「良し、会心の出来」
今朝の目玉焼きを焼き終え、卓袱台に並べる。
卓袱台には焼き鮭、たくあん、ワカメのみそ汁、焼きベーコンがあり、どちらかというと和風よりだ。
昨日はいつの間にか眠っていた為、今朝は思ったより早く目覚めた。
おかげで泰子が起きてくるまでにはもう少し時間がありそうだ。
何となく、手持ちぶさたになる。
一人で先に朝食を摂る気にもなれない。
ちらりと窓の外を見やると、窓。
いや、カーテンのかかった窓。
いやいや、大河の部屋の窓。
カーテンはぴくりともしない。
恐らく彼女はまだ寝ているのだろう。
そう思って卓袱台の前に正座する。
が、1分もしないうちに立ち上がって窓の前に行く。
カーテンはぴくりともしない。
…………まだ寝てるはずだ。
もう一度卓袱台に正座しに戻る。
が、30秒もしないうちに立ち上がって窓の前に行く。
カーテンはぴくりともしない。
……………………まだ寝てるのかも。
もう一度卓袱台に正座しに戻る。
が、15秒もしないうちに立ち上がって窓の前に行く。
カーテンはぴくりともしない。
………………………………まだ寝てるよな。
もう一度卓袱台に正座しに戻る。
が、5秒もしないうちに立ち上がって窓の前に行く。
カーテンはぴくりともしない。
…………………………………………まだ寝てる、のか?
もう一度卓袱台に正座しに戻る。
「………………………………………………」
……………………。
…………………………………………。
………………………………………………………………。
バッ…………ガタン…………タッタッタッ…………『ピンポーン』
何故今日に限ってこうなったのだろう。
気付けば、インターホンを押していた。
……しかし、『わかっていたことながら』返事はない。
『ピンポーン』
念の為もう一回。
……やはり反応は無い。
さっとポケットから鍵を取り出す。
ガチャ。
扉の開く音と共に目の前の障害は開いた。
「……………………」
無言で歩く。
幾度と無くお邪魔した経験が寝室へと足を向ける。
チャ……。
扉を開くと、そこには天蓋の着いた豪奢なベッドが一つ。
部屋の中心に、周りと比べて不釣り合いな程のベッドはしかし、その部屋の主の睡眠を護っていた。



大河、と一歩踏み出そうとして気付く。
足下に一組のパジャマが散乱している。
「あれ?これ昨日大河が着てたやつじゃ……」
不思議に思いながらパジャマを畳み大河に近づこうとして、思いとどまった。
マテ。
マテマテマテ。
ここにあるのは昨日の大河のパジャマ。
パジャマでオジャマ、ジャマジャマ。
それがここにあるって事は今の大河は……?
頭の中で得意の数学的な式が形成されていく。
パジャマを着ていた大河 − パジャマ = パジャマを着ていない大河。
この算式により、次の解答式が仮説として浮かび上がる。
「今の大河は、下着……?」
はうっ!?
前屈みになって一歩後ずさる。
今、俺は何を考えた?
そうだ、考え直せ高須竜児。
決してそんなふしだらなことは……!?!!?!?!?!?
「う……」
つい、声を漏らす。
今、見えてしまったのだ。
肌色が。
ああ、美しいなぁなんて思える脚線美が。
そこには、哀れ乳や背の小ささなんてものは微塵も介入する余地が無い。
ベッドからだらんと足が垂れて、輝いているのだ。
今だ少し遠目なので見づらいが、あれは間違いなく脚。
肌色一色。
もちろん寝る時に靴下なんてはかないからおかしな所は無い。
いやマテ。
ほんっとうに無いか?
手元には昨日の大河が着ていたパジャマ。
もう一度計算式が組み直される
昨日着てたパジャマがここにある = 大河は少なくともパジャマは着替えた、もしくは着ていない。
ここに、『生足』という決定的とも呼べる証拠が!!
……ゴクリ。
唾を飲み込む。
この解を、正しいか確認するのは罪なことでしょうか、神様。
具体的に言って、あと数歩お嬢様ベッドに歩み寄るのは犯罪でしょうか。
と、急にポケットの携帯が振動する。
「む」
これはアラームだ。
いつも大河を起こす時間、ということだ。
……天啓だ。
つまり、大河に歩み寄ってこれを起こせという神のお導きに違いない。
もう一度ゴクリとし、震える足を一歩前に出して……気付いた。
部屋の隅に、昨日大河が買った紙袋がある。
ソレがなんとなく気になった。
大河を起こす前にそれに近づき、手を触れようと……。
「……何やってんのよ」
ビクゥ!?
突如として、背後から声が聞こえた。



