら、ここまでやって来た不思議な関係に竜児は想いを馳せる。
・・・まさか、こんなに仲良くなるなんて思いもしなかったぜ。
・・・いろいろあるけど、俺はおまえが居てくれて良かったって本気で思ってる。
・・・よく考えたら、こんなに自然体で付き合える女の子って、初めてだ。
・・・不思議な奴だよ、大河。
・・・気が付けば、いつもおまえが視界の中にいるようになったんだもんな。

眠気は伝染するもの。大河の幸福そうな寝顔を眺めている内に、竜児も夢の国へのパスポートを手にしていた。

竜児が眠りに落ちる寸前、大河の唇は「竜児」とその名を呼び、続けて数文字分の声にならない動きを見せた。
空気を振動させること無く消えた言葉。
大河は自分でも知らないうちに、心の奥深くにある引き出しを開けていた。
その中身が何であったのか・・・竜児は聞くことは出来なかったし、大河自身もその言葉を発してしまったことに気づいていなかった。


「ん・・・寝ちまったか」
浅い眠りを物音で破られて、竜児はうたた寝から目を覚ました。
睡眠時間はほんの30分くらいだろうと見当を付けた竜児はロビーの壁時計を見て仰天する。
「12時近いじゃねえか」
もう深夜と言ってもいい時間帯。ついさっきまで人気の見えたロビーは閑散としており、人の姿が見えなかった。
大河は、ソファーからずり落ちそうな姿勢で寝こけており、あともう少しでソファーからお尻が落ちそうなくらい危なっかしい。
「大河、おい起きろ。大河、起・き・ろ!」
肩を軽く揺すってやると、「んん・・・なに・・・もう朝?」などと寝ぼけた声を出し、両手で目をこすりながら上半身を起した。
「竜児・・・?朝ごはん・・・何?」
ボーっとした顔で竜児を見て朝食の献立を聞いて来る大河。
「朝じゃねえ。真夜中だ。ついでに言うとメシはねえ」
「朝じゃない・・・おやすみ・・・すう」
「寝るな!」
そのまま、また寝てしまいそうになる大河を竜児は急いで正気にさせた。
「・・・っつたく、どうする?」
「どうするって?」
「終電、間に合わねえ」
俺としたことが不覚と、竜児はほぞを噛む。
ここから大橋へ向かう郊外電車のターミナルまではまだ電車がありそうだったが、その先はもはや絶望的だった。



「じたばたしても仕方ないでしょ?」
「仕方ねえ、タクシーで帰るか・・・」
そう言ったものの料金がいくらになるか想像が付かない竜児。懐具合が痛むが止む終えないと腹をくくった。
「そうと決まれば・・・」
竜児の物言いを受けて大河はソファーから勢い良く立ち上がった。
しかし、それがいけなかったのかも知れない。
立ち上がった途端、ストンとその場にしゃがみこむ大河。
「どうした?」
「・・・なんか、気持ち悪いかも・・・」
「戻しそうなのか?」
「こう、なんか・・・胃の辺りがきゅっと・・・うぷ」
「トイレに行って来たらどうだ?」
「そこまで酷くない・・・ちょっと休んだら直りそう・・・でも、乗り物とか乗ったら自信ない」
この大河の弱気発言に竜児は進退きわまった。
このままここで夜明かしか・・・でもいつまでも居られないだろう、ここ。
さっきから、チラチラとホテルのポーターらしき人が竜児たちの様子をうかがっていた。
恐らく0時を過ぎたら退去を求められる気がする。
だけど、ここを出て深夜の町をさまようなんて真似はリスキー過ぎた。
一応、竜児も大河も高校生。
万一、補導でもされたら目も当てられないことになる。
・・・困ったぞ。
竜児の困惑が大河にも伝わったのか、大河が言い出した。
「ねえ、竜児。ここホテルでしょ」
「・・・そうか、ここへ泊まれば問題解決・・・」
・・・いいのか?
竜児はちょっとためらった。
いくらなんでもそれはまずいだろうと常識が頭を過ぎったからだ。
仮にも年頃の女の子と・・・いくら相手が親しい大河とは言え、ふたりだけと言うのは不穏当。
竜児的には思いっきりNGなのだが、他に妙案も思い浮かばない。
まさにハワイ旅行が掛かった最終問題の回答を司会者から迫られた心境を味わっていた。
・・・ファイナルアンサー。
竜児の脳内でこだまするみのもんたもどきの声。
竜児はチラと大河を見る。
その大河はひたすら眠そうに竜児を見ている。
竜児と一緒に宿泊するということに対して、無頓着そうな大河の様子に竜児は決断した。
「部屋あるかどうか、聞いて来る」
フロントを指しながら竜児は言った。


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