カオスな陳列物体に竜児はその前で腕を組む。
「なあ、大河、やっぱりおかしくねえか?」
「いいのよ、これで・・・こうしないといけないって言う決まりでもあるの?」
私が法律よと自己の正しさを主張する大河。
「いや・・・しかし・・・なあ」
あまりの不自然さに首を傾げる竜児だが、大河がそれ良いと言うなら文句を付ける筋合いではなかった。
いったい竜児は何に文句を付けていたのか?
その竜児の前にあるのはさん然と飾られた7段に並んだひな人形だった。


ついさっき、トランクルームで大河が取り出したのは十二単も鮮やかなひな人形。
「・・・まだ、残ってたんだ」
取り出したものを手に乗せ、大河は諦めていた忘れ物が見つかったと言う知らせを聞かされたかの様に上気している。
「・・・大河のか?」
「当たり前でしょ」
ギロリと竜児をにらむ大河。
竜児としては眼前の大河とひな人形がどうしても結びつかず、虎の尾を踏むような不適切な発言をしてしまった。
「あのね、竜児。私だって・・・女の子」
「まあ、男じゃないことだけは確かだな」
KYと言ってしまえばそれまでだが、この場合の竜児にそれはすんなり当てはまった。
「・・・はあ、あんたに複雑な乙女心を理解しろって言うのが無理か」
大河は眉間にしわを寄せ、ことさら大げさに吐息をつく。
雲行きの怪しさを動物的勘で感じた竜児は押し黙る。
・・・願わくば、嵐にならないでくれよ。
「ま、いいわ。竜児にそんなものあるわけ無いんだから・・・無い物を求めても無駄ってことね・・・はん」
竜児の願いが通じたのか、それとも大河が竜児の怪我を慮ったのか、大河を発生源とする低気圧は思いのほか早く通り過ぎた。
文句を言うだけ言ったら気が済んだのか、大河はさっきまでの休火山レベルまで沈静化する。
じっと手の内にあるひな人形を見つめ、そして大河は塑像の様に動きを止めた。
やがて、食い入るような視線が和らぎ、大河は長い長い吐息を吐き出す。
「・・・以前はね・・・飾ってたんだ・・・三月のひな祭りに」
そのうち、ポツリポツリと大河は話しを始めた。
・・・幼稚園くらいかな・・・覚えてるの・・・ど〜んみたいな感じで家の中に飾られてて・・・私はその前で笑ってて・・・。
・・・人形にね・・・ちょっかい出して・・・ひな壇から落としちゃって・・・首が取れちゃった。
・・・小さい頃って平気でバカなこと出来るから・・・でも、パパもママも・・・私を怒ってくれた・・・人形だって痛いんだよって。
・・・怒られたけど・・・実感はあったんだ・・・私はここに居てもいいんだって・・・パパとママの娘なんだって・・・そう思えた。
・・・最後に飾られたの見たの・・・四年生くらいだったかな・・・前の年まではパパとママとで並べてた・・・でも、最後に飾った年は・・・。

「今年は飾らないの?って聞いたんだよね・・・私、まだ子供だったから・・・パパとママの間が変だって良く分かってなかった」
「・・・大河」
「ママが半分だけ手伝ってくれたけど・・・パパは居なくて・・・なんかママも投げやりみたいな感じで・・・少しも楽しくなかった」
「大河・・・もういい」
悲痛な声で竜児は大河の話を中断させようとした。
「あは・・・しめっぽい話になっちゃったね・・・竜児、ごめんね」
しょんぼりとさっきまで吼えていた虎は何処に行ってしまったのかというくらい豹変する大河。
「・・・家の中がメチャクチャになっちゃった頃・・・どこか行っちゃったんだよね・・・ひな人形・・・あれから探したけど、見つからなくて・・・もしかしたら捨てられたのかなって・・・思ってた・・・私みたいに・・・・・・」
竜児は今にも泣き出しそうな大河に何と言ってやればいいのか、言葉を見つけられないでいた。
「・・・だから、残ってて良かった・・・お前達は捨てられなかったんだねって」
泣き笑いのような表情で大河はひな人形を見つめている。
そんな大河を何とかしてやりたくて、竜児は動き出した。
「よし」
掛け声と共に大きな箱を運び出そうとする。
「・・・ちょ、ちょっと竜児?・・・アンタ、何する気?」
「何って・・・運ぶんだよ、大河の部屋までな」
「運んでどうするの?」
「そんなの決まってるだろう・・・並べるんだ」
「はあ〜!」
語尾上がりに大河は目を点にする。
「ひな祭りでもないのに?」
「いいんだ・・・ひな祭りは三月だろ?」
「そうだけど」
「じゃ、ちょうどいい・・・今月は九月だ・・・3の倍数でおめでたさも3倍だ」
ポイントサービスじゃないんだからと大河は呆れ顔。
「あんた、それ絶対・・・変・・・それに今日は月見でしょ」
「おう、そうだな・・・ギャラリーは多い方がいいぞ・・・ひな人形も飛び入り参加だ・・・大河も手伝え」
有無を言わせず、竜児は大河を巻き込んだ。
「え?・・・え?」
戸惑う大河に荷物を押し付け、その背中を竜児は押した。
「さあ、運んだ、運んだ」
「ん・・・うん」
訳が分からないまま、大河は竜児の指示に従っていた。
動き回る大河にさっきまで見せていた憂いの表情は微塵も残ってはいない。
それどころか嬉々として動き回っていた。


