奥さまの名前は大河。そして、だんな様の名前は竜児。
 すごく微妙なふたりは、しごく異常な恋をし、ごく普通の結婚をしました。
 でも、ただひとつ違っていたのは、奥さまは虎女だったのです……人間だよ、美人だよ!?


 ガチャ、バタン。
「ただいまー。大河……大河ぁ?」
「きゃは……っ! おかえりなさぁい、竜児っ!」
 だだだだっどす!がん!
「ぐぇ……っ! お、おまえさあ、突進して抱きつくのはいいんだけど、胴タックルに切り替えれば
 いいってもんじゃねえぞ? たしかに後頭部は無事だが、腹と、こ、腰が……」
「っ!? も、もう、愛は冷めたのね……?」
「またですか……だから、抱きついて欲しいよ、俺も。突進もいいよ。だけど加減がなおまえ……」
「ひどいっ! 愛に痛みはつきものだって、あんたが教えてくれたんじゃない!」
「はあ? 俺、そんなことおまえに教えたことなんかねえぞ?」
「嘘っ!? もう忘れたの!? ひどいっ! 竜児ったら、愛してるよ愛してるよって言いながら、
 初めての時あんなに私に痛い思いさせたくせにっ!」
「ブッフオォッ! お、おまえ、それとこれとは話が別だろ!?」
「なんてこと……っ! も、もう、妻の私に二枚舌使うなんて……夜の舌は一枚なのに……」
「おまえの舌こそ減らねえな……だいいちマジで舌二枚あったら俺やべえだろ? 妖怪か!?」
「べ、べつに、私は竜児に舌、二枚あってもいいけど……やさしく舐めてくれるなら……」
「真っ赤になって上目遣いか……愛しくてたまらないが、言ってることはドエロでどうしたもんだか。
 てか、大河……おまえやっぱり、痛かったのか……?」
「えっ? なに? 痛くするの? 舌が二枚だと……ん、でも、私、我慢するよ? 竜児だもん……」
「いいかげん舌の話から離れろ。あと変態話で俺を感動させるな。変なクセがついたらどうする。
 だからさ、大河。そうじゃなくて、その、初めての時だよ……痛かったのか? おまえ、あの時は
 ちょっとだけって、言ってたよな? ……隠してたのか? やっぱ」
「う、ううん、隠してないよ! ……ほんとにちょっと、ちょっとだけ、痛かっただけなの……
 だって竜児、すごく優しくしてくれて、私のゆ」
「わあああああぁぁぁぁ――――――――――っほおぉおぉうっっっ!!」
「わっ!? な、なに!? なんで竜児、急に叫んだの!? や、山びこ!? 山びこすればいいの!?
 わ、わっほー……?」
「ああ、いや、違う。べつにここでハイキングごっこするつもりはねえ、おまえ可愛いけど。
 まあ、うん、とにかく、わかった! ちょっと痛かっただけだって確認できて、よかった!
 初めての時の話はこれでおしまい! さ、メシにしようぜ。キッチンまでウォーキングだ、な? 大河」
「う、うん、いいけど、べつに……じゃ、じゃあさ、竜児。その前に、いつもの……して?」
「おう? い、いつもの?」
「んもぅ! まだしてないでしょ? 忘れちゃやぁだ! だから、その……ただいまのちゅう、して?」
「おう……ただいまの……てかこの流れでか……」
「うん、して? ちゅう……い、一枚舌で、いいから……」
「うはあぁ……お、おまえね、そんな、舌とか、そんな、真っ赤になって、可愛くてたまんない顔して、
 い、言うなよ……」
「はう……っ」
「わあおまえ、ふるふる震えるとか、まで、か、勘弁してくれよ……や、やばいよ、俺、負けそうだ。
 こ、ここで、玄関で、なんて、やばいって……」
「ん……負けて? 竜児、負けて、欲しいの……」
「くそっだめだ! おまえ可愛すぎる! 大河っ!」
「竜児……っ!」
 ピンポーン!
「と、あらやだ、誰か来た」
「うへえぇ!? そんなんありか……!?」
 ピンポーン!
「わ、やばいやばい! 深呼吸深呼吸! すうっ……はー……ちょ!? ちょちょ、ちょっとあんた!?
 それ! どうにかしなさいよ!? どうすりゃいいのそれ!? ジャ、ジャンプ? ジャンプ!?」
「そりゃおまえここ打った時だよ!? やべえ、これ、すぐはどうにもなんねえんだよな……くそっ!?」
 ピンポーン!
