大河の謹慎が明けて数日後、高須竜児はいつものように自分の机と前に座るクラスメート
の机をくっつけ弁当を取り出す。
「学校での楽しみは、みのりんに会うことと、これくらいね」などとぬかす大河のためだ。
生徒会長になった北村はクリスマスパーティーの企画で忙しそうで、彼のせいで新ソフト部部長になった櫛枝も昼休み中はいないことが多く、最近はこうして二人で食事をすることが多い。
もっとも、櫛枝に好意を寄せている竜児としては、最近どこかよそよそしい彼女のことが、
気に掛かり、なんとか話すきっかけが欲しいと思っていたりするのだが…。
そんなことを思いながら昼飯の準備をしていると、
「やぁ高須。今日は一緒に食べないか?」
と今全校で最も忙しいであろう北村が声をかけてくる。
「おお、いいぞ。」
と言いながら目の前にいる大河に目を向ける。
そう言えば、以前、一緒に飯を食べた時に、こいつテンパり過ぎてたんだよなーと。
「き、き、北村君も?別に私は構わないけど…生徒会忙しいんじゃないの?」
と大河が北村を見ながら話す。
「あぁ、クリスマスパーティーの企画は大体決まてな。今週は少し余裕が出来たんだ。」
と北村が言う。
「へ〜。そうなんだ。クリスマス楽しみだなぁ。」
と大河はいつになく上機嫌だ。
「た・か・すくん♪亜美ちゃんも一緒にご飯食べたいなぁ♪」
いつものように甘ったるい声で、上目遣いの亜美が近づいてくる。
「あれ?木原や香椎は?」
と竜児が聞くと、
「今日は、みんなにお誘いがあって来たんだ♪」
ふふん♪と川嶋は胸を張って言った。
「へ〜、ばかちーのことだから、どーせ大した誘いじゃないでしょうよ?
また竜児をどっかに連れ出す気なんでしょ?」
と、手乗りタイガーよろしく川嶋のことを睨む。
竜児も怪訝そうな表情を浮かべている。どうせろくなことを考えてないだろうな…と。
「あっ!来た来た。みのりちゃんこっちこっち♪」
川嶋は大きく手を振って櫛枝のほうを向く。
櫛枝は一瞬驚いたかの表情を見せたが、いつもの笑顔にすぐ戻り、
「いやいやぁ、皆の衆、お揃いのようだね。マネージャー-がなかなか放してくれなくってさ。ところで、あーみん話って一体なんなんだい?」


と、川嶋に問いかける。
「実はね、夏休みに伊豆の別荘にみんなで行ったじゃない?そこの近くに紅葉がキレイな
ところがあってさ、ちょうど今が旬らしいんだ。忙しくて最近みんな話たり出来ないし、
行ってみない?」
と、にっこり笑いながら川嶋が提案する。
川嶋の割には、まともなこと考えるじゃないか…と思っていたら、
「へ〜、ばかちーの割には面白いアイディアね。いいわ。私ものったげる。
竜児は?当然行くでしょ?」
 と、やはり同じ意見だったかと、大河を見ると、あいつは竜児を見た後すぐに視線を櫛枝にむける。
 もちろん、最近櫛枝とろくに話せていなかった竜児としては、これ以上にないチャンス
だったので、二つ返事でOKの返答をする。
 結局、櫛枝も北村も賛成し、その週の週末にかけて川嶋の別荘に行くことになった。



どうしようか、と考えているうちにすぐに週末はやってきた。
行き先は、川嶋の別荘のある下田に、程近い河津町というところらしい。
早春に咲く「河津桜」が有名だが、それに勝るとも劣らない紅葉が見られるらしい。
電車に乗ると、久しぶりの皆での行動もあってか、みんな楽しそうに話しをしている。
川嶋が電話をしていたので、何をしているのだろうと竜児が聞くと…
「なぁに〜?女の子のプライベートに興味あるんだ〜?な〜んてね。
クリスマスパーティーで大きなもみの木を飾ろうと思うんだ。
今その業者さんと電話で話してたとこ。」
と川嶋は言う。
「へ〜。」
とみんなが頷く。
「どんなツリーか楽しみだね♪」
 大河は大はしゃぎだ。

