コツコツとヒールを鳴らしながら階段を上がる。
今日は久しぶりのオフだっていうのにショッピングに行くでもなく、エステに行くでもなく、
旧友……いや親友と呼べる奴に会いに来た。ま、本人には言わねーけど。

「ここかぁ……何だかんだ言って結構いいところじゃない」

まだ寒さの残る三月。今日は天気もいいし、大橋の駅は懐かしかった。
平日の午前中は人通りも少ないし、たまにはこんな散歩も悪くない。

「高須……竜児
       大河…………ねぇ……可愛い表札付けちゃってまぁ……」

手提げバックからハンドミラーを取り出してメイクと髪型をチェック。
相手は友達とはいえ、芸能人たるもの隙を見せてはいけない。

「うん。亜美ちゃん、今日も可愛い〜♪」

小さな声でそう呟いてチャイムを鳴らす。
ピンポーン―― と、ありきたりな音がドアの向こうで響いた。

「あ! ばかちー来たみたい」
「あっ、大河、そしたら私が出迎えるよ、大河は座ってな」
「うん、お願いね、みのりん」
「……壁うすっ!」

ま、あいつらなら地声もでかいし……って言っても丸聞こえってどうなの?と自問自答してる間にドアが開く。

「おうおう、あーみん。元気だったかね?」
「実乃梨ちゃんこそ元気?なんか久しぶりだね」

と、もう一人の親友と再会を喜び合う。こっちもまぁ、本人には言わねーけど。

「上がんなさいよ、ばかちー」

顔も見せずにタイガーが声を張り上げる。
普通は出迎えるもんじゃねーの?とか頭の片隅で思いながら靴を揃える。
実乃梨ちゃんに促されるようにリビングに足を踏み入れて……

「うわっ! 何だそりゃ!?」

分かっていたのに……想像以上のそれを見て驚きの声を上げてしまう。

「何よあんた、久しぶりだってのに一言目がそれ? 相変わらずしっつれいな女ねぇ……」
「あはは そりゃ驚くって大河。私だって同じくらい驚いたじゃん?」
「…………ま、まぁ、全体の縮尺は変わらないけど……お腹の大きさだけは人並みで良かったんじゃね?」
「まぁまぁ、あーみん。取りあえず座りなってホラホラ」

バスケットボールでも入ってるようにしか思えないお腹から目を離さずに座ると、

「そう? これでも平均より小さめらしいの。ま、私にとっちゃ十分大きいんだけどね」
「あんたが言ってた『見せたいもの』って……それ?」
「そうよ、ばかちー忙しいのは知ってるけど、一回くらい見せておきたいじゃない?」

女優業は順調でそろそろ一年になる。地味な下積み仕事が多いけど、メディアの露出も増えている。
だけど、そうなると当然モデルだけやってた頃とは比べ物にならないくらい忙しくなった。
このチビ虎に子供が出来たのも、そろそろ出産が迫ってるのも知ってたけど、なかなかスケジュールが合わなかった。

「そーだね。確かにこりゃ一見の価値があるわ」
「……とか何とか言って、実は私に会いたかったんでしょ? いいのよ、素直になりなさい」
「ばっ、ばっかじゃねーの? あんたがどうしてもって言うから来てやったんだっつーの」
「そういう事にしといてやるから……ホレ、ホレ」

と言いつつ手を伸ばすタイガー。

「……なによその手は?」
「あらやだ、人様の家にお邪魔するのに手土産の一つも無いわけ?」
「うっ……」
「芸能界でうまく立ち回ってたとしたって、こんな基本が出来てないんじゃ先が思いやられるわねぇ」

そう言って意地悪そうにこちらを見る。母親になったからと言って小憎らしさは変わらないらしい。

「んもーう、大河ってば急に誘ったんだもん、いくらあーみんだって無理だって」
「そうね……まぁ無理言っちゃったからしょうが……」
「あるよ! あるある! 亜美ちゃん昨日、仕事の合間に買ってきたもんね!」

言われっぱなしも限界だっつーの。だいたいこういうものは催促するもんじゃねーだろ?
と、ぶつぶつ言いながらモスグリーンの包装紙に包まれたものをタイガーに放る。

「おおう、やるなぁあーみん」
「……何これ? 貴金属かしら?」
「んなわけねーだろ……紅茶よ、紅茶! ファーストフラッシュもので美味しいって有名なんだから」

へぇ。みたいな顔をして箱を眺め回してるけど、おそらく意味は分かってないだろう。
そもそも高須家に持ってくるなら紅茶より緑茶だったかも……なんて思ってると、

「ちょうど良かった。それじゃこれでお茶にしよっか」
「そいつぁイイね、ちょうど焼ける頃じゃない、大河?」
「……焼ける?」
「そそ。私ね、みのりんとばかちーのためにお菓子作って待ってたんだ」
「あ、あんたがぁ!?」

思わず大きな声が出た。むしろお腹の大きさよりも驚いた。

「そうよ。ま、今日は簡単なマドレーヌだけどね」
「えぇ……っと。あんたって……そういうキャラだっけ?」
「あーら川嶋さん……私が何年主婦やってると思ってるのかしら?」
「いやいや、それは分かるんだけど……似合わねーっつーか……ねぇ、実乃梨ちゃん?」
「そんなことないよ? あーみんもすぐに分かるって。人は変わっていくものなのだよ!」

