診察室の中には某公共放送のニュースキャスターが勤まる雰囲気を漂わせた医者が、ついさっきまで当直室で寝てましたと言う様子を見せずに座っていた。
「どうしました、逢坂さん」
診察台の上に置いてある真っ白なカルテに書き込まれた名前を見ながら大河を一瞥する。
もはや答える気力も無いのか大河は車椅子の上で気息奄々、はあはあと肩で息をしていた。
「急にお腹が痛いって言い出して」
大河に代わって竜児が症状を説明する。
夏休みの最中の夜中、大学病院の救急外来へ竜児と大河は来ていた。
夕食の時に食欲がないと言っていた大河は夜が更けた頃、急な腹痛を訴え、苦しみ出した。
・・・死ぬかもと言う大河の台詞が冗談に聞こえないほど、深刻そうな様子。
うろたえながらも竜児は大河を抱えるようにしてこの病院に駆け込んだのだった。

「腹痛ね。吐いたり、下ったりした?」
大河は首を振って、違うと意思表示。
「じゃ、ちょっとお腹見るから、横になってくれる」
上半身がふらふらと揺れ大河は車椅子から立ち上がれず、足元がおぼつかない。危うく倒れそうになるのを見て、医者は看護師を呼び介助を依頼した。
大河が横になると、医者は振り返り「ご家族の方?」と竜児を呼ばわった。
大河は家族みたいなものだから、そうだと答えても良かったが、事実ではない。何と答えるのが適切かと少しだけ竜児は考え込んでから答えた、「友人」ですと。
「じゃ、お腹見るから、外で待ってもらえるかな」
家族でもなければ、診察時に追い出されるのは当然か。竜児がそう思って出ていこうとすると、
「ま、待って」
苦しげな大河の声。
お腹が痛くて苦しいだろうに、ベッドの上で無理矢理、上半身を起こそうとする。
「ここにいて」
浅い息の下から、かろうじてそれだけを言う。
「お腹、彼に見られるけど大丈夫?」
一応、医者が警告する。
恥ずかしいと言う思いはあるものの、見知らぬ診察室で一人きりになってしまう心細さが上回り、大河はコクンと頷いた。
医者は目線で竜児に在室を許可すると、「ごめんね」と言いながら大河のお腹へ手を伸ばす。
医者の手元が見えない場所まで竜児は下がり、それでいて大河から見える位置に立った。
医者が大河のお腹を「ここ痛い?」と押すたび、大河は痛そうに表情を変える。
大河の額に浮かぶ汗がその辛さを物語っていて、竜児は直視するのが忍びなかった。
それでも、時折、視界の中に竜児を見つけて、表情を和らげる大河。
竜児はそんな大河のためにも目を逸らさないと決め、じっと診察が済むまで見守り続けた。



「念のため、ちょっと検査してみようか」
診察を終えた医者は手早く、検査伝票を作り、看護師に指示を出す。
「生化学と尿検、至急でやってもらって」
「じゃあ、逢坂さん、こちらです」
看護師が車椅子に移った大河をそのまま押してゆく。
そして、そのまま付いて行こうとする竜児を医者は呼び止めた。
「ちょっと、聞きたいことあるから」
「はあ、何でしょう?」
去って行く大河を気にしながら、竜児は診察用の椅子に座った。
「簡単な検査なんで、すぐ戻って来るから心配は要らないよ」
竜児の一番の気がかりを医者は一言で解消する。
「それで、大河は大丈夫なんですか?」
「今の段階で僕が一番心配してることがある」
「まさか、何か悪い病気じゃ」
竜児は医者に掴み掛からん勢いで聞いた。
「ちょっとデリケートな問題なんだけど・・・君、彼女とは友達だって言うけど、本当?」
「そ、それが大河の病気と何の関係があるんですか?」
突然、変な質問をされて竜児は混乱する。
「あるから聞いてるんだけどな」
「じゃあ、言います。友達です。間違いありません。ついでに言うとクラスメートで家は隣同士です」
剥きになる竜児に医者は苦笑する。
「じゃあ、ストレートに聞くけど妊娠の可能性はないね」
「は?」
竜児は目が点になった。
「てっきり仲良さそうだから、そういう可能性を疑ったんだけどね。もし万一そうなら痛みからいって子宮外妊娠の可能性が高いよ。緊急の手術が必要だ。一刻を争う。のんきに検査している場合じゃないかもしれない。だから聞いてるんだ。正直に答えて欲しい」
「だって、俺たち高校生で・・・そんなまさか」
「いや、世間は君が思う以上だよ。ついこの間もそんな事例を診たばかりだから」
「たとえ世間がそうでも俺は違います」
「そう、でも彼女の方はどうかな?君は彼女の何もかもを知っているわけではないんだろう?」
「大河は・・・そんな軽はずみなことをするやつじゃありません」
大河を侮辱するのは許さないと竜児は目の前の医者をにらみつけた。
「OK、よく分かったよ。この件はこれでおしまい。30分くらいしたら結果が出るんで、また、来るから」
そう言って医者は立ち去った。