熱海をすぎて暫くしたころ、車掌の車内アナウンスが流れた。
「ご乗車中のお客様にお知らせ申し上げます。当列車は、この先伊豆高原付近にて、
信号トラブルのため暫く停車いたします。お急ぎのお客様には大変ご迷惑をお掛け
致しますが、今暫くお待ち下さい。」

放送を聞きながら大河はおやつを食べている。



櫛枝も、川嶋もさして気にもとめていない様子だ。
北村だけは、その放送を聞いてから熱心に携帯をいじっている。
何せ自分達は大都会東京に住んでいるのだ。列車がとまったり、遅れたりなど
日常茶飯事的にあるので、いずれ復旧するであろうと高を括っていたのだ。

しかし、どれだけ待っても一向に電車は進む気配がなく、次第にみんなが不安になってきたところに、再び放送が流れた。
「ご乗車中のお客様にお知らせ申し上げます。伊豆高原付近での信号トラブルの復旧のため、ただ今復旧作業を行っておりますが、
復旧の目処がたっておりません。現在、修繕寺方面及び下田方面へ代替輸送の準備を行っております。
お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけしております。今しばらくお待ちください。」

さすがにみんな焦ったようだ。
「え〜、亜美ちゃん聞いてないんですけど〜どうすんのよ〜」
とか、
「ちょっと竜児、なんとかしないさいよ。」
などと言っている。
櫛枝はというと、
「まぁまぁ、仕方ないではないか。バスもあるって言ってることだしさ。
ちょっと待ってみようよ。」
と言う。さすが櫛枝だ。お姫様二人とは違う。
「でも、どこ行こうかしらね〜。バスだと下田なんて時間かかるじゃない?
近場でどこかないのかなぁ。」
と大河が言うと、
「ん〜、どうしようかねぇ。ホントは私も海を見たかったんだけどねぇ」
と櫛枝も同調する。
日も大分高いところにある。どうしたもんだかなぁと竜児が思案している時、
北村がおもむろに口を開く。
「修善寺もそれなりに有名なんだが、その先に土肥というところがあるらしい。
そこには有名な観光スポットで恋人岬というものがあるらしい。帰りにも、フェリー
があって、清水まで行けるらしい。そうすれば問題なく、帰宅することも出来ると思うが…」
さすがは北村だ。さっきから何を真剣に携帯をいじってたかと思えば、そんなことを調べていたとは。
「ね〜。恋人岬って何?」
と大河が竜児に尋ねる。それを聞いてか聞かずか、



「恋人岬という場所はだな、愛の鐘と幸せの鐘っていう二つのベルがあるらしい。愛の鐘を三回鳴らすと恋愛が成就して、幸せの鐘を鳴らすと幸せになれるってものらしい。
昔から伝わる民謡にあやかったものらしいぞ?」
と北村が得意げに話す。

「北村君まで伝説好きとは思わなかったけど…」
と大河が言う。
そう言えばそうだ…と竜児は思う。幸福の手乗りタイガー伝説に、失恋大明神、
その次は愛の鐘に幸せの鐘か…と。
ここ最近の、ぎくしゃくしている櫛枝との関係をなんとかしたいという思いも存在する。
その一方で、それと同じくらいに、大河にも幸せになって欲しい…という思いも存在する。
悪くないな…と思う。
ふと見上げると、
「でも、行くとこもないし、そんなところもいいかもね。」
と大河は言っている。
一方、川嶋は、
「え〜、亜美ちゃん紅葉が良かったんですけど〜、大体さぁ、
伝説とか信じるなんてバカっじゃねーの?」
と反対する。
「櫛枝は?どう思う?一応海も見えるはずなんだが。」
何を考えているんだろう…目を向けると、櫛枝は真剣に悩んでいる。
が、竜児の視線を感じたのか、さっと目を反らした。
そして、少しの沈黙の後、
「行ってみようかな…。私も伝説とかどうなのかなぁって思うけど、
興味がないわけじゃないし。」
「よし、じゃあ決まりだな。修善寺より西にもバスが出ているようだし、
早速向かおうか。」
と北村がリーダーシップをきる。
北村が「何を願うか考えとけよ〜。両方の鐘を鳴らすのは効果がないらしいぞ〜」
などと言うなか、真正面に座っていた大河がそっと竜児に耳打ちをした。
「ちょっと竜児、分かってるんでしょうね?恋人岬に着いたら、
二人で行って鐘を鳴らすのよ?絶対に親密度があがるから。」
おまえが北村と一緒に行きたいだけだろと竜児は思いながらも、
やはり櫛枝との距離を縮めたい竜児は、素直に頷く。