広い大河の家に出現した赤いひな壇。
リビングの一角を占拠し、ひな人形が並べられるのを今や遅しと待ち構えていた。
「こういうとこは・・・やっぱり竜児って頼りになる」
私じゃ絶対に出来なかったと大河は竜児の手際を誉める。
設計図もなかったのに竜児は金具と鉄骨を巧みに組み合わせて七段のひな壇を誕生させた。
「あんた、裁縫とか料理以外にも日曜大工とかもいけるんじゃない?」
「そうか?これぐらい普通だと思うぞ」
さも当たり前と言う顔で竜児が答える。
「・・・竜児は普通じゃないわ」
「お、俺のどこが普通じゃないんだ?」
妖しい性癖の持ち主だと言われたように思えて、うろたえた竜児は大河に発言の真意を問い質す。
「じゃあ聞くけど・・・今日のお弁当・・・」
「おう、どうだった?」
よくぞ聞いてくれましたと竜児は勢い込む。
「いつもより・・・ちょっぴり・・・ううん、それ以上においしかった」
食べた時の味を思い出したのか、素直に感想が飛び出し大河の口元がほころぶ。
「だろ・・・隠し味を使ったんだ・・・みりんのいいのが手に入ってさ・・・秘蔵のしょうゆと混ぜて作っただしで・・・昆布は日高産の一級品を使ってだな・・・」
手振りを交えて夢中でしゃべり続けた竜児はやがて大河の意味ありげな視線に気がつき口をつぐんだ。
大河はにやにやと竜児を見つめる。
「・・・何だよ?」
暴走したと自覚のある竜児は大河を真正面に見られず、斜めを向く。
「竜児。普通の高校生はそんなこと言わないから・・・」
もうあきらめさないと言う感じで大河は宣告する。
お弁当を作ってしまえるだけもすごいのに、その味付けにまで精進を重ねるなんて普通じゃないと大河は言い切った。
それでもなおも俺は普通の高校生だと言い続ける竜児に大河は引導を渡す。
「じゃあ、聞くけど、竜児?」
「おう」
「クラスのアホロン毛に竜児と同じことが出来る?」
「・・・まあ、無理だろうな」
「アホロン毛は極端だけど・・・能登くんは?」
「能登でも無理だろう」
「ほらみなさい・・・北村くんだって・・・多分、無理」
竜児は無言で大河の言い分を認めた。
「男子どころか・・・女子にだって、アンタほどの腕前・・・いないじゃない」
大河にそこまで言われて竜児は照れ隠しに指で頬を引っかいた。
「それに・・・」
「それに?何だよ?」
大河が言いかけて止めた台詞の続きを竜児は促す。
竜児の言葉を受けて、言おうか言うまいかとためらっているみたいに見える大河。
「・・・竜児は・・・扱いがうまいから・・・普通じゃない・・・」
結局、ごにょごにょと言う感じで意味不明なことを大河はつぶやく。


「・・・何がうまいって?」
大河の言っていることが分からず、竜児は詳細な説明を求める。
「・・・だから・・・分かるでしょ!」
もじもじしながら大河は語尾を上げて言う。
「分かねえよ」
「あ〜もう・・・だから、竜児はすごくうまいの!・・・私のこと扱うのが!!!」
この鈍感と大河は竜児にぶつけるように叫んだ。
・・・何、こっぱずかしいこと言わせんのよ、この鈍さ特盛り犬は・・・と大河は竜児を罵りながら補足を加える。
・・・基本的に、私、わがまま・・・。
・・・良く、分かってるなですって・・・竜児、息の根止められたいの?
・・・まあ、いいわ。大目に見てあげる。
・・・さっきだって・・・自分で自分が嫌になるくらい落ち込みかけた。
・・・そうよ。ひな人形のことよ。
・・・竜児は私を元気付けてくれた。
・・・何にもしてないって・・・ううん、そんなことないよ、竜児。