えっへんと胸を逸らすが、それが本当だとしても偉いのは実乃梨ちゃんじゃないような……

「まぁ、あんたの言い分も分かるわ。だからそこで大人しく待ってなさいよ?」

そう言ってテーブルに手を付いて立ち上がろうとするタイガー。

「よっ! こらっ! しょおおおおっと!」

ひどく身体が重そうだ。そして……ひどくババくさい。

「あ……あんた、大丈夫?」
「しゃらあっ! こんくらい問題ない。心配しないで……って、うわっとぉ!?」
「大河ぁ!?」

よろめいたところを素早く実乃梨ちゃんがフォロー。

「……っとっと。ありがと、みのりん」
「いやいやーどういたしましてだよ」
「……あんた毎回そんな危なっかしいわけ?」
「ううん。一人で立つ時は木刀に掴まりながら立つから全然危なくないの」
「木刀って……」

あたしが唖然としているのを気にも留めずにひょこひょことキッチンへ歩いていく。
いつの間にか実乃梨ちゃんも側に付いているから安心だろう。

そんな二人を見送って、部屋の中がやけにカラフルだと気付いた。
パステルカラーのおもちゃだったり洋服だったりが置かれている。
隣の部屋のあれはおそらくベビーベッドで、リビングボードの中には出産関連の本が並ぶ。

「へぇ…………」

それら一つ一つは逢坂大河だった頃のあの子のイメージとは程遠いけれど、
あのお腹とか、この部屋とか、漂ってくるバターのいい匂いとかが全部混ざって不思議な気持ち。

「おおおー! 焼き加減ばっちりじゃーん!」
「でしょでしょ? あ、みのりんは紅茶のカップとか持ってって」
「ガッテン承知っ!」

キッチンの声を聞き流しながら飾ってある写真を目で追う。
そこに……高須君がいた。
どのくらい会ってないだろう?最近まともに話したことあったっけ?
女優になる前はタイガーと外食した事もあったけど、その旦那様となると話は別だ。
二人の結婚式の記憶はしっかり残ってても、その後の数年間はあたしにとって嵐のような毎日だった。

これは……日本の海じゃなさそうだし、旅行かな……?
その隣ではシンデレラ城をバックに寄り添って手を繋いでる。指と指を絡めるいわゆる『恋人つなぎ』ってやつ。
こっちの写真にはレジャーシートに置かれた美味しそうなお弁当なんかも写ってる。
あ、これはお腹がちょっと大きくなってる。誰の家だろう、庭があるからどっちかの実家かな?

――どの写真も楽しそうで、どの写真でも二人は笑っていて。

タイガーと高須君が築いてきた確かな日常ってやつがそこにあった。
あたしの知らない二人の姿は新鮮で、だけどそれを知らない自分が少し寂しかったりもする。
高校を卒業してから、この二人とは違う道に進んだんだから、当然と言えば当然……か。


「ばかちー、何ボーっとしてんのよ?」
「えっ!? あ、あぁ……ごめんごめん」

振り返るとタイガーがお盆を持って立っていた。
そこにすかさずキッチンから実乃梨ちゃんの声が掛かる。

「あーみん受け取ってあげて。腰曲げるの大変そうだからさー」
「はいよー」

お盆を受け取り、キツネ色のマドレーヌが乗ったお皿を並べていると、テーブルの反対側にゆっくりとタイガーが座る。

「あ……悪かったね、気が利かなくって」
「ううん。たまには自分で動かないとなまっちゃう」
「紅茶セットお待ちぃ〜」
「あっ、ありがと、みのりん。そこに置いてね」

たまには、の部分に疑問を抱きつつ、取りあえず用意が終わったみたいなので腰を落ち着ける。

「どう?おいしそうでしょ?」

それ以外の感想があるわけないと言わんばかりに自信満々なのが気に食わないが、

「確かに……美味しそう……ちっ」
「ちっ、って何よ?」
「どうせ高須君が作ったんでしょ?」
「それが違うのだよ、あーみん」
「私が1から10まで作りましたー!」
「マジで……?」

にわかには信じ難い、けれど得意気にニコニコ笑ってるのを見るとどうやら本当か。

「……ちょっと見直した……そ、それじゃ今から食べるんだよね?」
「あ、食い意地はった川嶋さん?もうちょっと食べるの待ってね」
「はぁ?亜美ちゃん全然そんなことねーんだけど?」
「いま、紅茶入れてあげるから……それまでお預けよ、バカチワワ」
「あっはは! 久々に聞いたねぇ、その名前」
「……ふん。だいたい何がマドレーヌよ、フランス気取りかぁ?」
「ふっふーん。やってみると簡単なのよ?お店の物より美味しいし」

そう言いながら、透明なティーサーバーに手馴れた感じでお茶の葉とお湯を入れる。
蓋を閉めて茶葉が開くのを楽しそうに眺めているのを見て……これが今のタイガーなんだ、なんて事を思った。

「き〜ら〜き〜ら〜ひ〜か〜る〜♪」

しかも、お腹を撫でながら小さな声で歌まで歌いだす始末。
それはどこにでもいる妊婦さんの絵面そのまんまで、ゆらゆらと揺れる姿につい見とれてしまう。
よりによって、かの暴君タイガーがこんなに穏やかな時間を過ごすようになるなんて想像も付かなかった。