「じゃ、じゃあ、いいから! あんたとっとと居間に行って! 隠れてて!」
「お、おう! わかった! く、靴、揃え……ああもういいや! 居間な……よし、オッケーだ……!」
 キィ……パタン。
 ピンポーン! ピンポーン!
「ふう……はぁい、どちらさま……うげ、お母さん……!」
 ガチャ!
「わーお母さーんどーしたのー急にー嬉しーいー」
「なによ、大河。いいわよ棒読みで歓迎のふりなんかしなくても。それよりとっとと出なさいよね。
 いるのはわかってたんだから、気配で」
(げええええっっっ!? お義母さんっ!! さ、最悪だ……)
「ごめんなさい。ちょっとキッチンにいて、お水使ってたものだから、聞こえなくて……」
「へえ、あなたが、キッチン。ふうん……あらやだ、あなたの駄目亭主、帰ってきてるの。
 やあねえ、こんなに靴脱ぎ散らかして。躾がなってないったら。は!」
(……さ、最悪だ……)
「竜児のこと、駄目亭主だなんて言わないで! そんなこと、いくらお母さんでも許さないんだから!
 それから靴を揃えるのは私の仕事。私の躾がなってなかったみたいね、お母さん……!」
「あら、言うわねえ。……へえ、あなたのそんな目、久しぶりに見たわ……結構ね。結構だこと!
 そんなにまで愛されて、幸せ者ねえ、あなたの駄目亭主は」
(っ! お、お義母さん……)
「っ! お、お母さん……だから、駄目亭主って言わないでよね……」
「はいはい。お母さん悪かったわ。言わない言わない。でも、そろそろお出迎えくらいあっても
 良いのじゃないかしら? いくらボンクラ亭主でも」
「お、か、あ、さ、ん……っ!」
「あら。駄目亭主とは、言わなかったわよ?」
(すげえ……やっぱ親娘だ……親娘すぎる……)
「……竜児ぃーっ? 来てぇ? お母さーん!」
(おう……わあまだちょっとやばい!?)
「……竜児ぃーっ?」
(ああくっそ、行くしかねえか、こうなったら……!)
 カチャ!
「ああ、お義母さま! ごっ、ごきげんよう! ご無沙汰しております! せんだっては、
 この家のことでも助けて頂いて」
「ごきげんよう、ようやくのお出ましねこのボンクラ亭主。いいわよ、堅っ苦しい挨拶は。
 どうせ電話でも手紙でもメールでも聞いたことの繰り返しでしょ? あなたいちいち細かいのよ。
 そんな目つきで日々世間さまを脅しつけて平気でいるんだから、もうちょっと図太く
 構えているくらいでようやくつり合いがとれるというものじゃないの。違う?」
「た、大河?」
「竜児、ちゃうちゃう。私はこっち」
「あ、お、おう、そうか。いや、圧倒的な聴覚情報につい視覚が流されてしまったらしい。
 っと、率直なご意見痛み入ります、お義母さま。あのう、それで、今日はどういったご用向きで……?」
「どういったもこういったもないでしょこのボンクラ亭主! 新居暮らしの娘夫婦の顔を見に来たに
 決まってるじゃないの。それともなにかしら? 義理の母が連絡も無しにいきなり顔を
 見に来てはいけないとでも言う気? はっ! なんて冷たい義理の息子なんでしょ!
 大河、あなたのとっつかまえた旦那は目つきどおりの冷血漢よ。とっととわかれるがいい!」
「た、大河?」
「ちゃうちゃう、私はこっち。っもう、お母さん! 竜児はね、見かけは凶悪犯で最低最悪だけど、
 とーっても優しい素敵なひとだってこと、お母さんだって知ってるでしょ!? わかれろだなんて、
 冗談でも言わないでよね!」
「見かけはやっぱそうなんだよな俺……ふっ……」
「はん! どうだか! 大河、見て御覧なさいよあなたの旦那の格好を。帰ってきたというのに
 これ見よがしにカバンなんか抱えたまま私を出迎えに来て、さも『僕は今ちょうど仕事から
 帰ってきたところなんですぅ〜、お義母さんタイミング悪すぎですぅ〜、また出直して来て
 くださいませんかねぇ〜?』なんて言わんばかりじゃないのよ。どう? 図星でしょあなた?」
「おう!? あ、いや!? 違いますお義母さま! こ、これはですね、あ、あのですね……
 (カバンで股間を隠してるんですぅ〜なんて言えるかよ!?)」
「ちっ、違うのお母さん! りゅ、竜児はね、今、仕事に熱中してるの! 仕事に夢中なあまりね、
 カバンを手放せなくなっちゃったの! ふぇ、ふぇら、フェチになったの。カバンフェチなの! 