みんなが楽しそうに願うことを考えながらいる時、
ただ一人不機嫌そうにしているのが、川嶋だった。そんな様子を察したのか北村は、
「ん?亜美はつまんなそうな感じだな?行きたいところがあるなら言ってくれても
いいんだぞ?」
 と聞く。
「そうなのか川嶋?どうした?」
と竜児も川嶋に言う。
しかし当の本人は、
「べっつに〜?いいんじゃない?みんな行きたいんでしょ?」
と言いながらそっぽを向く。
そんな川嶋は誰も見ない外を向きながら、
「祐作は相変わらずバカで鈍感なんだから…」
と、ぼそっと、しかしはっきりと呟いた。
誰にも聞こえていなかったのだが…





「へーけっこう人いるんだなぁ。こんなにいるとは思わなかったよ。」
と竜児が言う。
大河が人混みが苦手なのか次第に不機嫌になってくる。川嶋も相変わらずだ。
一方で、望みだった海が見られた櫛枝はこの上なく上機嫌だ。
「海だぜー、いぇーい♪」
と大声をあげて、はしゃいでいる。
そんな様子を見た竜児は、ほっとしつつ、しかしながら、
これから彼女を誘わなくてはいけないと思うと若干緊張していた。
「ねぇ、なんでこんな人が多いわけ?なんかあるんじゃないの?」
と川嶋がけだるそうに言う。
確かに…と思いながら、前へ進んでいく。
そして気付く。道幅が狭いのだ。
5人で歩いたら、すれ違う人と行き交うこともままならないだろう。




ご丁寧に看板まで設置されている。
内容をよく読むと、
「一組につき3名まで。次の組は前の組から20分以上空けてから進んでください。」
と書かれている。
なるほど。人が大勢いるわけだ。

しかし、よく考えると、これはチャンスなのだ。
『大河は北村をくっつけ、櫛枝をなんとしても誘いだそう。問題は川嶋なんだが…』
と考えていると、
やはり川嶋が、
「た・か・すくん♪あたしと〜二人っきりでいってみない?」
と誘ってくる。
まただ。また川嶋にからかわれていると竜児は思った。
「ねぇ〜、あたしみたいな可愛い子と行けるなんて滅多にないと思うんだけどなぁ♪」
と執拗にまでに腕に手をからませながら、目は某あ○ふる犬のチワワのように潤んだ瞳
でせまってくる。
「かっ、川嶋?ちょっと放せって!」
と竜児は拒む。
だから竜児は見落としてしまったのだ。腕にあたる豊かなそれに気をとられ、
潤んだ瞳の奥底にある、必死とも懇願ともとれるその眼差しを。
「ちょっとばかちー、放しなさいよ。あんたは私と行くのよ!いい?」
大河は、さも決定事項であるかのようにそう言った。
しかしながら、全員が大河をハッとした表情で見たのだ。
驚いたのである。大河が川嶋を誘ったことに。
「はー?亜美ちゃんは高須君と行きたいんですけど?さっきから言ってるじゃん。」
と川嶋は言う。ふっと川嶋は大河を見る。そして、こう言ったのだ。、
「じゃあー、祐作も一緒に行かない?ねっ?いいでしょ?逢阪さーん?」
と言っていると、
「いいわ。それで行きましょ?北村くんは?」
と答えながら、北村を見る。
「あぁ、俺は別にかまわんぞ。逢阪に亜美。たまには両手に花も悪くないな。
ハッハッハッ!高須はそれでかまわないか?」
と聞いてきた。
「俺は別に構わないけど…。」
竜児が答える。
「そうか…」