「……って、それって『きらきら星』?口ずさむならもうちょっと他に何かないの?」
「ら〜ら〜ら〜ら〜 ……ん?いいじゃない、私これが好きなんだもん」
「ふーん」
「良いではないか、あーみん。それより、これもお皿に盛ろうぜぇ〜」

そう言って透明な容器に入ったホイップのようなものを手渡してくる。

「これは?」
「それはね、竜児特製のサワークリームよ。どんな焼き菓子でも魔法のようにおいしくなるんだからっ!」
「あーそれは楽しみかも」

現金なやつ、とか何とか言いながら紅茶を注いで準備完了らしい。

「それじゃ、いっただっきまーす!」

と、真っ先に食べ始めるタイガーにちょっとだけ安心する。食い意地は健在……と。

時間は10時ちょっと前。
部屋の中まで届く日差しは、春を感じさせる程に暖かい。
紅茶の香りもいいし、チビ虎が作ってくれた二回目のお菓子はとても美味しかった。


◇ ◇ ◇


「ふぃ〜食った食ったぁ〜」
「ごちそうさま、大河。今日もうんまかったぜぇ〜」
「…………あんたら……」

いや、確かに美味しかった。
特にサワークリームが適度な酸味でいくらでも食べられそうだったのだけど……

「二人とも食いすぎじゃね? 何個食べたの……?」
「いいのいいの、私はたっぷり栄養付けないといけないんだから」
「そうそう。私は今日のために昨日の夜から断食してたからいいんだぜー?」
「あぁ……そうかよ……」

いまだ十代の胃袋を持ってる二人を羨むべきか、スイーツをいくらでも食える立場を羨むべきか、それが問題だ。

「あーみんはもう食べないの?」
「これ以上食ったら、デニムのボタンが苦しくなっちゃうもん」
「あーそうだ。お昼になったら、美味しいご飯も食べさせてやるからね」
「げぇ……まだ食う気かよ、あんたら……」
「おっと、それなら私も作るの手伝うぜよ?」
「ううん。ほとんど下ごしらえも済んでるから大丈夫だよ?」

その言葉を聞いて思わず、ドン―― とテーブルを叩いてしまう。

「やっべーじゃん! 何それ?何なのあんた?何があったって言うの?完璧主婦?高須流家事術の免許皆伝?」
「い、いきなりどうしたわけ?」
「さっきから違和感ありまくりだっつーの! 部屋はちょっとだけ散らかってるけど、お菓子も作って、
 ご飯も作って、お客さんが来る前に下ごしらえまで済んじゃってて?
 人が変わったみたいっつったら失礼だけどさ、なんつーか、ほら……」

一気にまくし立ててしまってから冷静になってくる。
再会を喜んで美味しいもの食べて何も問題ないって言うのに、あたしは急にどうしたっていうんだろう?

「まぁまぁ、あーみんってば……」
「なるほどね。ふふん……私には分かる。分かるわー」
「何がよ?」
「私がすっかり家庭的で素敵なレディになっちゃったもんだから、焦ってるんでしょ?」
「ち、違うって」
「それともあれかしら?『あーこいつ幸せそうだなーちくしょー!
 あたしなんかディレクターのハゲオヤジに毎日囲まれてるのに……チッ!』とか?」
「……ちげーって」
「うんうん、しょうがないのよね。この部屋に来たらね、私と竜児の幸せオーラでみんなやられちゃうんだからっ!」
「あははは、私もいっつも当てられちゃうんだよ。あーみんも気にしちゃダメだよ?」

確かにやられちゃったのかもねーと、実乃梨ちゃんに冷めた視線を送りつつ、にやにや顔のタイガーに顔を向ける。

「予想外の展開に亜美ちゃんビックリしちゃっただけ。それだけだよ……」
「ふーん?」
「ま、あたしはてっきりぃ?ノロケを聞かされるために呼ばれたんだと思ったんだけど……」
「それもあるね」
「あるんかいっ!?」

思わず突っ込んでしまったけど、それに対して、

「あるけど……そんなんじゃなくって、ばかちーにも……ちゃんとお祝いしてもらいたかったんだもん」

と、少し拗ねるように言うのだからずるい。

「……っ、……べ、別に生まれてからでも、ちゃんとお祝いに来るつもりだったよ、あたしは」
「だってあんた忙しいじゃん。今日を逃したらいつになるか……」
「それは……確かにそうだけどさ……」
「でしょ?それにまだ、このお腹の感想を聞いてないわよ?」
「えぇ!? それって言わなきゃならないの?」
「うん、そう」
「………………」
「ホレ、何か言いなさいよ」
「で ・ け ・ え」

