昔々ある所に、目付きは悪いが心優しい王子がおりました。
 王子が見聞を広める旅の途中、森の中で高い塔の傍を通りかかった時の事です。
「あーっ!」
 頭上から聞こえた微かな声に足を止めると、その目の前に一本の木刀が落ちてきて突き刺さりました。
 もしもそのまま歩いていたら……
 ぞっとした王子の頭上から再び声がかかります。
「ちょっと!そこのあんた!」
 見上げると、高い塔の天辺近くの窓から女の子が顔をのぞかせていました。
「俺のことか!?」
「他に誰がいるってのよ!」
 確かに辺りを見まわしても人の気配はありません。
「おう、何か用か!?」
「今そこに木刀が落ちたでしょ!取ってくれない!?」
「おう!」
 王子は木刀を手に取り、そこではたと気付きました。
 その塔には入り口も階段も無く、窓も女の子が顔を出している一つしかありません。
「……おい!この塔にはどうやって入るんだ!?」
「ちょっと待って!今髪を下ろすから!」
 そう言って女の子は顔を引っ込めます。
「……髪?」
 不思議に思う王子の前にするすると下りてきたのは、淡くグレーにけぶる栗色の、それは確かに編み込まれた長い長い髪の毛でした。
「それを昇って来て!」
「だけどよ、そんなことしたら痛くねえか!?」
「一旦金具に引っ掛けてあるから大丈夫!」
 それならば、と王子は木刀を背負い、髪の毛をよじ登って窓から塔に入り……絶句しました。
 まず、近くで見た女の子がとても美しかったこと。
 ミルク色の頬に輝く瞳、小さな薔薇の花びらのような唇、華奢な手足に細い肩、
 絹のドレスに包まれた小柄な姿態はまさに名工の手になる人形かはたまた花の蕾の妖精か。
 もう一つは――
「あー、ええと……」
 途惑いながら王子は女の子に声をかけました。
「ラプンツェルよ」
 そう言いながら女の子――ラプンツェルが小さな指輪を嵌めると、髪の毛はするすると縮んで腰の辺りまでの長さになります。
 ラプンツェルに木刀を渡しながら、王子は言いました。
「ラプンツェル……俺にこの部屋を掃除させてくれねえか?」 
 そう、王子が絶句したもう一つの事は、散らかり放題の部屋の汚さ。
 そして王子は無類のきれい好きだったのです。


「はー……見事なもんね」
 見違えるようにきれいになった部屋を見て、ラプンツェルは呟きました。
「いや、まだまだだ。とりあえずざっと片付けただけだからな」
 だけども王子は満足していないようです。
「なあラプンツェル、明日も掃除しに来ていいか?」
「はあ?何で?」
「いや、まだまだ埃や汚れが残ってるのが気になっててさ。それに他の部屋も片付いてねえんだろ?」
「んー……えっと……」
「おう、そういや自己紹介もしてなかったか。俺は高須竜児だ」
「竜児……あんたがそんなに掃除がしたいっていうなら、まあ、構わないわよ」
「おう、よかった」

 翌日、宣言通りに掃除に来た竜児はもう一つの衝撃を受けました。
 なんと、ラプンツェルは全く料理ができなかったのです。
 食事はといえば貯蔵庫にあるパンやハムを切り分けただけ、後は魔法の鍋にいつも一杯の簡素なスープ、それからミルクぐらいでした。
 その翌日から竜児は塔にあれやこれやの食材を持ち込み、もう一つの趣味である料理の腕をラプンツェルのために振るうのでした。

「ところでラプンツェル、最初の時に木刀が落ちて来たのは何でだ?」
「ああ、剣術の練習をしてたらすっぽ抜けちゃったのよ」
「剣術なんてやってるのか?」
「だって普段は暇なんだもの。あれが最後の一本だったから、丁度竜児が居てくれて助かったわ」
「最後って……」
「他のは全部折れたり飛んでっちゃったりしたから」
「……ラプンツェル、お前実はけっこうなドジだろ」