恐る恐る振り返る。
大河はベッドから半身を起こしてこちらを睨み据えている。
「って……パジャマ?」
「……何言ってんの?」
「あ、いや……」
大河はパジャマを着ていた。
いつものワンピースでフリフリの。
その途端、頭の中で真の解答式がようやく出来る。
ああ、そうか。
寝相のせいでヒラヒラがめくれて上手いこと生足だけが見えてたのか。
よって、
昨日着てたパジャマがここにある = 大河はパジャマを着替えた。
が確定し、期待した事態では無い事の裏付けに……期待ってなんだちくしょうめ。
「で、何やってんのよ」
「あ、いやお前を起こしにきた、んだけど」
ヤヴァイ。
言葉が棘棘しい。
何かかなり怒ってる気が、する。
「ふぅん、で女の家に不法侵入、さらには、部屋の物色ってワケ?」
大河はスラリとベッドから降りて、所々跳ねた髪を気にもせず、下に伸びる素足は見えたまま、
「ふんっ!!」
俺が近づいていた紙袋を無理矢理にひっつかむ。
「昨日言ったわよね、何でもいいでしょって。アンタのような駄犬にはそれが拒絶だってのもわからないワケ?」
拒絶。
拒絶拒絶拒絶。
キョゼツキョゼツキョゼツキョゼツキョゼツ。
「お、おぅ、すまねぇ、そんなつもりじゃなかったんだ」
ふらりと、足が崩れそうになる。
危なく、転ぶところだった。
「ふん、だいたいアンタは私に干渉しすぎで……竜児?」
「おぅ、すまねぇ」
「何よ?アンタ顔色悪くない?」
「おぅ、すまねぇ」
「竜児?」
「おぅ、すまねぇ」
俺は回れ右をして背を向ける。
「……飯は出来てるから」
「ちょっ、アンタ」
それだけ言って、後は何も聞かずに大河の部屋を出る。
バタンと扉を閉めて、
『拒絶だってのもわからないワケ?』
「……すまねぇ」
誰も聞いていないところで、また謝った。


***


正直に言えば、そんな意味ではないとわかってはいる。
けれども、
「ねぇ、竜児。アンタ大丈夫?」
「おぅ、すまねぇ」
「朝からそればっかり」
俺の頭には『拒絶』という大河の言葉がずっとリフレインしている。
そのせいか、大河を見ると出るのは謝罪のみ。
大河は別に「そういう意味」での拒絶をしてるわけじゃない。
わかっていても、大河に「そういう意味」での拒絶をされるのが……恐い。
大河から避けられるのが恐い。
大河が離れていくのが恐い。
大河といられないのが恐い。
恐い恐い恐い。
「すまねぇ」
恐いから、結局ここに行き着く。
だいたい、俺は今朝何を考えた?
……思い出したくも無い。
そんな俺を知ったら、大河は間違いなく俺を切り捨てるだろう。
このエロ犬、もう二度と近づくな、と。
それが恐い。
「たかっちゃーん、たーいがー♪」
そんな時、気楽に春田が話しかけてくる。
「どったのたかっちゃーん?元気ないよー?」
やや伸びた髪が邪魔そうに左右に揺れ、しかしたいして気にした風もない。
「すまねぇ」
つい、春田にも同じ言葉を返してしまう。
「?俺なんか謝られることあったっけー?」
「あ、いや、すま「うっさいわね、アホは向こう行ってなさいよ」……」
また謝ろうとして、大河が口を挟む。
ギロリと一睨みし、威嚇。
「え?え?え?俺なんかしたー?」
春田が不思議そうに首をかしげながら去っていく。
すまねぇ、春田。


***


あっという間に放課後。
俺は今日、大河には「すまねぇ」としかまともに言ってない気がする。
そのせいか、大河はどことなくイラついているようだ。
すまねぇ、大河。
心の中でまた謝る。
こいつの不愉快の原因が俺だとしたら、俺は一体どうしたらいい?
俺は、俺は、俺は……「きゃっ!?」……大河!?
「いったぁ」
大河が転んだ。
俺は、助けてやれなかった。
大河を見ていてやれなかった。
ギロリと睨まれる。
大河がイラついているのがわかる。
「……ふん」
怒ったように大河は立ち上がって前を歩き出した。
一歩遅れて俺も続く。
「お、おい大丈夫か?」
「………………」
しかし返事は無い。
「……すまねぇ」
今度は肩がぴくりと動いた気がした。


***


今日の晩御飯は何にしよう。
いつもならここに立つだけですぐに浮かぶ献立が今日は浮かばない。
いや、昨日決めてはあったはずだ。
今日は豆腐祭り。
安く手に入った豆腐の消化。
豆腐は足が速いからすぐに使ってしまおうと。
そうと決まれば腕まくりをして精一杯上手い飯を作らなければ。
まずは豆腐ステーキ。
それと冷奴。
ほかにも、卵とじや麻婆豆腐。
湯豆腐はまたにしよう。
あ、揚げだし豆腐はあってもいいな。
よし、これだけあれば大河を満足させられるはず。
手早く豆腐の水を切る。
フライパンを二つ用意。
一つは油用のもの。
さて、やるとしよう。
そう思って、俺は『料理だけ』に集中した。