挑発するようなあたしの物言いに、隣で実乃梨ちゃんが苦笑いしてるけどスルー。

「それだけ?他に何かないわけ?」

けれど、タイガーは前みたく怒るわけでもなく、無邪気にあたしの答えを楽しみに待ってる風にも見えて、

「ま、まぁ……その……すごい、ね……」
「そうなの! すごいでしょ……へへへへへ」

そう言って嬉しそうに、どこか誇らしげに笑うもんだから、つられてあたしも微笑んでしまう。

「予定日っていつ頃なの?」
「ちょうど一週間後。だから本当にあとちょっとなの。あとちょっとすれば……」
「すれば?」
「……この子に会えるんだ」

愛おしそうにお腹を撫でながら、照れたように頬を染めるタイガーはとても綺麗で、

「……良かったじゃん」
「うんっ!」

昔っから変わらない元気いっぱいの返事も、とても幸せそうで。
あーあ、やっぱり亜美ちゃんやってらんねーと心の中で毒づいた。


◇ ◇ ◇


「……そうだ、ねぇタイガー? そのお腹、触ってもいい?」
「……ん?」
「あっ、あーみん、それはね……」

隣でタイガーを見つめていた実乃梨ちゃんが声を出す。何だろう?と思っていると、

「だーめ! ばかちー残念でした。ここは竜児しか触らせないの!」
「……ってことなんだよ」
「はぁ?別に減るもんじゃないし、いいじゃん」
「ダメなの、私か竜児以外の人に懐いちゃったら困るでしょ?だからダメ」
「私もさ、何回かお願いしたけどダメって言われちゃったのだよ」
「……つーか、そんなことあるわけ?」

初耳だった。無理に触りたいほどでもないけど、何か感じるものがあるのかもと思っただけなのに。

「あるある。だからごめんね、別にあ……あっ、動いた!」
「……えっ?」
「おおっ!」

そう聞くと余計に触りたくなるって言うのに。
でもこいつ頑固だし諦めるかなーと眺めていると、

「こんな怖いおばさんなんかに触られるのイヤだよねー?ごめんね、起きちゃったかなー?」

なんて語りかけている。
聞いた事がある、胎内にいても寝てたり起きてたり……いやその前に……

「っつーか、怖いおばさんってあたし!?」
「そうよ。年増チワワ改めババチワワ……つまりあんた」
「バ、ババァ呼ばわりすんじゃねーよ!? てか、あんただって同じだけ年食ってるし!」
「あ、今からばばちーって呼ぶね」
「人の話聞けよ!?」
「大河、それは……言いすぎなんじゃ……」

毒針のような急所攻撃を食らってキレそうになるが、タイガーはどこ吹く風でお腹に語りかける。

「ね、大きな声出して怖いねー?こんなヒステリー持ちになっちゃだめだよー?」
「く……くううっ!」

そこに語りかけられると正直突っ込みにくい。それがまた悔しくって歯軋りするが、

「まままっ、まぁまぁ……あーみん落ち着いてって」
「……う、うん」
「ぷっ……くっくっく……」

当の本人は楽しそうにコロコロ笑ってるんだから堪らない。

「あっはははは! ばかちーいじりはやっぱ楽しいわ」
「……ったく、やっぱりあんたって変わってねー」

さっきの考えは撤回しよう。
お腹が大きくて動けなくても、家事がそれなりに出来るようになっていたとしても、
やはり中身は傲慢不遜の手乗りタイガー、か。

「ごめんごめん。ちょっとからかって見たくなっただけよ」
「べっつにぃ?あたしは別にどうしても触りたいわけじゃねーし、どーでもいーんだけどぉ?」
「……んとね、いつもと違う人が触ると、ビックリしちゃうんだって、そうするとストレスになっちゃうらしくってさ。
 だからなるべく、って、竜児が……」
「なるへそー私はそんなの知らなかったなぁ」
「竜児が……ねぇ。それじゃ高須君は毎日触ってるんだぁ?」

それじゃ、そろそろこっちの番だよね、と愛しの旦那様の話を振ってみる。
――ふん。いつまでもやられっぱなしじゃないっつーの!

「うん、もちろん」
「ベタだけど……やっぱり高須君も話しかけたりするのかなぁ?」
「うん」
「あたしが言うのも何だけど、高須君ってさ、すっげぇ親バカになりそうじゃない?」
「うん。っていうか、もうかなり重症よ、あれは……」
「あはっ、やっぱりぃ? ふぅーん、そうなんだぁ……ねね、どんな感じなの?」
「あーみん……」

実乃梨ちゃんが何やら神妙な顔でこっちを見ている。なに?なんかマズった?

「そこまで言うなら教えてあげるわ、ばかちー!」
「あっ……う、うん……」
「まず朝出かける時はね、玄関でしゃがんで『それじゃ行ってくるな、いい子にしてるんだぞ〜』って言って……」
「ふんふん」
「そんで、立ち上がって『行ってくるぞ、大河。転ばないようにな』って言ってキスしてくれるの」
「……へ、へぇ…」

少しだけ紅茶を口にするタイガー。

「次にね、お昼休みになったら電話してきてくれるんだけど、
 『おう、大河メシ食ったか?旨かったか?そうだろうそうだろう』って言った後に、
 『それじゃ変わってくれ』って言うから携帯をお腹にあてるわけよ」
「……ふーん」
「何を話してるのか聞こえないんだけど、
 『竜河も旨かったってさ、それじゃまたな、愛してるぜ、大河』って必ず言ってくれるの」
「……いや……しゃべれねーから」
「あんたも夢が無い女ねぇ……心で通じ合ってるからいいのよ」
「あっそ」

