【BUCKETPUDDING】

 バケツプリン。
 それは女の欲望番外地。

「と!ゆーわけで!
 ワタクシ櫛枝みのりん!またまたやらしていただきましたあ〜〜ん!」

 高校生にとって一日の時間割の中、最大かつ最高の安息と癒しの時間である昼休み。
 空腹をみたすべくある者は購買へ走り、ある者は学食へと出撃するが、大半は気心の知れあう友人達と共に弁当を広げる時間であり、これあるからこその学校生活といってもまず反論はないであろう。

 そんな心楽しい時間に突如降臨する、謎のぷるぷる物体。

 ぶっちゃけ名前そのまんまなバケツプリン。
 バケツで作ったバケツサイズなプリン。
 ははノンキだね♪と鼻歌交じりに笑いつつ、スルーしておきたい代物である。
 ……秘かに思いを寄せている相手の所業でなければ、是非そうしたかったのだけど。
 振られたからには応じなければならぬ。
 高須竜児は、机2個で作られたスペースに鎮座する黄色い物体にその凶悪な三白眼を向けて。

「…写真で見せてもらった時も大概だとは思ったが、実物ときたらこう……とりあえず今夜絶対、夢に見そうだな」
「おおう!お褒めに預かり恐悦至極!」

 褒めてねぇ! 俺、今夜は絶対悪夢に魘されるよって意味だよ!
 ああツッコミてぇ!ツッコミいれてえよ!

 凶悪だが愛想笑いを浮かべつつ、ちょっぴり涙ぐんでいる竜児である。
 そんな彼に『は』とアメリカンに肩をすくめつつ片眉だけ吊り上げて蔑みの冷たい視線をくださる手乗りタイガー様。
 変なところで器用ですね、逢坂さん。

「いやいや、見た目はでかいがこうみえて低カロリーなんだぜ?
 ダイエット戦士としてはいつだって甘みは人工甘味料。アスパルテームは標準装備ぜよ?ぜよぜよ?」
「いや問題はそういうとこじゃなくて…っていうか、昼飯時で腹は減っている筈なのに、見ただけで満腹というか胸焼けが…」

 本当は吐き気がする、と言いたい竜児である。
 なにせこのぷるぷる黄色物体、おおよそ食欲をそそる外見をしていない。
 机に新聞紙とビニールシートを敷いて鎮座するプリン(仮)。
 その自重であちこちが崩れ、というがグチャグチャでドロドロで、しかも内容物にむらがあったが所々ダマになっている反面、汁気もタップリで半透明の薄黄色い液体が周囲をジクジクと侵食している。
 写真で見たときには浜に打ち上げられたクラゲというかスライムという印象だったが、目の前の現物はそれにプラス、吐しゃ物然としている。
 ぶっちゃけ早朝の道端で朝の爽やかな空気を台無しにする泥酔者のゲロ。
 しかしそれはいつの間にか無くなっている。
 子供の頃はそれが不思議だった。
 でも遠いあの日、少年は見てしまった。
 電柱で囀る、あの地味だけど小さくてかわいいスズメ達が、あの愛らしくクリッとした瞳の小鳥たちが、
 …………群がって…………

 食・物・連・鎖。

「おおう……インコちゃん……俺はインコちゃんを路頭に迷わせたりなんか絶対にしないからな…!」
「どうした高須!?いきなり現実逃避なんかして!!?」
「高須君?ちょっと、帰ってきなさいよ?」
「ったく…このヘタレが…」

 うわ、むかつく。
 心配してくれる友人達の中で1人、心底蔑んだ視線をくれる大河に苛立つ竜児であった。
 というか、絞首される人間の顔マネまでして『グェエエエ』と白目剥いて舌を出すのは乙女として如何なものか。
 隣の北村が苦笑してるぞ大河。お前それでいいのか?


