文化祭を秋にやるというのは、あまりいいアイデアではない。

理由は単純明快。三年生の身が入らないからだ。とくに進学校である大橋高校では、シベリア寒気団とともに迫ってくる大学受験を前に三年生の顔つきが怪しくなっていく頃でもあり、いくら文化の秋とは言え、この時期にお祭り騒ぎというのはどんなものだろうか。

もちろん、三年生を蚊帳の外にして実行すればいいのだが、それはそれ、受験生とて人の子だ。お祭りには参加したい。それに日々の勉強で疲れた心を休めるためにも、ここらでひとつ羽目を外したいという願いもあるだろう。
さらに加えるならば、これは正真正銘、高校時代に彼女を作る最後のチャンスだ。クリスマスに彼女を作っても、受験間近の身ではデートなどおぼつかない。恋人気分を味わったことのない生徒にとって、文化祭は最後のチャンスだ。
逃してなるものか、という三年生も多いだろう。

ま、俺には関係ない焦りだけどな。と、廊下側の窓際でニヤリと笑ったのは高須竜児。

眇めた目の奧には、ぎらぎらと青白く光る白目と、その中央で黒々とした狂気を放つ小さな瞳が収まっている。こみ上げる笑いをこらえているその顔は、いかにも同じ教室に居る生徒達をまとめて両断して新鮮な血を絞り出し、
クリスタルのグラスに注いで食前酒にしてやろうとしているかのようだ。が、そんなことを考えているわけではない。恋人のことを考えていたのだ。

適当にばらけさせた前髪の下に凶悪な双眸を青白く光らせる高須竜児は、見た目と違って暴力沙汰や悪質な非行行為とはまったく無縁である。初めて行くスーパーマーケットではたいてい万引きジーメンにマークされ、警察官とすれ違うと必ず職質を、
それも体格のいい方の警察官から受ける竜児であるが、目を閉じてしまえばごく普通の高校生に過ぎない。

それどころか、生まれたときから母ひとり子ひとりの生活を送って来た上に、幾分頼りない母親を支えてきたために家事の腕前は掃除洗濯お料理どれをとっても超一流。おまけに誰にも優しく思慮深い性格で、どこにお嫁に出しても恥ずかしくない男子高校生である。
ついでと言っては何だが勉強も良くできる。事実、彼が居る3−Aは国立理系選抜コースと呼ばれ、進学校である大橋高校でも選りすぐりの生徒25人を集めたクラスだ。

その竜児に念願の恋人が出来て、早8ヶ月。

相手の名前は逢坂大河さん。誰もがうらやむ美少女だ。わずかにブルーをたたえるミルク色の頬からシャープな顎へかけての優美な輪郭は、ガラスに施した精緻な細工を思わせる。淡く薄い唇は薔薇の花びら。大きな瞳を覆う長いまつげが放つ儚げな印象は、
思わず抱きしめて守ってやりたいほど。体つきは華奢の一言で、公称145cmの人形のように小さなからだは、灰色がかった淡い色の腰まである髪に覆われていて、この世のものとは思えない。いっそ幻想的といいたくなる。

一言で言えば、歩くフランス人形。

宝石のように美しく、朝露のように儚げな彼女を持つ竜児にとって、3年生として迎える文化祭など気分転換以上の意味は無い。悪いが鼻で笑ってしまう。いや、全然期待していないかというとそんなことはない。実のところ期するところがある。
それでもクラス展示には興味はない。だから、教壇に立ったばかりの村瀬には悪いが、早いところホームルームも終わってくれないかなと思っている。

実際そう思っているのは竜児だけではないようで、

「今、北村から話があったように、今年の生徒会は既に学校側との交渉を終えている。大筋は去年と同じだ。残念ながら今年も土曜日1日だけだが、そのかわり、去年と同じくクラス展示、ミス大橋高校、ミスター大橋の得点を競うクラス対抗だ。
優勝クラスにはエアコンの先行施工こそないが、去年同様冷蔵庫が提供され、トイレのコンセントが開放される。そういうわけだから、我が3−Aも頑張ろう」