「あのままだったら、嫌な気持ち抱えて、ずっと不機嫌だったと思うの・・・私」
大河は床に置かれたひな人形を一体、手に取ると人形へ向かって笑みを浮かべた。
「人形が見つかって嬉しい気持ちはあるんだ・・・でも、そのおかげで思い出したくないことも思い出しちゃう」
大河は人形をひな壇に置き、竜児に向き直った。
「幸せそうだった・・・昔の私・・・もう帰ってこないんだって思い知らされる」
大河は竜児へ一歩、歩み寄る。
「さっきもそうだけど・・・竜児は私の心に刺さったトゲを抜いてくれる・・・こんな事してくれたの・・・竜児が・・・初めて・・・」
かみ締める様に大河は言い、さらに一歩、近付きまっすぐ竜児を見つめる。
「だから・・・竜児は普通じゃないんだ・・・・・・少なくとも、私にはね」
「俺は・・・ただ・・・大河の泣き顔は見たくねえ・・・おまえには笑っていて欲しいって思ってる・・・そのためだったら何でもしてやりたいんだ」
大河の瞳を逸らさずに竜児は淡々と言う。
抑揚のないその話し方が竜児の本心を余すことなく伝えているようで、大河はその言葉に揺さぶられた。
「・・・嬉しいよ、竜児・・・私なんか・・・の・・・ため・・・っう」
高ぶる感情に大河の表情が崩れ、大河は顔を伏せる。
「言ってるそばから・・・大河・・・」
「・・・違う・・・泣いてない・・・泣いてなんか・・・いない・・・・・・竜児ぃ〜」
「おう」
「・・・こっち見るなあ・・・」
見ていなければ泣いていないのと同じだと大河は苦し紛れな主張を繰り返す。
「・・・分かった」
苦笑しつつ、竜児は大河に背を向ける。
「・・・ぐす・・・あいあと」
鼻声で大河は竜児に謝意を伝え、そのまま竜児の背中へ顔を埋めた。
「・・・ちょっと、貸して・・・ずび」
「ああ、いいぜ・・・大河の気の済むまでそうしてろ・・・あ、でも俺のシャツで鼻はかむなよ」
「・・・そんらこと、しらい・・・・・・れも・・・鼻水・・・付いたかも」
「おまえな・・・・・・でもま、いいか。洗えば落ちるんだしな。大河、遠慮しなくていいぞ」
「ん・・・」
ちーんとそのまま本当に鼻をかむ大河から伝わる温もりが竜児の背中全体に広がり、竜児は満たされた気分を味わっていた。



「うわ〜、こんだけあると壮観」
大河は目前に展開される光景に歓声をあげる。
顔を洗って来ると言って立ち去った大河が戻って来るまでの間に竜児は箱の中身を全て開封し、床の上に並べていた。
まるで園遊会みたいに床のあちこちに並ぶひな人形達。
眼下で繰り広げられる平安絵巻に大河は嬉しそうだ。
「こっから先は大河、頼むぜ」
竜児はバトンタッチと大河にアンカーを託す。
「・・・分かんない」
このひと言で見事にアンカーはバトンを落とし、ずっこける。
竜児を見る大河は真顔で言う。
「竜児、やって」
「俺が・・・男の俺が・・・ひな人形の並べ方なんて知ってるわけないだろ」
もっともな言い分の竜児に大河は怯まない。
「だって・・・並べたことないし・・・言ったでしょ・・・パパとママがいつも並べてたって・・・それに、どんな順番だったのかなんて覚えてない」
「どんだけ、お嬢様なんだよ」
あきれる竜児に大河は口先を尖らす。
「しようがないじゃない・・・知らないものは知らないんだし」
開き直った大河に竜児は頭を抱える。
「・・・仕方ねえ・・・だいたいでやるか・・・」
小さくため息をついて、竜児は床にあるひな人形を物色する。
「頂上は・・・っと・・・お、これだな・・・それから・・・お前もだ」
竜児は一番豪華そうな装いの二体を選び出すと、ひな壇の最上段へ飾りと共に並べた。
「これ、お内裏様とお雛様・・・だろ?」
「・・・多分」
自信なさ気な大河に竜児は脱力したくなるのを辛うじて堪える。
・・・まあ、大丈夫だろ。
竜児はひとり納得して、次の捜索に掛かる。
「・・・こいつらかな・・・」
やや艶やかな衣装を着けた女性の人形を三体、竜児は選び出し、2段目に並べる。
「あ、思い出した」
竜児が並べた三体をの人形を見て、急に大河が言い出す。
「こいつら・・・三人官女ってやつ」
まるで自分の手下か何かの様な大河の言いざま。
「・・・こいつらって・・・おまえなあ」
「だって・・・メイドさんみたいなものだって・・・」
父親が言っていたと大河は言う。
竜児とてひな人形の役割について深い造詣があるわけではないので、一概に大河の言うことが間違っていると決め付けるわけにも行かない。
「・・・三人か・・・何か、川嶋たちみたいだな」
川嶋亜美、木原麻耶、香椎奈々子の3人組を竜児は連想し、そんな感想を言う。
「・・・ばかちー?・・・ばかちーごときにもったいない」
川嶋と言う単語に反応し、ふんと鼻息も荒く、大河は日頃の竜児が言う決まり文句を流用して三人官女を2段目から最下段へ引き摺り下ろした。
「ばかちーごときはここでたくさん・・・床の上でもいいくらいよ・・・かろうじて壇上に残してあげた私の寛容の心に感謝することね」
目の前に本物の川嶋亜美がいるかの様に大河は毒を吐き出す。
「竜児!次、行くわよ」
何か変じゃないかと言う竜児の指摘はあっさり却下され、大河の勢いは加速する。
「・・・次は、これじゃないか?」
恐る恐るという感じで竜児は楽器を抱えた人形を五体選び出し、大河の前に置く。
「いんじゃない。バンドの生演奏」
面接官、大河の試験に通ったらしく、楽器を抱えた人形達は五人揃って2段目に並べられた。
「う〜ん・・・五人も居ると・・・ちょっとうっとうしい」
並べられた人形を見て大河はそんな感想を言い、いきなり二体を間引いた。
楽団クインテットから楽団トリオに改称された五人囃子ならぬ三人囃子が頂上ペアの下に改めて並んだ。
もはや、竜児は突っ込む気力も失せ、大河の言うがままに動いた。
かくして出来上がった珍妙奇天烈なひな壇に竜児は絶句する・・・。