恥ずかしい事を言ってる自覚があるのか無いのか……これっぽっちも恥らう事なく話は続いていく。

「そんでね、帰ってきた時はちょっと長いの。きっと竜児も寂しいんだね。
 『ただいまー竜河、今日はコレを買ってきたからなー』とか、『コレ旨いから楽しみにしておけよなー』とか、
 そうそう、最近寄り道して何かしら買ってくるのよね、竜児ってば」
「へーへーそりゃーようござんしたね」
「もうお洋服もおもちゃもいっぱいになっちゃって困ってるってのにね……まぁその話はいっか。
 それで、一通り話し終わったらね『ただいま、大河。寂しかったか?』って言っておかえりのキスしてくれるんだよ?
 ふふっ、寂しいのは竜児の方なのにね! だからね、朝よりずっとキスが長いんだ!」
「知らねーっての!」

段々と気持ちがやさぐれてきた。
きっと今ならいい演技が出来るに違いない。タイトルは『やさぐれ亜美の一生』……イヤ過ぎる。

つーか、明らかに『親バカな高須君』と関係ない事までペラペラしゃべくってるのはどうなの?
チラと実乃梨ちゃんの方を見ると……生暖かい諦めの視線を送り返された。
ん?声を出さないように口元が動いてる……なになに?……ジ…コ…セ…キ…ニ…ン……

うっぜー

「そんなに声を荒げないでよ、ばかちー。まだ続きがあるんだから」
「……いや、もう十分……だって」
「まぁまぁ、後ちょっとよ。そんで、晩御飯食べた後は、お昼と大体一緒かな。
 で、次の日のお弁当とかご飯の下ごしらえとかした後に、私にマッサージまでしてくれるんだ」
「……ふぅん。相変わらず優しいんだぁ、高須君。よかったよかったねーはいはい」
「家事してるちょっとした合間にね、竜河に話しかけに来たり、キスしに来たりするから困っちゃうわよねー」
「だーからっ! そこまで聞いてねーんだっつってんの!」
「……あらやだ。愛がないと人の心ってこんなに荒むのねぇ……遺憾だわ」

そう言い放ち、やれやれといった感じのポーズ。
その隣では実乃梨ちゃんも同じようにやれやれといった感じで首を振っている。

「あ、みのりんにも分かる?ねぇ、ばかちーって可哀想だと思うでしょ?」
「あー……はは……ははは……」

きっとあれはタイガーに対する降参のポーズなんだろう。
でも二人で耐えればなんとかなるよっ! なるよね、実乃梨ちゃ……

「およよ、二人とも紅茶が無いではないか、私がお湯を沸かしてきてしんぜよう!」
「……裏切り者」

そそくさと逃げる背中に思わずボソリとつぶやいた。

「あっ、お願いね、みのりん。それでね……ってちょっと、こっち向きなさいよ」
「もういいっつーの」
「そんでー、その後はお風呂でしょ。やっぱりこんな身体じゃない?そんでもって私ってドジじゃない?
 危なっかしいって言うんで一緒にお風呂に入るんだけど……」

……ぜんっぜん人の話聞いてねーし
さっきまでは……高須君の名前を出すまでは普通だったのに……出した途端にこれか。
もう話したくて話したくて我慢出来ないらしい。やっぱりこういう運命だったのか、今日という日は。

「ま、お風呂はずっと前から一緒に入ってるんだけどね。
 それでなんと! お風呂の時はね、私はおしゃべりしてるだけでいいの!」
「はっ?」
「ぜーんぶ竜児が洗ってくれるんだ!」
「………………」
「身体もぜーんぶ拭いてくれるの!」
「…………………………」
「そんで、パジャマ着せてもらって、お姫様だっこでベッドまで直行!
 あ……って言っても寝るためだからね?」
「………………だ……だからよぉ……」
「私もね、こっぱずかしいんだけど、竜児がどうしてもって聞かないの。
 あ、あれってどう考えてもキスするためのだっこだよね?
 だって逃げられないんだもん。
 ずるいんだもん。
 降ろしてって言っても聞いてくんないんだもん。
 まぁ、竜児っていつもとびきり優しいし、別に逃げるつもりなんて無いんだけど。
 ね、ばかちーもそう思うでしょ?」

聞いてる内にぷるぷると震えてくる。
え、どこが?どこもかしこもだよ、こんちくしょー!
顔全部を引きつらせて心底うんざりした顔でタイガーを見てると、

「やだ……なにその顔怖い……死んだ魚のような目をしてるわよ、あんた?」
「だーからっ、あたしは高須君の親バカっぷりを聞いてんのよ! 分かる!?
 あんたら二人のラブラブっぷりは聞いてねーっつってんだよ―――っ!!!」

……ちょっとキレた。ちょっどだけね、キレちゃったよ、亜美ちゃん。えへっ☆
しばらくパチクリとあたしを眺めていたけど、ゆっくり俯いて、自分のお腹に手を当てて、

「……ね、怖いね、竜河……こんなヒスオババじゃなくって、私のように素直にすくすく育ってねー?」
「それも反則だろがあっ!!!」
「うわっぷ! ツバ飛んだし……もう、ばかちーったら、雑菌は天敵なんだからね?」
「何だよ、ヒスオババって!? チワワはどこいったよ!? あれか?もう5文字なら何でもありかよ!?」
「まままっ、まぁまぁ……あーみん落ち着くんだぁ、どうどう……はい深呼吸して、はい、いちにー、さんしー」

……ハッ……いま亜美ちゃん何を……なんか大声出したらものすごく気持ちよかった。
でも、大声は良くない。ツバ飛ばしちゃうのも雑菌うんぬんはともかく女優として失格だ。

「ふぅー…………ふぅー…………」

と、深く息を吸って落ち着かせる。
芸能界で揉まれてるはずなのに、こいつの前だと感情の針が簡単に振り切れちゃうのは何故だろう。
きっとタイガーに悪気は無いんだ、無いと信じたい……ない……よね?