「えーと、だね皆の衆。
 あれだ。ワタクシ櫛枝といたしましても誠に遺憾なのではありますが。
 日々、お腹のプニプニと戦うダイエット戦士としても、時にははじけたくなるのですよ。
 無性に甘いものが食べたくなるのですよカロリーなんか考えたくないんですよプッチーナプリィィンにジュッデーム。なのですよ?
 ♪オレがむかしプリンだったころ、オヤジは不倫でオフクロは不眠。
 オレの弟は…クリリンだった。
 わかるかな?わっかんねぇだろぉなぁ〜♪」

「オレは本気でお前がわかんねぇよ櫛枝……」
「安心なさい竜児!私だってワケわかんないから!親友だけど!」
「っていうか…本当に17歳なの実乃梨ちゃん?」
「おおっとあたりがついてるってことはあーみんはネタ理解してんな?
 バッくれてんじゃねぇぜオラオラオラオラオラ〜〜〜!!」
「なんだ水臭いぞ亜美!子供の頃はこのネタ俺達二人限定で流行ってたじゃあないか!」
「祐作がそんなだからあたしまでマニアックに染まるんだぁぁぁ!
 放せ!亜美ちゃんは普通!ノーマルなんだから!!
 ってか実乃梨ちゃんドサマギでムネさわんなってヒィィィィィィィィ!?」

 泣きながら『この巨チチがうらみやましいぃぃぃでもこのモミ応えはSUGEEEEE!』と、
とんでもない勢いでクラスメイトのチチ揉みまくりやがるソフト部長とか、
 幼馴染みを羽交い絞めにしてセクハラ魔人の生贄に捧げている生徒会副会長とか、
 その痴態と嬌声がクラス男子を前屈みに遺憾な状態に追い込んでいるモデルとかを見やって。

「竜児、今日のおかずは何肉?」
「ササミの照焼きレモン風味。ハチミツと醤油とレモンで作ったタレを絡めてサッパリ味」
「おおぅ…鳥肉久しぶり…インコちゃんいるから家では食べにくいものね」

 目をキラキラと輝かせる大河の前に、いつものように弁当箱を置いてやる竜児である。

「あっさりスルー!?そりゃないぜセニョ〜ル&セニョリ〜タ!!」
「というか、アンタがあのブサイクインコに気をつかってた方が驚きだわ!」
「ふははははは、いい放置プレイだぞ高須ぅ!」

 トリオ漫才を中断して戻ってきた友人ズに、これは無意識だろうがまるで奪われまいと弁当箱をガードするような素振りを大河は見せる。
 本能だとしても、ちょっと意地汚すぎじゃないのかこの食欲魔人め。

「…何も無いなら、俺たち弁当にしたいんだけど?」
「OH!このプリンを目の前にしてお弁当とな!?
 高須くん……今のはオイラのグラスハートにずびしゃいと傷が入ったぜ?3ミリほど」
「3ミリなのか…」
「それよりずびしゃいという表現が俺は気になるな」
「っていうか…高校生がこれだけ雁首そろえて未だスタートすら切れないって…」

 皆と少し距離を置いて、トリコロールな4コマダイエットネタ担当(青)っぽいことを呟いている亜美である。

「いやいやいや。実は女の本能と欲望のままにバケツプリン作ってみましたが、流石に1人で完食は無理かなーって。
 そこで皆にもおすそ分けを…」
「ありがとうみのりんその気持ちはとってもうれしいわ!でも折角のプリンなんだからみのりん1人で心行くまで堪能するほうが幸せだと思うから私パス」

 速攻で裏切る親友1名。

「む?いかん、今日はこれから生徒会の打ち合わせがあるのだった!そういうわけで、すまないが俺はもう行くから」

 朗らかに爽やかに嘘を吐く生徒会役員1名。

「パス。まずそうだし」

 そして全く歯に衣着せぬあーみん1名。いっそ惚れてしまいそうなくらい清々しい。


「おおう…世間の荒波は思った以上にこの櫛枝に冷たいぜよ…。
 …パトラッシュ…もう疲れたよ…」
「あ、いや、櫛枝。俺は……………ご、ごちそうにな、なるから」

 これが惚れた弱みというやつか。
 竜児の主夫としての勘。あるいは生物としての生存本能は警鐘を鳴らしていた。
『なんかヤバくね?このプリン?』と。
 しかし、それでも。
 目の前で今、櫛枝が落ち込んでいるから。力になってやりたいから。
 それに自分は、放っておけないから。放っておきたくないから。