 竜児は毎日のように塔を訪れ、ラプンツェルに聞かれるままに旅の話をしたり、剣術の稽古につきあったり……
 そして、一月程の時が経ちました。
「ねえ竜児、あんた色々とうちに持って来たけど、お金とか大丈夫なの?」
「おう、これでも王子だからな。人一人養うぐらいはなんとかなるさ」
「何よ、あんた王子様だったわけ?」
「言ってなかったっけか。まあ王子って言っても妾腹だから育ったのは下町でさ、
 ほんの一年前までは自分が王子ってことも知らずにむしろ貧乏暮らしだったんだけどな」
「でも一応は王族なんでしょ?一人旅とかしてていいの?」
「俺はこの目付きだろ、色々と邪推する奴等が多くてさ。
 俺と泰子……母親を王宮に迎えてくれた兄貴の迷惑にはなりたくねえから、見聞を広めるって名目で城を出て来たんだ」
「ふーん……あんたも色々と大変なのね」
「まあな」
「……ねえ、竜児は私がなんでこんな所に住んでるかとか聞かないの?」
「それはまあ、気にはなるけど……人それぞれ事情はあるだろ。
 ラプンツェルが話したくないなら無理に聞くつもりはねえよ」
「……『ラプンツェル』の意味、知ってる?」
「確かサラダ菜の一種だよな。でも植物の名前つけるってのは無い話じゃねえだろ」
「違うの。『ラプンツェル』は魔女がつけた名前で、私の本名は逢坂大河っていうのよ」
「……魔女?」
「この塔に魔法の道具がいくつもあるのは竜児も知ってるでしょ。
 親の因果が子に報いってやつでね。私の家……実家の裏には魔女の館があって、その庭にはありとあらゆる草花があったのよ。
 で、私の母親はそこに植えてある見事なラプンツェルを食べたくてしかたなくて、ある時とうとう父親と一緒に盗んで食べちゃったの。
 一度食べたらあとはもう病み付きでね。何度も盗んでるうちに当然魔女にバレちゃって、私は一生分のラプンツェルの対価として魔女に引き渡されちゃったってわけ」
「それで、ラプンツェル……?」
「そう」
「……何だよそれは。ラプン……大河には何の責任もねえじゃねえか」
「別にいいのよ、正直碌な親でもなかったしね。ここで一人暮らしのほうがむしろせいせいするぐらい。
 それにこの塔に居れば、ただ暮らす分にはなんの不自由も無いし」
「閉じ込められてて不自由じゃないわけねえだろ。なあ大河……こんな塔は出て、俺と一緒に来ねえか?」
「駄目よ、魔女との約束は絶対なの。仮に逃げ出したとしても、魔法ですぐに見つかって連れ戻されるわ。魔女が自分から私を追い出さない限りね」
「その、魔女ってのは……」
「月に一度、様子を見に来るわ。その時は竜児が来た時みたいに髪を下ろして昇って来てもらうってわけ。
 丁度明日がその日でね……だから竜児、もうここには来ないで」
「っ!何でだよ!」
「本当はね、この塔に他の人を入れちゃいけなかったの」
「そんなもん、黙っていれば……」
「気づかれないと思う?こんなに部屋がきれいになっちゃったのに」
「それは……」
「私なら大丈夫。十年以上かけて育てた人間をそう簡単にどうこうしたりはしないわよ。
 だけど竜児は魔女に何をされるかわからないから」
「だけどよ……」
 なおも言い募ろうとする竜児の唇を、大河は人差し指をあてて塞ぎます。
「そもそも、あんたはいつかは旅なりお城なりに戻らなきゃいけないんだから、これがちょうどいい機会なのよ。
 この一月楽しかったわ、ありがとう。だけど、それも今日でおしまい……ばいばい、竜児」
 静かに微笑む大河を前に、竜児はもう何も言えませんでした。

