暑かった夏も終わり、新学期が始まったばかりの9月の金曜日の夜のこと。
例のごとく、自分専用と決め付けている高須家備品の座布団をふたつに折り曲げて、枕代わりに寝転んでる居候がひとり。
高須家の居間で長い髪を畳の上へ横たえ、相変わらずの美少女振りを発揮するのは逢坂大河であった。
竜児にとって既に大河が自宅の居間にいるのがすっかり見慣れた光景になっており、もはや空気のような存在。
普段は意識しないが何かあると意識してしまう。そしてそれが無くては生きていけない。
大げさかもしれないが、明日から急に大河が居なくなれば、寂しいとか、そんな簡単な言葉で表すことが出来ないくらいだ。
めったに無いことだが、たまたま大河が早く自宅に帰ったりしてしまうと、居間にポッカリ、隙間が空いてしまい、ジグソーパズルのピースが足らないようなもどかしさを竜児は感じる。
ついこの間も台所で家事仕事をしていて「大河」と声をかけ、返事が無いので後ろを振り向いた時、居間に誰も居なくて、竜児はひどく慌てた。
「眠いから帰る」
そう言って、ちょっと前に大河が帰ったのを思い出し家事仕事に戻ったのだが、心が落ち着かず竜児は居心地の悪さを翌朝まで抱え込むことになった。
それは「わかめ?、豆腐?」と、朝食の味噌汁の具を聞きながら玄関ドアを騒がしく開けて、飛び込んで来る大河を見るまで続いた。
・・・俺、どうかしてる。
夏休み以降、自分でも変だと思いながら、竜児はこのところ、毎日を過ごしていた。

「・・・くしゅん」
うたた寝していた大河がくしゃみで目を覚ます。
「う〜っ、鼻水」
鼻から水ちょうちんを垂らして起き上がり、そのまま着ていた服の袖でぬぐおうとする。
「ん、あに?」
己を見ていた竜児の視線に気が付き、袖口で拭くのをやめ、「ティッシュ」と催促。
竜児は近くのボックスから2〜3枚抜き取ると、そのまま大河の鼻を押さえ、「ほら、ちーん」と鼻をかむ様に大河をうながす。
以前なら「自分でやる」と言っていた大河だが、今日は素直にそのまま「ふん」と鼻を鳴らす。
そんな大河の鼻の下を新しいティシュで拭いた時、竜児は大河の異変に気が付いた。
「う〜」と唸る大河はだるそうで、見れば顔がかなり赤かった。
キャンバスの様に白かったはずなのに淡いピンク色の絵の具をにじませたみたくほんのり色付いる大河の頬。
「熱、あるんじゃねえのか」
「風邪、ひいたみたい」
「いい加減、クーラーつけっぱなしで寝るのはやめろよ」
「タイマーにするの忘れたの」
今朝も寝坊した大河を起こしに逢坂家にお邪魔した竜児は大河の寝室に入って驚いた。
異様にひんやりしており、見ればエアコンが全開で、冷たい空気を吐き出し続けている。
リモコンの設定温度を確認するばなんと20度で、大河は夏用の薄いパジャマ姿で寒そうに、タオルケットを体に巻きつけて寝ていたのだ。
「もう、今日は帰って、寝ろ」
大河が帰ってしまうのは辛いが、病人を引き止めるわけにはいかない。
「・・・そうする」
立ち上がろうとした大河は、立ち眩みを起こし、バランスを失った。
「あぶねえ」
そしてそのまま支えようと手を伸ばした竜児に大河は体ごと倒れこんだ。
抱きしめるような形で大河を受け止めた竜児。
思いもかけない形で大河100%祭りのような状況に追い込まれ、竜児の心拍数は跳ね上がった。
腕の中に・・・腕の中に・・・大河が・・・。



うでのなか たいがとびこみ どうしよう

怪しげな一句が竜児の頭を駆け巡る。
季語がねえ、などとどうでもいいことに独りで突っ込みを入れながら、竜児は自分の両手をどうしようかと思案した。
このまま、大河を腕の中でぎゅっと抱き締めてしまいたい衝動が抑えきれないのだ。
もちろん、普段のときにそんなことをしようものなら、血を見るのは明らか。
だが、今なら・・・。