「…竜児」

 速攻で裏切ったくせに、それでも気遣わしげな目をした大河がふるふる、と頭をふる。

「竜児…いくらMOTTAINAIからってそんなプリンを食べなくてもいいんじゃない?
 地球の生態系だって、今、この時くらいは許してくれるよ?」
「いーや!そんな『ちょっとくらい』『自分くらい』という考えが地球を追い詰めてきたんだ!
 何より、可食物を無下に捨てるだなんて、そんな悪魔の所業は俺にはできねぇ!」
「悪魔ときやがったかこのエコ野郎」
「うわー、立派だとは思うけどなんだか失礼な気がするよー」
「何故、二人揃ってなにか痛いモノを見るような目をしやがる!?」
「うわっはっはっはー。
 でも高須きゅんは私につきあってくれるかな、って期待してたからね。
 ――ありがとう」
「お、おう」

 そう言ってスプーンを差し出す実乃梨の微笑みは、やはり素敵で。
 かわいくて、眩しくて、何度見ても、見る度に、惹きつけられて。

「わかった竜児。あんたの鳥肉と米は、私が責任もって食べてあげるから」
「お前最初から狙ってたかもしかして!?」

 思わず抗議行動に入りかける竜児をなだめるように、実乃梨はその手をとって座らせた。

「まーまー喰いねぇ喰いねぇプリン喰いねぇ」
「お、おう。いただきます」
「はい、いただきます」

 二人、向かい合わせに座って巨大なプリンにスプーンを入れる。
 多少ぎこちなく口にしてみると――意外というか、味はやはり普通にプリンだった。
 確かに取り立てておいしいわけではないし、何だか妙な匂いがするような気もするが、見かけほどに味は悪くは無かった。

「思ったよりいけるな」
「でしょ?見栄えは悪いけどね」
「あ…悪いとは思ってたんだ?」

 昼食のメニューとして、是が非でも食したいという代物ではないが、普段はどこか緊張して身構えしてしまう故のぎこちなさも感じられない。
 こんなに普通に、櫛枝と話ができる。
 そんな自分に我ながらちょっと驚きを覚えてしまう。

「あれ?なんかあの二人、いい雰囲気じゃね?」
「……(もきゅもきゅ)」

 残され者同士というか――北村は本当に生徒会へ行ってしまったので――手乗りタイガー&バカチワワというちょっと珍しいようでそうでもないような組み合わせ。
 バケツプリンの鎮座する席から1メートルも離れていないが、決して隣同士ではない微妙な距離。
 聞く耳持たぬ、とワシワシ弁当をかきこむ大河に半ばは意味ありげな視線をくれつつも、亜美は自身の好奇心もあって竜児と実乃梨にも注意を向けていた。


「なんかさ…ああやって二人で一つのプリンつついてる姿って…まあここ教室だし食べてるのはあんなグロ物体だけど。
 これがスドバかどっかでモノがパフェとかジュースだったら、ベタなカップルの図だよね?」
「…………」
「…なんか良い空気だよねムカツクくらい?」
「…あんたさ。いつも思うんだけど、何を煽ってるわけ?」
「え?なにが?誰を?亜美ちゃん全然わっかんな〜い」

 いつものわざとらしいブリッ子フレーズに反論する気もなく、大河はササミの照焼きに集中しようとする。
 実際、久しぶりの鳥肉はおいしかった。
 竜児のせいでまた一つ、好みが増えてしまう。今度は是非、夕食に出してもらいたい。
 インコちゃんいるから難しいけど。
「……!?」
 正面からの、息を呑む気配に大河は顔を上げる。
 …目の前で、バカチワワが固まっていた。
 その視線を追って――大河も無言の世界へ突入する。

「ほーれ高須くん。あ〜んしてあ〜ん」
「え、いや、えっと!?」
「ほらほら、遠慮すんなってー。大きく口を開いてー、深呼吸のようにあ〜〜んだ〜〜〜」
「意味わかんね!っていうか、その…とにかく待て!」
「むむ?――もしかして照れているのか?
 照れているのかね高須くん!?
 〜〜〜〜〜〜〜〜っぅぅうううう…顔は怖いが可愛いじゃねぇかこの野郎!!」