地味な見た目とは別になかなか熱い語り口を見せる村瀬に対して、クラスメイトの反応はいまいち鈍い。

そりゃそうだ。進学校の進学クラスの秋である。成績が思うように上がらない生徒は焦り、成績があがった生徒も上のクラスの大学を思って焦り、何の心配もない生徒は万が一を心配する季節だ。メイドカフェだの焼きそば屋だのお化け屋敷だの、
ましてプロレス(ガチ)など言っている場合ではない。まかり間違って言い出しっぺになった場合、どれだけ仕事を積まれるかわからないのだ。




やっぱり、時期が悪いだろう。

そう思って視線を横に飛ばす。校庭側の窓際に座っている眼鏡の生徒会長こと北村祐作も、浮かない顔でクラスメイトを見回している。してみると、根回しをしていないというのは本当だったらしい。昨年、先代生徒会長の下で文化祭を盛り上げるべく暗躍した北村は、
他校への宣伝や各クラスとの密な連携、お膝元の2−C内部での根回しと八面六臂の活躍を見せたものだ。北村に限って気のゆるみなどないだろうが、あるいは生徒会の業務が忙しすぎてクラスまで手が回らなかったのかもしれない。

こりゃぁ、HR長引くかな。と、竜児は思う。そう思ったのは竜児だけではないらしく、教室には現代っ子らしい無関心と沈黙が充満していた。が、意外にも案を持っていた奴がひとり。

「じゃぁ、俺はこんなのはどうかと思うんだけど」

さわやかな笑顔を浮かべたまま黒板に向き直ると、村瀬は白いチョークできれいな字を書いた。

「理系展示」

教室がほんのすこしざわつく。そりゃざわつきもする。抽象的すぎて意味がわからないのだから。もう一度見やると北村も意味を図りかねているようだ。やはり根回しは無かったか。それより何より、竜児は村瀬の意外な面に驚く。

村瀬はまじめだし、いい奴だ。家業の病院を継ぐと言って一所懸命勉強している。ただ、積極的に自分からクラスを引っ張るようなタイプではないと思っていた。生徒会にしたって北村同様先代会長狩野すみれから一本釣りを食らって始めたといっていたから、
積極的に参加しているわけではない。部活にも属していない。あらゆることに対して、ほとんどねじが外れているような積極性を見せる北村とは対照的に、村瀬は思慮深くておとなしい、誤解を恐れずに言えばシャイとすら言える。

その村瀬がクラスメイトにむかって展示の提案をしている。それも、仕事を全部負わされるリスクを冒して。
「ちょっと質問があるんだけど」

教室の後ろのほうから声が上がった。振り向くと、男子が一人手を挙げている。

「どうぞ」
「理系展示、って何するんだよ」

そうそう、そこがわからないと頷きながら教卓に視線を戻すクラスメイトに、村瀬は微笑みながら

「いうまでもないけど、俺たちは国立理系選抜コースだ。だけど、自分たちが大学に進学して何をするのか、わかってない人も多いんじゃないかな。実際、おれだって医学部志望だけど、じゃ、医学部で何をするのかというと、よくわかってない。
中には大学卒業後に何をするかすらわかってない奴もいるんじゃないか?」

ご名答、俺はわかってない。竜児は独りごちる。というか、将来の仕事まで決めている村瀬のほうが少数派だ。

「だからさ、いい機会だし理系の大学って何してるんだ?ってのを調べて見て展示してみたらどうかと思うんだ。同じような疑問は親も持っているだろう?だったらどうせ説明するんだから、今調べちまうと一挙両得だ。独りで調べると面倒だけど、みんなで調べれば楽じゃないか」
「調べるってどうやって調べるんだ?」

と、質問したのはさっきとは違う男子。

「1,2カ所、近所の大学の学生課にいって聞いてみるのはどうだろう。そこを始点にして図書館やネットで調べればいい」
「これって、大学の勉強の先取りってこと?」

これは女子。ここに来て、竜児はあれっと思う。賛成とか反対とかではなく、クラスは検討に足を突っ込みかけている。どうやら最初に村瀬が書いたタイトルが抽象的すぎて、質問から検討に誘導されてしまっているようだ。