頂上のペアはいいとして、欠員状態の三人囃子に最下段に配置の三人官女・・・中段には本来、一番下へ並ぶとおぼしき御所車が並び、その下に弓矢を持った人形や軽装の従者の人形が所狭しと押し込まれて並んでいた。
・・・いくらなんでも・・・不自然すぎる。
竜児はそう思わざるを得ないのだが、隣の大河は良い出来と満足げに己のした仕事の完成度に誇らしそうだ。
「・・・あ、これはやっぱりここかな」
あまつさえも、とどめとばかり大河は創作ひな壇をさらに魑魅魍魎の棲家に作り変える。
髪の長い年配の人形を三人囃子が並ぶ二段目の一体と入れ替えた。
・・・もう演奏どころじゃないな・・・。
竜児は二人囃子プラスワンと成り果てた哀れな人形に向かって心の中で合掌した。
「・・・でも、なんでそれがそこなんだよ?」
理不尽な扱いを受ける人形の為ではないが、一応竜児は大河に理由を聞いてみる。
「似てるじゃない」
大河は髪の長い人形を見ながら笑う。
「誰にだよ?」
「・・・アホロン毛」
「春田かあ!」
大河の思いもかけない回答に竜児は声を上げた。
「そっくりじゃない」
「待て・・・あいつはそんな年寄りじゃねえ」
友のため、竜児は弁明を試みる。
「いいのよ、このさい歳は・・・」
細かいこと言いなさんなと大河は意に返さない。
・・・待てよと竜児はひらめく。
「なあ・・・大河・・・もしかしてだけど・・・この春田の隣は・・・まさかとは思うが・・・能登・・・とか?」
「そうよ。よく分かったわね」
難しいなぞなぞを解かれたみたいに大河は明るく言う。
のっぺりした顔立ちの人形・・・竜児は改めて見つめる。
・・・まあ、似てると言えば、似てるんだが・・・。
ここで、竜児は重大な事実に思い至り・・・恐る恐る春田人形の隣を見る。
ちょうど能登人形の反対側だ。
ちょっと目の大きな優しそうな表情をした人形が竜児を見つめ返す。
「なあ大河・・・春田・・・能登・・・と来たら・・・こいつは・・・俺か?」
竜児とすれば当然そう言う発想にたどり着く。
「違うわよ」
しかし、大河の返事は竜児の予想をあっさり裏切った。
「違うのか・・・」
なにやらほっとしたような物足らないような思いに竜児は捕らわれる。
「それは・・・北村くん」
「北村かあ!・・・俺じゃなくて」
「そうよ。だいたい、竜児がそんな大きな目をしてるわけないじゃない」
北村のメガネをイメージして選んだと大河は説明する。
何だ自分は入っていないのかと、竜児は心の底で小さな失望感が湧き上がるのを感じた。
・・・犬扱いだからな・・・きっと入ってたとしても下段のどれかだ。
竜児は最下段へ追いやられた川嶋人形を見ながらそんな風に思った。