「……大河はさ、あーみんに聞いてもらいたいんだよ」
「み、みのりんってば」
「……何だそれ?」

お湯を沸かし終えた実乃梨ちゃんが新しく紅茶を作り始めながら言った。

「子供が出来たって分かってからさ、大河は何度かあーみんと会おうとしたけど忙しくて無理だったでしょ?
 今日まで会えなかったから寂しかったんだよ」
「そ、そんなこと……」
「だから、いっぱい話したくってしょうがないのさぁ! 分かってやってくれよ、あーみん!」
「それはまぁ、このチビ虎にも可愛げがあったってことで別にいいんだけど……」
「……けど、何よ?」
「ノロケすぎ」
「そう?」
「……って、あんた自覚ないわけ?ちょっと実乃梨ちゃんからも言ってやってよ」

と、この気持ちを誰よりも分かってくれるであろう友人に助け舟を求めるが、

「何を言ってるんだい、あーみん!」
「えっ?」
「わたしゃ大河の家から帰る度に輸血してもらいたいって思うくらい、
 いつもいつもいつもいつも、うわああああああああああああああぁ!」
「実乃梨ちゃん!?」
「みのりん!?」

突然のシャウトにあたしもタイガーも驚く。

「あーみん分かるかい!? もう大丈夫。今度は大丈夫。私はきっと大丈夫って思っててもさ、
 予想を遥かに超えるビッゲストなオノロケ爆弾がポンポン飛び出してくるんだよ!?」
「あぁ……ね。実乃梨ちゃんも……毎回こうなんだ?」
「……わ、私、そんなに言ってないよね、みの……ひむっ!?」

ガバっとタイガーに抱き付いて、顎の下からほっぺたを鷲づかみにする実乃梨ちゃん。

「この! この可愛らしいおちょぼ口から飛び出してくるんだ! 
 甘いのとかエロイのとかエグイのとかいっぱい出てくるんだよ! もう勘弁ならねぇなぁ! 
 おいらの命が七つあったって全然まったくこれっぽっちも足りゃーしない!」
「ひはいひはい! みほひんひゃめれぇー! ひゃああぁぁあばばばばばば!」
「ちょ……ちょっと実乃梨ちゃん……」

ものすごいスピードでむにむにむにむにとタイガーの頬を震わせながら更に叫ぶ。

「命がけなんだよ、あぁ命がけだともさ! 大河の家に遊びに来る度さ、
 敵の絨毯爆撃を必死でかいくぐって生還しなきゃいけない兵士みたいな気分になるんだ! 
 ちなみに敵とは大河、貴様のことだぁ〜!」
「ご、ご愁傷様……は、はは……」
「衛生兵! 衛生兵はどこだ!? おぉあーみん! そなたが戦場を駆ける女神に見えるぞー!」

斜め下からえぐり込むように振り返ってあたしを見る眼差しがギラギラしててかなり怖い。
だけど、被害者同士の連帯感というやつだろうか、やけに共感出来てしまうのが謎だ。
分かる、分かるよ! おぉ同志よ! とばかりにその肩を抱こうと腕を伸ばしたが、

「みのりん、でもさ、今日は全然そんなことないじゃない?」
「うん。今日の話はもう全部聞いてるからね、無問題だよー」

なんて言いながらタイガーの方に振り返り、ケロっと平静を取り戻す実乃梨ちゃん。
この切り替えの早さも相変わらずか。

ごめんね大河あんまりにもぷにぷにだったからさーううんいいのみのりんになら何でもされちゃうもん
私をぷにぷに出来るのは竜児とみのりんだけだぁーおぉ大河ーあぁみのりんっもっときつく抱いてっ
おうおう愛い奴めがふっくらしやがってこんにゃろめーあぁんみのりーぬっ――――

「………………」

もはや百合直前の寸劇を見ながら、あたしが伸ばした両腕はまるで『前ならえ』……
『直れ』も出来ずに取り残された空しさのあまり、思わず自分で自分の身体を抱きしめちゃおうかな?なんて。
結局あれか……あたしだけやられちゃってるわけ?……ふっ、亜美ちゃん不幸。


◇ ◇ ◇


この……抱き合ってる二人を高須君が見たら何て言うんだろう?

『櫛枝よ、大河は俺のもんだ、おまえには悪いが渡さねえぜ』
『高須君、大河と私は愛し合ってるんだ、高須君こそ身を引いた方がいいよ』
『やめて二人とも! いくら私がきゅーとでぷりちーだからって、二人が喧嘩するのなんて耐えられないっ!』

…………とか?ハッ……アホらし。
仲良しなのはいい事だけど、ベッタリ過ぎるのも相変わらずか。
こいつらいい加減大人になれよ、と頬杖を付きながら眺めていると、ようやく百合成分が満たされたらしい。

「あ、ごめんよ、あーみん。大河を独り占めしちゃった」
「いいよいいよ。亜美ちゃん別にいらねーし」
「ばかちー寂しかったのね。いいのよ……私のおおらかな愛であなたを包んであげるわ」