「そこだよ」

嬉しそうに笑って

「カリキュラムの調査だけしたってつまらないよな。だったら、大学って所は、どんな研究をするところかを調べて見ても楽しいと思うんだ。何でもいいんだよ。自分たちが進む理系って何なのか、学校の勉強だけじゃなくて調べてみようって事だよ」

村瀬が語りかける。



悪くなさそうだな。と、クラスはすでにまとまりかけている。喫茶店じゃないから食材や火の心配はない。プロレスなんて言うふざけた展示ではないから怪我の心配もない。演劇じゃないから役を覚える苦労も衣装を作る苦労もない。人数の少ない国立選抜コースにとって、
人手を要求されない展示は嬉しい。すばらしきナイナイ尽くし。これならちゃっちゃっちゃと終わらせることが出来そうだ。

「ああ、ごめんごめん。俺の案ばっかりしゃべっちゃったな。他に展示の提案無い?」

あるわけがない。

ここに来て竜児は村瀬がかなり周到に計画を練っていたのではないかという疑念を強める。ここまで具体的な案を示された後、自分が言い出しっぺになる覚悟を持って対抗案を提出できる奴は、よほどのあほか、下心のある奴だろう。
だけど残念ながらこのクラスはお勉強のできる子供たちばかりだ。"All"のつづりすら知らないようなアホはいない。さらには、プロモデルのような、はっきり言えば川嶋亜美のような美少女がいるわけではない。別段、あの子にこれを着せたいなどという事前意見もなかった。

下心などない。

「おうっ!」
「高須、何か案があるのか?」

突然声を上げた竜児にクラス中が振り向き、竜児が赤面する。ほんの少し、村瀬の微笑みに緊張が走ったことに気づいた者は居ない。

「いや、申し訳ねえ。ちょっと思い出したことがあって。すまん。お前のそれ、いいアイデアだと思うぞ」
「そうか」

村瀬が嬉しそうに目を細める。

思い出したのだ、恋人である大河のクラスには超絶美少女がひとりいる。大河その人だ。まさか大河狙いでコスプレ喫茶なんて破廉恥な事を企画していないだろうな。

昨年、2−Cの年頃男子生徒のひとりとして、破廉恥にもコスプレ喫茶に賛同していたのは竜児なのだが、それは都合良く棚にあげて、恋人である大河の事が心配になる。すでにクラスの行事なぞ考えている気分ではない。つり上がった三白眼をぎらつかせ、
前の席のクラスメイトの背中を挙動不審に右から左へと視線を走らせる。取り繕うためとはいえ、村瀬案を承認してしまった。

「じゃぁ、代案も無いみたいだし決をとろうか。反対の人、手を挙げて」

誰も挙手しなかった。

「決まりだな。詳細は放課後もう少し話し合うことにしよう。今日は忙しいぞ、ミス大橋高校の候補も決めないとな」

この一言でまた、竜児は動揺する。大河、まさか今年は出ないよな。
クラス展示の話が終わって緊張から開放されたのか、クラスメイトもざわざわし始めた。女子は露骨に嫌な顔
「どうせ今年も逢坂さんよね」
「そうそう、なんだか彼氏できて、またきれいになっちゃったし。うふふふ」

などなど。

衆人環視の下、出来レースのミスコンになど出たくないという意思表明にさりげなく竜児への冷やかしを交える。いろいろ事情があって、竜児と大河のカップルは全校で知らぬ者が無いほど有名だ。気を抜くとすぐ冷やかされる。今日もそう。
顔面を真っ赤にした竜児がカタカタと瞳を震わせながら振り返るとピタリと黙るくせに、前を向くとまたくすくす笑いだ。どうにもならない。

どうにもならない竜児の窮状を救ってくれたのは村瀬だった。

「逢坂さんなら出ないよ。去年の優勝者はさすがに出場禁止だ。ちなみに、プロも正式に禁止したから川嶋さんも出ない。そうそう、福男も同じルールだから、高須は出られないな」