竜児は腕に力を入れると、そのまま自分の頭を殴りつけた。
・・・俺は馬鹿か。
竜児の胸の中で苦しげに息を吐く大河を見て、そんな不純な気持ちは消し飛んでしまった。
「大河、大丈夫か」
「目が回る・・・みたい」
「ちょっと、いいか?」
竜児はそう断ると大河のおでこに手を当てた。
熱したフライパンも顔負けの熱さで、目玉焼きが焼けるぞと竜児は思ってしまったほどだ。
「病院へ行こう」
慌てて動こうとする竜児の服のすそを大河はつかんだ。
「いい・・・行かなくて」
「だけど」
「あそこは嫌い」
そう言われて竜児もためらった。
夏休みの最中に腹痛で駆け込んでひどい目にあった場所だ。
しかし、そこ以外にこんな遅い時間に診てもらえるようなところを竜児は知らなかった。
「じゃあ、薬を・・・駄目か」
大河にアレルギーがあることを思い出したのだ。
「飲んでいい薬の種類、わかるか?買ってくるから」
「思い出せない・・・何とかが駄目って言われてるけど・・・何とかが出てこない」
熱でぼうっとしているせいか、大河のメモリーは読み出しエラーの状態。
薬も駄目、医者も駄目、どうすればいいんだと竜児が途方にくれている間に大河は全身が脱力するみたく畳に突っ伏した。
「た、大河」
もう、大河を自宅に帰してと言う段階ではない。
竜児は自分の布団を敷き、その上に大河を横たえた。

体温計はどこかのプロ野球監督の台詞そのままだった。
・・・信じられねえ。
40度近い数字に竜児は目を疑う。
とにかく冷やそうと、竜児はタオルを氷水で冷たく濡らし、大河のおでこにあてがった。
「ひんやり・・・」
「気分はどうだ?」
「なんか常夏の島で、オーバーを来て焼き肉食べてるみたい・・・カルビとか・・・焼き鳥も・・・ああ、食べたい」
異様に熱いと言うことだろう。
しかし、こんな状態でも食べ物に結びつける大河に、竜児は少し安心する。
食い意地があれば大丈夫だ。・・・とは言うもののあまりに高い熱に竜児は不安を隠せない。
早く熱を下げないと・・・もしも大河がパーにでもなったら目も当てられないことになる。
頼みの泰子は電話に出てくれず、メールにも応答が無い。
大河の息は荒く、辛そうで、何とかしてやりたいと痛切に思う。



・・・竜ちゃんはね・・・子供の時にお熱を出したら、う〜んと汗をかいて、熱を下げたんだよ。

不意に泰子の言ったことがよみがえる。
そうか、汗をかけば熱は下がるんだ。
竜児は厚手の掛け布団を持ってくると大河に掛けた。
「・・・何・・・熱い」
布団蒸し状態にされ、大河が抗議の声を上げる。
布団を蹴って、足を出そうとする大河を竜児は押し留めた。
「がまんしてくれ、大河」
「う〜・・・後で・・・う〜・・・覚えて・・・う〜」
唸り声と呪詛の声を交互に繰り返す大河が布団を剥がさない様に、その上から竜児は力ずくで押さえ込んだ。
布団の下で暴れる大河に「わりぃ、ごめん」と繰り返し謝りながらそれでも竜児は布団の上から動かなかった。
そのうちしばらくして、大河が静かになった。
竜児が大河の顔を覗き込むと顔一面に大粒の汗・・・。
呼吸もかなり楽になった感じですうすうと心地良さげにしていた。
暴れて疲れ切ったのか、そのまま眠ってしまった大河に竜児がおでこに手を当てると、熱はかなり下がった感じで、ひとまず、ほっとすることが出来た。
とりあえず掛け布団をどかした竜児はそこで新たな問題を発見し、困惑する。
雨で濡れた様に湿っている大河のフリフリのワンピ。
・・・このまま着てて良いわけが無い。
着替えはとりあえず、俺のジャージでいいか・・・と用意したまでは良かったが、大河が目を覚まさない。
体力を一気に消耗してしまったせいなのか、かなり深い眠りに落ちている。

汗まみれの眠り姫を前に竜児は途方にくれた。
「大河、おい、起きろ。着替えねえと・・・駄目だ」
揺すったり、頬を叩いたりしても大河は起きない。
「どうする?・・・困った」
童話の眠り姫はどうやって起きたんだっけ、などと考えている竜児。
そして、すぐ目を覚ますと思った大河はなかなか起きない。時間だけが過ぎて行く。
「・・・非常事態だ。このさい・・・仕方が無い。大河、許せ」
犯罪者が犯罪に走る瞬間はこんな気持ちなんだろうか、そんな想いを抱えながら寝ている大河に竜児はそっと手を伸ばした。