「竜児?・・・竜児はね・・・あそこ」
大河が指差す先は竜児の想像と大きく違った。
「一番上のあれよ」
お内裏様を指し示す大河。
この場合、お雛様は当然、大河を模しているはずだから・・・それはすなわち・・・・・・。

竜児は面食らう思いがした。
・・・俺が大河の隣・・・北村じゃなくて・・・それってもしかして・・・大河・・・それは遠まわしの・・・何かのメッセージなのか?
竜児の思考は激しく駆け巡る。
思わず、大河をじっと見つめ、もしもそうなら俺は何て答えたらいいんだと先走った思いでいっぱいになる竜児。
ひとり心の中で慌てている竜児を尻目に大河はいたって平静そう。
なに、じろじろ見てんだと竜児に一瞥を与え、おもむろにひな壇に飾ってあるお内裏様を手に取る。
「よっく、見なさい」
その小さな目をかっぽじて見やがれと大河は手にしたお内裏様を竜児の鼻先へ突きつけた。
「・・・うっ」
竜児は息を詰めた。
悪いのである。
顔がではなく・・・目付きが・・・恐ろしく悪いのである。
さっきはよく見なかったので気が付かなかったが、目の前で見ると良く分かるのだ。
大河の家にあるくらいだから、恐らく名工と呼ばれる人形師の手で作られた特注品かと竜児は推測するのだが、仕上げに絵の具をケチったのかと言いたくなるくらいお内裏様の目は細く、見る人をしてその視線を避けたくなる様な目力がある。
思わず、大河の手からお内裏様を受け取る竜児。
・・・こんなところに居たのか、兄弟。
急にひな人形に親しみを覚えた竜児はその頭を撫でてやる。
「あ、竜児」
「何だよ・・・」
忘れてたわと言いながら大河はとんでもない事を言い出した。
「さっき言ったけど・・・ひな壇から落ちて首が取れたの・・・それだから」
接着剤でくっ付いてるだけだから、力を入れるとまたもげるかもとあっさり言ってのける大河。
「おう!」
慌てて竜児は頭から手を離し、お内裏様を元の場所へそっと戻す。
・・・落ちたというのは言葉の綾で・・・本当は落としたが正解だろ。
竜児は声に出さず、突っ込みを入れた。


「ママにね・・・よくからかわれたんだ」
大河の声に竜児は振り向く。
いつの間にか大河は少し離れたところにあったクッションを抱かかえる様にして座っていた。
「ひな祭りが来るたび・・・ひな人形を見ては言うの・・・・・・アンタの、大河の将来のお婿さん、きっと目付きの悪い奴だって」
ポフポフとクッションを叩きながら大河は続ける。
「ひどいでしょ・・・子供心にも反発して・・・マジックで顔、描いてやろうかって思ったくらい。・・・それで落としちゃたんだけどね」
・・・白馬の王子様が迎えに来るって思ってた、小さい頃は・・・。
・・・竜児、今、笑ったでしょ?
・・・笑ってないって・・・まあ、いいわ。
・・・それでね。ほとんど、忘れてたんだ。そんなことあったなんて。
「・・・竜児、アンタに会うまではね」
ひどく真面目な大河の表情から竜児は何かを読み取ろうとして果たせない。
大河は竜児に背を向け、話を続けた。
「新学期の初日・・・私、竜児のこと殴ったじゃない・・・その晩かな、思い出したの」
・・・笑っちゃった。まさか本当に現れるなんて思わなかったから。
・・・ちょっと興味が湧いたから何となく、見てたんだ、竜児のこと。
・・・もしかして運命の人?
・・・冗談めかして思ったりもしたわ・・・。
・・・でも、結局はただのクラスメートで終わると思ってた・・・。
・・・私が・・・あんなドジを踏まなければね。
・・・まさか、入れ間違えるなんて・・・有り得ない。
・・・だから、こうなることが決められてたんじゃないかなって・・・。
「そんなの・・・変?・・・かな?」
大河は再び、竜児へ向き直るとそう付け加えた。