へーそうなんだ、というクラスメイトの呟きをBGMに、竜児も安堵のため息をつく。よかった。

昨年大河がミス大橋高校に選ばれた際、父親が見に来なかったのは全校生徒の知るところだ。だが、そのときにどれほど大河が心の中で血を流したか知るものは、わずかしかいない。もう一度担ぎ出されても、大河は冷ややかな気持ちで自分の傷痕を眺めるだけだったろう。

ほっとする竜児をよそに、盛り上がり始めたクラスはミスコン出場者を決めにかかる。嫌がる女子もいるとはいえ、トイレの電源開放は大きな餌だ。そして、おしゃれに関心のある子ほど、総じてミスコンに近い位置にいる。勉強三昧とはいえ、女の子は女の子。
出来レースでないなら、ステージの上、きれいにお化粧してスポットライトにあたってみたいという気持ちもあるのだろう。

代表に選ばれる心配の無い竜児は、大河のクラスの動向を探ろうと、廊下から伝わってくる声が無いか耳を傾ける。高須イヤーは地獄耳ではない。残念。

目つきだけはデビルだが。


◇ ◇ ◇ ◇


「高須、俺たちの班に入れよ」
「え?」

村瀬に声をかけられて、竜児は当惑を隠せない。だって畑違いもはなはだしい。

「お前んところ、医学だろ?俺、数学班に入ろうと思っていたんだけど」
「いいじゃないか、数学のところは濃い大将がいるだろ。うちも濃い奴がほしいんだ」
「濃いってなんだよ。それにお前が大将なんだろ」
「いや、俺はクラスのまとめ役だからさ。うちのチームだけかかわるわけには行かない」
「そういう細かいところは北村に似てきたな。気をつけろ」

お前も裸族の闇に落ちるぞ。

そう独りごちながら、竜児はちょっと考え込む。帰りのSHRで、「医学」「数学」「物理学」「コンピュータ科学」の4班に分かれることに決まった。各班リーダーを決めて、調べごとをする。数学の得意な竜児は当然数学と思っていたのだが。
ちなみに北村はさすがに生徒会が忙しすぎると頭を下げて班作業を辞退した。責める者がいるわけではないが、であれば、村瀬はどうなんだと思わないこともない。

「おーい、高須。こっち来ないのか?」

数学班の連中は暢気に笑っている。確かに、あちらは村瀬が言うとおり、人材に困っているわけではない。クラスメイトに数学マニアがいて、普段から数学史だの数学者列伝などを読みまくっているため、ここぞとばかりに展示を自分の趣味で染め上げようとしている。
くっついていけば楽そうなので、数学の得意な連中はみなそこに集まっている。

一方、医学班が人手不足なのは一見して分かる。なにしろ敷居が高い。大学卒業まで順調にいっても6年もかかる分野だ。面倒くさいに決まっている。ただ、竜児としては考えどころだ。濃いなどといわれるのは引っかからないでもないが、
一方で「来たいなら来いよ」と「ぜひ来てくれ」では天と地の差がある。どうせやるなら望まれているほうが楽しそうだ。

「ま、俺は医学は分からないが、『分からないからしない』より、『分からないからする』ほうが楽しそうだな。よろしく頼むぜ」
「よし、決まりだな」

村瀬がニコニコしながら言葉を継ぐ。

「医学といっても、血が出るような話ばかりじゃないよ。健康医学とか、食事の話とか、スポーツ医学とか、いろいろだ」

なに、食事だって?食事なら分かるぞ。瞳をぎゅっと小さくして竜児が狂おしく視線を揺らす。偶然目が合った女子が目をそらすが、落ち込んでいる場合ではない。だったら食事を調べようぜ、栄養とか、料理の歴史とか。と、言おうとした所で

「え?気持ち悪くないの?だったら医学班いっちゃおうかな?」

物理学班から少し離れたところで思案していた女子が、こちらに声をかける。教室のあちこちからも興味のありそうな視線が向けられている。

「無理に外科の話をする必要はないからね。父兄や子供も見に来るし、血や内臓の話は無しにしようか」
「そうしよう」
「おう、それでいいだろ」
「じゃ、私医学班!」
「あ、俺も」

