【リップサービス】

 夕食の後片付けを終えた竜児が、居間に座り込むのを待ちかねていたように大河が話しかけてきた。
「ねえ竜児。竜児は料理するの好きなのよね?」
「おう。そりゃ勿論」
「竜児は掃除が大好きだよね?」
「当たり前だ。なんでそんな今更なこと訊くんだ?」
「う、うん。…あのさ、好きって具体的にどれくらい好き?例えばそう…何かと比較して」
「比較とか言われてもなあ。
 …そうだな、前にお前、学校のロッカーにいちご牛乳ぶちまけたことがあったろ?
 あの時、実は能登や春田たちに1年女子との合コンに誘われてたんだけどさ。
 でも俺にとっては、大河のロッカーの掃除の方が大事だったから」
「ふ、ふうん。…ね、もし料理や洗濯ができなくなったら、竜児どうする?」
「そ、そんな恐ろしいこと、考えたくもねぇ!
 俺にとって家事は呼吸みたいなもんで、生きていく上で絶対に必要なもんだ!
 なんだろうな、自分で言うのもなんだけど、この気持ちは、もう俺にとっては本能みたいな
もんっていうか…魂に刻み込まれちまってるんだと思う。
「そんなに家事が好きなの?」
「好きだとも!好きで好きで、大好きだとも!
 この気持ちを表すのに「好き」なんて言葉じゃあ全然足りねえよ!」
「ふんふん」
「高須棒でな、こう、隅から隅まで入念に、優しく、慎重に、しかし決して見落とさず、じっくり
たっぷりねぶりあげるよーに…」
「ふんふん」
「――料理は作るのも食べるのも楽しいが、やはり誰かに食べてもらえることが嬉しいな。俺の料理を
食べて、おいしいって喜んでくれるとすごく嬉しい。それから……」
「ふんふん」
 その後、いつになく穏やかに聞き役に徹する大河を相手に、いやむしろ水を向けられて、竜児は滔々と
『自分が如何に家事を愛しているか』について語りとおしたのであった。


  * * * *


「〜〜♪〜〜♪」
「大河?」
「……!////〜〜♪」
「大河…おい大河!」
「……なによぅ。人がせっかく至福の一時に浸ってるってのに」
「まあ楽しそうなのは傍から見てもわかるんだが…」
 休み時間。
 机にうつ伏せになって「うふふ」「えへへ」と奇妙な笑い声を立てている大河の奇行っぷりを放置も
できず、竜児は心境的には爆発物処理班な気分で対応していた。
「なんだかえらく機嫌よさそうだが…なんかあったか?」
「〜〜〜♪〜〜♪♪♪」
「聞けよ!ってか聞いてんのか人の話!?…って」
 長い髪に隠れて気づかなかったが、大河の耳にはイヤホンが付いていた。
 コードの先を辿ると、手元のiPodに行き着く。
「もしかしてそれ、午前中ずっと聞いてたのか?授業中も?」
「……聞く?」
「お、おう」
 意味ありげにニヤリと笑う大河に不気味なものは感じたものの、聞かないわけにはいかないだろう。
 大河の変な態度の原因であるし、正直、好奇心もある。
 大河はポケットから携帯用ミニスピーカーを取り出すと、イヤホンの代わりにそれを繋いだ。
 スイッチが入り、近くでなければ聞き取りにくい音量で、しかしひどく聞きなれた声が再生される。



「ねえ竜児。竜児は『私のこと』好きなのよね?」
「おう。そりゃ勿論」
「竜児は『私』が大好きだよね?」
「当たり前だ。なんでそんな今更なこと訊くんだ?」
「う、うん。…あのさ、好きって具体的にどれくらい好き?例えばそう…何かと比較して」
「比較とか言われてもなあ。
 …そうだな、/能登や春田たちに1年女子との合コンに誘われてたんだけどさ。
 でも俺にとっては、/大河/の方が大事だったから」
「…ね、もし『私に嫌われたら』、竜児どうする?
「そ、そんな恐ろしいこと、考えたくもねぇ!
 俺にとって『大河』は呼吸みたいなもんで、生きていく上で絶対に必要なもんだ!
 なんだろうな、自分で言うのもなんだけど、この気持ちは、もう俺にとっては本能みたいなもんって
いうか…魂に刻み込まれちまってるんだと思う」
「そんなに『私が』好きなの?」
「好きだとも!好きで好きで、大好きだとも!
 この気持ちを表すのに「好き」なんて言葉じゃあ全然足りね……