***


「………………」
「………………」
無言の夕食。
せっかくの力作料理も大河は舌鼓を打たない。
むしろ不機嫌そうに口に豆腐を運んでいく。
食欲自体は変わらないが、どうもおもしろくない、という風体だ。
今日の豆腐は満足のいくデキではなかったのだろうか。
大河は肉が好きだし、ここは気をきかせて肉祭りにでもすべきだったか、と後悔する。
「………………」
「………………」
大河が話さないと必然的に俺も言葉を発せない。
「………………」
「………………」
無言。
そんな不毛な時間で、今日の豆腐料理は終わりを迎えてしまった。
食べ終えてからは、大河はいつも通り頬杖ついてテレビを見、だらんと体勢を崩す。
俺は食器の片づけに手を出していた。
いつもより時間をかけて丁寧に洗う。
そうでもしないと、この時間ここにいるのが耐えられそうになかった。
何かしていないと正常でいられない。
そのために長々と洗い物を続ける。
ようやく終えた頃、つい習慣でお茶を淹れてしまった。
「あ……」
湯飲みは二つ。
失敗した。
せめて一つなら大河だけに渡して自分は引っ込めるのに。
しかし棄てるなんてのはMOTTAINAI。
コトン。
やむなく大河の前にお茶を置く。
「……?……!!」
大河が驚いたように目を開く。
先程までイラついてたようだが、一瞬空気が和らいだ。
ほっとして、
「じゃあ俺、部屋にいるから」
俺は自分の分の湯のみを持って部屋……!?
ゾクリとして振り返る。
ああ……やめてくれよ。
そんな目で、俺を見ないでくれ。
そこには、不機嫌な顔をした大河がこっちを睨んでいた。
「……竜児」
「……すまねぇ」
今日、何回言ったかわからない言葉をもう一度言う。
「またそれ?いい加減聞き飽きた。……もういい、お風呂入ってくる」
大河は俺など眼中に無いように立ち上がり、風呂場へと消えていく。
俺は……嫌われたのだろうか。


***


自室で机に向かい、ノートを広げ数十分。
しかし、ノートは何が書かれているわけでもなく真っ白だ。
当たり前だ。
自分でも何を書こうとしたのかわからないのだから。
「………………」
時計の針がしんしんと進んでいく中で、まるで自分だけ時が止まったように動く事が出来ない。
『拒絶だってのもわからないワケ?』
リフレインする言葉。
それを思い出すたび、胸が苦しくなる。
俺は……「ガラッ!!」……ガラッ?
目の前の襖が急に開いた。
そこには、あのボタン式のパジャマを着た大河。
「辛気臭いわね」
そう言いながら大河は俺の了承もとらず──そういやノックもなかったな──部屋に入ってきた。
頭にはバスタオルがかぶさっており、手にはドライヤーと櫛がある。
と、
「ほら、アンタの仕事よ」
唐突に、それを突き出された。
「アンタ、勝手にボイコットできるなんて思ってんじゃないでしょうね?」
ん、と強制的にそれを押し付けてくる大河は、不機嫌ながらも、先程のようなイラつきは纏っていなかった。
大河は俺に櫛とドライヤーを渡し、畳に座らせる。
だが、しかし。
「いや、俺は……」
出来ない。
大河の髪を弄る資格なんて俺には……。
「うるさい、やれ」
「でもよ、俺「いいからさっさとやれ」……」
大河はどすっと俺の部屋の畳に居座り背を向ける。
だが、俺は大河に近づけない。
今朝の事が頭から離れない。
「早くしてよね」
そんな俺を無視して大河は言葉で急かす。
「大河、俺は「アンタに拒否権なんて無いのよ」……」
俺が何かを言おうとすれば、間髪いれずに潰される。
それでも、俺には出来なかった。
そんな俺の態度に、大河はイラつき始めたのか、
「……竜児」
大河はこちらに、面と向かい合うような形で振り返った。
大河の濡れた髪が揺れ、段々とその美しい顔がこちらに露になる。