 多分、最初は軽い冗談だったのだろう。
 だがその場の雰囲気や話の流れというものは、それが活発であればあるほど、時に当事者たちの思惑すら外れ予期せぬ方向に向かってしまうことも、ままあるものだ。
 今もまだ、冗談めかした態度ではあるが、実乃梨の頬は常に較べてわずかだが赤く、その瞳にはどこか緊張の光が宿っているようでもあった。

「ほ、ほほほうら高須くん!………あーん」
「く、櫛枝……」

 目の前に差し出された、スプーンの上でプリンが揺れている。
 なぜこんな流れに、と思わぬでもなかったが、今の竜児はそのスプーンに魅入られたように視線を外すことができない。
 こんなもの、ほんのじゃれあい。
 クラスメイト同士の、友人同士のふざけあいなのだから。
 だから変に意識する必要などない事。
 おどけて、ふざけて、パクリと差し出されたスプーンに食いつけばそれで…
(って俺には無理!!)
 自分が咄嗟にそんなアドリブで応じられるほど、器用ではないことを竜児は承知している。
 これが級友の春田ならばセンキュ〜、とかいいながらパクリと平らげるだろう。
 そして能登あたりにツッコミを入れられるだろう。
 だが、自分にはできない。
 相手が櫛枝だから、できない。
 眼前に迫るスプーンの向こうに、もう笑ってはいない瞳が見えた。
 何かに期待するようで、何かに怯えているような感情を湛えて。
 少しだけ震える唇が、ゆっくりと開いて――

 ぱくり。

「…なんだ。普通においしいじゃない」
「大河!?」
「おおーう大河が釣れた!大河の一本釣りだっぜー!!」

 横から割り込んでプリンを奪い取った大河は、そのまま椅子を寄せて二人の間に座ってきた。


「みのりん、デザートで私もプリンもらってもいい?」
「おうともさ!大歓迎だぜまいはにー!」
「いや参戦してくれるのはありがたいけどな…ってお前弁当もう平らげたのか!?
 しかも俺の分まで!」
「余裕ね」

 いつものことだが、この小さな身体のどこにあれだけの量が入るのだろう。
 慣れてはいるが、この疑問というか神秘は多分永遠に解明されないような気がする竜児だった。

「あーあ。1人だけ仲間外れな感じだし。私も参戦するカニ」

 何故か変な語尾をつけて、亜美も竜児と実乃梨の間、大河の対面に自分の陣地を確保する。

「ああ…やっぱり友情パワーって素敵に無敵だねぇ。北村くんとは後で色々話し合う必要があるけど」
「そうね。まあ祐作、逃げたのは確かだけど生徒会の用事も嘘じゃないみたいよ?」

 ホントけ〜?と言いながら大河と亜美にも持参していたスプーンを手渡す実乃梨は、いつもの彼女だった。
 そのことに、竜児は安堵する。
 今、平静を取り戻してみれば、先ほどの状況はあるいは二人の距離を縮めるチャンスだったのかもしれない。
 そもそも場の流れの勢いとはいえ、…自惚れかもしれないが、彼女の方だって少しは自分にトモダチ以上の感情を持っていてくれたからでは、と。
 だけど。それでも。もう一度やりなおせるとしても、自分は…

「でもお昼がプリンだけって栄養が偏りすぎでしょ?
 ダイエット的にもアスリート的にも感心しない食事よねこれ」
「ふっふっふ…そう思うのが素人の浅はかさ」
「何の素人よ」

 亜美の批判的――というより気遣わしげな意見にチッチッ、と舌を鳴らす実乃梨嬢。
 大物量を誇ったバケツプリンも4方向からの包囲殲滅を受けて、いつしかその質量の過半を失っている。