「止めろおおおおおおおおおおおおおおっ!!
 ってか止めてええええええええええええぇぇぇぇ!!」
 MS5(マジで死んじゃう5秒前)という必死な悲鳴を上げて、竜児は強引にiPodをもぎ取った。
「ああっ何するのよ!人が昨夜徹夜で編集した竜児らぶらぶ音声集!」
「作るな!編集するな!徹夜すんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
 畜生これ昨日の会話か!何か変だと思ってはいたが、こんなこと企んでやがったかこの虎!」
「ちなみにこの後は高須棒で私の身体を隅から隅までという展開」
「お前は何を言ってやがるんだこの変態痴女!」

 どごっ!

「……乙女に向かってなんてこというんだこのエロ駄犬」
「……乙女はこんなストーカー気質な音声集、作ったりしねーよ…」
 床の上でくの字になって痙攣しながらも、ツッコミは忘れない竜児である。
「なによ。大体、竜児が悪いんだからね」
「こんなこっぱずかしい音声ファイル作られた上に拳を手首まで鳩尾に突き刺されて、なおかつ俺が
悪いのかよ…?」
 床の上からのもっともな意見に、クラスの皆もうんうんと頷く。
 だがしかし。虎は決して孤立無縁ではなかった。

「あーらしを、おーこして♪」
「すーべてを、こーわすの♪」

 歌は工藤某なのに振り付けはWi○kという謎な往年のアイドル風味でみのりん&あーみん見参。
 ネタが古目でチョイスの理由が意味不明な芸風は、相変わらずである。
 そんな二人に、復活してきた竜児は一応、訊ねた。
「櫛枝はともかく川嶋…お前恥ずかしくないのか?」
「い、いわないで!今、じわじわと『やっちまった』感ヒシヒシ来てるんだから!」
「うわっはっはっはっは!口は悪いが情に篤くて付き合い良いナあーみん!…フフフ、可愛いぜ?
 それはそうと高須くん、後で土下座」
 亜美という新しい相方を得て、その妙な芸風に更なる磨きをかけているともっぱらな櫛枝実乃梨嬢である。
「で、高須くんは大河に対する思いやりも不足。
 大河がまるでゆりちゃん先生みたいな一人上手で痛々しい行為に突っ走ってしまうのも…欲求が
不満してるからに他ならないゼ?」
「そうよ?高須君ちょっと想像してみなさいよ?
 深夜独りでパソコンの前で、ニヤニヤしながら猫背になって音声編集に勤しむ逢坂さん…
 うわキモッ!マジでちょっとこれキモ!!
 …………ごめん、本気で痛々しすぎて…もう何も言えない」
「た、大河……ッ!?泣くな!生きろ!」
「ううう……私も実はちょっと自分でもキモとか思ってたし…はっきり言われるとやっぱり私って…
 欲求不満なのかな?」



 孤立無援ではなかったが、味方からの援護が誤爆な逢坂さんです。
落ち込む嫁を当面の敵(のはず)な旦那様がとりなそうとしているのを意味ありげに見ながら、
二人は続けてきた。

