「高須君、やめてくんない?マジむかつくんですけどぉ」
「おぅ?」

クラスメイトにいきなりきつい言葉をかけられて、高須竜児は思わず目を眇めた。夏休み明けの9月の第一週。休みぼけから立ち直り切れていない生徒達は、3時限目の終わりに始まった突然のアクシデントを興味津々に見守る。教室前方、
教壇の上にはちょっと離れて男子と女子が1人ずつ並んで仲良く黒板を消している………ように見えるのだが。女子生徒のほうは思いのほかとげとげしい声である。

声を掛けたのは木原麻耶。大橋高校2−C公式美少女トリオの一角を担う、押しも押されぬ当世風ギャル。ミルクティー色に染めたロングヘアーは夏の間少しだけ焼いた肌に溶けて、1学期よりいっそう魅力を増している。ちょっと短めのスカートからすらりと伸びた脚がまぶしい。
が、黒板ふきを持ったまま竜児を見つめる目は、とてもとてもとてもきつい。

一方、文句を言われた竜児のほうは、目がきついってレベルじゃねーぞ、と文句のひとつも言いたくなるようなツラ。やや長身の竜児は顔つきこそ並だが、目つきの鋭さが尋常ではないのだ。つり上がった目の中には嵌めこまれた眼球は白目の部分がほの青く光り、
その中心の瞳がぐっとちいさく絞られて狂気を振りまく。いわゆる三白眼。町で目が合えば9割9分は相手が目をそらす凶眼の持ち主。ついたあだ名がヤンキー高須。
今もいきなり付けられたクレームに、このくそアマ、2、3発ひっぱたいて二目と見られない顔にしてやろうかと怒りを燃やしているように見えるのだが………そう思っているわけではない。戸惑っているのだ。なにをマジむかついているのかと。
見た目に反して竜児はおとなしい男の子だ。気の強さで言えばむしろ麻耶の方が数段上で、実際の所竜児は麻耶の事を少し苦手に思っているくらいだ。だって怖そうだし。麻耶の方も進級当初こそ『高須君って、ヤンキーなんだよね』と密かにびびっていたものの、
どうやらこいつは無害らしいということで同じクラスの男子連中よりよほど度胸の座った対応をしてくる。

「なんで私が黒板拭いたあと高須君が拭き直してるわけ?1時間目も2時間目も拭いてたたじゃない」
「いや、俺はただ黒板はきれいな方がいいかと」
「なにそれ、私が拭いた後は汚いって?信じられないんですけどぉ。マジ信じられないんですけどぉ」
「俺はそういうつもりじゃなくて」
「あーもう、うざい、うざい、うざい!だったら初めから高須君が全部拭きなよ!」
「高須!」

それは良いアイデアだ!と返そうと思ったところにあきれたような声で割って入ったのは北村祐作。2−Cのクラス委員にして生徒会副会長。竜児とつきあいが長く仲のいい祐作は、普段は竜児のよき理解者なのだが…

「黒板を拭くのは日直の木原の仕事だ」

今日に限って大声を上げている麻耶ではなく竜児に非があると採決を下す。もっともこの場合、それが公平と言うものだろう。なにしろ竜児は日直じゃない。余計なお節介と言われても仕方ない。しかしながら

「いや、だって…」

と、竜児が抵抗するのは別に祐作のツラが気にくわないとかそういうわけではない。黒板をきれいにしたいのだ。



麻耶は確かに黒板を拭いている。前の授業で教師が書いた文字は、ちゃんと消えている。だが、竜児はそれだけではダメだと思うのだ。麻耶の拭き方は次の授業で文字を書くという意味では合格だろう。だが、それときれいにするということは別なのだ。
たとえば消し方。麻耶は腕を扇型に振りながら黒板拭きをつかう。だから黒板に車のワイパーで拭いたような跡が残る。それじゃダメだろうと竜児は思うのだ。粗拭きはそれでもいい。だが、仕上げはいけない。次の授業が国語なら縦に、数学なら横に拭いて仕上げを行うべきだ。
もちろん、仕上げは文字があった所だけではなく、黒板全体に行うべきだ。そして仕上げ拭きを終えたらクリーナーで黒板拭きを綺麗にし、二度仕上げを施す。時間があれば三度仕上げをかけたい。そうして初めて黒板は深い緑がかった黒へと美しく沈み、
落ち着いた気持ちで次の授業を受けられるいうものだ。だから祐作にもその気持ちを理解して欲しいのだが、

「だってもへったくれもないぞ。ほら、木原に黒板拭きを渡してやれ」

残念なことにまったく理解してくれるつもりはないらしい。言葉を捜している竜児からひったくるように黒板拭きを奪うと、麻耶はキッとガンを飛ばしてぷいっと顔を背けてクリーナーへと向かった。そして竜児に飛ばしたガンとはまったく違う愛らしいまなざしを北村に向けると

「まるおありがとう!おかげで助かったよ〜」

と体をくねらせて見せる。なにが助かっただ。あの剣幕から見て、放っておけば黒板拭きで叩かれたのは竜児のほうだったろう。

黒板拭きを奪われた竜児は所在なく立っていたが、立っていても仕方がないので席に戻った。4時限目もあるのだから教科書を出して準備しなければならない
。筆箱を机の縁に合わせてきちっとおき、教科書をノートを開こうとしたところで猫の気でも引くような「チチチチ」と舌打ちをする声に振り替える。

斜め後ろ先のほうから、淡色の長い髪に包まれた小柄な少女がこちらをにやにや笑いながら見ていた。逢坂大河。通称手乗りタイガー。高須家に居候同然に厄介になっているその美しい少女は、意地の悪い笑みを浮かべたまま、声を出さずに口を動かした。

ばーか。

大きくため息をつくと、竜児は祐作の号令に従って立ち上がる。


◇ ◇ ◇ ◇


昼休み。祐作の号令に合わせて礼をしたあと席に着いた竜児は、パンを買いに行ったりお弁当を食べるために席を寄せたりと騒がしいクラスメイト達をよそに、黒板を拭く木原麻耶を見るともなく見ていた。
揺れるロングヘアーや、背伸びするたびにつんと延ばされる足首や、思いのほか柔らかい曲線を描くスカートに包まれたあたりを眺めていたわけではない。

ああ、雑な拭き方だ。と沈痛な気持ちに浸っていたのだ。それはもう、『早くちゃっちゃっと終わらせてお弁当食べなきゃ!』と黒板拭きで書いているような雑な拭き方だった。文句があるわけではない。だが、あの雑に拭かれた黒板を見ながら昼休みを過ごし、
5時間目を過ごすことになると考えると気が沈むのだ。あのかわいそうな黒板を救ってあげたい。きれいに拭きあげて、どこに出しても恥ずかしくないきれいな姿に、例えるならば校舎が建築されたころ、
なにもかもピカピカだったころの姿に戻してもう一度希望に燃える生徒たちのまなざしを向けさせてやりたい。そう考える竜児の気持ちをくんでくれる人が一人でもいてくれたなら。