と何かを考えるかのように親指を顎に近づけた。が、すぐに表情を変え、
「そうか。それなら、高須と櫛枝、逢阪に亜美に僕という組み合わせで行こう。」
といつものような笑顔を振りまいた。

思惑通りに進んだ、竜児と大河がほくそ笑むなか、
川嶋は竜児と行けなかったのが悔しかったのか、
しかめっ面、全身から不機嫌のオーラを出している。

竜児は、櫛枝とともに行けることに本当に喜んでいた。
だから櫛枝の複雑な表情を見落としまっていたのだ。




人数が多く、かなりを待つだろうと予想していた行列も、わりとあっけなく過ぎ、
いよいよ次が竜児と櫛枝の番だった。
櫛枝は、「よーし、一丁行ってくるぜ」
といつもの笑顔で大河と抱き合っている。
相変わらず仲いいんだよな。この二人は…と思いながら、
大河は、どちらの鐘を鳴らし、何を願うんだろう?と一瞬考えた。
が、刹那、今は目先にある櫛枝のことを考えなくては…と思い直した。
程なくして、竜児と櫛枝の順番になる。
やはり道中はとても狭く、何人もが横に連なって歩くには向かないだろうと思う。
しかし、恋人同士で訪れることが多いであろうこの場所に、そのような広さは
必要ないのだろうなと考え直す。
今は隣りに、櫛枝がいるのだ。それが竜児の気持ちを高ぶらせ、緊張させていた。
何か話さなくては…と竜児は考えていた。
そう言えば、今日はまだ会話らしい会話もしていない。
精一杯の勇気を振り絞り、
「なっ、なぁ?櫛枝…」
竜児は呼びかけた−が返事は聞こえない。
あれ?と思い櫛枝を見る。櫛枝はまるで気付いていないようだ。
何かを考えているのだろうか?
もしかしたら、何を願うか真剣に考えているのかもしれない。
何かを考えている櫛枝の顔は、いつものように明るい表情をしていたが、
その瞳はどこか苦しげで、ギュッとグーの形をしたその拳は、少し震えていた。




なんとなく話すきっかけを失った竜児は、色々なことを考え出す。
先日の北村の狩野会長への告白や、大河の殴り込みのこと。
だが、それは過ぎてしまったことなのだ。
北村は狩野会長に見事に振られ傷心している。
大河にとってはそれはチャンスと言えるのではないだろうかと。

ただ一方で、川嶋のことを誘った大河の気持ちの真意を竜児は計りかねてもいた。
「自分は何を願うんだろう」とふと竜児は考える。当然「櫛枝への想いが成就すること」を願うべきなのだ。
けれど…ふと先ほど歩いてきた道を振り返る。
そして、先日、大河の謹慎がとけた日に「みんながhappyなクリスマス♪」と言ってたことをふっと思い出す。
あいつは何を願うのだろう…と。





竜児は突然走り出した。
それはもう文化祭の時の福男レースの時のような勢いで。
それに驚いたのか、櫛枝も後を追いかけてくる。

「ちょっと高須君どうしたの?」
頂上でようやく追いつき、櫛枝が肩で息をする。
櫛枝の言葉に竜児は、ハッとした。
全力疾走していたのだ。それも無自覚に。
福男レースの時のそれのように。

「着いたね。あっ!あれが例の鐘じゃない?ほら、二つある。」
櫛枝が指を指す方向に目を向ける。
確かに二つの鐘がある。
「高須君早く行こうよ。」
櫛枝に言われて歩き出す。
「へ〜、二つそれぞれ音色が違うんだね。」
櫛枝は一人で鐘を鳴らし始める。
おいおい、そんなんじゃ御利益ないだろと高須は言う。
それでも櫛枝は、そんなこともお構いなしににっこり笑って、
「高須君、あのね、鐘を鳴らす時目を閉じてもらえないかなぁ?私も目を閉じて鳴らすからさ。鳴らした後は、お願いするから少し待ってて欲しいんだ。」
と言う。さきほどの笑顔はどこへやら、真剣な表情をしている。