あっという間にばらばらと人が集まってきた。医学ってそんなに人気なのか、と竜児は首をひねる。そして食事について調べようという竜児の意見は「家庭科じゃない」と一蹴され、スポーツ医学について調べようということになった。なんだよ、食事も医学だって言ったくせに。

三年になって部活こそないとはいえ、塾に通っている連中は多い。買い物以外時間に都合のつく竜児は、居残って同じ班の仲間と計画をたてることにした。


◇ ◇ ◇ ◇


「大河、お前んところクラス展示なんになった?」
「いきなり何なのよ。『おう』とか『おはよう』とか言ってくれないの?」

少しずつ空が高くなり、ひんやりとしてきた朝の通学路。顔を見るなり食いつくように質問をしてきた竜児に揶揄を飛ばすのはちんまりとした少女。脚を開いて両手を腰にやり、バッグは斜めがけ。
薄い胸をそらして「愛が足りないわ」といわんばかりに見上げているこの少女こそ、竜児の恋人、逢坂大河である。

「おう、すまねぇ。おはようがまだだったな。そいでさ、お前んとこクラス展示なんなんだよ」

いつも一緒に帰るのだが、昨日はクラス展示の打ち合わせがあったので先に帰ってもらったのだ。塾こそ行っていないものの、今年生まれたばかり弟の世話は大河がすることになっている。だから、大河のクラスの展示がなにか、竜児はまだ知らない。
ちなみに大河のクラスは3−B、国立文系選抜コース。お隣だ。

「なによまったく。あんたそんなに文化祭好きだっけ?」
「そうじゃねぇけど、気になるんだよ」

二人並んでいつもの通学路を歩く。木々の葉はすっかり色づいている。二人が長く苦しい日々のあと、ついに心を通じ合わせたのは今年の聖バレンタインデー。それまで大河は竜児のアパートの隣のマンションに住んでいた。

見かけの可憐さとまったく逆に、出会った頃の大河は他者に対する呵責の無い攻撃性を露わにし、全方位360度に殺意を放ち、全世界を敵に回す覚悟すらしているような強烈な女だった。その桁外れの非寛容さ、容赦の無さと、
一風変わった名前、高校生とは思えないちんまりした体つきからついたあだ名が「手乗りタイガー」。

見かけばかり凶悪で、実は象のお母さんのように心優しい竜児。見かけばかり可憐で、実はけだもののように凶暴な大河。

偶然お隣同士で、偶然、互いの友達に片想いしていた二人は、ふとしたことから共同戦線を張ることになった。ふとしたことと言うのは大河のドジとそれに続く高須竜児襲撃事件のことだが。

その大河がいつの間にか半居候になるまでさほど時間はかからなかった。大河は生活能力が限りなくゼロに近いのだ。そして、竜児は困っている奴を頬って置けないたちだった。後から考えてみれば、お約束のように二人は互いをかけがえの無い相手だと想う様になり、
ついにその心のうちを互いに伝えたのが、聖バレンタインデーの夜だった。

実のところ、二人はその場で婚約までしているのだが、それはそれ、まだ高校生である。今はただ、毎日を二人面白おかしくすごしている。変わったのは、大河が竜児の隣のマンションでの一人暮らしをやめ、実の母親の元で新しい家族と暮らしていることと、
少しおとなしくなったことだけ。

そう言うわけで、もともと『手乗りタイガー』『ヤンキー高須』として全校を震え上がらせていた二人だが、バレンタインデーの次の日に学校で二人が駆け落ち騒ぎを起こしたこともあって、全校に知らぬ者が居ないほど有名なカップルである。

「うちのクラス展示『文系って何?』よ。大学で文系の勉強って言ってもぴんと来ないから、調べてみんなで展示するんだって」
「え?」

竜児が眉をひそめる。とりあえずコスプレ喫茶とか、チャイナメイド喫茶などという破廉恥な展示でないことはいい。しかし、あまりにもどこかで聞いたことのある内容じゃないか。