 カバン抱えてないと落ち着かないちょっと小粋な変態なの! だっ、だから竜児はこうやって、
 大好きなお母さんに挨拶するからって、落ち着いてなきゃって思って、だからカバン抱えてるの!
 だよね? 竜児! お母さん大好きだから、緊張しちゃうんだよね!?」
「うげえっ!? あ、いや、そ、そうなんです、お義母さま。失礼しております。いやまったく
 お恥ずかしい……(そんな言い訳あるかよ大河!? どうだ見たかヅラしてんじゃねえよ!?)」
「あらやだ。大河、あなたの旦那、そんな変態までこじらせているの? というか、いやだわ、
 や、やめてよね。そんな変態娘婿から好かれても、私はちっとも、う、うう嬉しくなんかなくてよ……。
 ねぇ、竜児くんも、仕事を頑張るのはよいけれど、それは早く治しなさいね。カバンフェチだなんて、
 みっともない」
「は、はい! 恐縮です! 治します! すぐ治ります! 5分後くらいに!」
「5分後なんて無理でしょ。もぅ、意気込みだけは一人前なんだから、あなたの旦那は……
 なによ、大河。ニヤニヤして」
「えへへ。だってお母さん、笑ってるんだもん」
「なに? 目の錯覚よ。私は微笑んだりなんかしていません。だらしない笑顔はおやめなさい、大河。
 ……ん、結構。さて……では、わたくし、そろそろお暇するわね」
「えっ!? そ、そんなお義母さま! どうぞお上がりになって下さい! お茶か、よろしければ
 お食事なんかもご一緒にいか」
「はっ! これだけ玄関で立ちぼうけさせておいて、いまさらお上がり下さいもないでしょうよ!
 わたくし、お昼は遅かったし、お茶も済ませて来たところ。だからお茶もお食事も結構。
 まったく間が悪いったら……。よくてよ、どうせ近場に来たから思いついて寄ったまで。
 また日をあらためて出直してくるわ。あなたたちもよく覚えておくことね!」
「そ、そうですか。し、失礼しました……き、肝に銘じます……?」
「はーい。じゃあねお母さん!」
「それでは、大河、りゅ、ボンクラ亭主、ごきげんよう!」
「ごっ、ごきげんようお義母さま! お、お義父さまにもよろしくお伝え」
 ガチャ、バタン……
「くださ、い……?」
「……」
「……か、帰った、のか?」
「うん、帰ったね。お母さん」
「……大丈夫、か?」
「ん? どしたの竜児?」
「……あへ」
「りゅ、竜児?」
「あへあへあへあへあへあへあへあへあああああああぁぁぁぁぁ………………………………っ」
「どっ、どうしたの竜児!? 変な声出して、くずおれてっ? や、山びこ? 山びこなのね?