「……うじっ!竜児っ!聞こえないの?この馬鹿犬!」
「ててて!何するんだよこの暴力女!」

かなうはずもない願いを思う白昼夢から呼び起こしてくれたのは手乗りタイガー様。

「『なにするんだ』じゃないわよ。自分こそいやらしい目で木原麻耶を見てたくせに、よくそんなこと言えるわね」
「見てねぇよ!」

痴漢同然の扱いを受けて思わず声が大きくなる竜児だが、クラスメイトは知らん顔。高須竜児と逢坂大河のけんかなど日常茶飯。いちいち相手にしているひま人などいない。ただ、いやらしい目で後ろから見られていたと言われた木原麻耶だけがお尻のあたりを押さえて振り返り、
竜児をにらみつけている。が、竜児は手乗りタイガーへの応戦に手いっぱいなので、幸いにもその非難のこもった目つきに心を傷付けられずに済んだ。

「あらどうかしら。そもそも竜児はお掃除とか整理整頓とか、高校生らしからぬものに異常に興奮するじゃない。そっちのほうがおかしいのよ。ある日突然木原麻耶に異常な興奮をする高校生になったからといって、不思議はないし、むしろそちらのほうが健全だわ。
そんなことはいいからお弁当よこしなさい。みのりんが待ってるんだから」

散々ひどいことを言ってくれた上に自分勝手この上ないことを言いやがる。しかし、櫛枝実乃梨を待たせているといわれては、竜児としてはくだらない言い争いで時間をかけるわけにも行かなかった。ぐいと身をそらせて教室の斜め後ろを振り返る。
竜児とはほぼ反対の位置で櫛枝実乃梨がこちらを見ていた。目が合って、にっこり微笑んでくれる。あわてて引きつり笑いを返す。

かわいい。

実乃梨は竜児の片想いの相手だ。ひまわりのような笑顔を誰にも均しく振りまく天真爛漫さにあこがれて早一年以上。先の夏休みではついに一緒に旅行にまで行く仲になったのだが、最近どうも避けられているような気がして竜児は気が重い。

とにかく、避けられているのが事実かどうかは別として実乃梨を待たせるようなことはしたくない。大河の弁当を取り出して渡そうとするのだが………

「高須君、私のこといやらしい目で見ないでくれる?!」

いつの間にか二人の前に来ていた木原麻耶が、仁王立ちで両手を腰に当て、かみ殺してやろうかといった目つきで睨み付けている。さっきの大河の軽口を真に受けたのだろう。竜児のほうこそいい面の皮だ。

「いや、俺はそんな目で見てないぞ、あれは大河が言っただけで」
「言い訳しないでよ!」
「竜児、私のせいにするつもり!?」

突然のことだった。まだ暑さの残る9月の平日。とある高校の2年生の教室で、ステレオ音声による高須竜糾弾大会が始まったのだ。



「信じられないんですけど、おちおち黒板も拭けないんですけど!」
「あんた男らしくないわよ!自分の目つきの悪さくらい自分で責任を取りなさいよ。この馬鹿犬!」
「高須君って、すっごく勝手!お姑さんみたい!」
「何とか言いなさい、この変体連続掃除魔!」
「お掃除好きって変!男の子らしくないしぃ」
「あんたその顔で家事好きって、どんだけ自分アピールしてんのよ」
「目つきだって、すっごい怖いし、信じられない!」

雨あられのように降り注ぐ罵詈雑言に、竜児は呆然とするしかない。一応言葉を返してみるが、聞いちゃくれないしそもそも交互にわめかれたのでは会話にならない。延々と罵倒されること3分、やがて竜児の表情が焦りから諦めへとゆっくりと変わっていった。
ぎゃあぎゃあうるさい教室の一角にいい加減にしてくれ、とほぼ全員が目を向けたころ。がたりと椅子を揺らして立ち上がると

「木原、悪かったな。本当にそんな目でみていたわけじゃねぇんだ。だけど、俺の目つきが気に入らなくて気分を害したってのなら、すまねぇ。謝るから許してくれ」

竜児は深々と頭を下げた。

「え、てか、あれ?いや、高須君、私…」

そうして、気勢をそがれた麻耶をよそに、机の上に弁当箱を放ったままその場を離れて教室を出て行こうとする。

「竜児、あんたどこ行くのよ」
「頭冷やしてくる」
「お弁当忘れてるわよ」
「食欲ねぇんだ。欲しけりゃ食っとけ」

そういい残したまま、本当に教室から出て行ってしまった。

「あららららぁ……高須君怒らせちゃったぁ」

女子二人の剣幕にのまれて、しんとしらけてしまった教室の後ろのほうから涼やかな声。麻耶と大河が目をやると、整った顔にはめ込まれた信じられないほど大きな瞳に意味ありげな色を浮かべて、川嶋亜美が楽しげに笑っている。

「ええ??亜美ちゃん、私?私が悪いって言うの?てか、私被害者じゃん」
「さぁぁぁぁぁどうかしら?亜美ちゃん当事者じゃないし。わかんなぃ」

しらを切る亜美を横目で睨みながら大河が憎憎しげに舌打ちをする。竜児の分の弁当を引っつかんで実乃梨の元にもどろうとするが

「口を挟むのもどうかと思って見ていたが、今のは二人が悪いぞ。いくらなんでも言いすぎだ。高須が落ち込むのも仕方がない」

想い人の北村祐作にばっさり斬られて大河が凍りつく。

「き、き、北村君、そんな…私…」
「まるおぉ」
「二人とも後で高須に謝っとけ。いいな」

その日の昼休み、麻耶はひそかに想いを寄せる祐作に諭されてしゅんとしていた。大河は祐作に諭された悲しみを竜児への静かな怒りに転換することに成功。それでも、竜児の弁当には手をつけなかった。


◇ ◇ ◇ ◇


5時間目が始まる直前に教室に戻ってきた竜児は、誰とも目をあわさずに自分の席に戻ると、だまって教科書とノートと筆記用具の用意をした。手付かずの弁当を手にすると、MOTTAINAIとも、洗わないと不衛生だとも言わず、かばんに入れた。その様子を、憮然と大河は見ていた。


◇ ◇ ◇ ◇


帰りのSHRの後の掃除。教室掃除当番だった竜児は、淡々と掃除をこなした。ごく当たり前に床を掃き、机を並べると、特になにもいわずにみんなと一緒に掃除を終えた。2−Cの面々が異変に気づいたのはこのときである。

竜児が普通に掃除を終えた。異例の事態だった。なにがあっても人の3倍掃除に力を入れ、手を抜くクラスメイトを叱咤激励し、頼まれても無いのに窓のサンを一本一本拭き、机を定規でそろえたように並べるのが竜児である。その竜児が普通に掃除を終えた。
これが変じゃなかったら、地球温暖化だって変じゃない。