「中心核だ…中心核を狙え、あーみん!」
「いやわけわかんねーし……っ!?」

 会話とプリン攻略を並行して続けていた亜美が止まった。
 見る間にその頬に赤みが差し――なんてレベルではなく、急速に発熱、発火……爆発する。

「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」
「川嶋!?」「バカチー!?」

 生ける火炎放射器となった亜美は、火を噴きながら脱兎の勢いで駆け出した。(比喩表現)
 突然の出来事に、大河はそれを唖然として見送るしかない。
 と、その横で親友がうおー、と気勢を上げる。

「キタキタキタキタキタ〜〜!特製激辛キムチ、ガッツン来まぐりやがってますよ〜!!}
「なにそれみのりん!?」
「いや、だからあーみんに指摘されたけど栄養バランスは一応考えてるよ?
 例えばダイエット戦士としてカプサイシンは抑えておきたいし」
「……あのさ、みのりん?あんまり考えたくないんだけど…。
 もしかして、このプリン、何かいろいろ仕込んでる?
 えっとこういうの何って言ったっけ?」
「中に何が入っているかわからない。闇ナベならぬ闇プリンというわけか」
「そうそうそれそれ。…ってなによ竜児、テンション低いわね?」


「…うん。なあ、櫛枝?ちょっと質問があるんだが」
「なんだい高須くん?」
「…プリンってのは元々、デザートだよな?」
「まあ、一般的にはそうだと思うよ。甘味だしね」
「そうか。で、今、俺の口の中にある甘いあま〜い干し柿は、お前のカテゴリーでは何に入るんだ?」
「食物繊維さ!」
「…そうか。じゃあついでにもう一つ訊ねるが…その食物繊維を、辛子たっぷりの納豆で和えてプリンに混ぜるってのはどういうアイデアなんだ?」
「納豆菌は腸内の悪玉菌を駆逐してくれることを期待しております!
 それに折角いろいろ混ぜるなら、新たな分野にチャレンジしてみるのも必要かなーって……。
 ごめん。もしかして、チャレンジすぎた?」
「竜児……今、かなり遺憾な状態?」

 竜児はその問いかけに直接には応えなかった。
 ただ虚空に視線をさまよわせながら、呟く。

「…あ。この辺はゴーヤーか?」
「みのりん〜〜〜〜!今、初めてみのりんに対して抱くこの感情!?
 問い詰めたい!問い詰めたいよみのりん!
 いったい、何を、仕込んだの〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」
「いやその…後は普通に、梅干しとか、ヒジキの煮付、プロセスチーズ、キュウリの浅漬け…」
「う〜ん…微妙にギリギリセーフかな?」
「セーフなのかよお前!?」

 未知の味覚体験に、チャクラが開きかけていた竜児が戻ってきた。
 そんな竜児に、少しバツが悪そうな顔で大河が云う。

「んー…アンタの家でご飯食べるようになる前は、かなーりジャンクな食生活だったし」
「畜生なんか悔しいぞ!?半年以上も俺のメシ食ってて…うう、大河の味覚発育は不十分だったというのか…?」
「セ、セーフってだけで好みなワケじゃないわよ!」
「いやー。ホント高須くんは良いお父さんっぷりだねぇ。
 …遠回しに私の味覚センスにケチつけられた気もするけど、この場は深く突っ込まない方向でいくね。
 あ、それと大河?昨日の残り物なんだけど、実は動物性タンパク質としてトンカツも入って」
「もらったあああああああああ!!!」

 ターボかニトロでも入ったような勢いで、大河のプリン咀嚼のスピードが加速した。
 みるみる減っていくプリンを前に、竜児と実乃梨の視線がつい、と合う。

「…俺、大河の教育を見直す必要、改めて感じてる…」
「そうだね。自分の気持ちに正直なのは大河の美点だと思うけど…。
 A地点からB地点を経由することなくC地点へ至るタイレクトっぷりは、今のうちに直しておいた方がいいかも?」
「なにふたりして(モキュモキュ)ひとのきょーいく(モニュモニュ)論じてるのよあんたらわたしの
(ちるちるちるちるちる)親かっ(ごっくん)!」
「……ああ……また俺はあのクソジジイを許せない理由が増えた気がする……
 っていうか俺も同罪だ…何か食べている時には喋っちゃいけません、くらいのことが躾けられないなんて…」
「ウ、ウチの親は関係ないでしょ!
 っていうかアンタやクソジジィごときにこの大河さまが教育されるとでも!?」
「うわスゲェ納得できるが胸張って言うことでもねぇ!」
「うるさいこの教育おばはん予備軍補欠代理補佐見習い!
 アンタのトンカツとはまた一味違うみのりんのトンカツが入っていると聞いて、これを捨て置けるわけないじゃ……って、ゲットォォォォォォォ!!」