 あへあへ……?」
「ああ、いやあ、大丈夫だ大河……山びこじゃねえ、おまえ可愛いけど……はあぁ……疲れた……
 お義母さんいきなりなんだもんなあ……」
「ご、ごめんね? 竜児。お母さんには今度から連絡してから来るようにして、って、ちゃんと
 言っておくから……」
「ああ、いや、まあ、いいんだけどさ……大丈夫かなあ、大河?」
「へ? 何が?」
「いや、俺さ、やっぱおまえのかあちゃんに嫌われてんじゃねえか? それが心配でさ……」
「へ? なに言ってんのあんた。お母さん竜児のことすっごく気に入ってるよ?」
「えぇっ!? そ、そうかあ? それであんな口ぶりになるかあ? 駄目亭主とかボンクラ亭主とか」
「なるよ。ほら」
「……なに? なんだ、大河? ニヤニヤしたり、親指突き立てたり」
「私を見たり、しなさいっての。私を産んだのは誰? あのひとでしょ? ほら、私だって、
 高校で出逢った最初のころから、もうあんたのこと大好きだったってのに、
 さんざん犬呼ばわりとかしてたでしょ?」
「おう、そうだな。今でもたまにされるけどな……てことは、あのお義母さんの悪口も、
 同じだっておまえは言うのか? なんてか、好意の表れ、ってやつか?」
「そうよ。お母さん男のひとにあんな口叩くの、あんたの他は今のお父さんくらいのもんよ。
 お母さんお父さんのこと愛してるから、つまりあんたのことも、愛してるとまでは言わないけど、
 特別、気に入ってるってこと」
「おう、そうか。まあ、そうだといいんだけどな……」
「そうだといいじゃない。そうなの。嫌われてたらあんた、最初のころみたいにばっちり他人行儀か、
 完全無視よ。ウチの血筋は」
「そうか……うん、わかったよ、大河。信じるよ、おまえを」
「竜児……」
「あー……でもそうなら、やっぱお義母さんに上がってもらった方がよかったかなあ? なあ大河、
 おまえはどう……あら、おまえ、うちゅーって、いつからタコちゃんだ……?」
「……さっきからよ」
「おう、そうか、すまねえ……」
「ぷいっ」
「な、なんだよ大河。キス、いらないのか?」
「いらない。ぷいいいーっ!」
「ど、どうしたんだよ、なあ? 大河。そんなぶんむくれて、ふくらんだほっぺも可愛いけどよ……」
「ふっ、ふるふるなんかさせても、駄目なんだから! なによ、もう! お母さんお母さんって、
 そんなに好きならお母さんとキスでもすれば!? ぷいいいいぃぃぃ――っっ!」
「おまえ……」
「な、なによっ?」
「大河……」
「だ、だからなによっ?」
「大河……」
「なによ、ほっぺた撫でないで!」
「大河……大河。大河。大河、大河……」
「なによ……っ! なによ、そんな、や、優しい声で、いっぱい名前呼んだって、だ、だめなんだから……
 そんな、竜児、いっぱい、大河って、だ、だめ……いっぱい、だめ……」
「大河……」
「りゅ、竜児……っ。声、好きなんだもん。だめ……っ」
「大河……」
「わーん! ひどいっ! 抱っこ! 抱っこして! お、おかしくなるの!」
 ぎゅ……っ
「大河……」
「ひどいの、竜児、ひどいの。その声で、いっぱい優しく、されたから、私、だめなの……
 だめに、なっちゃうんだから……」
「この声はおまえだけのものだよ、大河」
「っ! りゅ、竜児……っ」
「だからさ……やきもちなんか焼くなよ、な? 大河」
「うん、うんっ。やきもち、焼かないよ? 竜児……っ」
「……あ、いや。やっぱたまに焼いてくれ、大河。やきもち焼くおまえ、すげえ可愛いからさ」
「う、うん……っ。じゃ、じゃあ、たまに、焼く……」
「よし、じゃあ……おまえの唇、俺にくれよ、大河」
「っ! は、はい……っ」
 ちゅ。
「……ただいま、大河」
「っ! お、おかえりなさい、竜児……っ。その……忘れて、なかったの……?」
「忘れるわけがあるか。……よし、ようやく笑ってくれたな?」
「だって、竜児がニコニコしてるから……ね、竜児。もう一回、して……」
「お、おう……」
 ぐきゅるるるるるるる〜〜〜〜〜〜っ!
「あらやだ。……ちょっとあんた、笑いすぎ……笑いすぎだってば、もうっ! あんたって最低!
 愛してるけど」
「……いや、すまねえ。おまえのお腹の虫にはかなわねえわ」
「もーっ! かなわないって、なによ!?」
「だっておまえ、そいつも俺たちのキューピッドじゃねえか」
「っ!」
「な? そいつが鳴って、俺はチャーハン作ったんだ。真夜中に、おまえのために」
「うん、うん……っ」
「さ、じゃあ、メシにしよう。な? 大河」
「うんっ! ……あ、そういえばね、竜児」
「おう、なんだ?」
「お母さんだけど、よかったのよ。あれで帰ってもらって」
「おう……どうしてだ?」
「お母さん、すぐ帰るつもりで来たのよ、初めっから。じゃないとこんな、夕食時になんか
 顔出さないわよ。あれはお母さんの手。どうとでもできるように狙って襲撃してきたのよ。
 お昼遅かったとか、お茶も済ませたなんてのもたぶん嘘。お母さんいまごろご飯食べてるはず」
「はああああ……やっぱおまえのかあちゃんにもかなわねえわ……」


***おしまい***






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