「まああれだよ。高須くんが大河のこと大事にしていることは、疑いないことだけどさ。
 見えない所や小さな所まで、細々と配慮して、いつだって見守って慈しんでるのは承知してますよ?」
「でもねぇ。高須君、ぶっちゃけ不器用で口下手で、リップサービスが足りてないのよ。
 まあその素朴で実直な優しさが高須君の良い所だとは思うんだけど。
 あれよね。無言実行ってやつ。高須君、古風だから。
 なんか調子いいことぶっこいて、適当にご機嫌とりとか不実に感じるタイプ?
 面と向かって「お前が好きだ」なんて気恥ずかしくていえないけど、誰よりもお前のことが大事
なんだって胸に秘めてる忍ぶ恋こそ、って葉隠れだっけ?」
「……なんだそのマンガに出てきそうな恥ずかしいのは。
 人のことを勝手に評価して決め付けるなよな」
 得意げに述べ立てる亜美から視線をずらし、竜児は不機嫌そうに呟く。
 そう言いつつも、実のところ思い当たる節はいくらでもある竜児である。
「だけど…俺たち、互いに自分の気持ちに気づく前に、友人…というか、家族みたいに馴染んでしまったからさ。
 確かに、大河に対してぞんざいな物言いは多いけど……俺たちにとってはそれが一番、自然っていうか」
「だ〜〜〜まれシャーラーップ!」
 ヨロイ元帥みたいな節回しで、実乃梨はずびし!と竜児の眼前に指をつきつけた。
「高須くん!高須くんは大事なことを忘れてる!失念してる!ボケている!
 大河はね、普段はすんげーツンダクダクのデレ抜きだけど、性根のところは寂しんぼの甘えん坊
なんだよ!
 たとえ普段どんだけ高須くんのことを犬だのエロ駄犬だのグズでノロマで鈍くさい顔だけヤンキー顔面
凶器のエコロ爺なしみったれのオバサン根性、脂性で油足で体臭きつくてさわるとヌルとした中年体質の
ゴキブリ以下の変質者一歩手前というかほとんど変質者のきれい好きを通り越した家事の変態しかも
黒乳首ゴミレーズン!とか言っていたとしてもだね…
 っておよ!?
 なんで高須くん、いきなり机の下で体育館座りしてるの――!?」
「りゅ、竜児!?泣かないで!
 ちょっと罵詈雑言しこたま並べ立てられるなんて、いつものことじゃない!!」
「いや〜〜…そりゃ今はチビ虎とラブラブだとしても、実乃梨ちゃんは初恋の相手じゃね?
やっぱ特別な存在だと思うよ?
 その人に言われると…攻撃力、あると思う」
「りゅ…りゅうじい〜〜〜!」

 机の下で、ワックスがけのときについた微かな床の模様と友達になろうとしている竜児の腕に、大河は
取り縋る。

「竜児!さっきみのりんが言ったことは全然本気じゃないし!誇張だし!
 私だったらアンタ相手にあんだけ語彙費やすのもバカらしいから本当に言ってないよ!?」
「チビ虎…それはそれでヒデェよ…」
「うっさいばかちー!
 そ、それにね、それに……そうだ、私、竜児の黒レーズン、本当はね、本当は…好きだから!
 あの時はいきなりでびっくりして、つい照れ隠しにひどいこと言っちゃったけど…
 だだだだっていきなり竜児の裸とか見せられて、動転しちゃって、つい心にもないことを…」
「た…大河〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「りゅうじぃ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 ひしっ!

「……そんなんで復活していいのかね、高須くん…?」
「つっこまないよ。私はつっこまないからね」

 相変わらず周囲の目も気にせず互いの愛を確認中なバカップルから眼を逸らし、こめかみを抑える
友人ズである。
 というか、問題になるのは黒レーズンだけなのか高須竜児?



「でも竜児、これでわかったでしょ?
 たった一言で救われることもある。そんな力が言葉にはあるの」
「おう…言葉ってトゲが生えてるのな。使い方次第で、ペンは剣以上にえげつない暴力になるって、よくわかった」
「うわ、微妙にわかりあえてねぇ!」
「そのくせ物事の一端は的確に捉えてやがる!」
 そんな仲良し四人組を生温かく見守るクラス一同。
 無論クラスの仲間として、微笑ましく思う気持ちはある。
 でも、まあ、そろそろ落ち着いてくんないかなーそろそろ弁当にしたいんだけどー、とも思っているが。
 そのクラスメイトの心の声が聞こえたわけではないだろうが、珍しく実乃梨が軌道修正を図ってきた。
 こほん、と咳払いなどして姿勢を正した実乃梨は、穏やかではあったが滅多に見せない、真面目な
顔をしている。
「…とにかくだね高須くん。この件で大河が寂しい思いをしているということは、わかってもらいたいんだ」
「寂しい…?」
 思わず竜児は大河を見るが、その視線から大河は居心地悪そうに顔を背けた。
「高須くんが大河をどれだけ大事にしてるか、どんなに大河を想っているかなんて、それはもう十分に承知してるよ?」
「というか、毎日胸焼けしそうなくらい見せ付けられてるけど」
 会話の流れの邪魔にならない程度に、小さく亜美がクラス全員の心の代弁を務める。
「…正直、恋愛経験皆無な私がアツアツのお二人さんに偉そうなコト言えないなぁって思うんだけど。
 実際、高須くんは本当、良くしてくれてるから。
 傍から見ているだけで、わかるよ。
 高須くんの視線は、ちょっと離れていてもいつだって大河のところに戻ってくるし、そうやって大河を見守ってる高須くんは、とてもやさしい目をしてる」