 あいむういなー、と掲げられた右手のスプーンには、高温の油に浸された家畜の肉片が、黄色いプルプル物質に包まれて鎮座していた。
 カカカカカー!と悪魔超人みたいな笑い声をあげつつ、あんぐりと虎は肉片(トンカツ)を口に運ぶ。
 もしゃ。もきゅ。もにゅ。

 ……………。

「ど、どうした大河?」

 そして唐突に訪れた沈黙に、竜児は思わず問いかけを発するが、大河は応えない。
 ただ、ゆっくりと竜児に顔を向ける。

「あー……、脂身のとこか、それ。お約束なやつめ」
「う、うにゅ〜…」

 モゴモゴと口中の脂肪を持て余している大河は、今にも泣き出しそうな情けない顔をしていた。

「…りゅうじぃ…」
「残すなよMOTTAINAI」
「…赤身2、衣1、あとぜんぶ脂身ってかんじで…」
「残すなよMOTTAINAI」
「ひぃぃ………」

 食に関係すること、特に食べ残しと好き嫌いについては、竜児は厳しい。
 調理人としての魂と、掃除人としての尊厳と、主夫としてのMOTTAINAI精神が三位一体となった時、
 ――竜児は天才を通り越して、家事の変態となる。
 変態はダメだ。
 なんていうか、こう、色々な意味で痛くて、いたたまれなくて、すごくダメっぽい。
 そのくせ――逆らえないのだ。変態の発する暗黒理力(ダークフォース)は、光の差さぬ闇よりも更に黒い漆黒。
 その漆黒には理解不能な“なにか”としか表現できぬ狂気のモノが潜んでいる。
 それに抗うことは、傲岸不遜をもって鳴る逢坂大河といえども、容易ではなかった。

 もきゅ。もきゅ。もきゅ。もにゅ。めちゃっ。

 だが、口の中で何とか磨り潰そうとしても、この脂肪は歯と頬肉の間で気色の悪い質感を残すばかりで一向にこなれてくれない。
 ならば、と覚悟を決めて、一気に飲み込んでしまおうとしても――喉に張り付いて容易に剥がれてくれない脂身はその生理的嫌悪感を更に高め、どうしても飲み込むことを身体が拒否してしまう。

「うう…」

 涙目でえずきながら、もう先にも後にも引けなくなっている大河をしばらく見つめ、竜児は。
 そっとポケットティッシュを取り出し、大河の口元に当てる。

「もういいよ。ほら、ペッしろペッ」
「うにゅ…」

 息も絶え絶え、という感じで吐き出された脂身を手早く包み、竜児は懐から取り出したエチケット袋にそれを入れた。


「後で高須農場にでも埋めとくか。肥料のたしにはなるだろうから」
「おおう、あの花壇かい?そうか、大河の脂身は回りまわって来年のサツマイモになるのだねぇ。
 う〜〜〜〜ん、食物連鎖」

 うんうん、と大仰に肯いて、ニヤリと実乃梨は笑った。

「高須くん、やっぱ大河には甘いねぇ。あまあまパパさんだよ」
「そんな大したことじゃないだろ」
「そうよ。飼主にこんな苦しい思いさせるなんて、不忠の極みじゃない」

 実乃梨にそう反論して、2人はそろってパクリとスプーンを咥えた。
 そしてこの瞬間、プリンは完食された。

「…おお。いつの間に」
「あらほんと。いつの間に」

 バケツプリンをたおした!
 30,000Expの経験値をえた!
 