 その夜、塔の窓の下には、月明かりにキラキラと輝く雫が降り注ぎました。


 次の次の日の朝、竜児は気がつくと塔の前に来ていました。
「大河!」
 返事はありません。
「大河!俺だ!竜児だ!居るなら顔を見せてくれ!」
 やはり応えはありません。が、竜児の前にするすると髪の毛が下りてきました。
 大河は無事だったのだと、竜児はほっと胸を撫で下ろしていつものように髪の毛を昇りました。
 しかしそこで目にしたのは、切り取られ金具に結びつけられた髪の毛と、真っ黒な服を着た一人の老婆でした。
「おやおや、あんたがラプンツェルのイイ人かい」
「……あんたは?」
「ラプンツェルに聞いただろう?この塔の主の魔女だよ」
「大河はどうした?」
「大河!ラプンツェルじゃなくて大河ときたかい!
 まあどっちでもいいさね。天に溶けたか地に潜ったか、あんなあばずれ娘がどこに行こうともう知ったこっちゃないよ」
「……あんたは今まで大河を育ててきたんだろう?」
「ああそうだよ。その十年以上の苦労を水の泡にしてくれちまって、どうしてくれるんだい。
 すっかり外界に穢されちまって、もう使い物になりゃしない。だからこの塔から放り出してやったのさ」
「わかった、もういい」
 竜児はギリギリと拳を握り締めたまま、魔女に背を向けます。
「おやまあ、お優しい王子様はさっさと諦めて帰っちまうのかい」
 魔女の言葉に竜児は振り返りました。
「……大河に聞いたのか?」
「あたしゃ魔女だよ、そのぐらいお見通しさ。
 ……あの子は何も話さなかったよ。全部言えば許してやるって言ったのにね。まったく、どうしてあんなに強情に育っちまったんだか。
 そのお相手がこんなに薄情だったとはねえ。まったく馬鹿な娘だったってことかね」
「大河は馬鹿じゃねえ」
「どうだかね。現にあんたはあの子が居ないと知ったらさっさと帰ろうとしてるじゃないか」
「ああ、大河が居ないならこんな場所に用はねえからな。それより一刻でも早く探しに行くほうが大事だ」
「……探す?この世界のどこに居るとも知れない、たった一人の娘を探すってのかい!?」
「ああ、絶対に探し出す。そのためなら世界の果てまでだって行ってやる」
「……一つ聞くけどね、その愛しい娘をどこかにやっちまったこの婆をどうにかしようとは思わないのかね?」
「……あんたを斬っても大河が戻ってくるわけじゃねえ。それに、目的は知らねえけど、今まで大河を育ててくれたのは確かだろ」
「憎くはないのかね?」
「腹は立ててるさ。だけど、今はそれ以上に自分に腹を立ててるからな。
 昨日ここにこなかったのは、大河を守れなかったのは、俺自身だ」
 その答えに魔女は深々と溜息をついて、竜児に小さな何かを投げて寄越しました。
「そいつを持って行きな」
 受け取った竜児が手を開くと、それは大河が髪の毛を短くする時に嵌めていた指輪でした。
「今どこに居るのかはアタシにもわからないよ。そういう魔法を使ったからね。
 だけど、暇にあかせて剣術や魔術をかじった娘だ、死んじゃいないだろうさ」



 荒野の外れの小さな街の酒場に、一人のウェイトレスがおりました。 
 ある時ふらりと流れついた彼女は、その美しさに加えて荒くれ者をものともしない腕っぷしでたちまち看板娘になりました。
 そんな彼女の、短かった髪が腰のあたりまで伸びた頃……

 がらんがらんと、床に落ちたお盆が大きな音をたてました。
「嘘……どうして……」
「こいつが夢でヒントをくれたからな」
 開かれた青年の掌には、見覚えのある指輪が光っていました。
 それを見た彼女の頬に、つうと一筋の涙が流れます。
「おう、泣かせちまったか……遅くなってすまねえ」
 青年は彼女に歩み寄り、そっと抱き締めました。
「そうじゃないわよ……馬鹿」
 彼女もまた、青年をぎゅっと抱き締め返します。
 胸元を濡らす涙が止まるのを待って、青年は彼女の目を見つめ、口を開きました。
「言ってなかったよな……好きだ、大河」
「竜児……私も……好き」


 昔々ある国に、目付きは悪いが優しい王子がおりました。
 彼は生涯旅を続けたとも、長じて辺境の領主になったとも伝えられ、その真実は定かではありません。
 ただある時から、その傍らには常に小柄な美しい女性の姿が在ったそうです。



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