さぁおいで、と言わんばかりに両手を左右に広げてマリア様のようなポーズを取るが、
実乃梨ちゃんにもみくちゃにされた頭が爆発してて慈愛のかけらも感じられない。

「だーから、いらねーっての。それより……」

と、気になったことを聞いてみる。

「ルカちゃんって言うんだ、その子……?」
「あ、分かっちゃった?」
「自分でさんざ言ってたんだって……」
「ベタだけどね、竜児と私の字を一つずつ取って竜河、ってしたの」
「ふーん、ま、可愛いじゃん?」
「当たり前よ……でもまぁ、ありがと。
 私は生まれるまで知らなくてもいいって思ってたんだけど、エコー検査するとすぐに分かっちゃうらしくって」
「……高須君が我慢しきれずに先生に聞いちゃったんだよね」
「そうそう。だって、どっちか分からないと洋服も買えねえとか何とか言っちゃってさ」

なるほど、だからこの部屋にはピンク色のものが多いわけか。

「で、その竜河ちゃん用のおもちゃとかがたくさんあるんだ?」
「そうそう」
「このアヒルかっわいいよねー! ちょーかわえー! お持ち帰りぃ〜☆」
「あっ、ダメだよみのりん!」
「それにしちゃ……散らかってない?巣作りタイガーは目覚めなかったわけ?」
「何よそれ?」

ようやく気付いたのか手櫛で髪を整えながら???って顔をしてるので少しだけ説明してやる。

「みんなで暮らす部屋を綺麗にしておこうっていう本能は、
 あんたには宿らなかったみたいだねーって言ってんのよ」
「あぁ、そういうことね」
「前に来た時はもっと綺麗だったよね?私も気になってたんだ」
「うーん……さすがの竜児でも、ちょっと手に余るみたいなのよねぇ……」

と難しげな顔をして腕を組む。
えっ?と驚いたのは一瞬、二人してタイガーに詰め寄る。

「……って高須君が掃除してるわけ?」
「大河がやってるんじゃないの?」
「そう。ううん。……あれ?…………まぁそういうことよ」
「意味わかんねーって!」
「……つまり竜児が掃除するんだけど、何かと忙しくって出来ないのよ、分かる?」

思わず実乃梨ちゃんと顔を見合わせてしまう。
何でそうなるの?この子やっぱりダメな子?なんて事を考えてるわけではない。いや実は近いかも。

「待って。なんか亜美ちゃん、いやぁ〜な予感がしてきたんですけどぉ?」
「何よ?」
「なになに?」
「さっきから違和感感じてたのよねぇ……あんたまさか……」

目を細めてタイガーの瞳を覗き込むと、さりげなく目を逸らされた。
……うん、全然反対。万引きした小学生なみの怪しさで目を逸らされた。

「な、なななにかしら?そ、そんな疑いの目で人を見るんじゃないよ!」
「ふぅ〜ん。そういう風に感じるってことは……ねね、聞いていい?」
「いやだね」
「拒否んなよ!」
「あーみん何を気にしてるの?」

じぃーーーっと見つめていると、どんどん落ち着きを無くしていくタイガーに確信する。

「あのさぁ?あんたさっき言ったよね?お風呂で高須君が全部洗ってくれるって」
「う、うん。言ったわよ、それが何?羨ましいわけ?ふん! だったらあんたもとっとと……」
「その前に! 高須君ってマッサージまでしてくれるんだねぇ?」
「そ、そうよ! どどどどうよ、この愛されっぷり!」

見たか、と言わんばかりに胸を張ろうとするけど、張れていない。どこか勢いも足らない。

「でさぁ?その前に、お弁当とかご飯の下ごしらえもしてくれるって……言ってたよねぇ?」
「あぁ、言ってたねー大河」
「あ……あららあああぁ?わ、わわ、私そんな事言ったかしら?」
「言った言った。亜美ちゃん、ちゃーんと覚えてるもん」
「うぅっ…………」

そう言ったきり黙りこんでしまうタイガーに優しく問いかける。

「なんでお昼に高須君が電話掛けてきて、『旨かったか?』って聞くわけ?なんで?ねぇ何でかなぁ?」
「おおう……あーみんの顔が輝いてる」
「そ、それ…………は……」

と、声を詰まらせたタイガーに更なる追い打ちを掛ける。
追い打ちっていいよねぇ、言葉の響きからしてもう最高。だって追いかけて打ちのめすんだよ?
弱った虎を追い込んで容赦なく、徹底的に、完膚無きまでに叩きのめして あ げ る ♪

「ねーぇ、家庭的で素敵なレディの高須大河さぁん?」
「ぐっ…………むむ…………」
「高須君がお昼ご飯にって、あんたのお弁当とか作ってくれてるんだよねぇ?」
「……う…………うん……ででで、でもっ、ちが、違うの! それにはあの、そ……の……」

落ちたと思ったら意外に粘りやがる。
でもそれもまた良し。簡単に降参されちゃったら面白くないじゃんね?

「今日のお昼ごはん……下ごしらえが済んでるって聞いてぇ、
 亜美ちゃん、ちょー取り乱しちゃって恥ずかしかったなぁ。テーブル叩いたりしてホントごめんねぇ?
 だってさぁ、ものすごくビックリしちゃったんだもん。でもさ、それってぇ……本当は誰がしてくれたんかなぁ?」
「そ……それは………」
「それはぁ?」

と言いながらニッコリンと笑う。カメラにも向けないようなとびきりの笑顔をプレゼント。
――さぁ、ひれ伏せチビ虎! 今度こそあたしの勝利よ! オーッホホホホホ!