◇ ◇ ◇ ◇


竜児は明らかにおかしくなった。授業の間の休憩時間では、もっぱら机につっぷすか、窓の外をぼんやりと見つめるだけになった。昼休みもどこで食べているのか一人で弁当を持って教室を出ると、終わりの時間まで帰ってこない。話しかけるときちんと受け答えするが、
自分から話を振らなくなったし、人が増えるとそっと話の輪から抜けるようになった。別に落ち込んでいるような顔はしていない。だが、歩くときには伏目がちになり、自分から人とかかわるのを避けるようになった。

「あんた、いったいなに拗ねてるのよ」
「拗ねてるって、何をだ」

たまりかねた大河が問い詰めたのは例の事件の翌日のことだ。大河は短気だからたまりかねるのも光の速さ。

「あんた昨日から変じゃない」
「別に変じゃないぞ」
「変よ!」
「そうか。すまん」
「すまんって、あんた」
「気分を害したなら謝るよ」

一か十までこの調子である。

問い詰めても言葉すくなに返事をするだけで、たいていは大河が大声をあげる前に竜児が謝って話が途切れる。こんな相手に寛大になれる大河ではない。怒りまくり、怒鳴りまくり、罵詈雑言をあびせかけ、キックを見舞い、いらいらオーラを投げつけたのだが……………
竜児は泣くでもなくわめくでもなく怒るでもなく、ただ、

「すまん」

で、話を切る。こんなことがなんと1週間も続いた。


◇ ◇ ◇ ◇


「高っちゃーん、最近どうしたのよ、変じゃなくね?」
「おう、いや、別に変じゃないぞ」
「高須、変だよ、高須。最近全然話しかけてくれないじゃない」
「そうか?」
「そうだよ高っちゃん、元気だしなよ」
「おう、元気だぜ。食欲もある、体力も絶好調だ」
「ええ??なんかへんだよ高須ぅ」
「高っちゃん、この前の麻耶様のことなら気にしなくていいって。『連続掃除魔』ってなんかかっこいいっしょ」
「春田何言ってんのよ!それ言ったの私じゃねーし!」

こういう会話がなんども交わされたが、竜児はあいかわらず話しかけられたら答えるだけ。

割を食ったのは2−Cの面々である。竜児の変調のせいで、大河が不機嫌になってしまった。なにしろ天下の手乗りタイガーである。本来いつ爆発するかわからない不発弾のような大河がそれなりにクラスでうまくやっていけていたのは、
ひとえに爆弾安定化器である竜児が抑えていたからだった。その竜児が無気力無関心無感動を決め込み、学校には勉強以外用は無いという姿勢を貫いているのだ。大河は竜児の態度に不機嫌になり、それをあからさまに亜美に指摘されてさらに不機嫌になり、
1年生当時のイライラ爆弾に逆戻りしてしまった。櫛枝実乃梨と話している時にはいくらか落ち着いているものの、それ以外の時の2−Cは撤去作業の完了していない地雷原と化し、生徒たちから青春の日々は去っていってしまった。

それでも、1週間も続けばどんなことでも受け入れる者は出てくるのだ。すでに何人かにとって、高須竜児は「そういう感じの奴」という事になりつつあった。自分からは話しかけず、話しかけられたら愛想良く返事をする、よくいるおとなしい奴。

ただ、何人かが話を切り出すタイミングを計っている。ある者はどこまでなら踏み込んでいいかと考えており、ある者は世話が焼けるとあきれいた。そしてあるものは幾分場違いに思える小さな胸の痛みに戸惑っている。


◇ ◇ ◇ ◇


「おう、先客がいると思ったら川嶋か」

3時間目の終わり。本当は自動販売機を使うことが禁止されている時間。校則違反上等でやってきたコーナーには、八頭身現役プロモデルの川嶋亜美がいた。普段はクラスメイトに囲まれてきゃっきゃうふふと楽しげな亜美だが、
今は知られざる定位置ともいえる自動販売機の間に体育座りで陣取って孤独を楽しみたい気分らしい。

「うわー、めっずらしぃ。今日雨?雪?亜美ちゃん傘持って来てないのにどうしよ」
「…………なんだよ、俺が話しかけちゃ悪いかよ」
「だって高須君最近誰にも話しかけないじゃん」
「そんなことねぇよ」
「あるわよ」
「そうかよ、すまねぇ」

そう言った竜児はふっと電気が切れたような表情を顔に浮かべると右向け右してその場を立ち去ろうとする。

「待ちなって。ほら、座んなよ。お話ししよ」
「話って、なんだよ」
「冷たいなぁ。私にそんなに冷たいの高須君だけだよ。みんな優しくしてくれるよ。高須君ももっと優しくしてよ」
「別に冷たくしてないぞ」
「ううん、冷たい。私にだけじゃない。高須君、最近変。みんなに冷たくなった。タイガーにも」

腰を下ろした竜児が二人の間の床を見つめたまま、にぃっと力なく笑う。

「ねぇ、どうしたの?麻耶のことまだ怒ってる?らしくないわよ」
「いや、木原のことは怒ってねぇ。けど、らしいからしくねぇかって話なら、今のほうが俺らしいよ」

そう言って竜児があきらめたようなまなざしを亜美に向ける。亜美のほうはチワワのような目をくりくりさせて微笑みながらも竜児の腹の中を読みかねて小首をかしげる。先を続けて、と。

「もともと俺はこんなだよ。お前は知らねぇけど。嘘だと思うなら北村に聞いてみろ。俺の言うとおりって言うさ」
「だから?」
「だから、本来の俺に戻っただけだ。今までが調子に乗りすぎてただけだ」
「亜美ちゃんわかんな〜い」
「だろうよ」
「で、高須君はどうしたいわけ?白馬の王子様が助けに来るのをまつってか?」
「あほか。助けなんか来るわけねぇだろ」
「じゃぁさ、助け待つのなんかやめちゃいなよ」
「だから待ってねぇって」
「柄じゃないよ」
「こっちのほうが柄だって言ったろ。俺の話聞いてねぇのかよ」
「麻耶、気にしてるよ。タイガー寂しそうだよ」

実乃梨ちゃんもさびしそうだしぃ、と亜美が漏らしたときだけ、ほんの少し竜児の体が揺れた。

「気にするなって言っといてくれ。俺が調子に乗りすぎてただけだ。あれで頭が冷えた。むしろ感謝してるくらいだ」

そう言って立ち上がると、竜児は何も買わずにその場から歩き始める。

「サンキューな、話聞いてくれただけでもすっとしたぜ」
「亜美ちゃん同情なんかしないよ」
「お前が同情なんかする玉かよ」

そう言って振り返ると竜児はもう一度にぃっと笑う。

「気分がすっとしたら、元の高須君に戻るのかな?」
「ああ、お前の知らない元の高須竜児にちゃんと戻る事ができそうだ」

その言葉を最後に竜児はその場を立ち去った。自動販売機の隙間に小さな声が漏れる。

「だめじゃん」


◇ ◇ ◇ ◇


「な〜んかさぁ、高須君要領得ないんだけど。てか、べつにつらそうじゃなかったし。達観しちゃってるよ。もう、悟り開いちゃうかも。高須君あきらめムード?って感じ。亜美ちゃん的にはあれもありって感じだけど」
「高須はそんなことを言ってたのか」