「責任取ってよ、竜児」
「せ、責任って・・・何だよ?」
次の日の夕方、大河はすっかり元気になっていた。
高須家にいつものように夕食を食べにやって来たのだが、開口一番、竜児に詰め寄った。



あれから朝方には平熱に下がり、竜児は安心して大河を自宅へ帰していた。
もちろん竜児もついて行き、おかゆなどを作ったのは当然だが。
「おかゆじゃ、足らない」
「病人はそれが一番だ」
「もう起きる」
「寝てろ」
「大丈夫」
昼過ぎになって、見る見るうちに復活した大河は起き上がることを主張して竜児を手こずらせた。
結局、夕食を「焼肉」にすると言うことで大河は納得し、おとなしくその日一日、ベッドの住人として過ごしたのだった。
もちろん、プリン持って来いだの、のど渇いただの、すっかり王侯貴族になりきって竜児をこき使ったのは疑う余地も無い。

「もう、お嫁に行けない」
「俺は・・・何もしてないぞ」
「・・・見た、でしょ・・・」
じとっと上目遣いで竜児ににじり寄る大河。
「お、俺は何も・・・見ちゃいねえ」
「・・・正直に言うなら今のうちよ」
手をぱきぽき鳴らす大河。
「正直って・・・何に正直なんだ」
「ね、どうやって、着替えたの?私」
「それは、大河が・・・自分で」
竜児の目線は大河を見れない。
「覚えが無いんだけど」

大河の追及をかわし切れない竜児はとうとう本当のことしゃべった。

「ああ、見ちまったよ、確かに」
目の前の大河は昨夜の熱がぶり返したかと言うくらい真っ赤になった。
「・・・ど、どこまで、ねね、竜児・・・どこまで・・・み、たの」
語尾をかすれさせながら、大河は恥ずかしさの余り竜児に尋ねる。
「・・・なんだ・・・大河、起きないから、ワンピは悪いけど・・・脱がせた」
「そ、それで・・・」
「だから、その・・・下に着てた、あれとかそれとか・・・」
竜児も顔を赤くしてしどろもどろ・・・。



結局、大河のきわめてプライベートな格好を見てしまった竜児なわけであるが、大河とて女の子。
それ以上、竜児が手を触れるのを拒み、無意識の中で下着を脱ぎ、タオルで体を拭いて、用意された着替えを身にまとっていた。
その間、竜児は後ろを向いたまま、タオルやら着替えやらを大河に手渡したのだ。
ただ、手渡す瞬間にちらりと大河の背中や二の腕のミルク色の肌が見えてしまったのは仕方の無いことではあるが・・・。

「・・・うそ、ついてない?」
「本当だ、信じてくれ・・・第一、着せ替え人形じゃねえんだ、そんな簡単に着替えさせられるか」
「ま、いいわ・・・信じてあげる」
大河とて、ぼんやりとは自分で脱いだ覚えがあるのだ。
まさか、始めから竜児が脱がせたなんて思っていたわけではない。
「・・・遺憾だわ・・・ああ、もう、なんて不覚」
「そ、そんなに言うこと無いだろ」
「だって、そうじゃない・・・ああ、もうよりにもよって・・・」
「そんなに俺に見られたのが嫌なのかよ」
そこまで言われると竜児とて傷つく。
「違うわよ」
「じゃあ、何だよ」

大河の説明はこうだった。
いい加減、着古したやつだったのよ・・・一年前に買ったやつで。
・・・だから、もう分かんない?
あんな下着を着てるのを見られたのが遺憾なのよ!!

それが冒頭の責任取れと言う発言に繋がるらしい。
ようするに「ちょっと古い下着姿を竜児に見られたのが駄目」と言うことなのだ。
女心の複雑さに竜児はそんなものかと思う。
だが、待てよ・・・と竜児は考える。

「なあ、大河」
「あん」
「その、気に入らないカッコを見られたのが遺憾で、責任取れってことだよな」
「その通りよ!!」
「それって・・・俺にもう一度、見てくれってことか?大河がお気に入りをつけている姿を」

大河自身、言った言葉の意味にもう一度、赤くなる。
照れているのか、怒っているのか赤い顔のまま、エロ犬、早く焼き肉用意しろと怒鳴る大河。
そんな大河がいることに竜児は安心する。
今日も大河は家に来てくれた。明日も、あさっても来てくれよ。大河がいないと・・・何かが足らないんだ。
台所の背後にある居間で騒ぐ元気そうな大河の声を聞きながら、竜児は満ち足りた何かを感じ始めていた。





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