 だから、彼方の本当の気持ちが誰に向いているか、なんて。
 ずっと前からわかっていたから。

 それは決して心の内から零れ出ることはないから、誰にも届くことはない言葉。
 でも、長身の友人は、そっと実乃梨の横顔を見つめていた。
「――だから大河が寂しい思いをしてるって言われても、ピンとこないとは思うんだ。…いや、寂しいというか、物足りない…なのかな?」
「物足りない…?」
 頭を傾げる竜児を見やり、実乃梨も少し間を置いた。
 自分の考えをまとめ、伝えたいことを表現するにはどうすればいいのか、考える。
「例えば――ほら、登校中に君たちと一緒になった時、私、「大河は今日も可愛いね」とか言うでしょ?
 私と高須くんじゃニュアンスが全然ちがうけど…要は一言、普通の会話にスプーン1杯と半の愛情を加えるのだよ?」
「おう……」
「イマイチわかってないって顔ね」
 わざとらしいため息と共に、アメリカンに亜美が肩を竦める。
「なんでそんなこと、とか、意味あるのかそれ?とか思ってるんでしょ?
 そ・れ・が、ダメダメだってーの。
 意味なんか無くていいの。っていうか、そんなの後からいくらでもつけられる。
 まあ…ぶっちゃけ、大した意味はないから。形だけのものだし。
 でもね?
 その形だけ、ってのが時に必要なこともあるわけ。
 我侭で横暴で、欲張りなのはなにもそこのチビトラに限ったわけじゃない。 女の子はみんな、そんなとこあるんだから。
 だから、チビトラがこんな独り上手なモノに走っちゃう気持ちもなんとなくわかっちゃうんだ。
 大事にされてるのはわかってる。でももっと大事にしてほしい。
 傍にいてくれるのもわかってる。それでも、もっと近くにいてほしい。
 大好きだよって、可愛いよって、自分をもっと褒めてほしい。甘い言葉をささやいてほしい。
 眼に見える『カタチ』でその気持ちを伝えて欲しい。
 いつも見えていないと、不安になってくるから。
 見えていれば安心できるから。
 バカみたいに単純だけど、シンプル故にわかりやすくて、だからこれが結構、強いワケ。
 こーゆーのって、理屈じゃないからね。
 ホント、…ただの欲求だから」
「おおう…」
 瞳に敬意の色を見せて、大河は亜美の両手を自分の小さな手で、ぎゅっと包み込んだ。
「自己顕示欲の塊のアンタが言うとすごくわかりやすいというか実感こもりすぎてこえー」
「ウェイ!?あたし今ちょっとイイコト言った?とか思ってたのにそういう評価!?」
 ちょっとだけオンドゥル語に目覚めかけた亜美であった。
 そんな彼女を気遣う気持ちは皆無ではなかったが、今は自分たちのことを優先させてもらう
ことにして、竜児は大河に問いかける。