櫛枝の意図がよく分からない竜児ではあったが、頷き、それぞれのベルのロープを持った。
櫛枝は竜児の前に立ち、同じようにつのベルのロープを握る。

高須は、密着する櫛枝の背中と、これから起こるであろう事象に酷く緊張していた。
どうか、櫛枝も同じベルを鳴らしてくれますように。と願った。

「高須君、準備はいいかな?」
櫛枝が問いかける。
「おっ!おう!」
竜児は、慌てて返事をする。
「じゃあ、目を閉じて」
竜児は固く目を閉じた。
「じゃあ、いくよ?」

竜児の心臓は爆発しそうに鼓動する。
そして願う。
どうか、櫛枝も同じ鐘を鳴らし、同じ願いをしてくれますようにと。
藁をもすがる想いで祈ったのだ。それこそ、失恋大明神や、幸福の手乗りタイガーに。
大河には毎日触っているし、北村もともにいる。きっと願いは叶うはずだと強く信じながら。

そして、勢いよく『愛の鐘』を鳴らす。


おかしいのだ。
櫛枝の手は、『愛の鐘』を鳴らしているようには感じない。
いや、むしろ…

そんな考えを断ち切るかのように、さらに激しく『愛の鐘』を鳴らす。

やはり、おかしいのだ。

竜児が鳴らすそれとは別なものを鳴らしているように感じる。
自分があまりにも勢いよく鳴らしたために、
櫛枝がどちらを鳴らしたのか分からなくなってしまったのではなかろうか…と竜児は咄嗟に考え、勢いを弱めた。




そして、絶望した。
櫛枝が鳴らしたそれは、自分が鳴らしたそれとは別のものであることが分かったからだ。

なぜだ?と竜児は考える。確かに、このところ、明らかに避けられている感じはあった。
だが、竜児は櫛枝に嫌われるようなことは一切していないのだ。
いや、待てよ…もしかしたら、文化祭での大河の父親の一件を根にもっているのだろうか。
でも、その後の福男レースでは見事な連携プレーで優勝し、その後のダンスでも話したのだ。
考えられない。

竜児には、分からなかった。
背中と胸が密着してとても近いはずなのに、櫛枝がとても遠くにいる人のように感じた。
それこそ、オリオン座の三つ星の各々の距離の比ではないくらいに。

そして、祈りを捧げる時間が永遠のように長く感じられた。




よしっ!お祈り終了だべさ〜♪」
櫛枝が、いつもの明るい声で、そう言った時、星のかなたの距離にあった二人の距離が、
永遠とも感じられた時間が一気に現実に引き戻された。
竜児は目を開く。
そこには、いつもの眩しい笑顔があった。そのことに竜児は少し安心したが、
同時に、『通じていない』ことに対する寂しさも感じていた。




帰り際、少し俯きながら、
「同じ鐘…じゃなかったね…」
櫛枝が言う。
行きの道で見たあの顔と同じだ。
しかし、一瞬にしていつもの笑顔を取り戻し、
「さーて帰りますかね。大河たちも待ってるしね♪」
とさきほど来た道を引き返していく。
「あっ!そうだ、高須君、どっちが速いか、競走しない?」
と櫛枝が提案する。
「競走?」
竜児が聞き返す。
「そう。競走。この前の福男レースの時さ、二人同着だったじゃない?
だから、その再戦。負けたほうが何を願ったか言うの。あっ!嘘はなしね?」

竜児は、櫛枝が何を願ったかにとても興味があった。
だから頷いた。
「よーし、じゃあゴールは…この前と同じ大河のとこね、それでいいかな?」
竜児は答えた。
「おう。いいぞ。真剣勝負な?」
言いながら、竜児は男と女だから自分が勝つだろうと踏んでいた。そして、
何を願ったのか聞きたいと思っていた。
「じゃあ、いくよ?
位置について〜、よーい、ドン!」
かけ声とともに二人は走り出す。全力疾走だ。
この時ばかりは、櫛枝には負けてなるものかと本気で走った。