「大河よぉ、ほら、おっかさんも泣いてるぜ?ゲロして楽になっちまっても、いいんじゃぁ、ねぇのかい?」

隣で実乃梨ちゃんが渋いオッサンの真似をしながらタイガーの肩を叩く。
あたし達二人の視線にとうとう耐え切れなくなったのか、

「りゅ…………りゅう……じ……」

と白状した。
だけど、ここで止める亜美ちゃんは亜美ちゃんじゃない。

「ふぅ〜ん。じゃあさぁ、昨日のお昼ごはんは?」
「りゅ……竜児」
「えっと……大河?そしたらさ、昨日の晩ごはんは?」
「……竜児」
「まさかあんた、朝ごはんまで……?」
「竜児……が…………だって……」

すっかり勢いを失ってボソボソと呟くようにしてる。

「だってじゃないっ! 部屋の掃除は誰がやってるんだっけ?」
「竜児」
「洗濯は?」
「竜児っ!」
「じゃあ、仕事してるのはっ!?」
「ぜ、全部竜児でふっ! ぎっ! あいたぁ!?」

あ、噛んだ…………

「…………」
「………………」

ちょっと可哀想だなと思いつつ、呆れ顔の実乃梨ちゃんと顔を見合わせる。
ここまでだとは思わなかった。暴いてはいけないところまでいっちゃった感がして少し後ろめたくもある。

「あんた…………」
「大河…………」
「いや……いやぁ!……そんな目で私を見ないで……見ないでぇぇぇ!」

これじゃ苛めてるみたいだ。誰も苛めたいわけじゃない、けど、それってあんまりじゃね?

「大河、私が言うのもなんだけどさ、それじゃ高須君が大変だよ」
「そうだよ、あんたそれじゃ高校の時と一緒じゃん、なんもして無いじゃん」
「…………」
「道理で……高須君がこの散らかった部屋で我慢してるわけだ……」
「ったく……どんだけ甘えさせてんのよ……あのバカは……」

そりゃ、そこまでやってもらってたら身体だってなまっちゃうわけだ。
たまには自分で動かないと……か。まだ若いのに、そんなんで足腰は大丈夫なんだろうか?
きっと高須君がいる時はでーんと座り込んで甘えっぱなしの食いっぱなしなんだろうな、こいつ。

「だって……だってね……だから違うんだって! 聞いてってば……」

と、割と必死になってタイガーが訴えてくるので耳を傾ける。

「何よ?」
「竜児が、ね……竜児が、家事、させてくんないんだもん……」
「ほう?高須君が?」
「そりゃあんたが大変そうなのは見てれば分かるけどさ、それじゃあんたの為にならないっての」

あたしがそう言うと、タイガーは「ふぅ」とため息を一つ。
やれやれ、しょうがないわねぇ、と冷静さを取り戻した顔で話し始めた。

「別に私だって隠しておくつもりは無かったんだけどね。
 あんまりワケを話しちゃうとさ、まーたあんたが嫉妬に狂っちゃうと思って言わなかったのよ」
「く、狂わねーよ!」
「そうかしら?愛が足りない川嶋亜美さんのお耳に入れるのは、私としても気が引けちゃうのよ?」
「…………」

さっきまでのオドオドした感じもきれいさっぱり無くなり、どこか吹っ切れた感じで顎をツンと逸らす。
そもそも愛情って言うのはね……と、聞いてもいない恋愛観を人差し指を立てながら熱弁するタイガー。
この済ました顔を張り倒してやれたら幸せになれるかもしれない。

「……だからそんなに気にしないで。この数日っていうか、生まれるまで限定だから」
「へぇー、てっきり何にもやらないで自称主婦って言ってるだけかと思ったのに」
「そんなわけ無いじゃん。ちゃんと家事してたもん。ただ、ちょっと前から……ね」
「えー? それでも結構さ、高須君としちゃ辛いんじゃない?」
「私もそう言ったんだけどね、竜児が聞かないの。絶対ダメって言われちゃった! へへっ」

……ったく、そんなに嬉しそうに笑うなっての。これじゃ叱ろうと思ってたあたしが馬鹿みたいじゃん。

「んーまぁ?しょうがないから竜児にやってもらうがままなんだけどね、でもね、聞いて?」
「……何よ?」
「竜児ったらすっごく楽しそうにご飯作るんだもん。昔に戻ったみたいで懐かしいなーとか言っちゃってさ」
「大河が何もしない、昔って……こと……かな?」
「だろ?」

そんな嫌味もウキウキタイガーには聞こえないらしい。

「おとといね、ちょっとだけ部屋を片付けたの。そしたら、帰って来た竜児にものすごく怒られちゃった。
 何ていうの?罪な女よね、私って……ぐふ……ふふふ……」
「…………」
「………………」

叱られて嬉しいなんていうマゾヒスティックなカミングアウトに目眩がする。
あ、ただし竜児に限るってやつか?
だらしなく口元を歪めてニヤニヤ笑うタイガーに付ける薬はどこにも無い。いや、あっても治らない……か。



◇ ◇ ◇


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