祐作が大きくため息をつく。亜美のほうは、もう知らな〜いといった風情でへらへら笑い。人気の無い階段の踊り場。そもそもこの場に祐作、麻耶、大河、亜美の4人をセットしたのは亜美じゃない。麻耶が嫌がる亜美と不機嫌オーラ発生中の大河を引っ張ってきたのだ。

「二人が謝ったのにそんなに意固地な高須も高須だな………」
「………」
「………」
「おい、謝ってないのか?!」

気まずそうな二人に、さすがの祐作も声が大きくなる。

「亜美ちゃんしーらない。関係ないしぃ」
「え、だってだって、まるお聞いてよ、私被害者だし」
「き、北村君、わ、私も、謝るような事してないよ。いつも、りゅ、竜児にはあんなだし」

祐作が溜息をつく。

「木原、お前は何を言ってるんだ。何の根拠も無いのに高須を痴漢呼ばわりして。あいつの言い分に耳を貸さなかったろう」
「え、あ、だって」
「俺だって無実の罪であんな剣幕でぼろくそに言われたら立ち直れないぞ。逢坂、お前もだぞ。高須は優しくて寛容なやつだが、限度ってものがある。いくらなんでも甘えすぎじゃないか。正直言ってお前には落胆したぞ」
「き、北村君!」
「もう、俺は知らん。二人とも勝手にしろ。俺は高須の肩を持つ」
「あ」
「え」

消え入りそうな二人をよそに、亜美は実に楽しそう

「あははは。まぁまぁまぁ。祐作が麻耶とタイガーを切り捨てようと知ったこっちゃねぇけど、高須君はなに言ってるわけ?亜美ちゃん的にはそっちのほうが気になるんだけど」

右から麻耶のそんなそんな光線、左から大河の殺すぞお前光線を浴びながら、亜美は悠然と腕を組んで笑みをたたえながら幼馴染に問う。祐作は少し話しにくそうにしていたが、決心がついたような顔をして口を開いた。

「確かに去年の初めのころ、高須はあんな感じだったよ。同じクラスの連中はみんな覚えてるはずだ」
「へー、高須君がねぇ。自分から壁作っちゃって。あんな顔なのにねぇ」
「壁を作るってのは少し違うな。誤解を解きたいんだが、かえって泥沼になるのを怖がっているようだった」
「泥沼?」
「ああ、俺はよくわからんのだが、中には高須を怖いって言うやつらがいるらしくてな。そいつらがいつも過剰反応するんだ」
「え、わかんないって、それ変くね?亜美ちゃん、高須君を怖いって思うほうがまともだと思うけど。祐作、メガネ作り直しなよ」
「そうだな、メガネを作り直すか。この話はこのくらいにしとこう」

興味があるといったくせに、それほどまじめに聞く気がないらしい亜美に、祐作はあからさまに不愉快そう。話を打ち切りにかかる。友達のあまり楽しくない話を無理にする必要など感じてないのだ。だが、

「北村君、聞かせて」

大河が食い下がる。亜美は黙ったまま、横目で興味深げに大河を見ている。



「逢坂。正直、お前に話しても都合のいい解釈しかしないんじゃないかと思うんだが」
「で、でも聞きたいの。つ、都合のいい解釈なんてしないから。お願い」

想い人の自分への評価が地に落ちていると知って、足から力が抜けそうになりながら大河は必死の表情。祐作はその表情を汲み取ったのかどうか、そこまで言うならと口を開く。

「高須は去年一緒のクラスになったころ、つまり入学したころだが、確かに今みたいな感じだった」
「か、壁作ってたってこと?」
「そうじゃない。あいつは人から話しかければきちんと答えるやつだったし、今もそうだ。高須は誰も拒んでない」
「じゃぁ高須くんは何してんのさ」
「自分から話し掛けないようにしてるんだろ」
「どうして……竜児はそんなことしてるのかな」

祐作は大きく息を吸い込むと、顔をゆがめて言う。

「あいつを悪く言う奴がいるからだ。ヤンキーだとか根も葉もないことを言う奴がいるんだ。それだけなら別に放っておけばいい。だが、それをいちいち真に受ける奴がいる。せっかく少し仲良くなってもバカな噂を吹き込まれて距離を取る奴がいたよ。
その度に高須は1からやり直していた。あいつはやさしいやつなのに、見かけでしか判断しない奴がいつもあいつを傷つけてた」
「………」

一同が黙り込む。少し時間を置いて、恐る恐る口を開いたのは麻耶。

「ねぇまるお、高須くんは、その、また1からやりなおすつもりなのかな」
「わからん」
「わからないって……」
「1からやりなおそうとしているのなら、まだましだろ」
「祐作、もったいつけないではっきり言いなよ」

問題から超然とした距離を保ったまま腕組みをして聞いている亜美が先を促す。

「あいつは、2ーCのこれまでを失敗だったと悔やんでいるのかもしれない」
「失敗?」
「あいつは…というか、俺もだがこのクラスはうまくやれていると思っていた。特に荒々しいいがみ合いがあるわけじゃないし、いじめもない。高須もみんなとうまくやれていた。ところがふたを開けてみたらどうだ。痴漢よばわりされるは、
いまさら目つきがどうのとガミガミ言われる。ようするに仲良くなったなんてのはとんだ思い込みだったわけだ。木原に火のような剣幕で噛みつかれて、高須はそれをしみじみ思い知ったってわけだ」
「まるおぉ、私はどそんなつもりじゃ」
「じゃぁ、どんなつもりだったんだ。お前は高須に噛みついていたとき、一度でもあいつがどんなやつか振り返ったか。痴漢をするようなやつか振り返ったか。ちがうだろう。目つきが悪いからそのくらいのことはしそうだとでも思ったんじゃないのか」
「私はそんな…」

厳しいことを言われて麻耶はほとんど泣きそうになっているが、祐作は容赦ない。

「同じだ。木原、俺はお前の言い訳なんか興味ない。お前が高須の中身に興味ないのと同じだな。逢坂、お前もだ。お前は一番近いところで一番長く高須を見ていて、もっとあいつのことを分かっていると思っていたが、あのときの態度には本当にがっかりしたぞ。
お前のことを見損なったよ」
「………」
「とにかく。高須はこのクラスは失敗だったと考えているかもしれない。お前たちにはどうでもいいことだろうが、あいつは多分小学校でも中学校でも人間関係では苦労している。2ーCのことは、もう諦めても不思議はない」
「どうしよう」

と、漏らしたのは麻耶。大河は下を向いたまま。



「どうもしなくてもいい。謝る気なんかなかったんだろう。もう、関わらないでくれ。高須のことは俺がやる」
「でも」
「高須に関わるな!」

よほど腹に据えかねたのか、祐作はきつい調子で言葉を吐くと、肩をいからせてその場を去って行った。お通夜のような空気の踊り場で、亜美だけ場違いな笑みを浮かべている。

「あららぁ、祐作があんなに怒るなんてねぇ。お二人さん絶交されちゃった?どうなるのかしらねぇ」
「亜美ちゃんどうしよう」
「さあぁ?あんなに怒った祐作見たことないしぃ。てか、あれ、いくら何でもキモくない?男の友情?時代遅れよねぇ。暑苦しくて亜美ちゃん気絶しそう」
「そんなぁ」