 …ロープレじゃあるまいし、なに考えてんだ、俺。
 自分の脳内で流れたメッセージに、竜児が思わず苦笑した、その隣で。

「ロープレじゃあるまいし、なに考えてんだ、私」
「え?」

 思わず、という感じでこぼれ出た呟きに、竜児が大河の横顔を見つめた時。

「オラ、きりきり歩けこの裏切り者!」
「おおぅ…中々に痛いぞ、亜美!」

 不意討ちの激辛キムチの名残りで、いまだにタラコ唇をした亜美が、敵前逃亡をした幼馴染みを引き立てて還ってきた。

「さあ祐作…アンタも不幸になるのよ…ってアレ?」
「おや?もう食事は終わったのか高須に逢坂?」

 一目で状況を理解した亜美と北村は、一人は落胆、一人は安堵とわかりやすい表情を見せる。
 そんな2人に、実乃梨はあっはっはー、と実に明るく笑ってみせた。
 竜児が憧れた、向日葵のような笑いと共に、机の下からバケツを取り出して。

「いやいやいや安心したまへあーみん&北村くん!
 この櫛枝は言ったネ?一人で完食は無理だと?
 流石にわたくしめの鋼鉄の胃袋をもってしても、バケツプリン1杯ならともかく2杯はちょっと」
「てめぇナニ考えてやがんだこの脳ミソ筋肉女――――!!?」
「くっ…ここにきて新たなる伏兵ッ…!高須、逢坂…って721!?既にいないッ!!?」


 慌てて周囲を見回し、先ほどバケツプリンを退治した勇者たちがいないことに愕然とする北村。
 その追い詰められた者特有の、恐怖に満ち溢れた瞳を周囲に向けて…隣にいる、自分と全く同じ瞳と視線があう。
 亜美は、こくんと肯いた。
 北村も、やはりこくんと肯く。

「能登―――!春田――――!!」
「麻耶―――!奈々子―――!!」
「「死〜な〜ば〜も〜ろ〜と〜も〜〜〜〜〜!!」」

 そして2人は、それぞれの級友に飛び掛っていった。

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド…!!

「いやああああああっ!?亜美ちゃんが異様に怖いィィィィ!!?」
「なななななんだよ大先生!?どうしちゃったのよ一体!???」
「というかなんなのこのムダに迫力溢れる効果音!!?」
「おおおおおおおおおッ!?俺はいま、恐怖しているッッ!!?」
「フフフ。
 人間の偉大さは――恐怖に絶える誇り高き姿にある――
 ギリシアの史家ブルタルコスの言葉だ」
「元凶がなに格好つけてんのよこの人喰い向日葵女!!」
「っていうかどことな〜くナチスの軍人っぽいぞ、櫛枝!!」

 そして繰り広げられる、阿鼻叫喚の地獄絵図・第二幕。

「うわははははは!ちなみにバケツプリン第2号は更なるパワーアップを果たしてるぜよ!
 言うなればグレート・バケツプリンガー!!」
「余計なことすんじゃねぇよバカじゃねえのかテメエ!ていうかバカでしょ絶対このバカ女!!」

 悲鳴と怒声が交差する、今日もそんな2−Cは、平和です。

  * * * * *

 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……
 ぜー、ぜー、ぜー、ぜー、ぜー……

 櫛枝の机の下に、シートを被せられたバケツっぽいモノが見えた瞬間。脳が判断するより先に身体は動き出してた。
 手を伸ばし、伸ばされた手を掴み、脇目も振らず走り出し。

「…って屋上まで一気に走ってきたのか俺たち…」
「そうみたい…よく覚えてないけど…」

 固い壁に背を預け、コンクリの床に座り込んだ竜児と大河は、ようやく落ち着いてきた呼吸を整える。

「竜児…手…」
「ん?おう、すまん」

 自分が大河の小さな手をずっと握っていたことに気が付いて、竜児は慌てて大河を開放する。
 大河は別に気を悪くした風でもなく、ただ視線を少し動かし、空を見上げた。
 つられるように竜児も青空を見上げる。
 そのまましばらく、互いに口を開かない。
 けれど、別に気まずさや静寂をもてあますような雰囲気があるわけではなく。
 静謐で、穏やかな時間がゆっくりと流れていく。