「今、櫛枝と川嶋が教えてくれたことは…そうなのか、大河?」
「う……ん。というか、実のところ、私も今の説明を聞いて、あ、そういうことなのかなって思ったとこ。
 というか、そんなに深く考えてのことでもないし。
 私はただ、竜児にはちょっと照れくさくて恥ずかしがるような台詞を言ってもら…」
 言葉を途中で止めて、大河は少し考え込んだ。
「そっか。…そうか。…そうだったんだ。やっぱり私、ちょっとさみしかったのかもしれない」
「さみしいって…なんで!?」
 決して怒っているわけではない。だがそれでも竜児の声は常に較べて少しだけ、大きくなった。
 ――大河の、17年の人生で抱えた孤独の深さをを垣間見て、彼女の負った傷の深さと痛みに慄いて、
そして、何よりその痛みに慣れきって、麻痺して、痛みを痛みとして感じることすらできなくなった、
乾ききった心を感じてしまった。
 理解はできなかった。でも、知ってしまった。
 大河の傍に居続ける。
そうしたい気持ちは、そう決めた理由は、他にいくつもあるけれど、
「あいつにさみしい思いをさせたくない」という願いは、竜児の中で決して小さなものではなかった。
 それなのに。
「竜児のせいじゃない。
 多分、これは…私が欲張りなだけだって思うから」
 暴君・手乗りタイガーとしては小さくて穏やかな声だった。
「…竜児と出会って、竜児が一人ぼっちだった私の傍にいてくれて。
それだけで、私は幸せだった。
みのりんのことが好きな竜児を好きになって。
もう一緒にはいられなくても、近くで、竜児を見ていることができればそれでいいって思った
こともあった。
竜児が私を好きになってくれて、私もやっぱり竜児のことが好きで、一緒に同じ道を歩いていくって
誓い合って、私は本当に幸せになれて。
私はもう、これ以上ないほど幸せになれたのに。
ホントだ…ばかちーの言うとおり。私はほんと、欲張りで貪欲だ。
私、もっと幸せになりたいんだ。
もっと竜児に、私を好きになってもらいたいんだ。
だから…もっともっと好きだって言って欲しいんだ。
もう十分幸せなのに、それでも欲しいって、さみしいって。
ほんと、…際限ないね」
ハハ、と乾いた笑い声を大河は上げた。
笑うしかないといった笑いだった。
まったく、自分は結局、どこまでも竜児に縋っていくだけなのか。竜児の優しさにどっぷりと甘えてるだけなのか。
こんな様で、対等だといえるのか。竜と虎は対等で、だから並び立てるのではなかったのか。
竜児が私にくれたものに対して、私はそれに見合うだけのお返しができているのか。
それなのに、自分ときたら更にこんな独り遊びまでして、もっと欲しがって。
「なにやってんだよ、ホントに」
それは、自分ではなく竜児の口から零れ出た。



「意味わかんねぇ。どうしてもわかんねぇ。
櫛枝。先週、大河がさ、いつもと違うリップ、使ってたんだよ」
「ほうほう?」
「俺さ、そのことにちゃんと気づいてたんだよ。リップ変えたのかって、大河に言ったんだよ。
……なのにさ。なのによ。
変えたのか、って言って。それだけなんだよ。
新しいのもいいな、とか、その色もなかなかだな、とか、そんな気の利いたこと、言わなかったんだよ。
そういうこと、思い付きもしなかったんだよ」
「あちゃ〜〜〜〜〜…高須くん…そいつぁ、朴念仁にもほどがあるっすよ」
「うっわ、気づかないならまだ鈍感で済むけど、気づいてて思い付かないって…どんだけ…」
「自分で自分がわかんねぇ。なんでそんなことに気がつかないんだ。
一時が万事で、そんな気の利かないことが他にもあるんだろうな、俺。
なにやってんだよ、ほんとに。俺って奴は!」
そう言って、この鈍犬野郎は右手で顔を覆ってノロノロと天井を仰いだ。
まただ。
まただ。
また一つ、竜児は、わかってくれた。
人は万能には程遠い。
どんなに近くにいても、どんなにわかってもらいたくても、理解してもらえないこともある。
わかってくれない竜児に苛立って、ケンカすることも幾度もある。これからもあるだろう。
でも、と思う。
竜児は最後には、絶対にわかってくれる。鈍いけど、わかってくれるのだ。
私のことを、わかってくれるのだ。
「まったくよ。何をやってんだか」
そう。私も竜児も、なにやってんだか。
まったく、いらないじゃない。あんな音声ファイル、作る必要ないじゃない。
「…ごめん、大河。お前がいうとおり俺って本当、鈍犬野郎だわ」
こんなにも私を思ってくれる竜児の気持ち、カタチにしなくったってわかるじゃない。
最初っからわかってたことじゃない。
まあ…でも、カタチにしてくれるなら…いってもらいたい台詞とか、色々あるんだけど。
えへへ。やっぱり生で言ってくれる方が…
「……大河。お前、なんか今、矛盾しつつもこう、邪なこと考えてねーか?」
「なんでそんなことばっか敏いんだグズ野郎!?」
「考えてたのかよコンチクショウ!!ちょっとは自分の果て無き貪欲さを反省したかと思ってたのに!」
「う…そ、それは、その…」
さっき自分の欲深さに落ち込んだばかりだというのに、竜児と自分は本当に対等なのか、疑った
ばかりだというのに。
「ま、俺もお前のこと、毎日どんどん好きになってるから、お相子ではあるんだけどな」
「え?」
え。え。え。
コイツ、イマ、ナニイッタ?
「そっ…それだ高須きゅん!その意気だっ!そんな感じだよその感じ!」
「う〜〜〜ん…意図した発言じゃないからこそ、とは思うけどね」
ばかちーがなんかいってる。いや、それも一理あるとは思う。
思うけど。
「バカ犬…今の台詞、リピート!ワンモアアゲイン!」
「なんでだよ!」
「録音する!そして夜、寝る前に10回くらい聞き倒す!」
「うわコイツ本気だ!!しかも開き直ってる!!?」
「やかましい!てか、そういえば私のiPod、いい加減かえせ!返却しろ!」
「おう?そういえば…あれ?」
ポケットを探って、竜児は目的の物が無いことに気づいた。
というか、あの恥ずかしい編集音声に耐えられず、らしくもなく力ずくで奪って…
それからどうした?