情けない声をあげる麻耶をよそに、下を向いたままだった大河が何かを決意したように歩き出す。

「タイガー、ちょっと待ちなよ」
「なによ」

振り向いた顔には火のような眼差し。全身の毛を逆立て、唇を歪め、近づけば食い殺すとでも言いかねない顔だが、亜美の方は怒り全開の手乗りタイガーを前にいたって涼しげな表情。

「その顔、あんた高須君に喝入れてやろうなんて思ってんじゃないでしょうね」
「あんたには関係ないわよ」
「きゃはっ、図星だぁ。信じられねぇ。元気ないからケツひっぱたいて喝入れてやろうなんて、ばっかじゃねーの。漫画の読みすぎだっつーの」

本当に図星だったのだろう、大河は唇を噛み締めて亜美を睨みつけるばかり。

「タイガー、あんたマジ馬鹿だから教えてあげる。今の高須君にそんなことしたって無駄。事の発端はあんたがみんなの前でボロカスに言ったってのもあるんだから。同じ事繰り返したって高須君は余計引きこもるだけよ」
「ばかちー、あんたには関係ないって言ってるでしょ」
「そうねぇ、あんたと高須君がどうなろうと知ったこっちゃねーし。てか、むしろこのまま破綻してくれたほうがいいかも。あんたが『竜児はわたしのだーっ』って泣いて叫んだから、可哀想になってからかうの止めてやったけど、ほんとうに別れちゃったら高須君フリーだし。
亜美ちゃん的にはそっちのほうが面白いかも。てわけだ。行きな、タイガー。高須君に噛みついてトドメをさすのだ!。あ、でもあんたが本当に高須君と仲直りしたいなら、これだけは忠告しとくよ。今すぐ行きな。放課後になったら祐作が出てくるから。
そうなったらあんたに出る幕はないからね。タイガー死亡のお知らせってか」
「くっ」

笑顔の亜美を憎々しげににらむと大河はその場を走って去って行った。

「あーあ、分かりやすすぎるっつーの」

ニヤニヤ笑う亜美の横で一人困惑顔の麻耶がどうしたらいいのかとおろおろしている。

「ねぇ、亜美ちゃん、私どうしたらいいのかな」
「だから自分で考えなよ」
「そんなぁ」






◇ ◇ ◇ ◇






「竜児!」

聞きなれた声に顔をあげると、大河がこちらに走ってくるところだった。昼休みもあと10分くらい。そろそろ引き上げないと弁当箱を洗えない。

「こんなところに居たんだ。あちこちさがしたわよ」
「おう、最近涼しいからな。屋上は飯を食べるのに絶好の場所だ。もう授業が始まる。戻るぞ」

珍しく息を切らす大河を見ながら腰をあげるが、

「待って。話があるの。聞いて」

大河に押しとどめられる。

「大河、俺はこんなツラだが無遅刻無欠席で鳴らしている優等生だぞ。5時間目サボらせて本当にグレさせるつもりか」
「不良なめんじゃないわよ。1時間くらいサボったって不良になんかなるわけないじゃない」
「知らないのか、素行不良の芽は」
「いいから聞いて」

気乗りしない風で話している竜児を黙らせて、大河はコンクリを背に竜児と並んで座る。

「北村君から聞いたわ。あんた、前もこんなだったの」
「そうか、お前の耳にも入ったのか。別に隠すことでもないけどな」

竜児は少し遠い目をして反対側のフェンスを見ている。その横で大河は竜児の顔を見上げる。いつもは刃物の様に鋭い目も、最近は力ない光をたたえているだけだ。

「あんた、みんなの事、嫌いになったの?あ、たんま違う。そうじゃなくて」

相変わらず遠くを見ている竜児の横で、大河は真剣な顔をして言葉を選んでいる。

「……怖くなったの?」

にたぁと、竜児の顔にいつもの凶悪な笑みが広がり、大河はため息をつく。どうやら北村の言う通りだったらしい。そして、そうとう根が深そうだと目を伏せる。

「ねぇ、竜児。私はこんなだからさ。馬鹿だから。あんたの事ひどく言ったりするけど……あんたの事本気で悪く言ってるわけじゃないのよ。って、これじゃ言い訳だ。何言ってるんだろ、私。言い訳なんかしに来たんじゃ無いのに」
「おい、予鈴が鳴るぞ」
「いいじゃない。話しよう。ちゃんと」
「ちゃんと、何の話をするんだ?」
「……わかんないよ」

竜児が目を細く眇めて遠くを見ながら軽く吹き出す。

「まったくお前はよう、後先考えてから行動しろよ」
「だって、馬鹿だもん。ドジだし」
「分かってるなら落ち着いて行動しろ。この件はお前が気に病まなきゃいけないような事じゃない。俺が勝手にこうなったことだ。木原にも言っとけ。気にするなって」
「気にするとかしないとかじゃないわよ!」

大きな声を出したことを後悔したように大河が声を潜めて付け加える。

「みんな心配してるのよ」
「おい、よく目を開いてまわりを見回してみろ。みんなが心配しているのはお前のイライラだ。俺じゃねぇ」
「みのりんだって心配してる。あんた本当にこれでいいの?みのりんとせっかく仲良くなれたのに」
「……櫛枝のことは……今は考えたくねぇ」

大河が目を丸くして口をつぐむ。口をつぐむ理由は竜児にもわかる。確かに竜児は片思いの相手である櫛枝実乃梨に対して、積極的とは言いかねる態度を取っていた。それに大河がイライラとしたこともある。それでも、竜児は実乃梨のことを諦めていたわけじゃなかった。
少しずつ前進していたという感触もあった。それを知っているからこそ、大河は口をつぐんだのだろう。



「あんた、一体どうしちゃったのよ。ちっともつまんないわよ」
「俺は元からつまんない奴だったろう」
「今よりはマシだったじゃない」

あまり慰めになってない言葉を受けて、竜児は苦笑。

「べつにどうもしてない。前に戻っただけだ」
「それ、北村くんに聞いたってさっき話した」
「おう、そうだったな。って、チャイム鳴っちまったぞ。あーあ、これでお前も俺もサボリ決定だ」

しばらく二人で黙って座っていた。竜児は遠くを見たまま。大河はつまんなそうに目の前の膝小僧の辺りを眺めている。

「あんたがそんなだと、つまんないじゃない」
「俺は前からつまんない奴だったろう」
「それもさっき聞いたわよ。ねぇ竜児。あんた閉じこもっちゃっみたいよ。何だかあんただけの世界に。ううん。多分あんたとやっちゃんだけの世界。私だけつまはじきよ。つまんないじゃない」
「心配するな。飯も弁当も作ってやるから食いに来い」
「ご飯の話じゃないわよ。なんで私だけつまはじきなのよ。そりゃ、あんたがこうなった原因の一端は私だし、こんなこと言えた義理じゃないし。だけど、それだったら私を追い出せばいいじゃない。なんであんたが引きこもるのよ」
「追い出されたいのか」