ところが、蓋を開けてみると、帰宅部の竜児と、
ソフト部エースの櫛枝の間には歴然とした差があったのだ。
始めのほうは竜児も善戦していた。ところが、
すぐに櫛枝との差は開きあとは広がる一方だった。
体力の差が大きすぎたのだ。これでは、もう無理だろう…
竜児の櫛枝への想いを伝えなくてはいけないのだろうか…。
だが、状況が悪い。櫛枝は『幸せの鐘』を鳴らしたのだ。
『通じていない』のだ。
竜児の想いをよそに、差は広がる一方、逆転するのはもはや絶望的だった。
その時だ。

ありえないことが起こった。
「あっ!」




櫛枝が躓いて転んだのだ。

お笑い芸人のコントでも見ているかのように、それはもう勢いよく櫛枝は転んだ。

「くしえだーーーーーー」
大声を上げて竜児は近寄る。

「大丈夫か?立てるか?」
竜児は心底心配そうに櫛枝に問いかける。
あいたたたた…と、櫛枝は足首をなでる。
「ちょっと捻っちゃったみたい…」
歩けないことはないんだけど…と苦笑いしながら櫛枝は言う。

竜児は、櫛枝に背を向けて、屈む。
「おぶるから、乗れよ。」
と竜児は言う。竜児はこのような人間だ。困った人を放っておくなんて論外なのだ。
「歩けるよ?大丈夫さ♪」
この期に及んで櫛枝は、まだそんなことを言っている。
櫛枝は躊躇していた。さっきと同じような苦しそうな顔で。
「いいから、早く!大河や北村達が待ってるだろ?」
と竜児が急かす。
「それじゃあ、悪いねぇ…頼むよ。」
と櫛枝が言い、背中におぶさる。

少しずつゴールが近づく。
まだ見えてはいないがそんな長い距離はないだろう。
問題なくおぶっていける距離だ。
竜児はそう考えつつも、
想い人を背に乗せているのだ。冷静でいられるはずがなかった。
顔は、茹で蛸のように赤面し、心臓の音が伝わってしまいそうだった。
そして、やはり何を話していいのかよく分からなかった。




口を開いたのは、櫛枝のほうだった。
「高須君は、やっぱり優しいね。こーゆーこと普通に出来るんだもん…。」
「いや、歩けないなら助けるのが当たり前だし、それに…」
竜児は言い淀んで顔を俯かせた。
「でもさ、それがやっぱり凄いんだと思う。こーゆーことを当たり前に出来る高須君を
私は尊敬します。」
いつもの明るい声で櫛枝が話す。
竜児は、嬉しく思った。『通じていない』という事実はあったが、
『嫌われてはいない』ことが分かったから。
そして櫛枝が続けた。
「高須君は、誰を想ってあの鐘を鳴らしたの?」
今度は、さっきとは違う。消え入りそうな声で、でも真剣に尋ねてきた。

『おまえを想って鳴らしたんだ』
と言えない竜児は、悔しくて切なかった。
そんな竜児の表情を肩越しに見た櫛枝は、あと少しで到着するであろうゴールの方を見ながら話を続ける。