大河はそれからしばらくして戻って来た。
処置室のベッドにとりあえず寝かせてもらい、大河は力なく横たわった。
「ちゃんと見ててあげてね、竜児くん」
看護師にいきなり名前を呼ばれて戸惑う竜児。
「何で俺の名前」・・・知ってるのかと言う問いかけに看護婦は大河の耳に届かないようにそっと耳打ちした。
・・・彼女、検査室でずっと男の子の名前、呼んでたから。それって君のことでしょ。
そう言って、茶目っ気いっぱいに微笑んだ。



「う〜、あ〜」
「痛いのか、大河」
うめき声を上げながらひたすらお腹をなでる大河をどうしてやることも出来ず、竜児はそばについてやることしか出来ない。
いたたまれず、竜児は大河の右手の動きに併せて、優しく暖める様に手を添えた。
「りゅ・・・じ」
「どうした」
「温かいね・・・竜児の手」
大河は手を竜児の手に重ね、精彩を失った瞳で竜児をみつめた。
「しばらく・・・こうしてて」
「ああ、いつまでだってこうしてやる」
「うん・・・こうしてると、痛みが治まる感じがするから」
「大河」
不意に竜児は胸の中で風船が膨らむような息苦しさを感じた。
もし、大河に何かあったら・・・この平穏な日常が壊れてしまったら・・・。
竜児は自分にとって目の前の少女の存在がどれだけ大きな物になっていたのかを今さらながらに思い知らされる気がした。
「友達」・・・果たして大河は友達なんだろうか・・・わからねえ。
「う〜、また、痛い」
大河はまた襲って来た痛みをこらえる様にそのまま目をぎゅっと閉じた。



「検査の結果・・・特に大きな異常は無しだね」
検査結果がプリントアウトされた用紙と大河を見比べた白衣の主は厳かに告げた。
「じゃあ」
「ま、命に関わるようなことはないよ。恐らく急性の胃腸炎かな。ほっておいても一晩で直るけど、かなり痛そうだから、点滴して直そうか」
医者の安全宣言に竜児はひとまず、安心した。
「何かアレルギーとかあるかな?」
大河はいくつかの薬を上げてそれが駄目なことを伝えた。
「そ、じゃあ、大丈夫なのを使うから」
医者が点滴の指示を出すと、看護師が要領よく大河の右手に針を刺した。
刺す時に針から目を背ける大河。
そんな大河の子供っぽい仕草に竜児は心が落ち着くのを感じた。

点滴の効果は絶大だった。
1時間もしないうちに、ケロリとしたように直ってしまい、いつもと変わらない大河がそこにいた。
「竜児」
「何だよ?」
「今日のことは忘れなさい」
「忘れろって、何を」
「不覚だわ、私としたことが」
まあ、かなり弱気になってたからなと竜児は思う。
「そう、あれは夢。何にも無かったの。いい?」
「お、おう」
「帰るわよ、すっかり遅くなっちゃった」
とてとてと病院の玄関ホールへ向かって駆ける大河。
自動ドアのところで振り返り、
「竜児、遅い、ぐず犬は嫌い」
とすっかり元気になり、いつもの大河の言い回しがでる。
「分かった。今行く。まったく」
お世話になった医者と看護師に頭を下げて、竜児は大河の後を追い駆けた。



そんな二人を診察室の角から見送る医者と看護師。
「何か、にぎやかな女の子ですね」
「あれは将来、尻に敷かれるな。・・・いや、今でもそうか」
「それにしても先生も意地が悪いですね」
「何がだ」
「聞いてましたよ、診察室での彼とのやり取り」
「ああ、あれね・・参ったな聞いてたのか」
「妊娠だなんて、そんなこと無いって始めから分かってたんでしょ」
「つい、からかいたくなってね。純真そうなふたりだったからさ」
「ホント、彼、すごく心配そうでしたからね」
「友達なんて言ってけど、どうなのかな?」
「恐らく、あのふたりにも分からないと思いますよ」
「そうだな・・・でも下手な恋人同士より、深いキズナみたいなものを感じたよ、俺は」
「先生があ」
看護師は笑う。
「悪いか、でもまあ、友達だなんていい切るなんて初々しいじゃないか」
医者はそう言うと鳴り始めたPHSを手に取った。






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