聞かれて大河は小さな声になる。

「……嫌よ。知ってるじゃない」

おう、だから食いにこいという竜児の言葉に、やはり大河は納得がいかない。

「だから、なんであんたはやっちゃんとあんたの二人の世界に閉じこもっちゃうのよ。私と木原麻耶が悪いなら私とあの子だけ除け物にすればいいじゃない。他の子は関係ないじゃない」

そう言われて竜児は口をつぐむ。しばらく前を見つめたまま、ようや口を開いたのは3分ほどもしてからだった。半ば諦めて膝小僧を見ていた大河は、竜児の顔を見上げる。

「なあ、大河。片親の子は、いい子じゃないといけねぇんだ」

黙って見上げる大河の横で、竜児は自嘲気味に唇を歪める。

「ちょっと違うな。ツラが悪くて片親の子はいい子じゃないといけねぇんだ」
「……」
「なんでか、ガキのころからなかなか友達ができなかった。やっと友達ができても、ある日突然口を聞いてくれなくなる奴がいた。何でだろうって思った。分かったのはずっとずっと後だった」
「……なんでよ」
「片親だからさ。片親で、たった一人の親は水商売。父親は何者ともしれない。多分チンピラやくざ。そういうことが分かると、親が嫌がる。みんな潮がひくみたいに離れていくんだ」
「あんたが悪いんじゃないじゃない」
「ああ、俺が悪いんじゃない。けど、俺が悪いんじゃないって思っても友達はできねぇ。わめいても暴れても友達は減るだけだ。俺はお前ほど強くないから、友達は欲しいって思った。だったら、いい子でいるしかなかったんだよ。『僕はお父さんが怖い人なので怖い顔です。
お母さんは水商売をして一人で僕を育ててます。でも僕はいい子なので友達になってください』ってな。毎年、クラス替えがある度にこれの繰り返しだった。みんなが俺を理解してくれるまで待つ。クラス替えのないこともあって、その時は少しうれしかった。
まぁ、中学になってからはさすがに片親だからって事はなくなったのかな。去年、進学してまた1からやり直した。今までより時間がかかったよ。なんでかはわかんねぇ。進学校だからかな。みんな育ちよさそうだしな」
「そんなのおかしいよ。片親だからって」
「おかしくたって、俺にはみんなを変えられねぇ。だったら誰よりもいい子でいるしかねぇ。こんな顔でも俺がいい子だってみんなが気づくのを待つしかねぇ。このクラスは楽しかった。
すぐに打ち解けて……まぁ、お前が大暴れして助けてくれたんだけど……みんな俺のことを分かってくれてるって思ってた」
「なんで過去形なのよ」
「多分、俺は調子に乗ってたんだと思う。みんなが理解してくれてるって勝手に思い込んでた。だからしっぺ返しがきた」
「違うわよ」
「理解してくれてるなんて思っちゃいけなかったんだ」
「違う!」
「きっと理解なんて望んじゃいけねぇんだ」
「違うっ!」



大きな声を出した大河を竜児が見つめる。

「そんな事言わないでよ。他の奴がどう思ってるかなんて放っときゃいいのよ。あんたをこんな目に合わせた私が言うのも変だけど。他のやつなんか気にしなきゃいいじゃない。だいたい、あんたに馬鹿な事言ったのって私と木原麻耶だけじゃない。
他の子まで悪く見ることないじゃない」
「だめなんだよ。大河。だめなんだ」

小さな間があく。空は青い。まだ暑さが残っているが、風は秋の気配を運んでいる。空の色は秋だ。話しては黙り、話してはだまり、2人はそんな風に5時間目を屋上で過ごした。

「あんた、また1からはじめるの?」

竜児は小さなため息をつく。

「わかんねぇ。もうこのクラスも1/3が終わっちまった。また始めるより黙ってこのままやり過ごす方がいいかもしれねぇ」
「嫌よ」
「少し考え直したいんだ」
「考え直す必要なんかない!あんたは私の知らない竜児なんかに戻らなくていい!私の知ってる竜児じゃないとやだ!」
「俺だっていじけてわざとふさぎ込んでるわけじゃない。ただ、なんてか。支えみたいなものがぽっきり折れちまったみたいなんだ。自分じゃどうにもならねぇ。なぁ、大河。こんな男面倒くさいだろ。ほっといたらどうだ」
「やだ」
「なんでだよ」
「なんでだよじゃないわよ!あんたが『竜は虎の横にいる』って言ったんじゃない。」
「言ったよ。飯は作ってやる。困ったことがあったら呼べ」
「それじゃダメなのよ。なんで分かってくれないのよ。あんたはお節介でしつこいくらい掃除好きじゃないと高須竜児じゃないのよ」
「お前だけだな。そんな事言うのは」
「違うわよ」
「違わねぇ。さあ大河。もうすぐチャイムが鳴る。6時間目はサボらないぞ」

立ち上がって歩き始める竜児を大河は少しの間見ていた。そして唇を噛むと走り出して、竜児の横に並んで歩いた。傍らを見上げる瞳は決然としていて、きれいな空をうつし込んでいる。


◇ ◇ ◇ ◇ 


「それではみなさん、今日のSHRは終わりです。涼しくなってきたから薄着で寝て風邪なんか引いたりしないでくださいね。それから高須君と逢坂さん。あとで先生の所に来てください。用件はわかってますね」

夏休み明け以来、原因不明の脱力症候群を患っているらしい2−C担任恋ヶ窪ゆり(ついに30歳 独身)は、脱力気味ながらも大人の女性のすてきな声で5時間目の脱走者2人に出頭を申しつける。よりによってその脱走者がヤンキー高須と手乗りタイガーなのだから
普段の恋ヶ窪なら舌でも噛みそうなところ。それが滑らかに呼び出しを宣告できたのも、幾分人生を投げ出し気味だからかもしれない。

そして、普段と幾分違っているのは恋ヶ窪だけではなかった。いつもなら胸板を貫通するような舌打ちを飛ばすだろうこの場面で、

「はいはいはい!先生!私高須君と一緒に行きます!」

と、大河が無駄に元気に手を挙げて大声で宣言したのだ。教室がざわりと揺れ、みなの視線が大河に向けられる。

「……逢坂さん。とっても元気でいい声ですね。先生、返事のいい人は好きですよ。でもね、サボらない人はもっと好きです。それじゃ、あとで職員室にね」
「はいっ!高須君、一緒に行きましょう!」
「……」
「……それじゃぁ北村君、号令お願いします」