今日は行けなかったけどさ、夏にさ、あーみんの別荘に行ったじゃない?その時さ、
幽霊がどうとか、UFOがどうとか話したじゃない?覚えてる?」
竜児は、あぁ、あの事か。忘れるはずないじゃないかと思いながら、
「覚えてるよ。」
と答える。
「私ね、幽霊見るのってやっぱり怖いなぁって思ってたんだ。
最近までね、幽霊は誰にでも現れるものじゃない、
誰かのもとに現れたら、誰かの見えかけてたそれは幽霊じゃなかったって、
その誰かが幽霊の幻を見たんだって…辛くなるんじゃないかなって思ってた。
でもね、ひょんなことで、もしかしたら私も幽霊を見てもいいのかもしれないって、
思うようになってね、そんな時にね、私が見てたUFOが爆発しちゃってんだよ。
この前見た人工衛星でもなく花火でもない本物のUFO。
もう、私びっくりしたんだ。どうしよう。私本物のUFO見ちゃったよ〜って。」
「よかったじゃねーか。」
と竜児は笑いながら話す。
「そだね。でも微妙なんだ。
UFOを見ちゃう一方で幽霊を見るのは怖いって気持ちもやっぱりあってさ。
そんな風に考えてたらさ、見えてたものも段々見えなくなってきちゃってさ。
もう私自爆だぁって。どうしようって…。
けっこう悩んだんだ。『愛の鐘』か『幸せの鐘』か。
ほんとに、もう寸前まで迷ってだよ?でも咄嗟に鳴らしたのは『幸せの鐘』だった。
二つ鳴らしたいなって衝動にかられたけど、北村君に言われちゃったしね…」
てへへっと笑いながら、櫛枝は言った。
「そっか。」
と竜児は頷く。
嫌われていないどころか、もしかしたらチャンスが少しは残っているのかもしれない
と思ったのだ。
「あっ!ゴールが見えてきたね。」
背中に乗った櫛枝が大きく手を振りながらみんなのいる方に手を振り叫ぶ。
「おーーーーーい!!みんなぁぁ!帰ったよぉぉぉぉ!」
と大声を上げる。
そして真顔になって竜児に耳打ちした。
「さっき言ったことはみんなには、内緒だからね♪」
と。 




北村が櫛枝の存在に気付く。
大きく手を振り返し、
「くしえだーーーー!たかすーーーーー!」
と声は張り上げる。
ぼーーっとつまらなそうな表情をしていた大河は、その声にはっとし、
声のする方向を見る。
一瞬の間の後、
「みのりーん♪」
と大きく手を振って笑う。
川嶋は、何かを一瞥した後、それよりも大分遅れて、
「高須くーーーーん♪」
といつもの甘ったるい声を出す。
そして二人のもとに駆け寄る。
「何を願ったの?」とか、「同じベルだった?」とか。
竜児は
「さぁな。」
とはぐらかす。
櫛枝も同じだ。しかしながら、その表情はどこか苦しげなのだ。
川嶋はそんな二人を交互に見つつ、フッと大きくに一つため息をつき、
「みのりちゃん、どうしたの?けっこう擦り剥いてるみたいだけど…」
と声を掛ける。
「いや〜、ドジッたのだよ。ちょっと走ったら、すっ転んじゃってさぁ。
ソフト部部長、櫛枝実乃梨、不覚だぜよ。」
と舌をペロッと出して、頭をかく。
「みのりん大丈夫?ちょっと竜児、駄犬のくせに、何してんのよ?
ご主人様の大切な友人くらい守りなさいよね!」
と大河は、竜児を罵る。
「いや〜、これは、そのだなぁ…」
と竜児が口ごもっていると、
「とにかく、まずは消毒と、湿布だろう。持ってきているから早くこっちへ。」
と、さすがの北村が竜児達を誘導する。

「高須、俺たちは次の順番だから、手当を頼むな。物は準備してあるからな。」
と、北村を先頭にして大河、川嶋がとっとと進んでしまう。

大河は、北村や川嶋と楽しそうに話している。何を話しているのだろうか…。
気になることは色々あるのだが、今は手当をしなくてはいけなかった。

手当が終わりしばらくすると、三人が戻ってくる。
どうやら三人は何事もなく無事に戻ってきたらしい。




「さーて、あとはフェリーに乗って帰るだけだな。」
北村の発言を合図にして、バスに乗りフェリー乗り場まで来た。

ほどなくしてフェリーが出航した。
竜児は一人デッキで缶コーヒーを飲む。
今日は一日色々考えたな…と思い出す。
櫛枝のこと、北村に川嶋のこと、それに、大河のこと。

そう言えば、大河のやつ、何を願ったのだろう?と思った。
大河のやつのことだ、きっと、
「はぁ〜?なんで駄犬ごときに私が何を願ったかなんて教えなきゃいけないわけ?
あんた何様?それに、そーゆーのは人に言ったら御利益なくなることぐらい
知らないの?」などと言われるだろうが、大体何を願ったかなんて想像がつく。
北村との愛の成就を願ったに決まってるのだ。