竜児に返事をさせるいとまもなく大河は「お月見しよ」と窓際に歩み寄った。
・・・そんなの変かな?
ついさっき、大河はそう言った。
大河と並んで外を見ながら竜児は考える。
・・・俺とおまえが出会うのが運命だったと言うのか・・・大河。
・・・確かに俺もそんな気はする。それは否定しねえ。
竜児は大河の小さな肩へ視線を落とす。
・・・俺も、最初から積極的におまえに係わろうなんて思ってなかった。
・・・むしろ、触らぬ神の何とかで・・・近付こうとかすら考えなかったさ。
・・・それが、気が付いたら、いつの間にかおまえが隣に居ることになっちまってた。
・・・これが偶然だなんて言うなら、どうかしてる。
「ねえ、竜児」
「お、おう、何だよ」
思考を中断されて竜児は我に返る。
「・・・よく見えないね」
言われて竜児も気が付いた。
室内からは月が見えない。
既に月は空高く昇ってしまっていた。
見上げようにも三階のベランダが邪魔でリビングから見通せない。
今まで、月見と言いながら大河も竜児も月の見ない窓辺から外をじっと眺めていたのだ。



アルミサッシを開けると、夜の冷気に触れる。
竜児も大河も見えない月を見ながら、お月見をするという奥ゆかしき王朝貴族ではないのでベランダから本当のお月見を開始する。
「外はもうひんやりするね、竜児」
「ああ、そうだな・・・上に一枚、着た方がいいんじゃないか?」
「大丈夫・・・ちょうどいいくらいだから」
竜児の気遣いを丁重に断って、大河は空を見上げた。
やや蒼ざめた月が天空高く輝いているのが、大河の家のベランダからくっきりと見えている。
「月なんて・・・ゆっくり眺めたことなかった」
上を向いたまま大河はつぶやく。
「たまにはこんな時間もいいだろう?」
「そうね・・・心が洗われていくみたい・・・・・・なんて、私が言うと似合わない?」
小首を傾げながら悪戯っぽく言う大河。
そう言った大河に胸を衝かれる竜児。
・・・倣岸不遜で暴力的で「手乗りタイガー」なんて言う陰の呼び名まであって、その全てが大河なんだって誰が決めたんだ。
・・・こいつだって、まっとうな家庭で育っていれば、今みたいな台詞が普通に似合う女の子だったかもしれない。
竜児の空想はとめどなく駆け巡る。
・・・友達もたくさん居て、休み時間は大河を中心に人が集まるんだ。
・・・大河は人気者で、クラスのみんなから好かれてて。
・・・その真ん中で笑ってるんだ、大河、おまえは。
・・・憂いの表情もなく、毎日が楽しげで、その隣にはもしかしたら素敵な彼氏が居て・・・。
思考がそこに至った時、鈍い痛みが竜児の心に芽生えた。
・・・どうしたんだ?俺?
大河の架空の彼氏を想像しただけなのにと竜児は思う。
・・・ああ、そうか。
竜児は気が付いた。
そんな環境にいる大河なら竜児はまったくお呼びでないのだ。
飯の心配をしてやる必要も無いし、寝坊する大河を起こす必要も無い。
たとえ同じクラスになったとしても、竜児はただ目付きが恐いクラスの男子として大河から認識されるだけだ。
どうやったって竜児は大河の隣に居られない。
・・・大河と出会って半年足らずの時間が過ぎた。
・・・毎日、振り回されっ放しだけど・・・俺はそんな生活が嫌じゃない。
竜児は無意識のうちに大河をその目に映し出していた。
竜児の瞳に浮かぶ大河。
その大河はしきりに背伸びをして竜児に顔を近づけていた。

・・・大河の隣にずっと居るのは俺でありたい。
はっきりと竜児は気づかされた。
・・・俺・・・大河のこと・・・。



「・・・竜児!」
「おう!」
左右の頬にぺチンと言う衝撃を感じて竜児の意識は覚醒レベルを上げる。
「何、ぼうっとしてるの?」
見れば思いっきり背伸びした大河の手が竜児のふたつの頬を挟み込んでいる。
「ぼうっとしてたか・・・俺?」
「たっぷりと。いくら呼んでも返事しないし・・・」
幾ばくかの苛立ちをにじませて大河は文句を言う。
・・・私のこと、じっと見つめたかと思うと、急にニヤニヤしだすし、そうかと思えば変に真面目な顔になるし・・・。
「とうとうおかしくなったんじゃないかって・・・そう思うじゃない」
背伸びを中断し、手を引っ込める大河。
心配と言うスパイスを混ぜながら竜児を気遣う発言。
「あんた、疲れてるんじゃない?」
いつもと少し様子が違う竜児に不審さを覚え大河は不安をのぞかせて竜児を見つめる。
「・・・何でもねえよ」
努めて明るく竜児は答える。
「本当に?」
「ああ」
「・・・わかった」
納得しかねる様な感じだったが、大河は引き下がった。