記憶が無かった。というか、考えもしなかった。
一体、どうしたのか…?



『あなたの恋の応援団!』

悩む竜児の頭上で、最近すこし音質が悪くなったスピーカーから失恋大明神こと親友の声が流れ出していた。
気づけば昼休みも半ば近くまで過ぎてしまっている。
『こんにちは。今日も始まりました皆さんの恋を応援するお昼の一時。
失恋大明神こと生徒会長・北村祐作です。
今日はつい先ほど届けられた緊急特別投稿を紹介したいと思います』
生徒会の放送は、既にお昼おなじみのものとなっている。
いつもの平凡な昼の情景。
しかしなにか不吉なものを感じ、竜児は古びたスピーカーを見上げていた。
『え〜絶対匿名希望のA美ちゃん稚内さん…ってわかる人にはバレバレやんけー!さんからの獲れたてピチピチ産地直送投稿です』

「あーみんどういうこと!?ってはっ!既にいない!!」
「みのりん…すごいわざとらしい」
「っていうか櫛枝。お前も一枚噛んでるかもしかして?」
 いや一番の問題は、超移動すぎだろあーみん?ってとこだが。

『祐作、ちょっとおもしろいかもしれないネタ拾ったから協力しろ。…少しは隠す努力して下さい、
A美ちゃん以下略さん。
――え〜、私のクラスメイトにすっごく恥ずかしいバカップルがいるのですが、この度、その
バカップルのちみっこい方の馬鹿がおバカなものを作ってきたので、つい、投稿しちゃいまいた。
ちなみに、私はこれからちょっと仕事で海外に行ってきますので、ほとぼりが冷めるまで
帰ってこないからね。……すばらしいブラックストマックぶりだな、亜美!』
                                        
お前も隠してねーよ北村!つか、まさか…?

『彼氏のリップサービスが足りてないと、日々不満を抱えてる彼女。
彼女にそんな不満を抱え込ませてしまっている無粋な彼氏。
そんな二人に一つの手本として、この音声ファイルは役立つかもしれないと思い、投稿します。
――と、いうことらしいので、これも恋に悩む若人に、一筋の光明になってくれることを望んで、
お送りしたいと思います』

「まて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!きたむら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
『あ〜〜、高須、すまん!でも、おもしろそうなもんで、つい』
「つい、で親友を売るなあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

悪鬼のような極悪面を本当に危険に歪め、竜児は絶叫しつつ教室を飛び出していった。
もちろん向かうは放送室、狙う的は失恋大明神。

「…大河は行かないのかい?」
「んんん〜〜〜〜…竜児、アレが流れたら、もう退路なくなると思わない?」
「深慮遠謀すげぇな大河…!」

割とのんびりとした空気で語らう親友同士。
そしてその周囲では、やれやれようやく飯にできると普通に昼食を始めるクラスメイトたち。
ようやく平穏な昼の一時が始まろうとしていた。

『ねえ竜児。竜児は『私のこと』好きなのよね?』
『おう。そりゃ勿論』

「せめて、名前は修正して流せ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

……そんな悲痛な叫びが、廊下の奥で響いていたようではあったが。


<なし崩しに了>





作品一覧ページに戻る   TOPにもどる
inserted by FC2 system