「竜児のクラスはどうなのよ」
「おう、俺のところは、その…」

悪いことをしているわけでもないのに、しどろもどろになるのは

「『理系展示』。理系に進むっていってもぴんとこないし、どうせ親にも説明するんだから、みんなで調べようぜって」

あんまりにも似ているからだ。

「なにそれ!まるっきり同じじゃない」

大河も驚いて目を丸くする。あ、かわいい。

「…あのさ、大河。お前のクラス、文化祭実行委員だれ?」
「ほら、あの子よ。竜児覚えているでしょ?クリスマスパーティーで私やばかちーと一緒に歌った子。あ、名前ど忘れした!」
「書記女史かよ」

生徒会じゃねぇか。日に日に高くなる青空を見上げながら、竜児は唐突に村瀬の顔を思いだす。


◇ ◇ ◇ ◇ 


「高須!」
「おう、おはよう。なんだ、どうした?」

教室に入るなり北村に声を掛けられて返事をした竜児は、クラスメイトの視線が自分に集まっていることに気づいてたじろぐ。あれ、俺何かしたっけ?最初に自分に非がないか問いかけるあたり、竜児の奥ゆかしさが出ていると言える。これが去年の今頃の大河なら、
「なに見てるのよっ!」と、いきなり睨み付けて低い声で「殺すわよ」と恫喝するところだ。今年の大河はそんなことはない。「なに見てるのよっ!」と、いきなり睨み付けて低い声で唸るのが関の山だろう。丸くなったものだ。

「高須、隣の展示聞いたか?」
「おう、道すがら大河から聞いたぞ。『文系って何?』だろ」

そうそう、といった感じにクラス中が頷いて、しんとなっていた教室が再びがやがやし始める。なんだ、と竜児は胸をなで下ろす。俺が何かしたんじゃなくて、何か知ってるかを聞きたかったのか。

「北村、お前の仕込みだと思っていたんだけど、違うのか?」

かまを掛けてみるが、

「馬鹿をいえ、隣のクラスと同じ展示なんて、相談なしにやるものか」

これはハズレらしい。とすると、犯人は…いやいや、ここで犯人というのはちょっと早計に過ぎるかもしれない。なにしろ、隣のクラスと内容がかぶっているのは偶然かもしれないからだ。去年の文化祭など、校内にメイド喫茶が乱立していた。あれだけかぶっていたんだから、
隣のクラスと展示内容がかぶるのだって…無理があるか。こんなマイナーなネタでかぶるなど、ちょっと考えにくい。

「そうか、じゃぁやっぱり」

と、みんなが顔を見合わせたところに、
「おはよう」

丁度村瀬が登場した。
水をうったように静かになる教室。えっ?と戸惑う村瀬。

「村瀬、ちょっと質問があるんだが、いいか」

クラスを代表して北村が話しかける。別にクラスを代表してくれと頼んだわけでもないし、北村も、よし、一丁俺がなどと意気込んでいるわけではない。だが、クラス委員と生徒会長の兼務などと言う面倒なことを平気な顔で自分から引き受ける男だ。
自然、クラスの代表のような空気をまとってしまう。

「何?どうしたんだよ」
「隣のクラスの展示、お前が仕組んだのか?」

そこまでストレートに聞かなくても、と竜児は切れそうな視線を泳がせる。ものには順序があるし、そもそも人間は機械ではないのだから相手の顔色をうかがいながら、といった気遣いが必要だ。だが、北村はわざとやっているのか、
そういった気遣いのようなものを平然と踏み倒してしまうことがある。360度全方位にやたらに気を遣って生きている竜児は、時々北村のこの手の無神経さがうらやましく感じることがある。

北村のストレートな質問に、村瀬は柔らかい、だがちょっと困った様な笑みを浮かべた。

「仕組んだ、と来たか。参ったな。答えはNOであり、YESだ」
「なんだよ、はっきりしろ」

眼鏡の奥の目を怒ったように細めて北村が詰問する。

「そうだな。たいした話じゃないんだが、あっちもほら、文化祭実行委員だろ」

そういいながら、村瀬は自分の机の横に鞄をかけ、顔を上げて机に腰掛ける。『あっち』とは、生徒会の書記女史のことだろう。村瀬は庶務だ。あっちね。と、その微妙な距離感を感じさせる言葉に竜児は妙に引っかかる。