月明かりが差し込むベランダ。
静寂の中、大河はベランダの柵に頬づえをつき、すぐ下の通りを眺める。
「・・・全然、想像できなかった」
つぶやく様に声を発する大河。
「何がだ?」
竜児は柵を背もたれにしたまますぐ隣の大河を見下ろす。
「この家に男の子が居て・・・その子とふたりだけで・・・お月見することになるなんて」
引っ越して来た頃の私じゃとても思い付かなかった未来だと大河は小さく笑う。
「どんな未来を想像してたんだよ?」
少し興味を感じた竜児は大河にその内容について聞いた。
「私の思ってたあの頃の未来はね・・・真っ白」
「真っ白?」
「うん・・・あたり一面が雪の野原で、ひとりの足跡だけがずっと向こうまで伸びてて森の中へ消えてゆくんだ」
「なんか寂しい光景だな」
「それには続きがあって・・・そのわずかな足跡も風が吹いて雪が舞って・・・消えちゃうんだ。まるで何もかもなかったみたいに・・・」
暗いでしょ・・・と大河は声だけ明るく話を締めくくった。

「だから、竜児に会えてものすごく嬉しいんだ。・・・竜児とだったら、一緒に森の中へ消えて行ってもいいよ、私」
「消えねえよ・・・変な所へ行こうとしたら止めてやる・・・それでも大河・・・おまえが止まらなければ何処までも一緒に付いて行くぞ」
「・・・竜児」
頬づえをやめ、大河は竜児へ向き直るとその目を見つめ、はっきりと言った。
「うん、ここでこうして竜児とお月見することが決まってたんだよ、絶対・・・私、そう思いたいの」
言い終わって微笑む大河は切り抜いて額縁にでも飾って置きたいくらい完璧な笑顔だった。



「ねえ、竜児」
「何だ」
「どこにうさぎがいるの?」
月を見つめる大河。
「うさぎ?」
「うん。月にうさぎが居るって言うじゃない」
「あれだな」
大河の疑問に答えるように竜児は月のその場所を指し示す。
「よく分かんない」
あれこれ竜児は伝えようとするのだがうまく大河へ伝わらない。
竜児がする説明の仕方が悪いせいか大河にはいまいち、飲み込めない様だった。
「だから、あの黒っぽいところがだな・・・ああ、もうじれってえ」
言葉ではうまく説明できないと、竜児は大河の手を取った。
一瞬、え?と言う顔を見せた大河。
それに構わず竜児は大河の指をそっと握り、手のひらを開かせて、そこに自分の指先で円を描く。
「これが、月だ」
「・・・うん」
竜児の勢いに大河はされるがまま、目を白黒させる。
「で、この部分・・・」
実際の月で言えば海に当たる部分を竜児は大河の手にひらを撫でる様にして再現していく。
くすぐったそうな大河。
でも、その表情は穏やかで竜児の指先を黙って見つめる。
「・・・な、この形がうさぎに見えるんだ」
大河の手を取ったまま、竜児は本物の月を指差す。
「見えた!」
大河はひと声、叫んだ。
おぼろげな輪郭がはっきりし、大河の脳裏にうさぎの姿が描きだされた。
「わあ・・・うさぎ、うさぎだあ」
「ようやくわかったか?」
「うん。竜児・・・私にも見えた」
ちょっとだけ、はしゃぐ大河を見下ろしながら、良かったと竜児は安堵する。
そして、大河の指先を掴んだままだと気がつき、大慌てで手を離した。
「わりい・・・つい夢中で」
申し訳ないと竜児は大河に謝る。
「竜児の指・・・長いんだね」
そんなこと気にしてないよと大河は竜児を見上げる。
「この指先で・・・竜児は何でも作れちゃう」
大河は竜児の手を取ると自分の手のひらと重ね合わせた。
「あは・・・全然、大きさ違う。すっぽり隠れちゃうね、私の」
そっとそのまま手を離すと、大河は視線をつま先へ向ける。
「もう、分かっちゃってると思うけど・・・さっきの晩ご飯・・・インスタントなの」
・・・がんばって見ようかと思ったけど、全然駄目。
・・・とても、竜児みたいに出来ない。
・・・おいしいの作るとか言ったけど無理だった。
「ごめんね、竜児」
最後にポツリと大河は謝罪の言葉を漏らす。

無言のままの竜児に大河が訝しげに顔を上げ掛けた刹那・・・。



大河の全身はふんわりと温もりに包まれる。
さっき重ねた竜児の手が大河を守るように回されていた。
上目遣いに竜児を見上げた大河は自分を見つめる竜児と視線が合う。
「・・・竜児」
何も言うなと竜児の声にならない声が聞こえて来るみたいに大河には思えた。
大河の目の前にあるのは竜児の頼りがいのありそうな胸板。
大河は昼間の傷口を避けるようにゆっくり、頬を寄せた。