そうして振り返った大河の大きな瞳が、俺を射抜く。
それはまるで針のように鋭く細いもので、刺さるだけで締め付けられるように痛く、しかし俺を安心させるだけの潤いがあった。
「……?」
「アンタねぇ」
やれやれとばかりに溜息を吐き、
「この駄犬が!!」
殴られた。
「っ!?」
頭をさすりながら顔を上げると、既に大河は背を向けている。
「いい?一度しか言わないからよぉく耳の穴かっぽじって聞きなさい?」
すぅ……はぁ。
大河は深呼吸してから話し出す。
「私はね、『アンタが何を気にしてるかなんて知らない』わ。だって、『私が気にしていないんだから』」
「……?……!!」
それはつまり……。
「でもね、いい加減我慢の限界なのよ、私も」
大河はイラついたように、続ける。
「気にしてないのに謝られる、いつもならちゃんと私という主人をフォローする唯一の美点すら今日は皆無。オマケに料理中は一回もこっちに振り向かないし。……いや、まぁそれはいいんだけど」
え?あれ?毎日振り返ってるの、バレてたのか?
「私に茶を出して、ようやくいつも通りになるかと思ったら言うに事欠いて部屋に行くだぁ?何の為に私はここにいるのよ?え?言ってみなさいよ駄犬」
いや、そりゃ一人でいるかよりはマシかもしれないが、俺、一緒に居て良かったのか?
「……まぁいいわ。話が逸れたわね。とにかく、私が気にしてないことをグチグチ考えて普段のペースを崩されると迷惑なのよ。私がアンタの為に気を使わなくちゃいけなくなるじゃない」
ああ、まぁそうかも。
「すまね「黙れこの駄犬」ぶほぉっ!?」
殴られた。
今度は顔面グーパンチ。
痛い、親父にもぶたれた事ないのに。
っていうか親父なんて会ったことないけど。
「だ・か・ら!!謝んなって言ってんのよこの駄犬!!何聞いてたの?一回しか言わないって言わなかった!?」
「お、おぅすま……いや何でもねぇ」
また睨まれ、言いかけた言葉を慌てて撤回する。
「……フン、わかればいいのよ。んじゃ、さっさと私の髪頼むわね」
フン、とまた不機嫌そうに息をまいて、大河は俺に背を向ける。
「ったく、何で私が駄犬の為にこんなこと……本当にめんどくさい男なんだから……だいたい……」
ぶつぶつと何か言いながら、大河の背中と髪は「早く、早く」と俺の手を待っているようだった。
ふっと笑みがこぼれた。
『アンタが何を気にしてるかなんて知らないわ。だって、私が気にしていないんだから』
わかってのことなのかそうでないのか。
しかし、この言葉が今は深く身に染み込んでいく。
そっと髪に手を触れる。
サラリとした『大河』の触感を確かに感じる。
大河を、感じる。
そう、今日は一日大河を感じるなんてことが出来なかった。
大河が俺から離れようとしたんじゃない。
俺が大河から離れていたんだ。
手を伸ばせばいつだって、大河は俺が触れることの出来るいつもの定位置で待っていた。
それだけのこと。
「今、綺麗にしてやるから」
ようやく、俺は今日の大河に触れることが出来た。



「ねぇねぇ、大河最近髪の手入れが行き届いてるね」
「そぅ?」
みのりんに話しかけられる。
髪のコトを褒められると、悪い気はしない。
「うん、何か枝毛なし、って感じでうらやましいよ。触るのがもったいないくらい」
「みのりんなら触ってもいいけど、出来れば止めては欲しい、かな」
「でもどうしたのさ、前までは全然気にしてなかったのに」
「え?それは……」
ちらりととある席を見ると、どうやら今は外出してるらしい。
ほっとしたような、勝手にいなくなっていて腹立たしいような。
「う〜ん、何となく、かな。何かにとか、誰かにとか、気を使うのは苦手だし」
「何となく?う〜む乙女心は難しいぜよ。何となくでこんなに綺麗になられちゃ俺っち一体どうすれば……」
そんな事を言ってみのりんは考え込む。
と、話を聞いていたのか、
「え?どれどれ?たいがーの髪って凄いの?」
アホこと春田が近寄って来た。
「おお〜、俺も髪には気を使ってるけど、これはすげぇじゃーん!!ちょっと触らせて〜」
春田が私の髪に手を伸ばしてくる。
「触るなっ!!」
ふざけるな。
「ひっ!?」
怯えたように春田は後ずさる。
全く、冗談じゃない。
「勝手に触るんじゃないわよ!!私の髪に触れていいのは……」


***


誰もいない天蓋付きのベッドのある部屋。
ベッドにはボタン式のパジャマが無造作に放り投げられていた。
ガサッ。
部屋の隅に置かれていた紙袋が倒れる。
ガササッ。
その反動で中身が袋から露になる。
露になったのは広く丸い、夏に相応しいもの。
材質は麦藁。
人はその形状を帽子と呼び、頭に被るものとしている。
今だ使われていないその麦藁帽子は、実際に被られ、ある人物に見てもらう事を目的としている。


───う〜ん、何となく、かな。何かにとか、誰かにとか、気を使うのは苦手だし───


願わくば、今度こそ一言くらい何か言ってもらいたい。





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