「…なんだか…春田と能登に申し訳ないような気持ちがする…」
「奇遇ね。私もなんだか、ギャル女とエロぼくろが困ってるような気が…なんとなくなんだけど」

 そんな会話で静寂を破って、しかしその後は続かず、再び沈黙が訪れる。
 しかし、心の内で2人は呟いていた。

(なんで私…みのりんと竜児の邪魔、しちゃったんだろ)
(なんで俺…大河が割って入ってくれて、ほっとしたんだろ)
(奥手の竜児にとって、みのりんに手ずからプリンを食べさせてくれる機会なんて、すごく幸運なことのはず。私は竜児の恋を応援するって約束したのに、なんで邪魔しちゃったんだろ?)
(憧れだよな。好きな女の子にあ〜んってしてもらえるのって。なのになんで俺、そのチャンスを潰されて、なんともないんだ?)

 ふと、横を見ると、自然と視線が合った。

(竜児…怒ってないの?)
(大河、何を心配してるんだ?)

 竜児はいつもと同じ、穏やかに笑っていた。
 大河は最近はあまり見せない、不安そうな顔をしている。

「どうした?もしかして、喰ってすぐ走って、脇腹でも痛くなったか?」
「別に」
「そうか?喰いすぎて腹が苦しいとか?」
「あんたは私をなんだと思ってるんだ?」
「…言わせるな。俺にも情けはある」

 無言で、大河は駄犬野郎の頬を抓った。かなり痛く。

「いだだだだだだだだだだ!すいません!頭に乗りました!」
「覚えたかこの駄犬。あんたのその容量の少ない脳味噌に、まあ3日くらいは残しとけ」

 ああ、いつもの大河だ。
 うん、これがいつもの私たちだよね。

 そう思うと、なんだか心が落ち着いた。
 この居心地のよい空気。この居心地のよい距離。
 この居心地のよい、関係。

「ずっと、このままでいたい…」
「え?なんか言ったか大河?」
「……ね。授業、さぼっちゃおうか」
「ダメだ!そんなことしていいわけねーだろ!」
「…だってかったるいんだもん」
「眠そうだなお前…たらふく喰った後は昼寝かよ。フリーダムな奴め」
「…ん…ちょっとだけ、寝かせてよ…」
「…30分な。5時限目に遅れないように、チャイム鳴る前に容赦なく叩き起こすぞ」
「うん…お願い」

 欠伸まじりの返答と共に、当たり前のように左肩に重みがかかる。
 竜児の肩に頭を預けた大河は、すぐに寝息をたてはじめた。



「あきれるほど寝つきいいなコイツ…」

 安心しきって、自分にもたれかかって眠る大河は、あどけない女の子の顔をしていて。
 かわいくて、かわいくて、かわいくて。
 色々と言いたかったことはあるけれど、もうどうでもよくなってくる。
 だから、代わりに言ってやる。

「お前って本当、かわいいよな」

 大河が目を覚まさないように小さく呟いて、竜児はそっと、少しだけ乱れた髪を直してやった。
 本当は、ちゃんと聞こえていた。
 ずっとこのままでも…こうやって大河と一緒に毎日バカやってる日常は、楽しくて。
 このままでもいいなと、思う。
 少なくとも、今のこの生活を否定したり拒絶する理由なんて、まるで思いつかない。

「でもお前は、北村が好きなんだよな」

 そして自分が好きなのは、櫛枝実乃梨だから。
 そう、自分に言い聞かせる。
 でもいつからだろう。自分の心に、言い聞かせなくてはならなくなったのは。
 どうして、そんなことをしなくてはならなくなったのだろう。
 わからなかった。
 わからないけど、わからないまま、それでももう一度、呟く。

「大河…俺、」

 でもそれ以上は続けられなくて。
 竜児は優しく、眠る大河の頭を撫でる。
 今はただ、こうしていたかった。
 大河と一緒にいたいと思った。
 そっと、陽射しが眩しくないように、竜児は大河の額に手を添えて日陰を作ってやる。
 だからその手の下で、
 大河がそっと目を開けていたのを見ることはできなかった。


  <了>





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