竜児の腕に包まれ、真下でうつむく小柄な少女。
料理が上手く行かなかったと切れ切れに訴えていた。
・・・結果じゃねえ。
・・・どれだけ頑張ったか・・・だ。
・・・大河は、頑張った。俺は認める。
・・・俺はそんな大河が・・・そんな大河が・・・・・・。
竜児の内から込み上げる衝動。
・・・言葉じゃ言い表せねえ。
自然と手が動き、竜児は大河を壊れ物のようにその手に抱きしめた。


「でも、うさぎは何で月にいるの?」
不意に竜児の腕の中で大河が言い出す。
竜児は輝く月を見つめ、それから昔話でもするように大河に語り掛けた。
「天の神さまが下界で倒れてたんだ」
「ドジな神様ね」
見も蓋もない反応をする大河。
「まあ、その辺は置いておいて・・・で、それを森の動物がみつけてだな」
「・・・食べちゃった・・・と」
哀れな神様と大河は同情してみせる。
「アホか・・・それじゃただの行き倒れじゃねえか」
「だって・・・」
「まあ、話を続けるとだな、動物達は木の実やら魚やら採って来て、神さまを介抱してやるんだけど、うさぎだけが何の獲物も採れなかったんだ」
「うさぎ、落ちこぼれ?」
「結果はそうなるな・・・でもな、うさぎはとんでもないことをしたんだ」
「どんな?」
「火を起して・・・飛び込んだんだ・・・その火の中に」
「どうして?」
「自分を食べてくれと言うわけさ・・・その健気さを称えて、忘れられないようにうさぎの姿を月に残した・・・とされている」
「迷惑な話じゃない」
突然、大河の口調が尖る。
「どこが迷惑なんだ?」
「だって、そうじゃない。あんな寂しそうなところへ追いやられて・・・ひとりぼっちで・・・たとえ死んじゃったとしても、そのまま森の中に居たいって思ってたかもしれないじゃない」
まるでうさぎに成り代わったみたいに大河は主張する。
・・・ひとりぼっちか・・・まるで昔の大河みたいじゃねえか。
知らず知らずのうちに大河を抱く手に力を入れる竜児。
「ん・・・竜児」
竜児の腕の中で大河はきついと身をよじる。
「おう、わりい」
緩めた竜児の腕の中から大河はするりと抜け出す。
そのまま一歩下がった大河は改めて竜児を見上げ、さっきの続きを始める。
「私ならみんなに忘れられたっていい・・・ただひとりの人にさえ覚えていてもらえるなら・・・」
水晶の様にきらめく瞳を竜児に向け、大河はそこで一拍、間を置いた。
「私なら、それで構わない」


「自宅のベランダで・・・竜児と抱き合うなんて思わなかった」
竜児の腕から解放された大河は憮然とした表情。
お月見以上のサプライズだと大河は言う。
「な、なんだ・・・嫌だったのかよ」
心外だと竜児は言う。
「馬鹿ね・・・嫌だったら突き飛ばしてる」
当たり前のように大河は竜児を見る。
「・・・なんかね。すごく安心できたんだ・・・ああ、されて」
さっきの様子を思い出したのか大河は目を閉じる。
・・・ここに、私を必要としてくれる人がいるんだって思えた。
・・・竜児が居てくれる・・・ひとりぼっちじゃない。
・・・私は決して月のうさぎなんかじゃないんだって・・・。
・・・嬉しかった。
・・・もう、泣きたいくらい。
・・・え?泣いたのかって?
・・・泣かないわよ。
・・・我慢しなくていいって?
・・・我慢するわよ・・・あんた、言ったじゃない。
・・・私の泣き顔・・・見たくないって。
「嬉し泣きならいいの?同じ泣き顔なのに?」
大河の問いに竜児はうなずく。
「俺は・・・大河を・・・離したくねえ」
淡々とした表情のまま、何気ない会話のように竜児はさらりと言う。
「き、急に何よ」
竜児の投げる内角狙いのカーブが大河の胸元をかすめる。
大河は自分の心拍数が10パーセント増しになったことを自覚した。
「言葉の通りだ。俺はおまえの隣に居たい・・・大河が俺を必要とする限り・・・な」
「そそ、それって・・・つまり」
「俺は大河のことが多分・・・いや、きっと」
竜児はそこで言葉を切り、顔を横へ向け、大河を真正面からじっと見つめた。
普段見せたこともないひどく真剣な竜児に大河は息を呑む。
「・・・りゅ・・・じ」
息が詰まったみたいな声で大河は竜児の名前を呼ぶ。
「私も・・・私も・・・竜児にずっとそばに・・・」
思いつめたような調子で大河は言葉を続ける。
「・・・居て欲しい」
そして「・・・駄目かな」と照れたように続けた。


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