目の前の出来事に動じない北村の号令に、全員が起立し、礼をする。礼が終わると同時に大河は席を飛び出して竜児の机にかじりついた。

「竜児!職員室行くわよ」
「おう。って、お前は呼び出し食らってなんでそんなに張り切ってるんだよ。まだ先生そこに居るだろう」

いきなり名指しされた独身が、苦笑しながら2人を横目で見る。書類を教卓の上でとんとんとそろえると、その苦笑いのまま教室を後にした。

「なんででもいいわよ。呼び出しをされたら職員室に行くの。竜児は優等生なんだからちゃんとやるの」
「1人で行ける」
「私も呼ばれたんだから一緒に行くわよ。ほら、立った立った」

背中を押されて教室を出て行く竜児を見ながら、教室の後ろの方で亜美は片方の眉をつり上げてニヤニヤ笑い。横からは香椎奈々子がクスクス笑う。

「うふふふ、タイガー復活しちゃったね」
「あーあ、けつに火がついちゃったってか。ちぇっ、亜美ちゃんつまんな〜い」
「えええ?私だけ置いてきぼり?どうしよう」
「てか、麻耶、あんた遅すぎ」


◇ ◇ ◇ ◇ 


「竜児!帰るわよ」
「竜児!遅刻しちゃう!早く学校行きましょ」
「竜児!お弁当!みのりんとききき北村君も一緒に食べよう」

大河はエンジンの止まったバイクを押し続けた。そのバイクはいつも大河を乗せていい調子で走っていたのだが、エンジンが止まってしまったのだ。止まったきっかけはわかってる。理由もわかった。でも、どうしたらもう一度エンジンが動くのか、誰にもわからない。
バイクにもわかってない。だから、大河はひたすら押し続けた。


◇ ◇ ◇ ◇ 


大河が竜児の横でひたすらカラ元気を出しまくって、もうすぐ一週間になろうとしている。しかし竜児は相変わらず「おとなしい高須君」のまま。

「大河、きょうは高須君とお弁当食べないの?」
「うん、ちょっとお休み」

実乃梨の問いかけに大河が力なくこたえる。

大河がイライラする暇もないくらい竜児にかまけているせいで、2−Cの空気は一層「高須ってこんな奴」に傾きつつある。『もう高須にかまうな』と言った北村は、あれ以来見守ってくれているのか何も言わない。
だが、正直言って大河もどうしたらいいのかわからなくなってきた。いや、最初かららわかっていなかったのだ。そんなことは百も承知。がむしゃらに押し続ければ何とかなるとだけ信じて竜児につきまとい続けた。今までと同じように振る舞えば竜児も元気になると思っていた。

でも竜児は、というか竜児の心の中の何かはこたえてくれない。その理由は竜児にもわかってないようだった。大河もわからない。そして、大河は自分の中に芽生え始めた考えに身震いしていた。こんな竜児もありかもしれない、と。
特に苦しそうな顔をするでもなく、淡々と毎日を送っている竜児を見ると、ついそんな気になってしまうのだ。

「みのりん、なんとかならないかなぁ」
「なんとかって。大河が頑張らなきゃどうにもならないよ」
「そうだけど」

いっそ言ってしまおうかと思う。何度も浮かんだ考えだった。実乃梨にぶちまけてしまおうかと。竜児は実乃梨の事がすきだから、実乃梨が声をかければきっと元に戻ると。
その度に、エサで釣るようなそのやり方が気に入らなくて、胸の中にわき起こる何とも言いようのない気持ちの整理がつかなくて、首を振ってきた。でも、もうどうしたらいいのかわからない。

竜児からかっさらってきた自分の弁当に箸をつける。竜児は自分で言ったとおり、お弁当から手を抜くような事をしなかった。むしろ丁寧になっているようにさえ思える。きっと息をするようになめらかにお弁当を用意しているように見える竜児にだって、
大河にはわからない手間や妥協があるのだろう。そして、学校では何もしない、大河が頼むまで大河の部屋の掃除もしないと決めてしまった竜児は、きっと高須家の家事に前よりも専念できている。泰子と竜児の2人の世界をきれいに守っている。

おかげで2−Cの教室は大河が見てもわかるくらい汚くなってきた。いや、客観的に見れば十分きれいなのだ。きっとまだ余所の教室よりきれいだろう。でも、教室の隅に綿埃がおちているのがわかる。窓のさんに埃が薄く積もっている。机の並びが乱れている。
黒板の黒に深みがない。以前は気にもしなかったことなのに、どうしても竜児が執拗に埃を拾い、窓のさんをふき、通りがかりに机を並べ直していた頃と比べてしまう。

どうしたらいいんだろう、そう思いながらふと箸が軽いことに気づいた。

「あれ?」
「ちょっと大河!なにやってんのさ!」

目の前で大声を出す実乃梨を見て、もう一度箸に目をやる。無い。口に運んでいたおかずがない。

「あれ?ミートボール」
「何ぼーっとしてんの!あんたスカートの上に落としたのわかんないの?」
「あーーーーーっ!!」

竜児特製の甘酸っぱいソースをまとったミートボールは、どうやら虎口を逃れ、スカートの上を転がって教室の床へと大脱走を敢行したらしい。その証拠に逃走経路には見事にソースが付着している。

「みのりんどうしよう!」
「どうしようじゃなくて早く拭きなよ!シミになるって」
「あれ、ハンカチがない」
「何やってんの、もう。ほら、私のハン………」

実乃梨の言葉が途切れる。大河は釣られたように顔を上げ、実乃梨の顔を見る。その瞳は自分ではなくて横を見上げていて……

「このドジ。お前は物を汚さずに食事をすることができないのか?」
「……竜児……」

竜児が立っていた。



校庭側の窓から差し込む光をまとって黒々とした影のような痩身が、大河の横に立っていた。高い位置にある双眸には青白い火花のような光が揺らめいている。気にくわないのだろう。己の作ったミートボールでスカートを汚されたのが気にくわないのだろう。
おしゃべりしながら食べていたのが気にくわないのだろう。一所懸命作ったお弁当をちゃんと味わずに食べているのが気にくわないのだろう。人間のために命を落とした豚の肉を床に落とすというMOTTAINAI所業が気にくわないのだろう。

「ぼさっとするな!ほらっ、拭いてやるから立て!」

催眠術にかかったようにおとなしく立ち上がる大河の足下に跪くと、いつもポケットに入れて持ち歩いているウェットティッシュで丁寧にソースを拭っていく。

「あーあ、お前このままじゃシミになるぞ。とりあえず拭けるだけ拭いとくけど駄目だ。後で水道で洗ってやるから飯が終わったらジャージに着替えとけ」
「竜児……」
「ったくお前はよう。1人じゃ飯も食えないのかよ」
「みのりんと2人で食べてたんだもん」
「屁理屈言うな。ちょっと目を離すとこれだ。盛大に汚しやがって」
「だってドジなんだもん」
「わかってんなら気を付けて食え。何度言わせるつもりだ」
「だって」
「だってもヘチマもあるか!お前は毎日がみがみいわれないとわかんねぇのかよ」
「だって」