「だから、前、生徒会室でどうしようって話したことがあるんだよ。三年だから、みんな文化祭どころじゃないかもしれないし、誰も提案しないかもしれないってね」
「まあ、確かにその通りだな。毎年3年生の展示はなかなか決まらないし、今年もまだ決まって無いところがある」

と、北村が同意する。

「そうなのか?」

これは竜児。





「ああ、正確には決まっているのはうちと隣だけだ。だからといって、事前に示し合うことは無いんじゃないか?」
「いや、そうじゃない。誰も提案しないかもしれないから、あらかじめ考えた方がいいかなっていう話をしてたんだ。そのときに俺が『理系だし、理系がどんなものか展示したら面白いかな』って言ったら、『そのアイデアもらい!こっちは文系で行く』って言ってたんだよ。
それだけさ。昨日は誰も提案しなかったし、だから前に考えてたことを提案したんだ。隣の経緯は知らないけど、同じじゃないかな」

そうか、そういうことか。と、独り言のようにトーンの落ちた北村と同様、クラスの他の連中も納得する。もともと怒っていたわけではないから、特に食い下がる奴も居ない。偶然隣のクラスと展示の方向が一緒だったというそれだけなのだ。
『今朝、フォルクスワーゲンを2台見たよ』『俺も見た』程度の話でしかない。いきなり詰問口調の北村が大げさ過ぎだ。

だからそれほど気にする必要はないのだが、村瀬は

「なぁ、みんな。もし気を悪くしたんなら謝る。先生からは判を貰っているけど、事情を話せば変えさせてくれると思うぞ」

譲る姿勢を見せる。この辺は村瀬らしいところだろう。もっとも、村瀬自身何も提案がないときのためのアイデアと言っていたからこだわる必要もないのかもしれないが。

村瀬の情報については北村が制した。

「いや、そこまでは言ってない。どうだろう、みんな。ちょっと戸惑っただけだし、村瀬の提案は面白いと思うぞ。まだ来ていない奴も居るから、あとで席の近い奴が説明してあげてくれ。反対いるか?」

誰もいない。何も問題無いだろ?という声が教室の端からあがり、みな同意した。


◇ ◇ ◇ ◇ 


帰りのSHRのあと、何も用の無い連中が集まって、昨日と同じく計画を練った。塾のスケジュールも人それぞれなので、昨日と面子が少し変わっている。あるいは、まったく塾に行っていない竜児や大河のほうが少数派かもれない。

作業中、数学班のひとりが

「いっそ3−Bと共同企画にしたらどうだろう」

と、言い出した。似たような展示を違う方向でやるのなら、タイトルだけでもそろえると面白いかもしれない。

「おお、エレガントな解」

と喜んでいるのは数学班のリーダーの木下。エレガントかどうかは別として、竜児も悪くない意見だと思う。そして、ちらりと村瀬の顔を見る。予想通り、嬉しそうだ。どんな企画にしようか。と、みんなに問いかける。

いやいやいや、と竜児は首を振る。去年、自分と大河の事を人があれこれ噂していたときどうだったか。嫌だったはずだ。だったら、自分もゲスの勘ぐりは止めようじゃないか。そう、言い聞かせて話し合いに注意を戻す。

翌朝、担任に5分もらってクラスに村瀬が共同企画案を説明。特に反対もなく、そのまま昼休みに隣の文化祭実行委員…生徒会の書記女史に打診することになった。付け加えておくと、一番嬉しそうだったのは村瀬じゃなくて担任。先生とは、
生徒が積極性を見せると無条件にうれしいものらしい。

結局、文化祭の準備三日目にして、両クラスの生徒並びに担任同意の下、3−Aと3−Bは共同企画に舵を切った。展示内容はそれぞれ変更無し。特に共同作業も無し。ただ、タイトルが変わる。

3−A「理系の世界」
3−B「文系の世界」

文化祭まで、あと10日。


◇ ◇ ◇ ◇ 


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