そんなことを考えながらぼーっとしてると、背が高くてスタイル抜群なあいつが来た。
なぜ、あいつは俺がジュースを飲んでるとよく来るのだろうか。
川嶋が、
「よっ!」
と言いながら近づいてくる。
 「おうっ!」
っと返す。
川嶋は、お金を入れて、いつものミルクティーのボタンを押す。
「こんなとこにいたんだ?みのりちゃん、そこまでひどくなかったみたいよ?」
と、竜児に告げる。
「そっか」
竜児はほっと胸をなで下ろす。




下を向くと、急に川嶋の顔が近づく。
竜児はびっくりして、後ろに仰け反る。
「高須君はー、どっちの鐘をついたの〜??」とアイドルのスマイルを浮かべる。
その手には騙されないぞ?と竜児は顔をプイッと背ける。
「もしかして、亜美ちゃんと両思いになるようにってお願いしちゃった?」
と、戯けた表情で聞いてくる。
 「そんなわけねーだろうが!からかうのも大概にしろよな。」
と少し荒げた声で竜児は答える。
「えー?つまんなーい。」
と駄駄っ子のような表情を見せた後、真剣な表情になる。(3回目終了)
「でも、『愛の鐘』を鳴らしたのよね?」
あまりにも真剣そうに聞いてきたため、
「あぁ、そうだよ。」
と竜児は答えてしまった。目を少しの間瞑ったが、やがて竜児を見て、
「ふぅ。まぁ、分かってたんだけどねー。
因みに、誰を想って鐘を鳴らしたの?」
と更に突っ込む。
「そんなこと言える訳ないだろ?大体言ったら御利益なくなるし、
それにお前に言う必要なんてないはずだ。」
 竜児には言えるはずがないのだ。
 「はいはい。さいですねー!」
 と、おちゃらけた後、あたしには関係ないもんね…と俯く。
 「ところで−、亜美ちゃんは、何を願ったのでしょうか?
  鳴らしたのはねー『幸せの鐘』なんだけどぉー」
 やはり…と竜児は思う。川嶋のことだ。
 亜美ちゃんの可愛さにみんなが♪とか思っているに違いない。
 「ヒントを出すとー、私自身だけのことじゃないよ♪」
 えっ?と竜児は思う。あの川嶋が自分以外の幸せを願うことなんてあり得るのだろうかと。
 「でもね、きっと叶うことはないんだろうなって思い始めてるんだ。実はね…。」
 亜美が寂しそうに笑う。





あっ!そー言えば、タイガーもね、『幸せの鐘』を鳴らしたんだよ♪」
竜児は心底ビックリしていた。
あの大河が?北村との恋愛を成就させるように願ったはずなのに。
川嶋がいたから恥ずかしがったのだろうか。
いや、待てよ、そう言えば、川嶋を誘ったのは大河だったことを思い出す。
あいつ最近わけが分からないと思いつつ竜児は、冷めたコーヒーを一気に
飲み干し、ゴミ箱に投げ捨てる。
「ほらほら、早くみのりちゃんのとこ行ってあげなよ♪」
と急かされる。
コーヒーも飲み終わっていたし、竜児は櫛枝のもとへ向かう。
ふと、竜児は考えた。
世の中分からないことだらけなのだ。
大河のことも然り、川嶋のことも然り、櫛枝のことも然り。
そう言えば全員『幸せの鐘』を鳴らしているではないか…と。
ため息をつく。どうせ考えても分からないだろうと。
だって他人の気持ちなんて分かるはずがない。
自分自身でさえ分からない気持ちを抱えているのだから。
   
   竜児が立ち去った後、亜美は満天に輝く夜空を眺めていた。
   そこには、いつか大河と竜児が話したオリオン座の三つ星が
   輝いていた。
   
(終)





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