竜児がスカートに向かって延々と繰り出す小言に、大河は見下ろしているのかうつむいているのか、いちいち素直にこたえていく。

「飯を食うときにおしゃべりするのがおかしいんだ。黙って食え」
「だって、お話ししてたほうが楽しいんだもん。みんなそうしてるもん」
「そういうのは話しながらきちんと食える奴の特権だ。お前はできねぇんだから黙って食え」
「そんなの寂しいよ」
「飯を粗末にする奴が何言ってやがる」
「………竜児。私やっぱりこっちの竜児の方がいい」
「………」

昼休み。いつの間にか全クラスが注目していたお小言ショーは突然の中断。言葉を切った主演男優がヒロインを見上げる。

「生意気言うな」
「なによ」

ふっと、教室の雰囲気が変わった。どうやら一区切りついたらしい舞台に、クラス中からヒューヒューと声が上がる。

「熱いねぇ」
「勘弁してくれ、まだ残暑かよ」
「いやー、いいもの見せて貰った」
「きゃっ、これからどうなるの、どうなるの?」

注目を浴びていたと気づいていなかった2人は赤面。気まずそうに顔を背けるが

「いやぁ、大河。高須君復活してよかったね」

実乃梨の声に2人ともぴくりと体を震わせる。そしてやおら立ち上がった竜児が顔を真っ赤にしたまま切り裂くような凶眼をクラスメイトに振り向けた。

「うるせーぞお前等!だいたいこの教室の汚さはなんだ。お前等よくこんなところで飯が食えるな。俺は毎日毎日汚くなっていく教室に心を痛めながら、いつ病気にかかるかと気が気じゃなかったぞ」

2−Cの面々は竜児の照れ隠しに、息を呑む。この怖い顔。迫力。
ヤンキー高須、大・大・大復活。怪しく輝く双眸の中心の黒目はぎゅっと縮まり、クラスメイト1人1人をねめつけながら狂気のお説教を垂れる。しかし、お茶にむせても、おにぎり落としても、俺の卵焼き返せと思っても、これで引き下がるようじゃ2−C生徒としてモグリだ。



「えーっ?教室きれいだろ」
「そうよ、隣のクラスよりきれいよねぇ!」
「そうそう、ちゃんと掃除してるし」
「照れ隠しに八つ当たりするな高須!」
「なになに?高須君調子出てきたじゃん」
「私高須君に一票入れる!前はもっときれいだったよ」
「そうよねぇ、ちょっと今汚いかも」
「ええ?でも掃除ダルイ!」

同時多発漫才が始まった2−Cは久々の切れた笑いに包まれる。
パンを買って戻ってきた春田や能登といった連中も最初は何事かと目を丸くするが、やがて事態が飲み込めてきて騒ぎに乱入。そして安堵感と愛すべきドタバタにゆっくりと制御を失いつつあった教室の手綱を引いたのは、はやりこの眼鏡。

「もういい!静かにしろ!お前達、昼休みだからと言ってはしゃぎすぎだぞ。高須も落ち着け。掃除はお前の趣味だろう。趣味をクラスメイトに押しつけるな」
「何だよ、北村お前」
「まぁまぁ。とはいえ、俺もここのところ教室の荒れ具合には目に余る物があると思っていたんだ。我々生徒にとって、まなびやをきれいにするのは重要な勤めだ。2−Cはよそのクラスよりきれいなことが自慢だったが、これでは折角の我々の誇りも失われてしまう。
今日は恋ヶ窪先生にかけあってLHRはクラス全員で掃除をしよう。監督は高須だ」

ぎゃーっと悲鳴が上がる。高須が監督?めんどくせーとかあーあとか言う声が上がるのだが。

「ああん、祐作ナイスアイデア!亜美ちゃん教室が汚れて悲しかったんだ。ね、みんなで一緒に教室きれいにしよ!高須君が監督でみんなが力を合わせればぴっかぴかになるよね!」

腹黒モデルの意外な発言で急に風向きが変わる。

「おお、そうだよ!教室きれいにしよう!」
「亜美ちゃんとお掃除!亜美ちゃんと窓ふき!」
「よーし、お父さん張り切っちゃうぞ!」
「高須君、わ、私もマジ教室きれいな方がいいって思ってたんだ。てか、一緒に黒板拭こう?」

大騒ぎは2−Cの華。久々の風変わりなイベントもお調子笑いや苦笑いで受け入れられている様子。その様を見ていた竜児の袖が引っ張られる。

「ねぇ、竜児。ごめん、ミートボール落としちゃった」
「まったくお前は。心配するな俺の食わせてやる」
「でも……」
「また作れば良いんだ。いくらでも好きな物好きなだけ食わせてやる」
「本当?」
「おう」
「やった!」
「そのかわり」

と、目から怪しい火花を散らしながら竜児は大河にずいと顔を近づけてにやりと凶暴に笑う。

「今日はお前の部屋チェックに行くからな。最近散らかしてるだろう。びしびし注意してやるから覚悟しやがれ」
「なによ………いいわ。来るなら来なさい。どうせ掃除するのはあんたなんだから」

睨まれた大河も、唇をゆがめ、挑戦的な笑みを浮かべて返す。



「高須ぅ、元気になったね高須ぅ」

能登の声に振り返る。周囲からワラワラと人が2人の周りに集まってきた。

「おう、俺は元から元気だぞ」
「なんだよしらばっくれちゃって。心配させないでよ」
「そうだよ高っちゃん、俺心配で夜も眠れなかったよ」
「ほんとかよ」
「睡眠不足で授業中居眠りしてたんだよ」
「「「「いつもだろ!」」」」

周囲からサラウンドでツッコミをウケながら、それでも春田はどこ吹く風。

「でさー、俺考えたんだよ〜。高っちゃんを元気づける方法。だから応援歌つくっちゃった〜」
「何だよ応援歌って」

発想の斜め上加減にあきれつつ、周囲は春田が考え出した新しい馬鹿な事に幾分興味深げ。

「もう高っちゃん元気だからいらないかなあ。でも、折角つくったので歌っちゃうので〜す!」

ここでかよ!とテレパシーで突っ込む面々を置き去りに、春田は空いた机に腰掛け、行儀悪くも脚を椅子にのせる。見えないギターを抱えてこんな時だけは細かくチューニングの格好。左手で髪をかき上げて気取った表情をする。

「それでは行きます。高っちゃん応援歌。タイトルは『連続掃除魔』」
「応援じゃねぇし!」
「悪口じゃねぇか」
「馬鹿なの?死ぬの?」

周囲でわき起こる嵐のようなツッコミも、もはや馬耳東風。

『♪ ずん、てんてれってて、てんてれってて、ちゃ、ちゃ、ちゃあーん ♪』
「なんだよこの曲」
「ドラムとベースとギター1人でやるの無理だろ」
「かっこいいの?馬鹿なの?」
「馬鹿だ」


『♪ ちゃちゃちゃーん、ちゃちゃちゃーん、ちゃらちゃちゃちゃーん、ちゃららーらーん ♪』
「く、折角の名曲がなんてこと」


『♪ 俺はシリアス・クリーナー!なんでも掃除しちゃうぜ! ♪』
「「「「「シ・リ・ア・ル!!」」」」」


(お・し・ま・い)



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